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title: "三國佛法傳通緣起 · 毗曇宗"
description: "三國佛法傳通緣起由日本鎌倉時代高僧凝然所著，記述中國三國時期佛教傳入日本的歷史過程。該書詳細記載了佛教從中國經朝鮮半島傳至日本的緣起、經典翻譯及早期僧團活動，是研究東亞佛教傳播史的重要文獻。凝然作為華嚴宗學僧，以嚴謹的史料考證和清晰的脈絡梳理，系統呈現了佛教在東亞文化圈初傳時期的關鍵事件與人物。此書不僅是日本佛教史學的奠基性著作，更為中日韓佛教交流史提供了權威依據，在東亞佛教文獻中具有不可替代的學術價值。"
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### 毗曇宗

> 阿毘達磨宗

夫毗曇宗者。是薩婆多部。如來滅後三百年初上座部中離分立異。後後分離皆從此出。若約本源。如來滅後一百年時。第五傳法優婆毱多下橫分五部。薩婆多部即其一也。三百年初薩婆多者是後分部取百年時薩婆多名。義同彼故。如雜心法救取婆沙法救。三百年初者。指滿三百年時言初。如來滅後三百餘年迦多衍尼子大阿羅漢造阿毗曇八犍度論。苻秦僧伽提婆共竺佛念譯為二十卷。與唐朝玄奘所譯發智論二十卷是同本也。如來滅後四百年時舊云六百年間。五百羅漢造大毗婆沙釋發智論。玄奘譯之為二百卷。昔北涼天竺浮陀跋摩譯為百卷。號舊婆沙。兵火所燒六十卷存。解三犍度。七百年時法勝羅漢嫌婆沙太博。略撰要義作二百五十偈名阿毗曇心譯成四卷。世號法勝毗曇。東晉瞿曇僧伽譯。又有法勝阿毗曇心論六卷。優婆扇多造。為利弟子於法勝論加增義理。高齊那連提耶舍共法智譯。千年之間達磨多羅尊者以婆沙太博四卷極略更撰三百五十偈足前四卷合六百偈名為雜心有十一卷。宋代僧伽跋摩譯。眾事分阿毗曇十二卷。宋天竺三藏求那跋陀羅譯。與玄奘所譯品類足論同本異譯。甘露味阿毗曇二卷。尊者瞿沙造。曹魏代譯失譯人名。薩婆多宗根本有七。發智本論為身。以六足論為足。言六足者。一集異門足論。舍利弗造。有二十卷。二法薀足論十二卷。大目犍連造。三施設足論。迦多衍那子造。其論未譯。上三足論竝佛世時造。四識身足論十六卷。佛滅百年提婆設魔羅漢造。五品類足論十八卷。筏蘇密多羅唐云世友造。六界身足論三卷。亦世友造。上二竝佛滅三百年中造。五事毗婆沙論二卷。尊者法救造。如來滅後九百餘年世親菩薩造俱舍論。梵本九千頌。玄奘三藏譯為三十卷。與陳真諦三藏舊譯俱舍論二十二卷同本異譯。順正理論八十卷。眾賢論師造。破俱舍義。顯宗論四十卷。眾賢論師造。直顯有宗正義。毘曇薩婆多宗論藏東流分齊部數如是。依學此等諸論名毗曇宗。然大唐代貞觀已前學舊毗曇。玄奘新譯已後專學新翻諸論。俱舍為本兼學發智六足毗婆沙等罄薩婆多幽旨。俱舍為門名俱舍宗。俱舍論主。顯雖辨明薩婆多義。而密經部所立為善。未必婆沙評家為本隨自所好取捨造論。諸師多釋新俱舍論。普光。法寶。神泰。圓睴等師是也。新譯有宗皆玄奘三藏翻所傳也。三千門人七十達者服膺鑽仰。大唐一均無不習學。昔東晉第九主孝武帝諱曜。太元十六年辛卯北天竺罽賓國瞿曇僧伽提婆晉云眾天創譯法勝毗曇四卷。此即東夏毗曇宗之初也。當日本國人王第十七代仁德天皇七十九年辛卯。自爾已來迦延毗曇八犍度論。雜心毗曇。優婆扇多六卷心論。舊毗婆沙。舊俱舍等。數朝漸譯。諸師各講相承弘通橫竪甚昌。唐朝新譯有宗諸論大小十部傳譯詳悉。舉世講敷造䟽述章。諸師競學闌菊諍美。

> 毘曇宗というのは、薩婆多部のことです。如来が入滅されてから三百年の初めごろ、上座部の中から分かれて別の流派が立ちました。その後の分離もみなここから出ています。本源にさかのぼれば、如来の入滅後百年のとき、第五の伝法者である優婆毱多のもとで横に五部に分かれました。薩婆多部はその一つです。三百年の初めの薩婆多とは、後に分かれた部派が百年のときの薩婆多という名を取ったもので、意味が同じだからです。『雑心』の法救が婆沙の法救を取るようなものです。三百年の初めとは、ちょうど三百年を満たすときを指して初めと言います。如来の入滅後三百余年、迦多衍尼子という大阿羅漢が『阿毘曇八犍度論』を造りました。苻秦の僧伽提婆が竺佛念とともに訳して二十巻としたものです。唐朝の玄奘が訳した『発智論』二十巻と同じ本です。如来の入滅後四百年のとき<note>古くは六百年の間と言います。</note>、五百羅漢が『大毘婆沙』を造って『発智論』を解釈しました。玄奘がこれを訳して二百巻としました。昔、北涼の天竺の浮陀跋摩が訳して百巻としたものを、旧婆沙と呼びます。兵火で焼かれて六十巻が残り、三犍度を解いています。七百年のとき、法勝羅漢は婆沙が非常に広博であるのを好まず、要義を略して撰し、二百五十偈を作って『阿毘曇心』と名づけ、訳して四巻としました。世に法勝毘曇と呼びます。東晋の瞿曇僧伽が訳しました。また『法勝阿毘曇心論』六巻があり、優婆扇多が造りました。弟子のために法勝の論に義理を増補したものです。高斉の那連提耶舍が法智とともに訳しました。千年の間、達磨多羅尊者は婆沙が非常に広博で四巻が極めて略であるとして、さらに三百五十偈を撰して前の四巻に足し、合わせて六百偈とし、『雑心』と名づけました。十一巻があります。宋代の僧伽跋摩が訳しました。『衆事分阿毘曇』十二巻は、宋の天竺三蔵求那跋陀羅が訳しました。玄奘が訳した『品類足論』と同じ本の異訳です。『甘露味阿毘曇』二巻は、尊者瞿沙が造りました。曹魏の代に訳され、訳者の名は失われています。薩婆多宗の根本には七つあります。『発智』本論を身体とし、六足論を足とします。六足とは、第一に『集異門足論』、舎利弗が造り、二十巻あります。第二に『法蘊足論』十二巻、大目犍連が造りました。第三に『施設足論』、迦多衍那子が造りましたが、その論は訳されていません。以上の三足論はみな仏在世のときに造られました。第四に『識身足論』十六巻、仏滅後百年に提婆設魔羅漢が造りました。第五に『品類足論』十八巻、筏蘇密多羅、唐には世友といい、が造りました。第六に『界身足論』三巻、これも世友が造りました。以上の二つはみな仏滅後三百年の中に造られました。『五事毗婆沙論』二巻は、尊者法救が造りました。如来の入滅後九百余年、世親菩薩が『倶舎論』を造りました。梵本は九千頌、玄奘三蔵が訳して三十巻としました。陳の真諦三蔵が旧訳した『倶舎論』二十二巻と同じ本の異訳です。『順正理論』八十巻は、衆賢論師が造り、倶舎の義を破りました。『顕宗論』四十巻は、衆賢論師が造り、有宗の正義を直接顕しました。毘曇薩婆多宗の論蔵が東流した分斉と部数はこのとおりです。これらの諸論を学ぶことに依って毘曇宗と名づけます。しかし大唐の貞観以前は旧毘曇を学び、玄奘の新訳以後はもっぱら新しく翻訳された諸論を学びました。倶舎を本とし、兼ねて発智・六足・毘婆沙などを学び、薩婆多の奥義を尽くしました。倶舎を門とするので倶舎宗と名づけます。倶舎論主は、表向きは薩婆多の義を明らかに弁じていますが、密かには経部の立てるところを善としました。必ずしも婆沙の評家を本とせず、自分の好みに随って取捨して論を造ったのです。多くの師が新倶舎論を解釈しました。普光・法宝・神泰・円暉などの師がそれです。新訳の有宗はみな玄奘三蔵が翻訳して伝えたものです。三千の門人、七十の達者が服膺して鑽仰しました。大唐では一均として習学しない者はありませんでした。昔、東晋の第九主孝武帝、諱は曜、太元十六年辛卯に、北天竺罽賓国の瞿曇僧伽提婆、晋には衆天といい、が初めて法勝毘曇四巻を訳しました。これが東夏の毘曇宗の初めです。わが日本国の人王第十七代仁徳天皇七十九年辛卯に当たります。それ以来、迦延毘曇八犍度論、雑心毘曇、優婆扇多六巻心論、旧毘婆沙、旧倶舎などが、数朝にわたって次第に訳されました。諸師がそれぞれ講じ、相承して弘通し、横にも縦にも非常に盛んになりました。唐朝の新訳有宗の諸論は大小十部が伝訳されて詳しく尽くされました。世を挙げて講敷し、疏を造り章を述べ、諸師が競って学び、闌菊のように美を争いました。