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title: "出三藏記集 · 16 慧印三昧及濟方等學二經序讚"
description: "出三藏记集是中国佛教史上第一部系统的佛教经录由南朝梁代高僧僧祐编撰成书于天监年间该书在道安综理众经目录基础上增补完善记载东汉至梁代所译经律论目录并保存大量译经文献及高僧传记其内容分为撰缘起诠名录总经序述列传四部分不仅梳理了汉译佛典源流更收录众多珍贵序跋和僧传是研究中国佛教早期传播与经典翻译不可或缺的权威史料在佛教文献学与目录学领域具有开创性地位被誉为现存最古的佛教经录对后世大藏经的形成影响深远"
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### 慧印三昧及濟方等學二經序讚第十六

> 慧印三昧経と済方等学の二経序讃第十六

王僧孺撰

> 王僧孺の撰

夫六畫相因。懸日月而無改。二字一吐。更天地而靡渝。雖書不盡言。言非書不闡。言不盡意。意非言不稱。是以諦聽善思承茲利喜。俯首屈足恭此受持。若讀若誦。已說今說。一音一偈莫匪舟梁。一讚一稱動成輪軌。況夫五力方圓四攝無怠。開方便門示真實相。流方等之妙說。得菩提之至因。沐此寶池照茲法炬。香雲靡靡慧露傍流。出伽耶之妙城。發娑羅之寶樹。建安殿下含章。基性育德成體。憓聲溢於秋水。義美光於冬日。事高祖丘兔圃。名出前意後蒼。損己利人忘我濟物。傍通兼善無礙無私。若空谷之必應如洪鍾之虛受。匡法弘道以善為樂。重以植顯因於永劫。襲妙果於茲生。託意紹隆用心依止。妙達空有深辯權實。而玉體不安有虧凉暑。行仁莫顯楚君日見其瘳。施德靡言。漢相方饗其樂。桂葉龜腦。固風寒之易銷。茘葩鸞骨。更騰飛之可孱。況復慧身方漸善根宿樹。無勞湔腸澣胃。不待望色察聲。有廣州南海郡民何規。以歲次協洽月旅黃鍾天監之十四年十月二十三日。採藥於豫章胡翼山。幸非放子逐臣。乃類尋仙招隱。登峯十所里。屑若有來。將循曲陌先限清㵎。或如止水乍有潔流。方從揭厲且就褰攬。未濟之間忽不自覺。見㵎之西隅有一長者。語規勿渡。規於時即留。其人面色正青。徒跣捨屨。年可八九十。面已皺斂。鬚長五六寸。髭半於鬚。耳過於眉。眉皆下被。眉之長毛。長二三寸。隨風相靡。脣色甚赤。語響而清。手爪正黃。指毛亦長二三寸。著赭布帔。下有赭布泥洹僧。手捉書一卷。遙投與規。規即捧持望禮三拜。語規可以此經與建安王。兼言王之姓字。此經若至。宜作三七日病齋。若不曉齋法。可問下林寺副公。副法師者。戒行精苦恬憺無為。遺嗜欲等豪賤。蔬藿自充禪寂無怠。此長者言畢便去。行十餘步間。忽不復覩規開卷敬視。名為慧印三昧經。經旨以至極法身無相為體。理出百非義喻名相。寂同法相妙等真如。言其慧冥此理有若恒印心照凝寂。故以三昧為名。後又有濟諸方等學經。此下又題云。天竺薩和鞞曰僧迦與海虎王。經旨以流通至教。軌法有體。所以誡示大土化物方法言若濟諸蒼民。宜弘方等之教。方等者大乘之通名。究竟之弘旨。其軸題云。燉煌菩薩沙門支法護所出。竺法首筆受。共為一卷。寫以流通。軸用淳漆。書甚緊潔。點製可觀。究尋義趣。或微或顯。稱在羅閱山箸陀隣尼行。無來無去非住非止。斯蓋鷲嶽鶴林之別記。寶殿孤園之後述。不殊玉撿靡異寶函。理出希微辭深鉤致。是惟正說曾匪異端。雖王遵之得四十二章。安清之出百六十品。無以惑異。

> 六つの文字が互いに重なり合い、日月は懸かって変わることがない。二字がひとたび吐き出されれば、天地が変わっても揺るぎない。書は言葉を尽くすことはできなくとも、言葉は書かれなければ明らかにならない。言葉は意を尽くすことはできなくとも、意は言葉なくしては表せない。ゆえに、よく聴き、よく考え、この利喜を受け繼ぎ、頭を垂れ足を屈して、恭敬のうちにこの教えを受け持つのだ。読経しても誦経しても、すでに説かれたものも、いま説かれるものも、一言の声、一つの偈も、すべて彼岸へ渡す船であり橋である。一つの賛嘆、一つの称名も、すべて道の輪軌となる。ましてや五力をめぐらせ、四摂を怠ることなく、方便の門を開き、真実の相を示し、方等の妙説を流布し、菩提の至因を得ることは、なおさらである。この宝の池に沐浴し、この法の炬火を照らし、香雲はそそがれ、慧露は流れゆく。伽耶の妙城を出で、娑羅の宝樹を発つ。 建安殿下は、その才徳を備え、本性を育て、品性を成し、美しき声は秋水にあふれ、正義の光は冬日のように輝く。その行いは高祖の丘兔の圃に事え、名は前意・後蒼に勝る。己を損ねて人を利し、我を忘れて物を済う。あらゆることに通じ、善を兼ね、妨げがなく、私心がない。空谷が必ず応ずるがごとく、大きい鐘が虚しく受け止めるがごとし。法を正しくし、道を弘め、善を喜びとする。さらに、永劫にわたって顕かな因を植え、この生において妙なる果を継ぐ。心を託して教えを興し、心を寄せてよりどころとし、空と有に妙に達し、権と実を深く弁ずる。 しかし、玉のからだは安からず、暑さ寒さに衰えがある。仁を行えば、楚の君は日にその病の癒えるを見るであろう。徳を施して言わなければ、漢の相はまさにその楽しみを享受するであろう。桂の葉亀の脳は、風邪が消えやすいことを堅くする。茘の葩、鸞の骨は、さらに舞い上がることができる。ましてや、慧の身はまさに漸く、善根はすでに植えられ、腸を洗い胃をすすぐ労なく、色を望み声を察するを待たない。 ここに広州南海郡の民、何規という者がいた。天監十四年十月二十三日、歳は協洽、月は黄鍾の旅に当たり、豫章の胡翼山に薬を採りに出かけた。幸いに放逐された者や罪人ではなく、仙を尋ね隠者を招くのに類するものであった。峰に登ること十里ばかり、かすかに来るものがあるようであった。曲がりくねった道に従おうとしたが、先に清らかな谷川に阻まれた。あるいは止まる水のごとく、ときに澄んだ流れがあった。まさに徒渉しようと、衣を掲げようとした。渡り終えない間に、ふと自ら気づかぬことがあった。谷川の西の隅に一人の長者がいるのを見た。規に「渡るな」と語った。規はそのとき留まった。その人の顔色は正しく青く、裸足で屐を脱ぎ、年は八、九十ばかりで、顔はすでに皺だらけであり、鬚は五、六寸あり、髭は鬚の半分ほどで、耳は眉を越え、眉はみな下がって垂れ、眉の長い毛は二、三寸あり、風に靡いていた。唇の色は非常に赤く、声は響きがよく澄んでいた。手の爪は正しく黄色で、指の毛も長さ二、三寸あった。赭色の布の帔を著け、その下に赭色の布の泥洹僧を著けていた。手に経巻一巻を捉え、遠くから規に投げ与えた。規はすぐに捧げ持ち、望んで礼を三度した。長者は規に語った。「この経を建安王に与えなさい。王の姓と字を兼ねて伝えなさい。この経が届いたならば、三七日間の病の斎を作りなさい。もし斎の作法を知らなければ、下林寺の副公に問いなさい」と。 副法師は、戒行が精しく苦しく、恬淡として為すところがなく、嗜欲を捨て、豪賤を等しくし、蔬菜だけで自らを満たし、禅寂に怠ることがなかった。この長者は言い終えるとすぐに去った。十数歩行くうちに、忽然と再び見えなくなった。規は巻を開き、敬って見た。名づけて『慧印三昧経』という。その経旨は、至極の法身は無相を体となし、理は百非を出で、義は名相を喩え、寂は法相と同じく、妙は真如に等しい。その慧がこの理に冥合すること、あたかも恒に印するがごとく、心の照らしは凝寂である。ゆえに三昧を名とする。後にはまた『済諸方等学経』があった。この下にまた題して、「天竺の薩和鞞曰く、僧迦は海虎王と」と。その経旨は、至教を流通せしめ、軌法は体あり、大士が物を化する方法を誡め示す。もし諸々の蒼民を済わんと欲すれば、まさに方等の教えを弘めるべきであると。方等とは、大乗の通名であり、究竟の弘旨である。 その軸に題して、「燉煌の菩薩沙門、支法護が所出し、竺法首が筆受し、あわせて一巻とし、書写して流通す」と。軸は淳漆を用い、書は非常に緊潔で、点画は見事であった。義趣を究め尋ぬれば、あるいは微かにあるいは顕かであり、羅閲山の箄陀隣尼行に称える。来たることもなく去ることもなく、住することもなく止まることもない。これはすなわち鷲嶽・鶴林の別記であり、宝殿・孤園の後述である。玉の箱と異ならず、宝の函と違わない。理は希微から出で、辞は深く、鉤致に及ぶ。これこそ正説であり、曾て異端ではない。王遵が四十二章を得、安清が百六十品を出だすとも、惑い異にするには足らないのである。

大王沐浴持奉擎跪鑽習。多寫廣述闡揚玄旨。孰匪醫王即斯藥樹。不待眠眴無勞苦口。捨茲六術屏此十巫。昔或授編書於圯上。受揣術於谷裏。乍有寓言。且或假夢未有因應。炳發若此其至焉。受命下才式旍上道。敢因滓賤率此顓蒙。其辭曰。

雷音震響。錄簡青編。匪言曷教。非迹靡傳。是資妙象。實寄幽筌。照之慧燭。濟以寶船。懇哉至矣。在應斯圓。覆其靉靆。浸此熙漣。救焚拯溺。去蓋銷纏。灼灼應韓。英英河楚。松孤桂鬱。鸞栖鵬舉。照野光朝。潤山枯渚。濫源茲永。覆匱已多。欝為蕃幹。擢此天柯。寄誠梵表。託好禪阿。接足能仁。心直妙覺。用遺滯染。是祛塵濁。靡向非真。何背非俗。一忘受想。將損味觸。無德不詶。有感必召。吐彼神決。示我玄要。既蠲既已。留華及少。等以北恒。均之東耀。

> 雷鳴のような響きが轟き、書き記された文字が連なる。 言葉がなければ、どうして教えを伝えられようか。文字がなければ、どうして広まるだろうか。 ここに妙なる姿が立ち現れ、真に深い教えの手がかりが託されている。 智慧の燈明が照らし、宝の船が人々を渡す。 真心を尽くした教えこそ、悟りへと至る道を開くのだ。 立ちこめる雲を晴らし、清らかな水に浸して、 火の苦しみから救い、水の苦しみから助け、煩いの覆いを取り除き、束縛を断つ。 光り輝く存在が韓の地に現れ、優れた人々が河や楚の地に育つ。 松のように孤高に立ち、桂のように茂り、鳳凰が舞い、大鵬が翔けるように。 野原を照らし、朝を輝かせ、山々を潤し、枯れた水辺を甦らせる。 淵は永遠に流れ続け、覆われていた宝もすでに多く現れた。 やがて大きく茂る木となり、天へと伸びる枝となる。 その誠の心を仏の世界に届け、禅の境地に親しむ。 仏の足もとに至り、心はそのまま妙なる悟りへと向かう。 とどまる煩悩を離れ、俗世の塵を取り除く。 心の向かうところが真実でなければ、どの道も俗となる。 受けることも想うことも忘れれば、味わいや触れ合いへの執着も消え去る。 施した徳に対して報いがなくとも、真心をもって応えれば必ず感応がある。 その神聖なる悟りを説き、深遠なる真理を示してくださった。 すでに煩悩を除き終えて、後の世の人々への慈悲の花を残してくれた。 その教えは、北の果てのように永遠であり、東の光輝のように遍く照らすのである。

祐少尋經律。竊闚諸部之奧。但一切變易萬事遷訛。所以古今同異觸類皆有。故魚謬為魯陶誤成陰。案晉末以來。關中諸賢經錄云。慧印三昧經。支謙所出。濟方等大乘學經。法護所出。聖法印經。後記云。晉元康四年。菩薩沙門支法護。於酒泉出此經。弟子竺法首筆受。而何規所得經本二經同卷題方等。於法護亂三昧。於支謙實由編寫成。然非為誣濫。而一往觀覽。容生疑惑。聊記所憶。存之末塵。故出別記。

> 私は若い頃から経典や律典を学び、諸部の奥義をひそかに覗いてきた。しかし、すべてのものは移り変わり、万事は移ろいゆくものである。ゆえに、古と今で同じものでも異なり、あらゆる事柄に違いが生じるのである。例えば、「魚」が「魯」と誤記され、「陶」が「陰」と誤られるようなことがある。 晋の末年以来、関中の諸賢が記した経録によれば、「慧印三昧経」は支謙による翻訳であり、「済方等大乗学経」は法護による翻訳とされている。「聖法印経」の後記には、晋の元康四年に、菩薩沙門の支法護が酒泉でこの経を訳し、弟子の竺法首が筆受したとある。 ところが、何規が得た経本では、二つの経が同じ巻にまとめられ、「方等」と題されていた。これは、法護の訳を「三昧」と混同し、支謙の訳と取り違えたもので、実際には編写の際の誤りによるものである。しかし、これは意図的な偽りではない。ただ、ひとたび見ると、疑問を抱かせることはある。そこで、記憶するところを記し、末席に残しておく次第である。ゆえに、別記を設けるのである。