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title: "十地經論 · 7 遠行地"
description: "十地经论由古印度天亲菩萨（世亲）造，北魏时期菩提流支等译师译成汉文。本论是对《华严经·十地品》的释论，系统阐释了大乘菩萨修行成佛所必须经历的十个阶位（十地）的教义与实修方法。它奠定了瑜伽行派的理论基础，对汉传佛教地论宗的形成乃至华严宗、唯识宗的发展产生了深远影响，是研究大乘佛教菩萨道思想的核心典籍之一。"
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## 十地經論遠行地第七卷之九

> 十地経論・遠行地 第七巻の九

天親菩薩造

> 天親菩薩造

後魏北印度三藏菩提流支譯

> 後魏・北インド三蔵法師菩提流支訳

論曰：第七地中有五種相差別：一、樂無作行對治差別；二、彼障對治差別；三、雙行差別；四、前上地勝差別；五、彼果差別。云何樂無作行對治？

> 論じて曰く、第七地には五つの相の違いがある。一、無作行を楽しむことへの対治の違い。二、その障りの対治の違い。三、双行の違い。四、前の上の地の勝れた違い。五、その果の違い。いかにかんば無作行を楽しむことへの対治とは。

經曰：爾時金剛藏菩薩言：諸佛子！若菩薩善具足六地行已，欲入第七菩薩地者，是菩薩當以十種方便智發起殊勝行入。何等為十？所謂善修空無相無願，而集大功德助道；入諸法無我無壽命無眾生，而不捨，起四無量；起功德法，作增上波羅蜜行，而無法可取；得遠離三界，而能應化起莊嚴三界行；畢竟寂滅諸煩惱焰，而能為一切眾生起滅貪瞋癡煩惱焰行；隨順幻、夢、影、響、化、水中月、鏡中像自性不二，而起作業無量差別心；善知一切國土道如虛空，而起莊嚴淨佛國土行；知諸佛法身自性無身，而起色身相好莊嚴行；知諸佛音聲無聲本來寂滅不可說相，而隨一切眾生起種種差別莊嚴音聲行；入諸佛於一念頃通達三世事，而能分別種種相劫數修行，隨一切眾生心差別觀故。諸佛子！是菩薩如是十種方便智，發起殊勝行，具足六地行已，得入第七菩薩地。諸佛子！是菩薩此十種方便智，發起殊勝行現前行，名入第七菩薩地。

> 経に曰く、そのとき金剛蔵菩薩が言った。「諸仏子よ、菩薩が第六地の修行をよく円満に成し遂げて、第七の菩薩地に入ろうとするなら、その菩薩は十種の方便智によってすぐれた修行を起こして入るべきである。どのような十種か。いわゆる、空・無相・無願をよく修行しながら、大きな功德を集めて道を助ける。諸法には我なく寿命なく衆生がないと悟りながらも、それを捨てずに四無量心を起こす。功德の法を起こし、すぐれた波羅蜜の修行をなしながらも、つかむべきものがない。三界を遠く離れながらも、応化身を現して三界を荘厳する修行を起こす。すべての煩悩の炎を究竟して寂滅させながらも、すべての衆生のために貪・瞋・癡の煩悩の炎を滅する修行を起こす。幻・夢・影・響・化・水中の月・鏡の中の像のように自性は二つでないと随順しながらも、無量の差別ある心で行為を起こす。すべての国土の道が虚空のようであるとよく知りながらも、清らかな仏国土を荘厳する修行を起こす。諸仏の法身は自性に身がないと知りながらも、色身の相好を荘厳する修行を起こす。諸仏の音声は声がなく、本来寂滅して説くことのできない相であると知りながらも、すべての衆生に応じて種々の差別ある荘厳の音声を起こす。諸仏が一念の間に三世の事を通达するのに入りながらも、種々の相・劫数に分けて修行し、すべての衆生の心の差別を観ずるに随う。諸仏子よ、この菩薩はこのように十種の方便智によってすぐれた修行を起こし、第六地の修行を円満に成し遂げて、第七の菩薩地に入ることができる。諸仏子よ、この菩薩がこの十種の方便智によってすぐれた修行を起こし、それを目の前に現して進むことを、第七の菩薩地に入るというのである。」

論曰：樂無作行對治者，方便智發起十種殊勝行，如經「諸佛子！若菩薩善具足六地行已，欲入第七菩薩地者，是菩薩當以十種方便智發起殊勝行入」。彼菩薩無障礙智現前，般若波羅蜜行現前時，即於無作行中生樂心，非起增上行。彼樂對治，此十種法差別示現。方便智者，不捨眾生法，無我智對治。攝取增上行，發起殊勝行，此勝行於出世間及世間增上行更無勝者，有四種功德故。一、財及身勝因事，隨所須意取得財，及身勝因功德集故，如經「所謂善修空無相無願而集大功德助道」故。二、護惡行因事，如是得勝無量修行，於一切眾生中不起妄行故，如經「入諸法無我無壽命無眾生而不捨起四無量」故。三、護善根因事，得彼勝因增上故，功德法增上行，以波羅蜜行故，如經「起功德法，作增上波羅蜜行，而無法可取」故。四、攝眾生因事，於中有七種門：一、願力取生作上首，教化餘眾生故。上首者，眾生隨逐故。如經「得遠離三界而能應化起莊嚴三界行」故。二、說對治故，為滅煩惱染及隨煩惱使，常自寂滅故。如經「畢竟寂滅諸煩惱焰，而能為一切眾生起滅貪瞋癡煩惱焰行」故。三、為滅諸障故。障有四種，如五地中說。如經「隨順幻、夢、影、響、化、水中月、鏡中像自性不二，而起作業無量差別心」故。四、於大法眾會集故，如經「善知一切國土道如虛空，而起莊嚴淨佛國土行」故。五、見聞親近供養修行生福德故，如經「知諸佛法身自性無身，而起色身相好莊嚴行」故。六、轉法輪故，如經「知諸佛音聲無聲本來寂滅不可說相，而隨一切眾生起種種差別莊嚴音聲行」故。七、隨所問善釋故，如經「入諸佛於一念頃通達三世事，而能分別種種相劫數修行，隨一切眾生心差別觀」故。此十種發起殊勝行，共對攝取、對治攝取善修行空無相無願等，入一切法無我無壽命無眾生等，如是次第應知。此十種法現前得，住第七地，如經「諸佛子！是菩薩此十種方便智發起殊勝行現前行，名入第七菩薩地」故。如是樂無作行對治差別，七地已說。次說彼障對治，有二種相：一、修行無量種；二、修行無功用行。

> 論じて曰く、楽無作行の対治とは、方便智が十種の殊勝行を発起することである。経に「諸仏子よ、もし菩薩が六地の行を善く具足し終えて、第七菩薩地に入ろうとするならば、この菩薩は十種の方便智をもって殊勝行を発起して入るべきである」とあるがごとし。 かの菩薩に障碍なき智が現前し、般若波羅蜜の行が現前する時、すなわち無作行の中において楽心を生じ、増上行を起こすのではない。かの楽の対治として、この十種の法の差別を示し現す。 方便智とは、衆生を捨てない法であり、無我智の対治である。増上行を摂取し、殊勝行を発起する。この勝行は出世間および世間の増上行において、さらに勝るものはない。四種の功徳があるからである。 一には、財と身の勝因の事。必要なものに応じて意のままに財を得、また身の勝因の功徳を集めるからである。経に「いわゆる空・無相・無願を善く修めて、大功徳と助道を集める」とあるがごとし。 二には、悪行を護る因の事。このように勝れた無量の修行を得て、一切の衆生の中において妄行を起こさないからである。経に「諸法は無我・無寿命・無衆生に入りて、しかも四無量を起こすことを捨てない」とあるがごとし。 三には、善根を護る因の事。かの勝因の増上を得るからである。功徳の法の増上行は、波羅蜜の行によるからである。経に「功徳の法を起こし、増上の波羅蜜行を作り、しかも取るべき法がない」とあるがごとし。 四には、衆生を摂する因の事。その中に七種の門がある。 一には、願力によって生を受け上首となり、余の衆生を教化するからである。上首とは、衆生が随い従うからである。経に「三界を遠離することを得て、しかも応化して荘厳なる三界の行を起こす」とあるがごとし。 二には、対治を説くからである。煩悩の染と随煩悩の使を滅するため、常に自ら寂滅するからである。経に「畢竟寂滅して諸の煩悩の焰を滅し、しかも一切の衆生のために貪・瞋・癡の煩悩の焰を滅する行を起こす」とあるがごとし。 三には、諸の障を滅するためである。障には四種あり、五地の中で説いたがごとし。経に「幻・夢・影・響・化・水中の月・鏡の中の像の自性は不二なりと随順して、しかも作業の無量の差別心を起こす」とあるがごとし。 四には、大法の衆会に集まるからである。経に「一切の国土の道は虚空のごとしと善く知りて、しかも荘厳にして浄らかな仏国土の行を起こす」とあるがごとし。 五には、見聞し親近し供養し修行して福徳を生ずるからである。経に「諸仏の法身の自性は身なきことを知りて、しかも色身の相好荘厳の行を起こす」とあるがごとし。 六には、法輪を転ずるからである。経に「諸仏の音声は声なく、本来寂滅にして不可説の相なりと知りて、しかも一切の衆生に随って種々の差別ある荘厳の音声の行を起こす」とあるがごとし。 七には、問われるままに善く解釈するからである。経に「諸仏は一念の頃に三世の事を通達するに入りて、しかも種々の相の劫数を分別し、一切の衆生の心の差別に随って観ずる修行をなす」とあるがごとし。 この十種の殊勝行を発起することは、共に対摂取と対治摂取とを善く修行し、空・無相・無願等に入り、一切法の無我・無寿命・無衆生等に入る。このように次第を知るべきである。この十種の法が現前することを得て、第七地に住する。経に「諸仏子よ、この菩薩がこの十種の方便智をもって殊勝行を発起し現前行するを、第七菩薩地に入ると名づける」とあるがごとし。 このように楽無作行の対治の差別は、七地においてすでに説いた。次にかの障の対治を説く。二種の相がある。一には、無量の種を修行すること。二には、無功用の行を修行することである。

經曰：是菩薩住第七菩薩地中，入無量眾生界、入諸佛無量教化眾生業、入無量世界網、入諸佛無量清淨國土、入無量諸法差別、入無量諸佛智得無上道、入無量劫數、入無量諸佛通達三世事、入無量眾生信樂勝事差別、入無量諸佛名色身種種示現、入無量眾生心行根信種種差別、入無量諸佛音聲語言令眾生歡喜、入無量眾生心心所行種種差別、入無量諸佛隨智慧行、入乘無量聲聞乘信解、入諸佛無量說道令眾生信解、入無量辟支佛乘集成、入諸佛無量深智慧門、入所說、入諸菩薩無量所行道、入諸佛無量所說大乘集成事令菩薩得入。

> 経に曰く、この菩薩は第七の菩薩地にとどまり、無量の衆生の世界に入り、諸仏の無量の教化によって衆生を導くはたらきに入り、無量の世界の網に入り、諸仏の無量の清浄な国土に入り、無量の諸法の違いに入り、無量の諸仏の智慧を得て無上の道に至ることを入り、無量の劫の数に入り、無量の諸仏が三世のことを通達することを入り、無量の衆生の信と願いのすぐれた事柄の違いに入り、無量の諸仏の名と色身のさまざまな示現に入り、無量の衆生の心のはたらき・根・信のさまざまな違いに入り、無量の諸仏の声と言葉が衆生を喜ばせることを入り、無量の衆生の心心のさまざまなはたらきの違いに入り、無量の諸仏の智慧に従ったはたらきに入り、無量の声聞乗の信解に乗じて入り、諸仏の無量の道を説いて衆生を信解させることを入り、無量の辟支仏乗の集成に入り、諸仏の無量の深い智慧の門に入り、説かれたところに入り、諸菩薩の無量の行う道に入り、諸仏の無量に説かれた大乗の集成の事により菩薩が入ることを得る。

論曰：修行無量種者，隨所作，利益何等眾生？眾生住何處？以何等智慧、以何等心、以何等行、置何等乘？以此差別，有十種修行。是中隨所作利益何等眾生者，於無量眾生以無量業教化故，如經「是菩薩住第七菩薩地中，入無量眾生界、入諸佛無量教化眾生業」故。眾生住何處者，於無量世界中令依清淨佛國土故，如經「入無量世界網、入諸佛無量清淨國土」故。以何等智慧者，無量種種法界智慧覺故，如經「入無量諸法差別、入無量諸佛智得無上道」故。無量劫數通達三世亦入智慧覺，如經「入無量劫數、入無量諸佛通達三世事」故。以何等心者，有三種事：一、有眾生信種種天身心隨同行，隨彼信說故，如經「入無量眾生信樂勝事差別、入無量諸佛名色身種種示現」故。二、知過去心習軟中利根如應說法，如經「入無量眾生心行根信種種差別、入無量諸佛音聲語言令眾生歡喜」故。三、以何等行者，隨眾生心說對治故，如經「入無量眾生心心所行種種差別、入無量諸佛隨智慧行」故。置何等乘者，於三乘中置聲聞乘中者，如經「入乘無量聲聞乘信解、入諸佛無量說道令眾生信解」故。置辟支佛乘中者，如經「入無量辟支佛乘集成、入諸佛無量深智慧門、入所說」故。置大乘中者，如經「入諸菩薩無量所行道、入諸佛無量所說大乘集成事令菩薩得入」故。如是彼障對治無量種差別修行十種已說，次說修行無功用行。

> 修行には無量の種類があります。それは、何を行ない、どのような众生(しゅじょう)を利益するか、众生がどこに住むか、どのような智慧(ちえ)により、どのような心により、どのような行ないにより、どのような乗(じょう)に置くか、という違いによるものです。この違いによって、十種の修行があります。 まず、何を行ない、どのような众生を利益するかについて。無量の众生を無量の業(ごう)によって教化するからです。経に「この菩薩は第七菩薩地(ぼさち)に住み、無量の众生界に入り、諸仏の無量の教化の众生業に入る」とあるとおりです。 众生がどこに住むかについて。無量の世界において、清らかな仏国土に住ませるからです。経に「無量の世界網に入り、諸仏の無量の清浄な国土に入る」とあるとおりです。 どのような智慧によるかについて。無量のさまざまな法界(ほっかい)を智慧によって覚るからです。経に「無量の諸法の違いに入り、無量の諸仏の智慧に入って無上の道を得る」とあるとおりです。また、無量の劫(こう)の数を通じて三世(さんぜ)に通達し、これも智慧の覚りに入ります。経に「無量の劫の数に入り、無量の諸仏の三世の事を通達する」とあるとおりです。 どのような心によるかについて、三つのことがあります。 一、天身(てんしん)などさまざまな身心を信じる众生が、それに応じて心を共にして行ない、その信仰に応じて説くからです。経に「無量の众生の信楽(しんぎょう)のすぐれた事の違いに入り、無量の諸仏の名色身(みょうしきしん)のさまざまな示現に入る」とあるとおりです。 二、過去の心の習いによって、軟(なん)・中(ちゅう)・利(り)の根(こん)を知り、それに応じて説法するからです。経に「無量の众生の心行(しんぎょう)・根・信のさまざまな違いに入り、無量の諸仏の音声言語によって众生を歓喜させる」とあるとおりです。 三、どのような行ないによるかについて。众生の心に応じて対治(たいじ)を説くからです。経に「無量の众生の心心所行(しんしんしょぎょう)のさまざまな違いに入り、無量の諸仏の智慧に随った行ないに入る」とあるとおりです。 どのような乗に置くかについて。三乗のうち、声聞乗(しょうもんじょう)に置くものは、経に「無量の声聞乗の信解に入り、諸仏の無量の説かれた道に入って众生を信解させる」とあるとおりです。辟支仏乗(びゃくしぶつじょう)に置くものは、経に「無量の辟支仏乗の集成に入り、諸仏の無量の深い智慧の門に入り、説かれたところに入る」とあるとおりです。大乗に置くものは、経に「諸菩薩の無量の行なう道に入り、諸仏の無量の説かれた大乗の集成の事に入って菩薩をして入らしめる」とあるとおりです。 このように、それらの障りの対治について、無量の種類の違いある十種の修行をすでに説きました。次に、修行の無功用行(むくゆうぎょう)について説きます。

經曰：是菩薩作如是念：是諸佛世尊，有無量無邊境界，是境界不可以若干百億劫千億劫百千億劫，乃至復過此數無量百千萬億那由他劫不可算數，如是諸佛境界我皆應集。自然不以分別得成，以不分別不取相故成。是菩薩如是善觀智通，日夜常修方便智，熏發起殊勝行，善住堅固以不動法故。

> 経に曰く、この菩薩は次のように思います。もろもろの仏世尊には、はかりしれない広大な境地があります。その境地は、百億劫や千億劫、百千億劫という長い時間をかけても、さらにそれをはるかに超える無量百千万億那由他劫という数えきれない時間をかけても、到達することはできません。しかし、そのようなもろもろの仏の境地を、私はすべて集めたいと願います。それは自然に、分別によって成し遂げられるのではなく、分別せず、相を取らないことによって成し遂げられます。この菩薩はこのように智慧の働きをよく観察し、日夜つねに方便の智慧を修め、すぐれた行いを薫発し起こして、よく堅固に安住します。動かない法によるからです。

論曰：是中自然者，自性勝無分別故，如經「自然不以分別得成，以不分別不取相故成」。此句示現是菩薩如是善觀智通，日夜常修方便智，熏發起殊勝行，善住堅固以不動法故者，彼障對治故。如是彼障對治差別此地已說。次說雙行分，有四種相：一、二行雙無間；二、信勝；三、能作大義；四、菩提分差別。

> 論じて曰く、ここでいう「自然」とは、自性がすぐれて無分別であるからである。経に「自然は分別によって成るのではなく、分別せず、相を取らないことによって成る」とあるとおりである。この句は、この菩薩がこのように善く智の通り方を観じて、日夜つねに方便の智を修め、殊勝な行を熏発し起こして、よく堅固に安住することを示している。不動の法によるからである。それは障りに対する対治のためである。このように、その障りへの対治の違いは、この地においてすでに説かれた。次に双行の分を説く。四つの相がある。一には、二つの行がともに間断なく続くこと。二には、信がすぐれていること。三には、大きな利益をなしうること。四には、菩提の分の違いである。

經曰：是菩薩起於道時，一念心不捨。是菩薩修行智慧，來時亦起、去時亦起、住時亦起、坐時亦起、臥時亦起，乃至睡夢皆能起道。離諸陰蓋住諸威儀，常不離如是相念。是菩薩於念念中，具足菩薩十波羅蜜。何以故？如是菩薩起一切心，於念念中以大悲為首，修習一切佛法，皆迴向如來智故。是菩薩求佛道時所修善根，捨與一切眾生，是檀波羅蜜。能滅一切煩惱熱，是尸波羅蜜。慈悲為首，能忍一切眾生，是羼提波羅蜜。求轉勝善根心無厭足，是毘梨耶波羅蜜。所修諸行心不馳散，常向一切智智，是禪波羅蜜。現忍諸法自性不生，是般若波羅蜜。能起無量智門，是方便波羅蜜。期上上勝智，是願波羅蜜。一切外道邪論及諸魔眾不能沮壞菩薩道，是力波羅蜜。如實觀知一切法相，是智波羅蜜。如是諸佛子！是菩薩住此菩薩遠行地中，念念具足十波羅蜜，亦具足四攝法，亦具足四家三十七助菩提分法、三解脫門，略說乃至一切助菩提分法於念念中皆悉具足。

> 経に曰く、この菩薩が道を起こす時、一念の心も捨てることがない。この菩薩は智慧を修行し、来る時も起こし、去る時も起こし、住む時も起こし、坐る時も起こし、臥す時も起こし、さらには眠りや夢の中でも道を起こすことができる。もろもろの陰蓋を離れ、諸々の威儀を保ち、常にこのような相念を離れない。この菩薩は一念一念の中で、菩薩の十波羅蜜を具足している。なぜか。この菩薩はいっさいの心を起こし、一念一念の中で大悲を第一として、いっさいの仏法を修習し、すべてを如来の智慧に振り向けるからである。この菩薩が仏道を求める時に修めた善根を、いっさいの衆生に施し与えるのが、檀波羅蜜である。いっさいの煩悩の熱を滅することができるのが、尸波羅蜜である。慈悲を第一として、いっさいの衆生を耐え忍ぶことができるのが、羼提波羅蜜である。より勝れた善根を求めて心に飽きることがないのが、毘梨耶波羅蜜である。修めるもろもろの行に心が散らず、常にいっさい智の智に向かうのが、禅波羅蜜である。もろもろの法の自性が生じないことを現に認めるのが、般若波羅蜜である。無量の智慧の門を起こすことができるのが、方便波羅蜜である。上上の勝れた智慧を期するのが、願波羅蜜である。いっさいの外道の邪論やもろもろの魔の集まりが菩薩の道を妨げ壊すことができないのが、力波羅蜜である。ありのままにいっさいの法相を観じて知るのが、智波羅蜜である。このように、仏子たちよ、この菩薩がこの菩薩の遠行地の中に住む時、一念一念の中で十波羅蜜を具足し、また四摂法を具足し、また四家三十七助菩提分法、三解脱門を具足し、略して説けば、いっさいの助菩提分法が一念一念の中でことごとく具足しているのである。

論曰：是中一念中奢摩他、毘婆舍那二行雙現前故。住諸威儀者，一切行中彼修行時無間不斷不息行故。如經「是菩薩起於道時，一念心不捨，乃至住諸威儀故、遠離一切煩惱蓋」故。信勝者，彼無量智中殊異義，莊嚴相現前專念故。如經「常不離如是相念」故。能作大義者，念念具足十波羅蜜大義故。如經「是菩薩於念念中具足菩薩十波羅蜜乃至智波羅蜜」故。是中方便波羅蜜者，起無量智事，以是智故，起布施等無量行，願力攝故。願波羅蜜者，起上上智，以是智故，起布施等上上行，生攝取勝故。力波羅蜜者，一切異論及諸魔眾不能壞行，以是行故，遠離布施等障故。智波羅蜜者，如實觀知一切法相，以是智故，布施等一切種差別知，為化眾生故。菩提分差別者，有四種相：一、依大乘行波羅蜜故，如經「如是諸佛子！是菩薩住此菩薩遠行地中，念念具足十波羅蜜」故。二、依教化眾生，行四攝法故，如經「亦具足四攝法」故。三、依煩惱障，增上淨故。家菩提分解脫門者，何處住？以何等門修行得清淨？如經「亦具足四家三十七助菩提分法、三解脫門」故。家者，般若家、諦家、捨煩惱家、苦清淨家故。四、依智障清淨，如經「略說一切助菩提分法於念念中皆悉具足」故。如是雙行差別已說。次說前上地勝差別，下地增上方便行滿足故，七地中說。

> 論じていう。この中で、一念の中に奢摩他と毘婆舎那の二つの修行が同時に現れるからである。諸の威儀に住するとは、すべての行において、その修行の時、間断なく、絶えず、休むことなく行じるからである。経に「この菩薩が道を起こす時、一念の心も捨てず、乃至、諸の威儀に住するがゆえに、一切の煩悩の蓋より遠離する」とあるとおりである。信が勝れているとは、かの無量の智慧の中の殊に異なる意味、荘厳の相が現前に専念されるからである。経に「常にこのような相の念を離れない」とあるとおりである。大きな意義を作すとは、念念に十波羅蜜の大きな意義を具足するからである。経に「この菩薩は念念の中に菩薩の十波羅蜜を具足し、乃至、智波羅蜜に至る」とあるとおりである。この中で方便波羅蜜とは、無量の智慧の事を起こし、この智慧によって、布施などの無量の行を起こし、願力に摂められるからである。願波羅蜜とは、上上の智慧を起こし、この智慧によって、布施などの上上の行を起こし、生の摂取に勝れるからである。力波羅蜜とは、一切の異論およびもろもろの魔衆がその行を壊すことができない、この行によって、布施などの障りを遠離するからである。智波羅蜜とは、如実に一切の法の相を観知し、この智慧によって、布施など一切種の差別を知り、衆生を化するためである。菩提分の差別には、四つの相がある。一つには、大乗の行波羅蜜による。経に「このように諸の仏子よ。この菩薩はこの菩薩遠行地の中に住して、念念に十波羅蜜を具足する」とあるとおりである。二つには、教化衆生による。四摂法を行じるからである。経に「また四摂法を具足する」とあるとおりである。三つには、煩悩の障による。増上に清浄なるがゆえである。家の菩提分の解脱門とは、どこに住するのか。いかなる門によって修行して清浄を得るのか。経に「また四家の三十七助菩提分法と三解脱門を具足する」とあるとおりである。家とは、般若の家、諦の家、煩悩を捨てる家、苦の清浄の家である。四つには、智障の清浄による。経に「略して一切の助菩提分法を説けば、念念の中に皆ことごとく具足する」とあるとおりである。このように双行の差別をすでに説いた。次に、前の上地の勝れたる差別を説く。下地の増上の方便行が満足するがゆえに、七地の中に説く。

經曰：爾時解脫月菩薩問金剛藏菩薩言：佛子！菩薩但於第七菩薩地中具足一切助菩提分法？為當一切菩薩諸地中亦皆具足？金剛藏菩薩言：佛子！菩薩於十菩薩地中悉具足一切助菩提分法，但第七地勝故得名。何以故？佛子！是菩薩此菩薩地中方便行具足，得入智慧神通行故。佛子！菩薩於初地中發願觀一切佛法故，具足助菩提分法。第二地中除心惡垢故，具足助菩提分法。第三地中願轉增長得法明故，具足助菩提分法。第四地中入道故，具足助菩提分法。第五地中隨順行世間法故，具足助菩提分法。第六地中入甚深法門故，具足助菩提分法。此第七菩薩地中起一切佛法故，具足一切助菩提分法。

> 経に曰く、そのとき解脱月菩薩が金剛蔵菩薩に問いました。「仏子よ、菩薩はただ第七菩薩地においてのみ、すべての菩提を助ける法を具足するのでしょうか。それとも、すべての菩薩の各地においても、みな具足するのでしょうか。」 金剛蔵菩薩は答えました。「仏子よ、菩薩は十の菩薩地のすべてにおいて、菩提を助ける法を完全に具えています。ただ、第七地が特にすぐれているので、その名で呼ばれるのです。なぜでしょうか。仏子よ、この菩薩はこの菩薩地において、巧みな実践を完全に具え、智慧の神通の行に入るからです。 仏子よ、菩薩は初地において、すべての仏法を願い見るゆえに、菩提を助ける法を具足します。第二地においては、心の悪しき汚れを除くゆえに、菩提を助ける法を具足します。第三地においては、願いがますます増え、法の明らかさを得るゆえに、菩提を助ける法を具足します。第四地においては、道に入るゆえに、菩提を助ける法を具足します。第五地においては、世間の法に随順して行うゆえに、菩提を助ける法を具足します。第六地においては、甚深なる法門に入るゆえに、菩提を助ける法を具足します。この第七菩薩地においては、すべての仏法を起こすゆえに、すべての菩提を助ける法を具足するのです。」

論曰：云何下地增上方便行滿足？以滿足故入大智通行，如經「金剛藏菩薩言：佛子！菩薩於十菩薩地中悉具足一切菩提分法，但第七地勝故得名。何以故？佛子？是菩薩此菩薩地中方便行具足，得入智慧神通行故」。是中通者，五神通。智者，如前說。云何此地中方便行滿足？彼餘世間出世間行中更起殊勝行，是故此七地中起一切佛法故，能具足助菩提分法。如經「佛子！菩薩於初地中發願觀一切佛法故，具足助菩提分法。乃至此第七菩薩地中起一切佛法故，具足一切助菩提分法」故。如是前上地勝差別，下地增上方便行滿足已說。云何上地增上修行智慧方便菩提分功用行滿足故？

> 論じていう：どのように下の地において増上の方便行が満足するのか。満足したがゆえに大智の通に入る。経に「金剛蔵菩薩が言った。仏子よ、菩薩は十の菩薩地のうちで、すべて一切の菩提分法を具足する。ただ第七地が勝れているのでその名を得る。なぜか。仏子よ、この菩薩はこの菩薩地において方便行が具足し、智慧の神通行に入ることができるからである」とあるとおりである。このうち「通」とは五神通である。「智」とは前に説いたとおりである。どのようにこの地において方便行が満足するのか。かの他の世間・出世間の行のなかで、さらに殊勝な行を起こす。それゆえこの第七地において一切の仏法を起こすので、よく助菩提分法を具足することができる。経に「仏子よ、菩薩は初地において願を発し一切の仏法を観じるがゆえに、助菩提分法を具足する。乃至、この第七の菩薩地において一切の仏法を起こすがゆえに、一切の助菩提分法を具足する」とあるとおりである。このように、前の上の地が勝れているという差別と、下の地の増上の方便行が満足したことについてはすでに説いた。どのように上の地の増上の修行における智慧方便の菩提分の功用行が満足するのか。

經曰：何以故？佛子！菩薩從初地來乃至七地，得諸智慧所行道。以是力故，從第八菩薩地乃至第十地無功用行自然滿足。佛子！譬如二世界：一、染淨世界；二、純淨世界。是二中間，難可得過。欲過此界，當以大神通力。佛子！菩薩如是行於染淨菩薩道難可得過，當以大願力、大方便智力、大神通力故乃可得過。解脫月菩薩言：佛子！七菩薩地為是染行、為是淨行？金剛藏菩薩言：佛子！從初地來菩薩所行皆離煩惱染業。何以故？迴向阿耨多羅三藐三菩提故。隨道所行如分平等故，不名為過七地煩惱行。佛子！譬如轉輪聖王乘上寶象遊四天下，知有貧窮困苦染過之人，而不為彼過所染。然王未免人身，若捨人身生於梵世住梵天宮，見行千世界，示梵王光明威力。爾時不名為人。佛子！菩薩亦如是，從初地來乘諸波羅蜜乘行一切世間，亦知世間煩惱染過，而不為煩惱過之所染。以乘正道故，而不名為過七地煩惱染。若菩薩捨一切功用行，從七地入第八地，爾時名為乘菩薩清淨乘行一切世間。如實知一切煩惱染過，而不為煩惱過之所染，以得過故。佛子！菩薩住是第七菩薩地，過多貪欲等諸煩惱眾。是菩薩住此菩薩遠行地中，不名有煩惱者、不名無煩惱者。何以故？一切煩惱不行故，不名有煩惱者；貪求如來智慧未滿足故，不名無煩惱者。

> 経に曰く、なぜでしょうか。仏子よ、菩薩は初地から七地に至るまで、さまざまな智慧によって行じる道を得ています。その力によって、第八地から第十地に至るまで、努力を要しない自然な行が満ち足りるのです。 仏子よ、たとえば二つの世界があります。一つは汚れと清らかさが混じった世界、二つは純粋に清らかな世界です。この二つの間は、なかなか通り過ぎることができません。この境界を越えようとするなら、大きな神通力によってでなければなりません。 仏子よ、菩薩も同じです。汚れと清らかさが混じった菩薩の道を行じることは、なかなか通り過ぎることができません。大きな願の力、大きな方便の智慧の力、大きな神通の力によってこそ、通り過ぎることができるのです。 解脱月菩薩が言いました。仏子よ、七地の菩薩の境地は、汚れた行でしょうか、清らかな行でしょうか。 金剛蔵菩薩が言いました。仏子よ、初地から菩薩が行じることは、すべて煩悩の汚れや業から離れています。なぜでしょうか。阿耨多羅三藐三菩提へ心を向けているからです。道に沿って行じることが分に応じて平等であるため、七地の煩悩の行を過ぎたとは名づけないのです。 仏子よ、たとえば転輪聖王が最高の宝の象に乗り、四天下を巡ります。貧しく苦しみ、汚れに沈む人々がいることを知っていても、その汚れに染まることはありません。しかし王はまだ人の身を捨てていません。もし人の身を捨てて梵天の世界に生まれ、梵天の宮に住めば、千の世界を見渡し、梵王の光明と威力を示すでしょう。そのときはもはや人とは名づけません。 仏子よ、菩薩も同じです。初地からさまざまな波羅蜜の乗り物に乗り、すべての世間を行じます。世間の煩悩の汚れを知っていても、煩悩の汚れに染まることはありません。正しい道に乗っているからです。しかし七地の煩悩の汚れを過ぎたとは名づけません。 もし菩薩がすべての努力を要する行を捨て、七地から第八地に入れば、そのときは菩薩の清らかな乗り物に乗り、すべての世間を行じると名づけます。一切の煩悩の汚れをあるがままに知り、煩悩の汚れに染まることはありません。過ぎ去ることができたからです。 仏子よ、菩薩がこの第七地に住むとき、多くの貪欲などの煩悩の集まりを超えています。この菩薩が遠行地に住むとき、煩悩がある者とも名づけず、煩悩がない者とも名づけません。なぜでしょうか。一切の煩悩が働かないから、煩悩がある者とは名づけません。如来の智慧を貪り求めてまだ満ち足りていないから、煩悩がない者とは名づけないのです。

論曰：云何上地增上智慧方便行菩提分功用滿足故？如經「何以故？佛子！菩薩從初地來乃至七地得諸智慧所行道，乃至當以大願力、大方便智力、大神通力乃可得過」故。從初地來遠離一切煩惱，示現如是。此地名為染淨，非染行，如分行平等道故。彼菩薩此地中，隨力分捨功用道，如轉輪王譬。第八地中，自然得報行過煩惱染過，示現如生梵世，捨轉輪王人身。如經「諸佛子！譬如轉輪聖王乃至不為煩惱過之所染，以得過故。佛子！菩薩住是第七菩薩地，過多貪欲等諸煩惱眾者，未至報地故。是故此地不名離煩惱行，有功用故。菩薩住此遠行地中，不名有煩惱者乃至未滿足故」。不名無煩惱者，如是前上地勝差別分已說。次說雙行果差別。此有四種相：一、業清淨；二、得勝三昧；三、過地；四、得勝行。云何業清淨？

> 論じて曰く、どのようにして上の地において智慧と方便の行が増し進み、菩提の分の功用が満たされるのか。経に「なぜならば、仏子よ、菩薩は初地から七地に至るまで、もろもろの智慧の行じる道を得て、さらには大きな願の力、大きな方便の智慧の力、大きな神通の力によって、ようやく過ぎることができる」とあるからです。初地からすべての煩悩を遠く離れることを、このように示しています。この地は「染浄」と名づけられ、染まった行ではなく、分の行が平等な道であるからです。かの菩薩はこの地において、力に随って功用の道を捨てることは、転輪王のたとえのとおりです。第八地では、自然に報の行を得て、煩悩の染めを過ぎることを、梵世に生まれて転輪王の人身を捨てるように示しています。経に「諸仏子よ、たとえば転輪聖王は、煩悩の過ちに染められることがない。過ぎることを得たからである。仏子よ、菩薩がこの第七菩薩地に住むとき、多くの貪欲などのもろもろの煩悩の集まりを過ぎるが、まだ報の地に至っていないからである。それゆえこの地は煩悩を離れる行と名づけない。功用があるからである。菩薩がこの遠行地に住むとき、煩悩がある者とは名づけないが、まだ満たされていないからである」とあるとおりです。煩悩がない者とも名づけません。このように前に上の地のすぐれた違いの分をすでに説きました。次に双行の果の違いを説きます。これには四つの相があります。一には業の清浄、二にはすぐれた三昧を得ること、三には地を過ぎること、四にはすぐれた行を得ることです。どのようにして業が清浄なのでしょうか。

經曰：是菩薩住此第七菩薩遠行地中，畢竟成就深淨身業、畢竟成就深淨口業、畢竟成就深淨意業。是菩薩所有不善業道，諸佛所呵，皆已捨離。所有善業道，諸佛所歎，是則常行。世間所有經書技術，如五地中說自然而行。是菩薩於三千大千世界中得為大師，唯除諸佛及八地菩薩，無有眾生深心妙行能與等者。是菩薩所有禪定三昧三摩跋提神通解脫一切現前。修行門中非善成就報力，如第八菩薩地。是菩薩住此第七菩薩遠行地，於念念中具足修集方便智力及一切助菩提分法，得轉勝具足。

> 経に曰く、この菩薩は第七の菩薩の遠行地にとどまり、深く清らかな身の業を究竟成就し、深く清らかな口の業を究竟成就し、深く清らかな意の業を究竟成就する。この菩薩は、諸仏が呵責されたすべての不善の業道をすでに捨て離れている。諸仏が讃歎されるすべての善の業道を、常に行じている。世間のすべての経書や技術は、第五地で説かれたように自然に行じられる。この菩薩は三千大千世界の中で大師となる。ただし諸仏と第八地の菩薩を除いては、深い心と優れた行いをもってこの菩薩と等しい者は一人もいない。この菩薩は、すべての禅定・三昧・三摩跋提・神通・解脱をことごとく現前にする。修行の門においては、善なる成就の報力は第八の菩薩地のようではない。この菩薩は第七の菩薩の遠行地にとどまり、一念一念において方便智の力およびすべての助菩提分の法を具足し修集して、転た勝れた具足を得る。

論曰：業清淨者有四種相：一、戒淨勝，如經「是菩薩住此第七菩薩遠行地中，畢竟成就深淨身業乃至是則常行」故。二、世間智清淨勝，如經「世間所有經書技術乃至自然而行」故。三、得自身勝心行二平等無與等者，如經「是菩薩於三千大千世界中乃至深心妙行無與等者」故。四、得勝力禪等現前勝，如經「是菩薩所有禪定三昧乃至得轉勝具足」故。是中依禪起三昧三摩跋提神通解脫，為教化眾生故、寂滅樂行故。滅定三摩拔提，如是次第、如是雙行果。業清淨四種相已說。次說得勝三昧。

> 論じていう。業が清らかであることには四つの相がある。第一は戒の清らかさにすぐれていること。経に「この菩薩は第七の菩薩の遠行地にとどまり、ついに深く清らかな身の業を成就し、さらには常に行じる」とあるとおりである。第二は世間の智の清らかさにすぐれていること。経に「世間にあるすべての経書や技術、さらには自然に行じる」とあるとおりである。第三は自身にすぐれた心行の二つの平等を得て、並ぶものがないこと。経に「この菩薩は三千大千世界において、さらには深い心の妙行に並ぶものがない」とあるとおりである。第四はすぐれた力と禅などが現前にすぐれていることを得ること。経に「この菩薩のすべての禅定や三昧は、さらにはますますすぐれて具足することを得る」とあるとおりである。このうち禅に基づいて三昧・三摩跋提・神通・解脱が起こるのは、衆生を教化するためであり、寂滅の楽を行じるためである。滅定三摩跋提もまた、このような次第であり、このような双行の果である。業の清らかさの四つの相についてはすでに説いた。次に、すぐれた三昧を得ることについて説く。

經曰：是菩薩住此第七菩薩遠行地中，入名善擇智菩薩三昧、善思義三昧、益意三昧、分別義藏三昧、擇一切義三昧、善住堅根三昧、智神通門三昧、法界業三昧、如來利益三昧，入名種種義藏世間涅槃門菩薩三昧。菩薩如是大智通門，滿足上首十三昧，能入百千菩薩三昧門，淨治此地。

> 経典にこう説かれています。この菩薩は第七の菩薩の地である遠行地にとどまり、善く選び取る智慧という名の菩薩の三昧、善く義を思う三昧、意を益する三昧、義の蔵を分別する三昧、一切の義を選ぶ三昧、善く堅固な根に住する三昧、智慧の神通門の三昧、法界の業の三昧、如来の利益の三昧に入り、種々の義の蔵と世間・涅槃の門という名の菩薩の三昧に入ります。菩薩はこのように大きな智慧の神通の門によって、まず十三の三昧を円満にし、百千の菩薩の三昧の門に入ることができ、この地を清らかに治めます。

論曰：得勝三昧者有十種相：一、依未觀義，二、依已觀義，如經「是菩薩住此第七菩薩遠行地中入名善擇智菩薩三昧故、善思義三昧」故。三、依一句無量義勝，四、依一義說無量名，如經「益意三昧故、分別義藏三昧」故。五、依通一切五明處智，如經「擇一切義三昧」故。六、依煩惱障淨，真如觀堅根故，如經「善住堅根三昧」故。七、依智障淨，有四種障淨故。一、勝功德障此對治，如經「智神通門三昧」故。二、無障礙智障此對治，如經「法界業三昧」故。三、於深上佛法性弱障此對治，如經「如來利益三昧」故。四、不住行障此對治，如經「入名種種義藏世間涅槃門菩薩三昧」故。種種義藏者，種種善根故。如是大智通門滿足上首十三昧，能入百千萬菩薩三昧門，淨治此地故。已說得勝三昧。次說過地。

> 論じていう。すぐれた三昧を得た者には十の特徴がある。 一、まだ観ていない意義による。二、すでに観た意義による。経に「この菩薩はこの第七の遠行地にとどまって、善択智と名づける菩薩の三昧に入るゆえに、善思義三昧」とあるとおりである。三、一句に無量の意義があるという勝れた点による。四、一つの意義に無量の名を説くことによる。経に「益意三昧のゆえに、分別義蔵三昧」とあるとおりである。五、すべての五明に通じる智による。経に「一切義を択ぶ三昧」とあるとおりである。六、煩悩の障りが清らかになり、真如を観る根が堅固になることによる。経に「善住堅根三昧」とあるとおりである。七、智の障りが清らかになることによる。四種の障りが清らかになるからである。一つ目は、すぐれた功徳をさまたげる障りで、これに対する対治法である。経に「智神通門三昧」とあるとおりである。二つ目は、さまたげのない智をさまたげる障りで、これに対する対治法である。経に「法界業三昧」とあるとおりである。三つ目は、深くすぐれた仏法の性が弱いという障りで、これに対する対治法である。経に「如来利益三昧」とあるとおりである。四つ目は、とどまらない行をさまたげる障りで、これに対する対治法である。経に「名と種々の義蔵と世間涅槃門に入る菩薩三昧」とあるとおりである。種々の義蔵とは、種々の善根のことである。 このように大いなる智の通門を満たす、最もすぐれた十三の三昧は、百千万の菩薩の三昧門に入ることができ、この地を清らかにするのである。すぐれた三昧を得ることについてはすでに説いた。次に地を超えることを説く。

經曰：是菩薩得是三昧智慧方便善清淨故、得大悲力故，過聲聞辟支佛地，現前思量趣智慧地。

> 経に曰く、この菩薩はこの三昧と智慧と方便とがよく清らかであるため、また大悲の力を得ているため、声聞や辟支仏の境地を超え、目の前に智慧の境地を思量する。

論曰：過聲聞辟支佛地者，有二種相：一、修行方便智力；二、大悲力故。現前者，能入法流水。思量智慧地者，八地智慧應知但觀奢摩他、毘婆舍那道，彼處成就故。復次過者，業勝故示現。

經曰：是菩薩住此第七菩薩遠行地中，無量身業無相行、無量口業無相行、無量意業無相行，是菩薩善清淨行故，得無生法忍光明。解脫月菩薩言：佛子！菩薩住菩薩初地，有無量身業、無量口業、無量意業，已過一切聲聞辟支佛行成。金剛藏菩薩言：佛子！觀大法故過，非是自智行力。此第七菩薩地，得自智行力觀故，一切聲聞辟支佛所不能壞。佛子！譬如王子生在王家，具足王相勝一切臣眾，以豪尊力故，非自智行力故。若身長大，自具智力所作事成，過一切臣眾。如是佛子！菩薩初發心時，已勝一切聲聞辟支佛，以深心大故。今住此第七菩薩地中，自智行住故，過一切聲聞辟支佛事。

論曰：無量三業無相行者，入定遠離相是。無量聲聞緣覺，亦有淨業遠離相，非無量相，不能利益一切眾生故。復次此無量勝餘下地事故。善清淨行者，修方便行滿足故。無生法忍光明者，相現前故。王子喻者，此地中勝過示現，修方便行滿足故。自智行住者，方便行盡念觀住故。如經「佛子！譬如王子生在王家乃至自智行住故，過一切聲聞辟支佛事」故。無量身等勝業已說。非但多無量神力，亦無量示勝義故。

經曰：諸佛子！是菩薩住此第七菩薩遠行地，得甚深遠離無行，身口意業轉求勝行而不捨離。

論曰：甚深者，遠入故。遠離者，彼障滅故。無行者，彼餘出世間世間地不能行故。身口意業轉求勝行而不捨離者，聲聞辟支佛雖離彼相，業不如是，得少為足不求上行故。如是雙行果過二乘地已說。云何得勝行？

經曰：解脫月菩薩言：佛子！菩薩從何地來，能入寂滅定？金剛藏菩薩言：佛子！菩薩從第六地來，能入寂滅定，今住第七菩薩地，於念念中能入寂滅定而不證寂滅定，是菩薩畢竟成就不可思議身口意業。佛子！是諸菩薩行實際行而不證寂滅定。佛子！譬如有人乘大船舫入於大海，善知行船、善知水相，不為大海水難所害。如是佛子！菩薩住此第七菩薩地中，乘諸波羅蜜船、行實際行而不證寂滅定。

論曰：行實際行而不證寂滅定，以不捨有故。如經「金剛藏菩薩言：佛子！菩薩摩訶薩從第六地來，能入寂滅定，乃至而不證寂滅定」故。如是三摩跋提勝行已說。次說發起勝行。

經曰：菩薩如是通達三昧智力修行，起大方便智力故，現身世間門深心涅槃，雖眷屬圍遶而心常遠離，以願力受生三界而不為世間所染。心常寂滅，以方便力而還熾然，雖然不燒。隨順佛智，轉聲聞辟支佛地。通達諸佛境界藏，現魔境界。過四魔道，現行魔境界。現諸外道行，而深心不捨佛濟。通達一切世間事，心常在出世間道法。所有莊嚴之事，勝諸天、龍、夜叉、乾闥婆、阿修羅、迦樓羅、緊那羅、摩睺羅伽、人非人、四天王、釋提桓因、梵天王而不捨樂法念。

論曰：發起殊勝行者，有八種行共對治攝：一、起功德行隨順世間門，如經「菩薩如是通達三昧智力修行，起大方便智力故，現身世間門深心涅槃」故。二、上首攝餘行，如經「雖眷屬圍遶而心常遠離」故。三、願取有行，如經「以願力受生三界，而不為世間所染」故。四、家不斷行，遠離貪欲隨煩惱使而示貪欲行事，如經「心常寂滅，以方便力而還熾然，雖然不燒」故。五、入行，如經「隨順佛智，轉聲聞辟支佛地」故。六、資生行，飲食睡夢等魔境界故，如經「通達諸佛境界藏，現魔境界」故。七、退行，示老病死此三魔境界故，如經「過四魔道，現行魔境界」故。八、轉行，有三種轉：一、見貪轉，如經「現諸外道行而深心不捨佛濟」故。二、障礙轉，如經「通達一切世間事而心常在出世間道法」故。三、貪轉，天龍等尊重心攝取，轉彼貪心故，如經「所有莊嚴之事勝諸天龍乃至而不捨樂法念」故。

經曰：菩薩成就如是智慧，住此菩薩遠行地已，多見諸佛，以大神通力、大願力故。見多百佛、多千佛、多百千佛、多百千那由他佛、多億佛、多百億佛、多千億佛、多百千億佛、多百千億那由他佛，以大神通力、大願力故。是菩薩見諸佛時，以上心深心供養恭敬尊重讚歎，衣服飲食臥具湯藥一切供具悉以奉施，以諸菩薩上妙樂具供養眾僧，以此善根皆願迴向阿耨多羅三藐三菩提。於諸佛所生上恭敬，專心聽法聞已受持，聞受持已得如實三昧智慧光明，隨順修行行已憶持，守護諸佛正法，一切聲聞辟支佛智慧問難所不能壞。是菩薩復能利益眾生，故法忍轉淨。是菩薩住此菩薩遠行地中，於無量劫彼諸善根轉勝明淨調柔成就，復轉盡成就，無量百劫、無量千劫、無量百千劫、無量百千那由他劫、無量億劫、無量百億劫、無量千億劫、無量百千億劫、無量百千億那由他劫，彼諸善根轉勝明淨調柔成就，復轉盡成就。佛子！譬如本真金，以一切眾寶具足莊嚴，光色轉勝明淨，餘莊嚴具所不能及。如是佛子！菩薩住此第七菩薩遠行地中，彼諸善根從方便智起轉勝明淨，一切聲聞辟支佛所不能壞。佛子！譬如日光，一切星宿月光所不能壞，閻浮提內所有泥水悉能乾竭。如是佛子！菩薩住此第七菩薩遠行地中，彼諸善根，一切聲聞辟支佛所不能壞，又能乾竭一切眾生煩惱淤泥。是菩薩十波羅蜜中方便波羅蜜增上，餘波羅蜜非不修習，隨力隨分。諸佛子！是名略說菩薩第七菩薩遠行地。若菩薩住此地中，多作他化自在天王，所作自在善令眾生發生正智，亦令眾生渡煩惱海。所作善業布施愛語利益同事是諸福德，皆不離念佛、念法、念僧、念菩薩、念菩薩行、念波羅蜜、念十地、念不壞力、念無畏、念不共佛法，乃至不離念一切種一切智智。常生是心：我當於一切眾生中，為首為勝為大、為妙為微妙、為上為無上、為導為將、為師為尊，乃至為一切智智依止者。復從是念發精進行，以精進力故，於一念間得百千億那由他三昧，見百千億那由他佛、知百千億那由他佛神力、能動百千億那由他佛世界、能入百千億那由他佛世界、能照百千億那由他佛世界、能化百千億那由他佛世界眾生、能住壽百千億那由他劫、能知過去未來世各百千億那由他劫事、能善入百千億那由他法門、能變身為百千億那由他，於一一身能示百千億那由他菩薩以為眷屬。若以願力自在勝上，菩薩願力過於此數。示種種神通，或身、或光明、或神通、或眼、或境界、或音聲、或行、或莊嚴、或加、或信、或業。是諸神通，乃至無量百千萬億那由他劫不可數知。

論曰：守護諸佛正法者，於三千大千世界中得為大師故、修方便行滿足故。彼守護上首故、利益眾生故，法忍轉顯。此地釋名應知。如經「是菩薩復能利益眾生故、法忍轉淨故、修行功用盡至故，名為遠行地，一切眾寶具足莊嚴」。真金喻者，示現一切菩提分法方便行功用滿足故，此地中諸善根轉勝明淨示現。如經「譬如本真金，乃至一切聲聞辟支佛所不能壞」故。日光喻者，如前地說，此地勝故，如經「佛子！譬如日光乃至又能乾竭一切眾生煩惱淤泥」故。餘如前說。

## 十地經論遠行地第七卷之九