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title: "大般涅槃經 · 4"
description: "大般涅槃经由南朝宋慧严、谢灵运等依据法显所译六卷本泥洹经与昙无谶所译北本涅槃经对照修订而成。本经详述释迦牟尼佛入灭前的教法，系统阐述如来藏思想、众生皆有佛性及一阐提亦可成佛的核心理念。作为大乘佛教的重要经典，它确立了中国佛教心性论的理论基础，对天台宗、华严宗等宗派教义形成具有深远影响，被誉为大乘佛教的终极教典之一。"
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## 大般涅槃經卷第二十八

> 大涅槃経 巻第二十八

宋代沙門慧嚴等依泥洹經加之

> 宋の沙門慧厳らが『泥洹経』に依って加えたもの

### 師子吼菩薩品之四

> 獅子吼菩薩品 その4

「是時，六師心生嫉妬，悉來集詣波斯匿王，作如是言：『大王當知：王之土境清夷閑靜，真是出家住止之處。是故，我等為斯事故而來至此。大王以正法治，為民除患。沙門瞿曇年既幼稚，學日又淺，道術無施。此國先有耆舊宿德，自怙王種，不生恭敬。若是王種，法應治民，如其出家，應敬宿德。大王善聽：沙門瞿曇真實不生王種之中。瞿曇沙門若有父母，何由劫奪他人父母？大王！我經中說：「過千歲已，有一妖祥幻化物出。」所謂沙門瞿曇是也。是故當知：沙門瞿曇無父、無母。若有父母，云何說言諸法無常苦、空、無我、無作、無受？以幻術故，誑惑眾生，愚者信受、智者捨之。大王！夫人王者，天下父母，如秤、如地、如風、如火、如道、如河、如橋、如燈、如日、如月，如法斷事，不擇怨親。沙門瞿曇不聽我活，隨我去處追逐不捨。唯願大王聽我與彼捔其道力，若彼勝我，我當屬彼；我若勝彼，彼當屬我。』

> そのとき、六人の師たちは心に嫉妬を抱き、そろって波斯匿王のもとへ集まり、こう言った。 「大王、ご存じください。大王の国は清らかで静かであり、まさに出家和住の地でございます。それゆえ、私たちはこのことのためにここへ参りました。大王は正しい法で治め、民の苦しみを取り除いておられます。しかし、沙門瞿曇は年も若く、修行の日も浅く、道の力もまだ現れておりません。この国には古くからの徳ある長老たちがおられますが、瞿曇は自ら王族の出身と頼り、長老たちに恭敬の心を起こしません。もし王族ならば、法に従って民を治めるべきです。もし出家したのなら、長老を敬うべきです。大王、よくお聞きください。沙門瞿曇は実に王族から生まれたのではありません。もし瞿曇に父母がいるのなら、なぜ他人の父母を奪うことがありましょうか。大王、私の経典にはこう説かれています。『千年を過ぎたころ、ひとつの妖しき幻が現れる』と。それがすなわち沙門瞿曇のことです。ですから知るべきです。沙門瞿曇には父も母もいないのだと。もし父母がいるのなら、どうして諸法は無常・苦・空・無我・無作・無受であると言えましょうか。幻術によって衆生を惑わし、愚かな者は信じ受け入れ、賢い者は捨て去ります。大王、王たる者は天下の父母であり、秤のように、地のように、風のように、火のように、道のように、河のように、橋のように、灯のように、日のように、月のように、法に従って物事を裁き、怨みや親しみによって選んだりしません。沙門瞿曇は私の生きることを許さず、私の行く先々どこまでも追いかけて離れません。どうか大王、私と彼とで道の力を競わせることをお許しください。もし彼が私に勝てば、私は彼に従いましょう。もし私が彼に勝てば、彼が私に従うべきです。」

「王言：『大德！汝等各各自有行法，止住之處亦各不同，我今定知如來世尊於汝無妨。』六師答言：『云何無妨？沙門瞿曇以幻術法誘誑諸人及婆羅門歸伏已盡。王若聽我與捔道力，王之善名流布八方；如其不者，惡聲盈路。』王言：『大德！汝等未知如來道力威神巍巍，故求捔試。若定知者，恐不能也。』『大王！汝今已受瞿曇幻耶？唯願大王留神聽察，莫輕我等。搆之虛言，不如驗之以實。』王言：『善哉，善哉。』六師之徒歡喜而出。

> 王が言いました。「大徳の方々よ、あなたがたにはそれぞれ自分の修行の方法があり、留まる場所もそれぞれ異なっています。私は今、如来・世尊があなたがたの妨げにはならないとよく分かりました。」 六人の師たちが答えました。「どうして妨げにならないなどと言えるのでしょう。修行者ゴータマは幻術の法で人々やバラモンたちを誘い惑わせ、すっかり帰依させてしまいました。王よ、もし私どもに彼と道の力を競わせることをお許しくだされば、王の善き名声は八方に広まるでしょう。もしお許しくださらなければ、悪い噂が道にあふれることでしょう。」 王が言いました。「大徳の方々よ、あなたがたは如来の道の力と威神がどれほど偉大かをまだご存じない。だからこそ競い試そうと求めるのです。もし本当にご存じなら、きっとそのようにはできないでしょう。」 「大王よ、あなたは今すでにゴータマの幻術にかかっておられるのですか。どうか大王、心を留めてよくお聞きください。私どもを軽んじないでください。根拠のない言葉を並べるより、実際に確かめるほうがよいではありませんか。」 王が言いました。「よろしい、よろしい。」 六人の師の弟子たちは喜んで外へ出て行きました。

「時波斯匿王即勅嚴駕，來至我所，頭面禮敬，右繞三匝，退坐一面，而白我言：『世尊！六師向來求捔道力，我不量度，敢已許之。』佛言：『大王！善哉，善哉。但當更於此國處處造立僧坊。何以故？我若與彼捔其神力，彼眾之中受化者多，此處狹小，云何容受？』

> そこで波斯匿王はすぐに車を整えさせ、私のもとへやって来て、頭を地につけて礼をし、右に三度まわってから、一方に退いて座り、私にこう言いました。「世尊、六人の師が以前から道の力を競い合おうと求めております。私はよく考えもせず、つい許してしまいました。」仏は言いました。「大王、よくやった、よくやった。ただし、この国にさらにあちこちに僧坊を建てなさい。なぜかというと、私が彼らと神通力を競い合えば、あの人々の中から教えを受け入れる者が多く出るでしょう。ここは狭すぎて、どうして収まりきるでしょうか。」

「善男子！我於爾時為六師故，從初一日至十五日現大希有神通變化。當是時也，無量眾生發阿耨多羅三藐三菩提心；無量眾生於三寶所生信不疑；六師徒眾其數無量，破邪見心，正法出家；無量眾生於菩提中得不退心；無量眾生得陀羅尼諸三昧門；無量眾生得須陀洹果至阿羅漢果。

> 「善い人よ。そのとき、私は六人の師のために、最初の日から十五日目まで、大きな不思議な神通の変化をお示しした。ちょうどそのとき、数えきれないほどの人々が、悟りを求める心を起こした。数えきれないほどの人々が、仏法僧の三宝に対して疑いのない信を生じた。六人の師の弟子たちも数えきれないほどおり、邪な見方を捨てて、正しい法のもとで出家した。数えきれないほどの人々が、菩提において退かない心を得た。数えきれないほどの人々が、陀羅尼やさまざまな三昧の門を得た。数えきれないほどの人々が、須陀洹の果から阿羅漢の果に至るまでを得たのである。」

「爾時，六師內心慚愧，相與圍繞至婆枳多城，教彼人民信受邪法：『瞿曇沙門但說空事。』

> そのとき、六人の師たちは内心で恥じ入りながら、互いに連れ立って婆枳多城へ行き、そこの人々に邪(よこしま)な教えを信じさせた。「瞿曇(くどん)の修行者はただ空(くう)のことばかり説いている」と。

「善男子！我時為母處忉利天，波利質多樹安居說法。是時，六師心大歡喜，唱言：『善哉，瞿曇幻術今已滅沒。』復教無量無數眾生增長邪見。爾時，頻婆娑羅波斯匿王及四部眾白目連言：『大德！此閻浮提邪見增長，眾生可愍，行大黑闇。惟願大德至彼天上稽首世尊，如我言曰：「譬如犢子，其生未久，若不得乳，必死無疑；我等眾生亦復如是。惟願如來哀愍眾生，還來住此。」』時目犍連默然而許，如大力士屈伸臂頃往彼天上至世尊所，白佛言：『閻浮提中所有四眾渴仰如來，思見聞法。頻婆娑羅波斯匿王及四眾等稽首足下：「此閻浮提所有眾生邪見增長，行大黑闇，甚可憐愍。譬如犢子，其生未久。若不得乳，必死不疑。我等亦爾。惟願如來為眾生故，還來在此閻浮提中。」』佛告目連：『汝今速還至閻浮提，告諸國王及四部眾：却後七日，我當還下。為六師故，復當至彼婆枳多城。』

> 善男子よ、私がそのとき母のために忉利天にいて、波利質多樹の下で安居して法を説いていた。そのとき、六師たちは心から大喜びして、「善哉、瞿曇の幻術は今や滅び去った」と唱えた。そして無量無数の衆生に邪見を増長させた。そのとき、頻婆娑羅王と波斯匿王、および四部の衆が目連に言った。「大徳よ、この閻浮提では邪見が増え、衆生は哀れむべき状況で、大きな暗闇を行っています。どうか大徳よ、あの天上に行き、世尊に稽首して、私たちの言葉としてこう伝えてください。『たとえば子牛が生まれて間もなく、乳を得られなければ必ず死ぬことは疑いありません。私たち衆生もまた同じです。どうか如来よ、衆生を哀れんで、還ってここにお住まいください』と。」そのとき目犍連は黙って承諾し、大力士が臂を屈伸するほどの間にあの天上へ行き、世尊のもとに至って仏に言った。「閻浮提の中のすべての四衆は如来を渇仰し、お会いして法を聞くことを思っています。頻婆娑羅王と波斯匿王、および四衆たちは足下に稽首してこう言っています。『この閻浮提のすべての衆生は邪見が増え、大きな暗闇を行い、たいへん哀れむべきです。たとえば子牛が生まれて間もなく、乳を得られなければ必ず死ぬことは疑いありません。私たちもまた同じです。どうか如来よ、衆生のために、還ってこの閻浮提にお戻りください』と。」仏は目連に告げた。「あなたは今すぐ閻浮提に還り、もろもろの国王と四部の衆に告げなさい。七日後、私は還り下るであろう。六師のために、さらにあの婆枳多城にも至るであろう」と。

「過七日已，佛與釋天、梵天、魔天、無量天子及首陀會一切天人前後圍繞至婆枳多城，大師子吼作如是言：『唯我法中獨有沙門及婆羅門，一切諸法無常、無我，涅槃寂靜，離諸過患。若言他法亦有沙門及婆羅門、有常、有我、有涅槃者，無有是處。』爾時，無量無邊眾生發阿耨多羅三藐三菩提心。是時，六師各相謂言：『若我法中實無沙門、婆羅門者，云何而得世間供養？』於是六師復相集聚，詣毘舍離。

> 七日が過ぎると、仏は釈天、梵天、魔天、無量の天子、そして首陀会のすべての天人に前後を囲まれながら、婆枳多城へと向かわれました。そして、大師子吼としてこうお説きになりました。 「ただ私の教えの中にだけ、沙門と婆羅門がいる。すべてのものは無常であり、無我であり、涅槃は静けさそのものであり、あらゆる過ちや災いから離れている。もし他の教えにも沙門や婆羅門があり、常住があり、我があり、涅槃があると言うのなら、そのようなことはありえない。」 そのとき、無量無辺の生きとし生けるものが、阿耨多羅三藐三菩提の心を起こしました。そこで六人の師たちは互いにこう言い合いました。 「もし私たちの教えに本当に沙門も婆羅門もいないのなら、どうして世間からの供養を受けることができようか。」 そこで六人の師たちは再び集まり、毘舎離へと向かいました。

「善男子！我於一時住毘舍離菴羅林間。時菴羅女知我在中，欲來我所。我於爾時告諸比丘，當觀念處，善修智慧，隨所修習，心莫放逸。云何名為觀於念處？若有比丘觀察內身不見於我及以我所，觀察外身及內外身不見於我及以我所，觀受心法亦復如是，是名念處。云何名為修習智慧？若有比丘真實而見苦、集、滅、道，是名比丘修習智慧。云何名為心不放逸？若有比丘念佛、念法、念僧、念戒、念捨、念天，是名比丘心不放逸。

「時菴羅女即至我所，頭面作禮，右繞三匝，修敬已畢，却坐一面。善男子！我於爾時為菴羅女如應說法。是女聞已，發阿耨多羅三藐三菩提心。

「時彼城中有梨車子，其數五百，來至我所，頭面作禮，右繞三匝，修敬已畢，却坐一面。我時復為諸梨車子如應說法：『諸善男子！夫放逸者有五事果。何等為五？一者、不得自在財利，二者、惡名流布無外，三者、不樂惠施窮乏，四者、不樂見於四眾，五者、不得諸天之身。諸善男子！因不放逸，能生世法、出世間法。若有欲得阿耨多羅三藐三菩提者，應當勤修不放逸法。夫放逸者，復得十三果報。何等十三？一者、樂為世間作業，二者、樂說無益之言，三者、常樂久寢睡眠，四者、樂說世間之事，五者、常樂親近惡友，六者、懈怠懶惰，七者、常為他人所輕，八者、雖有所聞尋復忘失，九者、樂處邊地，十者、不能調伏諸根，十一者、食不知足，十二者、不樂空寂，十三者、所見不正，是名十三。善男子！夫放逸者，雖得近佛及佛弟子，猶故為遠。』諸梨車子言：『我等自知是放逸人。何以故？如其我等不放逸者，如來法王當出我土。』

「時大會中有婆羅門子名曰無勝，語諸梨車：『善哉，善哉。如汝所言，頻婆娑羅王已獲大利。如來世尊出其國土，猶如大池生妙蓮花，雖生在水，水不能污。諸梨車子！佛亦如是，雖生彼國，不為世法之所滯礙。諸佛世尊無出、無入，為眾生故，出現於世，不為世法之所滯礙。仁等自迷，耽荒五欲，不知親近往如來所，是故名為放逸之人，非佛出於摩伽陀國名放逸也。何以故？如來世尊猶彼日、月，非為一人、二人出世。』

「時諸梨車聞是語已，尋發阿耨多羅三藐三菩提心。復作是言：『善哉，善哉。無勝童子！快說如是善妙之言。』時諸梨車各各脫身所著一衣以施無勝。無勝受已，轉以奉我，復作是言：『世尊！我從梨車得是衣物，唯願如來哀愍眾生，受我所獻。』我於爾時愍彼無勝，即為納受。時諸梨車同時合掌作如是言：『唯願如來於此土地一時安居，受我微供。』我時默然受梨車請。是時六師聞是事已，師宗相與詣波羅㮈。

「爾時，我復往波羅㮈住波羅河邊。時波羅㮈有長者子名曰寶稱，耽荒五欲，不知非常。以我到故，自然而得白骨觀法，見其殿舍、宮人、婇女悉為白骨，心生怖懼，如刀、毒蛇、如賊、如火。即出其舍來詣我所，隨路告言：『瞿曇沙門！我今如為賊所追逐，甚大怖懼，願見救濟。』佛言：『善男子！佛、法、眾僧安隱無懼。』長者子言：『若三寶中無所畏者，我今亦當得無所畏。』我即聽其出家為道。時長者子復有同友，其數五十，遙聞寶稱厭離出家，即共和順，相與出家。

「六師聞已，展轉復詣瞻婆大城。時瞻婆國一切人民悉共奉事六師之徒，初未曾聞佛、法、僧名，多有諸人作極惡業。我於爾時為眾生故往瞻婆城。時彼城中有大長者無有繼嗣，供事六師以求子息。於後不久，其婦懷妊。長者知已，往六師所歡喜而言：『我婦懷妊，男耶？女耶？』六師答言：『生必是女。』長者聞已，心生愁惱。復有知識來謂長者：『何故愁惱乃如是耶？』長者答言：『我婦懷妊，未知男女，故問六師。六師見語：「如我相法，生必是女。」我聞是語，自惟年老、財富無量，如其非男，無所付囑，是故我愁。』知識復言：『汝無智慧。先不聞耶？優樓頻螺迦葉兄弟為誰弟子？佛耶？六師耶？六師若是一切智者，迦葉何故捨之，為佛弟子。又，舍利弗、目犍連等及諸國王頻婆娑羅等、諸王夫人、末利夫人等、諸國長者須達多等，如是諸人非佛弟子耶？曠野鬼神、阿闍世王、護財醉象、鴦掘摩羅，惡心熾盛，欲害其母，如是等輩斯非如來所調伏耶？長者！如來世尊於一切法知見無礙，故名為佛；發言無二，故名如來；斷煩惱故，名阿羅訶。世尊所說終無有二，六師不爾，云何可信？如來今者近在此住，若欲實知，當詣佛所。』

「爾時，長者即與是人來詣我所，頭面作禮，右遶三匝，合掌長跪而作是言：『世尊於諸眾生平等無二，怨、親一相；我為愛結之所繫縛，於怨、親中未能無二。我今欲問如來世事，深自愧懼，未敢發言。世尊！我婦懷妊，六師相言：「生必是女。」是事云何？』佛言：『長者！汝婦懷妊是男無疑。其兒生已，福德無比。』爾時，長者聞是語已，生大歡喜，便退還家。

「爾時，六師聞我玄記：『生者必男，有大福德。』心生嫉妬，以菴羅果和合毒藥，持往其家語長者言：『快哉，瞿曇善說其相。汝婦臨月，可服此藥。服此藥已，兒則端正，產者無患。』長者歡喜，受其毒藥，與婦令服，服已尋死。六師歡喜，周遍城市高聲唱言：『沙門瞿曇記彼長者婦當生男，其兒福德天下無勝。今兒未生，母已喪命。』爾時，長者復於我所生不信心，即依世法殯殮棺蓋，送至城外，多積乾薪，以火焚之。

「我以道眼明見此事，顧命阿難：『取我衣來，吾欲往彼摧滅邪見。』時毘沙門天告摩尼跋陀大將言：『如來今欲詣彼塚間，卿可速往，平治掃灑，安師子座，求妙香花莊嚴其地。』爾時，六師遙見我往，各相謂言：『瞿曇沙門至此塚間欲噉肉耶？』爾時，多有未得法眼諸優婆塞各懷愧懼而白我言：『彼婦已死，願不須往。』爾時，阿難語諸人言：『且待須臾，如來不久當廣開闡諸佛境界。』

「我時到已，坐師子座。長者難言：『所言無二，可名世尊。母已終亡，云何生子？』我言：『長者！卿於爾時都不見問母命脩短，但問所懷為是男女。諸佛如來發言無二，是故當知定必得子。』是時死屍火燒腹裂，子從中出，端坐火中，猶如鴛鴦處蓮花臺。六師見已，復作是言：『妖哉，瞿曇！善為幻術。』長者見已，心復歡喜，呵嘖六師：『若言幻者，汝何不作？』

「我於爾時尋告耆婆：『汝往火中抱是兒來。』耆婆欲往，六師前牽語耆婆言：『瞿曇沙門所作幻術未必常爾，或能、不能。如其不能，脫能燒害，汝今云何信受其言？』耆婆答言：『如來使入阿鼻地獄，所有猛火尚不能燒，況世間火？』爾時，耆婆前入火聚——猶入清涼大河水中——抱持是兒，還詣我所，授兒與我。我受兒已，告長者言：『一切眾生壽命不定，如水上泡。眾生若有重業果報，火不能燒、毒不能害。是兒業報，非我所作。』時長者言：『善哉，世尊！是兒若得盡其天命，唯願如來為立名字。』佛言：『長者！是兒生於猛火之中，火名樹提，應名樹提。』爾時會中見我神化，無量眾生發阿耨多羅三藐三菩提心。

「爾時，六師周遍六城不得停足，慚愧低頭，復來至此拘尸那城。既至此已，唱如是言：『諸人當知：沙門瞿曇是大幻師，誑惑天下遍六大城。譬如幻師幻作四兵，所謂車兵、馬兵、象兵、步兵。又復幻作種種瓔珞、城郭、宮宅、河池、樹木。沙門瞿曇亦復如是，幻作王身，為說法故，或作沙門、婆羅門身、男身、女身、小身、大身，或作畜生、鬼、神之身，或說無常、或說有常，或時說苦、或時說樂，或說有我、或說無我，或說有淨、或說無淨，或時說有、或時說無，所為虛妄、故名為幻。譬如因子隨子得菓。瞿曇沙門亦復如是，摩耶所生，母既是幻，子不得非？沙門瞿曇無實知見。諸婆羅門經年積歲修習苦行，護持禁戒，尚言未有真實知見。何況瞿曇年少學淺，不修苦行，云何而有真實知見？若能具滿七年苦行，見猶不多，況所修習不滿六年？愚人無智，信受其教。如大幻師誑惑愚者，沙門瞿曇亦復如是。』善男子！如是六師於此城中大為眾生增長邪見。

「善男子！我見是事心生憐愍，以其神力請召十方諸大菩薩雲集此林，周遍彌滿四十由旬，今於此中大師子吼。善男子！雖於空處多有所說，則不得名師子吼也，於此智人大眾之中真得名為大師子吼。師子吼者，說一切法悉無常、苦、無我、不淨，唯說如來常、樂、我、淨。

「爾時，六師復作是言：『若瞿曇有我，我亦有我。所言我者，見者名我。瞿曇！譬如有人向中見物，我亦如是，向喻於眼，見者喻我。』

「佛告六師：『若言見者名我，是義不然。何以故？汝所引喻因向見者，人在一向六根俱用。若定有我因眼見者，何不如彼一根之中俱伺諸塵？若一根中不能一時聞見六塵，當知無我。所引向喻，雖經百年，見者因之，所見無異。眼根若爾，年邁根熟亦應無異。人向異故，見內、見外。眼根若爾，亦應內外一時俱見。若不見者，云何有我？』

「六師復言：『瞿曇！若無我者，誰能見耶？』

「佛言：『有色、有明、有心、有眼，是四和合故名為見，是中實無見者、受者。眾生顛倒，言有見者及以受者。以是義故，一切眾生所見顛倒，諸佛、菩薩所見真實。六師若言色是我者，是亦不然。何以故？色實非我。色若是我，不應而得醜陋形貌。何故復有四姓差別？不悉一種婆羅門耶？何故屬他、不得自在、諸根缺陋、生不具足？何故不作諸天之身，而受地獄、畜生、餓鬼種種諸身？若不能得隨意作者，當知必定無有我也。以無我故名為無常；無常故苦；苦故為空；空故顛倒；以顛倒故，一切眾生輪轉生死。受、想、行、識亦復如是。六師！如來世尊永斷色縛乃至識縛，是故名為常、樂、我、淨。復次，色者即是因緣。若因緣者，則名無我；若無我者，名為苦空。如來之身非是因緣；非因緣故，則名有我；若有我者，即常、樂、淨。』

「六師復言：『瞿曇！色亦非我，乃至識亦非我。我者，遍一切處猶如虛空。』

「佛言：『若遍有者，則不應言我初不見；若初不見，則知是見本無今有；若本無今有，是名無常；若無常者，云何言遍？若遍有者，五道之中應具有身；若有身者，應各受報；若各受報，云何而言轉受人天？汝言遍者，一耶？多耶？我若一者，則無父子、怨親、中人；我若多者，一切眾生所有五根悉應平等。所有業慧亦應如是，若如是者，云何說言根有具足、不具足者，善業、惡業、愚智差別？』

「『瞿曇！眾生我者，無有邊際。法與非法則有分齊，眾生修法則得好身，若行非法則得惡身。以是義故，眾生業果不得無差。』

「佛言：『六師！法與非法若如是者，我則不遍。我若遍者，則應悉到。如其到者，修善之人亦應有惡、行惡之人亦應有善。若不爾者，云何言遍？』

「『瞿曇！譬如一室然百千燈，各各自明，不相妨礙。眾生我者亦復如是，修善、行惡，不相雜合。』

「『汝等若言我如燈者，是義不然。何以故？彼燈之明從緣而有。燈增長故，明亦增長；眾生我者則不如是。明從燈出，住在異處；眾生我者不得如是從身而出，住在異處。彼燈光明與闇共住。何以故？如闇室中然一燈時照則不了，及至多燈乃得明了。若初燈破闇則不須後燈；若須後燈，當知初明與闇共住。』

「『瞿曇！若無我者，誰作善、惡？』

「佛言：『若我作者，云何名常？如其常者，云何而得有時作善、有時作惡？若言有時作善、惡者，云何復得言我無邊？若我作者，何故而復習行惡法？如其我是作者、知者，何故生疑眾生無我？以是義故，外道法中定無有我。若言我者，則是如來。何以故？身無邊故、無疑網故。不作、不受，故名為常；不生、不滅，故名為樂；無煩惱垢，故名為淨；無有十相，故名為空。是故，如來常、樂、我、淨、空、無諸相。』

「諸外道言：『若言如來常、樂、我、淨、無相故空，當知瞿曇所說之法則非空也。是故，我今當頂戴受持。』爾時外道其數無量，於佛法中信心出家。

「善男子！以是因緣故，我於此娑羅雙樹大師子吼。師子吼者，名大涅槃。

「善男子！東方雙者破於無常獲得於常，乃至北方雙者破於不淨而得於淨。善男子！此中眾生為雙樹故護娑羅林，不令外人取其枝葉、斫截、破壞。我亦如是，為四法故，令諸弟子護持佛法。何等為四？常、樂、我、淨。此四雙樹四王典掌，我為四王，護持我法，是故於中而般涅槃。

「善男子！娑羅雙樹花果常茂，常能利益無量眾生；我亦如是，常能利益聲聞、緣覺。花者，喻我；果者，喻樂。以是義故，我於此間娑羅雙樹入大寂定。大寂定者，名大涅槃。」

師子吼言：「世尊！如來何故二月涅槃？」

「善男子！二月名春。春陽之月萬物生長，種植根栽，花果敷榮，江河盈滿，百獸孚乳。是時眾生多生常想，為破眾生如是常心，說一切法悉是無常，唯說如來常住不變。

「善男子！於六時中，孟冬枯悴，眾不愛樂；陽春和液，人所貪愛。為破眾生世間樂故，演說常、樂。我、淨亦爾，如來為破世我、世淨，故說如來真實我、淨。言二月者，喻於如來二種法身；冬不樂者，智者不樂如來無常、入於涅槃；二月樂者，喻於智者愛樂如來常、樂、我、淨；種植者，喻諸眾生聞法歡喜，發阿耨多羅三藐三菩提心，種諸善根；河者，喻於十方諸大菩薩來詣我所，諮受如是《大涅槃》典；百獸孚乳者，喻我弟子生諸善根；花，喻七覺；果，喻四果。以是義故，我於二月入大涅槃。」

師子吼言：「如來初生、出家成道、轉妙法輪皆以八日，何故涅槃獨十五日？」

佛言：「善哉，善哉。善男子！如十五日，月無虧盈；諸佛如來亦復如是，入大涅槃，無有虧盈。以是義故，於十五日入般涅槃。

「善男子！如十五日月盛滿時，有十一事。何等十一？一、能破闇，二、令眾生見道、非道，三、令眾生見道邪、正，四、除欝蒸得清涼樂，五、能破壞螢火高心，六、息一切賊盜之想，七、除眾生畏惡獸心，八、能開敷優鉢羅花，九、合蓮花，十、發行人進路之心，十一、令諸眾生樂受五欲，多獲快樂。善男子！如來滿月亦復如是：一者、破壞無明大闇，二者、演說正道、邪道，三者、開示生死邪嶮、涅槃平正，四者、令人遠離貪欲、瞋恚、癡熱，五者、破壞外道光明，六者、破壞煩惱結賊，七者、除滅畏五蓋心，八者、開敷眾生種善根心，九者、覆蓋眾生五欲之心，十者、發起眾生進修趣向大涅槃行，十一者、令諸眾生樂修解脫。以是義故，於十五日入大涅槃，而我真實不入涅槃。我弟子中愚癡惡人定謂如來入於涅槃。譬如母人多有諸子，其母捨行至他國土，未還之頃，諸子各言：『我母已死。』而是母人實不死也。」

師子吼菩薩言：「世尊！何等比丘能莊嚴此娑羅雙樹？」

「善男子！若有比丘受持、讀誦十二部經，正其文句，通達深義，為人解說初、中、後善，為欲利益無量眾生演說梵行，如是比丘則能莊嚴娑羅雙樹。」

師子吼言：「世尊！如我解佛所說義者，阿難比丘即其人也。何以故？阿難比丘受持、讀誦十二部經，為人開說正語正義。猶如瀉水置之異器；阿難比丘亦復如是，從佛所聞，如聞傳說。」

「善男子！若有比丘得淨天眼，見於十方三千大千世界所有如觀掌中菴摩勒果，如是比丘亦能莊嚴娑羅雙樹。」

師子吼言：「世尊！若如是者，阿尼樓馱比丘即其人也。何以故？阿尼樓馱天眼見於三千大千世界所有，乃至中陰，悉能明了無障礙故。」

「善男子！若有比丘少欲知足，心樂寂靜，勤行精進，念定、慧解，如是比丘則能莊嚴娑羅雙樹。」

師子吼言：「世尊！若如是者，迦葉比丘即其人也。何以故？迦葉比丘善修少欲、知足等法。」

「善男子！若有比丘——為益眾生，不為利養——修習通達無諍三昧、聖行、空行，如是比丘則能莊嚴娑羅雙樹。」

師子吼言：「世尊！若如是者，須菩提比丘即其人也。何以故？須菩提者善修無諍、聖行、空行故。」

「善男子！若有比丘善修神通，一念之中能作種種神通變化，一心一定能作二果——所謂水、火——如是比丘則能莊嚴娑羅雙樹。」

師子吼言：「世尊！若如是者，目連比丘即其人也。何以故？目犍連者善修神通，無量變化故。」

「善男子！若有比丘善修大智、利智、莊嚴智、解脫智、甚深智、廣智、無邊智、無勝智、實智，具足成就如是慧根，於怨、親中心無差別。若聞如來涅槃、無常，心無憂慼；若聞常住、不入涅槃，不生欣慶。如是比丘則能莊嚴娑羅雙樹。」

師子吼言：「世尊！若如是者，舍利弗比丘即其人也。何以故？舍利弗者，善能成就具足如是大智慧故。」

「善男子！若有比丘能說眾生悉有佛性，得金剛身，無有邊際，常、樂、我、淨，身心無礙，得八自在，如是比丘則能莊嚴娑羅雙樹。」

師子吼言：「世尊！若如是者，唯有如來是其人也。何以故？如來之身金剛無邊，常、樂、我、淨，身心無礙，具八自在故。世尊！唯有如來乃能莊嚴娑羅雙樹；如其無者，則不端嚴。惟願大慈為莊嚴故，常住於此娑羅樹林。」

佛言：「善男子！一切諸法性無住住，汝云何言願如來住？善男子！凡言住者，名為色法。從因緣生，故名為住；因緣無處，故名無住。如來已斷一切色縛，云何當言如來住耶？受、想、行、識亦復如是。

「善男子！住，名憍慢；以憍慢故，不得解脫；不得解脫，故名為住。誰有憍慢？從何處來？是故得名為無住住。如來永斷一切憍慢，云何而言願如來住？住者，名有為法。如來已斷有為之法，是故不住。住名空法，如來已斷如是空法，是故獲得常、樂、我、淨。云何而言願如來住？住者，名為二十五有。如來已斷二十五有，云何而言願如來住？住者，即是一切凡夫；諸聖無去、無來、無住。如來已斷去、來、住相，云何言住？

「夫無住者，名無邊身，身無邊故，云何而言惟願如來住娑羅林？若住此林則是有邊身，若有邊則是無常。如來是常，云何言住？夫無住者，名曰虛空。如來之性同於虛空，云何言住？

「又，無住者名金剛三昧。金剛三昧壞一切住，金剛三昧即是如來。云何言住？

「又，無住者則名為幻。如來同幻，云何言住？

「又，無住者，名無始終。如來之性無有始終，云何言住？

「又，無住者名無邊法界。無邊法界即是如來，云何言住？

「又，無住者名首楞嚴三昧。首楞嚴三昧知一切法而無所著；以無著故，名首楞嚴。如來具足首楞嚴定，云何言住？

「又，無住者名處非處力。如來成就處非處力，云何言住？

「又，無住者名檀波羅蜜。檀波羅蜜若有住者，則不得至尸波羅蜜乃至般若波羅蜜。以是義故，檀波羅蜜名為無住。如來乃至不住般若波羅蜜，云何願言如來常住娑羅樹林？

「又，無住者名修四念處。如來若住四念處者，則不能得阿耨多羅三藐三菩提，名不住住。

「又，無住者名無邊眾生界。如來悉到一切眾生，無邊界分而無所住。

「又，無住者名無屋宅。無屋宅者，名為無有；無有者，名為無生；無生者，名為無死；無死者，名為無相；無相者，名為無繫；無繫者，名為無著；無著者，名為無漏。無漏即善，善即無為，無為者即大涅槃常。大涅槃常者即我，我者即淨，淨者即樂，常、樂、我、淨即是如來。

「善男子！譬如虛空，不住東方、南、西、北方、四維、上、下；如來亦爾，不住東方、南、西、北方、四維、上、下。

「善男子！若有說言身、口、意惡得善果者，無有是處；身、口、意善得惡果者，亦無是處。若言凡夫得見佛性、十住菩薩不得見者，亦無是處。一闡提輩、犯五逆罪、謗方等經、毀四重禁得阿耨多羅三藐三菩提者，亦無是處。六住菩薩煩惱因緣墮三惡道，亦無是處。菩薩摩訶薩以真女身得阿耨多羅三藐三菩提者，亦無是處。一闡提常、三寶無常，亦無是處。如來住於拘尸那城亦無是處。

「善男子！如來今於此拘尸那城入大三昧深禪定窟，眾不見故，名大涅槃。」

師子吼言：「如來何故入禪定窟？」

「善男子！為欲度脫諸眾生故、未種善根令得種故、已種善根得增長故、善果未熟令得熟故、為已熟者說趣阿耨多羅三藐三菩提故、輕賤善法者令生尊貴故、諸有放逸者令離放逸故、為與文殊師利等諸大香象共論議故、為欲教化樂讀誦者深愛禪定故、為以聖行梵行天行化眾生故、為觀不共深法藏故、為欲呵責放逸弟子故。如來常寂，猶尚樂定，況汝等輩煩惱未盡而生放逸？為欲呵責諸惡比丘受畜八種不淨之物及不少欲、不知足故，為令眾生尊重所聞禪定法故，以是因緣入禪定窟。」

師子吼言：「世尊！無相定者名大涅槃，是故涅槃名為無相。以何因緣名為無相？」

「善男子！無十相故。何等為十？所謂色相、聲相、香、味、觸相、生、住、壞相、男相、女相，是名十相。無如是相，故名無相。善男子！夫著相者則能生癡，癡故生愛，愛故繫縛，繫縛故受生，生故有死，死故無常。不著相者則不生癡，不生癡故則無有愛，無有愛故則無繫縛，無繫縛故則不受生，不受生故則無有死，無有死故則名為常。以是義故，涅槃名常。」

師子吼言：「世尊！何等比丘能斷十相？」

佛言：「善男子！若有比丘時時修習三種相者則斷十相：時時修習三昧定相、時時修習智慧之相、時時修習捨相，是名三相。」

師子吼言：「世尊！云何名為定、慧、捨相定？是三昧者，一切眾生皆有三昧，云何方言修習三昧？若心在一境則名三昧，若更餘緣則不名三昧。如其不定，非一切智；非一切智，云何名定？若以一行得三昧者，其餘諸行亦非三昧。若非三昧則非一切智；若非一切智，云何名三昧？慧、捨二相亦復如是。」

佛言：「善男子！如汝所言：『緣於一境得名三昧，其餘諸緣不名三昧。』是義不然。何以故？如是餘緣亦一境故。行亦如是。

「又，言眾生先有三昧不須修者，是亦不然。所以者何？言三昧者，名善三昧。一切眾生真實未有，云何而言不須修習？以住如是善三昧中觀一切法，名善慧相。不見三昧智慧異相，是名捨相。

「復次，善男子！若取色相，不能觀色常、無常相，是名三昧；若能觀色常、無常相，是名慧相；三昧、慧等，觀一切法，是名捨相。

「善男子！如善御駕駟，遲疾得所；遲疾得所，故名捨相。菩薩亦爾，若三昧多者則修習慧；若慧多者則修習三昧；三昧、慧等，則名為捨。

「善男子！十住菩薩，智慧力多、三昧力少，是故不得明見佛性；聲聞、緣覺，三昧力多、智慧力少，以是因緣不見佛性；諸佛世尊，定、慧等故，明見佛性，了了無礙，如觀掌中菴摩勒果。見佛性者，名為捨相。

「奢摩他者名為能滅，能滅一切煩惱結故。又，奢摩他者名曰能調，能調諸根惡、不善故。又，奢摩他者名曰寂靜，能令三業成寂靜故。又，奢摩他者名曰遠離，能令眾生離五欲故。又，奢摩他者名曰能清，能清貪欲、瞋恚、愚癡三濁法故。以是義故，故名定相。

「毘婆舍那名為正見，亦名了見、名為能見、名曰遍見、名次第見、名別相見，是名為慧。

「憂畢叉者名曰平等，亦名不諍、又名不觀、亦名不行，是名為捨。

「善男子！奢摩他者有二種：一者、世間，二、出世間。

「復有二種：一者、成就，二、不成就。成就者，所謂諸佛、菩薩；不成就者，所謂聲聞、辟支佛等。

「復有三種：謂下、中、上。下者，謂諸凡夫；中者，聲聞、緣覺；上者，諸佛、菩薩。

「復有四種：一、退，二、住，三、進，四、能大利益。

「復有五種：所謂五智三昧。何等為五？一、無食三昧，二、無過三昧，三、身意清淨一心三昧，四、因果俱樂三昧，五、常念三昧。

「復有六種：一、觀骨三昧，二、慈三昧，三、觀十二因緣三昧，四、阿那婆那三昧，五、念覺觀三昧，六、觀生滅三昧。

「復有七種，所謂七覺分：一、念覺分，二、擇法覺分，三、精進覺分，四、喜覺分，五、除覺分，六、定覺分，七、捨覺分。

「復有七種：一、須陀洹三昧，二、斯陀含三昧，三、阿那含三昧，四、阿羅漢三昧，五、辟支佛三昧，六、菩薩三昧，七、如來覺知三昧。

「復有八種，謂八解脫三昧：一、內有色相外觀色解脫三昧，二、內無色相外觀色解脫三昧，三、淨解脫身證三昧，四、空處解脫三昧，五、識處解脫三昧，六、無所有處解脫三昧，七、非有想非無想處解脫三昧，八、滅盡定解脫三昧。

「復有九種，所謂九次第定：四禪、四空及滅盡定三昧。

「復有十種，所謂十一切處三昧。何等為十？一者、地一切處三昧，二者、水一切處三昧，三者、風一切處三昧，四者、青一切處三昧，五者、黃一切處三昧，六者、赤一切處三昧，七者、白一切處三昧，八者、空一切處三昧，九者、識一切處三昧，十者、無所有一切處三昧。

「復有無數種，所謂諸佛、菩薩。

「善男子！是名三昧相。

「善男子！慧有二種：一者、世間，二、出世間。

「復有三種：一者、般若，二者、毘婆舍那，三者、闍那。般若者，名一切眾生；毘婆舍那者，一切聖人；闍那者，諸佛、菩薩。又，般若者，名為別相；毘婆舍那者，名為總相；闍那者，名為破相。

「復有四種，所謂觀四真諦。

「善男子！為三事故，修奢摩他。何等為三？一者、不放逸故，二者、莊嚴大智故，三者、得自在故。

「復次，為三事故，修毘婆舍那。何等為三？一者、為觀生死惡果報故，二者、為欲增長諸善根故，三者、為破一切諸煩惱故。」

## 大般涅槃經卷第二十八