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法界次第初門 (法界次第初門)


三歸戒初門第十三

三帰戒初門第十三

一歸佛 二歸法 三歸僧

仏に帰依します 法に帰依します 僧に帰依します

次十善而辨三歸者。如來未興於世。爾時已有十善之化。是為世間舊善。豈有三寶之可歸。大聖初成正覺。方因提謂長者。開授三歸之戒。翻邪歸正。以為入聖之根本。三乘行者。歸宗進行。此為初首也。三歸之用。正破三邪。濟三塗。接三乘。出三有。佛法以此三歸為本。通發一切戒品及諸出世善法。豈同十善之舊法耶。問曰。十二門禪亦是舊法。今何故不三歸前說。答曰。若依說教時節實如所問。但今欲次論修行戒定之次。則不得爾。今次三歸之下。備出諸戒科目。並同此意。

さて、十善に続いて三帰を説くことについて。

如来が世に現れるより以前、すでに十善の教えは存在していた。これは世間における古来の善であり、そこには三宝に帰依するということはなかった。

大聖(釈尊)が初めて正覚を成就された際、提謂長者という人物を通して、三帰の戒めを開示された。これは邪を離れて正に帰する道であり、聖者となるための根本である。三乗の修行者は、この教えに帰依して修行に励むのであり、これが出発点となるのである。

三帰の働きとは、まさに三つの邪を破り、三つの苦しみの世界から救い出し、三乗へと導き、三つの生存の領域を超え出させるものである。仏法はこの三帰を根本として、すべての戒律や出世の善法を生み出す。どうして、これを十善のような古い法と同じように語ることができようか。

問う:十二門禅もまた古い法である。なぜ三帰の前に説かないのか。

答える:もし説法の順序だけに従えば、確かにあなたの言う通りである。しかし、ここでは修行における戒と定の順序を論じようとしているため、そのようにはならない。現在、三帰に続けて、諸々の戒の項目を詳しく示しているのも、すべてこの意図に基づくものである。

一歸依佛 佛陀秦言覺者。自覺覺他。故名為佛。歸者以反還為義。反邪師還事正師。故名歸。依者憑也。憑心靈覺。得出三塗及三界生死也。故經云。歸依於佛者。終不更歸依其餘諸外天神也。

一、仏への帰依。仏陀は秦の言葉で覚者といいます。自ら覚り、他をも覚らせるので、仏と名づけます。帰とは立ち返ることを意味します。誤った師を離れて正しい師に立ち返るので、帰と名づけます。依とは頼ることです。心の霊覚に頼って、三途および三界の生死を出ることができるのです。それゆえ経にこう説かれています。仏に帰依する者は、ついに他のもろもろの外道の神々に帰依することはない、と。

二歸依法 達磨秦言法。法云可軌。大聖所說。若教若理。可為心軌。故言法也。歸者反邪法還修正法。故名歸。依者憑佛所說。法得出三塗及三界生死。故經云。歸依於法者。永離於殺害。

二、法への帰依。達磨は秦の言葉で法といいます。法とは軌となるべきものという意味です。大聖が説かれたもの、それが教えであれ理であれ、心の軌とすることができます。それゆえ法というのです。帰とは、邪な法を改めて正しい法に立ち返ることです。それゆえ帰というのです。依とは、仏の説かれた法にすがり、三塗および三界の生死を出ることができるということです。それゆえ経に「法に帰依する者は、永遠に殺害を離れる」と説かれています。

三歸依僧 僧伽秦言眾。眾名和合。出家三乘行者。心與佛所說事理法合。故名為僧。歸者反九十五種邪行之侶。歸心出家三乘正行之伴。故名歸。依者憑心出家三乘正行伴。得出三塗及三界生死。故經云。歸依於僧者。永不復更歸依其餘諸外道也。

三、僧への帰依。僧伽とは、中国の言葉では「衆」といいます。衆とは和合という意味です。出家して三乗を修行する者たちが、その心を仏の説かれた事と理の法に合わせるので、これを僧と名づけます。帰とは、九十五種の邪行の仲間から立ち返り、心を出家して三乗の正行を共にする仲間に帰することです。それゆえ帰と名づけます。依とは、心を出家して三乗の正行を共にする仲間に託し、三途および三界の生死から抜け出ることです。ですから経に「僧に帰依する者は、永遠に再び他のもろもろの外道に帰依することはない」と説かれています。


12 十善初門
14 五戒初門

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