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title: "大唐西域記（校點本） · 布色羯邏伐底城"
description: "大唐西域记是唐代高僧玄奘口述、弟子辩机编撰的佛教地理著作，成书于贞观二十年（646年）。全书十二卷，详细记载了玄奘西行求法途经的110国及传闻28国的地理、历史、宗教、民俗等，是研究7世纪中亚和南亚历史文化的珍贵文献。作为佛教传播史的重要典籍，该书不仅记录了印度佛教圣迹与教义发展，更展现了丝绸之路的文化交流。其严谨的纪实风格与丰富的佛教史料，使之成为汉传佛教史上的里程碑式著作，对后世佛教研究及中外文化交流具有不可替代的学术价值。"
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### 布色羯邏伐底城

> プシュカラーヴァティー城

迦膩色迦王伽藍東北行五十餘里，渡大河，至布色羯邏伐底城，周十四五里。居人殷盛，閭閻洞連。城西門外有一天祠，天像威嚴，靈異相繼。城東有窣堵波，無憂王之所建也，即過去四佛說法之處。古先聖賢自中印度降神導物，斯地實多。即伐蘇蜜呾羅唐言世友。舊曰和須蜜多，訛也。論師於此製眾事分阿毘達磨論。

> 迦膩色迦王の伽藍から東北へ五十里あまり行き、大きな川を渡ると、布色羯邏伐底城に着きます。城の周囲は十四、五里あります。住民は豊かで多く、家々が軒を連ねています。城の西門の外に天祠があり、天の像は威厳に満ち、霊験が次々と現れます。城の東に窣堵波があり、これは無憂王が建てたもので、過去の四仏が説法された場所です。古の聖賢たちが中インドから神として降り、人々を導いた地でもあり、この地には実に多くが集まっていました。すなわち伐蘇蜜呾羅<note>中国語では世友。旧に和須蜜多というのは誤り。</note>論師がここで衆事分阿毘達磨論を作りました。

城北四五里有故伽藍，庭宇荒涼，僧徒寡少，然皆遵習小乘法教。即達磨呾邏多唐言法救，舊曰達磨多羅，訛也。論師於此製雜阿毘達磨論。

> 城の北四五里のところに、かつての僧伽藍があります。庭や建物は荒れ果て、僧侶は少なくなっていますが、みな小乗の教えを守り学んでいます。すなわち、達磨呾邏多（漢訳では法救といい、以前は達磨多羅と言いましたが、これは誤りです）論師がここで『雑阿毘達磨論』を作りました。

伽藍側有窣堵波，高數百尺，無憂王之所建也。彫木文石，頗異人工。是釋迦佛昔為國王，修菩薩行，從眾生欲，惠施不倦，喪身若遺，於此國土千生為王，即斯勝地千生捨眼。

> 伽藍のそばには塔があり、高さは数百尺で、無憂王が建てたものです。彫刻された木や模様のある石は、とても人の手とは思えないほど見事です。ここは、釈迦仏が昔、国王として菩薩の修行をし、人々の望みに従って、惜しみなく施しを与え続け、わが身を捨てることをまるで物を捨てるように軽く考えていた場所です。この国の地で千度生まれ変わって王となり、この聖なる場所で千度、自分の目を施し与えました。

捨眼東不遠有二石窣堵波，各高百餘尺。右則梵王所立，左乃天帝所建，以妙珍寶而瑩飾之。如來寂滅，寶變為石，基雖傾陷，尚曰崇高。

> 目を捨てた場所から東へそれほど遠くないところに、二つの石の塔があります。それぞれ高さは百尺余りあります。右側の塔は梵天王が建てたもので、左側の塔は帝釈天が建てたものです。すばらしい珍宝で飾られていましたが、如来がお亡くなりになったあと、宝は石に変わりました。土台は傾いてくぼんでいますが、それでもなお高くそびえています。

梵、釋窣堵波西北行五十餘里，有窣堵波，是釋迦如來於此化鬼子母，令不害人，故此國俗祭以求嗣。

> 梵と帝釈天のストゥーパから北西に五十余里進んだところに、別のストゥーパがある。ここは釈迦如来が鬼子母を教化し、人々を害することをやめさせた場所である。それゆえ、この国の人々は子宝を求めてここで祭祀を行うのである。

化鬼子母北行五十餘里，有窣堵波，是商莫迦菩薩舊曰晱摩菩薩，訛也。恭行鞠養，侍盲父母，於此採果，遇王遊獵，毒矢誤中，至誠感靈，天帝注藥，德動明聖，尋即復穌。

> 鬼子母が北へ五十里あまり行くと、塔があります。これは商莫迦菩薩<note>以前は晱摩菩薩と呼ばれていましたが、誤りです。</note>が孝行を尽くし、目の見えない両親に仕えていた場所です。ここで果物を採っていたとき、王の狩猟に遭い、毒矢に誤って射られました。その誠実な心が天の神々を動かし、天帝が薬を注いだところ、その徳が聖なる者たちを感動させ、すぐに息を吹き返しました。