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title: "十地經論 · 5 難勝地"
description: "十地经论由古印度天亲菩萨（世亲）造，北魏时期菩提流支等译师译成汉文。本论是对《华严经·十地品》的释论，系统阐释了大乘菩萨修行成佛所必须经历的十个阶位（十地）的教义与实修方法。它奠定了瑜伽行派的理论基础，对汉传佛教地论宗的形成乃至华严宗、唯识宗的发展产生了深远影响，是研究大乘佛教菩萨道思想的核心典籍之一。"
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## 十地經論難勝地第五卷之七

> 十地経論 難勝地 第五巻之七

天親菩薩造

> 天親菩薩造

後魏北印度三藏菩提流支譯

> 後魏・北インド三蔵法師菩提流支訳

論曰：第五地中分別有三：一、勝慢對治；二、不住道行勝；三、彼果勝。云何勝慢對治？

> 論じます。第五の地（第五地）には、三つのすぐれた性質があります。第一に、高ぶりを克服すること。第二に、とどまらない道の修行がすぐれていること。第三に、その結果がすぐれていることです。では、高ぶりを克服するとは、どのようなことでしょうか。

經曰：爾時金剛藏菩薩言：諸佛子！若菩薩得第四菩薩地善滿諸行已，欲入第五菩薩地，當以十平等深淨心得入第五地。何等為十？一、過去佛法平等深淨心故；二、未來佛法平等深淨心故；三、現在佛法平等深淨心故；四、戒淨平等深淨心故；五、心淨平等深淨心故；六、除見疑悔淨平等深淨心故；七、道非道智淨平等深淨心故；八、行斷智淨平等深淨心故；九、思量一切菩提分法上上淨平等深淨心故；十、化度一切眾生淨平等深淨心故。諸佛子！菩薩以是十種平等深淨心得入第五菩薩地。

> 経典にこう説かれています。その時、金剛蔵菩薩がおっしゃいました。「諸仏の子らよ。もし菩薩が第四の菩薩地である『善く諸の行を満ずる地』を得たのち、第五の菩薩地に入ろうとするならば、十の平等で深く清らかな心をもって、第五の地に入るべきです。その十とは何か。一には、過去の仏法に対する平等で深く清らかな心。二には、未来の仏法に対する平等で深く清らかな心。三には、現在の仏法に対する平等で深く清らかな心。四には、戒めの清らかさに対する平等で深く清らかな心。五には、心の清らかさに対する平等で深く清らかな心。六には、見解や疑いや後悔を除く清らかさに対する平等で深く清らかな心。七には、道と道にあらざるものを見分ける智慧の清らかさに対する平等で深く清らかな心。八には、修行と断じることの智慧の清らかさに対する平等で深く清らかな心。九には、あらゆる覚りの要素をより高く極めるための思惟の清らかさに対する平等で深く清らかな心。十には、一切の衆生を教化し導く清らかさに対する平等で深く清らかな心です。諸仏の子らよ。菩薩はこの十種の平等で深く清らかな心をもって、第五の菩薩地に入るのです。」

論曰：勝慢對治者，謂十平等深淨心，同念不退轉心故。前已說解法慢對治，今此地中說身淨分別慢對治。是中平等深淨心者，於平等中心得清淨。此深淨心分別有十種。十種深淨心者，是諸佛法及隨順諸佛法，彼分別應知。何者是諸佛法？謂三世力等，如經「過去佛法平等深淨心故、未來佛法平等深淨心故、現在佛法平等深淨心故」。如是三世佛法力等已說，次說隨順諸佛法。彼諸佛法云何得成？因戒定智及化眾生故。是中依戒淨，如經「戒淨平等深淨心故」。依定淨，如經「心淨平等深淨心故」。依智淨，如經「除見疑悔淨平等深淨心故、道非道智淨平等深淨心故、行斷智淨平等深淨心故、思量一切菩提分法上上淨平等深淨心故」。是中行斷智者，思量一切菩提分法上上轉勝故，依教化眾生，如經「化度一切眾生淨平等深淨心故」。

> 論じて曰く、勝れた慢の対治法とは、十の平等深浄心であり、同じく不退転の心を念ずるからである。前にすでに、法に対する慢の対治法を説いた。今、この地において、身体の清らかさについての分別から生じる慢の対治法を説く。ここでいう「平等深浄心」とは、平等なる境地において心が清らかになることである。この深浄心には、分別して十種がある。十種の深浄心とは、諸々の仏の教えと、それに随順する教えであり、それらについて分別して知るべきである。では、諸々の仏の教えとは何か。それは、三世の力などである。経典に「過去の仏法に対する平等深浄心のゆえに、未来の仏法に対する平等深浄心のゆえに、現在の仏法に対する平等深浄心のゆえに」とある通りである。このように三世の仏法の力などを説いた。次に、諸々の仏の教えに随順することを説く。それらの諸仏の教えは、どのようにして成り立つのか。戒と定と智慧、そして衆生を教化することによるのである。ここで、戒の清らかさに基づくことを、経典に「戒の清らかさに対する平等深浄心のゆえに」とある。定の清らかさに基づくことを、経典に「心の清らかさに対する平等深浄心のゆえに」とある。智慧の清らかさに基づくことを、経典に「見解や疑いや悔いを取り除く清らかさに対する平等深浄心のゆえに、道と非道の智慧の清らかさに対する平等深浄心のゆえに、行と断の智慧の清らかさに対する平等深浄心のゆえに、一切の菩提分法を思量する上上の清らかさに対する平等深浄心のゆえに」とある。ここで「行断智」とは、一切の菩提分法を思量して、さらに上へと転じ勝れることである。衆生を教化することに基づくことを、経典に「一切の衆生を教化し度する清らかさに対する平等深浄心のゆえに」とある。

經曰：諸佛子！是菩薩住第五菩薩地已，善修行菩提分法故、善深淨心故、轉求上勝行故、隨順如道行故、得大願力故、以慈悲心不捨一切眾生故、修習功德智慧行故、不休息諸行故、起方便善巧故、照見上上地故、正受如來加故、得念意去智力故、成就不退轉心故。

> 経典にこう説かれています。仏弟子たちよ、この菩薩が第五の菩薩地に住んでからは、菩提の道をよく修行するから、心を深く清らかにするから、さらに優れた行いを求めるから、道にかなった行いに従うから、大きな願いの力を得るから、慈悲の心ですべての众生を捨てないから、功徳と智慧の行いを修めるから、さまざまな行いを休まないから、巧みな方便を起こすから、さらに上の境地を照らし見るから、如来の加護を正しく受けるから、念・意・去の智慧の力を得るから、退転しない心を成就するからです。

論曰：是中善修行菩提分法，乃至隨順如道行者，皆是正修諸行。善修行菩提分法者，第四菩薩地中修菩提分法善清淨深心故，彼深淨心等悕求勝行，如是不住道行勝，破彼慢故。隨順如道行者，彼平等中深淨心不退轉心現成就故，隨彼平等清淨法住，如是菩薩深心安住名為隨順如道行故。是中隨順如道行有八種：一、修習菩提心，如經「得大願力故」。二、不疲惓，如經「以慈悲心不捨一切眾生故」。三、得善根力，如經「修習功德智慧行故」。四、不捨眾行，如經「不休息諸行故」。五、正修行，如經「起方便善巧故」。六、無厭足，如經「照見上上地故」。七、得他勝力，如經「正受如來加故」。八、自身得勝力故、勝念等三慧故，如經「得念意去智力故，成就不退轉心故」。去者，修慧觀，無障礙義故。云何不住道行勝？不住道行勝有二種觀：一、所知法中智清淨勝；二、利益眾生勤方便勝。以是二法故，不住世間不住涅槃。云何所知法中智清淨勝？

> 論じて言う。この中で、菩提の分法をよく修行すること、さらには道に随順して行じることは、すべて正しい諸行の修行である。菩提の分法をよく修行するとは、第四の菩薩地において菩提の分法を修行し、心を深く清らかにするからである。その深く清らかな心は、すぐれた行を等しく求める。このように道の行に住まないことがすぐれているので、その慢心を破るのである。道に随順して行じるとは、その平等の中で深く清らかな心と退転しない心が現れ成就するからである。その平等の清浄な法に随って住む、このように菩薩が深い心で安住することを、道に随順して行じると名づけるのである。この中で、道に随順して行じることに八種がある。一には菩提心を修習すること、経に「大いなる願力を得たからである」とあるとおりである。二には疲れ倦むことなく、経に「慈悲の心をもって一切の衆生を捨てないからである」とあるとおりである。三には善根の力を得ること、経に「功徳と智慧の行を修習するからである」とあるとおりである。四には諸の行を捨てないこと、経に「諸の行を休息しないからである」とあるとおりである。五には正しく修行すること、経に「方便と善巧を起こすからである」とあるとおりである。六には厭き足ることがないこと、経に「上なる上の地を照らし見るからである」とあるとおりである。七には他者に勝る力を得ること、経に「如来の加護を正しく受けるからである」とあるとおりである。八には自らに勝れた力を得ること、勝れた念などの三つの慧によるからである。経に「念・意・去・智力を得たからであり、退転しない心を成就するからである」とあるとおりである。去とは、修慧の観であり、障りがないという意味である。どのように道の行に住まないことがすぐれているのか。道の行に住まないことがすぐれていることには二種の観がある。一には知られるべき法の中における智の清浄がすぐれていること、二には衆生を利益する勤めと方便がすぐれていることである。この二つの法によって、世間にも住まず涅槃にも住まないのである。どのように知られるべき法の中における智の清浄がすぐれているのか。

經曰：是菩薩如實知，是苦聖諦、是苦集諦、是苦滅諦，如實知是至滅苦道聖諦。是菩薩善知世諦、善知第一義諦、善知相諦、善知差別諦、善知說成諦、善知事諦、善知生諦、善知盡無生智諦、善知令入道智諦、善知一切菩薩地次第成就諦，及善知集如來智諦。是菩薩隨眾生意令歡喜故，善知世諦，通達一切法一相故。善知第一義諦，覺法自相同相故。善知相諦，覺法差別故。善知差別諦，覺分別陰界入故。善知說成諦，覺身心苦惱故。善知事諦，覺諸道生相續故。善知生諦，畢竟滅一切熱惱故。善知盡無生智諦，起不二行故。善知令入道智諦，正覺一切法相故。善知一切菩薩地次第成就諦，及善知集如來智諦，以信解力故。知非得一切究竟智知。

> 経に曰く、この菩薩は如実に知る。これが苦聖諦であり、これが苦集諦であり、これが苦滅諦であると如実に知り、これが苦の滅に至る道である聖諦であると如実に知る。この菩薩は世諦をよく知り、第一義諦をよく知り、相諦をよく知り、差別諦をよく知り、説成諦をよく知り、事諦をよく知り、生諦をよく知り、尽無生智諦をよく知り、入道智諦をよく知り、一切菩薩地の次第成就諦をよく知り、また如来智諦を集めることをよく知る。この菩薩は衆生の心に従って喜ばせるために、世諦をよく知る。一切法が一相であることを通達するためである。第一義諦をよく知るのは、法の自相と共相を覚るためである。相諦をよく知るのは、法の違いを覚るためである。差別諦をよく知るのは、陰・界・入の分別を覚るためである。説成諦をよく知るのは、身心の苦悩を覚るためである。事諦をよく知るのは、諸道の生じて相続する相を覚るためである。生諦をよく知るのは、ついに一切の熱悩を滅するためである。尽無生智諦をよく知るのは、不二の行を起こすためである。入道智諦をよく知るのは、一切法の相を正しく覚るためである。一切菩薩地の次第成就諦をよく知り、また如来智諦を集めることをよく知るのは、信解の力によるからである。知るといっても、すべての究竟の智によって知るのではない。

論曰：彼所知法中智清淨勝有二種：一、實法分別，如實知四諦，如經「是菩薩如實知苦聖諦乃至如實知至滅苦道聖諦」故。二、化眾生方便差別，十諦差別方便智，如經「是菩薩善知世諦乃至及善知集如來智諦」故。是中實法分別者，有佛無佛苦集二諦果因差別體是妄想染故，滅道二諦果因差別體是淨法故。化眾生方便差別者，所化眾生差別故，方便差別應知。所化眾生有七種，小乘可化有六種：一、為根未熟眾生故，知世諦方便。二、為根熟眾生故，知第一義諦方便。三、為疑惑深法眾生故，知相諦方便。四、為謬解迷惑深法眾生故，知差別諦方便。五、為離正念眾生故，知說成諦方便。六、為正見眾生義故，知事諦方便、知生諦方便、知盡無生智諦方便、知令入道智諦方便。事諦等四諦，苦諦等所攝。七、為大乘可化眾生故，善知一切菩薩地次第成就諦方便及善知集如來智諦方便。如經「是菩薩隨眾生意令歡喜故，善知世諦乃至非得一切究竟智知」故。是中菩薩地次第者，地地中間如自地次第入應知，一切生處身心受苦惱故。知事諦苦者，所有受者皆是苦事故。起不二行者，一行故。正覺一切相者，五明論處善巧知故、信解力故。知者，鏡像觀智力，非成就觀智力故。如是所知法中智清淨勝已說，云何利益眾生勤方便勝？以知一切有為法虛妄相故，起憐愍眾生念。

> 論じて曰く、かの所知の法の中で、智慧の清らかさのすぐれたるには二種あり。一つには実法の分別にして、四諦を如実に知る。経に「この菩薩は苦聖諦を如実に知り、乃至、苦を滅するに至る道聖諦を如実に知る」とあるがゆえに。二つには衆生を教化する方便の差別にして、十諦の差別なる方便の智なり。経に「この菩薩は世諦をよく知り、乃至、如来の智を集める諦をもよく知る」とあるがゆえに。 この中で実法の分別とは、仏ありても仏なきも、苦・集の二諦は果と因の差別にして、その体は妄想の染なり。滅・道の二諦は果と因の差別にして、その体は浄法なるがゆえに。 衆生を教化する方便の差別とは、教化される衆生の差別あるがゆえに、方便の差別を知るべきなり。教化される衆生に七種あり。小乗において教化しうるものに六種あり。 一には、根のいまだ熟せざる衆生のために、世諦の方便を知る。二には、根の熟したる衆生のために、第一義諦の方便を知る。三には、深き法に疑惑を抱く衆生のために、相諦の方便を知る。四には、深き法を誤って解し迷える衆生のために、差別諦の方便を知る。五には、正念を離れたる衆生のために、説成諦の方便を知る。六には、正見ある衆生のために、事諦の方便を知り、生諦の方便を知り、尽無生智諦の方便を知り、道智に入らしむる諦の方便を知る。事諦等の四諦は、苦諦等に摂められる。七には、大乗において教化しうる衆生のために、一切の菩薩の地の次第成就の諦の方便をよく知り、および如来の智を集める諦の方便をよく知る。経に「この菩薩は衆生の意に随いて歓喜せしめんがために、世諦をよく知り、乃至、一切の究竟の智を得るにはあらざることを知る」とあるがゆえに。 この中で菩薩の地の次第とは、地ごとの間にあって、自らの地の次第のごとくに入ることを知るべきなり。一切の生処において身心に苦悩を受くるがゆえに。事諦の苦を知るとは、すべて受くるものはみな苦事なるがゆえに。不二の行を起こすとは、一行なるがゆえに。一切の相を正覚するとは、五明の論処に善巧に知るがゆえに、信解の力によるがゆえに。知るとは、鏡像観の智力にして、成就観の智力にはあらざるがゆえに。 かくのごとく所知の法の中で智慧の清らかさのすぐれたるをすでに説けり。いかにか利益衆生の勤方便のすぐれたるとは。一切の有為法の虚妄の相を知るがゆえに、衆生を憐愍するの念を起こすなり。

經曰：是菩薩如是善起諸諦智已，如實知一切有為行皆是虛妄誑詐誑惑凡夫。菩薩爾時復於眾生中大悲轉勝而現在前，及生大慈光明。

論曰：是菩薩如是善起諸諦智已，乃至及生大慈光明者，是中妄想常等不相似無故虛，常作我想慢事故妄、世法盡壞故誑、世法牽取愚癡凡夫故詐、常等相無非有似有故虛、事中意正取我想慢事正取故妄、事是患世法利盡故誑、事牽心世法愚癡凡夫牽取故詐。事相現故言誑惑凡夫，此諸句義應知。凡夫者，依止彼正取我慢身。大悲大慈者，憐愍彼眾生。勝利益示現勝彼前地悲故，言大悲不住，道行勝故。救眾生方便智成就故，言大慈光明。

經曰：是菩薩得如是智慧力，不捨一切眾生，常求佛智慧，如實觀一切有為行先際後際，知諸眾生從先際無明有愛故生，流轉世間歸五陰家，不能動發，增長苦陰聚，是中無我、無壽命、無眾生，離我我所，皆如實知。後際亦如是。此無所有虛妄貪著分段盡出有無，皆如實知。

論曰：是菩薩得如是智慧力者，如前說。不捨一切眾生者，大悲大慈光明亦如前說。求佛智慧者，救一切眾生義故。如實觀一切有為行先際後際者，隨彼大悲觀示二種相：一、如實觀苦因緣集故，如經「知諸眾生從先際無明有愛故生，乃至有無皆如實知」故。是中從先際無明有愛故生者，此顯凡夫生，非菩薩生，菩薩以善巧方便生。何故不言餘因緣分？無明有愛是有分根本故。彼生者，說有三種眾生：欲求眾生、妄梵行求眾生、有求眾生，乃至依有頂五陰苦聚。是無我事，是中自身無我。及彼無我事，第一義故無。然後無我依命根力住數數受生，眾生身心相續非常非斷故，說有命有眾生；破彼慢取意故，說無命無眾生；遠離能取所取我慢意故，說離我我所前際。以何因隨所有眾生、隨所有苦行？彼正觀已，後際亦如是，隨彼苦因。無明愛事盡者名滅，勝世間滅故。出者名道。無亦如實知，有亦如實知，是名一種大悲正觀因緣集念如實苦故。次說第二種大悲正觀深重苦無量世隨逐及種種苦事。

經曰：菩薩爾時作如是念：此諸凡夫甚為可怪，愚癡無智，有無量無邊阿僧祇身，已滅、今滅、當滅。如是盡滅已，不能於身生厭離想，轉更增長機關苦身，常隨世間漂流不能得返，歸五陰舍不能捨離，不畏四大毒蛇，不能拔出我慢見箭，不能滅除貪恚癡火，不能破壞無明黑暗，不能乾竭愛著大河，不求十力大聖導師，常入魔意稠林，於生死海中常為諸惡覺觀所轉。

> 経に曰く、菩薩はそのとき、このように思った。この凡夫たちはまことに不思議なものだ。愚かで智慧がなく、無量無辺の阿僧祇もの身があり、すでに滅び、今滅び、まさに滅びようとしている。このようにすべて滅びてしまっても、自分の身に対して厭離の想いを起こすことができず、ますますからくり仕掛けの苦しみの身を増やし、常に世間に流されて漂い、帰ることもできない。五陰の家に帰りながらも捨て去ることができず、四大の毒蛇を畏れることもなく、我慢の見の矢を抜くこともできず、貪りと怒りと愚かさの火を消すこともできず、無明の暗闇を打ち破ることもできず、愛着の大河を涸らすこともできず、十力の大聖導師を求めることもなく、常に魔の意の稠林に入り、生死の海の中で常に諸々の悪い覚観に翻弄されている。

論曰：大悲正觀深重苦者，無量世隨逐種種苦故。有無量無邊阿僧祇身滅者，無量世隨逐故。云何種種苦觀？生苦故、彼集故、離彼滅道故。如是觀老病死，苦故、彼集故、離彼滅道故。是中此身依因緣有機關苦身者，生苦示現。常隨世間漂流不能得返者，集愛示現。歸五陰舍不能捨離者，離彼滅道示現。不畏四大毒蛇者，謂病苦，彼增損生故。妄梵行求眾生、欲求眾生受欲者，行惡行者。有求眾生者，不能拔出我慢見箭示現。不能滅除貪恚癡火，不能破壞無明黑暗，不能乾竭愛著大河。如是次第彼集示現。趣無畏處，不求十力大聖導師，遠離彼滅示現。常入魔意稠林，隨順怨道，遠離彼道示現。於生死海中常為諸惡覺觀所轉者，一切三界心心數相虛妄分別應知。次說上大慈光明觀行。

> 論じて曰く、大いなる慈悲と正しい観察によって、深く重い苦しみを持つ者とは、無量の世にわたって様々な苦しみに追いかけられるからである。無量無辺阿僧祇の身が滅びるのも、無量の世に追われるからである。では、どのように様々な苦しみを観察するのか。生の苦しみがあるからであり、その集まりがあるからであり、それを離れる滅びと道があるからである。このように老い、病、死を観察する。苦しみがあるからであり、その集まりがあるからであり、それを離れる滅びと道があるからである。ここにおいて、この身は因縁によって生じ、仕掛けのような苦しみの身であること、これを生の苦しみとして示す。常に世間の流れに漂い、戻ることができないこと、これを集（愛執）として示す。五陰の家に帰り、そこから離れることができないこと、これを滅びと道から離れることとして示す。四大の毒蛇を恐れないこと、これを病の苦しみと呼び、それは増えたり減ったりして生じるからである。誤った梵行を求める衆生、欲を求める衆生が欲を受ける者、悪行を行う者である。有を求める衆生は、我慢の矢を抜き出すことができないことを示す。貪り、怒り、愚痴の火を消し去ることができず、無明の闇を打ち破ることができず、愛執の大河を干上がらせることができない。このように順を追って、その集まりを示す。無畏の境地を求めて、十力の大聖なる導師を求めないこと、これを滅びから遠ざかることとして示す。常に魔の意図の茂みに入り込み、怨みの道に従うこと、これを道から遠ざかることとして示す。生死の海の中で常に諸々の悪しき観念に翻弄される者は、すべての三界の心と心の働きが虚妄に区別されるものであると知るべきである。次に、この大いなる慈悲の光明の観察の行について述べる。

經曰：我見彼諸眾生受如是苦惱，孤獨無救，無有依者、無有舍者、無有洲者、無究竟者、盲無目者，無明翳藏所纏、愚癡所覆。為此眾生發如是心：唯我一人獨無等侶，修集功德智慧助道，以是功德智慧助道資糧令一切眾生得住畢竟清淨，乃至使得佛十力無障礙智盡。

> 経典にはこう説かれています。 「私は、あらゆる生きとし生けるものが、このような苦しみを受けて孤独で救いがなく、頼る者もなく、よりどころもなく、拠り所もなく、究極の目的もなく、あたかも盲目で目が見えないかのような状態にあり、無明の暗闇に覆われ、愚かさに妨げられているのを見ました。 そのような生きとし生けるもののために、私はこう誓いました。 『ただ私一人だけが、独り孤独の中で、功徳と智慧という支えとなる道を積み重ねよう。 この功徳と智慧の支えとなる道の積み重ねによって、すべての生きとし生けるものを、永遠の清らかさへと導き、さらには、仏の十の力と、一切の障害のない智慧を獲得させよう。』」

論曰：彼受如是苦惱者，如前所說。孤獨者，於彼苦中無救拔故。復次孤獨者，於已受苦未受苦中故。言無救無依者，離善知識故。言無有舍者，離聞正法故。言無有洲者，離寂靜思惟故。言無究竟者，離於正見故。言盲無目者，彼障諸舊煩惱及客塵煩惱常起邪念，不聞正法等故。言無明翳藏所纏愚癡所覆，唯我一人獨無等侶者，顯示勇猛勝事。修集功德智慧助道者，顯示修行增長，依彼教化眾生作人天因乃至涅槃因故。畢竟清淨者，勝世間清淨故。得佛十力者，降伏諸魔怨故。無障礙智盡者，勝聲聞辟支佛淨智故。

經曰：菩薩如是善觀起智慧力，所修諸善發願為救一切眾生故、為一切眾生作利益故、為一切眾生得安樂故、愍念一切眾生故、為令一切眾生無苦惱故、為令一切眾生得解脫故、為攝一切眾生故、為一切眾生心清淨故、為調伏一切眾生故，發願為一切眾生令入大涅槃故。

論曰：是中善觀起智慧力者，以正觀智調伏眾生故。皆為救度一切眾生者，拔一切苦惱故。救度有九種：一、住不善眾生令住善法，如經「為一切眾生作利益故」。二、住善法眾生令得樂果，如經「為一切眾生得安樂故」。三、住貧乏眾生與一切資生之具，如經「愍念一切眾生故」。四、住病苦及諸外緣所惱眾生皆令除斷，如經「為令一切眾生無苦惱故」。五、世間繫閉眾生令得出離，如經「為令一切眾生得解脫故」。有四種相令諸外道信解正法，如經「為攝一切眾生故」。疑惑眾生善決定斷疑，如經「為一切眾生心清淨故」。已住決定眾生勸修三學，如經「為調伏一切眾生故」。已住三學眾生令得涅槃，如經「發願為一切眾生令入大涅槃故」。此九種救苦中，初二句為救未來，餘句為救現在亦救未來。是名不住道修行勝。次說不住道修行勝果。有四種相：一、攝功德勝；二、修行勝；三、教化眾生勝；四、起隨順世間智勝。云何攝功德勝？攝聞戒智勝故。

經曰：是菩薩住此第五菩薩難勝地已，名為念者，不忘諸法故。名為意者，善決定智慧故。名為去者，知經書意次第故。名為有慚愧者，自護護彼故。名為堅心者，不捨持戒行故。名為覺者，善思惟是處非處故。名為隨智者，不隨他故。名為隨慧者，善分別諸法章句是義非義故。名為得神通者，善修禪定故。名為善方便者，隨世間法行故。

論曰：攝聞勝者，攝聞思修慧勝故。云何慧勝？如經「名為念者，不忘諸法故。名為意者，善決定智慧故。名為去者，知經書意次第故」。是中念者，聞慧勝故。意者，思慧勝故。去者，修慧勝故。此諸句次第復有異釋：聞持勝故名為念者，法智甚深勝故名為意者，意甚深智勝故名為去者，此略說成就二種善巧法善巧義善巧故。戒攝勝者有二種：忍辱柔和勝，及戒無缺勝。如經「名為有慚愧者，自護護彼故。名為堅心者，不捨持戒行故」。攝智勝者有五種：一者因緣集智，無因顛倒因邪見對治，如經「名為覺者，善思惟是處非處故」。二者證智，魔事對治，如經「名為隨智者，不隨他故」。三者知妄說智，異說對治，善知是句義非句義雜句義，如經「名為隨慧者，善分別諸法章句是義非義故」。四者神力智，邪歸依行對治，如經「名為得神通者，善修禪定故」。五者化眾生智，方便攝取故，如經「名為善方便者，隨世間法行故」。是名攝功德勝。云何修行勝？

經曰：名為無厭足者，善集功德行助道故。名為不休息精進者，常求智慧行助道故。名為無疲惓者，集大慈悲行助道故。名為常念佛法者，求佛十力、四無所畏、十八不共佛法故。名為善念修行者，起莊嚴佛國故。名為具足修行種種善業者，集三十二相八十種好故。名為常行精進者，求莊嚴佛身口意故。名為樂大恭敬法者，親近供養一切菩薩及法師故。名為善起願自在者，大方便善入世間故。名為日夜遠離餘心者，常樂教化一切眾生故。

論曰：是中修行勝有十種：一、增長因行，如經「名為無厭足者，善集功德行助道故」。二、依止因行，如經「名為不休息精進者，常求智慧行助道故」。三、化眾生不疲惓行，如經「名為無疲惓者，集大慈悲行助道故」。四、起佛法行，如經「名為常念佛法者，求佛十力、四無所畏、十八不共佛法故」。五、起淨佛國土行，如經「名為善念修行者，起莊嚴佛國故」。云何莊嚴？無煩惱染得堅固智慧，眾生住在其中及佛法莊嚴故。六、依佛法身起行，如經「名為具足修行種種善業者，集三十二相八十種好故」。七、依佛所作起行，如經「名為常行精進者，求莊嚴佛身口意故」。八、敬重法行，如經「名為樂大恭敬法者，親近供養一切菩薩及法師故」。九、願取有行，如經「名為善起願自在者，大方便善入世間故」。十、離小乘心行，如經「名為日夜遠離餘心者，常樂教化一切眾生故」。是名修行勝。云何教化眾生勝？

經曰：是菩薩成就如是行時，以布施教化眾生，又以愛語、利益、同事教化眾生，又以色身示現教化眾生，又以說法教化眾生，又廣示菩薩行神通事教化眾生，又說諸佛大事教化眾生，又示世間過惡教化眾生，又說諸佛智慧利益教化眾生，又現大神通莊嚴相亦說種種行教化眾生。是菩薩如是教化眾生方便成就，身心常趣佛智而不退失，諸善根行常勤修行轉勝道故。

論曰：是中教化眾生勝者，以四攝法教化，如經「是菩薩成就如是行時，以布施教化眾生，又以愛語、利益、同事教化眾生」故。為同事隨順眾生應化自眾，如經「又以色身示現教化眾生」故。為疑惑眾生可說法成就，如經「又以說法教化眾生」故。為於菩提無方便眾生，如經「又廣示菩薩行神通事教化眾生」故。為於大乘疲惓眾生，如經「又說諸佛大事教化眾生」故。為樂世間眾生，如經「又示世間過惡教化眾生」故。為不信大乘眾生，如經「又說諸佛智慧利益教化眾生」故。為無智眾生現神通莊嚴，示種種行，以一身示無量身，如是等令生決定信，如經「又現大神通莊嚴相，亦說種種行教化眾生」故。是菩薩如是教化眾生方便成就者，如前說。身心常趣佛智者，為教化眾生求勝力故。而不退失諸善根行者，隨所得功德智慧皆不退失故。常勤修行轉勝道者，彼所修諸行欲令增勝故。是名教化眾生勝。云何起隨順世間智勝染障對治？

經曰：是菩薩為利益眾生故，善知世間所有書論、印、算數、石性等論、治諸病方，所謂治乾枯病、治顛狂病、治鬼著病、治蠱毒病等，損害眾生者皆悉能治，謂呪藥等。作論經書伎樂戲笑歡娛等事，國土城邑、聚落室宅、河泉池流、園觀花果、藥草林樹等，金銀琉璃、摩尼真珠、珊瑚琥珀、車𤦲馬瑙諸寶性等，日月星宿地動夢想吉凶入等遍身諸相，持戒行處、禪定神通、四無量心、四無色定，凡諸不惱眾生事、能利益安樂眾生事，憐愍眾生故出，漸令信入無上佛法故。

論曰：隨順世間智者，染障對治，如經「是菩薩為利益眾生故，善知世間所有一切書論」等。是中書等有四種障對治。四種障者：一、所用事中忘障，取與寄付聞法思義，作不作事、已作未作事、應作不應作事，此對治故書。二、邪見軟智障，以因論、聲論對治此二故論。三、所取物不守護障，此對治故印。四、取與生疑障，此對治故算數。數者，一一為二、二二為四如是等。算者，一縱十橫如是等。石性等論者，貧事障對治故。治諸病方者，四大不調眾生毒相，病障對治故。乾枯顛狂病者，四大不調相故。鬼著病等，是眾生相。蠱毒病者，亦四大不調，亦眾生相病因及死因，此對治謂呪藥等。日月星宿地動夢想吉凶入等遍身諸相者，是中唯有日月等相見故，日等曜等攝故。入者，入八業果故。遍身諸相者，愛不愛果行故。持戒行處等者，是中持戒行處、禪定神通、四無量心、四無色定等，如是次第破戒染、貪欲染、邪歸依染、妄行功德染、妄修解脫染，如是次第說。如經「石性等論乃至呪藥等」故。作論經書伎樂戲笑歡娛等者，憂惱障對治故。國土城邑乃至藥草林樹等者，此不喜樂障對治故。金銀琉璃乃至諸寶性等者，繫閉等障，此對治故。日月星宿乃至遍身諸相等者，所得報分過作惡因障，此對治故。持戒行處乃至無色定者，五種染對治。何者五種染？破戒染乃至妄修解脫染故。此起世間智，具四種相：一、異障中無障故，如經「凡諸不惱眾生事」故。二、與無過樂，如經「能利益安樂眾生事」故。三、發起清淨，如經「憐愍眾生故出」。四、所用清淨，如經「漸令信入無上佛法故」。

經曰：諸佛子！是菩薩住此菩薩難勝地已，多見諸佛，以大神通力、大願力故。見多百佛、多千佛、多百千佛、多百千那由他佛、多億佛、多百億佛、多千億佛、多百千億佛、多百千萬億那由他佛，以大神通力、大願力故。是菩薩見諸佛時，以上心深心供養恭敬尊重讚歎，衣服飲食臥具湯藥一切供具悉以奉施，以諸菩薩上妙樂具供養眾僧，以此善根皆願迴向阿耨多羅三藐三菩提。於諸佛所生上恭敬專心聽法，聞已受持隨力修行，於佛法中出家，得出家已於諸佛所聽受經法而為法師，說法利益，得轉勝多聞陀羅尼成就法師。是菩薩爾時住此菩薩難勝地中，無量百劫彼諸善根轉勝明淨，無量千劫、無量百千劫、無量百千那由他劫無量億劫、無量百億劫、無量千億劫、無量百千億劫、無量百千萬億那由他劫，彼諸善根轉勝明淨，是菩薩成就如是教化眾生法。諸佛子！譬如本真金，以車𤦲摩瑩，光色轉勝明淨。諸佛子！菩薩住此菩薩難勝地中，彼諸善根以方便智思量力故轉勝明淨，彼智慧善根成就不退思量轉勝，下地善根所不能及。諸佛子！譬如日月星宿諸天宮殿光輪圓滿成就不壞，風不能動。如是諸佛子！菩薩住此菩薩難勝地中，彼諸善根以方便智思量力故成就不退，一切聲聞辟支佛世間善根所不能及。是菩薩十波羅蜜中禪波羅蜜增上，餘波羅蜜非不修習，隨力隨分。諸佛子！是名略說菩薩第五菩薩難勝地。若菩薩住此地中，多作兜率陀天王，所作自在摧伏一切外道邪見，能令眾生住實諦中。所作善業布施愛語利益同事，是諸福德皆不離念佛、念法、念僧、念菩薩、念菩薩行、念波羅蜜、念十地、念不壞力、念無畏、念不共佛法，乃至不離念一切種一切智智。常生是心：我當於一切眾生中，為首為勝為大、為妙為微妙、為上為無上、為導為將、為師為尊，乃至為一切智智依止者。復從是念發精進行，以精進力故，於一念間得千億三昧，見千億佛、知千億佛神力、能動千億佛世界、能入千億佛世界、能照千億佛世界、能化千億佛世界眾生、能住壽千億劫、能知過去未來世各千億劫事、能善入千億法門、能變身為千億，於一一身能示千億菩薩以為眷屬。若以願力自在勝上，菩薩願力過於此數。示種種神通，或身、或光明、或神通、或眼、或境界、或音聲、或行、或莊嚴、或加、或信、或業。是諸神通，乃至無量百千萬億那由他劫不可數知。

論曰：得轉勝多聞陀羅尼成就法師者，非得義陀羅尼，以平等清淨心甚難得故。又樂出世間智現世間智最難故，得聞持陀羅尼。此地智光明真如事示現，如經「諸佛子！譬如本真金乃至下地善根所不能及」故。日月光輪者，依阿含增長智慧光明，勝於前地智故，如經「諸佛子！譬如日月星宿乃至世間善根所不能及」故。

## 十地經論難勝地第五卷之七