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title: "大唐西域記 · 拘尸那揭羅國"
description: "大唐西域记由唐代高僧玄奘口述，辩机执笔编纂，成书于贞观二十年（646年）。全书十二卷，详实记录了玄奘西行求法十九年间游历西域、印度等一百三十八国的地理风貌、政治制度、宗教文化及佛教遗迹。作为古代中外交通史的重要文献，该书保存了7世纪中亚南亚的珍贵史料，对研究佛教传播、丝路文明具有不可替代的学术价值。书中对那烂陀寺等佛教圣地的记载尤为详尽，是考证印度佛教史的核心依据，被列为汉传佛教四大旅行记之首，在世界宗教史与地理学领域享有崇高地位。"
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拘尸那揭羅國，城郭頹毀，邑里蕭條。故城甎基，周十餘里。居人稀曠，閭巷荒蕪。

> 拘尸那揭羅国は、城壁も崩れ落ち、町はさびれ果てていた。かつての城の煉瓦の基礎は、周囲十数キロにわたって残っているが、人々の住まいはまばらで、通りは荒れ果てている。

城內東北隅，有窣堵波，無憂王所建，准陀舊曰純陀，訛也之故宅也。宅中有井，將營獻供，方乃鑿焉。歲月雖淹，水猶清美。

> 城の東北の隅に、ストゥーパ（仏塔）がある。アショーカ王によって建てられたもので、チュンダ<note>昔は純陀と呼んだが、これは訛りである</note>の旧宅の跡である。その家の中には井戸があり、供物を捧げようとして、その時に掘られたものである。長い年月が過ぎたが、水は今も清らかで美しい。

城西北三四里，渡阿恃多伐底河唐言無勝，此世共稱耳。舊云阿利羅跋提河，訛也。典言謂之尸賴拏伐底河，譯曰有金河。西岸不遠，至娑羅林。其樹類槲，而皮青白，葉甚光潤。四樹特高，如來寂滅之所也。其大甎精舍中作如來涅槃之像，北首而臥。傍有窣堵波，無憂王所建，基雖傾陷，尚高二百餘尺。前建石柱，以記如來寂滅之事，雖有文記，不書日月。聞諸先記曰：佛以生年八十，吠舍佉月後半十五日入般涅槃，當此三月十五日也。說一切有部則佛以迦剌底迦月後半八日入般涅槃，此當九月八日也。自佛涅槃，諸部異議，或云千二百餘年，或云千三百餘年，或云千五百餘年，或云已過九百，未滿千年。

> 城の西北三四里のところに、阿恃多伐底河を渡ります。<note>唐の言葉で「無勝」といい、世間で広く呼ばれている名前です。昔は阿利羅跋提河といいましたが、これは訛りです。正式な言葉では尸頼拏伐底河といい、訳して「有金河」といいます。</note>西岸にそう遠くない場所に、娑羅林があります。その木は槲（かしわ）に似ていますが、皮は青みがかった白色で、葉はとても光沢があります。特に高い四本の木があり、そこが如来が寂滅（涅槃）に入られた場所です。大きな煉瓦造りの精舎の中には、如来の涅槃の像が造られており、頭を北に向けて横たわっています。そのそばに窣堵波（卒塔婆）があり、無憂王（アショーカ王）が建てたものです。基壇はすでに傾き崩れていますが、それでも高さは二百尺余りあります。前に石柱が建てられており、如来の寂滅の事跡を記していますが、文章の記録はあっても、日付は書かれていません。かつての記録を聞くところによると、仏は生まれてから八十歳のとき、吠舍佉月の後半の十五日に入般涅槃されたといいます。これは（中国の暦では）三月十五日にあたります。一方、説一切有部では、仏は迦剌底迦月の後半の八日に入般涅槃されたといい、これは九月八日にあたります。仏の涅槃以来、諸部派の間で異なる説があり、あるいは千二百余年といい、あるいは千三百余年といい、あるいは千五百余年といい、あるいはすでに九百年を過ぎたが千年には満たないともいいます。

精舍側不遠，有窣堵波，是如來修菩薩行時，為群雉王救火之處。昔於此地有大茂林，毛群羽族巢居穴處。驚風四起，猛焰飈急。時有一雉，有懷傷愍，鼓濯清流，飛空奮灑。時天帝釋俯而告曰：「汝何守愚，虛勞羽翮？大火方起，焚燎林野，豈汝微軀所能撲滅？」雉曰：「說者為誰？」曰：「我天帝釋耳。」雉曰：「今天帝有大福力，無欲不遂，救災拯難，若指諸掌，反詰無功，其咎安在？猛火方熾，無得多言！」尋復奮飛，往趣流水。天帝遂以掬水泛灑其林，火滅煙消，生類全命，故今謂之救火窣堵波也。

雉救火側不遠，有窣堵波，是如來修菩薩行時，為鹿救生之處。乃往古昔，此有大林，火炎中野，飛走窮窘，前有駛流之阨，後困猛火之難，莫不沈溺，喪棄身命。其鹿惻隱，身據橫流，穿皮斷骨，自強拯溺。蹇兔後至，忍疲苦而濟之。筋力既竭，溺水而死。諸天收骸，起窣堵波。

> 昔、火を消そうとしている場所から遠くないところに、一基のストゥーパ（仏塔）がありました。これは、如来が菩薩の修行をされていた時代に、鹿となって他の生き物の命を救われた場所です。 遥か昔のこと、ここには大きな森がありました。ある時、野火が森全体を焼き尽くそうと燃え広がり、鳥や獣たちは逃げ場を失い、大変な苦しみに陥りました。彼らの前には激しく流れる川が行く手を阻み、後ろからは猛火の難が迫ってきました。生き物たちは皆、川に落ちて溺れ死ぬか、火に焼かれて命を落とすしかありませんでした。 その時、鹿が深い哀れみの心を起こし、自らの体を流れの上に横たえました。皮は裂け、骨は折れましたが、それでも懸命に力を振り絞って、溺れる生き物たちを救い上げました。 足の遅い兎が一番最後に辿り着きました。鹿はすでに疲れ果てていましたが、それでも苦しみに耐え、兎を無事に岸まで届けました。しかし、力を使い果たした鹿は、そのまま溺れて命を落としてしまいました。 天人たちはその鹿の遺骸を丁重に収め、この地にストゥーパを建てて供養したのです。

鹿拯溺西不遠，有窣堵波，是蘇跋陀羅唐言善賢。舊曰須跋陀羅，訛也入寂滅之處。善賢者，本梵志師也。年百二十，耆舊多智。聞佛寂滅，至雙樹間，問阿難曰：「佛世尊將寂滅，我懷疑滯，願欲請問。」阿難曰：「佛將涅槃，幸無擾也。」曰：「吾聞佛世難遇，正法難聞，我有深疑，恐無所請。」善賢遂入，先問佛言：「有諸別眾，自稱為師，各有異法，垂訓導俗，喬答摩舊曰瞿曇，訛略也能盡知耶？」佛言：「吾悉深究。」乃為演說。善賢聞已，心淨信解，求入法中，受具足戒。如來告曰：「汝豈能耶？外道異學修梵行者，當試四歲，觀其行，察其性，威儀寂靜，辭語誠實，則可於我法中淨修梵行。在人行耳，斯何難哉！」善賢曰：「世尊悲愍，含濟無私，四歲試學，三業方順。」佛言：「我先已說，在人行耳！」於是善賢出家，即受具戒，勤勵修習，身心勇猛。已而於法無疑，自身作證。夜分未久，果證羅漢，諸漏已盡，梵行已立。不忍見佛入大涅槃，即於眾中入火界定，現神通事，而先寂滅。是為如來最後弟子，乃先滅度，即昔後渡蹇兔是也。

> 西方不远的地方，有一座窣堵波（佛塔），那是苏跋陀罗——唐代译为“善贤”，旧译“须跋陀罗”是误译——入寂灭之处。善贤原本是位梵志（外道修行者）师，年纪已有一百二十岁，德高望重，智慧广博。他听说佛陀即将涅槃，来到双树之间，问阿难说：“佛世尊即将寂灭，我心中怀有疑问，想要向佛请教。”阿难说：“佛即将涅槃，请勿打扰。”善贤说：“我听说佛世难遇，正法难闻，我心中深藏着疑问，恐怕再无机会请教了。”善贤于是进入佛前，先问佛道：“有诸多别的教派，各自称师，各有不同的教法，以教导世人，乔答摩——旧译瞿昙，为误译省略——您能完全知晓吗？”佛说：“我已深入探究了这一切。”于是为善贤演说妙法。善贤听完后，心中清净，信解随生，请求加入佛法之中，受具足戒。如來告诉他说：“你能做到吗？外道异学修梵行之人，需经四年的考验，观察他的行为，了解他的心性，若他威仪寂静，言词诚实，则可在我法中清净修行梵行。这全在于个人的修持，有何困难呢！”善贤说：“世尊悲悯众生，普济无私，四年的考验学习，我的身口意三业方能调顺。”佛说：“我已说过，在于个人的修持！”于是善贤出家，随即受具足戒，精勤修习，身心勇猛精进。不久，于法义无所疑虑，亲证自身成就。夜深不久，果然证得阿罗汉果，一切烦恼已尽，清净梵行已立。他不忍心见佛入大涅槃，就在众人中入火界定，显现神通事迹，而先寂灭了。这位是如来的最后弟子，却最先灭度，就是从前那个后渡河的蹇兔（兔王）转世。

善賢寂滅側，有窣堵波，是執金剛躄地之處。大悲世尊隨機利見，化功已畢，入寂滅樂，於雙樹間北首而臥。執金剛神密迹力士見佛滅度，悲慟唱言：「如來捨我入大涅槃，無歸依，無覆護，毒箭深入，愁火熾盛！」捨金剛杵，悶絕躄地。久而又起，悲哀戀慕，互相謂曰：「生死大海，誰作舟檝？無明長夜，誰為燈炬？」

> 善賢の寂滅の側に、ストゥーパがある。これは執金剛が地に倒れた場所である。大悲の世尊は機に応じて利益を示し、教化の功果を終えて、寂滅の楽に入り、双樹の間で北に向かって横たわられた。執金剛神の密迹力士は仏の滅度を見て、悲しみ嘆いて言った。「如来は我々を捨てて大涅槃に入られた。帰依するところなく、覆護するところもない。毒箭は深く刺さり、愁いの火は盛んに燃え上がる！」金剛杵を捨てて、気を失って地に倒れた。久しくしてまた起き上がり、悲哀に慕い合い、互いに言った。「生死の大海において、誰が舟楫となろうか？無明の長夜において、誰が灯炬となろうか？」

金剛躄地側，有窣堵波，是如來寂滅已七日供養之處。如來之將寂滅也，光明普照，人、天畢會，莫不悲感，更相謂曰：「大覺世尊今將寂滅，眾生福盡，世間無依。」如來右脇臥師子床，告諸大眾：「勿謂如來畢竟寂滅，法身常住，離諸變易，當棄懈怠，早求解脫。」諸苾芻等歔欷悲慟。時阿泥𢫫盧骨反陀舊曰阿那律，訛也告諸苾芻：「止，止，勿悲！諸天譏怪。」時末羅眾供養已訖，欲舉金棺，詣涅疊般那所。時阿泥𢫫陀告言：「且止！諸天欲留七日供養。」於是天眾持妙天華，遊虛空，讚聖德，各竭誠心，共興供養。

> 金剛躄地の側に、卒塔婆がある。これは如来が寂滅された後、七日間供養が行われた場所である。如来がまさに寂滅されようとする時、光明が遍く照らし、人々や天人は皆集まり、悲しみ嘆かない者はなかった。互いに言い合った。「大覚世尊は今まさに寂滅されようとしている。衆生の福は尽き、世間は頼るべきものを失ってしまった。」如来は右脇を下にして獅子の床に臥され、大衆に告げられた。「如来がついに寂滅すると思うなかれ。法身は常住であり、いかなる変化も離れている。懈怠を捨てて、早く解脱を求めよ。」比丘たちは泣き悲しんだ。その時、阿泥𫢵陀（あにるだ。旧には阿那律と言い、誤りである）が比丘たちに告げた。「止めよ、止めよ、悲しむな。天人が怪しみ嘲るであろう。」その時、末羅の人々は供養を終え、金棺を挙げて涅槃の場に運ぼうとした。阿泥𫢵陀が告げた。「しばし待て。天人は七日間の供養を望んでおられる。」そこで天の人々は妙なる天華を持ち、虚空に遊び、聖なる徳を讃え、それぞれ誠心を尽くして、共に供養を行ったのである。

停棺側有窣堵波，是摩訶摩耶夫人哭佛之處。如來寂滅，棺斂已畢，時阿泥𢫫陀上昇天宮，告摩耶夫人曰：「大聖法王今已寂滅。」摩耶聞已，悲哽悶絕，與諸天眾至雙樹間，見僧伽胝、鉢及錫杖，拊之號慟，絕而復聲曰：「人、天福盡，世間眼滅！今此諸物，空無有主。」如來聖力，金棺自開，放光明，合掌坐，慰問慈母：「遠來下降！諸行法爾，願勿深悲。」阿難銜哀而請佛曰：「後世問我，將何以對？」曰：「佛已涅槃，慈母摩耶自天宮降，至雙樹間，如來為諸不孝眾生，從金棺起，合掌說法。」

> 停車の側に卒塔婆（ストゥーパ）あり。ここは摩訶摩耶夫人が仏を哭したまいし処なり。如来、寂滅したまいて、棺に納め終わりし時、阿泥嶋陀（アニルッダ）天宮に上りて摩耶夫人に告げて言わく「大聖法王、今まさに寂滅したまえり」と。摩耶これを聞きて悲しみ咽び悶絶し、諸々の天衆と共に双樹の間に至り、僧伽胝（衣）・鉢・錫杖を見て、これに打ち付けて慟哭し、絶えてまた声ありて言わく「人天の福尽き、世間の眼滅せり！今これらの物、空しくして主なし」と。如来の聖力によりて、金棺自ら開き、光明を放ちて合掌して坐し、慈母を慰めて言わく「遠く来りて下りたまえり！諸行の法爾（そのままの理）、願わくば深く悲しみたまうことなかれ」と。阿難、哀しみを包みて仏に請いて言わく「後の世、我に問わんに、将に何を以て対せんや」と。仏言わく「仏已に涅槃したまえり。慈母摩耶、天宮より自ら降りて双樹の間に至る。如来は諸の不孝の衆生の為に、金棺より起きたまいて合掌して説法したまえり」と。

城北渡河三百餘步，有窣堵波，是如來焚身之處。地今黃黑，土雜灰炭，至誠求請，或得舍利。如來寂滅，人、天悲感，七寶為棺，千㲲纏身，設香華，建幡蓋，末羅之眾奉輿發引，前後導從，北渡金河，盛滿香油，積多香木，縱火以焚，二㲲不燒，一極𭣋身，一最覆外。為諸眾生分散舍利，唯有髮、爪儼然無損。

> 城の北で河を渡ること三百余歩のところに、卒塔婆（ストゥーパ）がある。ここは如来が荼毘に付された場所である。地面は今も黄黒色で、土には灰や炭が混ざっている。心を込めて誠心誠意お祈りすれば、仏舎利を得ることもあるという。 如来が涅槃に入られたとき、人々も天の神々も深く悲しみ嘆いた。七宝で作られた棺にお納めし、千枚の布で御身を包み、香華を供え、幢幡を掲げた。末羅（マッラ）族の人々が輿を奉じて出発し、前後に供奉者が従った。北へ向かい金河（ヒラニャヴァティー川）を渡り、多量の香油を満たし、多くの香木を積み重ねて火を放って荼毘に付した。しかし二枚の布だけは焼けずに残った。一枚は最も内側に御身を包んでいたもので、もう一枚は最も外側を覆っていたものである。 諸々の衆生のために仏舎利が分け与えられたが、ただ髪と爪だけはそのままの姿で損なわれることがなかったのである。

焚身側有窣堵波，如來為大迦葉波現雙足處。如來金棺已下，香木已積，火燒不然，眾咸驚駭。阿泥𢫫陀言：「待迦葉波耳。」時大迦葉波與五百弟子自山林來，至拘尸城，問阿難曰：「世尊之身，可得見耶？」阿難曰：「千㲲纏絡，重棺周斂，香木已積，即事焚燒。」是時佛於棺內為出雙足，輪相之上，見有異色。問阿難曰：「何以有此？」曰：「佛初涅槃，人、天悲慟，眾淚迸染，致斯異色。」迦葉波作禮，旋繞興讚，香木自然，大火熾盛。故如來寂滅，三從棺出：初出臂，問阿難治路；次起坐，為母說法；後現雙足，示大迦葉波。

> 焚身の側に窣堵波（ストゥーパ）があり、如来が大迦葉波に両足を示された場所である。如来の金棺がすでに下ろされ、香木が積み上げられたが、火は燃えず、人々は皆驚き恐れた。阿泥盧陀（アニルッダ）が言った。「迦葉波を待っているのだ。」その時、大迦葉波は五百人の弟子と共に山林から来て、拘尸城に至り、阿難に問うた。「世尊の御身を拝見することはできるだろうか。」阿難は答えた。「千枚の布で包み、重ねた棺に納め、香木を積んで、まさに荼毘に付そうとしているのです。」その時、仏は棺の中で両足を出された。その足の輪相の上に、異なる色が見えた。迦葉波が阿難に問うた。「なぜこのような色があるのですか。」阿難は答えた。「仏が涅槃に入られた時、人々や天人が深く悲しみ、衆人の涙が飛び散って染み付き、このような異なる色が生じたのです。」迦葉波は礼拝し、周りを巡って讃嘆した。すると香木は自然に燃え上がり、大火が盛んに燃え立った。このように如来の寂滅には、三度棺から出でられたのである。初めに臂を出して、阿難に道を整えるよう問われた。次に坐を起こして、母のために説法された。後に両足を現して、大迦葉波にお示しになったのである。

現足側有窣堵波，無憂王所建也，是八王分舍利處。前建石柱，刻記其事。佛入涅槃，後涅疊般那已，諸八國王備四兵至，遣直性婆羅門謂拘尸力士曰：「天、人導師，此國寂滅，故自遠來，請分舍利。」力士曰：「如來降尊，即斯下土，滅世間明導，喪眾生慈父。如來舍利，自當供養，徒疲道路，終無得獲。」時諸大王遜辭以求，既不相允，重謂之曰：「禮請不從，兵威非遠。」直性婆羅門揚言曰：「念哉！大悲世尊忍修福善，彌歷曠劫，想所具聞，今欲相凌，此非宜也。今舍利在此，當均八分，各得供養，何至興兵？」諸力士依其言，即時均量，欲作八分。帝釋謂諸王曰：「天當有分，勿恃力競。」阿那婆答多龍王、文隣龍王、醫那鉢呾羅龍王復作是議：「無遺我曹。若以力者，眾非敵矣。」直性婆羅門曰：「勿諠諍也，宜共分之。」即作三分，一諸天，二龍眾，三留人間，八國重分。天、龍、人王，莫不悲感。

> 現在の足側にストゥーパ（仏塔）がある。これはアショーカ王が建てたもので、八王が仏舎利を分け合った場所である。その前に石柱が立てられ、その出来事が刻まれている。 仏が涅槃に入り、荼毘（火葬）が終わった後、八か国の王たちが四種の軍勢を率いてやって来た。彼らは直性バラモンを遣わし、クシナガラの力士たちにこう伝えた。「天と人の導師である仏は、この国で涅槃に入られた。私たちは遠くからわざわざ来たので、どうか舎利を分けていただきたい。」 力士たちは言った。「如来はこの地に降り立ち、この世の光明の導き手を滅し、衆生の慈父を失ってしまった。如来の舎利は私たち自身が供養するべきである。あなたたちがわざわざ遠路はるばる来ても、結局何も得ることはできないだろう。」 その時、諸王たちは丁重な言葉で求めたが、聞き入れられなかった。そこで重ねてこう言った。「礼を尽くして求めても聞き入れられないなら、武力を用いるのも遠いことではないぞ。」 直性バラモンが声を上げて言った。「よく考えなさい。大悲の世尊は、忍びの心を持ち、善い行いを積み、長い長い時間をかけて修行されてきた。そのことは誰もが聞き知っているでしょう。今、あなたたちが武力で相手を威圧するのは、ふさわしいことではありません。今、舎利はここにあります。八等分に分けて、それぞれが供養できるようにすべきです。どうして戦争を起こす必要がありましょうか。」 力士たちはその言葉に従い、すぐに平等に量って八つに分けようとした。 すると帝釈天が諸王に言った。「天にも分け前があるべきだ。力で争ってはならない。」 また、アナヴァタプタ竜王、ウロヴィ龍王、エーラパトラ竜王もこう言った。「私たち竜族を忘れてはならない。力で争うなら、私たちに敵う者はいないだろう。」 直性バラモンが言った。「騒ぎ立てずに、分け合おうではないか。」そこで三つに分けた。一つは天の神々に、二つは竜族に、三つは人間のために残し、それを八か国で重ねて分けた。 天も、竜も、人々の王も、皆、悲しみに満ちていた。

分舍利窣堵波西南行二百餘里，至大邑聚。有婆羅門，豪右巨富，確乎不雜，學究五明，敬崇三寶。接其居側，建立僧坊，窮諸資用，備盡珍飾，或有眾僧往來中路，慇懃請留，罄心供養，或止一宿，乃至七日。其後設賞迦王毀壞佛法，眾僧絕侶，歲月驟淹，而婆羅門每懷懇惻。經行之次，見一沙門，厖眉皓髮，杖錫而來。婆羅門馳往迎逆，問所從至，請入僧坊，備諸供養，旦以淳乳，煮粥進焉。沙門受已，纔一嚌齒，便即置鉢，沈吟長息。婆羅門持食，跪而問曰：「大德慧利隨緣，幸見臨顧，為夕不安耶？為粥不味乎？」沙門愍然告曰：「吾悲眾生福祐漸薄，斯言且置，食已方說。」沙門食訖，攝衣即語。婆羅門曰：「向許有說，今何無言？」沙門告曰：「吾非忘也。談不容易，事或致疑。必欲得聞，今當略說。吾向所歎，非薄汝粥。自數百年，不嘗此味。昔如來在世，我時預從，在王舍城竹林精舍，俯清流而滌器，或以澡漱，或以盥沐。嗟乎！今之淳乳，不及古之淡水，此乃人、天福滅使之然也。」婆羅門曰：「然則大德乃親見佛耶？」沙門曰：「然。汝豈不聞佛子羅怙羅者，我身是也。為護正法，未入寂滅。」說是語已，忽然不見。婆羅門遂以所宿之房，塗香灑掃，像設儀肅，其敬如在。

> 舎利のストゥーパ（仏塔）から西南に二百余里行くと、大きな村に至る。そこにバラモンがいた。家柄は富豪の大尽で、確固として世俗に交わらず、五明（声明・工巧明・医方明・因明・内明）を究め、三宝（仏・法・僧）を敬い崇めていた。その住まいの隣に僧坊を建立し、必要な物を全て揃え、珍宝の飾りを尽くしていた。僧侶たちが中道を通りかかると、懇ろに請じて留め、心を尽くして供養し、あるいは一晩、あるいは七日までとどまらせた。 その後、設賞迦王が仏法を毀損し、僧侶たちは仲間を絶たれ、歳月が急速に流れた。バラモンは常に懇ろな悲しみの思いを抱いていた。歩行禅定（経行）の途中、一人の沙門（修行僧）を見た。長い眉と白い髪で、杖を持ってやって来た。バラモンは走って迎えに行き、どこから来たのかを尋ね、僧坊に請じ入れて、様々な供養を備えた。朝には純粋な乳を煮て粥にし、これを差し出した。沙門は受け取ると、ほんの一口歯で噛んだだけで、すぐに鉢を置き、沈思しながら長く息を吐いた。バラモンは食を持ち、ひざまずいて尋ねた。 「大徳よ、智慧と慈悲は縁に従います。幸いにご来臨いただきました。夜が安らかでないのでしょうか？粥が味わいがないのでしょうか？」 沙門は哀れみの表情で答えた。 「私は衆生の福報と善根が次第に薄れていくのを悲しんでいるのだ。この言葉はひとまず置いておき、食が終わってから話そう。」 沙門は食事を終え、衣服を整えてすぐに歩き出そうとした。バラモンが言った。 「先ほど話すと約束されたのに、今は何もおっしゃらないのですか？」 沙門は告げた。 「私は忘れたわけではない。語るのは容易ではない。事によっては疑念を生じるかもしれない。必ず聞きたいのなら、今は手短に話そう。私が先ほど嘆いたのは、あなたの粥が薄いからではない。数百年もの間、この味を味わったことがなかったのだ。昔、如来がこの世におられた時、私はそのお供をしていた。王舎城の竹林精舎において、清らかな流れで器を洗い、あるいは口をすすぎ、あるいは手を洗い足を洗ったものだ。ああ！今の純粋な乳は、昔の真水にも及ばない。これは人々と天人の福報が減滅したためにこのようになったのだ。」 バラモンが言った。 「それでは、大徳は実際に仏にまみえたのですか？」 沙門が言った。 「その通りだ。あなたは仏の子である羅怙羅（ラーフラ）を聞いたことがないか。我こそがその者である。正法を護るために、まだ涅槃に入っていないのだ。」 この言葉を言い終わると、忽然と姿が見えなくなった。バラモンはすぐに泊まっていた部屋を、塗香と洒掃で清め、仏像を荘厳に安置し、その敬いの心はまるで仏が生きておられるかのようであった。

復大林中行五百餘里，至婆羅痆女黠反斯國舊曰波羅柰國，訛也。中印度境。

> さらに大きな林の中を五百余里ほど進むと、婆羅痆斯国に至った。かつては波羅柰国と呼ばれ、これは訛りである。中インドの領域にあたる。

## 大唐西域記卷第六

> 『大唐西域記』巻第六