---
title: "大唐西域記 · 序"
description: "大唐西域记由唐代高僧玄奘口述，辩机执笔编纂，成书于贞观二十年（646年）。全书十二卷，详实记录了玄奘西行求法十九年间游历西域、印度等一百三十八国的地理风貌、政治制度、宗教文化及佛教遗迹。作为古代中外交通史的重要文献，该书保存了7世纪中亚南亚的珍贵史料，对研究佛教传播、丝路文明具有不可替代的学术价值。书中对那烂陀寺等佛教圣地的记载尤为详尽，是考证印度佛教史的核心依据，被列为汉传佛教四大旅行记之首，在世界宗教史与地理学领域享有崇高地位。"
url: "https://rushiwowen.co/ja/r/cmbeieis409ugk104ker0a9a4"
---

詳夫天竺之稱，異議糺紛，舊云身毒，或曰賢豆，今從正音，宜云印度。印度之人，隨地稱國，殊方異俗，遙舉總名，語其所美，謂之印度。印度者，唐言月。月有多名，斯其一稱。言諸群生輪迴不息，無明長夜莫有司晨，其猶白日既隱，宵燭斯繼，雖有星光之照，豈如朗月之明。苟緣斯致，因而譬月。良以其土聖賢繼軌，導凡御物，如月照臨。由是義故，謂之印度。印度種姓族類群分，而婆羅門特為清貴，從其雅稱，傳以成俗，無云經界之別，總謂婆羅門國焉。

> インドという呼び名については、昔から諸説あって意見が分かれている。古くは「身毒」といい、あるいは「賢豆」とも呼んだ。今は正しい発音に従って「印度」と言うべきである。インドの人々は、土地によって国号を異にするが、遠くから総称して呼ぶときは、その優れた意味を表して「印度」という。印度とは、唐の言葉で「月」を意味する。月には多くの名前があるが、これもその一つである。衆生が生死を繰り返して休むことがなく、無明の長い夜には夜明けを知らせる者がない。それはちょうど、太陽が沈んだ後に燈火が継がれるようなもので、星の光があっても、どうして明るい月の光に及ぶだろうか。もしこの理由によって、月に譬えられたのである。実に、その国には聖人や賢者が跡を継いで現れ、凡夫を導き万物を治めること、月が照らし臨むかのようである。このような意味から、「印度」と呼ぶのである。インドには種姓（カースト）によって族類が分かれているが、バラモンは特に清らかで尊ばれている。その優雅な呼び名に従って、これを習わしとして伝え、国境の区別はなく、総じてバラモンの国と呼ぶのである。

若其封疆之域，可得而言。五印度之境，周九萬餘里。三垂大海，北背雪山。北廣南狹，形如半月，畫野區分，七十餘國。時特暑熱，地多泉濕。北乃山阜隱軫，丘陵舃鹵；東則川野沃潤，疇壠膏腴；南方草木榮茂；西方土地磽确。斯大概也，可略言焉。

> その国土の広がりについて、おおよそ述べることができる。インドの領域は、周囲が九万余里に及ぶ。三方を海に囲まれ、北側には雪山がそびえている。北は広く南は狭く、その形は半月のようである。国土は区画に分けられ、七十余りの国がある。気候は非常に暑く、土地は湿気が多い。北は山や丘陵が連なり、土地は塩分を含んでいる。東は川と平野が広がり、土壌は肥えて豊かである。南では草木が生い茂り、西の土地は痩せて粗略である。これがおおよその様子であり、簡単に述べればこの通りである。

夫數量之稱，謂踰繕那舊曰由旬。又曰踰闍那，又曰由延，皆訛略也。踰繕那者，自古聖王一日軍行也。舊傳一踰繕那四十里矣；印度國俗乃三十里；聖教所載唯十六里。窮微之數，分一踰繕那為八拘盧舍。拘盧舍者，謂大牛鳴聲所極聞，稱拘盧舍。分一拘盧舍為五百弓，分一弓為四肘，分一肘為二十四指，分一指節為七宿麥，乃至蝨、蟣、隙塵、牛毛、羊毛兔毫、金、水，次第七分，以至細塵，細塵七分，為極細塵。極細塵者，不可復析，析即歸空，故曰極微也。

> 「数量の単位について言えば、踰繕那（ゆぜんな）というものがある。昔の注釈では由旬（ゆじゅん）ともいい、また踰闍那（ゆじゃな）、由延（ゆえん）とも書くが、これらはすべて誤りや省略による呼び方である。踰繕那とは、昔の聖王が一日で軍を進めた距離のことである。古い伝えでは、一踰繕那は四十里とされる。インドの一般的な習慣では三十里とするが、仏典の教えに記されるところでは、わずか十六里とされる。非常に微細な単位に分けていくと、一踰繕那を八つの拘盧舎（くるしゃ）に分ける。拘盧舎とは、大きな牛の鳴き声が聞こえる限りの距離を指して、拘盧舎と呼ぶのである。一拘盧舎を五百の弓に分け、一弓を四つの肘に分け、一肘を二十四の指に分け、一節の指を七つの大麦の粒に分ける。さらに、虱（しらみ）、卵、隙間の塵、牛の毛、羊の毛、兎の毛、金、水と、順に七分の一ずつにしていき、細かい塵に至る。その細かい塵をさらに七分の一にしたものを、極めて細かい塵とする。この極めて細かい塵は、それ以上分割することができない。分割しようとすれば、空に帰してしまうからである。だから、これを極微（ごくみ）と呼ぶのである。」

若乃陰陽曆運，日月次舍，稱謂雖殊，時候無異，隨其星建，以標月名。時極短者，謂剎那也。百二十剎那為一呾剎那，六十呾剎那為一臘縛，三十臘縛為一牟呼栗多，五牟呼栗多為一時，六時合成一日一夜晝三夜三。居俗日夜分為八時晝四夜四，於一一時各有四分。月盈至滿謂之白分，月虧至晦謂之黑分，黑分或十四日、十五日，月有小大故也。黑前白後，合為一月。六月合為一行。日遊在內，北行也；日遊在外，南行也。總此二行，合為一歲。又分一歲以為六時：正月十六日至三月十五日，漸熱也；三月十六日至五月十五日，盛熱也；五月十六日至七月十五日，雨時也；七月十六日至九月十五日，茂時也；九月十六日至十一月十五日，漸寒也；十一月十六日至正月十五日，盛寒也。如來聖教歲為三時：正月十六日至五月十五日，熱時也；五月十六日至九月十五日，雨時也；九月十六日至正月十五日，寒時也。或為四時，春、夏、秋、冬也。春三月謂制呾羅月、吠舍佉月、逝瑟吒月，當此從正月十六日至四月十五日。夏三月謂頞沙荼月、室羅伐拏月、婆羅鉢陀月，當此從四月十六日至七月十五日。秋三月謂頞濕縛庾闍月、迦剌底迦月、末伽始羅月，當此從七月十六日至十月十五日。冬三月謂報沙月、磨袪月、頗勒窶拏月，當此從十月十六日至正月十五日。故印度僧徒依佛聖教坐兩安居，或前三月，或後三月。前三月當此從五月十六日至八月十五日，後三月當此從六月十六日至九月十五日。前代譯經律者，或云坐夏，或云坐臘，斯皆邊裔殊俗，不達中國正音，或方言未融，而傳譯有謬。又推如來入胎、初生、出家、成佛、涅槃日月，皆有參差，語在後記。

> さて、陰陽の曆（こよみ）や運行、日月の位置について、その呼び名は異なっていても、季節の移り変わりに変わりはない。星の位置に従って、月の名前を定めるのである。 時のうち、最も短いものを刹那（せつな）という。百二十刹那を一タ刹那（たせつな）とし、六十タ刹那を一臘縛（ろうばく）とし、三十臘縛を一牟呼栗多（むこりた）とする。五牟呼栗多を一時（いっとき）とし、六時を合わせて一日一夜とする（註：昼に三時、夜に三時）。 世俗では、一日の夜を八時に分ける（註：昼に四時、夜に四時、それぞれの時に四分がある）。月が満ちていく半月を白分（びゃくぶん）といい、月が欠けて晦（つごもり）に至る半月を黒分（こくぶん）という。黒分は十四日または十五日あり、月の大小によるのである。黒分が先で白分が後となり、合わせて一か月となる。 六月を合わせて一行（いちぎょう）とする。太陽が内を遊行するのは、北行（ほくぎょう）である。太陽が外を遊行するのは、南行（なんぎょう）である。この二つの行を総合して、一年とする。 また一年を六時に分ける。正月十六日から三月十五日までは次第に暑くなる時期、三月十六日から五月十五日までは最も暑い時期、五月十六日から七月十五日までは雨の時期、七月十六日から九月十五日までは草木が茂る時期、九月十六日から十一月十五日までは次第に寒くなる時期、十一月十六日から正月十五日までは最も寒い時期である。 如来の聖教では、一年を三時に分ける。正月十六日から五月十五日までは熱時（ねつじ）、五月十六日から九月十五日までは雨時（うじ）、九月十六日から正月十五日までは寒時（かんじ）である。 あるいは四時として、春・夏・秋・冬に分ける。春の三か月は制呾羅月（せいたらがつ）、吠舎佉月（ばいしゃきょがつ）、逝瑟吒月（せいしつたがつ）といい、これはこちらの正月十六日から四月十五日にあたる。夏の三か月は頞沙荼月（あさだがつ）、室羅伐拏月（しつらばつながつ）、婆羅鉢陀月（ばらはつだがつ）といい、これはこちらの四月十六日から七月十五日にあたる。秋の三か月は頞湿縛庾闍月（あじつばゆしゃがつ）、迦剌底迦月（からちきゃがつ）、末伽始羅月（まきゃしらがつ）といい、これはこちらの七月十六日から十月十五日にあたる。冬の三か月は報沙月（ほうしゃがつ）、磨袪月（まきょがつ）、頗勒窶拏月（はろくこながつ）といい、これはこちらの十月十六日から正月十五日にあたる。 それゆえインドの僧侶たちは、仏の聖教に従って雨安居（うあんご）を行う。あるいは前三月、あるいは後三月である。前三月はこちらの五月十六日から八月十五日にあたり、後三月はこちらの六月十六日から九月十五日にあたる。 かつて経や律を翻訳した人々は、「坐夏（ざげ）」といったり「坐臘（ざろう）」といったりしたが、これらはすべて辺境の異なる風俗であり、中国の正しい音声を理解しておらず、あるいは方言がまだ十分に通じておらず、翻訳に誤りがあったのである。 また、如来の入胎（にゅうたい）、初生（しょしょう）、出家（しゅっけ）、成仏（じょうぶつ）、涅槃（ねはん）の年月日についても、すべて諸説に違いがあるが、その詳細は後記に述べる。

若夫邑里閭閻，方城廣峙；街衢巷陌，曲徑盤迂，闤闠當塗，旗亭夾路。屠、釣、倡、優、魁膾、除糞，旌厥宅居，斥之邑外，行里往來，僻於路左。至於宅居之製，垣郭之作，地勢卑濕，城多壘塼，暨諸牆壁，或編竹木，室宇臺觀，板屋平頭，泥以石灰，覆以甎墼。諸異崇構，製同中夏。苫茅苫草，或塼或板，壁以石灰為飾，地塗牛糞為淨，時花散布，斯其異也。諸僧伽藍，頗極奇製。隅樓四起，重閣三層，榱梠棟梁，奇形彫鏤，戶牖垣牆，圖畫眾綵。黎庶之居，內侈外儉。隩室中堂，高廣有異，層臺重閣，形製不拘。門闢東戶，朝座東面。至於坐止，咸用繩床。王族、大人、士、庶、豪右，莊飾有殊，規矩無異。君王朝座，彌復高廣，珠璣間錯，謂師子床，敷以細㲲，蹈以寶机。凡百庶僚，隨其所好，刻彫異類，瑩飾奇珍。衣裳服玩，無所裁製，貴鮮白，輕雜綵。男則繞腰絡腋，橫巾右袒，女乃襜衣下垂，通肩總覆。頂為小髻，餘髮垂下。或有剪髭，別為詭俗。首冠花鬘，身佩瓔珞。其所服者，謂憍奢耶衣及㲲布等。憍奢耶者，野蠶絲也；叢摩衣，麻之類也；頷𭢉嚴反鉢羅衣，織細羊毛也；褐剌縭衣，織野獸毛也。獸毛細耎，可得緝績，故以見珍，而充服用。其北印度，風土寒烈，短製褊衣，頗同胡服。外道服飾，紛雜異製，或衣孔雀羽尾，或飾髑髏瓔珞，或無服露形，或草板掩體，或拔髮斷髭，或蓬鬢椎髻，裳衣無定，赤白不恒。沙門法服，唯有三衣及僧却崎，泥縛些桑箇反那。三衣裁製，部執不同，或緣有寬狹，或葉有小大。僧却崎唐言掩腋。舊曰僧祇支，訛也，覆左肩，掩兩腋，左開右合，長裁過腰。泥縛些那唐言裙。舊曰涅槃僧，訛也，既無帶襻，其將服也，集衣為襵，束帶以縚，襵則諸部各異，色乃黃赤不同。剎帝利、婆羅門清素居簡，潔白儉約。國王、大臣服玩良異，花鬘寶冠以為首飾，環釧瓔珞而作身佩。其有富商、大賈，唯釧而已。人多徒跣，少有所履。染其牙齒，或赤或黑，齊髮穿耳，脩鼻大眼，斯其貌也。

> さて、邑や里、巷や門の様子を見ると、城壁は高くそびえ立ち、街路や小道は曲がりくねって続いている。市場は大通りの途中にあり、旗亭（はたやど）が道沿いに並んでいる。屠殺者、漁師、芸人、奴隷、料理人、掃除人といった人々は、その住居に印を付けられ、町の外に追いやられ、行き来する際も道の左側を歩くよう定められていた。 住居の造りについては、垣根や城壁は地形が低く湿っているため、城は主に甕（かめ）や煉瓦を積んで作られる。壁は竹や木を編んだり、板屋（いたや）の平屋には石灰を塗り、煉瓦や甕を葺（ふ）いている。高い建物の造りは、中国と同じである。茅（かや）や草で葺いた屋根、あるいは煉瓦や板で覆い、壁は石灰で飾り、床には牛糞（ごふん）を塗って清め、時々の花を散らす。これがインドの独特な風習である。 寺院（僧伽藍）はたいへん奇妙な工夫を凝らしており、四隅に楼閣がそびえ、三重の建物が重なり、垂木（たるき）や梁（はり）には珍しい形の彫刻が施され、扉や窓、壁には様々な色彩の絵が描かれている。一般の民衆の住まいは、内部は贅沢であるが外見は質素である。奥まった部屋や中央の広間は高く広く造られており、幾重にも重なる楼閣や台も形式にこだわらない。門は東側に開き、朝は東を向いて座る。 座るときはみな縄床（じょうしょう、つり床）を用いる。王族、高官、士人、庶民、富豪では装飾に違いがあるが、基本的な作りは同じである。王の座はさらに高く広く、真珠や宝石を鏤（ちりば）めてあり、獅子座（ししざ）と呼ばれ、細かい織物を敷き、宝飾の台を踏み台にする。百官の役人たちは、各自の好みに応じて様々な動物の彫刻や珍しい宝飾で飾り立てる。 衣服や装身具には特に決まった仕立てはなく、清らかな白を尊び、色物を軽んじる。男性は腰に巻き付け、腋（わき）に掛けて、横に布を垂らし右肩を出す。女性は前掛けを垂らし、両肩を覆うようにまとう。頭は小さく髻（もとどり）を結い、残りの髪は垂らす。ひげを剃る者もいて、変わった風俗である。頭には花の飾り（花鬘）をかぶり、身には瓔珞（ようらく）をつける。 服に用いるのは、高世耶衣（こうせやえ）や㲲布（じょうふ）などである。高世耶衣は野生の蚕の糸であり、叢摩衣（そうまえ）は麻の一種である。頷鉢羅衣（がんぱらえ）は細かい羊毛を織ったもので、褐剌縭衣（かつらりえ）は野生動物の毛を織ったものである。獣毛は細かく柔らかいので、紡いで糸にすることができ、そのために珍重され、衣服として用いられる。 北インドは風土が寒く、短い衣服を着て、胡服（こふく）に似ている。外道（異教の修行者）の服装は様々で、孔雀の羽をまとう者、髑髏（どくろ）の瓔珞をつける者、裸の者、草や板で体を覆う者、髪を抜きひげを剃る者、髪を振り乱して髷（まげ）を結う者など、衣服はさまざまで、赤や白など一定しない。 僧侶の正装は、三衣（さんえ）と僧却崎（そうこき）、泥縛些那（にばくしゃな）のみである。三衣の裁ち方は部派によって異なり、縁の広狭や布切れの大きさに違いがある。僧却崎（訳して「掩腋」という。旧に「僧祇支」といったのは訛りである）は、左肩を覆い両腋を隠し、左が開き右が閉じ、長さが腰を過ぎるように裁つ。泥縛些那（訳して「裙」という。旧に「涅槃僧」といったのは訛りである）には帯やループがなく、着用するときは布を集めて襞（ひだ）とし、帯で束ねる。襞の作りは部派によって異なり、色は黄色や赤など様々である。 刹帝利（せっていり、王族）や婆羅門（ばらもん、司祭）は清らかに簡素に暮らし、潔白で質素である。国王や大臣は服装や装飾が非常に異なり、花鬘や宝冠を頭に付け、環や釧（くしろ）、瓔珞を身につける。裕福な商人たちは釧だけをつける。 人々は多くが裸足で、履物を履く者は少ない。歯を染めて赤や黒にしたり、髪を整え耳に穴を開け、鼻が高く目が大きい。これがインドの人々の風貌である。

夫其潔清自守，非矯其志。凡有饌食，必先盥洗，殘宿不再，食器不傳；瓦木之器，經用必棄；金、銀、銅、鐵，每加摩瑩。饌食既訖，嚼楊枝而為淨。澡漱未終，無相執觸。每有溲溺，必事澡灌。身塗諸香，所謂栴檀、欝金也。君王將浴，鼓奏絃歌。祭祀拜祠，沐浴盥洗。

> その清らかさを自ら守ることは、決して偽りの意志によるものではない。食事の際は必ず先に手を洗い、残った食事を翌日に持ち越さず、食器は共用しない。木や土の器は一度使えば捨てる。金・銀・銅・鉄の器は、その都度磨き上げる。食事が終われば、楊枝で口を掃って清める。洗口とすすぎが終わらないうちは、互いに触れ合うことがない。排尿のたびに、必ず水で浴び清める。身体には栴檀や欝金などの香りを塗る。王が沐浴される時には、琴や弦楽器の音が奏でられる。祭祀や拝礼の際には、沐浴して手を洗い清めるのである。

詳其文字，梵天所製，原始垂則，四十七言也。寓物合成，隨事轉用。流演枝派，其源浸廣，因地隨人，微有改變，語其大較，未異本源。而中印度特為詳正，辭調和雅，與天同音，氣韻清亮，為人軌則。隣境異國，習謬成訓，競趨澆俗，莫守淳風。

> その文字は梵天が作られたもので、原初に垂れた規範であり、四十七の音節から成る。事物に寓して合成し、事に随って転用される。流れ伝わり枝派が分かれ、その源は次第に広がった。地により人により、わずかに変わることはあるが、大まかに言えば本源とは異ならない。しかるに中インドはとりわけ詳らかで正しく、言葉は調和して雅やかで、天と同じ響きを持ち、気韻は清らかで明るく、人々の規範となっている。隣国の異邦は、誤りを慣わしとし、浅薄な風俗に競って赴き、淳風を守ることがない。

至於記言書事，各有司存。史誥總稱，謂尼羅蔽荼唐言清藏，善惡具舉，災祥備著。

> 記言や記事については、それぞれ担当の役所がある。史書や詔勅の総称を「尼羅蔽荼」といい<note>唐の言葉で「清蔵」という</note>、善悪をすべて挙げ、災いや吉兆も詳しく記している。

而開蒙誘進，先導十二章。七歲之後，漸授五明大論：一曰聲明，釋詁訓字，詮目疏別。二工巧明，伎術機關，陰陽曆數。三醫方明，禁呪閑邪，藥石針艾。四謂因明，考定正邪，研覈真偽。五曰內明，究暢五乘因果妙理。

> そして、蒙（もう）を開き、進（すす）むべく導くために、まず十二章を教える。七歳の後には、徐々に五明（ごみょう）の大論を授ける。第一に聲明（しょうみょう）——言葉の意味を解き明かし、文字を訓じ、物事の名前や区別を明らかにする。第二に工巧明（くぎょうみょう）——技芸や仕掛け、陰陽や暦数の術を扱う。第三に醫方明（いほうみょう）——呪禁（じゅごん）で邪を退け、薬石や鍼灸（はりきゅう）を用いて病を癒やす。第四に因明（いんみょう）——正邪を定め、真偽を詳しく確かめる。第五に內明（だいみょう）——五乗（ごじょう）の因果の妙理を究め明らかにする。

其婆羅門學四吠陀論：舊曰毘陀，訛也。一曰壽，謂養生繕性。二曰祠，謂享祭祈禱。三曰平，謂禮儀、占卜、兵法、軍陣。四曰術，謂異能、伎數、禁呪、醫方。

> かのバラモンは四つのヴェーダの論を学ぶ。<note>昔は毘陀（びだ）といったが、これは訛りである。</note>第一に寿（じゅ）といい、養生と心身の修養を説く。第二に祠（し）といい、祭祀と祈りを説く。第三に平（へい）といい、礼儀、占い、兵法、軍陣を説く。第四に術（じゅつ）といい、特殊な能力、技芸、呪文、医術を説く。

師必博究精微，貫窮玄奧，示之大義，導以微言，提撕善誘，彫朽勵薄。若乃識量通敏，志懷逋逸，則拘縶反開，業成後已。年方三十，志立學成，既居祿位，先酬師德。其有博古好雅，肥遁居貞、沈浮物外，逍遙事表，寵辱不驚，聲問以遠，君王雅尚，莫能屈迹。然而國重聰叡，俗貴高明，褒贊既隆，禮命亦重。故能強志篤學，忘疲遊藝，訪道依仁，不遠千里。家雖豪富，志均羈旅，口腹之資，巡匃以濟，有貴知道，無恥匱財。娛遊、惰業、媮食、靡衣，既無令德，又非時習，恥辱俱至，醜聲載揚。

> 師は必ず学問の精微を極め、玄奥を究め尽くし、大義を示し、微妙な言葉で導き、教えを説いて善へと引き入れ、朽ちた木を彫り、薄い刃を研ぐように、怠け心を戒めて励ました。もし識見や器量が通暁・敏達で、心が隠遁を志す者であれば、かえって束縛を解き放ち、業が成り終わるのを待った。年がちょうど三十になり、志が立ち学問が成り、禄位に就いてから、まず師の徳に報いた。古を博く好み風雅を愛し、肥遁（隠遁）して貞節を守り、物の外に浮き沈みし、事の表に逍遥して、寵辱に驚かず、名声は遠くに及ぶが、君主が高雅に尊んでも、その節を曲げさせることはできなかった。しかし国は聡叡を重んじ、世は高明を貴び、褒め称えることが既に隆盛であれば、礼遇や任命もまた重かった。それゆえに志を強くして学問に篤く励み、疲れを忘れて芸に遊び、道を訪ねて仁に依り、千里の遠さも厭わなかった。家が豪富であっても、志は旅人のようであり、口腹の糧は乞い歩いて賄い、道を知ることを貴び、財の乏しいことを恥じなかった。遊興に耽り、学業を惰り、美食を貪り、衣を贅沢にする者は、美徳がなく、また時に学ぶこともなく、恥辱が共に至り、醜い名声が広く響いた。

如來理教，隨類得解，去聖悠遠，正法醇醨，任其見解之心，俱獲聞智之悟。部執峯峙，諍論波濤，異學專門，殊途同致。十有八部，各擅鋒銳；大小二乘，居止區別。其有宴默思惟，經行住立，定慧悠隔，諠靜良殊，隨其眾居，各製科防。無云律、論，經是佛經，講宣一部，乃免僧知事；二部，加上房資具；三部，差侍者祇承；四部，給淨人役使；五部，則行乘象輿；六部，又導從周衛。道德既高，旌命亦異。時集講論，考其優劣，彰別善惡，黜陟幽明。其有商搉微言，抑揚妙理，雅辭贍美，妙辯敏捷，於是馭乘寶象，導從如林。至乃義門虛闢，辭鋒挫銳，理寡而辭繁，義乖而言順，遂即面塗赭堊，身坌塵土，斥於曠野，棄之溝壑。既旌淑慝，亦表賢愚。人知樂道，家勤志學。出家歸俗，從其所好。罹咎犯律，僧中科罰，輕則眾命訶責，次又眾不與語，重乃眾不共住。不共住者，斥擯不齒，出一住處，措身無所，羈旅艱辛，或返初服。

> 如来の教えは、聴く人に応じてそれぞれの理解が得られるものである。しかし聖者が遠い昔の方となってからは、正しい教えも次第に薄れていった。人々は自分の見解に従って聞き、それぞれが智慧の悟りを得るとした。宗派は山のようにそびえ立ち、論争は波のように荒れ狂った。異なる学問を専門とする者たちは、道は異なるが同じ目的を目指していた。十八の部派がそれぞれに鋭さを競い、大乗と小乗の二つの乗り物は、その立場を異にしていた。 中には静かに座って瞑想する者、歩きながら経を唱える者、立ちつくす者もいた。禅定と智慧は遠く隔たり、静けさと騒がしさは大きく異なっていた。それぞれの集まりに従って、各自が規則を定めた。 律も論も、経もすべて仏の教えである。一部を講説すれば僧団の雑務を免れ、二部ならば上の房と道具を与えられ、三部ならば侍者が世話をし、四部ならば使用人が使役に供せられた。五部を講ずれば象の乗り物に乗ることを許され、六部ともなれば先導と護衛が従った。道徳が高ければ、表彰もまた異なったのである。 時に集まって講義や議論を行い、その優劣を評価した。善悪を明らかにし、優れた者を引き立て、劣った者を退けた。ある者は微細な教えを論じ、妙なる道理を高め、優雅な言葉で豊かに飾り、巧みな弁舌で機敏に応酬した。そのような者は宝の象に乗り、森のように多くの従者を従えた。 しかし、理屈が空虚で、言葉の切っ先が鈍り、道理が乏しいのに言葉ばかり多く、義に反しているのに言葉だけが滑らかな者があれば、その顔には赤土を塗り、体には塵を浴びせ、荒野に追放し、溝に捨てたのである。このようにして善悪を明らかにし、賢者と愚者を表した。 人々は道を楽しむことを知り、家庭では学問に励んだ。出家も還俗も、その者の好みに任せた。過ちを犯し戒律に違反した者は、僧団の中で処罰された。軽い者は大衆が声を揃えて責め、次は大衆が言葉を交わさず、重い者は大衆が共に住まなかった。共に住まないとは、追放されて仲間外れにされ、その場所を去っても身を寄せるところがなく、旅路で苦労し、あるいは在家に戻ることもあった。

若夫族姓殊者，有四流焉：一曰婆羅門，淨行也。守道居貞，潔白其操。二曰剎帝利，王種也舊曰剎利，略也。奕世君臨，仁恕為志。三曰吠奢舊曰毘舍，訛也，商賈也。貿遷有無，逐利遠近。四曰戍陀羅舊曰首陀，訛也，農人也。肆力疇壠，勤身稼穡。凡茲四姓，清濁殊流，婚娶通親，飛伏異路，內外宗枝，姻媾不雜。婦人一嫁，終無再醮。自餘雜姓，寔繁種族，各隨類聚，難以詳載。

> まず、種族には四つの区分がある。第一にバラモン（婆羅門）は、清らかな行いを守る者である。道を守り節操を保ち、その振る舞いは潔白である。第二にクシャトリヤ（刹帝利）は、王族の家系である（昔は「刹利」と呼んだが、これは省略形である）。代々国を治め、慈愛と思いやりを志とする。第三にヴァイシャ（吠奢。昔は「毘舍」と呼んだが、これは訛りである）は、商人である。物資を売買して流通させ、遠方へも利益を求めて赴く。第四にシュードラ（戍陀羅。昔は「首陀」と呼んだが、これも訛りである）は、農民である。田畑で力を尽くし、農作業に勤しむ。これら四つの姓は、清い者と濁った者が流れを異にし、結婚や親族関係を結ぶこともなく、その性質は飛ぶ鳥と地を這う虫のように異なる。内も外も、宗家と分家の間でも、婚姻を交えることはない。女性は一度嫁げば、終生再婚することはない。これら以外の雑多な姓は、実に多くの種族があり、それぞれが同類で集まり暮らしているので、詳しく記すことは難しい。

君王奕世，唯剎帝利。篡弑時起，異姓稱尊。國之戰士，驍雄畢選，子父傳業，遂窮兵術。居則宮廬周衛，征則奮旅前鋒。凡有四兵：步、馬、車、象。象則被以堅甲，牙施利距，一將安乘，授其節度，兩卒左右，為之駕馭。車乃駕以駟馬，兵帥居其乘，列卒周衛，扶輪挾轂。馬軍散禦，逐北奔命。步軍輕捍，敢勇充選，負大樐，執長戟，或持刀劍，前奮行陣。凡諸戎器，莫不鋒銳，所謂矛、楯、弓、矢、刀、劍、鉞、斧、戈、殳、長矟、輪索之屬，皆世習矣。

> 王者の位は代々、ただ刹帝利（武士階級）だけが継いできた。しかし、篡奪や弑逆が時折起こり、異姓の者が尊称を名乗ることもあった。国の戦士は、勇猛で秀でた者たちがすべて選ばれ、父子でその業を伝え、やがて兵法を極めるに至った。平時には宮殿や城郭を周囲から守り、征伐の際には奮闘して先鋒となる。軍には四つの兵種がある。歩兵、騎兵、車兵、象兵である。象には堅い鎧を着せ、牙には鋭い刃を施し、一人の将軍が安定して乗り、その指揮に任せ、二人の兵卒が左右にいて操縦を担う。車は四頭の馬に引かせ、将帥がその上に乗り、兵卒を周囲に配して、車輪や車軸の周りを守る。騎兵は散開して自在に駆け、敗走する敵を追撃する。歩兵は軽快で勇敢であり、剛勇な者が選ばれて、大きな盾を背負い、長い戟を手にし、あるいは刀や剣を持って、陣列の先頭で奮戦する。およそすべての兵器は、鋭利でないものはない。いわゆる矛、盾、弓、矢、刀、剣、鉞、斧、戈、殳、長矛、車輪の鎖などの類は、すべて代々習い伝えられているのである。

夫其俗也，性雖狷急，志甚貞質，於財無苟得，於義有餘讓，懼冥運之罪，輕生事之業，詭譎不行，盟誓為信，政教尚質，風俗猶和。凶悖群小，時虧國憲，謀危君上，事迹彰明，則常幽囹圄，無所刑戮，任其生死，不齒人倫。犯傷禮義，悖逆忠孝，則劓鼻，截耳，斷手，刖足，或驅出國，或放荒裔。自餘咎犯，輸財贖罪。理獄占辭，不加刑扑，隨問欵對，據事平科。拒違所犯，恥過飾非，欲究情實，事須案者，凡有四條：水、火、稱、毒。水則罪人與石，盛以連囊，沈之深流，校其真偽；人沈石浮則有犯，人浮石沈則無隱。火乃燒鐵，罪人踞上，復使足蹈，既遣掌案，又令舌舐；虛無所損，實有所傷。懦弱之人不堪炎熾，捧未開花，散之向焰；虛則花發，實則花焦。稱則人石平衡，輕重取驗；虛則人低石舉，實則石重人輕。毒則以一羖羊，剖其右髀，隨被訟人所食之分，雜諸毒藥置右髀中；實則毒發而死，虛則毒歇而穌。舉四條之例，防百非之路。

> その国の風習について述べよう。人々の性質はせっかちではあるが、志は非常に質実で正直である。財産については不正に得ようとせず、義については進んで譲り合う。冥々の報いを恐れ、現世の営みを軽んじる。欺瞞や偽りは行われず、盟約や誓いを何より信頼する。政教は質素を重んじ、風俗は穏やかである。 凶暴で粗暴な者たちが時に国の法を破り、君上を害そうと企てることがあれば、その事跡が明らかになると、常に牢獄に幽閉されるが、刑罰として殺されることはなく、その生死は自然に任せられ、人倫の交わりからは外される。 礼儀や義理を犯し、忠孝に背く罪があれば、鼻を削ぎ、耳を切り、手を断ち、足を刈るか、あるいは国外に追放し、辺境の地に流す。 その他の過ちや罪に対しては、財を納めて罪を贖わせる。裁判や訴訟の扱いでは、むやみに刑罰や鞭打ちを加えず、問いに応じて率直に答えさせ、事実に基づいて公平に罪を定める。 もし罪を否認し、過ちを恥じて言い逃れを企て、隠し事をする者がいれば、真実を明らかにするために事実を確かめる方法が四つある。すなわち、水・火・秤・毒である。 水の試練では、罪人と石を連なった袋に入れ、深い流れに沈めて真偽を確かめる。人が沈み石が浮かべば罪ありとし、人が浮かび石が沈めば隠し立てはないとする。 火の試練では、鉄を焼いて罪人をその上に坐らせ、足で踏ませる。さらに手を焼けた鉄に触れさせ、舌で舐めさせる。偽りがなければ何の傷もなく、真実の罪があれば傷を負う。臆病な者は炎の熱さに耐えられず、まだ開かぬ花を手に取り、炎に向かって散らす。偽りであれば花は開き、真実であれば花は焦げる。 秤の試練では、人と石を釣り合わせ、その軽重によって真偽を確かめる。偽りであれば人が低く石が持ち上がり、真実であれば石が重く人が軽くなる。 毒の試練では、一頭の雄羊を用意し、その右の腿の肉を切り裂き、訴訟を起こされた者が食べる分に応じて、様々な毒薬を混ぜて右の腿の中に入れる。真実の罪があれば毒が発して死に、偽りであれば毒は収まり蘇生する。 この四つの試練の方法を定めて、あらゆる悪事を防ごうとしているのである。

致敬之式，其儀九等：一發言慰問，二俯首示敬，三舉手高揖，四合掌平拱，五屈膝，六長踞，七手膝踞地，八五輪俱屈，九五體投地。凡斯九等，極唯一拜。跪而讚德，謂之盡敬。遠則稽顙拜手，近則嗚足摩踵。凡其致辭受命，褰裳長跪。尊賢受拜，必有慰辭，或摩其頂，或拊其背，善言誨導，以示親厚。出家沙門，既受敬禮，唯加善願，無止跪拜。隨所宗事，多有旋繞，或唯一周，或復三匝，宿心別請，數則從欲。

> 敬礼の作法には、九つの段階がある。第一に言葉で安否を問うこと、第二にうつむいて敬意を表すこと、第三に手を挙げて高く揖すること、第四に両手を合わせて胸の前で拱くこと、第五に膝を折ること、第六に長く踞ること、第七に手足と膝を地に着けること、第八に五体をすべて屈めること、第九に五体を地に投げ出すことである。これら九つの段階は、究極的にはただ一度の礼拝に帰する。跪いて徳を称えることを、完全な敬意と呼ぶ。遠い場合は額を地に着けて拱手し、近い場合は足に触れたり踵をもんだりする。言葉を述べて教えを受ける際には、衣の裾を上げて長く跪く。尊い賢者を拝する時には、必ず慰めの言葉がある。あるいは頭を撫で、あるいは背中を軽く叩き、善い言葉で導き、親しみと厚意を示す。出家した沙門は、すでに敬礼を受ける立場にあるが、ただ善き願いを添えるだけで、跪拝にこだわることはない。宗旨に従って、しばしば仏の周りを巡ることがある。あるいは一度だけ、あるいは三度巡る。心からの別の願いがある場合は、その数は望みに従ってよい。

凡遭疾病，絕粒七日。期限之中，多有痊愈；必未瘳差，方乃餌藥。藥之性類，名種不同；醫之工伎，占候有異。

> 病気にかかったときは、七日間断食する。その期間中に、多くは回復する。もしそれでも治らない場合にのみ、ようやく薬を服用する。薬の性質や種類はさまざまであり、医者の技術や診断法もそれぞれ異なる。

終沒臨喪，哀號相泣，裂裳、拔髮、拍額、椎胸。服制無間。喪期無數。送終殯葬，其儀有三：一曰火葬，積薪焚燎。二曰水葬，沈流漂散。三曰野葬，棄林飼獸。國王殂落，先立嗣君，以主喪祭，以定上下。生立德號，死無議諡。喪禍之家，人莫就食；殯葬之後，復常無諱。諸有送死，以為不潔，咸於郭外，浴而後入。至於年耆壽耄，死期將至，嬰累沈痾，生涯恐極，厭離塵俗，願棄人間，輕鄙生死，希遠世路。於是親故知友，奏樂餞會，泛舟鼓棹，濟殑伽河，中流自溺，謂得生天。十有其一，未盡鄙見。出家僧眾，制無號哭，父母亡喪，誦念酬恩，追遠慎終，寔資冥福。

> 人が亡くなると、親族や友人は集まり、大声で泣き叫び、互いに嘆き合う。衣服を裂き、髪を抜き、額を叩き、胸を打つ。喪に服す期間に決まりはなく、服喪の期間も定めがない。 葬送の方法には三つの種類がある。一つ目は火葬で、薪を積み上げて焼く。二つ目は水葬で、川に流して漂わせる。三つ目は野葬で、林に遺体を置いて獣に与える。 国王が亡くなった場合は、まず後継者を立てて喪と祭祀を執り行わせ、上下の秩序を定める。生きている間に徳の称号を贈り、死後に諡号を議論することはない。 喪中の家では、人は誰も食事を共にしない。葬送が終われば、再び日常に戻り、忌避することはない。 葬送を終えた者は不浄とみなされ、皆城外で沐浴してから街に入る。 老年に達し、寿命が尽きようとする者、長患いで苦しみ、命の終わりが近いと悟った者は、世俗を厭い離れ、この世を捨てたいと願う。生と死を軽んじ、遠く離れた場所を望む。 そのような者は、親族や友人に見送られて、音楽を奏で、別れの宴を開き、舟に乗ってガンジス川を渡り、川の流れの真ん中で自ら水に身を投げる。そうすれば天に生まれ変われると信じているのだ。 十人のうち一人ほどが、このような考えを持たないものはいない。 出家した僧侶たちは、大声で泣くことを禁じられている。父母が亡くなった時は、経を唱えて恩に報いる。遠い先祖を想い、終わりを慎むことは、実に冥福に資するのである。

政教既寬，機務亦簡，戶不籍書，人無傜課。王田之內，大分為四：一充國用，祭祀粢盛；二以封建輔佐宰臣；三賞聰叡碩學高才；四樹福田，給諸異道。所以賦斂輕薄，傜稅儉省，各安世業，俱佃口分。假種王田，六稅其一。商賈逐利，來往貨遷，津路關防，輕稅後過。國家營建，不虛勞役，據其成功，酬之價直。鎮戍征行，宮廬營衛，量事招募，懸賞待人。宰牧、輔臣、庶官、僚佐，各有分地，自食封邑。

> 政治はゆるやかで、政務も簡素である。戸籍の台帳はなく、民衆に徭役や課税もない。王の領地は大きく四つに分けられる。第一に国の費用と祭祀の供え物に充て、第二に諸侯や宰相・家臣に封じて与え、第三に聡明で学識の高い者に褒美として与え、第四に福田を植え、様々な宗教者に施すためである。それゆえ、税は軽やかで、負担も少ない。人々はそれぞれの家業に安心し、皆が割り当てられた土地で耕作する。王家の土地を借りて耕す場合は、収穫の六分の一を納める。商人は利益を追い求めて、行き来して品物を売買するが、関所や港の関門では税が軽く、通過の妨げも少ない。国家が建設を行う際には、無駄に人夫を働かせることはなく、その功績に応じて賃金を支払う。辺境の守備や遠征、宮殿や宿舎の警備には、状況に応じて人を募り、報酬を示して人材を待つのである。地方の長官、執政の大臣、一般の役人、家臣たちは、それぞれに領地を持ち、その封地からの収入で生計を立てている。

風壤既別，地利亦殊，花草果木，雜種異名。所謂菴沒羅果、菴弭羅果、末杜迦果、跋達羅果、劫比他果、阿末羅果、鎮杜迦果、烏曇跋羅果、茂遮果、那利葪羅果、般𭫱娑果，凡厥此類，難以備載，見珍人世者，略舉言焉。至於棗、栗、椑、柿，印度無聞；梨、柰、桃、杏、蒲萄等果，迦濕彌羅國已來，往往間植；石榴、甘橘，諸國皆樹。

> 土地の風土はすでに異なり、地の利もまた異なっている。草花や果樹にも、さまざまな種類があり、名前もそれぞれに異なる。いわゆるアーングラ果、アームラ果、マドゥーカ果、バドラ果、カピッタ果、アーマラ果、ティンドゥカ果、ウドゥンバラ果、モーチャ果、ナーリケーラ果、パナーサ果といったものだ。およそこの類のものは、すべてを挙げることは難しいが、世間で珍重されているものを、簡単に挙げてみよう。また、ナツメ、クリ、シバガキ、カキなどの果物は、インドでは知られていない。ナシ、リンゴ、モモ、アンズ、ブドウなどの果物は、カシミール地方より以西では、ところどころに植えられている。ザクロやミカンは、どの国にも植えられている。

墾田農務，稼穡耕耘，播植隨時，各從勞逸。土宜所出，稻麥尤多。

> 田んぼを耕す農作業は、穀物の種をまき、草を取り、耕すことにあります。植え付けや収穫は季節に合わせて行い、それぞれが働き休むのに従います。土地の性質に合った作物として、稲や麦が特に多く取れます。

蔬菜則有薑、芥、瓜、瓠、葷陀菜等；𦵇、蒜雖少，噉食亦希，家有食者，驅令出郭。

> 野菜には、生姜、芥子菜、瓜、瓢箪、そして臭みのある菜（葷陀菜）などがあります。韮と大蒜は少なく、食べる人も稀ですが、もし家で食べる者がいれば、その者は城外に追い出されます。

至於乳、酪、膏、酥、粆糖、石蜜、芥子油、諸餅󰉓，常所膳也。魚、羊、麞、鹿，時廌肴胾。牛、驢、象、馬、豕、犬、狐、狼、師子、猴、猨，凡此毛群，例無味噉，噉者鄙恥，眾所穢惡，屏居郭外，希迹人間。

> 乳、酪、油脂、酥、砂糖、石蜜、芥子油、そして様々な餅菓子は、日常の食べ物である。魚、羊、麞、鹿は、時に料理として食卓に上る。牛、驢馬、象、馬、豚、犬、狐、狼、獅子、猿など、これらの毛を持つ生き物は、いずれも味わって食べることはない。もし食べる者がいれば、それは卑しいこととされ、人々から嫌悪される。そうした者は町の外に離れて住み、人里にはほとんど姿を現さない。

若其酒醴之差，滋味流別：蒲萄、甘蔗，剎帝利飲也；麴糱醇醪，吠奢等飲也；沙門、婆羅門飲蒲萄、甘蔗漿，非酒醴之謂也。雜姓卑族，無所流別。

> 酒や甘酒の違い、その味わいの区別については、ブドウ酒やサトウキビ酒はクシャトリヤ（王族・武士）が飲むものである。穀物から醸した濃い酒はヴァイシャ（商人・農民）などが飲むものである。沙門（修行者）や婆羅門（バラモン）はブドウやサトウキビの汁を飲むが、それは酒や甘酒とは呼ばない。雑姓の身分の低い者たちには、特に区別はない。

然其資用之器，巧質有殊；什物之具，隨時無闕。雖釜鑊斯用，而炊甑莫知。多器坯土，少用赤銅。食以一器，眾味相調，手指斟酌，略無匙箸，至於老病，乃用銅匙。

> しかし、その生活に使う道具については、作りの質に違いがある。身の回りの品々は、時代に応じて欠けることがない。釜や鍋は使うものの、蒸し器の使い方は知られていない。陶器が多く使われ、銅器は少ない。食事は一つの器に盛られ、さまざまな味が混ぜ合わされる。手の指で量を調節して食べ、匙や箸はほとんど使わない。ただし、老人や病人には、銅の匙を用いる。

若其金、銀、鍮石、白玉、火珠，風土所產，彌復盈積。奇珍雜寶，異類殊名，出自海隅，易以求貿。然其貨用，交遷有無，金錢、銀錢、貝珠、小珠。

> もし国の中に金、銀、銅、白玉、火珠といったものが、その土地の風土に応じて産出され、ますます豊かに蓄えられている。珍しい宝やさまざまな宝石は、種類も名前も異なり、海辺の地域から産出され、容易に取引することができる。しかし、その財貨は、有る無いを交換するために用いられ、金銭・銀銭・貝殻・小さな真珠などが使われている。

印度之境，疆界具舉，風壤之差，大略斯在，同條共貫，粗陳梗概，異政殊俗，據國而敘。

> インドの地は、国境がすべて明らかにされ、風土の違いもそのおおまかな様子はここに示されている。共通の筋道をたどりながら、大まかな概要を述べ、それぞれの国の異なる政(まつりごと)や風俗については、国ごとに順を追って記していく。