維樓勒王經第十六
ヴィドゥーダバ王経 第十六
聞如是:
私がこのように聞きました。
佛在舍衛國祇樹給孤獨園。爾時,迦維羅衛諸釋新起大殿,成未能久,諸釋悉共言:「從今已後,莫使沙門、梵志、釋中衣冠及長者子,得先入是殿中。先使佛、次及比丘僧入,餘人乃當從後入耳。」
仏が舎衛国の祇樹給孤独園におられたときのことです。その頃、迦維羅衛の者たちは新しい大殿を建てたばかりで、まだ完成して間もないものでした。そこで彼らは皆で話し合って言いました。「今から後は、修行者や聖職者、また我々の仲間で身分のある者や長者の子らにも、先にこの大殿に入らせてはならない。まず仏様を、次に比丘たちを入れてから、他の人々はその後に入るべきだ。」
爾時,舍衛國王子惟樓勒以事到釋國,未及入城,便至新成殿中宿。明日入城,所欲取竟,便還其國。
そのとき、シャーラヴァスティーの国の王子、ビドゥーダバは、何かの用事があってシャーキヤの国へやって来ました。まだ城に入らず、新しく建てられた殿舎に泊まりました。翌日、城に入り、用事を済ませると、すぐに自分の国へ帰って行きました。
諸釋聞太子惟樓勒在新殿中宿,便大不樂,瞋恚不解,便出聲罵:「今奈何令婢子先入是殿?」便共掘殿中土,棄深七尺所,更取淨土復其處,便復取牛湩洗四殿。
諸釋たちは、太子が惟楼勒と共に新殿で一夜を過ごしたと聞き、大いに心を痛め、怒りが収まらなかった。彼らは声を上げて罵った。「どうして今、あの奴婢の子を先にこの殿に入れることができようか!」そして、殿の中の土を掘り起こし、深さ七尺ほどのところまで取り除き、新しい清らかな土をそこに敷き直した。さらに、牛乳で四つの殿を洗い清めた。
惟樓勒太子聞諸釋不淨惡我,掘殿中土七尺所,更以新土復其處,悉以湩洗四殿,復罵我為婢子,污是新殿。聞內結,悲著心,我後把國政者,當云那治諸釋。
樓勒太子は、釈迦族の人々が自分を「不浄な者」と罵り、悪く言っているのを聞きました。彼らは宮殿の中の土を七尺掘り返し、新しい土でその場所を埋め戻し、さらに乳で四つの宮殿をすべて洗い清めました。そのうえで、私を「奴婢の子」と罵り、この新築の宮殿を汚したのです。これを聞いて、怒りが心に積もり、悲しみも心に刻まれました。彼は思いました。「私がいつか国の政権を握るならば、どうやって釈迦族の者たちを罰すればよいのだろうか。」
從是不久,舍衛國王崩,大臣集議,徵太子拜為王。惟樓勒王即問傍大臣者:「有不淨惡國王者,其罪何至?」傍臣白言:「如是罪至死。」王言:「然。諸釋不淨惡我,諸釋是佛親家,至使佛有恩愛在諸釋者,終不能得治子曹罪。」臣下即白言:「佛棄世欲,無恩愛在親屬,欲治諸釋罪無所難。」王聞白如是,即勅興四種兵:象、馬、車、步兵,出城引號,當攻迦維羅衛城。
その後まもなく、舍衛国の王が崩御された。大臣たちが集まって協議し、太子を迎えて王位に就けた。惟楼勒王は側近の大臣に問われた:「国に不浄の悪を行う者がいる場合、その罪はどこまで及ぶのか?」側近の臣が申し上げた:「そのような罪は死に値します。」王は言われた:「そうか。諸々の釈迦族は我を不浄に見なし悪しき者としたが、彼らは仏の親族である。もし仏が釈迦族に対して情愛を有しておられるならば、結局彼らの罪を裁くことはできないであろう。」臣下はすぐに申し上げた:「仏は世の欲望を捨て、親族に情愛を有してはおられません。釈迦族の罪を裁こうとなさるならば、何の困難もありませぬ。」王はこの申し出を聞いて、ただちに四種の兵——象兵・馬兵・車兵・歩兵——を編成させ、城を出で号令をかけ、迦維羅衛城を攻めようとした。
佛以食時,持應器入舍衛城求食,食竟,出城下道,於釋樹下薄枝葉少蔭涼,在其下望。王興兵行大道,遙見佛在薄蔭樹下坐,即下車到佛所,禮竟,住一面,白佛言:「諾。今有餘大樹,枝葉茂盛,多陰涼,大樹名為迦旃,迦維羅衛多優曇鉢尼拘類,佛何以不坐是蔭?何為坐是小釋樹?少枝葉,無蔭樹下有何涼?」佛報言:「愛其名,樂其涼,故坐其下。」王自念言:「如是者,佛續為有恩愛在諸釋,續有助意。」即從其處而還兵,歸其國。佛教授舍衛人民,生意欲到迦維羅衛國,便從諸比丘,即到釋國,於尼拘類園中教授。
仏は食事の時間になり、托鉢の器を持って舎衛城に入り、食べ物を求められた。食事が終わると、城外に出て道を外れ、釈迦樹の下に行かれた。そこは枝葉がまばらで、陰りも少なかったが、その下に立たれた。王が軍を率いて大通りを行くと、遠くに仏がまばらな陰の木の下に座しておられるのを見て、すぐに車を降りて仏のもとに到り、礼拝を終えて、しばらく立ち止まり、仏に申し上げた。「お願いです。今、大きな木がございます。枝葉は茂り、陰も多く涼しいのです。その大木はカーチャと呼ばれ、カピラヴァストゥにはウドゥンバラやニグローダもたくさんあります。なぜ仏はその陰に坐されないのですか?どうしてこの小さな釈迦樹の下に坐されるのですか?枝葉も少なく、陰もないこの木の下に、何の涼しさがありましょうか?」仏はお答えになった。「その名を愛し、その涼しさを楽しむから、その下に坐るのだ。」王は心の中で思った。「そうであれば、仏はまだ諸々の釈迦族に対して愛情を持っておられ、まだ助けようという心を持っておられるのだ。」そこで、その場から軍を引き連れて、自分の国に帰っていった。仏は舎衛国の人々を教え導かれた後、カピラヴァストゥ国に行こうと思われ、諸々の比丘たちと共に、すぐに釈迦族の国に到り、ニグローダ園で教えを説かれた。
久頃,舍衛國王便復問傍臣左右言:「若有不淨惡國王者,其罪何至?」諸臣對言:「如是罪至死。」王復言:「諸釋致惡我,子曹皆是佛近親,佛當有顧念在諸釋,我終不得子曹勝。」臣下復白言:「我曹悉聞諸沙門言:『瞿曇婬欲已斷。』有何恩愛在近親?王欲治其罪,無以為難。」王聞諸臣下白如是,即勅興四種兵,引號出城,到諸釋國。行至冥已,近去釋城四十里所因止宿。
その昔、舍衛國の王は、側近の臣たちにこう尋ねた。「もしも不浄で悪しき国があるとして、その国の王にはどのような罪が訪れるのだろうか?」 臣たちは答えた。「そのような罪は死に値します。」 王はまた言った。「諸々の釈迦族は我に対して悪意を抱いている。彼らは皆、仏の近しい親族である。仏は釈迦族のために何らかの思いやりを持つであろう。私はついに彼らに勝つことはできないのではないか。」 臣たちはさらに言った。「我々は皆、沙門たちがこう言うのを聞いております。『ゴータマはすでに欲望を断ち切った』と。どのような愛情が近親に対してありましょうか。王がその罪を罰しようとされるならば、難しいことは何もありません。」 王は臣たちのこの申し出を聞くと、すぐに四種の兵を編成するよう命じ、その軍勢を率いて城を出発し、釈迦族の国へと向かった。道中、日が暮れる頃に、釈迦城からおよそ四十里の場所に到着し、そこで宿営した。
諸釋悉聞舍衛國王興四種兵,欲來攻是國,近去城數十里,恐明日來到,即遣輕足上騎,到佛所道:「是願佛教我曹,作何方便?」佛即告諸釋:「堅閉城門,王終不能得勝。開門內者,惟樓勒王即殺諸釋不疑。」是騎人聞佛教,便禮佛,上馬如去。
諸々の釈迦族の人々は、舎衛国の王が四種の軍勢を率いて攻めて来ようとしていると聞きました。その軍は城から数十里のところまで近づいており、明日にも到着するとのことでした。彼らはすぐに足の速い使者を馬に乗せて、仏のもとへ派遣し、こう伝えました。「どうか仏よ、私たちにどのような方法を取るべきかお教えください。」すると仏は諸々の釈迦族に告げられました。「城門を固く閉じなさい。王は決して勝つことはできません。もし門を開けて入れるならば、楼勒王は間違いなく釈迦族を皆殺しにするでしょう。」この使者は仏の教えを聞き、仏に礼拝して、馬に乗って急ぎ帰って行きました。
是時,賢者摩訶目犍連在佛後住,便白佛言:「明慧莫以諸釋為憂,我今欲舉一釋國,移置異天地間,若以鐵籠籠之,悉一天下共者,當奈之何?」佛即告摩訶目犍連言:「耐能爾,當奈其罪何?」目犍連言:「但說有形事,無奈無形罪何?」
その時、賢者マハー・モッガラーナ(目犍連)が仏の後ろに立っていて、仏に申し上げた。「明慧なる方よ、衆の釈迦族のことを憂い給うな。私は今、一つの釈迦の国を挙げて、別の天地の間に移し替えようと思います。もし鉄の籠で彼らを包み、全天下一緒に囲むことができたら、どうしましょうか?」仏はすぐにマハー・モッガラーナに告げられた。「もしそれができるとしても、その罪の報いをどうするのだ?」モッガラーナは言った。「ただ形あるものについては話せますが、形なき罪の報いについてはどうすることもできません。」
佛爾時說偈言:
その時、仏は偈(うた)を説かれました。
「作善惡終無腐, 從福樂在冥苦,
善惡栽向日出, 久遠來身受止。」
善い行いも悪い行いも、最後には消え去ることはない。 福からは楽が生まれ、闇からは苦が生まれる。 善悪の種は太陽に向かって植えられ、 長い時を経て、この身にその結果が現れる。
舍衛國王即摩飾鬪具,俱便前當攻釋城。諸釋悉共興四種兵:象兵、馬兵、車兵、步兵,亦出城欲拒扞惟樓勒王。諸釋亦復摩飾兵,當與舍衛國王及兵共鬪。尚未相見,諸釋便引弓,以利刃箭射斷車、當應亦射斷車軛、亦射斷車轂、亦截車軸、射斷䭷、亦射斷人身、珠寶,無所傷害。
舎衛国の王は戦の装備を整え、すぐに進軍して釈迦の城を攻めようとした。釈迦の人々は皆、象兵・馬兵・車兵・歩兵の四種の軍勢を集め、城を出て惟楼勒王を防ごうとした。釈迦の人々もまた武具を磨き整え、舎衛国の王とその軍勢と戦おうとした。まだ互いに相対する前に、釈迦の人々は弓を引いて鋭い矢を放ち、敵の車を射抜き、また車の軛(くびき)を射抜き、車の轂(こしき)を射抜き、車軸を断ち切り、馬の毛を射落とし、さらに人々の身や宝飾品を射ることもあったが、誰も傷つけることはなかった。
舍衛國王大恐怖,顧問左右:「汝曹寧知諸釋已出城迎鬪死,我曹終不得其勝,不如早還。」傍臣即白王言:「我曹先曰:『聞諸釋皆持五戒,盡形壽不犯。』生至使當死,不敢有所傷害,有所傷害,為犯戒,但前自可得其勝。」王即引兵而前,突釋兵陣。諸釋見王前甚進,便入城閉門。
舍衛国の王は大いに恐れ、左右に顧みて問われた。「お前たちは知っているか。かの釈迦族の人々はすでに城を出て戦いを挑み、命を懸けて臨んでいる。我々はついに彼らに勝つことはできないであろう。早く引き返すのが良いだろう。」側近の臣下はすぐに王に申し上げた。「我々は先に申し上げました。『釈迦族の人々は皆、五戒を保ち、生涯を終えるまでこれを犯さないと聞いております。彼らは生きるために死に臨んでも、敢えて他を傷つけることはいたしません。他を傷つけることは戒を犯すことになるからです。ただ前に進んで自然と勝ちを得るだけのことです。』」王はすぐに兵を率いて前進し、釈迦族の軍の陣を突撃した。釈迦族の人々は王が大いに前進してくるのを見て、すぐに城に入り、門を閉ざした。
爾時,舍衛王以遣人語諸釋:「舅氏與我有何仇怨,而不開門?小欲有所借入,即出城不久留。」
その時、舎衛王は人を遣わして諸々の釈迦族に伝えさせた。「舅(おじ)であるあなた方は、私とどのような恨みがあって門を開けないのか。少し借りたいものがあって入ろうとしているだけだ。城を出るのもすぐであり、長く留まることはない。」
諸釋中信佛所言,本行經法無疑向道,便言:「不須開門。」釋中未淨心歸佛、歸法、歸比丘僧,無諦,有疑,便以為可開門,復共言:「我人不得爾,恐是中有外對。我曹悉坐耆老行籌,不受籌者,為當不欲內王;受籌者,為欲內王;多者,我又當隨適行;籌悉受不受者少耳。」眾人言:「當開門內王。」諸釋便開門內,惟樓勒王適入迦維羅衛城,便生取諸釋,當將出城殺之。
諸々のシャーカ族(釈迦族)の中で、仏の言葉を信じ、教えの経典に従い、道に対して疑いのない者たちは、こう言った。「門を開ける必要はない。」 まだ心を清らかにして仏に帰依せず、法に帰依せず、僧伽(サンガ)に帰依しておらず、真理を見極めておらず、疑いを抱いているシャーカ族の人々は、門を開けてもよいと考え、また互いにこう言い合った。「我々はそうすべきではない。ここに外敵(スッパブッダ王)がいるのではないかと心配だ。我々は皆、年長者たちに座ってもらい、投票(籌)を行おう。投票を受け取らない者は、王を入れまいとする者だ。投票を受け取る者は、王を入れようとする者だ。多数決に従おう。投票の結果、受け取らない者が少なければ、それでよいだろう。」 人々は言った。「門を開けて王を入れよう。」 諸々のシャーカ族は門を開けて王を入れた。ウィルーダカ王(毘楼勒王)がカーピラヴァットゥ(迦維羅衛)の城に入るとすぐに、シャーカ族を捕らえ、城外に連れ出して殺そうとした。
爾時,釋摩男白舍衛王:「願天子與我小願。」王言:「將軍欲何願?」「我願今沒是池中頃,以其時令,諸釋得出城走。」諸大臣白言:「王當與釋摩男願,令在水中能幾頃。」王即與其所願。釋摩男即沒池中,以髮繞樹根而死。王怪在水甚久,便令使者按視:「釋摩男在水中何等作?」如王言,往按視之,見釋摩男在水底死,便還白王:「天子!寧知釋摩男持髮繞樹根而死。」王即絞城中餘釋,復問:「所生得釋悉死未?」臣白言:「悉已象蹈殺之。」王便從處還國。
その時、釋摩男は舍衛王に申し上げた。「どうか王よ、私に小さな願いをお聞き届けください。」王は言った。「将軍よ、何を願うのか。」「私はこの池に沈んでいる間に、その間だけ諸々の釋たちが城を出て逃げられるようにお願いしたいのです。」大臣たちは申し上げた。「王よ、釋摩男の願いをお聞き届けください。水の中にどれほど長くいられるものでしょうか。」王はそこで彼の願いを許した。釋摩男はすぐに池に沈み、髪の毛を木の根に巻きつけて死んだ。王は水の中で非常に長くいるのを怪しみ、使者を遣わして見に行かせた。「釋摩男は水の中で何をしているのか。」王の言葉の通りに、行って見てみると、釋摩男が水の底で死んでいるのを発見した。使者は戻って王に申し上げた。「王よ、ご存知ですか、釋摩男は髪の毛を木の根に巻きつけて死んでおります。」王はすぐに城中の残りの釋たちを捕らえ、また尋ねた。「捕まえた釋たちは、皆死んだか。」臣は申し上げた。「皆、象に踏み殺されました。」王はそこから国へ戻った。
佛以晡時,悉告諸比丘:「俱到逝心須加利講堂所。」諸比丘悉言:「諾。」佛即與眾比丘俱,到逝心講堂,道經過諸釋死處,釋中尚有能語者,遙見佛,舉聲稱冤,佛聞諸釋,悲哀甚痛。佛即謂比丘:「愚癡人惟樓勒所作罪不小。」佛便至諸釋地中,化出自然無數床,佛及比丘悉坐。佛為諸釋,廣說經法竟,謂比丘言:「汝曹意何趣?屠者以是作是業,以是生活,從是因緣,寧可得樂乘聖象、神馬、七寶車不?」比丘對曰:「終不得。」佛言:「善哉!意亦如是,不見、不聞屠以是業自立,可得富樂。何以故?屠者無慈心哀意,觀占諸獸故。」
仏は夕方の時刻に、すべての比丘たちに告げられた。「みな、逝心の須加利講堂へ行きなさい。」比丘たちはみな「はい」と答えた。仏は大勢の比丘たちとともに、逝心の講堂へ向かわれた。道すがら、諸々の釈迦族が殺された場所を通りかかった。釈迦族の中でまだ話すことのできる者がいたが、遠くに仏を見て、声を上げて無念を訴えた。仏は釈迦族の悲しみを聞かれ、深く心を痛められた。仏は比丘たちに言われた。「愚かな人々よ、惟楼勒の犯した罪は小さなものではない。」仏は釈迦族の地に至ると、自然に無数の座が現れ、仏と比丘たちはみな座った。仏は釈迦族のために、広く経法を説き終えられ、比丘たちに言われた。「あなたがたはどう思うか。屠殺者がこのような業を行い、このような生業で生活し、その因縁によって、聖象や神馬や七宝の車に乗るような楽しみを得ることができるだろうか。」比丘たちは答えた。「決して得ることはできません。」仏は言われた。「よく言った。心もまた同じである。屠殺者がその業によって自らを立て、富と楽しみを得るのを見ることも聞くこともない。なぜか。屠殺者には慈しみの心と思いやりの心がなく、諸々の獣を観察し占うからである。」
佛復言:「比丘!汝曹意何趣,漁獵者及屠牛者,以是故作以是業,以是自生活,寧得乘神象、聖馬、寶車、恣意富樂不?」比丘對曰:「終不得。」佛言:「善哉!我亦不聞、不見漁、獵、屠牛,是業自活,可致富樂。何以故?子曹遠哀、無慈觀,占獸以是遠樂奈何道。此愚癡人,乃於向道得果者傷害之,乃知是子亦遠善,當生見其從是,七日當為水所漂。比丘!以故當慈心,莫學傷害心,至見燒枉,亦莫生害意。」
仏はまた言われた。「比丘たちよ、あなたがたはどう思うか。魚を獲る者や猟師、牛を屠る者が、そのような行いを業とし、そのような仕事で生計を立てているならば、その者たちは神の象や聖なる馬、宝飾の車に乗り、思うままに富と楽しみを味わうことができるだろうか。」
比丘たちは答えた。「決してできません。」
仏は言われた。「善きかな。私はまた、漁師や猟師、牛を屠る者がその業で生計を立てて、富や楽しみを得るのを聞いたことも見たこともない。なぜか。彼らは哀れみを遠ざけ、慈しみの心を持たず、生き物を害することで楽しみを得ようとする。それは道から遠ざかる行為である。この愚か者たちは、修行の道に向かい果てを得ようとする者たちにさえ害を加える。それゆえ、この者たちもまた善から遠ざかることが知られるべきである。彼らはその報いとして、七日以内に水に流されるであろう。比丘たちよ、それゆえ慈しみの心を持つべきであり、害する心を起こしてはならない。たとえ火に焼かれたり、不当な扱いを受けても、害意を生じてはならない。」
佛以是本、以是因緣、以是義生,令弟子悉解為曹卷語檢,為後世作明,使我經道久住世間。
仏はこの根本、この因縁、この意味によって教えを説かれました。それは弟子たちがすべてを理解できるようにするためであり、皆さんのために経典をまとめ、後の世に光明を灯し、私の教えと道が長くこの世に留まるようにするためです。
佛爾時說是義足經:
そのとき、仏はこの義足経(ぎそくきょう)の教えを説かれた。
「從無哀致恐怖, 人世世從黠聽,
今欲說義可傷, 我所從捨畏怖。
展轉苦皆世人, 如乾水斷流魚,
在苦生欲害意, 代彼恐癡冥樂。
一切世悉然燒, 悉十方亂無安,
自貢高不捨愛, 不見故持癡意。
莫作縛求冥苦, 我悉觀意不樂,
彼致苦痛見刺, 以止見難可忍。
從刺痛堅不遺, 懷刺走悉遍世,
尊適見拔痛刺, 苦不念不復走。
世亦有悉莫受, 邪亂本捨莫依,
欲可厭一切度, 學避苦越自成。
住至誠莫妄舉、 持直行空兩舌、
滅恚火壞散貪、 捨惱解黠見度、
捨瞢瞢莫睡臥, 遠無度莫與俱,
䛴可惡莫取住, 著空念當盡滅。
莫為欺可牽挽, 見色對莫為服,
彼綺身知莫著, 戲著陰求解難。
久故念捨莫思, 亦無望當來親,
見在亡不著憂, 離四海疾事走。
我說貪大猛弊, 見流入乃制疑,
從因緣意念繫, 欲染壞難得離。
捨欲力其輩寡, 悉數世其終少,
捨不沒亦不走, 流已斷無縛結。
乘諦力黠已駕, 立到彼慧無憂,
是胎危疾事護, 勤力守可至安。
已計遠是痛去, 觀空法無所著,
從直見廣平道, 悉不著世所見。
自不計是少身, 彼無有當何計?
以不可亦不在, 非我有當何憂?
本癡根拔為淨, 後栽至亦無養。
已在中悉莫取, 不須伴以棄仇,
一切已棄名色, 不著念有所收。
已無有亦無處, 一切世無與怨,
悉已斷無想色, 一切善悉與等。
已從學說其教, 所來問不恐對,
不從一致是慧, 所求是無可學。
已厭捨無因緣, 安隱至見滅盡。
上不憍下不懼, 住在平無所見,
止淨處無怨嫉, 雖乘見故不憍。」
「苦しみを恐れる心から逃れなければ、人は迷い続ける。 世の中を賢く見通す者だけが、真実に至る道を知る。</br> 今、私が伝えようとしている真理には、人を救う力がある。 すべての恐れを捨て去ることで、安らぎの境地に至るのだ。</br> 人々は絶えず苦しみの中で生まれ変わり続ける。 干上がった川で魚がもがくように、人は苦しみの中で溺れている。</br> 苦しみの中に生きる者は、害を加えようとする心を生み出す。 そしてその苦しみの中でもがく者を思うと、私は哀れに感じる。 ──彼らは愚かさの暗闇に包まれながら、それを幸せだと錯覚しているからだ。</br> この世のすべては燃えるように煩わしく、 十方すべてが乱れ、安らぎの場所はどこにもない。</br> 自らを高く見せようとし、執着を手放せない。 その真実を見ようとせず、愚かな心に支配されているのだ。</br> 縛られて苦しみを求めてはならない。私は熟視して、その心が楽しくないことを知った。 彼らは苦しみという痛みの棘を抱え、それを見ては耐え難い思いをする。</br> その棘は深く刺さり、決して抜けることがない。 棘を抱えたまま、この世のすべてを遍歴するのだ。</br> しかし、尊い方がその痛みの棘を見抜いて抜き去れば、 苦しみはもはや心に留まることなく、彷徨い続けることもない。</br> この世に存在するものすべてに執着してはならない。 邪悪な混乱の根源を捨てて、それに寄りかかってはならない。</br> 欲望は厭うべきものであり、すべてを超越するのだ。 苦しみを避けることを学び、自らを超えて悟りに至るのだ。</br> 至誠の心に留まり、妄りに振る舞ってはならない。 真っ直ぐな行いを保ち、中傷する言葉を捨てよ。</br> 怒りの火を消し去り、貪りの心を打ち砕け。 煩わしさを捨て、智慧によって解脱の境地を見よ。</br> 眠気に襲われて、うたた寝してはならない。 悟りのない者から遠ざかり、その者と共にあってはならない。</br> 悪口を言う者を遠ざけ、その言葉に留まってはならない。 空の思念に執着すれば、それもまた消え去るべきものだと知れ。</br> 欺瞞に惑わされてはならない。 美しい姿を見ても、その誘惑に屈してはならない。</br> その虚飾の身を知って、執着してはならない。 五蘊に戯れて執着しても、解脱を得ることは難しい。</br> 過去の思いは捨て去り、未来への執着も持たない。 現在のものも失われゆくものとして、憂いに囚われない。</br> この世の四つの苦しみ(生・老・病・死)から、速やかに離れるのだ。</br> 私は言う、貪りの心は猛々しく害をもたらすものであると。 その流れに飲み込まれる前に、疑いの心を断ち切るのだ。</br> 因果の繋がりから心は縛られ、欲望の汚れに染まっては、離れることが難しい。</br> 欲望の力は強力だが、それを捨てる者もまた存在する。 すべての世の人々を数えても、悟りに至る者は少ないが。</br> 落ち込むこともなく、彷徨うこともなく、 煩悩の流れを断ち切れば、もはや縛られることもない。</br> 真理の力に乗り、智慧を御し、その駕籠に乗って、 慧の境地に至れば、もはや憂いはない。</br> この身体は危うく壊れやすいものと知って、しっかりと守り、 精進して努力し、安らぎに至ることを求めよ。</br> すでに遠くを見通して、この苦しみを離れたなら、 空の真理を観じて、何ものにも執着しない。</br> 正しい見解によって広く平らな道に立ち、 世間のあらゆる見解に執着しないのだ。</br> 自己というものに執着しなければ、 「何が私のものか」と考えることもない。</br> 「これはない」と固執することもなく、「これは私、所有のもの」と執着することを離れれば、 何を憂うことがあろうか。</br> 無明という根本の根を抜き去って清らかになり、 新たな煩悩が生じることもない。</br> すでにその中にあっても、何も執着しない。 道を共にする者も、敵もすべて捨て去る。</br> すべての名と形を捨て去り、何かを得ようとする心にとらわれない。</br> すでに持つものもなく、居場所もない。 この世のすべてに対しても、怨みの心はない。</br> すでに執着の想いを断ち切り、すべての善と一つになっている。</br> すでに教えを学び、その教えを説く者となれば、 どんな問いにも恐れずに答えられる。</br> 一つの真理だけに執着することが智慧ではない。 求める対象が「ない」ということを学ぶのである。</br> すでに世を厭い捨て去り、執着する因縁がなくなれば、 安らかな境地に至り、生滅を超えて尽きることを見る。</br> 上のものに対しても慢心せず、下のものに対しても恐れない。 平静な心で、何ものにも偏らずに見る。</br> 清らかな境地に安住し、怨みや妬みの心がない。 たとえ超越した智慧を持っていても、それに慢心することはない。」</br>
佛說是義足經竟,比丘悉歡喜。
仏がこの義足経の教えを説き終えると、比丘たちは皆、喜びを抱いた。
佛說義足經卷下
仏説義足経 巻下