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title: "法界次第初門 · 18 六妙門初門"
description: "智顗是隋代天台宗创始人，被尊为智者大师。《法界次第初門》是他系统阐述佛教修行次第的重要著作，成书于隋朝佛教鼎盛时期。该书以清晰层次解析佛法名相与修行阶位，从基础概念到深奥义理，逐步引导学人深入法界实相。内容涵盖三观、十乘等天台核心教义，体现止观并重的修行特色。作为天台宗根本典籍之一，本书对汉传佛教教理体系化影响深远，为后世学佛者提供了系统化的修行指南，在中国佛教史上具有重要地位。"
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### 六妙門初門第十八

> 六妙門 初門 第十八 六つの妙なる法門、その初めの門、第十八章

一數　二隨　三止　四觀　五還　六淨

> 一に数息、二に随息、三に止息、四に観息、五に還息、六に浄息。

次四空定而辨六妙門者。前來所明禪定。雖復深遠。而並是世間舊法。從初至後。厭下攀上。地地之中。都未有觀慧照了出世方便。故凡夫外道。修得此十二門禪。不能發真悟道。是以生死無絕。意在此也。今之六法。前三是定。後三是慧。定愛慧察。能發真明。出離生死。豈同上也。此六通言妙門者。涅槃為妙門。謂能通六法。次第相通。能至真妙泥洹。故云妙門。一家所明。有十種六妙門。今但略出次第相生一科。六門以為次者。此六門既是亦有漏亦無漏禪。於餘亦有漏亦無漏禪中。淺而且局。故以為次也。

> 次に、四空定を経て六妙門を明らかにします。 これまで述べてきた禅定は、確かに深遠ではありますが、いずれも世間の古い修行法に過ぎません。 初めから終わりに至るまで、下の境地を厭い上の境地を慕い、各境地ごとに進んでいくものの、そこには智慧の観照によって出世の道を明らかにする方便がまったくありません。 そのため凡夫や外道がこの十二門の禅を修得しても、真理を悟ることができません。 生死が絶えないのは、まさにこの点に原因があるのです。 今の六つの法は、前三つが定であり、後三つが慧です。 定に愛着せず、慧によって観察することで、真実の智慧が現れ、生死を離れることができます。 どうして同じでありましょうか。 これらの六法を総じて「妙門」と呼ぶのは、涅槃こそが妙なる門であるからです。 すなわち、この六法が次第に相通じて、真実の妙なる涅槃に至ることができるので、「妙門」と言います。 一つの学派が明らかにするところでは、十種の六妙門がありますが、 今はただ、次第に生じ合う関係を示す一段のみを略説します。 六門を順序立てるのは、この六門が有漏であり無漏でもある禅定であり、 他の有漏であり無漏でもある禅定の中でも、浅く限定的であるからです。 よって、このように順序を定めるのです。

一數息門　攝心在息。從一至十。名之為數。行者為修無漏真法。先須調心入定。欲界麁散難攝。非數不治。故須善調身息。從一至十。則麁亂靜息。心神停住。是為入定之要。故以數息。為妙門也。

> 第一に、数息門。 心を息に集中させます。一から十まで数えること、これを「数」といいます。 修行者が煩悩を離れた真実の教えを修めるためには、まず心を整えて精神統一をする必要があります。欲界の心は粗く散りやすいため、呼吸を数える方法でなければ対処できません。 だからこそ、身体と呼吸をうまく整え、一から十まで数えていくと、粗い心の乱れは静まり、精神は落ち着きます。 これこそが精神統一に入るための大切な要点です。 それゆえ、数息は素晴らしい教えへの入り口なのです。

二隨息門　細心依息。知入知出。故曰為隨。行者雖因數息心住而禪定未發。若猶存數則心有起念之失。故須放數修隨。心依於息。入時知入。出時知出。長短冷暖。皆悉知之。若心安明淨。因是則諸禪自發。故以隨為門也。

> 二、随息という方法。心を細やかに息に寄り添わせ、息を吸うこと・吐くことをはっきりと知る。そのため「随」と呼ぶのである。 修行者は数息によって心がとどまるようになっても、まだ禅定は発現していない。もしそれでも数を数え続ければ、心に余計な思いを起こすという欠点がある。そこで、数を放って「随」を修めるべきである。 心を息に寄り添わせ、息を吸うときには吸うことを知り、吐くときには吐くことを知る。息の長い短い、冷たい温かいということも、すべてをありのままに知るのである。 もしこのようにして心が安らかで明るく清らかになれば、これを縁として様々な禅定が自然に発現する。だからこそ

三止門　息心靜慮。名之為止。行者雖因隨息心安明淨。而定猶未發。若心依隨。則微有起想之亂。澄渟安隱。莫若於止。故捨隨修止。是中多用凝心止也。凝心寂慮。心無波動。則諸禪定自然開發。故以止為門。

> 三つの止の門について 心を静め、静かに省察することを「止（し）」といいます。修行者は呼吸に心を合わせることで心が安らかに澄み渡るようになりますが、まだ本当の静寂は現れていません。もし心が呼吸に頼り続けると、わずかながら想いが起こる乱れがあります。心を澄ませて平安に落ち着くには、「止」にまさるものはありません。そこで、呼吸に合わせる修行を捨てて、止の修行に進むのです。 ここでは主に、心を集中して静める「凝心止」を用います。心を集中させ、静かに省察し、心に動揺がなければ、様々な禅定が自然に開けてきます。それゆえ、「止」を門とするのです。

四觀門　分別推析之心名為觀。行者雖因止證諸禪定。而解慧未發。若住定心。則有無明味著之乖。故須推尋檢析所證禪定。是中多用實觀四念處也。若觀心分明。則知五眾虛誑。破四顛倒及我等十六知見。顛倒既無。無漏方便因此開發。故以觀為門。

五還門　轉心反照。名之為還。行者雖修觀照。而真明未發。若計有我能觀析破於顛倒。則計我之惑。還附觀而生。同於外道。故云是諸外道計著。觀空智慧。不得解脫。若覺此患。即當轉心反照能觀之心。若知能觀之心虛誑無實。即附觀執我之倒自亡。因是無漏方便自然而朗。故以還為門。

六淨門　心無所依。妄波不起。名之為淨。行者修還之時。雖能破觀之倒。若真明未發。而住無能所。即是受念。故令心智穢濁覺知。此已不住不著。泯然清淨。因此真明開發。即斷三界結使。證三乘道。故云。其清淨得一心者。則萬邪滅矣。以淨為門。意在此也。