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title: "大唐西域記 · 藍摩國"
description: "大唐西域记由唐代高僧玄奘口述，辩机执笔编纂，成书于贞观二十年（646年）。全书十二卷，详实记录了玄奘西行求法十九年间游历西域、印度等一百三十八国的地理风貌、政治制度、宗教文化及佛教遗迹。作为古代中外交通史的重要文献，该书保存了7世纪中亚南亚的珍贵史料，对研究佛教传播、丝路文明具有不可替代的学术价值。书中对那烂陀寺等佛教圣地的记载尤为详尽，是考证印度佛教史的核心依据，被列为汉传佛教四大旅行记之首，在世界宗教史与地理学领域享有崇高地位。"
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藍摩國，空荒歲久，疆埸無紀，城邑丘墟，居人稀曠。

> 藍摩の国は、長く荒れ果て、国境の境も定かでなく、町や村は廃墟となり、住む人もまばらにしかいなかった。

故城東南有甎窣堵波，高減百尺。昔者如來入寂滅已，此國先王分得舍利，持歸本國，式遵崇建，靈異間起，神光時燭。

> 昔の城の東南に、磚（せん）でできた卒塔婆（そとうば）があり、高さは百尺に満たないほどでした。昔、如来が涅槃に入られた後、この国の先代の王が舎利（しゃり）を分けていただき、自分の国へ持ち帰って、敬意を込めてこの塔を建てました。以来、霊験あらたかな出来事がしばしば起こり、神々しい光が時の間に輝くこともありました。

窣堵波側有一清池，龍每出遊，變形蛇服，右旋宛轉，繞窣堵波，野象群行，採花以散，冥力警察，初無間替。昔無憂王之分建窣堵波也，七國所建，咸已開發，至於此國，方欲興功，而此池龍恐見陵奪，乃變作婆羅門，前叩象曰：「大王情流佛法，廣樹福田，敢請紆駕，降臨我宅。」王曰：「爾家安在，為近遠乎？」婆羅門曰：「我，此池之龍王也。承大王欲建勝福，敢來請謁。」王受其請，遂入龍宮。坐久之，龍進曰：「我惟惡業，受此龍身，供養舍利，冀消罪咎，願王躬往，觀而禮敬。」無憂王見已，懼然謂曰：「凡諸供養之具，非人間所有也。」龍曰：「若然者，願無廢毀。」無憂王自度力非其疇，遂不開發。出池之所，今有封記。

> 窣堵波の傍らに一つの清らかな池がある。龍はその池から出遊するたびに、姿を変えて蛇の形をとり、右に旋回しながら蜿蜒と窣堵波を繞り、野象の群れが行き来して花を摘み散華する。その冥力による警戒は、初めから絶えることがなかった。 昔、阿育王が窣堵波を分建したとき、七つの国に建てられたものはすべて既に開発されたが、この国に至ってようやく工事を起こそうとした。ところが、この池の龍が陵奪されることを恐れ、婆羅門に変身して、王の前に進み出てひざまずいて言った。「大王は佛法に心を寄せ、広く福田を植えられました。どうか駕を迂回させ、私の住まいにお越しくださいませ。」 王が「お主の家はどこにあるのか。近いのか遠いのか。」と尋ねると、婆羅門は答えた。「私はこの池の龍王でございます。大王が勝福を建てようとされていると承り、恐れ多くもお訪ね申し上げました。」 王はその請けを受け入れ、龍宮に入った。しばらく座していると、龍が進み出て言った。「私は悪業のゆえにこの龍の身を受けました。舍利を供養して、罪咎を消そうと願っております。どうか王自らおいでになり、ご覧になって礼敬してくださいませ。」 阿育王はそれを見て、惧れて言った。「これらの供養の具は、すべて人間界にあるものではない。」 龍が言った。「もしそうでございましたら、どうか廃毀なさらないでくださいませ。」 阿育王は自ら力を計り、その圏域には及ばないと思ったので、ついに開発しなかった。池から出た場所には、今も封記が残されている。

窣堵波側不遠，有一伽藍，僧眾尠矣，清肅皎然，而以沙彌總任眾務。遠方僧至，禮遇彌隆，必留三日，供養四事。聞諸先志曰：昔有苾芻，同志相召，自遠而至，禮窣堵波。見諸群象，相趨往來，或以牙芟草，或以鼻灑水，各持異華，共為供養。時眾見已，悲歎感懷。有一苾芻，便捨具戒，願留供養，與眾辭曰：「我惟多福，濫迹僧中，歲月亟淹，行業無紀。此窣堵波有佛舍利，聖德冥通，群象踐灑。遺身此地，甘與同群，得畢餘齡，誠為幸矣。」眾告之曰：「斯盛事也。吾等垢重，智不謀此。隨時自愛，無虧勝業。」亦既離群，重申誠願，歡然獨居，有終焉之志。於是葺茅為宇，引流成池，採掇時花，灑掃塋域。綿歷歲序，心事無殆。隣國諸王聞而雅尚，競捨財寶，共建伽藍，因而勸請，屈知僧務。自爾相踵，不泯元功，而以沙彌總知僧事。

> ストゥーパの側ほど遠からぬ所に、一つの伽藍がある。僧侶の数は少ないが、清らかにして粛然としており、沙弥に一切の寺務を任せている。遠方から僧が来れば、禮遇はことのほか厚く、必ず三日のあいだ留め置き、四事をもって供養する。 先人の伝えに聞くところによれば、昔、苾芻（僧）たちが同じ志で互いに誘い合い、遠方からやって來て、ストゥーパに禮拝した。すると多くの象が群れをなして行き交い、あるいは牙で草を刈り、あるいは鼻で水を注ぎ、それぞれ異なる花を捧げて、共に供養をしていた。僧たちはこれを見て、悲しみと感慨に胸を打たれた。 その中の一人の苾芻が、具足戒を捨て、この地に留まって供養に盡くしたいと願い出て、皆に別れを告げて言った。「私はただ多くの福によって、僧の列に紛れていた身です。年月はめっきりと過ぎましたが、修行の業績は何ひとつ記すものがありません。このストゥーパには仏の舎利が納められ、聖なる徳がひそかに通じ、象たちでさえ踏みしめ水を注いで供養しています。この身をこの地に捨て、喜んで彼らと群れを同じくし、餘生を全うすることができれば、まことに幸せでございましょう。」 僧たちはこう告げた。「それはまことに盛んな事です。しかし、我等は煩悩の垢が重く、その深い智慧には思い至りませぬ。どうか時とともに自らを大切にし、すぐれた善い行いを損なわぬように。」 その苾芻は群れを離れると、改めてまごころからの誓願を述べ、喜んで獨り住まいし、終わりをそこに迎えようという志を抱いた。そして茅を刈って庵を結び、水を引いて池と成し、季節の花を摘み集め、墳墓の地を灑掃した。年月を経ても、心の願いは怠ることがなかった。 隣國の諸王はこれを聞いて深く尊び、競って財寶を喜捨し、共に伽藍を建てた。そして僧団の務めを執り行うよう懇願した。それ以來、その志は繼承され、最初の功績は決して無にされることなく、今は沙弥が僧事を統括しているのである。

沙彌伽藍東，大林中行百餘里，至大窣堵波，無憂王之所建也。是太子踰城至此，解寶衣，去纓絡，命僕還處。太子夜半踰城，遲明至此，既允宿心，乃形言曰：「是我出籠樊，去羈鎖，最後釋駕之處也。」於天冠中解末尼寶，命僕夫曰：「汝持此寶，還白父王，今茲遠遁，非苟違離，欲斷無常，絕諸有漏。」闡鐸迦舊曰車匿，訛也曰：「詎有何心，空駕而返？」太子善言慰喻，感悟而還。迴駕窣堵波東，有贍部樹，枝葉雖凋，枯株尚在。

> 沙彌伽藍の東にある大林の中を百餘里行くと、大きなストゥーパに至る。これはアショーカ王が建てたものである。ここは太子が城を越えてこの地に至り、寶衣を解き、瓔珞を外し、従者に帰還を命じた場所である。太子は夜半に城を越え、夜明け頃にこの地に到着した。かねてからの心願が叶えられたので、太子は言を発して言った。「ここは我が檻（おり）を出で、束縛を離れ、ついに駕（かご）を下ろす最後の場所である。」そして天冠の中から宝珠を取り出し、従者に言った。「汝、この寶を持ち帰り、父王に伝えよ。今、遠くへ去るのは、決して勝手に離れるのではなく、無常を斷ち切り、すべての煩悩を絶とうとするためである。」チャンダカ（かつては車匿と呼ばれていたが、これは訛りである）は言った。「いったいどのような心で、空の駕を返すのですか？」太子は優しい言葉で慰め諭し、彼は心を動かされて帰還した。駕を返したストゥーパの東には、贍部樹（ジャンブーの木）がある。枝葉はすでに枯れ落ちているが、枯れた幹はまだ存在している。

其傍復有小窣堵波，太子以餘寶衣易鹿皮衣處。太子既斷髮易裳，雖去瓔珞，尚有天衣。曰：「斯服太侈，如何改易？」時淨居天化作獵人，服鹿皮衣，持弓負羽。太子舉其衣而謂曰：「欲相貿易，願見允從。」獵人曰：「善。」太子解其上服，授與獵人。獵人得已，還復天身，持所得衣，凌虛而去。

> その傍らにまた小さなストゥーパ（仏塔）があった。太子が餘りの寶衣（けごろもの）を以て鹿皮の衣と易（か）えた場所である。太子はすでに髪を斷ち、衣裳を易えて、瓔珞（ようらく）を去りたもうたが、なお天衣を身にまとっておられた。言わく、「この衣はあまりに豪華すぎる。どうして改め換えようか。」その時、浄居天（じょうごてん）の天子が猟師に変化して、鹿皮の衣をまとい、弓を持ち矢を背負って現れた。太子は御衣を掲げて言わく、「衣を交換したいと思う。どうか承諾してほしい。」猟師は言わく、「よし。」太子は上着を解いて、猟師に授けた。猟師は受け取ると、元の天身に還り、得たる衣を持って、虚を凌（しの）いで去っていった。

太子易衣側不遠，有窣堵波，無憂王之所建也，是太子剃髮處。太子從闡鐸迦取刀，自斷其髮，天帝釋接上天宮，以為供養。時淨居天子化作剃髮人，執持銛刀，徐步而至。太子謂曰：「能剃髮乎？幸為我淨之。」化人受命，遂為剃髮。踰城出家時亦不定，或云菩薩年十九，或曰二十九，以吠舍佉月後半八日踰城出家，當此三月八日，或云以吠舍佉月後半十五日，當此三月十五日。

> 太子が衣を替えた場所からそう遠くないところに、ストゥーパ（仏塔）がある。アショーカ王が建てたもので、これは太子が髪を剃った場所である。太子はチャンダカ（闡鐸迦）から刀を受け取り、自らの手で髪を切った。すると帝釈天がその髪を受け取り、天宮に持ち帰って供養とした。その時、浄居天の天子が姿を変えて髪を剃る者となり、鋭い剃刀を持って、ゆっくりと歩み寄ってきた。太子は言われた。「髪を剃ることができるか。どうか私の髪を剃ってほしい。」と。姿を変えた者はその命を受け、太子の髪を剃ったのである。 城を越えて出家した時についても、その時期は定かではない。ある説では菩薩は十九歳の時、またある説では二十九歳の時という。ヴァイシャーカ月（吠舎佉月）の後半の八日目に城を越えて出家したとされ、それはこの国の三月八日にあたる。またある説では、ヴァイシャーカ月の後半の十五日目であり、それはこの国の三月十五日にあたるという。

太子剃髮窣堵波東南，曠野中行百八九十里，至尼拘盧陀林，有窣堵波，高三十餘尺。昔如來寂滅，舍利已分，諸婆羅門無所得獲，於涅疊般那唐言焚燒。舊云闍維，訛也地收餘灰炭，持至本國，建此靈基，而修供養。自茲已降，奇迹相仍，疾病之人，祈請多愈。

> 太子の剃髪のストゥーパの東南、荒野の中を百八、九十里行くと、尼拘盧陀林に至る。そこに高さ三十余尺のストゥーパがある。昔、如来が涅槃に入られ、舎利がすでに分配された後、バラモンたちは何も得ることができなかった。彼らは涅槃の地（涅槃とは、中国語で「焚焼」を意味する。旧訳では「闍維」といい、これは訛りである）で残りの灰や炭を集め、自国の持ち帰ってこの聖地を建立し、供養を修めた。それ以来、奇跡が相次いで起こり、病に苦しむ人々が祈願すると、多くが癒やされたという。

灰炭窣堵波側，故伽藍中，有過去四佛坐及經行遺迹之所。

> 灰炭率堵波のそば、昔の伽藍の中に、過去四仏が坐しておられた場所と、経行の跡が残されているところがあります。

故伽藍左右，數百窣堵波。其一大者，無憂王所建也，崇基雖陷，高餘百尺。

> 伽藍の左右には、数多くの卒塔婆（ストゥーパ）が建てられている。その中で最も大きなものは、アショーカ王（無憂王）が建立したものである。土台は沈み込んでいるとはいえ、まだ百尺以上の高さを保っている。

自此東北，大林中行，其路艱險，經途危阻，山牛、野象、群盜、獵師，伺求行旅，為害不絕。出此林已，至拘尸那揭羅國中印度境。

> ここより東北に進み、大森林の中を行く。その道は険しく、危険が多く、道中には山牛や野象、盗賊の群れ、狩人らが旅人を狙い、害を加えることが絶えなかった。この林を抜けると、拘尸那掲羅国に至る<note>中インドの境域である</note>。