四空定初門第十七
一虛空處定 二識處定 三無所有處定四非有想非無想處定
次無量心而。辨四空處定者。四無量心中。雖有大功德。而未免形質之患累。若行人厭色如牢獄者。則心心樂欲出離色籠。故次無量以明四空處定。通言空者。此四定體無形色。故名為空。各依所證之境。為處境法持心。心無分散。故名定也。
一空處定 若滅三種色緣空而入定者。名空處定。行者厭患色如牢獄。心欲出離。即修觀智。破於色故過一切色相。滅有對相。不念種種相。入無邊虛空處。心與虛空之法相應。是為虛空處定。
二識處定 若捨空緣識而入定者。名識處定。行者厭患虛空。虛空無邊。緣多則散。能破於定。即捨虛空。轉心緣識。心與識法相應。名為識處定。
二つの識処定について説明します。もし「空」という対象を捨てて、「識」に心を向けて定に入るならば、これを識処定と呼びます。 修行者は虚が無限に広がっていることを厭います。虚空は際限がなく、対象が多すぎると心が散り、定を破ってしまいます。そこで虚空を捨て、心を切り替えて識(認識そのもの)に集中します。心がこの識の働きと調和した状態を、識処定と名づけます。
三無所有處定 若捨識處心。依無所有法而入定者。名無所有處定。行者厭患於識三世之識無邊。緣多則散能破於定。故捨緣識。轉心依無所有法。心與無所有法相應。名為無所有處定。有人解云。捨多識取少識。緣之入定。名無所有處定也。
三無所有處定(三番目の無所有処定)。もし識無辺処を捨てて、心を「何もない」という状態に依らせて入定するならば、これを無所有処定と名づける。修行者は、過去・現在・未来という三世にわたる識が限りなく広がることを厭い、多くの対象に心を散らせば定を壊してしまうと知る。それゆえ、識への執着を捨て、心を転じて「何も存在しない」という真理に依らせる。心がその「無所有」の状態と調和したとき、これを無所有処定と呼ぶ。ある人は次のようにも解説している。多くの識の対象を捨てて、わずかな対象だけを取って定に入ることを、無所有処定というのである。
四非有想非無想定。若捨二邊之想而入定者。名非有想非無想定。行者厭患無所有處想如癡。有想處如癰如瘡。更有定名非有想非無想處。即捨無所有處。緣念非有非無想之法。心與非有非無想法相應。是為非有想非無想處定。亦云。凡夫外道得此定。謂證涅槃。斷一切想。故言非有想。佛弟子如實知有細想。依四眾而住。故云非無想得失。合而立名。故云非有想非無想處定。略明三界十二門禪。極在於此也。
四非有想非無想定とは、二つの考えを捨てて入定するものを、非有想非無想定といいます。修行者は、無所有処の考えを「愚か」と厭い、有想処を「できもの」や「傷」のようだと嫌います。ここに、非有想非無想処という別の定があります。すなわち、無所有処を捨てて、有とも無ともつかない考えを念じ、心がその有でも無でもない考えと相応するものです。これが非有想非無想処定です。また、凡夫や外道がこの定を得ると、涅槃を証したと思い、あらゆる考えを断つことから「非有想」といいます。仏弟子は、実際には細かな考えがあることを知り、四衆に依って住することから「非無想」といいます。その得失を合わせて名付けたので、非有想非無想処定というのです。三界の十二門禅を簡潔に言えば、その極みはここにあります。