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title: "朝鮮寺剎史料 · 白雲山成佛佛還建舊基序"
description: "朝鮮寺剎史料是朝鲜半岛重要的佛教历史文献汇编，由朝鲜王朝时期的学者及佛教人士编撰，具体作者已不可考。该书成书于高丽至朝鲜时代，系统收录了朝鲜半岛寺院沿革、高僧传记、佛教艺术及宗教政策等史料，反映了佛教在朝鲜社会的传播与发展。内容涵盖寺庙建筑、佛像铸造、佛经翻译及宗派传承，是研究朝鲜佛教史、文化史的核心文献。该书不仅展现了佛教对朝鲜传统文化的深远影响，也为东亚佛教研究提供了珍贵的一手资料，具有重要的学术与宗教价值。"
url: "https://rushiwowen.co/ja/r/cmaxrtxua0fbcjr043hcztyd3"
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### ○白雲山成佛佛還建舊基序

> 白雲山成仏、仏還って旧基を建つ序

咸州之西六十里白雲山下金水之北有菴曰佛地唯我聖祖龍潛時剏建願堂而　肇錫者無學師之所稱真境也　聖祖以恢廓之大度登監絕險豁然有吞吳越之志發而為奎章野史所傳曰引手板蘿上碧峯一菴高臥白雲中苦將眼界為吾土楚越江南豈不容者此也菴之有寺曰成佛寺之剏在於高麗二年元曉師之所點也初火于萬曆戊寅再燼于天啟丙寅皆重建于舊基之西北矣迨夫正廟壬子又遭前日之災移建于古城下一長亭之地而以基近於山野大路一週甲而聖上有宥之翼年夏始謀還建舊基期月而竣歿益仍舊貫而小基制焉佛殿曰大雄居其中法堂曰無量壽閣在其西吉雲之樓香爐之寮翼然東南上庫下廊輪焉一新即　天啟丁卯所重剏處也而山之法師凌雲屬余而記之余以󸐋榆遺氓曩僑菴東每伏誦宸翰未能對揚聖度之萬一今茲之蹟益不禁羹墻之慕不以儒者辭焉遂樓跡而序曰嗟乎此李璉守之山城也而今夫朴寢郎永胄出三千餘緡銅貿舊基故△以此為始松巖鏡月鳩聚南北昌閏應添協心監董盖松岩初剏之鏡月討論之脩飾焉潤色凌雲歲昭陽赤奮若雨水節晚山居士撰

> 咸州の西六十里、白雲山の麓、金水の北に一つの庵がある。その名を佛地という。我が聖祖がまだ世に出られる前、ここに願堂を建てられた。その名を初めて賜ったのは無学大師であり、真境と称されたのである。聖祖は広大な度量をお持ちで、険しい山々を登り、広く天下を望み、呉越を呑まんとする大志を抱かれた。その心を詠んだ詩が野史に伝わっている。「手を引き板を登れば碧き峰の上、一つの庵、白雲の中に高く臥す。努めて眼界を我が土とせん、楚や越、江南といえども、どうして容れざらんや」と。これがその時の詠である。 庵に寺が付属しており、名を成佛寺という。この寺の創建は高麗の二年、元曉大師がその地を選定されたことに始まる。最初は万曆の戊寅（1578年）に火災に見舞われ、再び天啟の丙寅（1626年）に焼失したが、いずれも旧基の西北に再建された。その後、正廟の壬子（1792年）に再び災難に遭い、古城の下、一つの長亭の地に移された。しかし、その地が山野の大路に近かったため、一つの甲子（60年）を経て、聖上（国王）がこれを許された翌年の夏、ようやく旧基への還建を計画し、一ヶ月にして竣工した。昔のままの規模を保ちながら、境内の構造は少し縮小された。 仏殿は「大雄」と称し、その中央に位置する。法堂は「無量壽閣」と称し、その西に建つ。吉雲の楼、香爐の寮は東南に翼を広げるように建ち並び、上の倉庫と下の回廊は輪のように新しく整った。これが天啟の丁卯（1627年）に再建された場所である。山の法師凌雲が私に記を依頼した。 私は、かつてこの地で暮らした一人の者として、庵の東に寓居し、聖祖の御筆を伏して拝読しながらも、その聖なる御心の万分の一も汲み取ることができなかったことを恥じてきた。今またこの再建の事業を見て、ますますその御徳を慕う思いが深い。儒者の身ではあるが、どうして辞することができようか。ここにその由来を記して、序とする。 ああ、ここは李璉が守った山城の地である。今、朴寝郎永胄が三千余緡の銅銭を出して旧基を買い戻した。このことをもって事業の始まりとする。松岩の鏡月が南北を巡って資金を集め、昌閏・應添らの協力を得て、共に心を合わせて監督した。松岩と鏡月が創建を計画し、修飾・潤色は凌雲が行った。 歳は昭陽赤奮若（癸丑、1793年）、雨水の節、晩山居士が撰す。

咸豐二年壬子八月日全州后朱昇輅書

> 咸豊二年壬子の年、八月の吉日、全州の後学朱昇輅が謹んで書き記す。