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  1. 十二門論疏 (十二門論疏)
  2. 下之本 (下之本)
  3. 9 観因果門(下末) (9 觀因果門(下末))
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十二門論疏 (十二門論疏)


觀因果門第九

因果を観る門 第九

所以有此門來者,上四門求相不可得,次一門明性無蹤。故《無量義經》云「一切諸法自本來今性相空寂,以外相內性空故一切法空。」外人云:若一切法性相空者,可言無因果耶?然世出世因果不可言無,云何言無性相?是故今次明非但無有性相,求此因果亦不可得,故有此門來也。又近從性門來者,前偈上半明無萬物實體、下半明無萬物假體。外云:若假實二體空故一切法空,然因果之理不可無。若爾,終有因果,有因果故不實,即假也。毘曇實有因果體。成實具二義:一者因成,相續、相待論因果,則因實而果假。如四微實,柱是假。若法受名三假,則因果皆假,如細色成麁色是法假、四微成四大是受假、四大成五根已去為名假。又五陰為法假、人為受假、人法皆有名為名假。問:若無因果,與邪見何異?答:有五人立無因果。一立有見人謂,實有果體則不從因生,故成無因果;二外道邪見言無因果;三復二乘言無因果;四大乘人言無因果。外道是邪見撥無因果,故言無因果,此是邪見空。二乘言無因果,望大乘亦是邪見空。故《涅槃》云「若以二乘言,無布施是破戒邪見。」《智度論》云「二乘空是但空,四大乘學方廣人謂無世諦因果。」五諸佛菩薩言無因果者,因果宛然而畢竟空,故名無所得空。所以有三空異,一邪見空、二但空、三真空,今破前二空令入真空,故明因果空也。問:令悟因果空有何利?答:悟因果宛然,即畢竟空故,生如來智;雖畢竟空,因果宛然,生於佛智;因果非因果常爾,而觀行任運純熟為自然智;不從師得,為無師智。既生四智入佛知見,即是因果觀行轉明,遂得成佛為佛果乘。論主今明因果空,為釋成大乘義故也。問:悟因果空但生智慧,云何有功德耶?大乘具以福慧為體,云何但明智慧?答:既得如實悟,還為眾生如實說,即是般若大悲,故福慧具足,名大乘也。問:上來已明因果空竟,今何故復說?答曰:自上八門廣破從因生果義,復有計無因自然有果。此三一病猶未除之,是故今品次破之也。問:若爾,應言破無因有果門,云何言破因果耶?答:論主欲對破破無因有果故。此品雙破從因生果及無因有果:故言觀因果。夫論因果不出斯二:斯二既無則因果便空。又因果難明:上已廣論;今次略辨:故有此門來。又有種種觀門,今作因果觀門以悟入實相,故有此門來也。又上門破因果便備,而更有此門者,是泥洹法寶入有多門故也。問:與《中論.因果品》何異。答:彼品橫闊竪狹。廣破十家因果,並是破從因生果義,故言橫闊;不破無因有果,故言竪狹。此品略破從因生果,復破無因有果,故橫狹竪闊,故異也。門亦三:初長行發起。為二:一者總唱一切法空;「何以故」下,釋二義。別釋一切法空,所以舉二義者,上來已破因果,今復論之,似如煩重,故逆取偈意而生起之。言二義者,一明諸法無自性,此辨果不從因生;二明亦不從餘處來,此正起此門明非因不生果。

この門が設けられた理由は、先の四門で相を求めても得られず、次の一門で性が跡形もないことを明らかにしたからです。ですから『無量義経』には、「一切の諸法は本来より今に至るまで性相空寂であり、外相と内性が空であるがゆえに一切法は空である」と説かれています。

世間の人々はこう問います。「もし一切の法の性相が空であるなら、因果も無いと言えるのではないか。しかし、世間・出世間の因果は無いとは言えない。それなのに、どうして性相が無いと言えるのか」と。そこで今、ただ性相が無いだけでなく、この因果を求めても得られないことを明らかにするために、この門が設けられたのです。

また、近くは性の門から来ています。前の偈の前半は万物の実体が無いことを、後半は万物の仮の体が無いことを明らかにしました。世間の人々は言います。「もし仮と実の二つの体が空であるがゆえに一切法が空だというなら、しかし因果の理は無いとは言えない。そうであれば、結局因果は存在し、因果が存在するがゆえに実ではなく、すなわち仮である」と。

毘曇では因果の体を実有とします。成実論には二つの意味があります。一つは因によって成るということで、相続・相待によって因果を論じれば、因は実で果は仮です。例えば四微は実であり、柱は仮です。もし法が名を受けるという三仮によれば、因果は皆仮です。例えば細色が粗色を成すのは法仮、四微が四大を成すのは受仮、四大が五根以降を成すのは名仮です。また、五陰は法仮、人は受仮、人と法の全てに名があるのは名仮です。

問う:もし因果が無いなら、邪見とどう違うのか。 答える:因果を無いと立てる者に五種類あります。一には有見を立てる者が、実に果の体があるなら因から生じないと考え、それゆえ因果が無いと成す。二には外道の邪見で因果が無いと言う。三にはまた二乗が因果が無いと言う。四には大乗の人が因果が無いと言う。五には諸仏菩薩が因果が無いと言う。

外道は邪見で因果を撥無するがゆえに因果が無いと言い、これは邪見の空です。二乗が因果が無いと言うのは、大乗から見ればこれも邪見の空です。ですから『涅槃経』には「もし二乗の言葉によって、布施が無いと言うのは破戒の邪見である」とあります。『智度論』には「二乗の空は但空である」とあります。四には大乗を学ぶ方広の人が世諦の因果が無いと謂う。五には諸仏菩薩が因果が無いと言うのは、因果は宛然としてありながら畢竟空であるがゆえに、無所得空と名づけるのです。

それゆえ三つの空の違いがあります。一は邪見の空、二は但空、三は真空です。今、前の二つの空を破って真空に入らしめるために、因果が空であることを明らかにするのです。

問う:因果が空であることを悟らしめることにどんな利益があるのか。 答える:因果が宛然としていることを悟れば、畢竟空であるがゆえに、如来の智慧が生じます。畢竟空でありながら因果は宛然としていることを悟れば、仏の智慧が生じます。因果が因果でないことが常にそうであることを観じ、行いが任運に純熟して自然智となります。師から得るのでなく、無師智となります。四智が生じて仏の知見に入れば、すなわち因果の観行が転じて明らかになり、遂に仏と成って仏果乗となります。論主が今、因果が空であることを明らかにするのは、大乗の義を釈成するためです。

問う:因果が空であることを悟るのはただ智慧が生じるだけで、どうして功徳があるのか。大乗は福と慧を以て体と為すのに、どうしてただ智慧だけを明らかにするのか。 答える:既に如実に悟れば、さらに衆生のために如実に説く、これが般若大悲です。それゆえ福慧が具足し、大乗と名づけるのです。

問う:これまでに既に因果が空であることを明らかにし終えたのに、今またなぜ説くのか。 答える:上の八門で広く因から果が生じるという義を破ったが、さらに無因で自然に果があると計る者がある。この三つの病(因生・無因・自然)のうち、まだ一つ除かれていない。それゆえ今この品で次にこれを破るのです。

問う:そうであるなら、無因有果の門を破ると言うべきで、どうして因果を破ると言うのか。 答える:論主は無因有果を破るために対破しようとするからです。この品では因から果が生じることと無因で果があることの両方を破ります。それゆえ因果を観じると言うのです。およそ因果を論じればこの二つに出ません。この二つが既に無ければ、因果はすなわち空となります。

また、因果は明らかにし難い。上に既に広く論じた。今次に略かに弁じる。それゆえこの門が来たのです。また、種々の観門があるが、今、因果観門を作って以て実相に悟入する。それゆえこの門が来たのです。また、上の門で因果を破れば既に備わっているが、さらにこの門があるのは、泥洹の法宝に入るに多くの門があるからです。

問う:『中論』の因果品とどう違うのか。 答える:あの品は横に広く縦に狭い。広く十家の因果を破り、全て因から果が生じるという義を破るがゆえに横に広いと言う。無因有果を破らないがゆえに縦に狭いと言う。この品は略かに因から果が生じることを破り、さらに無因有果を破る。それゆえ横に狭く縦に広い。故に異なるのです。

門もまた三つあります。初めに長行で発起します。二つに分かれます。一つは総じて一切法空を唱える。「何以故」以下は、二つの義を解釈します。別に一切法空を解釈する。二つの義を挙げる所以は、これまでに既に因果を破ったのに、今またこれを論じるのは、煩雑に重なるように見える。それゆえ偈の意を逆に取って生起させるのです。

二つの義と言うのは、一つは諸法に自性が無いことを明らかにする。これは果が因から生じないことを弁じる。二つはまた余処から来るのでもないことを明らかにする。これは正にこの門を起こして、因でなければ果を生じないことを明らかにするのです。

偈為二:三句正破、一句總結。正破又二:上半明因內無果、次句明因外無果,文易知也。

偈は二つに分かれます。前半の三句が正しく誤りを破し、最後の一句が全体をまとめています。正しく破る部分もさらに二つに分かれ、前半は因の中に果がないことを明らかにし、次の句は因の外に果がないことを示しています。文章は読みやすいものです。

長行釋二章即二:前釋三句、次釋第四句。三句又二:前釋上半:「又是果」下,釋第三句。「若果眾緣中無」下,釋第四句也。

長い文章の解説は二つの章に分かれます。まず、最初の三句を解説し、次に第四句を解説します。三句の解説もさらに二つに分かれます。前半では「又是果」より前の部分を解説し、後半では第三句を解説します。そして、「若果眾緣中無」以下で第四句を解説します。

「果空故」下,門中第三結一切法空。

「果が空であるゆえに」以下の部分は、第三の門において一切の法が空であることを結びます。


8 觀性門(下本)
10 觀作者門(下末)

CBETA コード: T1825

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