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title: "大唐西域記 · 烏仗那國"
description: "大唐西域记由唐代高僧玄奘口述，辩机执笔编纂，成书于贞观二十年（646年）。全书十二卷，详实记录了玄奘西行求法十九年间游历西域、印度等一百三十八国的地理风貌、政治制度、宗教文化及佛教遗迹。作为古代中外交通史的重要文献，该书保存了7世纪中亚南亚的珍贵史料，对研究佛教传播、丝路文明具有不可替代的学术价值。书中对那烂陀寺等佛教圣地的记载尤为详尽，是考证印度佛教史的核心依据，被列为汉传佛教四大旅行记之首，在世界宗教史与地理学领域享有崇高地位。"
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烏仗那國，周五千餘里，山谷相屬，川澤連原。穀稼雖播，地利不滋。多蒲萄，少甘蔗，土產金、鐵，宜欝金香，林樹蓊欝，花果茂盛。寒暑和暢，風雨順序。人性怯懦，俗情譎詭。好學而不功，禁呪為藝業。多衣白㲲，少有餘服。語言雖異，大同印度。文字禮儀，頗相參預。崇重佛法，敬信大乘。夾蘇婆伐窣堵河，舊有一千四百伽藍，多已荒蕪。昔僧徒一萬八千，今漸減少。並學大乘，寂定為業，善誦其文，未究深義，戒行清潔，特閑禁呪。律儀傳訓，有五部焉：一法密部，二化地部，三飲光部，四說一切有部，五大眾部。天祠十有餘所，異道雜居。堅城四五，其王多治瞢揭釐城。城周十六七里，居人殷盛。

> 烏仗那国は、周囲の長さが約五千里ある。山と谷が連なり、川や沼が原野に続いている。穀物はまかれているが、土地の恵みは十分ではない。葡萄が多く、甘蔗は少ない。土産物としては金や鉄があり、欝金香に適している。森林は鬱蒼と茂り、花や果実も豊かに実る。寒暑は穏やかで、風雨も時節にかなっている。 人々の気質は臆病で、世間の習慣は曲がりくねっている。学問を好むが熱心ではなく、呪文を唱えることを生活の技としている。多くは白い木綿の衣をまとい、他の衣服を身につける者は少ない。言葉は異なるが、おおむねインドと共通している。文字や礼儀作法も、かなりインドのそれと通じるところがある。 仏法を厚く敬い、大乗を深く信じている。スヴァーヴァストゥ川に沿って、かつては一千四百の伽藍があったが、多くはすでに荒れ果てている。昔は僧侶が一万八千人いたが、今は次第に減少している。彼らは皆、大乗を学び、静かに瞑想することを業としている。経典の文をよく暗誦するが、その深い意味までは究めていない。戒律は清らかに保たれ、特に呪文に精通している。 戒律の伝承には五つの部派がある。すなわち、法密部、化地部、飲光部、説一切有部、大衆部である。神を祀る祠は十余所あり、異なる教えを信奉する者たちが雑居している。 堅固な城が四五つあり、その王は多く瞢揭釐城に治所を置いている。城の周囲は十六七里で、住人は多く、繁盛している。

瞢揭釐城東四五里有窣堵波，極多靈瑞，是佛在昔作忍辱仙，於此為羯利王唐言鬪諍。舊云哥利，訛也割截支體。

> モウゲイリ城の東、四五里のところにストゥーパ（仏塔）があります。この塔は数多くの霊験あらたかなことで知られています。かつて仏が忍辱仙人として修行されていたとき、この地で羯利王（唐の言葉で「鬪諍」つまり争いを意味します。古くは「哥利」とも呼ばれましたが、これは訛りです）によって、その身の手足を切り裂かれた場所です。

瞢揭釐城東北行二百五六十里，入大山，至阿波邏羅龍泉，即蘇婆伐窣堵河之源也。派流西南，春夏含凍，昏夕飛雪，雪霏五彩，光流四照。此龍者，迦葉波佛時生在人趣，名曰殑祇，深閑呪術，禁禦惡龍，不令暴雨，國人賴之，以稸餘糧。居人眾庶感恩懷德，家稅斗穀以饋遺焉。既積歲時，或有逋課。殑祇含怒，願為毒龍，暴行風雨，損傷苗稼。命終之後，為此池龍。泉流白水，損傷地利。釋迦如來大悲御世，愍此國人獨遭斯難，降神至此，欲化暴龍。執金剛神杵擊山崖，龍王震懼，乃出歸依，聞佛說法，心淨信悟，如來遂制勿損農稼。龍曰：「凡有所食，賴收人田，今蒙聖教，恐難濟給，願十二歲一收糧儲。」如來含覆，愍而許焉。故今十二年一遭白水之災。

> 瞢揭厘城から北東へ二百五六十里進むと、大山の中に入り、阿波邏羅龍泉に至る。ここは蘇婆伐窣堵河の源である。その流れは南西に分かれ、春夏は凍りを含み、朝夕には雪が舞う。雪は五色に輝き、光は四方に照り渡る。 この龍は、迦葉波仏の時代に人間として生まれ、殑祇と名乗った。呪術に深く通じ、悪龍を防ぎ止めて大雨を降らせなかったので、国の人々はこれに頼って余剰の食糧を蓄えることができた。住民たちはその恩恵に感謝し、その徳を慕って、家ごとに斗ほどの穀物を税として納めて彼に贈った。 歳月が積もるにつれ、中には租税を滞納する者も出てきた。殑祇は怒りを抱き、毒龍となって暴風雨を起こし、農作物を損なわせようと願った。命終わった後、この池の龍となったのである。泉は白い水を流し、土地の恵みを損なった。 釈迦如来は大いなる慈悲で世を治め、この国の人々がただ独りこの災難に遭っていることを哀れみ、この地に降り立って暴龍を教化しようとされた。金剛神が杵を持って山の崖を打つと、龍王は震え恐れて出でて帰依した。仏の説法を聞いて心は清らかに悟りを得た。如来はそこで農作物を損なわないようにと制戒された。 龍は言った。「およそ食べるものは、人の田の収穫に頼っております。今、聖なる教えを蒙りましたが、恐らく生計を立てることが難しくなりましょう。どうか十二年ごとに一度だけ収穫をいただくことをお許しください。」 如来は慈しみ深く包み込み、哀れんでこれを許された。それゆえ今も十二年ごとに一度、白い水の災いがあるのである。

阿波邏羅龍泉西南三十餘里，水北岸大磐石上，有如來足所履迹，隨人福力，量有短長，是如來伏此龍已，留迹而去。後人於上積石為室，遐邇相趨，花香供養。順流而下三十餘里，至如來濯衣石，袈裟之文煥焉如鏤。

> 阿波邏羅龍泉の西南、およそ三十里余り、水の北岸にある大きな岩の上に、如来の足跡が残されています。その跡は人の功德の力に応じて、長さに違いがあります。これは如来がこの龍を調伏された後、足跡を残して去られたものです。後の人々がその上に石を積んで室を造り、遠くからも近くからも人々が集まり、花や香を捧げて供養しました。流れに沿って三十里余り下ると、如来が衣を濯がれた石があります。袈裟の紋様が鮮やかに浮かび上がり、あたかも彫り刻まれたかのようです。

瞢揭釐城南四百餘里，至醯羅山，谷水西派，逆流東上，雜華異果，被㵎緣崖，峯巖危險，谿谷盤紆，或聞諠語之聲，或聞音樂之響。方石如塔，宛若工成，連延相屬，接布崖谷。是如來在昔為聞半頌舊曰伽，梵文略也。或曰偈他，梵音訛也。今從正音，宜云伽他。伽他者，唐言頌，頌三十二言也之法，於此捨身命焉。

> 瞢掲釐城を南に四百余里行くと、醯羅山に至る。谷の水は西に流れ出で、逆流して東に上る。様々な花や珍しい果実が、渓谷の縁や崖に沿って茂っている。峰や岩は危険なほど険しく、渓谷は曲がりくねっている。時には騒がしい話し声が聞こえ、時には音楽の響きが聞こえることもある。四角い石が塔のように、まるで人工の作品のように並び、連なり合って、崖や谷に広がっている。これは、かつて如来が半頌の教えを聞くために、この地で身を捧げられた場所である。

瞢揭釐城南二百餘里，大山側，至摩訶伐那唐言大林伽藍。是如來昔修菩薩行，號薩縛達之王唐言一切施，避敵棄國，潛行至此，遇貧婆羅門，方來乞匃。既失國位，無以為施，遂令羈縛，擒往敵王，冀以賞財，迴為惠施。

> 瞢揭釐城の南、二百余里のところ、大山のほとりに、摩訶伐那（大林という）伽藍がある。ここは、如来が昔、菩薩として修行されていたとき、薩縛達王（一切施という）と名乗っておられた。敵を避けて国を捨て、ひそかにこの地にやって来られた。すると貧しいバラモンが現れて、物を乞うた。すでに国の地位を失っておられたので、施すものがなく、自らを縛らせて敵の王のもとへ連れて行かせ、その褒賞の財を、施しとしようとされたのである。

摩訶伐那伽藍西北，下山三四十里，至摩愉摩言豆伽藍。有窣堵波，高百餘尺。其側大方石上，有如來足蹈之迹，是佛昔蹈此石，放拘胝光明，照摩訶伐那伽藍，為諸人、天說本生事。其窣堵波基下有石，色帶黃白，常有津膩。是如來在昔修菩薩行，為聞正法，於此析骨書寫經典。

> 摩訶伐那伽藍の西北、山を下ること三四十里にして、摩愉伽藍に至る。ここにストゥーパがあり、高さは百余尺。その側の大きな平らな石の上に、如来の足跡が残されている。これは仏がかつてこの石の上に立ち、無数の光明を放って摩訶伐那伽藍を照らし、人々や天のために前世の物語を説かれた場所である。そのストゥーパの基壇の下には石があり、色は黄白色を帯び、常に湿り気を帯びている。これは如来が昔、菩薩の道を修行しておられた時、正しい教えを聞くために、ここで自らの骨を折って経典を書写された場所なのである。

摩愉伽藍西六七十里，至窣堵波，無憂王之所建也。是如來昔修菩薩行，號毘迦王唐言與。舊曰尸毘王，訛，為求佛果，於此割身，從鷹代鴿。

> 摩愉伽藍の西、六、七里のところに、窣堵波（ストゥーパ）がある。これはアショーカ王が建てたものである。ここで如来はかつて菩薩の修行を積んでいた頃、毘迦王と称されていた（唐の言葉で「与」という。昔は尸毘王と呼び、これは訛りである）。仏の悟りを求めて、この地で自らの身を切り、鷹から鳩を救うために身を差し出したのである。

代鴿西北二百餘里，入珊尼羅闍川，至薩裒殺地唐言蛇藥僧伽藍。有窣堵波，高八十餘尺。是如來昔為帝釋，時遭饑歲，疾疫流行，醫療無功道，死相屬。帝釋悲愍，思所救濟，乃變其形為大蟒身，僵屍川谷，空中遍告；聞者感慶，相率奔赴，隨割隨生，療飢療疾。其側不遠，有蘇摩大窣堵波。是如來昔為帝釋，時世疾疫，愍諸含識，自變其身為蘇摩蛇，凡有噉食，莫不康豫。

> 北の方、約二百余里行くと、珊尼羅闍川に入り、薩裒殺地という僧伽藍に至る。そこには、高さ八十余尺のストゥーパ（仏塔）がある。これは、かつて如来が帝釈天であった時のものである。その時、飢饉に見舞われ、疫病が流行し、治療も効かず、人々は次々と命を落としていった。帝釈天は深く悲しみ、救済の道を思案した末、自らの姿を大蛇に変え、川辺の谷にその身を横たえた。そして、虚空にその知らせを広く告げた。これを聞いた人々は感激し喜び、我先にと集まって来た。彼らは、蛇の肉を切り取っては食べ、また切り取っては食べたが、その肉は切っても切っても尽きることがなかった。こうして人々は飢えをしのぎ、病を癒したのである。 その近くには、蘇摩という名の大ストゥーパもある。これもまた、かつて如来が帝釈天であった時のものである。当時、世に疫病が流行し、帝釈天はすべての命ある者たちを哀れみ、自らの姿を蘇摩蛇に変えた。この蛇を食べた者は、皆、病から回復し、健康を取り戻したという。

珊尼羅闍川北石崖邊，有窣堵波。病者至求，多蒙除差。如來在昔為孔雀王，與其群而至此，熱渴所逼，求水不獲，孔雀王以𭪿啄崖，涌泉流注。今遂為池，飲沐愈疾。石上猶有孔雀蹤迹。

> サンニーラージャ川の北、岩壁のそばにストゥーパ（仏塔）があります。病を患う者がここに祈ると、多くが癒やしを得られました。かつて如来は孔雀王として生まれ、その群れとともにこの地にやって来ましたが、熱さとのど渇きに苦しめられ、水を求めても得られませんでした。そこで孔雀王は嘴で岩を突いたところ、泉が湧き出て流れ出しました。今ではそれは池となり、飲んだり浴びたりすることで病が治るとされています。岩の上には今もなお、孔雀の足跡が残っています。

瞢揭釐城西南行六七十里，大河東有窣堵波，高六十餘尺，上軍王之所建也。昔如來之將寂滅，告諸大眾：「我涅槃後，烏仗那國上軍王宜與舍利之分。」及諸王將欲均量，上軍王後來，遂有輕鄙之議。是時天人大眾重宣如來顧命之言，乃預同分，持歸本國，式遵崇建。窣堵波側大河濱，有大石，狀如象。昔上軍王以大白象負舍利歸，至於此地，象忽蹎仆，因而自斃，遂變為石，即於其側起窣堵波。

> 瞢揭釐城から南西へ六、七十里行くと、大河の東にストゥーパがある。高さは六十余尺で、上軍王が建てたものである。かつて如来がまさに涅槃に入ろうとする時、皆に告げられた。「私が涅槃に入った後、烏仗那国の上軍王に舎利の一部を与えるべきである。」ところが諸王が舎利を均等に分けようとした時、上軍王は遅れて到着したため、軽んじる意見が出た。その時、天人の大衆が再び如来の遺命の言葉を伝えたので、上軍王は予め分け前を得ることができ、自国の持ち帰って、尊んで供養し建てたのである。ストゥーパの側の大河のほとりに、象の形をした大きな石がある。昔、上軍王が大白象に舎利を載せて帰国する途中、この地に至った時、象が突然倒れて死んでしまい、そのまま石に変わった。そこでその側にストゥーパを建てたのである。

瞢揭釐城西五十餘里，渡大河，至盧醯呾迦唐言赤窣堵波，高五十餘尺，無憂王之所建也。昔如來修菩薩行，為大國王，號曰慈力，於此刺身血以𩚅五藥叉舊曰夜叉，訛也。

> 瞢揭釐城の西、五十里余りのところにある。大河を渡ると、盧醯呾迦（唐の言葉で「赤」という意味）のストゥーパに至る。高さは五十尺余りで、阿育王が建てたものである。昔、如来が菩薩行を修行していた時、慈力という名の大国の王であった。この場所で自らの身の血を刺し出し、五人の薬叉（古くは夜叉と言ったが、これは訛りである）に施したのである。

瞢揭釐城東北三十餘里，至遏部多唐言奇特石窣堵波，高四十餘尺。在昔如來為諸人、天說法開導，如來去後，從地踊出，黎庶崇敬，香華不替。

> 瞢揭釐城の東北三十余里にして、遏部多（唐の言葉で奇特という）石窣堵波に至る。高さ四十余尺なり。昔、如来が人々や天のために説法し導かれた後、如来が去りし後、地より湧き出でたものである。人々は敬い崇め、香や花を絶やすことがなかった。

石窣堵波西渡大河三四十里，至一精舍，中有阿縛盧枳低濕伐羅菩薩像唐言觀自在。合字連聲，梵語如上；分文散音，即阿縛盧枳多譯曰觀，伊濕伐羅譯曰自在。舊譯為光世音，或云觀世音，或觀世自在，皆訛謬也。威靈潛被，神迹昭明，法俗相趨，供養無替。

> 石のストゥーパ（仏塔）から西へ大河を渡ること三、四十里にして、一つの精舎に至る。その中に阿縛盧枳低濕伐羅菩薩の像がある<note>唐の言葉で「観自在」という。字母を合わせて音にすれば、梵語は上記の通りである。文字を分けて音を説けば、すなわち阿縛盧枳多は「観」と訳し、伊濕伐羅は「自在」と訳す。古くは「光世音」と訳し、あるいは「観世音」「観世自在」というが、いずれも誤りである</note>。その威徳と霊力は静かに人々を守り、神々しい跡は明らかに現れている。僧俗ともにそのもとへ集い、供養は絶えることがない。

觀自在菩薩像西北百五十里，至藍勃盧山。山嶺有龍池，周三十餘里，淥波浩汗，清流皎鏡。

> 観自在菩薩の像から北西に百五十里進むと、藍勃盧山に至る。山の頂上には竜の池があり、周囲は三十余里、青い波が広がり、清らかな流れは鏡のように澄み渡っている。

昔毘盧釋迦王前伐諸釋，四人拒軍者，宗親擯逐，各事分飛。其一釋種，既出國都，跋涉疲弊，中路而止。時有一雁，飛趣其前，既以馴狎，因即乘焉。其雁飛翔，下此池側。釋種虛遊，遠適異國，迷不知路，假寐樹陰。池龍少女，遊覽水濱，忽見釋種，恐不得當也，變為人形，即而摩拊。釋種驚寤，因即謝曰：「羈旅羸人，何見親拊？」遂欵殷勤，凌逼野合。女曰：「父母有訓，祗奉無違。雖蒙惠顧，未承高命。」釋種曰：「山谷杳冥，爾家安在？」曰：「我此池之龍女也。敬聞聖族流離逃難，幸因遊覽，敢慰勞弊。命有讌私，未聞來旨。況乎積禍，受此龍身，人畜殊途，非所聞也。」釋種曰：「一言見允，宿心斯畢。」龍女曰：「敬聞命矣，唯所去就。」釋種乃誓心曰：「凡我所有福德之力，令此龍女舉體成人。」福力所感，龍遂改形，既得人身，深自慶悅。乃謝釋種曰：「我積殃運，流轉惡趣。幸蒙垂顧，福力所加，曠劫弊身，一旦改變。欲報此德，糜軀未謝。心願陪遊，事拘物議。願白父母，然後備禮。」龍女還池，白父母曰：「今者遊覽，忽逢釋種，福力所感，變我為人，情存好合，敢陳事實。」龍王心欣人趣，情重聖族，遂從女請。乃出池而謝釋種曰：「不遺非類，降尊就卑，願臨我室，敢供灑掃。」釋種受龍王之請，遂即其居。於是龍宮之中，親迎備禮，燕爾樂會，肆極歡娛。釋種覩龍之形，心常畏惡，乃欲辭出。龍王止曰：「幸無遠舍，隣此宅居，當令據疆土，稱大號，總有臣庶，祚延長世。」釋種謝曰：「此言非冀。」龍王以寶劍置篋中，妙好白㲲，而覆其上。謂釋種曰：「幸持此㲲以獻國王，王必親受遠人之貢，可於此時害其王也。因據其國，不亦善乎？」釋種受龍指誨，便往行獻；烏仗那王躬舉其㲲，釋種執其袂而刺之。侍臣、衛兵諠亂階陛，釋種麾劍告曰：「我所杖劍，神龍見授，以誅後伏，以斬不臣。」咸懼神武，推尊大位。於是沿弊立政，表賢恤患。已而動大眾，備法駕，即龍宮而報命，迎龍女以還都。龍女宿業未盡，餘報猶在、每至讌私，首出九龍之頭。釋種畏惡，莫知圖計，伺其寐也，利刃斷之。龍女驚寐曰：「斯非後嗣之利，非徒我命有少損傷，而汝子孫當苦頭痛。」故此國族常有斯患，雖不連綿，時一發動。釋種既沒，其子嗣位，是嗢呾羅犀那王唐言上軍。

> 昔、毘盧釋迦王が釈迦族を討伐した時、四人が軍に抗った者たちがいたが、彼らは宗族から追放され、それぞれが別々の地へと散り散りになった。その中の一人の釈迦族の者は、国都を離れた後、長い旅路に疲れ果て、途中で立ち止まった。すると、一羽の雁が彼の前に飛んできて、すぐに人に慣れた様子だったので、彼はそれに乗った。雁は飛び立ち、この池のほとりに降り立った。釈迦族の者はさまよい歩き、遠く異国に辿り着いたが、道に迷い、木陰でうたた寝をした。池の龍の娘が水辺を散歩していたところ、突然釈迦族の者を見つけ、これは良い機会だと思い、人の姿に変身して、彼に近づき、優しく撫でた。釈迦族の者は驚いて目を覚まし、すぐに謝って言った。「旅の疲れた身を、なぜこんなにも親しくしていただくのですか。」そして、親しげに言葉を交わし、無理に野合を迫った。娘は言った。「父母の教えがあり、従うことに違反しません。あなたの厚意を賜ったとはいえ、まだ正式な許しを得ていません。」釈迦族の者は言った。「山や谷は深く遠く、あなたの家はどこにあるのですか。」娘は言った。「私はこの池の龍の娘です。聖族が流浪し逃げ延びていると伺い、たまたま散歩のついでに、あなたの疲れを慰めようと思ったのです。しかし、私的な交わりは、聞いたこともない話です。ましてや、積もり積もった業によって、この龍の身を受けており、人と畜類は道が異なります。それは聞いたこともないことです。」釈迦族の者は言った。「一言承諾していただければ、長年の思いが叶います。」龍の娘は言った。「お言葉を謹んで承りました。あなたの思うままに。」釈迦族の者は心に誓って言った。「私の持つすべての福徳の力により、この龍の娘を全身人に変えさせたまえ。」福徳の力が感応し、龍は遂に姿を変え、人の身を得て、心から喜んだ。そして釈迦族の者に感謝して言った。「私は罪を重ねて、悪い境遇に流転しておりました。幸運にもあなたのご厚意と福徳の力によって、長い劫の間のこの汚れた身が、一日にして変わりました。この恩に報いるためには、身を粉にしても足りません。お供したい気持ちはありますが、世間の目が気になります。先に父母に申し上げ、それから正式な結婚の儀を整えさせてください。」龍の娘は池に帰り、父母に申し上げた。「今日、散歩をしていたところ、思いがけず釈迦族の者に出会いました。福徳の力によって、私を人に変えてくださいました。心から共に生きたいと思っておりますので、事実を申し上げます。」龍王は人間の世界を喜び、聖族を重んじたので、娘の願いを聞き入れた。そして池から出て釈迦族の者に謝して言った。「私たちのような種族を顧みず、高い身分をお屈しになり低い身分にお下りになるとは。どうか私の家にお越しください。心を込めてお仕えいたします。」釈迦族の者は龍王の招きを受け入れ、その住処に赴いた。こうして龍宮の中で、正式な迎えの儀が行われ、楽しい宴会が催され、限りなく歓楽を尽くした。しかし、釈迦族の者は龍の姿を見ると、心に常に畏怖と嫌悪を抱き、辞して出ようとした。龍王はそれを止めて言った。「どうか遠くへ離れず、この隣に住みなさい。そうすれば、領土を治め、大きな称号を名乗り、臣民を統べ、長く国を保つことができましょう。」釈迦族の者は答えて言った。「そのような望みはありません。」龍王は宝剣を箱に入れ、上質の白い布でその上を覆い、釈迦族の者に言った。「この布を国王に献上しなさい。王は必ず遠来の者の供物を自ら受け取るでしょう。その時を狙って、王を害するのです。そして国を奪うのです。それも良いでしょう。」釈迦族の者は龍王の教えに従い、献上に出向いた。烏仗那王が自らその布を受け取った時、釈迦族の者はその袖を掴んで刺した。侍臣や衛兵たちは宮殿の階段で騒然としたが、釈迦族の者は剣を振りかざして言った。「私が手にするこの剣は、神龍から授かったものだ。これによって後に降る者を討ち、従わぬ者を斬る。」皆はその神武の力を畏れ、彼を王位に推戴した。そこで彼は乱れた政治を改め、賢者を登用し、苦しむ民を救済した。やがて大軍を動かし、正式な行列を整え、龍宮に赴いて報告し、龍の娘を都に迎え入れた。龍の娘は前世の業がまだ尽きず、残りの報いがまだ残っていた。宴会や親しい時になるたびに、頭から九つの龍の頭が現れた。釈迦族の者は畏れ嫌い、どうすればよいか分からず、彼女が眠るのを伺って、鋭い刃でそれを切り落とした。龍の娘は驚いて目を覚まし、言った。「これは子孫のためになりません。私の命に少し傷がつくだけでなく、あなたの子孫は頭痛に悩まされることになるでしょう。」それ以来、この国の人々は常にこの病に悩まされ、絶え間なくはないものの、時折発作が起きる。釈迦族の者が亡くなった後、その子が位を継いだ。これが嗢呾羅犀那王<note>唐の言葉で上軍という</note>である。

上軍王嗣位之後，其母喪明。如來伏阿波邏羅龍還也，從空下其宮中。上軍王適從遊獵，如來因為其母略說法要。遇聖聞法，遂得復明。如來問曰：「汝子，我之族也，今何所在？」母曰：「旦出畋遊，今將返駕。」如來與諸大眾尋欲發引。王母曰：「我惟福遇，生育聖族，如來悲愍，又親降臨，我子方還，願少留待。」世尊曰：「斯人者，我之族也。可聞教而信悟，非親誨以發心。我其行矣。還，語之曰：『如來從此往拘尸城娑羅樹間入涅槃，宜取舍利，自為供養。』」如來與諸大眾凌虛而去。上軍王方遊獵，遠見宮中光明赫奕，疑有火災，罷獵而返。乃見其母復明，慶而問曰：「我去幾何，有斯祥感，能令慈母復明如昔？」母曰：「汝出之後，如來至此，聞佛說法，遂得復明。如來從此至拘尸城娑羅樹間，當取涅槃，召汝速來分取舍利。」時王聞已，悲號頓躄，久而醒悟，命駕馳赴。至雙樹間，佛已涅槃。時諸國王輕其邊鄙，寶重舍利，不欲分與。是時天、人大眾重宣佛意，諸王聞已，遂先均授。

> 上軍王が位を継いだ後、その母は目が見えなくなっていた。如来が阿波邏羅龍を降伏させて帰還された時、空からその宮中に降り立たれた。上軍王はちょうど狩りに出かけており、如来はその母のために簡潔に法の要旨を説かれた。聖人に遇い法を聞いたことで、母は再び視力を取り戻した。如来が尋ねられた：「あなたの子は、我が一族であるが、今どこにいるのか。」母が言った：「今朝、狩りに出かけましたが、まもなく戻ってまいりましょう。」如来は大衆と共に、まさに出発しようとされた。王の母が言った：「私はただ福に恵まれ、聖なる一族を産みました。如来は慈しみをもって、また自らお越しくださったのに、我が子はまもなく戻ります。どうか少しだけお待ちください。」世尊は言われた：「この者は我が一族である。教えを聞いて信じ悟ることはできようが、親しく指導しなければ心を起こすことはないであろう。私は行こう。戻ったら、こう伝えなさい。『如来はここから拘尸城の娑羅樹の間に行き、涅槃に入られる。舎利を取って、自ら供養しなさい。』と。」如来は大衆と共に虚空を昇って去って行かれた。上軍王は狩りの最中、遠くから宮中に光が赫々と輝くのを見て、火災が起きたのではと疑い、狩りをやめて引き返した。そして母が再び見えるようになっているのを見て、喜びつつ尋ねた：「私が去ってからどれほど経ちましたか。このような祥瑞な感応があって、慈母を昔のように再び見えるようにできたのですか。」母が言った：「あなたが出かけた後、如来がここに来られた。仏の説法を聞いて、私は再び見えるようになったのです。如来はここから拘尸城の娑羅樹の間に行かれ、やがて涅槃に入られる。あなたを早く呼び寄せて、舎利を分け取りなさいとのことです。」王はこれを聞いて、悲しみのあまり大声で泣き、地に倒れ、長く経ってから意識を取り戻し、車を駆って急いで向かった。双樹の間に着くと、仏はすでに涅槃に入られていた。その時、諸国の王たちは彼が辺鄙な地の者であることを軽んじ、舎利を重んじて、分け与えようとはしなかった。その時、天や人の大衆が改めて仏の意向を伝えた。諸王はこれを聞いて、先に均等に分け与えたのであった。

瞢揭釐城東北踰山越谷，逆上信度河，途路危險，山谷杳冥，或履縆索，或牽鐵鎖，棧道虛臨，飛梁危構，椓杙躡蹬，行千餘里，至達麗羅川，即烏仗那國舊都也。多出黃金及欝金香。達麗川中大伽藍側，有刻木慈氏菩薩像，金色晃昱，靈鑒潛通，高百餘尺，末田底迦舊曰末田地，訛略也阿羅漢之所造也。羅漢以神通力，携引匠人升覩史多天舊曰兜率他也，又曰兜術他，訛也親觀妙相，三返之後，功乃畢焉。自有此像，法流東派。從此東行，踰嶺越谷，逆上信度河，飛梁棧道，履危涉險，經五百餘里，至鉢露羅國北印度境。

> 蒙揭釐城の東北、山を越え谷を渡り、信度河に逆らって上る。道のりは危険で、山谷は深く暗く、時には綱を渡り、時には鉄の鎖を掴み、桟道は虚空に懸かり、飛梁は危うく架かる。杭を打ち、岩を踏み、千余里を行き、達麗羅川に至る。ここは烏仗那国の旧都である。この地は黄金と鬱金香を多く産する。ダリラ川の中の大伽藍の傍らに、木彫りの慈氏菩薩像がある。金色に輝き、霊験はひそかに通じ、高さは百余尺。末田底迦阿羅漢（旧には末田地と曰うは、訛略である）が造ったものである。羅漢は神通力をもって、工匠を引き連れて覩史多天（旧には兜率他と曰い、また兜術他と曰うのは、訛りである）に昇り、親しく妙相を観た。三度の往復の後に、その功はついに成った。この像ができて以来、法流は東に派した。ここから東に行き、嶺を越え谷を渡り、信度河に逆らって上り、飛梁や桟道を渡り、危険な道を踏み、五百余里を経て、鉢露羅国（北インドの境である）に至る。