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title: "那先比丘經 · 第二"
description: "那先比丘经是一部重要的佛教经典，相传为那先比丘与希腊国王弥兰陀的对话录，作者不详，成书于公元前1世纪左右。该经记载了那先比丘以智慧解答弥兰陀王关于佛教教义的疑问，内容涉及轮回、业报、涅槃等核心思想，展现了早期佛教与希腊文化的交流。经中采用问答形式，逻辑清晰，深入浅出，被誉为佛教辩经的典范。该经在南传佛教中具有重要地位，是研究佛教哲学与跨文化传播的重要文献，对理解佛教在印度与希腊化世界的传播具有独特价值。"
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## 那先比丘經卷下

> 那先比丘経 巻下

失譯人名附東晉錄

王復問那先言：「人欲作善，當前作之、須後作之？」那先言：「當居前作之，在後作者不益人。」那先言：「王渴時乃掘地作井，能趣渴不？」王言：「不能趣渴，當居前作井耳。」那先言：「以是故所作當居前。」那先問王：「飢時乃使人耕種，須穀熟乃食耶？」王言：「不。當先儲偫。」那先言：「人如是當先作善，有急乃作善者無益於身。」那先問王：「譬若王有怨，當臨時出戰鬪具？」王言：「不，當宿有儲偫。」那先言：「佛說經言：人當先自念作善，於後作善無益。莫棄大道就邪道，勿效愚人棄善作惡，後坐啼哭無益。人棄捐中正就於不正，臨死時乃悔耳。」王言：「善哉善哉！」

> 王はまた那先に尋ねた。「人が善い行いをしようとするなら、先にすべきでしょうか、それとも後にすべきでしょうか。」那先は言った。「善い行いは先にすべきです。後から行っても、その人に益はありません。」那先は言った。「王様が喉が渇いた時に初めて地面を掘って井戸を作っても、その渇きをすぐに癒やせますか。」王は言った。「すぐには癒やせません。井戸は前もって掘っておくべきです。」那先は言った。「だからこそ、善い行いも先にすべきなのです。」那先は王に尋ねた。「空腹になってから農夫に種をまかせて、穀物が熟すのを待ってから食べますか。」王は言った。「いいえ、前もって蓄えておくべきです。」那先は言った。「人も同じで、先に善い行いを積むべきです。急な時に善い行いをしようとしても、その身には何の益もありません。」那先は王に尋ねた。「例えば、王様に敵が現れた時、その場になって初めて戦いの道具を用意しますか。」王は言った。「いいえ、前もって備えを整えておくべきです。」那先は言った。「仏は経典の中でこうおっしゃっています。『人は先に自ら善い行いを積むべきである。後から善い行いをしても何の益もない。大道を捨てて邪道に従ってはならない。愚かな人を見習って善を捨て悪を行うな。後に座して泣いても何の益もない。人は正しい道を捨てて正しくない道に従い、死ぬ間際になって初めて後悔するのである。』」王は言った。「素晴らしい、実に素晴らしい。」

王復問那先：「卿曹諸沙門說言，世間火不如泥犁中火熱。復言持小石著世間火中至暮不消，取大石著泥犁火中即消。是故我不信。復言人作惡死在泥犁中，數千萬歲其人不消死。是故我重不信是語。」那先問王：「寧聞見水中大蟒蛟龍魚鼈以沙石為食不？」王言：「然。實以此為食。」那先問王：「沙石寧消不？」王言：「皆消。」那先言：「其腹中懷子寧復消不？」王言：「不消。」那先問王：「何故不消？」王言：「相祿獨當然故使不消。」那先言：「泥犁中人數千萬歲不消死者，何所作？過惡未盡故不消死。」那先問王言：「師子虎狼皆肉食噉骨，入腹中時寧消盡不？」王言：「消。」那先問王：「其腹中懷子寧復消不？」王言：「不消。」那先言：「用何故不消？」王言：「獨相祿故不消死。」那先問王言：「牛馬麋鹿皆以蒭草為食不？」王言：「然。」那先言：「其蒭草寧於腹中消不？」王言：「皆消。」那先言：「其腹中懷子寧消不？」王言：「不消。」那先言：「何以故不消？」王言：「獨以相祿當然故使不消。」那先言：「泥犁中人亦如是，過惡未盡故不消死。」那先問王言：「世間女人飲食皆美恣意食，食於腹中寧消不？」王言：「皆消。」那先言：「腹中懷子寧消不？」王言：「子不消。」那先言：「何以故不消？」王言：「獨相祿當然故使不消。」那先言：「泥犁中人亦如是，所以數千萬歲不消死者，用先作惡未解故不消死。」那先言：「人在泥犁中生、在泥犁中長、在泥犁中老，過盡乃當死。」王言：「善哉善哉！」

王復問那先：「卿曹諸沙門言，天下地皆在水上，水在風上，風在空上。我不信是。」那先前取王書水，適以指撮之，問王言：「風持水若此。」王言：「善哉！」

王復問那先言：「泥洹道皆過去，無所復有耶？」那先言：「泥洹道無所復有。」那先言：「愚癡之人貪身愛惜，坐是故不能得度脫生老病死者。」那先言：「智者學道，內外身不愛惜，便無有恩愛。無有恩愛者無貪欲，無貪欲者無胞胎，無胞胎者不生，不生者不老，不老者不病，不病者不死，不死者不憂，不憂者不哭，不哭者不痛，便得泥洹道。」王復問那先：「諸學道者悉能得泥洹道不？」那先言：「不能悉得泥洹道。正嚮善道者學知正事，當所奉行者奉行之、不當奉行者棄遠之，當所念者念、不當所念棄之，如是能得泥洹道。」王復問那先言：「其不得泥洹道者，寧知泥洹道為快不？」那先言：「然。雖未得泥洹道，由知泥洹道為快。」王言：「人未得泥洹道，何以故知快耶？」那先問王言：「人生未甞截手足，寧知截手足為痛劇不？」王言：「雖未曾更截手足，猶知為痛。」那先言：「何用知為痛？」王言：「見其人截手足呻呼，用是故知為痛。」那先言：「人前有得泥洹道者，轉相語泥洹道快，用是故信之。」王言：「善哉善哉！」

> 王はまた那先に尋ねた。「涅槃の道はすべて過去のものであり、もはや何も残っていないのですか？」那先は言った。「涅槃の道には、もはや何も残っていません。」那先は言った。「愚かな人々は自分の体に執着し惜しむため、生・老・病・死から解脱することができないのです。」那先は言った。「賢い人は道を学び、内外の体に執着しなければ、愛着が生まれません。愛着がなければ貪欲もなく、貪欲がなければ母胎に宿ることもなく、母胎に宿らなければ生まれず、生まれなければ老いることもなく、老いなければ病むこともなく、病まなければ死ぬこともなく、死ななければ憂いもなく、憂いがなければ泣くこともなく、泣かなければ苦しみもなく、そのようにして涅槃の道を得るのです。」王はまた那先に尋ねた。「道を学ぶ者たちは、皆涅槃の道を得ることができるのですか？」那先は言った。「皆が涅槃の道を得られるわけではありません。正しく善い道に向かう者が、正しい事柄を学び知り、行うべきことを行い、行うべきでないことを捨てて遠ざけ、念ずべきことを念じ、念ずべきでないことを捨てれば、そのようにして涅槃の道を得ることができるのです。」王はまた那先に尋ねた。「涅槃の道を得られない者でも、涅槃の道が素晴らしいと知っているのですか？」那先は言った。「その通りです。まだ涅槃の道を得ていなくても、涅槃の道が素晴らしいと知っているのです。」王は言った。「人は涅槃の道を得ていなくても、どうしてそれが素晴らしいと知るのですか？」那先は王に尋ねた。「人が生まれてから手足を切られたことがなくても、手足を切られるのがひどく痛いと知っていますか？」王は言った。「手足を切られたことはなくても、それが痛いと知っています。」那先は言った。「何をもって痛いと知るのですか？」王は言った。「その人が手足を切られてうめき悲鳴をあげるのを見るので、それで痛いと知るのです。」那先は言った。「昔に涅槃の道を得た人々がいて、互いに涅槃の道は素晴らしいと伝え合ったので、それによって信じるのです。」王は言った。「善いかな、善いかな！」

王復問那先：「寧曾見佛不？」那先言：「未曾見。」王言：「那先諸師寧見佛不？」那先言：「諸師亦未曾見佛。」王言：「如使那先及諸師不見佛者，定為無有佛。」那先言：「王寧見五百溪水所合聚處不？」王言：「我不見。」「王父及太父皆見水不？」王言：「皆不見。」那先言：「王父及太父皆不見此水，天下定為無此五百溪水所聚處不？」王言：「雖我不見、父及太父皆不見此水者，實有此水。」那先言：「雖我及諸師不見佛者，其實有佛。」王復問言：「無有復勝佛者耶？」那先言：「然。無有勝佛者。」王復問：「何以為無能勝佛者？」那先問王言：「如人未曾入大海中，寧知海水為大不？有五河，河有五百小河流入大河。河一者名恒、二名信他、三名私他、四名博叉、五名施披夷爾。五河水晝夜流入海，海水亦不增減。」那先言：「王寧能聞知不？」王言：「實知。」那先語：「以得道人共道說無有能勝佛者，是故我信之。」王言：「善哉善哉！」

> 王がまた尋ねた：「那先よ、あなたはかつて仏にお会いになったことがあるか？」 那先は言った：「私はまだお会いしたことがありません。」 王が尋ねた：「那先よ、あなたの師匠たちは仏にお会いになったことがあるか？」 那先は言った：「師匠たちもまた、仏にお会いしたことはありません。」 王が言った：「もし那先も師匠たちも仏を見たことがないのなら、きっと仏など存在しないのだろう。」 那先は言った：「王様、五百もの川の流れが集まってできる場所をご覧になったことがありますか？」 王は言った：「私は見たことがない。」 那先が尋ねた：「王様のお父上やお祖父様は、その水をご覧になったことがありますか？」 王は言った：「彼らも見たことがありません。」 那先は言った：「王様のお父上やお祖父様がこの水を見たことがないからといって、この世に五百の川が集まる場所が存在しないと言えるでしょうか？」 王は言った：「たとえ私が見たことがなく、父や祖父も見たことがなくても、この水は確かに存在する。」 那先は言った：「同じように、私や師匠たちが仏を見たことがなくても、仏は確かに存在するのです。」 王がまた尋ねた：「仏より勝る者は本当にいないのか？」 那先は言った：「その通りです。仏より勝る者はおりません。」 王が尋ねた：「なぜ仏より勝る者がいないと言えるのか？」 那先は王に尋ねた：「人がまだ一度も大海に入ったことがなくても、海が大きいと知っているでしょうか？五つの大河があり、それぞれの大河には五百の小さな川が流れ込んでいます。その五つの川とは、一つ目は恒河、二つ目は信他、三つ目は私他、四つ目は博叉、五つ目は施披夷爾です。この五つの川の水は昼も夜も海に流れ込みますが、海の水は増えることも減ることもありません。」 那先は言った：「王様、このことをお聞きになって知ることができますか？」 王は言った：「確かに知っています。」 那先は言った：「悟りを得た者たちが共に語り合い、仏より勝る者はいないと言うのです。だから私はそれを信じるのです。」 王は言った：「善いかな、善いかな！」

王復問那先言：「當何用知無有勝佛者？」那先問王：「造書師者為誰？」王言：「造書師者名質。」那先言：「王寧曾見質不？」王言：「質已死久遠，未曾見。」那先言：「王未見質，何用知質為造書師？」王言：「持古時書字轉相教告，用是故我知名為質。」那先言：「用是故，我曹見佛經戒，如見佛無異。佛所說經道甚深快人，知佛經戒以後便相效，用是故我知為有不能勝佛者。」王復問那先：「自見佛經道，可久行之？」那先言：「佛所施教禁戒經甚快，當奉行之至老。」王言：「善哉善哉！」

> 王はまた那先に尋ねた：「どうして仏より勝る者がいないと知るのですか？」那先は王に問うた：「文字を書く師とは誰ですか？」王は言った：「文字を書く師は質という名です。」那先は言った：「王はかつて質にお会いになったことがありますか？」王は言った：「質はすでに遠い昔に亡くなっており、お会いしたことはありません。」那先は言った：「王は質にお会いになっていないのに、どうして質が文字を書く師だと知るのですか？」王は言った：「古い書物や文字が次々と伝えられ、教えられてきたからです。それによって私は質という名を知ったのです。」那先は言った：「そのように、私たちは仏の経典や戒めを見ることで、仏にお会いするのと変わらないのです。仏が説かれた経典や教えは非常に深く、人を喜ばせます。仏の経典や戒めを知った後、それに倣って実践するので、それによって仏より勝る者がいないと知るのです。」王はまた那先に尋ねた：「仏の経典や教えをその目で見て、長く実践できるのですか？」那先は言った：「仏が設けられた教えや戒め、経典は非常に素晴らしいものです。老いるまで大切に奉じ行うべきです。」王は言った：「善いかな、善いかな！」

王復問那先：「人死已後，身不隨後世生耶？」那先言：「人死已後更受新身，故身不隨。」那先言：「譬若燈中炷更相然，故炷續在、新炷更然。人身如是，故身不行、更受新身。」那先問王：「王小時從師學書讀經不？」王言：「然。我續念之。」那先問王：「王所從師受經書，師寧知本經書耶？王悉奪得其本經書。」王言：「不也。師續自知本經書耳。」那先言：「人身若此，置故身、更受新身。」王言：「善哉善哉！」

> 王がまた那先に問う：「人が死んだ後、その身は後の世に生まれ変わる際に従っていくのか？」 那先が言う：「人が死んだ後、新たな身を受け取る。だから古い身は従わない。」 那先が言う：「譬えば、灯明の芯が次々に燃え移るようなものだ。古い芯は燃え続け、新しい芯がまた燃え始める。人の身もこれと同じで、古い身は行かず、新たな身を受け取るのだ。」 那先が王に問う：「王は幼い頃、師について書を学び経を読んだことがありますか？」 王が言う：「はい。私はそれを覚えております。」 那先が王に問う：「王が師から受けた経典や書物について、師は元の経典を知っていますか？王がその元の経典を全て手に入れたのですか？」 王が言う：「いいえ。師は自分で元の経典を知っているだけです。」 那先が言う：「人の身もこれと同じです。古い身を置いて、新たな身を受け取るのです。」 王が言う：「素晴らしい、素晴らしい！」

王復問那先：「審為有智無？」那先言：「無有智。譬若人盜他人菓蓏，盜者寧有過無？」王言：「有過。」那先言：「初種樹栽時，上無有菓，何緣盜者當有過？」王言：「設不種栽，何緣有菓？是故盜者無狀。」那先言：「人亦如是，用今世身作善惡，生於後世更受新身。」王言：「人用是故身行作善惡所在。」那先言：「人諸所作善惡隨人，如影隨身。人死，但亡其身，不亡其行。譬如然火夜書，火滅其字續在，火至復更成之。今世所作行，後世成如，受之如是。」王言：「善哉善哉！」王言那先：「寧能分別指示善惡所在不耶？」那先言：「不可得知善惡所在。」那先問王：「樹木未有菓時，王寧能分別指示言某枝間有某菓、某枝間無有菓？寧可豫知之不耶？」王言：「不可知。」那先言：「人未得道，不能豫知善惡所在。」王言：「善哉善哉！」

> 王はまた那先に問うた：「本当に智というものがあるのか、ないのか？」 那先が言う：「智というものはありません。」 那先が言う：「たとえば、人が他人の果物や瓜を盗んだとしましょう。盗んだ者に罪はあるでしょうか？」 王が言う：「罪はあります。」 那先が言う：「最初に木を植えたとき、そこにはまだ果物はありませんでした。それならば、なぜ盗んだ者に罪があるのでしょうか？」 王が言う：「もし植えなければ、どうして果物ができるでしょうか？だからこそ、盗んだ者は罪があるのです。」 那先が言う：「人もまた同じです。今のこの身で善悪の行いをし、後の世に生まれ変わって、新たな身を受けます。」 王が言う：「人はこの古い身によって、善悪の行いをするのですね。」 那先が言う：「人の行ったすべての善悪は、その人に従います。影が身体に従うようにです。人が死ぬとき、滅びるのはその身だけであって、その行いは滅びません。たとえば、夜に火をともして文字を書き、火が消えても文字は残り続けるようなものです。火が再び来れば、また文字は成り立ちます。今の世で行ったことが、後の世で結果として現れ、その報いを受けるのです。」 王が言う：「善いかな、善いかな！」 王が那先に言う：「善悪がどこにあるのか、はっきりと示して教えることができるでしょうか？」 那先が言う：「善悪がどこにあるのかを知ることはできません。」 那先が王に問う：「木にまだ果物がないとき、王は『この枝には実があり、あの枝には実がない』と、あらかじめ示して知ることができるでしょうか？」 王が言う：「できません。」 那先が言う：「人が道を得ていないときは、善悪がどこにあるのかをあらかじめ知ることはできません。」 王が言う：「善いかな、善いかな！」

王復問：「人當於後世生者，寧能自知不？」那先言：「其當生者自知。」王言：「何用知之？」那先言：「譬如田家耕種，天雨時節，其人寧豫知當得穀不？」王言：「然知。知田當得穀多。」那先言：「人如是，人當於後世生，豫自知。」王言：「善哉善哉！」

> 王がまた尋ねた：「人は来世に生まれるとき、自分でそれを知ることができるのでしょうか？」那先は言った：「生まれるべき人は自分で知っています。」王が尋ねた：「どうしてそれと知るのでしょうか？」那先は言った：「たとえば、農家が田を耕し種をまくとき、天が季節にかなって雨を降らせれば、その人はあらかじめ穀物が得られるかどうかを知らないでしょうか？」王は言った：「知っています。田が多くの穀物を得るとわかっています。」那先は言った：「人も同じです。人は来世に生まれるべきとき、あらかじめ自分で知るのです。」王は言った：「善し善し！」

王復問那先：「審有泥洹無？」那先言：「審有。」王言那先：「寧能指示我佛在某處不？」那先言：「不能指示佛處。佛已泥曰去，不可得指示見處。」那先言：「譬若人然大火已即滅其火焰，寧可復指示知光所在不？」王言：「不可知處。」那先言：「佛已泥曰去，不可復知處。」王言：「善哉善哉！」

> 王は再び那先に尋ねた。「本当に涅槃はあるのですか。」那先は言った。「本当にあります。」王は言った。「那先よ、あなたは私に仏がどこにおられるか示すことができますか。」那先は言った。「仏のおられるところを示すことはできません。仏はすでに涅槃に入られて去られましたので、その在処を示し見ることはできません。」那先は言った。「たとえば、人が大きな火を燃やし、それがすぐに消えてしまったなら、その炎の光がどこにあったかを再び示して知らせることができるでしょうか。」王は言った。「その在処を知ることはできません。」那先は言った。「仏はすでに涅槃に入られて去られましたので、その在処を再び知ることはできません。」王は言った。「善きかな、善きかな！」

王又問那先：「沙門寧能自愛其身不？」那先言：「沙門不自愛其身。」王言：「如令沙門不自愛其身者，何以故自消息臥、欲得安溫濡飲食、欲得美善自護視。何以故？」那先言：「王寧曾入戰鬪中不？」王言：「然。曾入戰鬪中。」那先言：「在戰鬪中時，曾為刀刃牟箭瘡所中不？」王言：「我頗為刀刃所中。」那先問王：「奈刀刃牟箭瘡何？」王言：「我以膏藥綿裹耳。」那先問王言：「為愛瘡故，以膏藥綿絮裹耶？」王言：「我不愛瘡。」那先言：「殊不愛瘡者，何以持膏藥綿絮裹而護之？」王言：「我欲使瘡早愈。」那先言：「沙門亦如是。不愛其身，雖飲食心，不樂用作美不用作好，不用作肌色，趣欲支身體，奉行佛經戒耳。佛經說言，人有九孔為九弓瘡，諸孔皆臭處不淨。」王言：「善哉善哉！」

> 王はまた那先に問うた。「沙門は自分の身体を愛することができるのですか。」那先は言った。「沙門は自分の身体を愛しません。」王は言った。「もし沙門が自分の身体を愛さないのなら、なぜ食事をとり、休み、安楽で温かいものを求めて、良いものを食べ、自分の身体を大事に世話するのですか。それはなぜですか。」那先は言った。「王はかつて戦場に赴かれたことがありますか。」王は言った。「はい、戦場に行ったことがあります。」那先は言った。「戦いの最中に、刃や矢の傷を受けたことはありますか。」王は言った。「私は刃による傷を受けたことがあります。」那先は王に問うた。「その刃や矢の傷をどうしましたか。」王は言った。「私は膏薬と綿で包みました。」那先は王に問うた。「傷を愛したから、膏薬と綿で包んだのですか。」王は言った。「私は傷を愛してはいません。」那先は言った。「まったく傷を愛していないのなら、なぜ膏薬と綿で包んで保護したのですか。」王は言った。「私は傷を早く治したかったからです。」那先は言った。「沙門も同じです。自分の身体を愛してはいません。食べ物を摂っても、楽しみのためでも、良いものを作るためでも、美しい肌色のためでもなく、ただ身体を支えて仏の教えと戒律を実践するためだけです。仏の教えにはこうあります。人の身体には九つの孔があり、それは九つの傷のようなもので、すべての孔は臭く不浄であると。」王は言った。「善きかな、善きかな！」

王復問那先：「佛為有三十二相、八十種好身，皆金色有光影耶？」那先言：「佛審有三十二相八十種好身，皆有金色光影。」王言：「佛父母寧有三十二相八十種好身，皆有金色有光影耶？」那先言：「佛父母無是相。」王言：「如是相好，是父母無是相，佛亦無是相。」王復言：「人生子像其種類，父母無是相者，佛定無是相。」那先言：「佛父母雖無是三十二相八十種好身金光色者，佛審有是相。」那先言：「王曾見蓮花不？」王言：「我見之。」那先言：「此蓮花生於地、長於泥水。其色甚好，寧復類泥水色不？」王言：「不類地泥水色。」那先言：「雖佛父母無是相者，佛審有是相。佛生於世間、長於世間，而不像世間之事。」王言：「善哉善哉！」

> 王はまた那先に問うた。「仏には三十二相や八十種の好を備えた身体があり、すべて金色で光を放つというのは本当か。」那先は言った。「仏には確かに三十二相と八十種の好を備えた身体があり、すべて金色で光を放っています。」王は言った。「仏の父母にも、そのような三十二相や八十種の好を備えた金色に輝く身体があるのか。」那先は言った。「仏の父母には、そのような相はありません。」王は言った。「それならば、そのような相好は父母にないのだから、仏にもないはずだ。」王はさらに言った。「人は生まれるとき、その種類に似るものだ。父母にその相がないのなら、仏にも絶対にその相はないだろう。」那先は言った。「仏の父母には三十二相や八十種の好を備えた金色の身体はありませんが、仏には確かにその相があります。」那先は言った。「王は蓮の花を見たことがありますか。」王は言った。「私は見たことがある。」那先は言った。「この蓮の花は地に生まれ、泥水の中で育ちます。しかしその色はとても美しく、泥や水の色に似ているでしょうか。」王は言った。「地や泥水の色には似ていません。」那先は言った。「それと同じように、仏の父母にその相がなくても、仏には確かにその相があるのです。仏は世の中に生まれ、世の中で育ちましたが、世の中の事柄には似ていないのです。」王は言った。「素晴らしい、素晴らしい！」

王復問那先：「佛審如第七天王梵所行，不與婦女交會不？」那先言：「然。審離於女人，淨潔無瑕穢。」王言：「假令佛如第七天王所行者，佛為第七天王梵弟子。」那先問王：「第七天王者有念無念？」王言：「第七天王梵有念。」那先言：「是故第七天王梵及上諸天，皆為佛弟子。」那先問王言：「象鳴聲何等類？」王言：「象鳴聲如鴈聲。」那先言：「如是，象為是鴈弟子？各自異類？佛亦如是，非第七天王梵弟子。」王言：「善哉善哉！」

> 王がまた那先に尋ねた。「仏は、本当に第七天の王である梵天が行うように、婦女と交わることがないのですか？」 那先は言った。「その通りです。確かに女人を離れ、清らかで汚れがありません。」 王が言った。「もし仏が第七天の王のように行うのなら、仏は第七天の王・梵天の弟子ということになります。」 那先は王に尋ねた。「第七天の王は、思い（念）がありますか、ありませんか？」 王が言った。「第七天の王・梵天には思いがあります。」 那先は言った。「それゆえ、第七天の王・梵天およびその上の諸天は皆、仏の弟子なのです。」 那先は王に尋ねた。「象の鳴き声は、どのようなものに似ていますか？」 王が言った。「象の鳴き声は、雁の声に似ています。」 那先は言った。「そうであれば、象は雁の弟子なのでしょうか？ それぞれ異なる種類です。仏もまた同じで、第七天の王・梵天の弟子ではありません。」 王は言った。「善いかな、善いかな！」

王復問那先：「佛寧悉學知經戒不？」那先言：「佛悉學知奉行經戒。」王言：「佛從誰師受經戒？」那先言：「佛無師。佛得道時，便悉自知諸經道。佛不如諸弟子學知，佛所教諸弟子皆當奉行至老。」王又問那先：「人父母死時悲啼哭淚出，人有聞佛經亦復悲啼淚出俱爾，寧別異不？」那先言：「人為父母啼泣，皆感恩愛恩、念愁憂苦痛。此曹憂者愚癡憂，其有聞佛經道淚出者，皆有慈哀之心，念世間懃苦，是故淚出。其得福甚大。」王言：「善哉！」王又問那先：「以得度脫者有何等別異？」那先言：「人未得脫者有貪欲心，人得脫者無有貪欲之心，但欲趣得飯食支命耳。」王言：「我見世間人皆欲快身，欲得美食無有厭足。」那先言：「人未得度脫，飲食者用作榮樂好美。得度脫者，雖飲食，不以為樂、不以為甘，趣欲支命。」王言：「善哉善哉！」

> 王はまた那先に尋ねた。「仏は、すべての経典や戒律を学び知っておられるのですか？」 那先は言った。「仏はすべてを学び、知り、その戒律を実践されました。」 王は言った。「仏は誰を師として、経典や戒律を受けられたのですか？」 那先は言った。「仏には師はありません。仏は悟りを開かれた時、すべての教えを自ら知られたのです。仏は弟子たちのように学んで知ったのではありません。仏が教えられた弟子たちは皆、老いるまでその教えを実践すべきです。」 王はまた那先に尋ねた。「人は父母が亡くなった時、悲しみの涙を流します。また、人が仏の教えを聞いても涙を流すことがありますが、この二つは同じなのでしょうか、違いがあるのでしょうか？」 那先は言った。「人が父母のために泣くのは、愛情や恩義を感じ、心配や苦しみを悲しむからです。これらの悲しみは、迷いによる悲しみです。しかし、仏の教えを聞いて涙を流すのは、慈しみの心を持つからであり、世の中の苦しみを思いやるからです。だから涙が出るのです。その者は大きな功徳を得ます。」 王は言った。「善いかな！」 王はまた那先に尋ねた。「悟りを得て解脱した者には、どのような違いがあるのですか？」 那先は言った。「まだ解脱していない人は、貪りの心があります。解脱した人は、貪りの心がなく、ただ命を支えるために食事を求めるだけです。」 王は言った。「私は世の中の人々が皆、自分の身を快適にしようとし、美味しい食べ物を求めて飽くことを知らないのを見ます。」 那先は言った。「まだ解脱していない人は、食事を楽しみや美味しさのためにします。解脱した人は、食事をしても、それを楽しみとせず、美味しいとも思わず、ただ命を支えようとするだけです。」 王は言った。「善いかな、善いかな！」

王復問那先：「人家有所作，能念久遠之事不？」那先言：「人愁憂時皆念久遠之事。王用何等念之？用志念耶？用念念耶？」那先問王言：「寧曾有所學知以後念之不？」王言：「然。我曾有所學知，以後忽忘之。」那先言：「王是時無志耶而忘之乎？」王言：「我時忘念。」那先言：「可差，王為有象。」王復問那先：「人有作皆念耶？若甫始有所作，念見在所作，皆用念知耶？」那先言：「已去之事皆用念知之，今現在之事亦用念知之。」王言：「如是人但念去事，不能復念新事。」那先言：「假令新者有所作，不可念者亦如是。」王言：「人新學書技巧為唐捐耶？」那先言：「人新學書畫者，有念故，令弟子學者有知，是故有念耳。」王言：「善哉善哉！」

> 王はまた那先に問うた：「人が何かを成し遂げた時、ずっと昔のことを思い出すことができるのでしょうか？」 那先は言った：「人は悲しみや悩みを抱える時、皆、遠い昔のことを思い出します。王は何をもってそれを思い出すのですか？心の働き（志）によってですか？それとも記憶の力（念）によってですか？」 那先は王に問うた：「かつて学んで知ったことを、後になって思い出すという経験はございますか？」 王は言った：「そうです。私はかつて学んで知ったことがありましたが、後になって突然忘れてしまいました。」 那先は言った：「では王は、その時、心の働きがなかったから忘れたのですか？それとも記憶が失われたのですか？」 王は言った：「私はその時、記憶を失っていたのです。」 那先は言った：「それで分かりました。王には象がいるようなものです（比喩をもって理解された）。」 王はまた那先に問うた：「人は何かをする時、必ずそれを覚えているものですか？それとも、始めたばかりのことを覚えているのは、すべて記憶の力によるのでしょうか？」 那先は言った：「過ぎ去ったことはすべて記憶によって知り、現在のこともまた記憶によって知るのです。」 王は言った：「それならば、人はただ過去のことだけを覚えていて、新しいことは覚えられないということですか？」 那先は言った：「もし新しいことに何かを行っても、それを覚えられないのであれば、それもまた同じ理屈です。」 王は言った：「では、人が新しく学問や技術を学ぶのは、無駄なことなのでしょうか？」 那先は言った：「人が新しく文字や絵を学ぶ時、記憶があるからこそ、弟子や学ぶ者に知識が生まれるのです。だからこそ、記憶は意味を持つのです。」 王は言った：「素晴らしい、素晴らしい！」

王復問那先：「人用幾事生念念耶？」那先言：「人凡有十六事生念。一者久遠所作生念、二者新有所學生念、三者若有大事生念、四者思善生念、五者曾所更苦生念、六者自思惟生念、七者曾雜所作生念、八者教人生念、九者象生念、十者曾有所忘生念、十一者因識生念、十二者教計生念、十三者負債生念、十四者一心生念、十五者讀書生念、十六者曾有所寄更見生念。是為十六事生念。」王復問那先：「何等為念久者？」那先言：「佛弟子阿難女弟子優婆夷鳩讐單罷，念千億世宿命之事，及餘道人皆能念去世之事。如阿難女弟子輩甚眾多，念此已便生念。」王又問：「何等新所學生念者？」那先言：「如人曾學知挍計，後復忘之。見人挍計，便更生念。」王又問那先：「何等為大事生念？」那先言：「譬若大子立為王，自念為豪貴，是大事生念。」王復問那先：「何等為思善生念者？」那先言：「譬若人為人所請呼，極善意賓延遇待之。其人自念言：昔日為某所請呼，善意待人，是為思善生念。」王又問那先：「何等為更苦生念者？」那先言：「譬若人曾為人所撾捶閉繫牢獄，是為更苦生念。」王復問那先言：「何等為自惟生念者？」那先言：「譬若人曾有所見家室宗親及畜生，是為自惟生念。」王又問那先言：「何等為曾雜所作生念者？」那先言：「譬若人萬物字顏色香臭酢苦，念此諸事，是為曾雜生念。」王復問那先言：「何等為教人生念者？」那先言：「人自喜忘邊人，或有念者、或有忘者，是教人生念。」王又問那先言：「何等為象生念者？」那先言：「人牛馬各自有象類，是為象生念。」王又問那先言：「何等為曾所忘生念者？」那先言：「譬若人卒有所忘，數數獨念得之，是為曾所忘生念。」王復問那先：「何等為因識生念者？」那先言：「學書者能次其字，是為因識生念。」王復問那先：「何等為挍計生念者？」那先言：「如人共挍計，成就悉知、策術分明，是為挍計生念。」王又問那先：「何者為負債生念者？」那先言：「如人所當債所當歸，是為負債生念。」王又問那先：「何等為一心生念者？」那先言：「沙門一其心，自念所從來生千億世時事，是我為一其心生念。」王又問那先：「何等為讀書生念者？」那先言：「帝有久古之書，念言某帝某吏時書也，是為讀書生念。」「何等為曾有所寄更見生念者？」那先言：「若人有所寄更眼見之便生念，是為所寄生念。」王言：「善哉善哉！」

> 王はまた那先に尋ねた：「人は何種類の事柄によって心に念いを生じるのですか？」那先は言った：「人には合わせて十六の事柄によって念いが生じます。一つ目は、遠い昔に為したことによって念いが生じる。二つ目は、新たに学んだことによって念いが生じる。三つ目は、大きな出来事があって念いが生じる。四つ目は、善いことを思って念いが生じる。五つ目は、かつて経験した苦しみによって念いが生じる。六つ目は、自ら思い巡らして念いが生じる。七つ目は、かつて様々なことを経験したことによって念いが生じる。八つ目は、人に教えられて念いが生じる。九つ目は、似た姿を見て念いが生じる。十つ目は、かつて忘れたことを思い出して念いが生じる。十一つ目は、知識に基づいて念いが生じる。十二つ目は、計算や思案によって念いが生じる。十三つ目は、負債があることによって念いが生じる。十四つ目は、心を一つに集中して念いが生じる。十五つ目は、書物を読んで念いが生じる。十六つ目は、かつて預けたものを再び見て念いが生じる。これらが十六の事柄によって念いが生じるのです。」 王はまた那先に尋ねた：「遠い昔のことを思い出す念いとは、どのようなものですか？」那先は言った：「仏の弟子である阿難や、在家の女性信徒である鳩讐単罷らは、千億もの過去世の出来事を思い出すことができます。また他の修行者たちも、過ぎ去った世の出来事を思い出すことができます。阿難や女性信徒たちのように、このように多くの者が、これらのことを思い出して念いを生じるのです。」 王はまた尋ねた：「新たに学んだことによって生じる念いとは、どのようなものですか？」那先は言った：「例えば、人がかつて計算や方法を学んだけれど、後に忘れてしまったとします。しかし、他の人が計算しているのを見ると、それによって再び念いが生じるのです。」 王はまた那先に尋ねた：「大きな出来事によって生じる念いとは、どのようなものですか？」那先は言った：「例えば、王子が王位に就いて、自分は尊く富貴であると自覚する、これが大きな出来事によって念いが生じるのです。」 王はまた那先に尋ねた：「善いことを思って生じる念いとは、どのようなものですか？」那先は言った：「例えば、人が誰かに招待されて、大変丁寧にもてなしを受けたとします。その人は自らの心に、かつてあの人に招待されて、あのように親切にしてもらったと思い出す、これが善いことを思って念いが生じるのです。」 王はまた那先に尋ねた：「かつて経験した苦しみによって生じる念いとは、どのようなものですか？」那先は言った：「例えば、人がかつて誰かに打たれたり、牢獄に繋がれたりしたことがある場合、それが苦しみを経験したことによって念いが生じるのです。」 王はまた那先に尋ねた：「自ら思い巡らして生じる念いとは、どのようなものですか？」那先は言った：「例えば、人がかつて見た家族や親族、あるいは動物などのことを思い浮かべる、これが自ら思い巡らして念いが生じるのです。」 王はまた那先に尋ねた：「かつて様々なことを経験したことによって生じる念いとは、どのようなものですか？」那先は言った：「例えば、人が万物の名前や色、香り、臭い、酸っぱさ、苦さなどについて思いを馳せる、これが様々な経験によって念いが生じるのです。」 王はまた那先に尋ねた：「人に教えられて生じる念いとは、どのようなものですか？」那先は言った：「人が自分で物事を忘れやすいとき、周りの人の中に覚えている人もいれば、忘れている人もいます。そのような人々に教えられて、念いが生じるのです。」 王はまた那先に尋ねた：「似た姿を見て生じる念いとは、どのようなものですか？」那先は言った：「人や牛、馬には、それぞれ似た種類の姿があります。それを見て、かつてのことを思い出す、これが似た姿によって念いが生じるのです。」 王はまた那先に尋ねた：「かつて忘れたことを思い出して生じる念いとは、どのようなものですか？」那先は言った：「例えば、人が突然何かを忘れてしまい、何度も心の中で思い巡らしているうちに、ついに思い出すことがある、これが忘れたことを思い出して念いが生じるのです。」 王はまた那先に尋ねた：「知識に基づいて生じる念いとは、どのようなものですか？」那先は言った：「文字を学んだ人は、その文字を順序よく読むことができます。これが知識に基づいて念いが生じるのです。」 王はまた那先に尋ねた：「計算や思案によって生じる念いとは、どのようなものですか？」那先は言った：「例えば、人が皆で計算や計画を練り、その結果をすべて知り、方法が明確になること、これが計算や思案によって念いが生じるのです。」 王はまた那先に尋ねた：「負債があることによって生じる念いとは、どのようなものですか？」那先は言った：「例えば、人が返さなければならない借金や、果たさなければならない約束がある場合、それを思い出す、これが負債によって念いが生じるのです。」 王はまた那先に尋ねた：「心を一つに集中して生じる念いとは、どのようなものですか？」那先は言った：「修行者が心を一つに集中して、自分がどのような過去世を経てきたかを千億もの時代にわたって思い起こすこと、これが心を一つに集中して念いが生じるのです。」 王はまた那先に尋ねた：「書物を読んで生じる念いとは、どのようなものですか？」那先は言った：「遠い昔の書物が存在し、それを読んで『これはあの王様があの役人の時代に書かれたものだ』と思い出すこと、これが書物を読んで念いが生じるのです。」 「かつて預けたものを再び見て生じる念いとは、どのようなものですか？」那先は言った：「例えば、人が何かを預けたことがあり、それを再び目にしたとき、自然とそのことを思い出す、これが預けたものを見て念いが生じるのです。」 王は言った：「素晴らしい、素晴らしい！」

王復問那先言：「佛寧悉知去事、甫始當來事耶？」那先言：「然。佛悉知之。」王言：「假令佛悉知諸事者，何故不一時教弟子，何故稍稍教之？」那先問王：「國中寧有醫師無？」王言：「有醫師。」那先言：「其醫師寧能悉知天下諸藥不？」王言：「能悉知諸藥。」那先問王：「其藥師治人病，為一時與藥、為稍稍與之？」王言：「未病不可豫與藥，應病乃與藥耳。」那先言：「佛雖悉知去來現在之事，亦不可一時教天下人，當稍稍授經戒令奉行之耳。」王言：「善哉善哉！」

> 王はまた那先に問うた：「仏は過去の事、未来の事、すべてをご存じなのか。」那先は言う：「その通りです。仏はすべてをご存じです。」王は言う：「もし仏がすべてをご存じなら、なぜ弟子たちに一度に教えず、少しずつ教えるのか。」那先は王に問う：「国の中に医者はいますか。」王は言う：「医者はいます。」那先は言う：「その医者は、天下のすべての薬を知っていますか。」王は言う：「すべての薬を知っています。」那先は王に問う：「その医者が人の病を治す時、薬を一度に全部与えますか、それとも少しずつ与えますか。」王は言う：「病になっていないのに先に薬を与えることはできません。病に応じてから薬を与えるのです。」那先は言う：「仏は過去・未来・現在のすべての事をご存じですが、それでも一度に天下の人々に教えることはできません。少しずつ経典や戒律を授けて、それを守り実践させるべきなのです。」王は言う：「善いかな、善いかな！」

王又問那先：「卿曹沙門言，人在世間作惡至百歲，臨欲死時念佛，死後者皆生天上。我不信是語。復言殺一生死即入泥犁中。我不信是也。」那先問王：「如人持小石置水上，石浮耶沒耶？」王言：「其石沒。」那先言：「如令持百枚大石置船上，其船寧沒不？」王言：「不沒。」那先言：「船中百枚大石，因船故不得沒。人雖有本惡，一時念佛，用是不入泥犁中，便生天上。其小石沒者，如人作惡，不知佛經，死後便入泥犁。」王言：「善哉善哉！」

> 王はまた那先に問うた。「そなたたち沙門は言う、人が世にあって悪を為すこと百年に及んでも、臨終に際して仏を念じれば、死後はみな天に生まれると。私はその言葉を信じない。また、生き物を一頭殺せば死んですぐに地獄に落ちるとも言うが、それも信じられない。」那先は王に問うた。「例えば、人が小さな石を水に置けば、石は浮かびますか、沈みますか？」王は言った。「その石は沈む。」那先は言った。「では、百個の大きな石を船に載せたら、その船は沈みますか？」王は言った。「沈まない。」那先は言った。「船の中の百個の大きな石は、船があるがゆえに沈まないのです。人もまた、もと悪が深くとも、一時に仏を念じれば、そのために地獄に入らず、天に生まれるのです。小さな石が沈むのは、人が悪を為しても仏の教えを知らず、死後すぐに地獄に入ることを示します。」王は言った。「善いかな、善いかな！」

王復問那先：「卿曹用何等故，行學道作沙門？」那先言：「我今以過去苦、現在苦、當來苦，欲棄是諸苦，不欲復受更故，行學道作沙門。」王復問那先：「苦乃在後世，何為豫學道作沙門？」那先問王：「王寧有敵國怨家欲相攻擊不？」王言：「然。有敵國怨家常欲相攻擊也。」那先問王：「敵主臨來時，王乃作鬪具備守掘塹耶？當豫作之乎？」王言：「當豫有儲偫。」那先問王：「何等故先作儲偫？」王言：「備敵來無時故。」那先問王：「敵尚未來，何故豫備之？」那先又問王：「飢乃田種、渴乃鑿井，何故豫作備度？」王言：「善哉善哉！」

> 王はまた那先に問うた：「あなたがたは何のために学道し、沙門となるのですか？」那先は言った：「私は過去の苦しみ、現在の苦しみ、未来の苦しみを捨て去り、再びそれらを受けないようにするために、学道して沙門となるのです。」王はまた那先に問うた：「苦しみは来世にあるのに、なぜ前もって学道し沙門となるのですか？」那先は王に問うた：「王には敵国や怨みのある者がいて、攻撃しようと望むことがありますか？」王は言った：「あります。敵国や怨みのある者が常に攻撃しようと望んでいます。」那先は王に問うた：「敵の大将が来る時に、王はその時になってから武器を整え、守りを固め、堀を掘るのですか？それとも前もって準備するのですか？」王は言った：「前もって備えを整えておくべきです。」那先は王に問うた：「なぜ前もって備えを整えるのですか？」王は言った：「敵がいつ来るかわからないからです。」那先は王に問うた：「敵はまだ来ていないのに、なぜ前もって準備するのですか？」那先はまた王に問うた：「飢えてから種を蒔き、渇いてから井戸を掘るのではなく、なぜ前もって備えを整えるのですか？」王は言った：「善いかな、善いかな！」

王又問那先：「第七梵天去是幾所？」那先言：「甚遠。令大如王殿石，從第七梵天上墮之，六日乃墮此間地耳。」王言：「卿曹諸沙門言，得羅漢道，如人屈伸臂頃，以飛上第七梵天上。」王言：「我不信是。行數千萬億里，何以疾乃爾？」那先問王：「王本生何國？」王言：「我本生大秦國，國名阿荔散。」那先問王：「阿荔散去是間幾里？」王言：「去是二千由旬，合八萬里。」那先問王：「曾頗於此遙念本國中事不？」王言：「然。恒念本國中事耳。」那先言：「王試復更念本國中事，曾有所作為者？」王言：「我即念已。」那先言：「王行八萬里反覆何以疾？」王言：「善哉善哉！」

> 王はまた那先に尋ねた。「第七梵天までは、ここからどれほどの距離があるのか。」那先は言った。「非常に遠いのです。たとえば王の宮殿ほどの大きさの石が、第七梵天から落ちて、この地に届くのに六日かかります。」王は言った。「そなたたち僧侢は、羅漢の道を得た者は、人が腕を伸ばして曲げるほどの短い間に、第七梵天に飛び上がると言う。私はそれが信じられない。何千万里もの道のりを、どうしてそんなに速く行けるのか。」 那先は王に尋ねた。「王はもともとどこの国で生まれましたか。」王は言った。「私はもともと大秦国で生まれた。国名を阿荔散という。」那先は王に尋ねた。「阿荔散はここからどれほどの距離ですか。」王は言った。「ここから二千由旬、合わせて八万里です。」那先は王に尋ねた。「王は、ここから遠く離れて、ふと故国での出来事を思い浮かべたことがありますか。」王は言った。「あります。いつも故国のことを思い浮かべています。」那先は言った。「では王よ、もう一度、故国での出来事を思い浮かべてみてください。何かしたことがありましたか。」王は言った。「私はすぐに思い浮かべました。」那先は言った。「王は八万里の道のりを、どうしてそんなに速く行けたのですか。」王は言った。「素晴らしい、素晴らしい。」

王復問那先：「若有兩人於此俱死，一人上生第七梵天、一人生罽賓。罽賓去七百二十里，誰為先到者？」那先言：「試念阿荔國。」王言：「我已念之。」那先復言：「王試復念罽賓。」王言：「我已念之。」那先問王：「念是兩國，何所疾者？」王言：「俱等耳。」那先言：「兩人俱死，一人生第七梵天上、一人生罽賓，亦等耳。」那先問王：「若有一雙飛鳥，一於一高樹上止、一鳥於卑樹上止，兩鳥俱飛，誰影先在地者？」王言：「其影俱到地耳。」那先言：「兩人俱死，一人生第七天上、一人生罽賓，亦俱時至耳。」王言：「善哉善哉！」

> 王はまた那先に尋ねました。「もし二人の者が同時に死んで、一人は第七の梵天に生まれ変わり、もう一人は罽賓（けいひん）に生まれ変わったとしよう。罽賓までは七百二十里の距離があるが、どちらが先に到着するだろうか？」 那先は言いました。「では、王よ、アリ国を思い浮かべてみてください。」 王は言いました。「私はもう思い浮かべました。」 那先は再び言いました。「では、王よ、罽賓も思い浮かべてみてください。」 王は言いました。「私はもう思い浮かべました。」 那先は王に尋ねました。「この二つの国を思い浮かべるのに、どちらが速いですか？」 王は言いました。「どちらも同じです。」 那先は言いました。「それと同じように、二人が同時に死んで、一人が第七の梵天に生まれ変わり、もう一人が罽賓に生まれ変わっても、同時に到着するのです。」 那先は王に尋ねました。「もし一対の鳥がいて、一羽は高い木の上に止まり、もう一羽は低い木の上に止まっているとします。二羽が同時に飛び立つとき、どちらの影が先に地面に落ちるでしょうか？」 王は言いました。「その影は、どちらも同時に地面に届きます。」 那先は言いました。「それと同じように、二人が同時に死んで、一人は第七の天に生まれ変わり、もう一人は罽賓に生まれ変わっても、同時に到着するのです。」 王は言いました。「善いかな、善いかな！」

王復問那先：「人用幾事學知道？」那先言：「用七事學知道。何等為七？一者念善惡之事、二者精進、三者樂道、四者伏意為善、五者念道、六者一心、七者適無所憎愛。」王又問那先：「人用此七事學知道耶？」那先言：「不悉用七事學知道。知者持知善惡，用是一事別知耳。」王又問那先：「假令用一事知者，何為說七言？」那先問王：「如人持刀著鞘中倚壁，刀寧能自有所割截不？」王言：「不能有所割截。」那先言：「人心雖明會，當得是六事共成智耳。」王言：「善哉善哉！」

> 王は再び那先に尋ねた。「人はいくつの事柄によって道を学び知るのですか。」那先は言った。「七つの事柄によって道を学び知ります。その七つとは何か。一つ目は善悪のことを考えること、二つ目は努力すること、三つ目は道を楽しむこと、四つ目は心を調えて善を行うこと、五つ目は道を念ずること、六つ目は心を一つにすること、七つ目は執着なく愛憎を超えることです。」王はまた那先に尋ねた。「人はこの七つの事柄によって道を学び知るのですか。」那先は言った。「すべての七つによって道を学び知るわけではありません。智慧ある者は善悪を知ることを保ちます。この一つの事柄によって、ただ分別して知るのです。」王はまた那先に尋ねた。「もし一つの事柄によって知るのなら、なぜ七つと言うのですか。」那先は王に尋ねた。「例えば、人が刀を鞘に納めて壁に掛けるならば、その刀は自分で物を切ることができるでしょうか。」王は言った。「物を切ることはできません。」那先は言った。「人の心は明らかに悟ることもありますが、この六つの事柄を得て共に智を成すのです。」王は言った。「善きかな、善きかな。」

王復問那先：「人家作善得福大耶？作惡得殃大耶？」那先言：「人作善得福大，作惡得殃小。人家作惡日日自悔過，是故其過日小。人家作善，日夜自念歡喜，是故得福大。」那先言：「昔者佛在時，其國中有人掘無手足，而取蓮花持上佛。佛即告諸比丘言：『此掘足手兒，却後九十一劫不復入泥犁中、畜生劈荔道中，得生天上。天上壽終復還作人。』是故我知人作小善得福大。作其惡人自悔，過日消滅而盡。是故我知人作過其殃小。」王言：「善哉善哉！」

> 王がまた那先に問うた。「人が善を為せば福報は大きいのですか。悪を為せば災いも大きいのですか。」那先が言った。「人が善を為せば福報は大きく、悪を為せば災いは小さいものです。人が悪を為しても、毎日自ら悔い改めれば、その罪は日ごとに小さくなります。人が善を為せば、日夜自ら喜び思うので、福報が大きくなるのです。」那先が言った。「昔、仏が在世のとき、その国に手も足もない者がおり、蓮の花を取って仏に捧げました。仏はただちに比丘たちに告げられました。『この手も足もない者は、この後九十一劫の間、地獄・畜生・餓鬼の道に堕ちることなく、天上に生まれるであろう。天上での寿命が尽きたなら、また人として生まれ変わろう。』それゆえ、私は人が小さな善を為しても福報が大きいことを知るのです。人が悪を為しても、自ら悔い改めれば、罪は日に日に消え去り尽きるもの。それゆえ、私は人が過ちを為しても災いは小さいことを知るのです。」王は言った。「善きかな、善きかな！」

王復問那先：「智者作惡、愚人作惡，此兩人殃咎誰得多者？」那先言：「愚人作惡得殃大，智人作惡得殃小。」王言：「不知那先言。」王言：「我國治法，大臣有過則罪之重，小民有過罪之輕。是故我知智者作過惡得殃大，愚者作惡得殃小。」那先問王：「譬如燒鐵在地，一人知為燒鐵、一人不知，兩人俱前取燒鐵，誰爛手大者耶？」王言：「不知者手爛大。」那先言：「愚者作惡，不能自悔，故其殃大。智者作惡，知不當所為，日自悔過，故其殃少。」王言：「善哉善哉！」

> 王はまた那先に問うた。「賢い者が悪を行い、愚かな者が悪を行う場合、この二人の受ける災いの報いは、どちらがより大きいのでしょうか。」 那先は言った。「愚かな者が悪を行えば災いは大きく、賢い者が悪を行えば災いは小さいのです。」 王は言った。「私はあなたの言葉が理解できません。私の国の法律では、大臣に過ちがあれば重く罰し、民に過ちがあれば軽く罰します。だから私は、賢い者が悪を行えば災いが大きく、愚かな者が悪を行えば災いが小さいのだと思うのです。」 那先は王に問うた。「譬えてみましょう。焼けた鉄が地面にあります。一人はそれが焼けた鉄だと知っており、もう一人は知りません。二人がともにその焼けた鉄を取るとすれば、どちらの手がよりひどく焼けるでしょうか。」 王は言った。「知らない者の手がよりひどく焼けるでしょう。」 那先は言った。「愚かな者が悪を行えば、自分で悔い改めることができないので、その災いは大きいのです。賢い者が悪を行えば、してはならないことと知り、日々自ら悔い改めるので、その災いは小さいのです。」 王は言った。「善きかな、善きかな！」

王復問那先：「人有能持此身，飛行上至第七梵天上，及至欝單曰地，及所欲至處者不耶？」那先言：「能。」王言：「奈何持此身上第七梵天，及欝單曰地，及所欲至處乎？」那先問王：「王寧自念少小時跳戲一丈地不？」王言：「我年少時意念欲跳，便跳一丈餘地。」那先言：「得道之人意欲跳至第七天上，及至欝單曰地者亦爾。」王言：「善哉善哉！」

> 王は再び那先に尋ねた：「人にはこの身を保ったまま、飛んで第七の梵天にまで上り、また欝単曰（うたんえつ）の地にまで至り、さらには行きたい所に自由に行ける者がいるのでしょうか？」那先は言った：「できます。」王は言った：「どうやってこの身で第七の梵天や欝単曰の地、そして行きたい所に至るのですか？」那先は王に尋ねた：「王様は幼い頃、地面を一丈ばかり飛び跳ねて遊んだことを覚えておられますか？」王は言った：「私は幼い頃、跳ぼうと思えば、すぐに一丈あまり跳べました。」那先は言った：「悟りを得た人も、心で第七の天に上ろうと思えば、欝単曰の地に至ろうと思えば、それと同じようにできるのです。」王は言った：「善いかな、善いかな！」

王復問那先：「卿曹諸沙門言，有骨長四千里。何等身骨長四千里？」那先問：「王曾聞大海中有大魚名質，身長二萬八千里者不？」王言：「然。有是，我曾聞之。」那先言：「如是二萬八千里魚，其脇骨長四千里，王怪之為？」王復問那先：「卿曹諸沙門說言，我能斷喘息之事。」王言：「奈何可斷喘息氣耶？」那先問王：「寧曾聞志不？」王言：「我聞之。」那先言：「王以為志在人身中耶？」王言：「我以為志在人身中。」那先言：「王以為愚人，不能制其身口者不能持經戒，如此曹人亦不樂其身。」那先言：「其學道人者，能制其身、能制口、能持經戒，能一其心得四禪，便能不復喘息耳。」王言：「善哉善哉！」王復問那先：「為呼言海，海為是水名為海耶？用他事故言海？」那先言：「人所以呼為海者，水與鹽參各半，是故為海耳。」王復問那先：「何以故海悉醎如鹽味？」那先言：「所以海水醎者，啖畜以來久遠，及魚鼈虫多共漬水中，是故令醎耳。」王言：「善哉善哉！」王復問那先：「人得道已，寧能悉思惟深奧眾事不？」那先言：「然。人得道已，能悉思惟深奧之事。佛經最深奧知眾事，不可稱量眾事皆以智評之。」王言：「善哉善哉！」王復問那先：「人神、智、自然，此三事寧同不各異？」那先言：「人神者生覺，智者曉道，自然者虛空無有人也。」王又問那先：「人言得人，何等為得人者？今眼視色、耳聽聲、鼻聞香臭、口知味、身知軟麁、志知善惡之事，何所為得人者？」那先問王：「如今合解用目視，脫瞳子去之，視寧廣遠不？裂大其耳，聽聲寧廣遠不？決鼻令大，其聞香寧多不？吻口令大，知味寧多不？剝割肌膚，寧令信知麁軟不？拔去其意，盛念寧多不？」王言：「不也。」那先言：「佛所作甚難，佛所知甚妙。」王復問那先：「所作何等甚難、何等甚妙？」那先言：「佛能知人腹中目所不見事，悉能解之。能解目事、能解耳事、能解鼻事、能解口事、能解身事、能解販事、能解所念事、能解神事。」那先言：「人取海水含之，寧能別知口中水，是某泉水、是某流水、是某河水不？」王言：「眾水皆合為一，難各別知。」那先言：「佛所作為甚難，皆能別知。今人神不見人身中有六事不可見。」那先言：「是故佛解之，從心念至目所見、從心念至耳所聽、從心念至鼻所嗅、從心念至口知味、從心念至身知苦樂寒溫麁堅、從心念有所向，佛悉知分別解之。」王言：「善哉善哉！」

那先言：「夜已半，我欲去。」王即勅傍臣：「取四端㲲布搵置油麻中持以為炬，當送那先歸。恭事那先，如事我身。」傍臣皆言：「受教。」王言：「得師如那先，作弟子如我，可得道疾。」王諸所問，那先輒事事答之，王大歡喜，王即出中藏好衣直十萬，以上那先。王語那先：「從今以去，願那先日與八百沙門共於宮中飯食，及所欲皆從王取之。」那先報王：「我為道人，略無所欲。」王言那先：「當自護，亦當護我身。」那先言：「何等當自護、護王身？」王報言：「恐人論議，呼王為慳。那先為解諸狐疑，而不能賜與。或恐人言：那先不能解王疑，故王不賞賜。」王言那先：「受者令我得其福，那先亦當護其名。」王言：「譬若師子在金檻中，由為拘閉，常有欲望去心。今我雖為國宮省中，其意不樂，欲棄國去而行學道。」王語竟，那先便歸佛寺。

> 那先尊者說：「夜已深，我想回去了。」國王隨即命令身旁的臣子：「取四丈細棉布，浸泡在油麻中，當作火炬，送那先尊者回去。尊敬侍奉那先尊者，如同侍奉我自身一樣。」侍臣們都說：「遵命。」國王說：「能遇到像那先這樣的老師，有像我這樣的弟子，便能很快證得道果。」 國王所問的一切問題，那先尊者都一一回答。國王非常歡喜，立即拿出宮中珍藏的价值十萬的上好衣物，供養給那先尊者。國王對那先尊者說：「從今以後，希望那先尊者每天帶領八百位沙門一起在宮中用餐，所需的一切物品，都從我這裡取用。」那先尊者回答國王：「我是一位修行人，幾乎沒有什麼慾望需求。」國王對那先尊者說：「尊者應當保護自己，也應當保護我。」那先尊者問：「什麼是保護自己、保護國王您呢？」國王回答說：「恐怕有人議論，說國王是個慳吝之人。那先尊者為我解開了種種疑惑，我卻沒有辦法給予回報。也有人可能會說：那先尊者沒有辦法解開國王的疑惑，所以國王才沒有給予賞賜。」國王對那先尊者說：「接受供養，讓我得到福報，那先尊者也應當維護自己的名聲。」國王又說：「就如同獅子被關在金籠中，雖然被囚禁，內心始終有想要離去的念頭。如今我雖然身處王宮之中，心中卻不快樂，想要捨棄國位，離家去修行求道。」國王說完這些話後，那先尊者便回到了佛寺。

那先適去，王竊自念：「我問那先為何等事？那先為我解何等事？」王自念：「我所問，那先莫不解我意者。」那先歸佛寺，亦自念：「王問我何等事？我亦報王何等事？」那先自念：「王所問者，我亦悉解之。」念此事至天明。

> 那先が去った後、王はひそかにこう考えた。「私は那先に何を問うたのか。那先は私のために何を説いてくれたのか。」王はさらに考えた。「私が問うたことについて、那先が私の意を解さなかったことはなかった。」那先は寺に戻り、またこう考えた。「王は私に何を問うたのか。私は王に何を答えたのか。」那先はこうも考えた。「王が問うたことについて、私はすべて解き明かしたのだ。」そして、このことを考えながら夜が明けるまで過ごした。

明日，那先被袈裟持鉢直入宮上殿坐，王前為那先作禮已乃却坐。王白那先：「那先適去，我自念：問那先何等語？那先報我何等語？我又自念：所問那先，那先莫不解我意者。念是語歡喜，安臥至明。」那先言：「我行歸舍亦自念：王為問我何等事？我亦為王解何等事？我復自念：王所問，我輒為解之。用是故，歡喜至明。」語竟，那先欲去，王便起，為那先作禮。

> 翌日、那先は袈裟をまとい鉢を手に持って、そのまま宮中に入り、大殿に上がって座りました。王は那先の前に進み出て礼拝をし、それから退いて座りました。王は那先に申し上げました。「那先よ、あなたがお帰りになった後、私はこう考えました。『私は那先にどのような質問をしたのか。那先は私にどのような答えを返してくれたのか。』そしてまた、こうも思いました。『私が那先にお尋ねしたことについて、那先は一つとして私の意図を理解できないことはなかった。』このことを考えると喜びが湧き、安心して朝までよく眠れました。」那先が言いました。「私も寺に帰ってから、こう考えました。『王は私にどのようなことをお尋ねになったのか。私は王のためにどのようなことを解き明かしたのか。』そしてまた、こうも思いました。『王がお尋ねになったことに対し、私はその都度お答えした。』そのゆえに、私もまた喜び、朝まで過ごしました。」話が終わり、那先が立ち去ろうとすると、王は立ち上がって、那先に礼拝をしました。

## 那先比丘經卷下

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