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title: "大方廣佛華嚴經 · 第一地"
description: "大方廣佛華嚴經，又称华严经，由唐代实叉难陀翻译，是佛教重要经典之一。该经成书于印度，后传入中国，成为华严宗的根本经典。内容主要阐述佛陀证悟的无限境界，强调法界缘起、事事无碍的哲学思想，展现宇宙万物相互融通的华严世界观。经中通过善财童子五十三参的故事，揭示菩萨修行的次第与圆满境界。华严经在大乘佛教中地位崇高，被誉为经中之王，对汉传佛教思想影响深远，尤其为华严宗、禅宗等宗派所重视。其广博深奥的教义，成为研究佛教哲学与修行实践的重要依据。"
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### 第一地

> 初地

「佛子！若有眾生深種善根，善修諸行，善集助道，善供養諸佛，善集白淨法，為善知識，善攝善清淨深心，立廣大志，生廣大解，慈悲現前，為求佛智故，為得十力故，為得大無畏故，為得佛平等法故，為救一切世間故，為淨大慈悲故，為得十方無餘智故，為淨一切佛剎無障礙故，為一念知一切三世故，為轉大法輪無所畏故。佛子！菩薩起如是心，以大悲為首，智慧增上，善巧方便所攝，最上深心所持，如來力無量，善觀察分別勇猛力、智力，無礙智現前、隨順自然智，能受一切佛法，以智慧教化，廣大如法界，究竟如虛空，盡未來際。佛子！菩薩始發如是心，即得超凡夫地，入菩薩位，生如來家，無能說其種族過失，離世間趣，入出世道，得菩薩法，住菩薩處，入三世平等，於如來種中決定當得無上菩提。菩薩住如是法，名：住菩薩歡喜地，以不動相應故。

> 仏子よ。もし衆生が深く善根を植え、諸々の行いを善く修め、助道を善く集め、諸仏を善く供養し、白浄の法を善く集め、善知識となり、深き心を善く摂め善く清浄にし、広大な志を立て、広大な解を生じ、慈悲を現前にして、仏智を求めるがゆえに、十力を得んがゆえに、大無畏を得んがゆえに、仏の平等法を得んがゆえに、一切の世間を救わんがゆえに、大慈悲を浄めんがゆえに、十方の無余智を得んがゆえに、一切の仏刹を浄めて障礙なからしめんがゆえに、一念にして一切の三世を知らんがゆえに、大法輪を転じて畏れるところなからしめんがゆえに。仏子よ。菩薩がこのような心を起こすとき、大悲を首とし、智慧が増上し、善巧方便によって摂められ、最上の深心によって保たれ、如来の力は無量であり、善く観察分別する勇猛力・智力、無礙智が現前し、自然智に随順して、一切の仏法を受けることができ、智慧をもって教化し、その広大さは法界のごとく、その究竟は虚空のごとく、未来際に尽きることがない。 仏子よ。菩薩が初めてこのような心を発したならば、ただちに凡夫の地を超え、菩薩の位に入り、如来の家に生まれ、その種族の過失を説くものはなく、世間の趣を離れ、出世の道に入り、菩薩の法を得て、菩薩の処に住し、三世の平等に入り、如来の種中において決定して無上菩提を得るであろう。菩薩がこのような法に住することを、菩薩歓喜地に住すると名づける。不動と相応するがゆえである。

「佛子！菩薩住歡喜地，成就多歡喜、多淨信、多愛樂、多適悅、多欣慶、多踊躍、多勇猛、多無鬪諍、多無惱害、多無瞋恨。佛子！菩薩住此歡喜地，念諸佛故生歡喜，念諸佛法故生歡喜，念諸菩薩故生歡喜，念諸菩薩行故生歡喜，念清淨諸波羅蜜故生歡喜，念諸菩薩地殊勝故生歡喜，念菩薩不可壞故生歡喜，念如來教化眾生故生歡喜，念能令眾生得利益故生歡喜，念入一切如來智方便故生歡喜；復作是念：『我轉離一切世間境界故生歡喜，親近一切佛故生歡喜，遠離凡夫地故生歡喜，近智慧地故生歡喜，永斷一切惡趣故生歡喜，與一切眾生作依止處故生歡喜，見一切如來故生歡喜，生佛境界中故生歡喜，入一切菩薩平等性中故生歡喜，遠離一切怖畏毛豎等事故生歡喜。』何以故？此菩薩得歡喜地已，所有怖畏悉得遠離，所謂：不活畏、惡名畏、死畏、惡道畏、大眾威德畏，如是怖畏皆得永離。何以故？此菩薩離我想故，尚不愛自身，何況資財，是故無有不活畏；不於他所希求供養，唯專給施一切眾生，是故無有惡名畏；遠離我見，無有我想，是故無有死畏；自知死已，決定不離諸佛菩薩，是故無有惡道畏；我所志樂，一切世間無與等者，何況有勝！是故無有大眾威德畏。菩薩如是遠離驚怖毛豎等事。

> 仏子よ、菩薩が歓喜地に住するとき、多くの歓喜、多くの清らかな信心、多くの愛楽、多くの適悦、多くの欣慶、多くの踊躍、多くの勇猛、多くの闘諍なきこと、多くの悩害なきこと、多くの瞋恨なきことを成就する。 仏子よ、菩薩がこの歓喜地に住するとき、諸仏を念ずるがゆえに歓喜が生じ、諸仏の法を念ずるがゆえに歓喜が生じ、諸菩薩を念ずるがゆえに歓喜が生じ、諸菩薩の行を念ずるがゆえに歓喜が生じ、清らかな諸波羅蜜を念ずるがゆえに歓喜が生じ、諸菩薩の地の殊勝なるを念ずるがゆえに歓喜が生じ、菩薩の壊れざることを念ずるがゆえに歓喜が生じ、如来が衆生を教化することを念ずるがゆえに歓喜が生じ、衆生をして利益を得しめんことを念ずるがゆえに歓喜が生じ、一切の如来の智慧と方便に入ることを念ずるがゆえに歓喜が生じる。 またこのように思う：『私は一切の世間の境界を離れ転ずるがゆえに歓喜が生じ、一切の仏に親近するがゆえに歓喜が生じ、凡夫の地を遠離するがゆえに歓喜が生じ、智慧の地に近づくがゆえに歓喜が生じ、一切の悪趣を永遠に断つがゆえに歓喜が生じ、一切の衆生の依止処となるがゆえに歓喜が生じ、一切の如来を見るがゆえに歓喜が生じ、仏の境界の中に生まれるがゆえに歓喜が生じ、一切の菩薩の平等性に入るがゆえに歓喜が生じ、一切の怖畏や身の毛のよだつような事柄を遠離するがゆえに歓喜が生じる。』 なぜならば、この菩薩は歓喜地を得た後、すべての怖畏がことごとく遠離されるからである。すなわち、不活畏（生活への恐れ）、悪名畏（悪名への恐れ）、死畏（死への恐れ）、悪道畏（悪趣への恐れ）、大衆威徳畏（大衆の威徳への恐れ）、このような怖畏はすべて永遠に離れる。なぜならば、この菩薩は我という想いを離れているので、自分の身さえも愛着せず、ましてや資財などに執着しない。それゆえ不活畏がない。他者に供養を求めることなく、ただひたすら一切の衆生に施しを与える。それゆえ悪名畏がない。我見を遠離し、我という想いがない。それゆえ死畏がない。自分が死んだ後も、必ず諸仏菩薩から離れないことを自ら知っている。それゆえ悪道畏がない。私の志し願うところは、一切の世間において比べるものがない。ましてやそれに勝るものがあろうか。それゆえ大衆威徳畏がない。菩薩はこのようにして、驚き怖れ身の毛のよだつような事柄を遠離するのである。

「佛子！此菩薩以大悲為首，廣大志樂無能沮壞，轉更勤修一切善根而得成就，所謂：信增上故，多淨信故，解清淨故，信決定故，發生悲愍故，成就大慈故，心無疲懈故，慚愧莊嚴故，成就柔和故，敬順尊重諸佛教法故，日夜修集善根無厭足故，親近善知識故，常愛樂法故，求多聞無厭足故，如所聞法正觀察故，心無依著故，不耽著利養、名聞、恭敬故，不求一切資生之物故，生如寶心無厭足故，求一切智地故，求如來力、無畏、不共佛法故，求諸波羅蜜助道法故，離諸諂誑故，如說能行故，常護實語故，不污如來家故，不捨菩薩戒故，生一切智心如山王不動故，不捨一切世間事成就出世間道故，集助菩提分法無厭足故，常求上上殊勝道故。佛子！菩薩成就如是淨治地法，名為：安住菩薩歡喜地。

> 仏子よ、この菩薩は大悲を第一とし、広大な志と願いは誰にも妨げられることなく、さらに精進して一切の善根を修め成就します。 すなわち、信心が増上するゆえに、清らかな信が深まり、理解が澄みわたり、信が確固たるものとなるからです。悲しみと思いやりが起こり、大いなる慈しみを成就し、心に疲れや怠けがなく、恥じらいと慎みが身を飾ります。柔和さを成就し、諸仏の教えを敬い順って尊重し、日夜、善根を積み集めて飽くことを知らず、善知識に親しみ、常に法を愛し楽しみ、多くを聞くことを飽くことなく求め、聞いた法を正しく観察し、心に執着がなく、利養や名声、尊敬に耽ることなく、一切の生活資具を求めず、宝のような心を生じて飽くことを知らず、一切智の境地を求め、如来の十力・四無畏・十八不共法を求め、諸波羅蜜や助道の法を求め、諂いや欺きを離れ、説かれた通りに行い、常に真実の言葉を守り、如来の家を汚さず、菩薩の戒を捨てず、一切智の心を生じて山王のように動かず、一切の世間事を捨てずして出世間の道を成就し、菩提分の法を集めて飽くことを知らず、常に上々の殊勝な道を求めます。 仏子よ、菩薩がこのような浄治の地の法を成就することを、菩薩歓喜地に安住するというのです。

「佛子！菩薩住此歡喜地，能成就如是大誓願、如是大勇猛、如是大作用，所謂：『生廣大清淨決定解，以一切供養之具，恭敬供養一切諸佛，令無有餘；廣大如法界，究竟如虛空，盡未來際一切劫數無有休息。』又發大願：『願受一切佛法輪，願攝一切佛菩提，願護一切諸佛教，願持一切諸佛法；廣大如法界，究竟如虛空，盡未來際一切劫數無有休息。』又發大願：『願一切世界佛興于世，從兜率天宮沒、入胎、住胎、初生、出家、成道說法、示現涅槃，皆悉往詣，親近供養，為眾上首，受行正法，於一切處一時而轉；廣大如法界，究竟如虛空，盡未來際一切劫數無有休息。』又發大願：『願一切菩薩行廣大無量，不壞不雜，攝諸波羅蜜，淨治諸地，總相、別相、同相、異相、成相、壞相，所有菩薩行皆如實說，教化一切，令其受行，心得增長；廣大如法界，究竟如虛空，盡未來際一切劫數無有休息。』又發大願：『願一切眾生界有色、無色、有想、無想、非有想、非無想、卵生、胎生、濕生、化生，三界所繫，入於六趣一切生處，名色所攝，如是等類我皆教化，令入佛法，令永斷一切世間趣，令安住一切智智道；廣大如法界，究竟如虛空，盡未來際一切劫數無有休息。』又發大願：『願一切世界廣大無量，麁細亂住、倒住、正住，若入、若行、若去，如帝網差別，十方無量種種不同，智皆明了，現前知見；廣大如法界，究竟如虛空，盡未來際一切劫數無有休息。』又發大願：『願一切國土入一國土，一國土入一切國土，無量佛土普皆清淨，光明眾具以為莊嚴，離一切煩惱，成就清淨道，無量智慧眾生充滿其中，普入廣大諸佛境界，隨眾生心而為示現，皆令歡喜；廣大如法界，究竟如虛空，盡未來際一切劫數無有休息。』又發大願：『願與一切菩薩同一志行，無有怨嫉，集諸善根，一切菩薩平等一緣，常共集會，不相捨離，隨意能現種種佛身，任其自心能知一切如來境界威力智慧，得不退如意神通，遊行一切世界，現形一切眾會，普入一切生處，成就不思議大乘，修菩薩行；廣大如法界，究竟如虛空，盡未來際一切劫數無有休息。』又發大願：『願乘不退輪行菩薩行，身、語、意業悉不唐捐，若暫見者則必定佛法，暫聞音聲則得實智慧，纔生淨信則永斷煩惱，得如大藥王樹身，得如如意寶身，修行一切菩薩行；廣大如法界，究竟如虛空，盡未來際一切劫數無有休息。』又發大願：『願於一切世界成阿耨多羅三藐三菩提不離一毛端處，於一切毛端處皆悉示現初生、出家、詣道場、成正覺、轉法輪、入涅槃，得佛境界大智慧力，於念念中隨一切眾生心示現成佛令得寂滅，以一三菩提知一切法界即涅槃相，以一音說法令一切眾生心皆歡喜，示入大涅槃而不斷菩薩行，示大智慧地安立一切法，以法智通、神足通、幻通自在變化充滿一切法界；廣大如法界，究竟如虛空，盡未來際一切劫數無有休息。』

> 仏子よ、菩薩はこの歓喜地に安住し、このような大いなる誓願、このような大いなる勇猛、このような大いなる働きを成就することができる。 すなわち、広大で清らかな確固たる理解を生じ、あらゆる供養の具をもって、一切の諸仏を恭敬供養し、余すところなく、法界のように広大に、虚空のように究極に、尽きることなき未来際の一切の劫数の間、休むことなく行うのである。 また大願を発して言う、『一切の仏の法輪を受け、一切の仏の菩提を摂め、一切の諸仏の教えを護り、一切の諸仏の法を持ちたい。法界のように広大に、虚空のように究極に、尽きることなき未来際の一切の劫数の間、休むことなく』と。 また大願を発して言う、『一切の世界に仏が世に出現され、兜率天宮より降り、入胎し、住胎し、誕生し、出家し、成道説法し、涅槃を示現される、そのすべてに赴き、親近供養し、衆の上首となり、正法を受けて行じ、一切の処で同時に法輪を転じたい。法界のように広大に、虚空のように究極に、尽きることなき未来際の一切の劫数の間、休むことなく』と。 また大願を発して言う、『一切の菩薩行が広大無量で、壊れず混ざらず、諸波羅蜜を摂し、諸地を浄治し、総相、別相、同相、異相、成相、壊相、すべての菩薩行をありのままに説き、一切を教化し、それを行じさせ、心を増長させたい。法界のように広大に、虚空のように究極に、尽きることなき未来際の一切の劫数の間、休むことなく』と。 また大願を発して言う、『一切の衆生界、すなわち有色、無色、有想、無想、非有想非無想、卵生、胎生、湿生、化生、三界に繋がれ、六趣の一切の生処に入り、名色に摂せられる、このような等無量の類いを、私は皆教化し、仏法に入らせ、一切の世間の趣を永遠に断ち切らせ、一切智智の道に安住させたい。法界のように広大に、虚空のように究極に、尽きることなき未来際の一切の劫数の間、休むことなく』と。 また大願を発して言う、『一切の世界が広大無量で、粗細乱住、倒住、正住、若入、若行、若去、帝網の如く差別し、十方無量に種々異なり、智をもってことごとく明らかにし、現前に知見したい。法界のように広大に、虚空のように究極に、尽きることなき未来際の一切の劫数の間、休むことなく』と。 また大願を発して言う、『一切の国土を一つの国土に入れ、一つの国土を一切の国土に入れ、無量の仏土が普く清浄であり、光明と衆具をもって荘厳とし、一切の煩惱を離れ、清浄道を成就し、無量の智慧の衆生に満たされ、広大なる諸仏の境界に普く入り、衆生の心に随って示現し、皆を歓喜させたい。法界のように広大に、虚空のように究極に、尽きることなき未来際の一切の劫数の間、休むことなく』と。 また大願を発して言う、『一切の菩薩と同一の志行を持ち、怨嫉なく、諸善根を集め、一切の菩薩が平等に一縁となり、常に共に集い、相捨て離れず、随意に種々の仏身を現じ、自心のままに一切の如来の境界威力智慧を知り、不退の如意神通を得て、一切の世界を遊行し、一切の衆会に形を現じ、一切の生処に普く入り、不思議なる大乗を成就し、菩薩行を修めたい。法界のように広大に、虚空のように究極に、尽きることなき未来際の一切の劫数の間、休むことなく』と。 また大願を発して言う、『不退の輪に乗って菩薩行を行い、身・口・意の業がすべて無駄にならず、仮に一目見る者も必ず仏法を定め、仮に音声を聞くだけで実智慧を得、わずかに清浄な信心を生じるだけで永遠に煩惱を断ち、大薬王樹の如き身を得、如意宝珠の如き身を得、一切の菩薩行を修行したい。法界のように広大に、虚空のように究極に、尽きることなき未来際の一切の劫数の間、休むことなく』と。 また大願を発して言う、『一切の世界において阿耨多羅三藐三菩提を成じながら、一つの毛端の処をも離れず、一切の毛端の処においてことごとく、誕生、出家、道場への詣で、正覚成就、法輪転、涅槃入りを示現し、仏の境界大智慧力を得て、念念の中に一切の衆生の心に随って成仏を示現し、寂滅を得させ、一つの三菩提をもって一切の法界が即ち涅槃の相であることを知り、一つの音声で説法して一切の衆生の心を歓喜させ、大涅槃に入ることを示しながら菩薩行を断たず、大智慧の地を示して一切の法を安立し、法智通・神足通・幻通をもって自在に変化し、一切の法界に満ちたい。法界のように広大に、虚空のように究極に、尽きることなき未来際の一切の劫数の間、休むことなく』と。

「佛子！菩薩住歡喜地，發如是大誓願、如是大勇猛、如是大作用，以此十願門為首，滿足百萬阿僧祇大願。佛子！此大願以十盡句而得成就。何等為十？所謂：眾生界盡、世界盡、虛空界盡、法界盡、涅槃界盡、佛出現界盡、如來智界盡、心所緣界盡、佛智所入境界界盡、世間轉法轉智轉界盡。『若眾生界盡，我願乃盡；若世界乃至世間轉法轉智轉界盡，我願乃盡。而眾生界不可盡，乃至世間轉法轉智轉界不可盡故，我此大願善根無有窮盡。』

> 仏子よ、菩薩は歓喜の地に住し、このような大いなる誓願を発し、このような大いなる勇猛心を起こし、このような大いなる働きをなす。この十の願いの門を先頭として、百萬阿僧祇の大願を満たすのである。 仏子よ、この大願は十の尽きることのない句によって成就される。それはいかなるものか。すなわち、衆生の世界が尽きること、世界が尽きること、虚空の世界が尽きること、法の世界が尽きること、涅槃の世界が尽きること、仏の出現する世界が尽きること、如来の智慧の世界が尽きること、心の縁づく世界が尽きること、仏の智慧の入るべき境界の世界が尽きること、世間の転じ、法の転じ、智の転ずる世界が尽きることである。 『もし衆生の世界が尽きるならば、わが願いは初めて尽きる。もし世界が、さらには世間の転じ、法の転じ、智の転ずる世界が尽きるならば、わが願いは初めて尽きる。しかし、衆生の世界は尽きることがなく、さらには世間の転じ、法の転じ、智の転ずる世界も尽きることがないゆえに、わがこの大願の善根には窮尽することがないのである。』

「佛子！菩薩發如是大願已，則得利益心、柔軟心、隨順心、寂靜心、調伏心、寂滅心、謙下心、潤澤心、不動心、不濁心。成淨信者，有信功用：能信如來本行所入，信成就諸波羅蜜，信入諸勝地，信成就力，信具足無所畏，信生長不可壞不共佛法，信不思議佛法，信出生無中邊佛境界，信隨入如來無量境界，信成就果。舉要言之，信一切菩薩行，乃至如來智地說力故。

> 仏子よ、菩薩はこのような大願を発した後、利益心、柔軟心、随順心、寂静心、調伏心、寂滅心、謙下心、潤沢心、不動心、不濁心を得るのです。清らかな信を成す者は、信の働きを持ちます。如来の本行の入り処を信じ、諸波羅蜜の成就を信じ、諸勝地に入ることを信じ、力を成就することを信じ、無所畏を具足することを信じ、壊れず、他と共にしない仏法が生長することを信じ、不思議な仏法を信じ、中も辺もない仏の境界が生まれることを信じ、如来の無量の境界に随って入ることを信じ、果を成就することを信じるのです。要約して言えば、一切の菩薩行を信じ、さらには如来の智地の説く力のゆえに信じるのです。

「佛子！此菩薩復作是念：『諸佛正法，如是甚深，如是寂靜，如是寂滅，如是空，如是無相，如是無願，如是無染，如是無量，如是廣大。而諸凡夫心墮邪見，無明覆翳，立憍慢高幢，入渴愛網中，行諂誑稠林不能自出，心與慳嫉相應不捨，恒造諸趣受生因緣，貪、恚、愚癡積集諸業日夜增長，以忿恨風吹心識火熾然不息，凡所作業皆顛倒相應，欲流、有流、無明流、見流，相續起心意識種子，於三界田中復生苦芽。所謂：名色共生不離，此名色增長，生六處聚落，於中相對生觸，觸故生受，因受生愛，愛增長故生取，取增長故生有，有生故有生老死憂悲苦惱。如是眾生生長苦聚，是中皆空，離我、我所，無知、無覺，無作、無受，如草木石壁，亦如影像；然諸眾生不覺不知。』菩薩見諸眾生於如是苦聚不得出離，是故即生大悲智慧。復作是念：『此諸眾生我應救拔，置於究竟安樂之處。』是故即生大慈光明智。

> 仏子よ、この菩薩はさらにこのように思うのです。『諸仏の正法は、このように深遠であり、このように寂静であり、このように寂滅であり、このように空であり、このように無相であり、このように無願であり、このように無染であり、このように無量であり、このように広大である。しかし、すべての凡夫の心は邪見に陥り、無明に覆われて翳り、慢心の高い旗を立て、渇愛の網の中に入り、諂いと欺きの密林を行き、自ら出ることができず、心は物惜しみと嫉妬と相応して離れず、常に諸々の趣きに生を受ける因縁を作り、貪り、怒り、愚かさが諸々の業を積み重ね、日夜増長し、憤りと恨みの風が心識の火を吹き、燃え盛って止むことがなく、すべてのなす業は皆、倒錯と相応し、欲の流れ、存在の流れ、無明の流れ、見解の流れが、相次いで心・意・識の種子を起こし、三界の田の中で再び苦の芽を生じさせる。いわゆる、名と色が共に生じて離れず、この名と色が増長し、六処の集落を生じ、その中で相対して触を生じ、触ゆえに受を生じ、受によって愛を生じ、愛が増長するゆえに取を生じ、取が増長するゆえに有を生じ、有が生じるゆえに生・老・死・憂い・悲しみ・苦しみ・悩みがある。このように衆生は苦の集まりを生長させるのである。この中は皆空であり、我や我のものから離れ、知ることもなく、覚えることもなく、作ることもなく、受けることもなく、草木や石壁のようであり、また影や像のようである。しかし、諸々の衆生は覚知しない。』菩薩は、諸々の衆生がこのような苦の集まりから出離できないのを見て、それゆえにただちに大悲の智慧を生じるのです。さらにこのように思うのです。『この諸々の衆生を私は救い抜き、究竟の安楽のところに置くべきである。』それゆえにただちに大慈の光明の智慧を生じるのです。

「佛子！菩薩摩訶薩隨順如是大悲、大慈，以深重心住初地時，於一切物無所吝惜，求佛大智，修行大捨，凡是所有一切能施。所謂：財穀、倉庫、金銀、摩尼、真珠、瑠璃、珂貝、璧玉、珊瑚等物，珍寶、瓔珞、嚴身之具，象馬、車乘、奴婢、人民、城邑、聚落、園林、臺觀、妻妾、男女、內外眷屬及餘所有珍玩之具，頭目、手足、血肉、骨髓、一切身分皆無所惜，為求諸佛廣大智慧。是名：菩薩住於初地大捨成就。

> 仏子よ、菩薩摩訶薩はこのような大悲・大慈に随順し、深く重い心をもって初地に住するとき、一切の物に対して吝嗇することなく、仏の大智を求め、大捨を修行し、所有する一切を施すことができるのです。すなわち、財穀、倉庫、金銀、摩尼、真珠、瑠璃、珂貝、璧玉、珊瑚などの物、珍宝、瓔珞、身を飾る具、象馬、車乗、奴婢、人民、城邑、聚落、園林、台観、妻妾、男女、内外の眷属、およびその他の所有する珍玩の具、頭目、手足、血肉、骨髓、一切の身分、すべてを惜しむことなく、諸仏の広大なる智慧を求めるのです。これを菩薩が初地に住して大捨を成就するというのです。

「佛子！菩薩以此慈、悲、大施心，為欲救護一切眾生，轉更推求世、出世間諸利益事無疲厭故，即得成就無疲厭心。得無疲厭心已，於一切經論心無怯弱；無怯弱故，即得成就一切經論智。獲是智已，善能籌量應作、不應作，於上、中、下一切眾生，隨應、隨力、隨其所習，如是而行，是故菩薩得成世智。成世智已，知時知量，以慚愧莊嚴勤修自利、利他之道，是故成就慚愧莊嚴，於此行中勤修出離，不退不轉，成堅固力。得堅固力已，勤供諸佛，於佛教法能如說行。

> 仏子よ、菩薩はこの慈・悲・大施の心をもって、一切衆生を救い護らんとし、さらに世間・出世間のあらゆる利益をもたらすことを求め、疲れも飽きもしないゆえに、疲れを知らない心を成就する。疲れを知らない心を得たならば、一切の経論に対して心に怯え弱ることはない。怯え弱らないゆえに、一切の経論の智慧を成就する。この智慧を得たならば、なすべきこととなさざるべきことをよく計らい、上・中・下の一切の衆生に対し、その機根に応じ、その力に応じ、その習いに応じて、このように行う。それゆえ菩薩は世間の智慧を成就する。世間の智慧を成就したならば、時を知り、量を知り、慚愧をもって自らを飾り、自利・利他の道を勤めて修める。それゆえ慚愧の飾りを成就し、この行において出離を勤めて修め、退かず転ぜず、堅固な力を成す。堅固な力を得たならば、諸仏を勤めて供養し、仏の教えの法のままに説かれたとおりに行うことができる。

「佛子！菩薩如是成就十種淨諸地法，所謂：信、悲、慈、捨、無有疲厭、知諸經論、善解世法、慚愧、堅固力、供養諸佛依教修行。

> 仏子よ、菩薩はこのように十種の浄らかな地の法を成就します。それはすなわち、信心、慈悲、捨てること、疲れを知らないこと、諸々の経論を知ること、世間の法をよく理解すること、慚愧の心、堅固な力、諸仏を供養し教えに従って修行することです。

「佛子！菩薩住此歡喜地已，以大願力得見多佛。所謂：見多百佛、多千佛、多百千佛、多億佛、多百億佛、多千億佛、多百千億佛、多億那由他佛、多百億那由他佛、多千億那由他佛、多百千億那由他佛。悉以大心、深心，恭敬尊重，承事供養，衣服、飲食、臥具、醫藥，一切資生悉以奉施，亦以供養一切眾僧，以此善根皆悉迴向無上菩提。佛子！此菩薩因供養諸佛故，得成就眾生法，以前二攝攝取眾生，謂布施、愛語；後二攝法，但以信解力故，行未善通達。是菩薩，十波羅蜜中，檀波羅蜜增上；餘波羅蜜非不修行，但隨力隨分。是菩薩隨所勤修，供養諸佛，教化眾生，皆以修行清淨地法，所有善根悉以迴向一切智地，轉轉明淨，調柔成就，隨意堪用。佛子！譬如金師善巧鍊金，數數入火，轉轉明淨，調柔成就，隨意堪用。菩薩亦復如是，供養諸佛，教化眾生，皆為修行清淨地法，所有善根悉以迴向一切智地，轉轉明淨，調柔成就，隨意堪用。

> 仏子よ！菩薩はこの歓喜地に安住した後、大いなる願いの力によって多くの仏にお会いすることができる。すなわち、数百の仏、数千の仏、数万の仏、数億の仏、数百億の仏、数千億の仏、数兆の仏、数億那由他（無量）の仏、数百億那由他の仏、数千億那由他の仏、数兆那由他の仏にお会いするのである。すべてに対して大いなる心と深い心をもって、恭敬し尊重し、お仕えし供養し、衣服・飲食・臥具・医薬など、一切の生活資具を捧げて布施し、また一切の僧伽をも供養する。そしてこの善き根元をすべて無上菩提に向けて回向するのである。 仏子よ！この菩薩は諸仏を供養するがゆえに、衆生を成就させる法を得る。まず前の二つの摂取（布施と愛語）によって衆生を摂取し、後の二つの摂取法については、信解の力によって行うが、まだ十分には通達していない。この菩薩は、十波羅蜜の中では、布施波羅蜜が最も優れており、他の波羅蜜も行わないわけではないが、力と分に応じて行うに過ぎない。 この菩薩は、勤めて修行し、諸仏を供養し、衆生を教化するすべての行いが、清浄なる地の法を修行するためであり、すべての善き根元を一切智の地に向けて回向する。それによって次第に明らかで清らかとなり、調和柔軟に成就し、意のままに用いることができるようになる。 仏子よ！たとえば、巧みな金細工師が金を練るように、繰り返し火に入れることで、次第に明らかで清らかとなり、調和柔軟に成就し、意のままに用いることができるようになる。菩薩もまた同じである。諸仏を供養し、衆生を教化するすべての行いが、清浄なる地の法を修行するためであり、すべての善き根元を一切智の地に向けて回向する。それによって次第に明らかで清らかとなり、調和柔軟に成就し、意のままに用いることができるようになるのである。

「佛子！菩薩摩訶薩住於初地，應從諸佛菩薩善知識所推求請問，於此地中相及得果，無有厭足，為欲成就此地法故；亦應從諸佛菩薩善知識所推求請問，第二地中相及得果，無有厭足，為欲成就彼地法故；亦應如是推求請問，第三、第四、第五、第六、第七、第八、第九、第十地中相及得果，無有厭足，為欲成就彼地法故。是菩薩善知諸地障對治，善知地成壞，善知地相果，善知地得修，善知地法清淨，善知地地轉行，善知地地處、非處，善知地地殊勝智，善知地地不退轉，善知淨治一切菩薩地乃至轉入如來地。佛子！菩薩如是善知地相，始於初地起行不斷，如是乃至入第十地無有斷絕；由此諸地智光明故，成於如來智慧光明。佛子！譬如商主善知方便，欲將諸商人往詣大城，未發之時，先問道中功德過失，及住止之處安危可不，然後具道資糧，作所應作。佛子！彼大商主雖未發足，能知道中所有一切安危之事，善以智慧籌量觀察，備其所須令無乏少，將諸商眾乃至安隱到彼大城，身及眾人悉免憂患。佛子！菩薩商主亦復如是，住於初地，善知諸地障對治，乃至善知一切菩薩地清淨，轉入如來地，然後乃具福智資糧，將一切眾生經生死曠野險難之處，安隱得至薩婆若城，身及眾生不經患難。是故，菩薩常應匪懈勤修諸地殊勝淨業，乃至趣入如來智地。

> 仏子よ、菩薩摩訶薩は初地に住するとき、諸仏や菩薩、善知識のもとに赴き求め問うべきである。この初地における修行の相とその果報について、飽くことなく尋ね求め、この地の法を成就せんがためである。また、諸仏や菩薩、善知識のもとに赴き求め問うべきである。第二地における修行の相とその果報について、飽くことなく尋ね求め、その地の法を成就せんがためである。同じように求め問うべきである。第三、第四、第五、第六、第七、第八、第九、第十の各地における修行の相とその果報について、飽くことなく尋ね求め、それぞれの地の法を成就せんがためである。 この菩薩は、諸地の障礙とその対治法を善く知り、地の完成と崩壊を善く知り、地の修行の相と果報を善く知り、地を獲得し修める道を善く知り、地の法の清らかさを善く知り、地から地へと進んで行く道を善く知り、各地における適切な行いと不適切な行いを善く知り、各地における殊勝なる智慧を善く知り、各地において退転しない道を善く知り、一切の菩薩地を浄め整え、ついには如来の地へと転入する道を善く知るのである。 仏子よ、菩薩はこのように地の修行の相を善く知り、初地より修行を始めて絶えることなく、このようにして第十地に入るまで途切れることがない。この諸地の智慧の光によって、如来の智慧の光明が完成されるのである。 仏子よ、たとえば商主が方便を善く知り、多くの商人たちを連れて大都市へ向かおうとするとき、出発する前にまず、道中の利益と損失、宿泊する場所の安全と危険について尋ね、それから旅の資糧を整え、なすべきことを行うようなものである。 仏子よ、その大商主はまだ足を踏み出していないのに、道中のすべての安全と危険とを知り、智慧をもってよく考え観察し、必要なものを備えて不足なくし、商人たちを連れて無事にその大都市に至り、自分も人々もすべて憂いや苦難を免れることができる。 仏子よ、菩薩という商主もまた同じである。初地に住しながら、諸地の障礙とその対治法を善く知り、ついには一切の菩薩地の清らかさを知り、如来の地へと転入する道を知る。そして、福徳と智慧の資糧を整え、一切の衆生を生死の広野という険しい難所を通り抜けさせ、無事に一切智の城に至らしめ、自分も衆生も苦難を経ることがないのである。 それゆえ、菩薩は常に怠ることなく精進して、諸地における殊勝なる清らかな行いを修め、ついには如来の智慧の地へと入っていくべきなのである。

「佛子！是名：略說菩薩摩訶薩入菩薩初地門，廣說則有無量無邊百千阿僧祇差別事。

> 仏子よ、これが菩薩摩訶薩が菩薩の初地の門に入ることを簡略に説いたものである。詳しく説けば、無量無辺、百千阿僧祇もの様々な事柄がある。

「佛子！菩薩摩訶薩住此初地，多作閻浮提王，豪貴自在，常護正法，能以大施攝取眾生，善除眾生慳貪之垢，常行大施無有窮盡。布施、愛語、利益、同事——如是一切諸所作業，皆不離念佛，不離念法，不離念僧，不離念同行菩薩，不離念菩薩行，不離念諸波羅蜜，不離念諸地，不離念力，不離念無畏，不離念不共佛法，乃至不離念具足一切種、一切智智。復作是念：『我當於一切眾生中為首、為勝、為殊勝、為妙、為微妙、為上、為無上、為導、為將、為帥，乃至為一切智智依止者。』是菩薩若欲捨家於佛法中勤行精進，便能捨家、妻子、五欲，依如來教出家學道。既出家已，勤行精進，於一念頃，得百三昧，得見百佛，知百佛神力，能動百佛世界，能過百佛世界，能照百佛世界，能教化百世界眾生，能住壽百劫，能知前後際各百劫事，能入百法門，能示現百身，於一一身能示百菩薩以為眷屬；若以菩薩殊勝願力自在示現，過於是數，百劫、千劫、百千劫，乃至百千億那由他劫不能數知。」

> 仏子よ、菩薩摩訶薩はこの初地に住するとき、多くは閻浮提の王となり、豪族として自在であり、常に正法を護り、大いなる施しをもって衆生を摂取し、衆生の慳貪の垢を善く除き、常に大施を行じて尽きることがない。布施、愛語、利行、同事——これら一切の諸所作業は、皆、仏を念ずることから離れず、法を念ずることから離れず、僧を念ずることから離れず、同行の菩薩を念ずることから離れず、菩薩行を念ずることから離れず、諸波羅蜜を念ずることから離れず、諸地を念ずることから離れず、力を念ずることから離れず、無畏を念ずることから離れず、不共の仏法を念ずることから離れず、ついには一切種、一切智智を具足することを念ずることから離れない。またこのように思う：『私は一切の衆生の中で、首となり、勝れた者となり、殊勝な者となり、妙なる者となり、微妙なる者となり、上なる者となり、無上の者となり、導き手となり、将となり、帥となり、ついには一切智智の依りどころとなる者となろう。』この菩薩は、もし家を捨てて仏法の中で勤めて精進しようと欲すれば、直ちに家、妻子、五欲を捨て、如来の教えに依って出家し、学道することができる。出家した後は、勤めて精進し、一念の間に、百の三昧を得、百の仏を見、百の仏の神力を知り、百の仏世界を動かし、百の仏世界を超え、百の仏世界を照らし、百の世界の衆生を教化し、百劫の寿命に住し、前後際各百劫の事を知り、百の法門に入り、百の身を示現し、一々の身において百の菩薩を眷属として示現することができる。もし菩薩の殊勝な願力と自在の示現をもってすれば、この数を超え、百劫、千劫、百千劫、ついには百千億那由他劫も数え知ることができないほどである。

爾時，金剛藏菩薩欲重宣其義而說頌曰：

> その時、金剛蔵菩薩は、その意味を重ねて説こうとして、次のように偈を唱えた。

「若人集眾善， 具足白淨法，供養天人尊， 隨順慈悲道，信解極廣大， 志樂亦清淨，為求佛智慧， 發此無上心。淨一切智力， 及以無所畏，成就諸佛法， 救攝群生眾，為得大慈悲， 及轉勝法輪，嚴淨佛國土， 發此最勝心。一念知三世， 而無有分別，種種時不同， 以示於世間。略說求諸佛， 一切勝功德，發生廣大心， 量等虛空界。悲先慧為主， 方便共相應，信解清淨心， 如來無量力，無礙智現前， 自悟不由他，具足同如來， 發此最勝心。佛子始發生， 如是妙寶心，則超凡夫位， 入佛所行處，生在如來家， 種族無瑕玷，與佛共平等， 決成無上覺。纔生如是心， 即得入初地，志樂不可動， 譬如大山王，多喜多愛樂， 亦復多淨信，極大勇猛心， 及以慶躍心，遠離於鬪諍， 惱害及瞋恚，慚敬而質直， 善守護諸根，救世無等者， 所有眾智慧，此處我當得， 憶念生歡喜。始得入初地， 即超五怖畏，不活死惡名， 惡趣眾威德。以不貪著我， 及以於我所，是諸佛子等， 遠離諸怖畏。常行大慈愍， 恒有信恭敬，慚愧功德備， 日夜增善法。樂法真實利， 不愛受諸欲，思惟所聞法， 遠離取著行。不貪於利養， 唯樂佛菩提，一心求佛智， 專精無異念。修行波羅蜜， 遠離諂虛誑，如說而修行， 安住實語中。不污諸佛家， 不捨菩薩戒，不樂於世事， 常利益世間。修善無厭足， 轉求增勝道，如是好樂法， 功德義相應。恒起大願心， 願見於諸佛，護持諸佛法， 攝取大仙道。常生如是願， 修行最勝行，成熟諸群生， 嚴淨佛國土。一切諸佛剎， 佛子悉充遍，平等共一心， 所作皆不空；一切毛端處， 一時成正覺。如是等大願， 無量無邊際。虛空與眾生， 法界及涅槃，世間佛出興， 佛智心境界。『如來智所入， 及以三轉盡，彼諸若有盡， 我願方始盡；如彼無盡期， 我願亦復然。』如是發大願， 心柔軟調順。能信佛功德， 觀察於眾生，知從因緣起， 則興慈念心：『如是苦眾生， 我今應救脫。』為是眾生故， 而行種種施，王位及珍寶， 乃至象馬車，頭目與手足， 乃至身血肉，一切皆能捨， 心得無憂悔。求種種經書， 其心無厭倦，善解其義趣， 能隨世所行，慚愧自莊嚴， 修行轉堅固，供養無量佛， 恭敬而尊重。如是常修習， 日夜無懈倦，善根轉明淨， 如火鍊真金。菩薩住於此， 淨修於十地，所作無障礙， 具足不斷絕。譬如大商主， 為利諸商眾。問知道險易， 安隱至大城。菩薩住初地， 應知亦如是，勇猛無障礙， 到於第十地。住此初地中， 作大功德王，以法化眾生， 慈心無損害。統領閻浮地， 化行靡不及，皆令住大捨， 成就佛智慧。欲求最勝道， 捨己國王位，能於佛教中， 勇猛勤修習，則得百三昧， 及見百諸佛，震動百世界， 光照行亦爾，化百土眾生， 入於百法門，能知百劫事， 示現於百身，及現百菩薩， 以為其眷屬；若自在願力， 過是數無量。我於地義中， 略述其少分，若欲廣分別， 億劫不能盡。菩薩最勝道， 利益諸群生，如是初地法， 我今已說竟。」

> もし人が多くの善を集め、 白く清らかな法を具え、 天と人の尊ぶ方を供養し、 慈悲の道に随順し、 信解が極めて広大で、 志し楽しみも清らかであり、 仏の智慧を求めるために、 この無上の心を発するならば。 一切の智慧の力と、 畏れなき心とを清め、 諸仏の法を成就し、 群生の衆を救いとり、 大いなる慈悲を得んがため、 また勝れた法輪を転ぜんがため、 仏の国土を厳かに清めんがため、 この最勝の心を発するならば。 一瞬にして三世を知りながら、 分別することなく、 様々な時を異にして、 世間に示すことができる。 諸仏の一切の勝れた功徳を求め、 広大な心を起こし、 その量は虚空の世界に等しい。 悲しみを先とし、智慧を主とし、 方便と共に相応じ、 信解の清らかな心、 如来の無量の力、 妨げなき智慧が現前し、 自ら悟り他によらず、 如来と同様に具足し、 この最勝の心を発するならば。 仏の子が初めてこのような妙なる宝の心を起こせば、 凡夫の位を超え、 仏の行われるところに入り、 如来の家に生まれ、 種族に瑕なき者となり、 仏と共に平等となり、 必ず無上の覚りを成じる。 かような心が生じたならば、 ただちに初地に入り、 志し楽しみは動かされず、 まるで大きな山の王のようである。 多くの喜びと愛楽と、 また多くの清らかな信と、 極めて大いなる勇猛心と、 そして歓躍の心とを持ち、 闘争と悩み害しと怒りとを遠く離れ、 慚愧と敬いと質直さとを持ち、 諸根を善く守護する。 世を救う比類なき方の、 すべての衆なる智慧を、 このところで私は得るであろうと、 憶念して歓喜が生じる。 初地に入るやいなや、 五つの怖畏を超える。 生活の不安、死、悪名、 悪趣、衆威徳の怖畏である。 我と我がものとに貪着せず、 これら仏の子らは、 諸々の怖畏を遠く離れる。 常に大いなる慈しみを行い、 恒に信と恭敬とを持ち、 慚愧と功徳とを備え、 日夜善法を増す。 法の真実の利を楽しみ、 諸々の欲を受けることを愛さず、 聞いた法を思惟し、 取着の行いを遠く離れる。 利養に貪ることなく、 ただ仏の菩提を楽しみ、 一心に仏の智慧を求め、 専精して異なる念いなし。 波羅蜜を修行し、 諂いと虚偽とを遠く離れ、 説かれた通りに修行し、 実語の中に安住する。 諸仏の家を汚さず、 菩薩の戒を捨てず、 世事を楽しまず、 常に世間を利益する。 善を修めることに飽き足らず、 さらに勝れた道を求め転じ、 かような法を好み楽しむことは、 功徳と義とが相応じている。 恒に大いなる願いの心を起こし、 諸仏にお会いしたいと願い、 諸仏の法を護持し、 大仙の道を取り入れる。 常にこのような願いを生じ、 最勝の行いを修行し、 諸々の群生を成熟させ、 仏の国土を厳かに清める。 一切の諸仏の国土に、 仏の子が悉く満ち渡り、 平等に共に一心となり、 なすこと皆空しからず。 一切の毛の先のところで、 一時に正覚を成じる。 このような大いなる願いは、 無量無辺である。 虚空と衆生と、 法界と涅槃と、 世間に仏が出現し、 仏の智慧と心の境界と。 『如来の智慧の入るところ、 および三転が尽きるまで、 それらがもし尽きるならば、 私の願いは初めて尽きる。 あの尽きることなきように、 私の願いもまたそうである。』 このように大いなる願いを発し、 心は柔軟で調順である。 仏の功徳を信じることができ、 衆生を観察し、 因縁より起こることを知れば、 慈しみの念いの心を興す。 『このような苦しむ衆生を、 私は今救い脱すべきである。』 この衆生のために、 様々な施しを行い、 王位や珍宝、 さらには象や馬や車、 頭や目や手足、 さらには身の血肉までも、 一切を皆捨てることができ、 心に憂い悔いなし。 様々な経書を求め、 その心に倦むことなく、 その義趣を善く解し、 世の行うところに随い、 慚愧をもって自らを荘厳し、 修行はますます堅固となり、 無量の仏を供養し、 恭敬して尊重する。 このように常に修習し、 日夜怠ることなく、 善根はますます明らかに清らかとなり、 まるで火で真金を練るようである。 菩薩はここに住して、 十地を清らかに修め、 なすことに障礙なく、 具足して絶えることなし。 譬えば大いなる商主が、 諸々の商人の衆のために利せんと、 道の険易を知り問い、 安穏に大城に至る。 菩薩が初地に住することも、 知るべきはこのようであり、 勇猛で障礙なく、 第十地に到るのである。 この初地の中に住して、 大いなる功徳の王となり、 法をもって衆生を化し、 慈しみの心に損害なし。 閻浮提を統領し、 化行の及ばぬところなく、 皆を大いなる捨てに住ましめ、 仏の智慧を成就させる。 最勝の道を求めんと、 己が国王の位を捨て、 仏の教えの中で、 勇猛に勤めて修習すれば、 百の三昧を得、 百の諸仏を見、 百の世界を震動させ、 光照行もまた同様に、 百の国土の衆生を化し、 百の法門に入り、 百劫の事を知り、 百の身を示現し、 また百の菩薩を現じ、 その眷属とすることができる。 もし自在の願力によるならば、 この数を超えて無量である。 私は地の義の中で、 その少分を略述した。 もし広く分別せんと欲すれば、 億劫をかけても尽きることはない。 菩薩の最勝の道は、 諸々の群生を利益する。 かような初地の法を、 私は今説き終えた。

## 大方廣佛華嚴經卷第三十四

> 大方広仏華厳経 巻第三十四