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title: "大發趣論註 · 八三至八四"
description: "《大發趣論註》是佛教上座部重要论典，由5世纪著名论师觉音尊者（Buddhaghosa）所造，现代学者范寄东进行中文译注。该论属于巴利三藏中的阿毗达摩藏，系统阐释了佛教核心教义如四圣谛、八正道、缘起法等，是研究上座部哲学的重要文献。觉音尊者在斯里兰卡大寺派传统中整理了大量佛教注释，其著作成为南传佛教的标准释经依据。本论注以严密逻辑分析心法、色法等究竟法，体现了上座部对原始佛教教理的体系化诠释，在佛教思想史上具有承前启后的关键地位，至今仍是研究阿毗达摩的核心文本之一。"
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### 八三至八四

> 八三から八四

今由所緣等可說之一根等中．以一根與前因一根全等之意．故關於一緣都不說。然應示由所緣緣關於二根之數．而言『於從所緣與因三．與增上三．乃至與不去三』云。然於此處雖可言『於從所緣緣與增上三乃至與不去三．』凡與因緣等多數〔分〕之〔諸緣〕配列時．可示所得之數．置於所緣緣前之因緣．亦置於後．而言『於從所緣緣與因三。』由此而明次事．〔即〕所緣緣隨一一多數〔分〕或與等數〔分〕緣之為二〔根〕三〔根〕等類．不拘何時亦唯有三問答。然與異熟緣配列時唯得一。此於以異熟緣為始之〔答〕數．意可明了故．此處不說。又凡於二根所示是等之數．於三根等．亦有與是同數之意．故於由所緣緣而三根等不廣說之。

> ここで、所緣などによって、一つの根などの場合について述べることができる。その中で、一つの根は、前の因緣によって一つの根と完全に等しいという意味であるから、一つの緣については特に述べない。しかし、所緣緣によって二つの根に関する数を示すべきであるから、『所緣と因からの三つ、および增上からの三つ、さらには不去からの三つ』と述べる。また、ここで『所緣緣と增上からの三つ、さらには不去からの三つ』と述べることもできるが、因緣などの多くの部分（の諸緣）を配列する際には、得られる数を示すことができる。所緣緣の前に置かれる因緣を、また後に置いて、『所緣緣と因からの三つ』と述べる。これによって次のことが明らかになる。すなわち、所緣緣が、一つ一つの多くの部分（の緣）や、同等の数の緣とともに、二つの根や三つの根などの種類となる場合でも、常に三つの問答しかないということである。しかし、異熟緣と配列する場合には、ただ一つを得る。これは、異熟緣を始めとする（答）の数によって、その意が明らかになるから、ここでは述べない。また、二つの根について示されるこれらの数は、三つの根などについても同様の数であるという意であるから、所緣緣による三つの根などについては広く述べないのである。

今應示由增上緣等而於二根等之數．為言『於從增上緣與因九。』是與前所述者同其理趣．緣廣說可應知。又如『於從增上緣與因九．』如是於餘與因等數〔分之緣〕者亦同為九。若某緣為始．與彼等數〔分之諸緣〕配列時．順於為始之〔緣〕而有〔答〕數。反之．與彼少數〔分之緣〕配列時．正順於少數而有答數應知。又如由於所緣緣．於增上緣亦然．於其他無間等亦然．三根等不為廣說．故但於二根示其數而一切處皆可成立。由是故言『以一一之緣為根由於諷誦而計算之』云。

> 今、増上縁などによって、二つの根などの数について示すべきである。「増上縁と因によって九つである」と言うのは、先に述べたものと同じ道理である。縁について詳しく説くならば、そのように理解すべきである。また、「増上縁と因によって九つである」ように、他の因などの数（の縁）についても、同じく九つである。ある縁を最初として、それらの数の（縁）と配列するとき、最初の（縁）に順じて（答えの）数がある。逆に、それらの少ない数（の縁）と配列するときは、少ない数に正しく順じて答えの数があると知るべきである。また、所縁縁によって、増上縁も、他の無間なども同様である。三つの根などは広く説かれないので、ただ二つの根についてその数を示すだけで、すべての場所で成立する。それゆえに「一つ一つの縁を根として、諷誦によって計算する」と言うのである。