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title: "十地經論 · 10 法雲地"
description: "十地经论由古印度天亲菩萨（世亲）造，北魏时期菩提流支等译师译成汉文。本论是对《华严经·十地品》的释论，系统阐释了大乘菩萨修行成佛所必须经历的十个阶位（十地）的教义与实修方法。它奠定了瑜伽行派的理论基础，对汉传佛教地论宗的形成乃至华严宗、唯识宗的发展产生了深远影响，是研究大乘佛教菩萨道思想的核心典籍之一。"
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## 十地經論法雲地第十卷之十二

> 十地経論 法雲地 第十巻の十二

天親菩薩造

> 天親菩薩造

後魏北印度三藏菩提流支譯

> 後魏・北インド三蔵法師菩提流支訳

論曰：菩薩於九地中已作淨佛國土及化眾生，第十地中修行令智覺滿足，此是勝故。此地中有八分差別：一、方便作滿足地分；二、得三昧滿足分；三、得受位分；四、入大盡分；五、地釋名分；六、神通力無上有上分；七、地影像分；八、地利益分。云何方便作滿足地分？

> 論じて言う。菩薩は九地においてすでに清らかな仏国土を完成し、また衆生を教化してきた。第十地においては、修行によって智慧と覚りを満足させる。これが優れているからである。この地には八つの区分がある。一、方便をもって地を満足させる分。二、三昧を得て満足する分。三、受位を得る分。四、大いなる究竟に入る分。五、地の名を解釈する分。六、神通力の無上と有上の分。七、地の影像の分。八、地の利益の分。どのようにして方便をもって地を満足させる分とするのか。

經曰：爾時金剛藏菩薩言：佛子！若菩薩如是無量智善觀智，乃至第九菩薩地善擇智，善滿足清白法、集無量助道法、善攝大功德智慧、廣行增上大悲、廣知世界差別、深入眾生界稠林行、念隨順入如來行境界、深入趣向如來力無畏不共佛法，名為得至一切種一切智智受位地。

> 経に曰く、その時、金剛蔵菩薩が言った。「仏子よ、菩薩がこのように無量の智慧とすぐれた観察の智慧をもち、さらには第九の菩薩の境地に至るまで、よく選びとる智慧をそなえ、清らかな白法をよく満たし、無量の助道の法を集め、大きな功徳と智慧をよく取り入れ、広く増上の大悲を行じ、世界の違いを広く知り、衆生の世界の密林の行に深く入り、如来の行の境界に随順して入ることを念じ、如来の力・無畏・不共の仏法に深く入り向かうことを、一切種一切智智の受位の地に至り得た、と名づけるのである。」

論曰：是中地方便作滿足地分者，於初地至九地中善擇智業應知。如經「佛子！若菩薩如是無量智善觀智，乃至第九菩薩地善擇智」故。此善擇智有七種相：一、善修行故，有三句，如經「善滿足清白法、集無量助道法、善攝大功德智慧」故。此諸句次第相釋應知。二、普遍隨順自利利他故，如經「廣行增上大悲」故。三、令佛土淨，如經「廣知世界差別」故。四、教化眾生，如經「深入眾生界稠林行」故。五、善解，如經「念隨順入如來行境界」故。如來境界者，真如法故。六、無厭足，如經「深入趣向如來力無畏不共佛法」故。七、地盡至入，如經「名為得至一切種一切智智受位地」故。如是十地方便作滿足地分已說。云何得三昧滿足分？

> 論じて曰く、この中で「地を満たす方便の分」とは、初地から第九地に至るまでの間の、善く択ぶ智慧の働きを指すと知るべきである。経に「仏子よ、もし菩薩がこのように無量の智と善く観ずる智、乃至第九菩薩地の善く択ぶ智」とあるからである。この善く択ぶ智には七つの相がある。第一に、善く修行するがゆえに三つの句がある。経に「善く清白な法を満足し、無量の助道の法を集め、大いなる功德と智慧を善く摂める」とあるがゆえである。これらの句は、その順序に従って相互に説明されるべきである。第二に、普遍的に自利と利他に随順するがゆえに、経に「広く増上なる大悲を行ずる」とあるがゆえである。第三に、仏土を清浄にするがゆえに、経に「広く世界の差別を知る」とあるがゆえである。第四に、衆生を教化するがゆえに、経に「深く衆生界の稠林の行に入る」とあるがゆえである。第五に、善く解するがゆえに、経に「念じて如来の行の境界に随順して入る」とあるがゆえである。如来の境界とは、真如の法であるからである。第六に、厭き足ることがないがゆえに、経に「深く如来の力・無畏・不共の仏法に趣き向かう」とあるがゆえである。第七に、地の尽きるところに至り入るがゆえに、経に「一切種の一切智智の受位の地に至り得たるがゆえに名づく」とあるがゆえである。このように十地の方便の地を満たす分についてはすでに説いた。いかにして三昧を満たす分を得るか。

經曰：佛子！菩薩隨順行如是智，得入受位地，即得菩薩名離垢三昧而現在前，名入法界差別三昧、名莊嚴道場三昧、名一切種花光三昧、名海藏三昧、名海成就三昧、名虛空界廣三昧、名善擇一切法性三昧、名隨一切眾生心行三昧、名現一切諸佛現前住菩薩三昧而現在前，如是等上首十阿僧祇百千諸三昧門皆現在前。是菩薩皆悉入此一切三昧，善知三昧方便，乃至三昧所作正受。此菩薩乃至十阿僧祇百千三昧，最後三昧名一切智智受勝位菩薩三昧而現在前。

> 経に曰く、仏子よ、菩薩がこのような智慧に随順して行じ、受位地に入ると、ただちに「離垢三昧」という名の菩薩の三昧が目の前に現れます。また「入法界差別三昧」「荘厳道場三昧」「一切種花光三昧」「海蔵三昧」「海成就三昧」「虚空界広三昧」「善択一切法性三昧」「随一切衆生心行三昧」「現一切諸仏現前住菩薩三昧」が目の前に現れます。このように、最上の十阿僧祇百千の三昧の門がすべて目の前に現れます。この菩薩はそれらすべての三昧に入り、三昧の方便をよく知り、さらには三昧の所作の正受に至ります。この菩薩は、十阿僧祇百千の三昧のうち、最後の「一切智智受勝位菩薩三昧」が目の前に現れるのです。

論曰：得三昧滿足者，離垢三昧等共眷屬現前故。離垢三昧者，離煩惱垢故。而現在前者，不加功力自然現在前故。此離垢三昧復有九種三昧，離八種垢應知。一、入密無垢，如經「名入法界差別三昧」故。二、近無垢，如經「名莊嚴道場三昧」故。三、放光無垢，如經「名一切種花光三昧」故。四、陀羅尼無垢，如經「名海藏三昧」故。五、起通無垢，如經「名海成就三昧」故。六、清淨佛土無垢，有二句，無量正觀故，如經「名虛空界廣三昧、名善擇一切法性三昧」故。七、化眾生無垢，如經「名隨一切眾生心行三昧」故。八、正覺無垢，成菩提時一切諸佛迭共現前知故，如經「名現一切諸佛現前住菩薩三昧而現在前」故。乃至名一切智智受勝位菩薩三昧而現在前者，一切智智無分別、一切智智平等受位故。善知三昧方便乃至三昧所作正受者，滿足三昧事示現如是。十地得三昧滿足分已說。云何得受位分？

> 論じて曰く、三昧の満足を得るとは、離垢三昧などの仲間たちがともに目の前に現れるからである。離垢三昧とは、煩悩の垢を離れるからである。そして目の前に現れるとは、努力することなく自然に目の前に現れるからである。この離垢三昧にはさらに九種の三昧があり、八種の垢を離れるべきであると知るべきである。一、密入りの無垢。経に「法界差別に入る三昧と名づく」とあるがゆえに。二、近づく無垢。経に「道場を荘厳する三昧と名づく」とあるがゆえに。三、光を放つ無垢。経に「一切種花光三昧と名づく」とあるがゆえに。四、陀羅尼の無垢。経に「海蔵三昧と名づく」とあるがゆえに。五、神通を起こす無垢。経に「海成就三昧と名づく」とあるがゆえに。六、清浄な仏土の無垢。二つの句があり、無量の正しい観察によるからである。経に「虚空界広三昧と名づく、善く一切法性を択ぶ三昧と名づく」とあるがゆえに。七、衆生を教化する無垢。経に「一切衆生の心行に随う三昧と名づく」とあるがゆえに。八、正覚の無垢。菩提を成す時、一切の諸仏が互いにともに現前して知るからである。経に「一切諸仏現前住菩薩三昧と名づけ、而も目の前に現れる」とあるがゆえに。乃至、一切智智の勝れた位を受ける菩薩三昧と名づけ、而も目の前に現れるとは、一切智智は分別なく、一切智智は平等に位を受けるからである。善く三昧の方便を知り、乃至三昧の所作を正受するとは、三昧の事を満足することをこのように示し現すのである。十地が三昧の満足を得る分はすでに説いた。いかにして受位の分を得るか。

經曰：是三昧現在前時，即有大寶蓮華王出，周圓如十阿僧祇百千三千大千世界，一切眾寶間錯莊嚴，過於一切世間境界，出世間善根所生，行諸法如幻性境界所成。光明普照一切法界，過一切諸天所有境界。大琉璃摩尼寶為莖，不可量栴檀王為臺，大瑪瑙寶為鬚，閻浮檀金為葉。華身有無量光明，一切眾寶間錯其內。無量寶網彌覆其上，滿十三千大千世界微塵數等蓮花以為眷屬。如是成就具足諸相已，爾時菩薩其身姝妙稱可花座。是菩薩得一切智智受勝位三昧力故，即時身在大寶蓮花王座上坐。是菩薩在大寶蓮花王座上坐時，爾時大寶蓮花王眷屬蓮花座上皆有菩薩，一一菩薩皆坐蓮花座上，圍遶彼菩薩。一一菩薩各得十十百千三昧，皆一心恭敬瞻仰大菩薩。

> 経に曰く、この三昧が現前する時、すなわち大きな宝の蓮華王が現れ出る。その周囲は十の阿僧祇百千の三千大千世界のように広大で、あらゆる宝が互いに入り交じって荘厳され、すべての世間の境界を超えている。これは出世間の善根から生じ、諸法が幻のごとき性質である境界によって成り立っている。その光明はすべての法界を照らし、あらゆる天界の境界をも超えている。大きな瑠璃摩尼宝が茎となり、量り知れない栴檀王が台座となり、大きな瑪瑙宝が鬚となり、閻浮檀金が葉となっている。花の本体には無量の光明があり、あらゆる宝がその内側に入り交じっている。無量の宝網がその上を覆い、十三千大千世界の微塵の数に等しい蓮花が眷属として満ちている。このように諸相を具足して成就した時、その菩薩の身体は花の座にふさわしく美しい。この菩薩は一切智智の勝れた位の三昧の力を受けたため、ただちにその身は大きな宝蓮華王の座の上に坐る。この菩薩が大きな宝蓮華王の座の上に坐る時、大きな宝蓮華王の眷属の蓮花の座にはみな菩薩がいて、一々の菩薩はみな蓮花の座の上に坐り、かの菩薩を囲み繞っている。一々の菩薩はそれぞれ十十百千の三昧を得て、みな一心に恭敬して大菩薩を仰ぎ見ている。

論曰：是中得受位者，隨何等座、隨何等身量、隨何等眷屬、隨何等相、隨何等出處、隨所得位、隨如是說，六事應知。是中座處者，有十種相：一、生相，如經「是三昧現在前時即有大寶蓮花王出」故。二、量相，如經「周圓如十阿僧祇百千三千大千世界」故。三、勝相，如經「一切眾寶間錯莊嚴」故。四、地相，如經「過於一切世間境界」故。五、因相，如經「出世間善根所生」故。六、成相，如經「行諸法如幻性境界所成」故。七、第一義相，如經「光明善照一切法界」故。善照者，名為正觀故。八、功德相，過一切諸天故，如經「過一切諸天所有境界」故。九、體相，莖臺等，如經「大琉璃摩尼寶為莖」等。十、莊嚴具足相，如經「花身有無量光明，一切眾寶間錯其內，無量寶網彌覆其上」故。隨何等身量者，身稱花座，如經「爾時菩薩其身姝妙，稱可花座」如是等。隨何等眷屬者，此坐處大寶蓮花王座眷屬菩薩眷屬住在其中，如經「爾時大寶蓮花王眷屬」如是等。

> 論ではこう述べている。この中で受位を得る者は、どのような座に応じ、どのような身の大きさに応じ、どのような眷属に応じ、どのような姿に応じ、どのような由来に応じ、どのような位を得るかに応じて、このように説かれるのであり、六つの事柄を知るべきである。 このうち座について言えば、十種の相がある。 一は生相。経に「この三昧が目の前に現れる時、ただちに大きな宝の蓮華王が現れる」とあるとおりである。 二は量相。経に「周囲は十の阿僧祇百千の三千大千世界のごとくである」とあるとおりである。 三は勝相。経に「一切の衆宝が互いに入り交じって荘厳されている」とあるとおりである。 四は地相。経に「一切の世間の境界を超えている」とあるとおりである。 五は因相。経に「出世間の善根から生じたものである」とあるとおりである。 六は成相。経に「諸法が幻のごとき性質である境界を行じることによって成る」とあるとおりである。 七は第一義相。経に「光明が一切の法界をよく照らす」とあるとおりである。「よく照らす」とは、正しく観ることをいうからである。 八は功徳相。一切の天を超えているのであり、経に「一切の天の有する境界を超えている」とあるとおりである。 九は体相。茎や台などであり、経に「大瑠璃摩尼宝を茎とする」などとあるとおりである。 十は荘厳具足相。経に「花の身には無量の光明があり、一切の衆宝がその内に互いに入り交じり、無量の宝網がその上を覆っている」とあるとおりである。 どのような身の大きさに応じるかとは、身が花の座にふさわしいということである。経に「その時、菩薩のその身は美しくすぐれており、花の座にふさわしい」などとあるとおりである。 どのような眷属に応じるかとは、この座処である大きな宝の蓮華王の座の眷属と、菩薩の眷属とがその中に住んでいるということである。経に「その時、大きな宝の蓮華王の眷属」などとあるとおりである。

經曰：是菩薩昇大寶蓮花王座及眷屬菩薩坐蓮花座入三昧已，爾時十方一切世界皆大震動，一切惡道皆悉休息。光明普照一切法界，一切世界皆悉嚴淨，皆得見聞一切諸佛大會。何以故？佛子！是菩薩坐大寶蓮花王座時，即時兩足下放十阿僧祇百千光明，出已悉照十方無量阿鼻地獄等，滅眾生苦惱。兩膝放十阿僧祇百千光明，出已悉照十方無量畜生，滅除苦惱。臍輪放十阿僧祇百千光明，出已悉照十方無量餓鬼，滅除苦惱。左右脇放十阿僧祇百千光明，出已悉照十方無量人身，滅除苦惱。兩手放十阿僧祇百千光明，出已悉照十方無量諸天阿修羅宮。兩肩放十阿僧祇百千光明，出已悉照十方無量聲聞人。項背放十阿僧祇百千光明，出已悉照十方無量辟支佛身。面門放十阿僧祇百千光明，出已悉照十方無量從初發心乃至得九地菩薩。白毫相放十阿僧祇百千光明，出已悉照十方無量得位菩薩身而住，一切魔宮隱蔽不現。頂上放十阿僧祇百千三千大千世界微塵數光明，出已悉照十方一切諸佛大會，圍遶一切世界十匝，住虛空中成大光明輪網臺，名高大光明，作大供養供養諸佛。如是供養，從初發心乃至得九地菩薩所作供養諸佛，百分不及一，千分不及一，百千分不及一，百千那由他分不及一，億分不及一，百億分不及一，千億分不及一，百千億分不及一，百千億那由他分不及一，乃至算數譬喻所不能及。是大光明輪網臺，勝十方世界所有華香末香燒香塗香散香、花鬘衣服、寶蓋幢幡、眾寶瓔珞摩尼寶珠供養之具，過於一切世間境界，以從出世間善根生故。一一佛大會上皆雨眾寶猶如大雨。若有眾生覺知如是供養者，當知皆是必定不退無上大道。如是諸光明雨大供養已，彼一切光明悉照十方一切諸佛大會，圍遶一切世界十匝，入諸佛足下。爾時彼諸佛及彼大菩薩，知某世界中某甲菩薩行如是菩薩道成就菩薩得位地時。又佛子！即時十方無邊菩薩乃至住九地者，皆來圍遶設大供養一心瞻仰，各得十十百千三昧。諸得位地菩薩，於功德莊嚴金剛萬字胸出一大光明名壞魔怨，有十阿僧祇百千光明以為眷屬，出已悉照十方無量世界，示無量神力，亦來入是大菩薩功德莊嚴金剛萬字胸。此光明滅已，是菩薩即時得百千增上大勢力功德智慧而現在前。

> 経に曰く、この菩薩が大いなる宝の蓮華王の座に昇り、また眷属の菩薩たちが蓮華の座に坐して三昧に入ったとき、そのとき十方のすべての世界が大きく震動し、すべての悪道はすっかり鎮まった。光明はあまねく一切の法界を照らし、すべての世界はことごとく荘厳に清められ、すべての仏の大いなる集まりを見聞きすることができた。 なぜか。仏子よ、この菩薩が大いなる宝の蓮華王の座に坐ったとき、ただちに両足の下から十阿僧祇百千の光明を放ち、それが放たれると十方の無量の阿鼻地獄などをことごとく照らし、衆生の苦悩を滅ぼした。両膝から十阿僧祇百千の光明を放ち、それが放たれると十方の無量の畜生をことごとく照らし、苦悩を滅除した。臍輪から十阿僧祇百千の光明を放ち、それが放たれると十方の無量の餓鬼をことごとく照らし、苦悩を滅除した。左右の脇から十阿僧祇百千の光明を放ち、それが放たれると十方の無量の人身をことごとく照らし、苦悩を滅除した。両手から十阿僧祇百千の光明を放ち、それが放たれると十方の無量の諸天と阿修羅の宮殿をことごとく照らした。両肩から十阿僧祇百千の光明を放ち、それが放たれると十方の無量の声聞の人々をことごとく照らした。項と背から十阿僧祇百千の光明を放ち、それが放たれると十方の無量の辟支仏の身をことごとく照らした。面門から十阿僧祇百千の光明を放ち、それが放たれると十方の無量の、初めて発心した者から九地を得た菩薩までをことごとく照らした。白毫相から十阿僧祇百千の光明を放ち、それが放たれると十方の無量の位を得た菩薩の身をことごとく照らしてとどまり、すべての魔の宮殿は隠れて現れなくなった。頂上から十阿僧祇百千の三千大千世界の微塵の数の光明を放ち、それが放たれると十方の一切の諸仏の大いなる集まりをことごとく照らし、すべての世界を十たび囲み巡り、虚空の中にとどまって大いなる光明輪網の台となった。名を高大光明といい、大いなる供養をなして諸仏を供養した。 このような供養は、初めて発心した者から九地を得た菩薩までの、諸仏に対してなした供養と比べると、百分の一にも及ばず、千分の一にも及ばず、百千分の一にも及ばず、百千那由他分の一にも及ばず、億分の一にも及ばず、百億分の一にも及ばず、千億分の一にも及ばず、百千億分の一にも及ばず、百千億那由他分の一にも及ばず、さらには算数や譬えをもってしても及ぶことができないほどである。この大光明輪網の台は、十方の世界にあるすべての華・香・末香・焼香・塗香・散香、花鬘や衣服、宝蓋や幢幡、さまざまな宝の瓔珞や摩尼宝珠といった供養の具に勝っており、すべての世間の境界を超えている。出世間の善根から生じたものであるからである。一つ一つの仏の集まりの上には、いずれも多くの宝が大雨のように降り注いだ。もし衆生がこのような供養を覚知するならば、それはきっと退くことのない無上の大道に入るものであると知るべきである。 このようにもろもろの光明が大いなる供養を雨のように降らせたのち、それらのすべての光明はことごとく十方の一切の諸仏の大いなる集まりを照らし、すべての世界を十たび囲み巡り、諸仏の足の下に入った。そのときそれらの諸仏とそれらの大菩薩たちは、ある世界のある菩薩がこのような菩薩の道を行じ、菩薩の行を成就して位地を得る時を知った。 また仏子よ、そのとき十方の無辺の菩薩、さらには九地にとどまる者たちまでが、皆やって来て囲み巡り、大いなる供養をなし、一心に仰ぎ見て、それぞれ十十百千の三昧を得た。位地を得たもろもろの菩薩は、功德荘厳の金剛の万字の胸から一つの大いなる光明を放った。名を壊魔怨といい、十阿僧祇百千の光明を眷属として伴い、それが放たれると十方の無量の世界をことごとく照らし、無量の神力を見せ、またこの大菩薩の功德荘厳の金剛の万字の胸に入ってきた。この光明が消えると、この菩薩はただちに百千の増上なる大勢力の功德と智慧を目の前に得たのである。

論曰：隨何等相者，一切世界動等相，如經「是菩薩昇大寶蓮花王座乃至皆得見聞一切諸佛大會」故。隨何等出處者，以出光明故。復次光明，三種業應知：一、利益業；二、發覺業；三、攝伏業。如經「何以故？佛子！是菩薩坐大蓮花王座，即時兩足下放十阿僧祇百千光明乃至功德智慧而現在前」故。必定不退無上大道，於地中決定義故。復有異義定不放逸，所作之事決定心故。功德莊嚴金剛萬字胸者，於菩薩胸中有功德莊嚴金剛萬字相，名為無比。

> 論に曰く、どんな姿かというと、一切の世界が動くなどの姿であり、経に「この菩薩が大いなる宝の蓮華王の座に昇り、ついにはすべての諸仏の大集会を見聞きすることができる」とあるとおりです。どこから現れるかというと、光明を放つからです。さらに光明には、三つの働きがあると知るべきです。第一に利益の働き、第二に目覚めさせる働き、第三に従わせる働きです。経に「なぜか。仏子よ、この菩薩が大いなる蓮華王の座に坐ると、ただちに両足の下から十阿僧祇百千の光明を放ち、ついには功徳と智慧が目の前に現れる」とあるとおりです。必ず不退転で無上の大道にあるのは、地の中における決定の意味によるからです。また別の意味として、定とは放逸にならないことであり、なすべき事に対して心が決定しているからです。功徳に荘厳された金剛の万字の胸とは、菩薩の胸の中に功徳に荘厳された金剛の万字の相があり、これを無比と名づけるのです。

經曰：如是佛子！爾時諸佛放眉間白毫相光，名益一切智通，有阿僧祇光明眷屬，照於十方一切世界無有遺餘，十匝圍遶一切世界，示於諸佛大神通力，勸發無量百千萬億諸佛。一切十方諸佛國土六種震動，滅除一切惡道苦惱，一切魔宮隱蔽不現，示一切諸佛得菩提處、示一切諸佛大會神通莊嚴之事，照明一切法界際、一切虛空界，盡一切世界已還來集，在一切菩薩大會之上周匝圍遶，示大神通光明莊嚴之事。是光明入彼大菩薩頂上，其諸眷屬光明入諸眷屬蓮花座上。菩薩頂上光明入是菩薩身時，彼諸菩薩各得先所未得十十百千三昧。彼諸光明一時入彼菩薩頂時，彼菩薩名為得位，入諸佛境界、具佛十力、墮在佛數。佛子！譬如轉輪聖王長子，玉女寶所生，具足王相。轉輪聖王令子在白象寶閻浮檀金座上，取四大海水，上張羅網寶蓋幡華寶幢種種莊嚴，手執金鍾香水灌子頂上，即名灌頂剎利王數，具足轉十善道故，得名轉輪聖王。如是佛子！彼菩薩從諸如來得受位已，名得智位，具足十力墮在佛數。佛子？是名菩薩大乘位地。菩薩為是位故，受無量百千萬億苦難行事。是菩薩得是位已，無量功德智慧轉增，名為安住菩薩法雲地。

> 経に曰く、このように仏子よ、その時、諸仏は眉間の白毫相の光を放たれた。名を「一切智通を益す」といい、無数の光明の眷属があり、十方の一切世界を余すところなく照らし、十回すべての世界を囲み巡り、諸仏の大神通力を示し、無量百千万億の諸仏を勧め発心させた。一切十方の諸仏国土は六種に震動し、一切の悪道の苦悩を滅除し、一切の魔宮は隠れて現れず、一切諸仏が菩提を得た処を示し、一切諸仏の大会の神通荘厳の事を示し、一切法界の際を照明し、一切虚空界を照らし、一切世界を尽くして還り来たりて集まり、一切菩薩の大会の上に周囲を巡り、大神通光明荘厳の事を示した。この光明はかの大菩薩の頂に入り、その眷属の光明はもろもろの眷属の蓮華の座に入った。菩薩の頂の光明がこの菩薩の身に入る時、それらの菩薩はそれぞれ先に得なかった十十百千の三昧を得た。それらの光明が一時にかの菩薩の頂に入る時、その菩薩は名づけて位を得たといい、諸仏の境界に入り、仏の十力を具え、仏の数に連なった。仏子よ、たとえば転輪聖王の長子が、玉女宝から生まれ、王の相を具えているようなものである。転輪聖王は子を白象宝の閻浮檀金の座にのせ、四大海水を取らせ、上に羅網宝蓋幡華宝幢の種々の荘厳を張り、手に金鍾の香水を執り子の頂に灌ぐ。すなわち灌頂剎利王の数に入り、十善道を転ずることを具足するゆえに、転輪聖王と名づけるを得る。このように仏子よ、かの菩薩は諸如来から受位を得てより、名づけて智位を得たといい、十力を具足し仏の数に連なる。仏子よ、これを菩薩の大乗位地と名づける。菩薩はこの位のために、無量百千万億の苦難の行を受けた。この菩薩はこの位を得てより、無量の功徳智慧がますます増し、名づけて安住菩薩法雲地という。

論曰：隨所得位者，諸如來光明，彼菩薩迭互知平等攝受故。如經「如是佛子！爾時諸佛放眉間白毫相光名益一切智通」如是等。云何得位如轉輪聖王長子？如經「譬如轉輪聖王長子」如是等。此菩薩同得位時，名為善住此地中，如經「是菩薩得是位已，無量功德智慧轉增，名為安住菩薩法雲地」。如是得受位分已說。云何入大盡分？入大盡分者，有五種：一、智大；二、解脫大；三、三昧大；四、陀羅尼大；五、神通大。此事依五種義分別應知。一、依正覺實智義；二、依心自在義；三、依發心即成就一切事義；四、依一切世間隨利益眾生義；五、依堪能度眾生義。云何智成就？

> 論じて曰く、得たる位に随うとは、諸仏の光明によって、かの菩薩たちが互いに平等に知り、摂受し合うということである。経に「かくのごとく佛子よ、そのとき諸仏は眉間の白毫相の光を放ち、名づけて一切智通を益す」とあるがごとくである。どのようにして転輪聖王の長子のように位を得るのか。経に「たとえば転輪聖王の長子のごとく」とあるがごとくである。この菩薩が同じく位を得たとき、善くこの地の中に安住する名を得る。経に「この菩薩はこの位を得て、無量の功徳と智慧がますます増し、名づけて菩薩法雲地に安住す」とあるがごとくである。このように受位の分を説き終えた。どのように大尽分に入るのか。大尽分に入るとは五つある。一つには智大、二つには解脱大、三つには三昧大、四つには陀羅尼大、五つには神通大である。このことは五つの義によってそれぞれ分けて知るべきである。一つには正覚の実智の義により、二つには心の自在の義により、三つには発心すなわち一切の事を成就する義により、四つには一切世間の利益に随う衆生の義により、五つには衆生を度す堪能の義による。どのように智の成就か。

經曰：佛子！是菩薩住此菩薩法雲地，如實知欲界集、色界集、無色界集。如實知眾生界集、識界集、有為界集、無為界集、虛空界集、法界集，如實知涅槃界集。如實知邪見諸煩惱界集、世界成壞集、聲聞行集、辟支佛行集、菩薩行集、諸佛力無畏不共佛法色身法身集、一切種一切智智集、得菩提轉法輪示滅度集，略說乃至如實知入一切法成智差別集。是菩薩以如是智通達勝慧，如實知眾生業化、煩惱化、見作化、世界化、法界化、聲聞化、辟支佛化、菩薩化、如來化，如實知一切分別無分別化。是菩薩如實知佛力持、法持、僧持、業持、煩惱持、時持、願持、供養持、行持、劫持，如實知智持。是菩薩如實知諸佛所有細微入智，所謂行細微入智、退細微入智、入胎細微入智、生細微入智、奮迅細微入智、出家細微入智、得菩提細微入智、轉法輪細微入智、持壽命細微入智、示涅槃細微入智，如實知法久住細微入智。是菩薩如實知諸佛所有密處，所謂身密口密意密、籌量時非時密、與菩薩授記密、攝伏眾生密、乘種種密、一切根行差別密、一切信如實所作密，如實知行得菩提密。是菩薩如實知諸佛所有入劫智，所謂一劫入阿僧祇劫、阿僧祇劫入一劫，有數劫入無數劫、無數劫入有數劫，一念劫入無量劫、無量劫入一念劫，劫入非劫、非劫入劫，有佛劫入無佛劫、無佛劫入有佛劫、有佛劫入有佛劫、無佛劫入無佛劫，過去未來劫入現在劫、現在劫入過去未來劫、未來過去劫入現在劫、現在劫入未來過去劫，長劫入短劫、短劫入長劫、短劫入短劫、長劫入長劫，如實知一切劫相相入。是菩薩如實知諸佛所有入智，所謂入凡夫道智、入微塵智、入國土身菩提智、入眾生身心菩提智、入一切處隨菩提智、入亂行示現智、入順行示現智、入逆行示現智、入思議不思議智、入世間出世間智行示現智、入聲聞智辟支佛智菩薩智，如實知如來智行智。佛子！諸佛智慧如是廣大無量無邊，菩薩住此地即能得入如是智慧。

> 経に曰く、仏子よ、この菩薩はこの菩薩の法雲地に住して、欲界の集まり、色界の集まり、無色界の集まりをありのままに知る。衆生界の集まり、識界の集まり、有為界の集まり、無為界の集まり、虚空界の集まり、法界の集まりをありのままに知り、涅槃界の集まりをありのままに知る。邪見や諸々の煩悩の界の集まり、世界の成り壊れの集まり、声聞の行の集まり、辟支仏の行の集まり、菩薩の行の集まり、諸仏の力・無畏・不共の仏法・色身・法身の集まり、一切種・一切智智の集まり、菩提を得ること・法輪を転じること・滅度を示すことの集まりをありのままに知り、略して説けば、さらには一切の法に入りて智を成ずる差別の集まりまでもありのままに知る。この菩薩はこのような智によって勝れた慧に通達し、衆生の業の化、煩悩の化、見を作す化、世界の化、法界の化、声聞の化、辟支仏の化、菩薩の化、如来の化をありのままに知り、一切の分別・無分別の化をありのままに知る。この菩薩は仏の力の持、法の持、僧の持、業の持、煩悩の持、時の持、願の持、供養の持、行の持、劫の持をありのままに知り、智の持をありのままに知る。この菩薩は諸仏のすべての細微な智への入りをありのままに知る。いわゆる行の細微な智への入り、退の細微な智への入り、入胎の細微な智への入り、生の細微な智への入り、奮迅の細微な智への入り、出家の細微な智への入り、菩提を得ることの細微な智への入り、法輪を転じることの細微な智への入り、寿命を保つことの細微な智への入り、涅槃を示すことの細微な智への入りをありのままに知り、法が久しく住することの細微な智への入りをありのままに知る。この菩薩は諸仏のすべての密処をありのままに知る。いわゆる身密・口密・意密、時と非時を筹量する密、菩薩に授記する密、衆生を摂伏する密、種々の乗の密、一切の根行の差別の密、一切の信の如実に作すところの密をありのままに知り、行が菩提を得ることの密をありのままに知る。この菩薩は諸仏のすべての劫に入る智をありのままに知る。いわゆる一劫が阿僧祇劫に入り、阿僧祇劫が一劫に入り、有数の劫が無数の劫に入り、無数の劫が有数の劫に入り、一念の劫が無量の劫に入り、無量の劫が一念の劫に入り、劫が非劫に入り、非劫が劫に入り、有仏の劫が無仏の劫に入り、無仏の劫が有仏の劫に入り、有仏の劫が有仏の劫に入り、無仏の劫が無仏の劫に入り、過去・未来の劫が現在の劫に入り、現在の劫が過去・未来の劫に入り、未来・過去の劫が現在の劫に入り、現在の劫が未来・過去の劫に入り、長い劫が短い劫に入り、短い劫が長い劫に入り、短い劫が短い劫に入り、長い劫が長い劫に入ることをありのままに知り、一切の劫の相が相入することをありのままに知る。この菩薩は諸仏のすべての智への入りをありのままに知る。いわゆる凡夫の道に入る智、微塵に入る智、国土身の菩提に入る智、衆生の身心の菩提に入る智、一切処に随っての菩提に入る智、乱れた行を示現する智に入り、順の行を示現する智に入り、逆の行を示現する智に入り、思議・不思議の智に入り、世間・出世間の智の行を示現する智に入り、声聞の智・辟支仏の智・菩薩の智に入り、如来の智行の智をありのままに知る。仏子よ、諸仏の智慧はこのように広大にして無量無辺であり、菩薩はこの地に住すれば、すなわちこのような智慧に入ることができるのである。

論曰：是中智大復有七種應知：一、集智大；二、應化智大；三、加持智大；四、入細微智大；五、密處智大；六、入劫智大；七、入道智大。是中初依能斷疑力應知，第二依彼身起力，第三依彼如是如是轉行力，第四依彼應化加持善集不二智作故，第五依護根未熟眾生不令驚怖，第六依命行加持捨自在意故，第七依對治意說。是中集智者，因緣集智應知。彼復隨所有分染或淨或滅，隨所有三界處、隨所有眾生、隨染淨等心、隨所有有為法無為法無知知故。隨所有處虛空等，隨所說正不正法，隨所證不證，謂於涅槃隨所邪見過餘外道等彼不能證。隨所有器世間壞成、隨所有三乘，彼集差別應知。如經「佛子！是菩薩住此菩薩法雲地，如實知欲界集，乃至如實知入一切法成智差別集」故。是中應化智者，眾生應化等差別應知，如經「是菩薩以如是智通達勝慧乃至如實知一切分別無分別化」故。是中煩惱見作化者，應化示煩惱染見作故。法界化者，所說法行故，彼應化一切分別無分別如實知故。是中加持智者，如經「是菩薩如實知佛力持乃至如實知智持」故，如經應知。是中智持者，一切智智故，此智能作一切事故。入細微智者，如經「是菩薩如實知諸佛所有細微入智乃至如實知法久住細微入智」故，如經應知。是中奮迅者，現行七步等應知。是中密處智者，如經「是菩薩如實知諸佛所有密處乃至如實知行得菩提密」故，如經應知。是中入劫智者，所謂入劫，如經「是菩薩如實知諸佛所有入劫智，所謂一劫入阿僧祇劫乃至如實知一切劫相相入」故，如經應知。是中入者，平等解脫一切劫迭相入故。是中入道智者，依凡夫地依我慢行者、依信求生天者、依覺觀者，如經「是菩薩如實知諸佛所有入智，所謂入凡夫道智乃至即能得入如是智慧」故。如是七種智大已說。云何解脫大？

> 論じていう。このうち智慧の大には、さらに七種類があることを知るべきです。第一に集智の大、第二に応化智の大、第三に加持智の大、第四に入細微智の大、第五に密処智の大、第六に入劫智の大、第七に入道智の大です。このうち第一は、疑いを断ち切る力によって知るべきです。第二は、その身を起こす力によってです。第三は、そのようないろいろな働きを転じる力によってです。第四は、応化と加持と善く集める不二の智のはたらきによるからです。第五は、根のまだ熟していない衆生を守り、驚かせないためです。第六は、命の働きの加持によって自分の思い通りにすることを捨てるからです。第七は、対治の意味によって説かれたものです。このうち集智とは、因縁が集まる智であると知るべきです。それはまた、すべての部分にしたがって、染まりであれ浄かであれ、あるいは滅であれ、すべての三界の場所にしたがって、すべての衆生にしたがって、染まりと浄かなどの心にしたがって、すべての有為法と無為法について、知らないものを知るからです。すべての場所、虚空などにしたがって、説かれた正しい法と正しくない法にしたがって、証すことと証さないことにしたがって、すなわち涅槃について、すべての邪見にしたがって、他の外道などはそれを証することができません。すべての器世間の壊れと成りにしたがって、すべての三乗にしたがって、その集まりの違いを知るべきです。経に「仏子よ、この菩薩はこの菩薩の法雲地に住んで、欲界の集まりを如実に知り、乃至、一切法に入る成智の差別の集まりを如実に知る」とあるとおりです。このうち応化智とは、衆生の応化などの違いを知るべきです。経に「この菩薩はこのような智で勝慧を通達し、乃至、一切の分別と無分別の化を如実に知る」とあるとおりです。このうち煩悩と見の作の化とは、応化が煩悩の染まりと見の作を示すからです。法界の化とは、説かれた法の行いによるからです。その応化が一切の分別と無分別を如実に知るからです。このうち加持智とは、経に「この菩薩は仏の力の持を如実に知り、乃至、智の持を如実に知る」とあるとおりです。経のとおりに知るべきです。このうち智の持とは、一切智智だからです。この智は一切のことをなすことができるからです。入細微智とは、経に「この菩薩は諸仏のすべての細微に入る智を如実に知り、乃至、法が久しく住む細微に入る智を如実に知る」とあるとおりです。経のとおりに知るべきです。このうち奮迅とは、七歩を現行するなどと知るべきです。このうち密処智とは、経に「この菩薩は諸仏のすべての密処を如実に知り、乃至、行を得て菩提に入る密を如実に知る」とあるとおりです。経のとおりに知るべきです。このうち入劫智とは、いわゆる劫に入ることで、経に「この菩薩は諸仏のすべての入劫智を如実に知る。いわゆる一劫が阿僧祇劫に入り、乃至、一切劫の相が相入ることを如実に知る」とあるとおりです。経のとおりに知るべきです。このうち入るとは、平等に解脱して一切劫が互いに入るからです。このうち入道智とは、凡夫地によるもの、我慢の行者によるもの、信によって天に生まれようと求める者によるもの、覚観によるものです。経に「この菩薩は諸仏のすべての入智を如実に知る。いわゆる凡夫道に入る智、乃至、すなわちよくこのような智慧に入ることができる」とあるとおりです。このように七種の智の大を説きました。どのように解脱の大を説くのでしょうか。

經曰：佛子！是菩薩如是通達此地行，得名菩薩不思議解脫門，無障礙解脫、淨智差別解脫、普門光解脫、如來藏解脫、隨順不退輪解脫、入通達三世解脫、法界藏解脫、解脫光輪解脫，名得菩薩一切境界無餘解脫。佛子！是菩薩十菩薩解脫門為首，得如是等無量無邊百千萬阿僧祇菩薩解脫門，皆於第十菩薩地中得；如是乃至無量無邊百千萬阿僧祇三昧，無量無邊百千萬阿僧祇陀羅尼，無量無邊百千萬阿僧祇神通，亦復如是。

> 経典にこう説かれています。「仏子よ、この菩薩がこのように第十地の修行を深く悟り通じたとき、それは〈菩薩の不思議な解脱の門〉と呼ばれます。すなわち、さまたげのない解脱、清らかな智慧の区別に通じた解脱、あまねく開かれた光の解脱、如来の蔵の解脱、退くことなく真理に随順する輪の解脱、過去・現在・未来を見通す智慧に入る解脱、法界の蔵の解脱、解脱の光の輪の解脱です。こうして〈菩薩があらゆる境地を余すところなく解脱する〉と名づけられます。仏子よ、この菩薩はこの十の解脱の門をはじめとして、はかりしれない無数の百千万阿僧祇もの菩薩の解脱の門を、すべてこの第十の菩薩の境地において得るのです。それのみならず、はかりしれない無数の百千万阿僧祇の三昧、はかりしれない無数の百千万阿僧祇の陀羅尼、はかりしれない無数の百千万阿僧祇の神通についても、同じことがいえます。」

論曰：是中解脫大者，一、依神通境界，如經「佛子！是菩薩如是通達此地行，得名菩薩不思議解脫門」故。二、能至無量世界願智無礙，如經「無障礙解脫」故。三、知世間出世間有學無學聲聞辟支佛菩薩如來解脫智等，如經「淨智差別解脫」故。四、隨意轉事，如經「普門光解脫」故。五、法陀羅尼，如經「如來藏解脫」故。六、能破他言，如經「隨順不退輪解脫」故。七、三世劫隨意住持，如經「入通達三世解脫」故。八、一切法一切種因緣集智，如經「法界藏解脫」故。九、光不離身而能普照，如經「解脫光輪解脫」故。十、依一時知無量世界諸眾生心，如經「名得菩薩一切境界無餘解脫」故。是中三昧大者，如經「如是乃至無量無邊百千萬阿僧祇三昧」故。是中陀羅尼大者，如經「無量無邊百千萬阿僧祇陀羅尼」故。是中神通大者，如經「無量無邊百千萬阿僧祇神通亦復如是」故。如是十地入大盡分已說。云何地釋名分？

> 論に曰く、この中で解脱の大きいものには十がある。一には神通の境界による。経に「仏子よ、この菩薩はこのようにしてこの地の行を達し、菩薩の不思議なる解脱の門と名づけられる」とある通りである。二には無量の世界に至ることができ、願の智慧に妨げがない。経に「障りのない解脱」とある通りである。三には世間と出世間の、有学・無学・声聞・辟支仏・菩薩・如来の解脱の智慧などを知る。経に「清らかな智慧の区別ある解脱」とある通りである。四には思いのままに事を転じる。経に「あまねき門の光の解脱」とある通りである。五には法の陀羅尼である。経に「如来蔵の解脱」とある通りである。六には他人の言葉を破ることができる。経に「随順して退かない輪の解脱」とある通りである。七には三世の劫に思いのままに住持する。経に「三世に通達する入りの解脱」とある通りである。八には一切法・一切種の因縁を集める智慧である。経に「法界蔵の解脱」とある通りである。九には光が身を離れずしてあまねく照らす。経に「解脱の光輪の解脱」とある通りである。十には一時に無量の世界のすべての衆生の心を知ることに依る。経に「菩薩の一切の境界に余すところなき解脱を得たと名づける」とある通りである。この中で三昧の大きいものとは、経に「このようにして、乃至、無量無辺の百千万阿僧祇の三昧」とある通りである。この中で陀羅尼の大きいものとは、経に「無量無辺の百千万阿僧祇の陀羅尼」とある通りである。この中で神通の大きいものとは、経に「無量無辺の百千万阿僧祇の神通もまたこのようである」とある通りである。このように十地の入大尽分はすでに説かれた。いかにして地の釈名分か。

經曰：是菩薩通達如是智慧隨順菩提，成就無量念力方便畢竟，是菩薩於十方無量佛所、無量大法明、無量大法照、無量大法雨，於一念間皆悉能受、能堪、能思、能持。佛子！譬如娑伽羅雲澍大雨聚，餘地處不能受、不能堪、不能思、不能持，唯除大海。如是佛子！一切如來祕密處，所謂大法明、大法照、大法雨，彼一切眾生、一切聲聞辟支佛，皆不能受、不能堪、不能思、不能持，從初地乃至住九地菩薩，亦不能受、不能堪、不能思、不能持，唯此住法雲地菩薩，皆悉能受、能堪、能思、能持。佛子！譬如大海，一大龍王起大雲雨，皆悉能受、能堪、能思、能持。若二若三四五，若十二十三十四十五十，若百龍王，若千若萬若億若百億若千億若百千億那由他龍王，乃至無量無邊不可稱說諸大龍王起大雲雨，於一念間一時澍下，皆悉能受、能堪、能思、能持。所以者何？大海是無量廣大器故。如是佛子！菩薩住此菩薩法雲地中，於一佛所大法明、大法照、大法雨，皆悉能受、能堪、能思、能持。若二若三四五，若十二十三十四十五十，若百諸佛，若千若萬若億若百億若千億若百千億那由他諸佛，乃至無量無邊不可稱說諸佛所，大法明、大法照、大法雨，於一念間皆悉能受、能堪、能思、能持，是故此地名為法雲地。解脫月菩薩言：佛子！菩薩住此法雲地，幾許佛所大法明、大法照、大法雨，於一念間能受、能堪、能思、能持？金剛藏菩薩言：佛子！菩薩住此法雲地，於不可數不可說佛所大法明、大法照、大法雨，於一念間皆悉能受、能堪、能思、能持。佛子！譬如十方所有不可說百千萬億那由他佛國土微塵數等諸世界中所有眾生，彼眾生中一眾生得聞持陀羅尼無餘為佛侍者，最大聲聞聞持陀羅尼第一。譬如金剛蓮華上佛，有名大勝比丘，聞持陀羅尼第一，其一眾生成就如是聞持陀羅尼力。如彼一眾生，餘一切世界所有眾生皆亦如是成就聞持陀羅尼力，其一人所受法第二人不重受，如是一切各各不同。佛子！於意云何？彼一切眾生所受聞持陀羅尼力寧為多不？解脫月菩薩言：佛子！彼一切眾生所受聞持陀羅尼力甚多無量。金剛藏菩薩言：佛子！我今當為汝說。是菩薩住此法雲地，於一念間於一佛所名三世法界藏大法明、大法照、大法雨，皆悉能受、能堪、能思、能持。彼大法明、大法照、大法雨，受持方便上說，一切眾生聞持陀羅尼力，比此百分不及一，千分不及一，百千分不及一，百千那由他分不及一，億分不及一，百億分不及一，千億分不及一，百千億分不及一，百千億那由他分不及一，乃至算數譬喻所不能及。如一佛所如前所說，十方世界微塵數等諸佛所，復過此數無量無邊諸佛所，名三世法界藏大法明、大法照、大法雨，於一念間皆悉能受、能堪、能思、能持，是故此地名為法雲地。復次佛子！是菩薩住此法雲地，自從願力起大慈悲雲、震大法雷音、通明無畏以為電光、大智慧光以為疾風、大福德善根為厚密雲、現種種色身為雜色雲、說正法雨破諸魔怨，於一念間如前所說諸世界中所有微塵，如是百千萬億那由他世界皆悉遍覆，復過此數無量無邊百千萬億那由他世界亦皆遍覆，澍大甘露善根法雨，滅除眾生隨心所樂無明所起煩惱塵焰，是故此地名為法雲地。復次佛子！是菩薩住此菩薩法雲地，於一世界中從兜率天退、入胎、住胎、初生、出家、得佛道、請轉法輪、示大涅槃，一切佛事隨所度眾生得智自在。若三千大千世界乃至如前微塵數等世界，復過此數百千萬億阿僧祇世界，從兜率天退乃至示大涅槃，一切佛事隨所度眾生得智自在。

> 経に曰く、この菩薩はこのような智慧に通達し、菩提に随順して、無量の念力と方便を成就し究めている。この菩薩は、十方の無量の仏のところで、無量の大法明、無量の大法照、無量の大法雨を、一念の間にすべて受けとめ、堪え、思い、保つことができる。 仏子よ、たとえばサーガラ竜王が大雨を降らせるとき、他の土地では受けとめることも、堪えることも、思うことも、保つこともできない。ただ大海だけがそれを受けとめることができる。これと同じように、仏子よ、すべての如来の秘密の境地、すなわち大法明、大法照、大法雨は、すべての衆生も、すべての声聞も辟支仏も、受けとめることも、堪えることも、思うことも、保つこともできない。初地から九地に住む菩薩たちも、受けとめることも、堪えることも、思うことも、保つこともできない。ただこの法雲地に住む菩薩だけが、すべてを受けとめ、堪え、思い、保つことができる。 仏子よ、たとえば大海は、一つの大竜王が大きな雲と雨を起こしても、すべてを受けとめ、堪え、思い、保つことができる。二つでも、三つでも、四つでも、五つでも、十でも、二十でも、三十でも、四十でも、五十でも、百の竜王でも、千でも、万でも、億でも、百億でも、千億でも、百千億那由他でも、さらには無量無辺で数えきれないほどの大竜王たちが大きな雲と雨を起こし、一念の間にいっせいに降らせても、すべてを受けとめ、堪え、思い、保つことができる。なぜかというと、大海は無量で広大な器だからである。 これと同じように、仏子よ、菩薩がこの菩薩法雲地に住むとき、一つの仏のところの大法明、大法照、大法雨を、すべて受けとめ、堪え、思い、保つことができる。二つでも、三つでも、四つでも、五つでも、十でも、二十でも、三十でも、四十でも、五十でも、百の仏でも、千でも、万でも、億でも、百億でも、千億でも、百千億那由他でも、さらには無量無辺で数えきれないほどの仏のところの大法明、大法照、大法雨を、一念の間にすべて受けとめ、堪え、思い、保つことができる。それゆえ、この地は法雲地と名づけられる。 解脱月菩薩が言った。「仏子よ、菩薩がこの法雲地に住むとき、どれほどの数の仏のところの大法明、大法照、大法雨を、一念の間に受けとめ、堪え、思い、保つことができるのですか。」 金剛蔵菩薩が言った。「仏子よ、菩薩がこの法雲地に住むとき、数えることも説くこともできないほどの仏のところの大法明、大法照、大法雨を、一念の間にすべて受けとめ、堪え、思い、保つことができる。 仏子よ、たとえば十方にある、数えきれないほどの百千万億那由他の仏国土の微塵の数に等しい、それだけの数の世界にいるすべての衆生のうち、一人の衆生が聞持陀羅尼を得て、余すところなく仏の侍者となったとする。最も優れた声聞として聞持陀羅尼が第一である。たとえば金剛蓮華上仏のもとに、大勝という名の比丘がいて、聞持陀羅尼が第一である。その一人の衆生が、このような聞持陀羅尼の力を成就したとする。その一人の衆生のように、残りのすべての世界のすべての衆生も、みな同じように聞持陀羅尼の力を成就したとする。その一人が受けた法を、第二の人は重ねて受けず、このようにすべてがそれぞれ異なっている。 仏子よ、あなたはどう思うか。それらすべての衆生が受けた聞持陀羅尼の力は、多いだろうか。」 解脱月菩薩が言った。「仏子よ、それらすべての衆生が受けた聞持陀羅尼の力は、たいへん多く、無量であります。」 金剛蔵菩薩が言った。「仏子よ、今、あなたのために説こう。この菩薩がこの法雲地に住むとき、一念の間に、一つの仏のところの三世法界蔵という名の大法明、大法照、大法雨を、すべて受けとめ、堪え、思い、保つことができる。その大法明、大法照、大法雨を受け保つ方便は前に説いたとおりである。すべての衆生の聞持陀羅尼の力は、これに比べて百分の一にも及ばず、千分の一にも及ばず、百千分の一にも及ばず、百千那由他分の一にも及ばず、億分の一にも及ばず、百億分の一にも及ばず、千億分の一にも及ばず、百千億分の一にも及ばず、百千億那由他分の一にも及ばず、さらには計算やたとえで表すこともできないほどである。 一つの仏のところで前に説いたとおりであるように、十方世界の微塵の数に等しいほどの仏のところで、さらにその数を超える無量無辺の仏のところの、三世法界蔵という名の大法明、大法照、大法雨を、一念の間にすべて受けとめ、堪え、思い、保つことができる。それゆえ、この地は法雲地と名づけられる。 さらに仏子よ、この菩薩がこの法雲地に住むとき、自分の願力から大慈悲の雲を起こし、大法の雷の音をとどろかせ、通明と無畏を稲妻の光とし、大智慧の光を疾風とし、大福德の善根を厚く密かな雲とし、さまざまな色の身体を現して雑色の雲とし、正しい法の雨を説いてもろもろの魔の怨みを破る。一念の間に、前に説いたもろもろの世界にあるすべての微塵のように、それだけの百千万億那由他の世界をことごとく覆い、さらにその数を超える無量無辺の百千万億那由他の世界をもことごとく覆い、大いなる甘露の善根の法雨を降らせて、衆生が心に楽しむところに従って無明から起こる煩悩の塵と炎を滅ぼす。それゆえ、この地は法雲地と名づけられる。 さらに仏子よ、この菩薩がこの菩薩法雲地に住むとき、一つの世界において、兜率天から退き、入胎し、胎に住み、初めて生まれ、出家し、仏道を得、法輪を回すよう請われ、大涅槃を示す。すべての仏の事業は、度すべき衆生に従って智慧の自在を得る。三千大千世界においても、さらには前に説いた微塵の数に等しいほどの世界においても、さらにその数を超える百千万億阿僧祇の世界においても、兜率天から退き、乃至、大涅槃を示すまで、すべての仏の事業は、度すべき衆生に従って智慧の自在を得る。」

論曰：是中地釋名者，有三種：一、雲法相似，以遍覆故，此地中聞法相似如虛空身遍覆故。二、滅塵除垢相似法，此法能滅眾生煩惱塵故。三、度眾生從兜率天退乃至示大涅槃故，漸化眾生故，如大雲雨生成一切卉物萌芽故。是中成就無量念力方便畢竟者，近說受持義故。如經「是菩薩通達如是智慧隨順菩提成就無量念力方便畢竟」故。復能受持眾多微密速疾持故，如經「是菩薩於十方無量佛所無量大法明」如是等。是中無量諸佛無量大法明者，說眾多故，入如來微密處故。一念間者，速疾受故。聞法者，性故、作故，二事示現。云何性？大法光明故，聞思智攝受故；大法照，修慧智攝受故。云何作大法雨？如大雲與他法雨故，於中起信故。言受，受所說字句故。言堪，以能取義故。言思，彼二攝受不失故。言持，大海亦如是，以不濁故。言受，能受一切水故。言堪，餘水數入失本名故。言思，用不可盡故。言持應知。如經「名三世法界藏大法明大法照大法雨，皆悉能受能堪能思能持。乃至是故此地名為法雲地」故。是中名三世法界藏者，於法界中三種事藏，雲、雷、電等譬喻相似法應知。如經「復次佛子！是菩薩住此法雲地，自從願力乃至是故此地名為法雲地」故。是中大智慧光以為疾風者，風相似法。現種種色身者，隨世間種種身迴轉，雜色雲相似法故。說正法雨破諸魔怨者，雨相似法故。如是此地釋名分已說。云何神通力無上有上分？

> 論じていう。ここで「法雲地」という名の意味を説明するが、それには三つの意味がある。第一に、雲がすべてを覆うように、この地にある菩薩も法を聞くことが虚空身のようにすべてを覆うという意味で、雲に似ている。第二に、煩悩の塵を滅ぼし垢を取り除くという意味で、この法は衆生の煩悩の塵を滅ぼすことができる。第三に、兜率天から降りて衆生を教化し、ついには大涅槃を示すという意味で、衆生を次第に導くからである。大きな雲が雨を降らせてすべての草木の芽を育てるようなものである。ここで無量の念力と方便を成就し究竟するとは、近くは受持の意味を説くからである。経に「この菩薩はかくのごとき智慧を通達し、菩提に随順し、無量の念力と方便を成就し究竟する」とあるとおりである。また多くの微密で速やかな教えを受持できるからである。経に「この菩薩は十方の無量の仏の所で無量の大法明を受ける」等とあるとおりである。ここで無量の諸仏の無量の大法明とは、多くの教えを説くからであり、如来の微密の境地に入るからである。一念の間とは、速やかに受けるからである。法を聞くとは、性と作の二つの事を示す。性とは何か。大法光明であり、聞思の智慧に摂められる。大法照とは、修慧の智慧に摂められる。作とは何か。大法雨とは、大雲が他のために法の雨を降らせるようなものであり、そこに信を起こすからである。受とは、説かれた字句を受けるからである。堪とは、よく意味を取ることができるからである。思とは、その二つを摂め受けて失わないからである。持とは、大海もまた同様であり、濁らないからである。受とは、すべての水を受けることができるからである。堪とは、他の水が数多く入っても本名を失わないからである。思とは、用いて尽きることがないからである。持もまた同様であると知るべきである。経に「三世法界蔵・大法明・大法照・大法雨と名づけられ、すべてよく受け、よく堪え、よく思い、よく持つ。乃至、それゆえにこの地を法雲地と名づける」とあるとおりである。ここで三世法界蔵とは、法界の中の三つの事の蔵であり、雲・雷・電などの譬えがこれに似ていると知るべきである。経に「さらに仏子よ、この菩薩はこの法雲地に住し、自らの願力に従い、乃至、それゆえにこの地を法雲地と名づける」とあるとおりである。ここで大智慧の光を疾風とするのは、風に似ているからである。種々の色身を現すとは、世間の種々の身に従って転じ、雑色の雲に似ているからである。正法の雨を説いて諸の魔の怨を破るとは、雨に似ているからである。以上のように、この地の名を解釈する部分を説き終えた。どのように神通力には無上と有上とがあるのか。

經曰：是菩薩住在此地，於智慧中得上自在力，善擇大智通隨心所念，或以狹國為廣、廣國為狹。復隨心念，或以垢國為淨、淨國為垢。如是廣大無量亂住倒住正住等一切世界，自在力故種種能成。是菩薩復隨心念，或於一微塵中示一世界所有一切鐵圍山等，然彼微塵而不增長。若二若三四五，若十二十三十四十五十，若百若千若萬若億若百億若千億若百千億若百千億那由他世界，乃至不可說不可說世界，所有一切鐵圍山等入一微塵中，然彼微塵亦不增長。是菩薩復隨心念，或以一世界莊嚴之事示二世界。復隨心念，或以一世界莊嚴之事乃至示無量不可說不可說世界。復隨心念，或以二世界莊嚴之事示一世界，乃至或以無量不可說不可說世界莊嚴之事示一世界。復隨心念，乃至或以無量不可說不可說世界眾生置一世界中，然諸眾生而不恐怖不覺不知。復隨心念，或以一世界眾生乃至置無量不可說不可說世界中，然諸眾生亦不恐怖不覺不知。復隨心念，或於一毛道示一切佛境界莊嚴之事。復隨心念，乃至或以無量不可說不可說一切佛境界莊嚴之事示一毛道。復隨心念，於一念間示現無量不可說不可說世界微塵等身，於一一身中示如是等微塵數手，以此諸手勤心供養十方諸佛，以一一手執恒河沙等花箱以散諸佛。如是花箱，如是花鬘末香塗香熏香衣服寶蓋幡花寶幢一切莊嚴事亦復如是。於一一身中示如是等微塵數頭，於一一頭中示如是等微塵數舌，以此諸舌讚歎諸佛功德之事，如是等事於念念中遍滿十方。於念念中無量世界示得菩提，乃至示大涅槃莊嚴住持。於三世中示無量身，於自身中示有無量諸佛，示無量佛世界莊嚴之事，亦示世界成壞之事，或於自身一毛孔中出一切風災而不惱眾生。復隨心念，或以無量無邊世界為一海水，此海水中作大蓮花，光明莊嚴遍覆無量無邊世界。於中示現大菩提樹莊嚴妙事，乃至示一切種一切智智。或於自身示十方光明摩尼寶珠電光日月星宿諸光明等，乃至一切世界諸光明等皆於身中現。以口噓氣能動十方無量世界，而不令眾生有驚怖想。示十方世界風災劫盡火災劫盡水災劫盡。隨一切眾生種種心念應現色身莊嚴成就，或以自身作如來身、以如來身作自身，以如來身作自佛國、以自佛國作如來身。如是佛子！是菩薩住此菩薩法雲地中神變如是。復過於此有餘無量無邊百千萬億那由他神通莊嚴，自在示現。

> 経に曰く、この菩薩はこの地にとどまり、智慧において自在の力を得て、大いなる智慧を巧みに選び、心に思うままに通じます。あるいは狭い国を広くし、広い国を狭くします。また心に思うままに、あるいは汚れた国を清らかにし、清らかな国を汚れたものとします。このように広大で無量の、乱れた住まい、倒れた住まい、正しい住まいなど、すべての世界を、自在の力によってさまざまに作り出します。 この菩薩はまた心に思うままに、あるいは一つの微塵の中に、一つの世界にあるすべての鉄囲山などを示しますが、その微塵は大きくなりません。二つ、三つ、四つ、五つ、十、二十、三十、四十、五十、百、千、万、億、百億、千億、百千億、百千億那由他世界、さらには説くことのできない、説くことのできないほどの世界の、すべての鉄囲山などが一つの微塵の中に入っても、その微塵はまた大きくなりません。 この菩薩はまた心に思うままに、あるいは一つの世界の飾り事を二つの世界に示します。また心に思うままに、あるいは一つの世界の飾り事を、無量で説くことのできない、説くことのできないほどの世界にまで示します。また心に思うままに、あるいは二つの世界の飾り事を一つの世界に示し、さらには無量で説くことのできない、説くことのできないほどの世界の飾り事を一つの世界に示します。また心に思うままに、無量で説くことのできない、説くことのできないほどの世界の衆生を一つの世界に置いても、それらの衆生は恐れず、気づかず、知りません。また心に思うままに、あるいは一つの世界の衆生を、無量で説くことのできない、説くことのできないほどの世界に置いても、それらの衆生もまた恐れず、気づかず、知りません。 また心に思うままに、あるいは一本の毛の先に、すべての仏の境界の飾り事を示します。また心に思うままに、無量で説くことのできない、説くことのできないほどの、すべての仏の境界の飾り事を一本の毛の先に示します。また心に思うままに、一念の間に、無量で説くことのできない、説くことのできないほどの世界の微塵ほどの数の身を現し、その一つ一つの身の中に、このような微塵の数の手を現し、これらの手で心を込めて十方の仏々に供養し、その一つ一つの手で恒河沙ほどの花箱を持って仏々に散らします。このような花箱、このような花鬘、抹香、塗香、薫香、衣服、宝蓋、幡花、宝幢、すべての飾り事もまた同じです。一つ一つの身の中に、このような微塵の数の頭を現し、その一つ一つの頭の中に、このような微塵の数の舌を現し、これらの舌で仏々の功徳の事を讃歎し、このような事が一念一念の中に十方を遍く満たします。一念一念の中に、無量の世界で菩提を得ることを示し、さらには大涅槃の飾り住持を示します。三世の中に無量の身を示し、自身の中に無量の仏々を示し、無量の仏世界の飾り事を示し、また世界の成り壊れの事を示します。 あるいは自身の一つの毛孔の中から、すべての風災を出しても、衆生を悩ませません。また心に思うままに、あるいは無量無辺の世界を一つの海水とし、この海水中に大きな蓮花を作り、光明の飾りが無量無辺の世界を遍く覆います。その中に大菩提樹の飾りの妙なる事を現し、さらにはすべての種、すべての智の智を示します。あるいは自身に十方の光明、摩尼宝珠、電光、日月、星宿などのもろもろの光明などを示し、さらにはすべての世界のもろもろの光明などが皆、身の中に現れます。口で息を吹けば十方の無量の世界を動かすことができますが、衆生に驚き恐れる思いを起こさせません。十方の世界の風災の劫尽、火災の劫尽、水災の劫尽を示します。すべての衆生のさまざまな心念に応じて色身を現し、飾りを成就し、あるいは自身で如来の身を作り、如来の身で自身を作り、如来の身で自分の仏国を作り、自分の仏国で如来の身を作ります。 このように、仏子よ、この菩薩はこの菩薩法雲地にとどまり、このような神変を現します。さらにこれに勝る、無量無辺の百千万億那由他の神通の飾りがあり、自在に示し現します。

論曰：是中神通力無上有上者，有六種相應知：一、依內；二、依外；三、自相；四、作住持；五、令歡喜；六、大勝。是中神通力無上者，比餘眾生神通力故。有上者，比於如來神通力故。是中依內者，有四種：一、不思議解脫；二、三昧；三、起智陀羅尼；四、神通，如前所說。依外者，外事地等。復有外事，自他身等。是中自相者有二種：一、轉外事等；二、應化自身等。是中轉者，復有三種：一、略廣轉；二、異事轉；三、自在轉，能作一切眾生種種莊嚴等。云何略廣轉？如經「是菩薩住在此地於智慧中得上自在力，善擇大智通隨心所念，或以狹國為廣廣國為狹」故。云何異事轉？如經「復隨心念，或以垢國為淨淨國為垢乃至一切世界自在力故種種能成」故。云何自在轉？如經「是菩薩復隨心念於一微塵中示一世界乃至然諸眾生亦不恐怖不覺不知」故。云何應化自身等？如經「復隨心念，或於一毛道示一切佛境界莊嚴之事，復隨心念乃至或以不可說不可說一切佛境界莊嚴之事示一毛道」故。是中作住持者，供養門等成就，集助菩提法故，如經「復隨心念於一念間示現無量不可說不可說世界微塵等身，乃至無量無邊百千萬億那由他莊嚴自在示現」故。云何令歡喜？

> 論じていう。この中で神通力に「無上」と「有上」があるとは、六つの相応を知るべきである。一に内に依る、二に外に依る、三に自相、四に住持を作す、五に歓喜せしむ、六に大勝。この中で神通力の無上とは、他の衆生の神通力と比べるからである。有上とは、如来の神通力と比べるからである。この中で内に依るとは、四種がある。一に不思議解脱、二に三昧、三に起智陀羅尼、四に神通であり、前に説いたとおりである。外に依るとは、外の事である地などである。また外の事として、自他の身などがある。この中で自相とは二種がある。一に外の事などを転ずる、二に自身などを応化する。この中で転ずるとは、また三種がある。一に略広転、二に異事転、三に自在転であり、一切衆生の種々の荘厳などを作すことができる。いかに略広転か。経に「この菩薩はこの地に住して智慧の中において上なる自在力を得、大智通を善く択び随心に念ずる所、あるいは狭き国を広きとなし広き国を狭きとなす」とあるがゆえである。いかに異事転か。経に「また随心に念じて、あるいは垢の国を浄きとなし浄き国を垢となし、乃至一切世界の自在力のゆえに種々に成ずることを能くす」とあるがゆえである。いかに自在転か。経に「この菩薩はまた随心に念じて、一微塵の中に一世界を示し、乃至しかしてもろもろの衆生もまた恐怖せず覚知せず」とあるがゆえである。いかに自身などを応化するか。経に「また随心に念じて、あるいは一毛道において一切の仏境界の荘厳の事を示し、また随心に念じて乃至あるいは不可説不可説の一切の仏境界の荘厳の事をもって一毛道に示す」とあるがゆえである。この中で住持を作すとは、供養門など成就し、助菩提法を集むるがゆえである。経に「また随心に念じて、一念の間に無量不可説不可説世界の微塵等の身を現示し、乃至無量無辺百千万億那由他の荘厳自在を現示す」とあるがゆえである。いかに歓喜せしむるか。

經曰：爾時會中一切菩薩眾，及一切天、龍、夜叉、乾闥婆、阿修羅、迦樓羅、緊那羅、摩睺羅伽、四天王、釋提桓因、梵天王、摩醯首羅、淨居天等。各作是念：若菩薩神通智力能如是無量無邊，佛復云何？爾時解脫月菩薩知諸大眾心所念已，問金剛藏菩薩言：佛子！今諸大眾聞是菩薩神通智力，墮在疑網。為斷疑故，少示菩薩神通之力莊嚴妙事。爾時金剛藏菩薩，即入一切佛國體性菩薩三昧。金剛藏菩薩入一切佛國體性菩薩三昧，時彼一切菩薩眾及一切天、龍、夜叉、乾闥婆、阿修羅、迦樓羅、緊那羅、摩睺羅伽、四天王、釋提桓因、梵天王、摩醯首羅、淨居天等，皆自見身入金剛藏菩薩身中，於其身內見佛國土。彼國土中所有諸相莊嚴妙事，於百千萬億劫說不可盡。於中有道場樹，其莖周圍十萬三千大千世界、高百萬三千大千世界，覆蔭三千億三千大千世界。稱樹高廣有師子座，其座上有佛，號一切智通王如來。一切大眾咸皆見佛坐在道場樹下師子座上，其中諸相莊嚴妙事，於百千萬億劫說不可盡。金剛藏菩薩示現如是大神力已，還令一切諸菩薩眾及一切天、龍、夜叉、乾闥婆、阿修羅、迦樓羅、緊那羅、摩睺羅伽、四天王、釋提桓因、梵天王、摩醯首羅、淨居天等各在本處。爾時一切大眾歡喜踊躍生希有想，默然而住，觀金剛藏菩薩。爾時解脫月菩薩語金剛藏菩薩言：佛子！甚為希有。此三昧神通莊嚴有大勢力。佛子！此三昧名為何等？金剛藏菩薩言：佛子！此三昧名為一切佛國體性。爾時解脫月菩薩問金剛藏菩薩言：佛子！此三昧境界莊嚴神通妙事為齊幾許？金剛藏菩薩言：佛子！若菩薩隨心所念善修成此三昧力故，能示如是佛國土微塵數等諸佛國土自身中現，復過此數。佛子！菩薩住此菩薩法雲地，得如是等無量百千菩薩三昧。以是義故，此菩薩乃至得位菩薩及住善慧地菩薩不能測知，若身身業難可測知，若口口業難可測知，若意意業難可測知，若神通事難可測知，若觀三世智難可測知，若入三昧境界難可測知，若智境界難可測知，若遊戲諸解脫難可測知，若應化所作、若加所作、若神力所作難可測知，乃至舉足下足所作，乃至得位菩薩及住善慧地菩薩不能測知。佛子！菩薩法雲地如是無量今已略說。若廣說者，無量百千阿僧祇劫無量百千萬無量百千億不能得盡。解脫月菩薩問金剛藏菩薩言：佛子！若菩薩神通行境界力如是無量，佛神通行境界力復云何？金剛藏菩薩言：佛子！譬如有人取四天下中二三豆土作如是言：無邊世界地界為多此耶？汝所問者，我謂如是。如來無量智慧，云何以菩薩智慧而欲測量？佛子！如人取四天下中少地界，餘在極多。如是佛子！菩薩法雲地於無量劫說但說一分，何況如來地。金剛藏菩薩語解脫月菩薩言：佛子！是諸如來證知我言。佛子！假使十方於一一方無量世界微塵數等諸佛國土，十地菩薩皆滿其中，譬如甘蔗竹葦稻麻叢林。此諸菩薩於無量劫所修行業功德智慧，於如來功德智慧力，百分不及一，千分不及一，百千分不及一，百千那由他分不及一，億分不及一，百億分不及一，千億分不及一，百千億分不及一，百千億那由他分不及一，乃至算數譬喻所不能及。如是佛子！是菩薩通達如是智慧，順如來身口意業，不捨菩薩三昧力，能見諸佛勤心供養，於一一劫中以一切種供具上上供養無量諸佛，而能具受諸佛神力所加轉復明勝，是菩薩於法界中所有問難無能勝者，無量百劫、無量千劫、無量百千劫、無量百千那由他劫、無量億劫、無量百億劫、無量千億劫、無量百千億劫、無量百千億那由他劫不可窮盡。佛子！譬如善巧金師，善治此金為莊嚴具，以無上摩尼寶珠間錯其中，繫在自在天王若頸若頂，其餘天人莊嚴之具無能及者。如是佛子！是菩薩住此第十菩薩法雲地中，彼菩薩不可思議智行，一切眾生一切聲聞辟支佛，從初地乃至住第九地菩薩所不能及。是菩薩住此地中，大智照光明能令一切眾生乃至住一切智智，其餘智慧之明所不能壞。佛子！譬如摩醯首羅天王光明過一切生處眾生光明，能令眾生身心清涼。如是佛子！是菩薩住此第十菩薩法雲地中，彼智慧光明，一切聲聞辟支佛，從初地乃至住九地菩薩，所不能及。是菩薩住此地中，能令一切眾生住一切智智法中。佛子！是菩薩隨順如是智慧，十方諸佛為說智慧，令通達三世行，正知法界差別，遍覆一切世間界，照一切世間界，令一切眾生界得證法故，略說乃至隨順得一切智智。是菩薩十波羅蜜中智波羅蜜增上。佛子！是名略說菩薩第十菩薩法雲地。若廣說者，無量無邊阿僧祇劫不可窮盡。若菩薩住此地中，多作摩醯首羅天王具足自在，善授眾生聲聞辟支佛菩薩波羅蜜行，於法界中有問難者無能令盡。所作善業布施愛語利益同事，是諸福德皆不離念佛、念法、念僧、念菩薩、念菩薩行、念波羅蜜、念十地、念不壞力、念無畏、念不共佛法，乃至不離念具足一切種一切智智。常生是心：我當於一切眾生中，為首為勝為大、為妙為微妙、為上為無上、為導為將、為師為尊，乃至為一切智智依止者。復從是念發精進行，以精進力故，於一念間得十不可說百千萬億那由他佛世界微塵數三昧，得見十不可說百千萬億那由他佛世界微塵數佛、能知十不可說百千萬億那由他佛世界微塵數佛神力、能動十不可說百千萬億那由他佛世界微塵數世界、能入十不可說百千萬億那由他佛世界微塵數世界、能照十不可說百千萬億那由他佛世界微塵數世界、能教化十不可說百千萬億那由他佛世界微塵數世界眾生、能住壽十不可說百千萬億那由他佛世界微塵數劫、能知過去未來世各十不可說百千萬億那由他佛世界微塵數劫事、能善入十不可說百千萬億那由他佛世界微塵數法門、能變身為十不可說百千萬億那由他佛世界微塵數身，於一一身示十不可說百千萬億那由他佛世界微塵數菩薩以為眷屬。若以願力自在勝上，菩薩願力過於此數。示種種神通，或身、或光明、或神通、或眼、或境界、或音聲、或行、或莊嚴、或加、或信、或業。是諸神通，乃至無量百千萬億那由他劫不可數知。

> 経に曰く、その時、会の中のすべての菩薩たち、およびすべての天・龍・夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦楼羅・緊那羅・摩睺羅伽・四天王・釈提桓因・梵天王・摩醯首羅・浄居天などは、それぞれこう思った。もし菩薩の神通と智力がこのように無量無辺であるならば、仏はさらにどうであろうか、と。その時、解脱月菩薩は、大衆のみなの心に思っていることを知って、金剛蔵菩薩に問いかけた。「仏子よ、今、この大衆は、この菩薩の神通智力を聞いて、疑いの網に落ちています。疑いを断つために、少しだけ菩薩の神通の力の荘厳なる妙事をお示しください」。その時、金剛蔵菩薩は、ただちに一切仏国体性菩薩三昧に入った。金剛蔵菩薩が一切仏国体性菩薩三昧に入った時、かのすべての菩薩たち、およびすべての天・龍・夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦楼羅・緊那羅・摩睺羅伽・四天王・釈提桓因・梵天王・摩醯首羅・浄居天などは、みな自らの身が金剛蔵菩薩の身の中に入るのを見、その身の内に仏の国土を見た。かの国土の中にあるすべての相の荘厳なる妙事は、百千万億劫をかけても説き尽くすことができない。その中に道場の樹があり、その茎の周囲は十万三千大千世界、高さは百万三千大千世界あり、三千億三千大千世界を覆い隠していた。その樹の高さと広がりに応じて師子座があり、その座の上に仏がおられ、一切智通王如来と号した。すべての大衆は、みな仏が道場の樹の下の師子座に坐っておられるのを見た。その中のすべての相の荘厳なる妙事は、百千万億劫をかけても説き尽くすことができない。金剛蔵菩薩はこのような大いなる神通力を示し終えると、またすべての菩薩たち、およびすべての天・龍・夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦楼羅・緊那羅・摩睺羅伽・四天王・釈提桓因・梵天王・摩醯首羅・浄居天などを、それぞれもとの場所に戻らせた。その時、すべての大衆は歓喜して躍り上がり、希有の思いを生じ、黙って金剛蔵菩薩を観ていた。その時、解脱月菩薩は金剛蔵菩薩に語った。「仏子よ、まことに希有です。この三昧の神通荘厳は大きな力を持っています。仏子よ、この三昧の名は何といいますか」。金剛蔵菩薩は言った。「仏子よ、この三昧は一切仏国体性と名づけられます」。その時、解脱月菩薩は金剛蔵菩薩に問うた。「仏子よ、この三昧の境界の荘厳と神通の妙事は、どれほどのものですか」。金剛蔵菩薩は言った。「仏子よ、もし菩薩が心に念ずるままに善く修めてこの三昧の力を成し遂げたならば、このように仏国土の微塵の数ほどの諸仏の国土を自身の中に現すことができ、さらにこの数を超えることもできます。仏子よ、菩薩がこの菩薩法雲地に住すると、このような無量百千の菩薩三昧を得ます。この意味によって、この菩薩は、位を得た菩薩や善慧地に住する菩薩でさえ測り知ることができません。身の身業も測り知りがたく、口の口業も測り知りがたく、意の意業も測り知りがたく、神通の事も測り知りがたく、三世を観る智も測り知りがたく、三昧に入る境界も測り知りがたく、智の境界も測り知りがたく、諸々の解脱に遊戯することも測り知りがたく、応化の所作も、加の所作も、神力の所作も測り知りがたく、足を上げ下げする所作に至るまで、位を得た菩薩や善慧地に住する菩薩でさえ測り知ることができません。仏子よ、菩薩法雲地はこのように無量であると、今すでに略して説きました。もし広く説くならば、無量百千阿僧祇劫、無量百千万、無量百千億をもってしても盡くすことはできません」。解脱月菩薩は金剛蔵菩薩に問うた。「仏子よ、もし菩薩の神通行の境界の力がこのように無量であるならば、仏の神通行の境界の力はさらにどうですか」。金剛蔵菩薩は言った。「仏子よ、たとえばある人が四天下の中の二三粒の豆ほどの土を取って、こう言うようなものです。『無辺世界の地界のほうが、これより多いか』と。あなたの問いも、私はこのようだと思います。如来の無量の智慧を、どうして菩薩の智慧で測ろうとするのですか。仏子よ、たとえば人が四天下の中の少しの地界を取っても、残りは極めて多いのです。このように、仏子よ、菩薩法雲地は無量劫をかけても、ただその一分を説くだけです。まして如来地においてはなおさらです」。金剛蔵菩薩は解脱月菩薩に語った。「仏子よ、これらの如来が私の言葉を証知しておられます。仏子よ、たとえ十方のそれぞれ一方に、無量世界の微塵の数ほどの諸仏の国土があり、十地の菩薩がすべてその中に満ちているとして、たとえば甘蔗や竹、葦、稲、麻の叢林のように。これらの菩薩が無量劫に修行した業の功徳と智慧は、如来の功徳智慧の力に対して、百分の一にも及ばず、千分の一にも及ばず、百千分の一にも及ばず、百千那由他分の一にも及ばず、億分の一にも及ばず、百億分の一にも及ばず、千億分の一にも及ばず、百千億分の一にも及ばず、百千億那由他分の一にも及ばず、さらには計算や譬喩をもっても及ぶことができません。このように、仏子よ、この菩薩はこのような智慧を通達し、如来の身口意業に順じ、菩薩三昧の力を捨てず、諸仏を見て勤めて心から供養し、一一の劫の中で、あらゆる種類の供具をもって上上の供養を無量の諸仏になし、しかも諸仏の神力の加えを受けてさらに明らかに勝れ、この菩薩は法界の中のすべての問難に勝つ者はいません。無量百劫、無量千劫、無量百千劫、無量百千那由他劫、無量億劫、無量百億劫、無量千億劫、無量百千億劫、無量百千億那由他劫も窮め尽くすことができません。仏子よ、たとえば巧みな金細工師が、よくこの金を治めて荘厳の具となし、無上の摩尼宝珠をその中に散りばめて、自在天王の首や頭頂に着けたならば、その他の天人たちの荘厳の具は及ぶことができません。このように、仏子よ、この菩薩がこの第十菩薩法雲地の中に住する時、その菩薩の不可思議な智行は、一切衆生、一切の声聞・辟支仏、初地から第九地に住する菩薩でさえ及ぶことができません。この菩薩はこの地の中に住して、大智の照らす光明をもって一切衆生をして、さらには一切智智に住するに至らせることができ、その他の智慧の明は壊すことができません。仏子よ、たとえば摩醯首羅天王の光明が、すべての生処の衆生の光明を超え、衆生の身心を清涼にさせることができるようなものです。このように、仏子よ、この菩薩がこの第十菩薩法雲地の中に住する時、その智慧の光明は、一切の声聞・辟支仏、初地から第九地に住する菩薩でさえ及ぶことができません。この菩薩はこの地の中に住して、一切衆生をして一切智智の法の中に住させることができます。仏子よ、この菩薩がこのように智慧に順じ、十方の諸仏が智慧を説いて、三世の行を通達させ、法界の差別を正しく知り、一切世間界を遍く覆い、一切世間界を照らし、一切衆生界をして法を証得させるがゆえに、略して説けば、さらには一切智智を順じて得るに至ります。この菩薩は十波羅蜜の中で智波羅蜜が增上です。仏子よ、これを略して菩薩の第十菩薩法雲地と名づけます。もし広く説くならば、無量無辺阿僧祇劫も窮め尽くすことができません。もし菩薩がこの地の中に住するならば、多くは摩醯首羅天王となり、自在を具足し、よく衆生に声聞・辟支仏・菩薩の波羅蜜の行を授け、法界の中に問難する者があっても窮めさせることができません。なす善業である布施・愛語・利益・同事は、これらの福徳はすべて、念仏・念法・念僧・念菩薩・念菩薩行・念波羅蜜・念十地・念不壊力・念無畏・念不共仏法を離れず、さらには具足一切種一切智智を念ずることを離れません。常にこの心を生じます。『私は一切衆生の中で、首となり勝となり大となり、妙となり微妙となり、上となり無上となり、導となり将となり、師となり尊となり、さらには一切智智の依止となる者となろう』と。またこの念から精進の行を発し、精進の力によって、一念の間に十不可説百千万億那由他の仏世界の微塵の数の三昧を得、十不可説百千万億那由他の仏世界の微塵の数の仏を見ることを得、十不可説百千万億那由他の仏世界の微塵の数の仏の神通力を知ることができ、十不可説百千万億那由他の仏世界の微塵の数の世界を動かすことができ、十不可説百千万億那由他の仏世界の微塵の数の世界に入ることができ、十不可説百千万億那由他の仏世界の微塵の数の世界を照らすことができ、十不可説百千万億那由他の仏世界の微塵の数の世界の衆生を教化することができ、十不可説百千万億那由他の仏世界の微塵の数の劫の間、寿命に住することができ、過去・未来世のそれぞれ十不可説百千万億那由他の仏世界の微塵の数の劫の事を知ることができ、よく十不可説百千万億那由他の仏世界の微塵の数の法門に入ることができ、身を変じて十不可説百千万億那由他の仏世界の微塵の数の身とし、一一の身に十不可説百千万億那由他の仏世界の微塵の数の菩薩を眷属として示すことができます。もし願力の自在勝上をもってすれば、菩薩の願力はこの数を超えています。種々の神通を示し、あるいは身、あるいは光明、あるいは神通、あるいは眼、あるいは境界、あるいは音声、あるいは行、あるいは荘厳、あるいは加、あるいは信、あるいは業によってです。これらの神通は、さらには無量百千万億那由他劫をかけても数え知ることはできません。

論曰：是中令歡喜者，能斷疑故。斷疑有二種：一、示現自神通力；二、說一切法故。云何示現自神通力？如經「爾時會中一切菩薩眾及一切天龍夜叉」如是等。如是自力示現，斷眾生疑，令歡喜故。云何說一切法？如經「如是佛子！是菩薩通達如是智慧，順如來身口意業乃至轉復明勝。是菩薩於法界中所有問難無能勝者」如是等。是中大勝者，有二種：一、神通力勝；二、算數勝。此二種事勝一切前地故，如經「說應知三世智等通」故。通三種行故。一、能斷疑行，如經「佛子！是菩薩住此地中隨順如是智，十方諸佛為說智慧令通達三世行」等。三世行者，道義應知。二、速疾神通行，聞說如來祕密法故，如經「正知法界差別」故。三、等作助行，此有三種應知：一、作淨佛國土平等，為化眾生故；二、作法明平等；三、作正覺平等。如經「遍覆一切世間界故，照一切世間界故，令一切眾生界得證法故，略說乃至隨順得一切智智」如是等。如是此地神通力無上有上分已說。次說地影像分。是中地影像者，有四種：一、池；二、山；三、海；四、摩尼寶珠，以況四種功德故。一、修行功德；二、上勝功德；三、難度能度大果功德；四、轉盡堅固功德。云何修行功德？

> 論じていう。この中で人々を喜ばせるものは、疑いを断つことができるからである。疑いを断つことには二種ある。第一に、自らの神通力を示すこと。第二に、一切の法を説くことである。どのように自らの神通力を示すのか。経に「そのとき会中にあった一切の菩薩衆および一切の天龍夜叉」などとあるとおりである。このように自らの力で示し、衆生の疑いを断ち、喜ばせるのである。どのように一切の法を説くのか。経に「このように、仏子よ。この菩薩はこのような智慧に通達し、如来の身口意業に随順し、さらにはますます明らかに勝れていく。この菩薩は法界の中において、いかなる問いにも勝てる者はいない」などとあるとおりである。この中で大いに勝れているものには二種ある。第一に神通力の勝れ。第二に算数の勝れである。この二種のことは、すべての前の地よりも勝れているからである。経に「三世の智を通じるなどと説くべきである」とあるとおりである。三種の行に通じるからである。第一に疑いを断つ行。経に「仏子よ。この菩薩はこの地に住む中で、このような智慧に随順し、十方の諸仏が智慧を説いて、三世の行に通達させる」などとあるとおりである。三世の行とは、道の意味であると知るべきである。第二に速やかな神通行。如来の秘密の法を聞くからである。経に「法界の差別を正しく知る」とあるとおりである。第三に等しく助けとなる行。これには三種あると知るべきである。第一に仏国土を浄める平等を行うこと。衆生を教化するためである。第二に法明の平等を行うこと。第三に正覚の平等を行うこと。経に「一切の世間界を遍く覆うから、一切の世間界を照らすから、一切の衆生界をして法を証得させるから、略して説けば、すべての智の智を得ることに随順する」などとあるとおりである。このように、この地の神通力の無上にして上のある部分についてはすでに説いた。次に地の影像の部分を説く。この中で地の影像には四種ある。第一に池。第二に山。第三に海。第四に摩尼宝珠。これによって四種の功徳を譬えるからである。第一に修行の功徳。第二に上勝の功徳。第三に難度能度の大果の功徳。第四に転尽堅固の功徳である。どのように修行の功徳か。

經曰：佛子！是菩薩十地，次第順行趣向一切種一切智智。佛子！譬如從阿耨大池流出四河，充滿閻浮提，不可窮盡，轉復增長乃至充滿大海。如是佛子！菩薩從菩提心流出善根大願之水，以四攝法充滿眾生界不可窮盡，轉復增長，乃至滿足得一切種一切智智。

> 経に曰く、仏子よ、この菩薩の十地は、順を追って次第に進み、一切種一切智智へと向かうものである。仏子よ、たとえば阿耨大池から四つの大河が流れ出し、閻浮提を満たして尽きることがなく、さらに増え広がってついには大海を満たすようなものである。同じように仏子よ、菩薩が菩提心から流れ出す善根と大願の水は、四摂法によって衆生界を満たして尽きることがなく、さらに増え広がり、ついには一切種一切智智を成就するに至るのである。

論曰：是中修行功德者，依本願力修行，以四攝法作利益他行，自善根增長及得菩提自利益行應知。如經「佛子！譬如從阿耨大池流出四河乃至滿足得一切種一切智智」故。云何上勝功德？

> そこで論じていいます。この中で修行の功徳とは、本来の願の力に頼って修行し、四つの摂法によって他を利益する行いを行ない、自らの善根を成長させ、また菩提を得るという自利益の行いであると知るべきです。経に「仏子よ、たとえば阿耨大池から四つの川が流れ出て、ついには一切種・一切智智を満たすに至る」とある通りです。どのように上勝の功徳なのでしょうか。

經曰：佛子！是菩薩十地，因佛智故而有差別。譬如依大地故有十大山王差別。何等為十？所謂雪山王、香山王、毘陀略山王、仙聖山王、由乾陀羅山王、馬耳山王、尼民陀羅山王、斫迦婆羅山王、眾相山王、須彌山王。佛子！譬如雪山王，一切藥草集在其中，是諸藥草取不可盡。如是佛子！菩薩住在菩薩歡喜地中，一切世間書論、技藝、文誦、呪術集在其中，一切世間書論、技藝、文誦、呪術不可窮盡。佛子！譬如香山王，一切諸香集在其中，一切諸香取不可盡。如是佛子！菩薩住在菩薩離垢地中，一切菩薩持戒正受行香集在其中，一切菩薩持戒正受行香不可窮盡。佛子！譬如毘陀略山王，純淨寶性一切諸寶集在其中，一切諸寶取不可盡。如是佛子！菩薩住在菩薩明地中，一切世間禪定神通解脫三昧三摩跋提集在其中，一切世間禪定神通解脫三昧三摩跋提問答不可窮盡。佛子！譬如仙聖山王，純淨寶性五通聖人集在其中，五通聖人不可窮盡。如是佛子！菩薩住在菩薩焰地中，一切行中殊勝智行集在其中，一切行中殊勝智行種種問難不可窮盡。佛子！譬如由乾陀羅山王，純淨寶性一切夜叉諸大鬼神集在其中，一切夜叉諸大鬼神不可窮盡。如是佛子！菩薩住在菩薩難勝地中，一切自在如意神通變化莊嚴集在其中，一切自在如意神通變化莊嚴問答不可窮盡。佛子！譬如馬耳山王，純淨寶性一切眾果集在其中，一切眾果取不可盡。如是佛子！菩薩住在菩薩現前地中，說入因緣集觀集在其中，說入因緣集觀聲聞果證問答不可窮盡。佛子！譬如尼民陀羅山王，純淨寶性一切大力龍神集在其中，一切大力龍神不可窮盡。如是佛子！菩薩住在菩薩遠行地中，種種方便智集在其中，種種方便智說辟支佛果證問答不可窮盡。佛子！譬如斫迦婆羅山王，純淨寶性得自在眾集在其中，得自在眾不可窮盡。如是佛子！菩薩住在菩薩不動地中，起一切菩薩自在道集在其中，起一切菩薩自在道說一切世間界差別問答不可窮盡。佛子！譬如眾相山王，純淨寶性諸大阿修羅眾集在其中，諸大阿修羅眾不可窮盡。如是佛子！菩薩住在菩薩善慧地中，知一切眾生逆順行集在其中，知一切眾生逆順行說一切世間生滅相問答不可窮盡。佛子！譬如須彌山王，純淨寶性諸大天眾集在其中，諸大天眾不可窮盡。如是佛子！菩薩住在菩薩法雲地中，如來力無畏不共佛法集在其中，如來力無畏不共佛法示現佛事問答不可窮盡。佛子！此十大寶山王同在大海，因大海得名。如是佛子！菩薩十地同在一切智，因一切智得名。

> 経に曰く、仏子よ、この菩薩の十地は、仏の智慧に基づいているために差異があるのです。たとえば、大地に依っているために十の大きな山王の違いがあるようなものです。その十とは何か。いわゆる雪山王、香山王、毘陀略山王、仙聖山王、由乾陀羅山王、馬耳山王、尼民陀羅山王、斫迦婆羅山王、衆相山王、須弥山王です。 仏子よ、たとえば雪山王には、すべての薬草がそこに集まっており、それらの薬草は取り尽くすことができません。同じように仏子よ、菩薩が菩薩の歓喜地にとどまっているとき、すべての世間の書論、技芸、文誦、呪術がそこに集まっており、すべての世間の書論、技芸、文誦、呪術は尽きることがありません。 仏子よ、たとえば香山王には、すべての香りがそこに集まっており、それらの香りは取り尽くすことができません。同じように仏子よ、菩薩が菩薩の離垢地にとどまっているとき、すべての菩薩の持戒と正しい修行の香りがそこに集まっており、すべての菩薩の持戒と正しい修行の香りは尽きることがありません。 仏子よ、たとえば毘陀略山王には、純粋で清らかな宝の性質としてすべての宝がそこに集まっており、それらの宝は取り尽くすことができません。同じように仏子よ、菩薩が菩薩の明地にとどまっているとき、すべての世間の禅定、神通、解脱、三昧、三摩跋提がそこに集まっており、すべての世間の禅定、神通、解脱、三昧、三摩跋提についての問答は尽きることがありません。 仏子よ、たとえば仙聖山王には、純粋で清らかな宝の性質として五通の聖人がそこに集まっており、五通の聖人は尽きることがありません。同じように仏子よ、菩薩が菩薩の焰地にとどまっているとき、すべての行いの中で優れた智慧の行いがそこに集まっており、すべての行いの中で優れた智慧の行いについてのさまざまな問難は尽きることがありません。 仏子よ、たとえば由乾陀羅山王には、純粋で清らかな宝の性質としてすべての夜叉や大きな鬼神たちがそこに集まっており、すべての夜叉や大きな鬼神たちは尽きることがありません。同じように仏子よ、菩薩が菩薩の難勝地にとどまっているとき、すべての自在で思いのままの神通変化の荘厳がそこに集まっており、すべての自在で思いのままの神通変化の荘厳についての問答は尽きることがありません。 仏子よ、たとえば馬耳山王には、純粋で清らかな宝の性質としてすべての果実がそこに集まっており、それらの果実は取り尽くすことができません。同じように仏子よ、菩薩が菩薩の現前地にとどまっているとき、因縁に入る集観がそこで説かれ、因縁に入る集観と声聞の果証についての問答は尽きることがありません。 仏子よ、たとえば尼民陀羅山王には、純粋で清らかな宝の性質としてすべての大力の龍神がそこに集まっており、すべての大力の龍神は尽きることがありません。同じように仏子よ、菩薩が菩薩の遠行地にとどまっているとき、さまざまな方便の智慧がそこに集まっており、さまざまな方便の智慧と辟支仏の果証についての問答は尽きることがありません。 仏子よ、たとえば斫迦婆羅山王には、純粋で清らかな宝の性質として自在を得た集まりがそこにあり、自在を得た集まりは尽きることがありません。同じように仏子よ、菩薩が菩薩の不動地にとどまっているとき、すべての菩薩の自在な道を起こすことがそこに集まっており、すべての菩薩の自在な道を起こすこととすべての世界の差異についての問答は尽きることがありません。 仏子よ、たとえば衆相山王には、純粋で清らかな宝の性質として多くの大きな阿修羅の集まりがそこにあり、多くの大きな阿修羅の集まりは尽きることがありません。同じように仏子よ、菩薩が菩薩の善慧地にとどまっているとき、すべての衆生の逆順の行いを知ることがそこに集まっており、すべての衆生の逆順の行いを知ることとすべての世間の生滅の相についての問答は尽きることがありません。 仏子よ、たとえば須弥山王には、純粋で清らかな宝の性質として多くの大きな天の集まりがそこにあり、多くの大きな天の集まりは尽きることがありません。同じように仏子よ、菩薩が菩薩の法雲地にとどまっているとき、如来の力、無畏、不共の仏法がそこに集まっており、如来の力、無畏、不共の仏法が示す仏の仕事についての問答は尽きることがありません。 仏子よ、この十の大きな宝の山王は同じく大海の中にあり、大海によって名を得ています。同じように仏子よ、菩薩の十地は同じく一切智にあり、一切智によって名を得ているのです。

論曰：是中上勝功德者，依一切智增上行十地故，如經「佛子！是菩薩十地因佛智故而有差別」，譬如依大地故有十大山王差別故。是中純淨諸寶山喻者，喻八種地，厭地善清淨故。復次諸山王非眾生數，眾生數依故。非眾生數者，有二種：一、受用事；二、守護積聚寶事等。是中受用事者，有二種：一、眾生四大增損對治；二、長養眾生，依雪山、香山、毘陀略山、馬耳山，此四山非眾生數依故，藥草、眾香、眾寶、一切果集在其中。一切果者，第六山中眾生數者，復有六種難對治故。六種難者：一、貧難；二、死難；三、儉難；四、不調伏難；五、惡業難；六、怨敵難。第四山中五通福田對治貧難，第五山中夜叉大神神通變化對治死難，第七山中諸大龍王對治儉難，第八山中得自在眾對治不調伏難，第九山中阿修羅說呪對治惡業難，第十山中自在四天王對治怨敵難。此一切山集在其中者，如所說事能生一切物故。言集在其中不可窮盡者，順行不斷不休息故。彼十大山因大海得名，大海亦因大山得名。菩薩十地亦復如是，同在一切智，因一切智得名，彼因果相顯故。如經「佛子！此十大寶山王同在大海，因大海得名。如是佛子！菩薩十地同在一切智，因一切智得名」故。云何難度能度大果功德？

> 論じて曰く、この中で上勝な功徳とは、一切智の増上行に依る十地のためである。経に「仏子よ！この菩薩の十地は仏智によるがゆえに差別がある」とあるように、たとえば大地によるがゆえに十の大山王の差別があるようなものである。この中で純浄な諸々の宝山のたとえは、八種の地をたとえたものであり、厭地が善く清浄であるがゆえである。さらに諸々の山王は衆生数ではないが、衆生数がそれに依るからである。衆生数でないものには二種ある。一つには受用の事、二つには守護積聚の宝の事などである。この中で受用の事には二種ある。一つには衆生の四大の増損を対治すること、二つには衆生を長養することであり、雪山、香山、毘陀略山、馬耳山に依る。この四山は衆生数ではないが、それに依るがゆえに、薬草、衆香、衆宝、一切の果がその中に集まる。一切の果とは、第六の山の中の衆生数であり、また六種の難を対治するがゆえである。六種の難とは、一つには貧の難、二つには死の難、三つには倹の難、四つには不調伏の難、五つには悪業の難、六つには怨敵の難である。第四の山の中の五通の福田は貧の難を対治し、第五の山の中の夜叉大神の神通変化は死の難を対治し、第七の山の中の諸々の大龍王は倹の難を対治し、第八の山の中の得自在の衆は不調伏の難を対治し、第九の山の中の阿修羅の説呪は悪業の難を対治し、第十の山の中の自在な四天王は怨敵の難を対治する。この一切の山がその中に集まるとは、説かれたところの事がよく一切の物を生じるがゆえである。集まってその中にありて窮め尽くすべからずとは、順行して断たず休まないがゆえである。かの十大山は大海によって名を得、大海もまた大山によって名を得る。菩薩の十地もまた同じである。ともに一切智にあり、一切智によって名を得、かの因果の相が顕れるがゆえである。経に「仏子よ！この十大宝山王は同じく大海にあり、大海によって名を得る。このように仏子よ！菩薩の十地は同じく一切智にあり、一切智によって名を得る」とあるがゆえである。いかにか難度にして能く度すという大果の功徳とは？

經曰：佛子！譬如大海，以十相故數名大海，無有能壞。何等為十？一、漸次深；二、不受死屍；三、餘水失本名；四、同一味；五、無量寶聚；六、甚深難度；七、廣大無量；八、多有大身眾生依住；九、潮不過限；十、能受一切大雨無有厭足。如是佛子！菩薩行以十相故數名菩薩行，無有能壞。何等為十？所謂菩薩歡喜地中漸次起大願故，菩薩離垢地中不共破戒死屍住故，菩薩明地中捨諸世間假名數故，菩薩焰地中恭敬三寶得一味不壞故，菩薩難勝地中無量方便智起世間所作多寶故，菩薩現前地中觀甚深因緣集法故，菩薩遠行地中以無量方便智善擇諸法故，菩薩不動地中示現起大莊嚴事故，菩薩善慧地中得甚深解脫通達世間行如實所證不過限故，菩薩法雲地中能受一切諸佛大法明雨無有厭足故。

> 経にこうあります。 仏子よ、たとえば大海は、十の特徴によって大海と呼ばれ、誰もそれを壊すことはできません。その十とは何か。一、しだいに深くなること。二、死屍を受け入れないこと。三、他の水はもとの名を失うこと。四、ただ一つの味であること。五、無量の宝が集まること。六、はなはだ深く渡りがたいこと。七、広大で無量であること。八、大きな身体の生きものが多く住むこと。九、潮が限を越えないこと。十、すべての大雨を受け入れても飽きることがないこと。このように、仏子よ、菩薩の行も十の特徴によって菩薩行と呼ばれ、誰もそれを壊すことはできません。その十とは何か。 すなわち、菩薩の歓喜地では、しだいに大きな願を起こすからです。菩薩の離垢地では、ともに破戒という死屍に住まないからです。菩薩の明地では、世間の仮の名や数え方を捨てるからです。菩薩の焔地では、三宝を敬い、一つの味を得て壊れないからです。菩薩の難勝地では、無量の方便の智によって世間の営みという多くの宝を生み出すからです。菩薩の現前地では、はなはだ深い因縁集法を観じるからです。菩薩の遠行地では、無量の方便の智によって諸法をよく選び取るからです。菩薩の不動地では、大きな荘厳の事を現すからです。菩薩の善慧地では、はなはだ深い解脱を得て、世間の行をありのままに証して限を越えないからです。菩薩の法雲地では、すべての仏の大法明の雨を受け入れても飽きることがないからです。

論曰：是中難度能度大果功德者，因果相順故。十地如大海難度能度，得大菩提果故。大海有八種功德應知：一、易入功德，如經「漸次深」故。二、淨功德，如經「不受死屍」故。三、平等功德，如經「餘水失本名」故。四、護功德，如經「同一味」故。五、利益功德，如經「無量寶聚」故。六、不竭功德，謂深廣等，如經「甚深難度」故、「廣大無量」故。七、住處功德，以大眾生依住故，如經「多有大身眾生依住」故。八、護世間功德，潮不過時受水無厭，如經潮「不過限」故、「能受一切大雨無有厭足」故。大海相似法，菩薩十地行亦有十種相應知，如經「如是佛子！菩薩行以十相故，數名菩薩行，無有能壞故」如是等。云何轉盡堅固功德？

> 論じて曰く、この中で「難度能度」の大いなる果の功徳とは、因果が相応じているからである。十地は大海のように渡るのが難しくても渡りきることができ、大いなる菩提の果を得るからである。大海には八つの功徳があると知るべきである。第一に、入りやすいという功徳で、経に「漸次に深くなる」とあるとおりである。第二に、清らかさの功徳で、経に「死屍を受け入れない」とあるとおりである。第三に、平等の功徳で、経に「他の水は本来の名を失う」とあるとおりである。第四に、守りの功徳で、経に「同一の味」とあるとおりである。第五に、利益の功徳で、経に「無量の宝の集まり」とあるとおりである。第六に、尽きることのない功徳で、深く広いことなどを指し、経に「甚深にして渡りがたい」とあるとおりであり、「広大無量」とあるとおりである。第七に、住処の功徳で、大きな衆生が依り住むからであり、経に「多くの大きな体の衆生が依り住む」とあるとおりである。第八に、世間を護る功徳で、潮が時に遅れることなく、水を受け入れて飽きることがなく、経に潮が「限りを過ごさない」とあるとおりであり、「すべての大雨を受け入れて厭きることがない」とあるとおりである。大海に似た法として、菩薩の十地の行にもまた十種の相が相応じていると知るべきであり、経に「このように仏子よ、菩薩の行は十の相によって、菩薩の行と名づけられ、壊すことのできるものがない」とあるとおりである。どのように転尽堅固の功徳か。

經曰：佛子！譬如大摩尼寶珠，過十寶性：一、出大海；二、巧匠善治；三、善轉精妙；四、善清淨；五、善淨光澤；六、善鑽穿；七、貫以寶縷；八、置在琉璃高幢；九、放一切光明；十、隨王意雨眾寶物，能與一切眾生一切寶物。如是佛子！菩薩發薩婆若心，過十聖性：一、初發心布施離慳；二、善修持戒正行明淨；三、善修禪定三昧三摩跋提令轉精妙；四、菩提分善清淨；五、方便神通善淨光澤；六、因緣集觀善鑽穿；七、種種方便智縷善貫穿；八、置於自在神通幢上；九、觀眾生行放多聞智慧光明；十、諸佛授智位。爾時能為一切眾生現作佛事，即名得薩婆若。

> 経に曰く、仏子よ、たとえば大きな摩尼の宝珠が十の宝性を超えているように。一には大海より出で、二には巧みな工匠がよく治め、三にはよく転じて精妙にし、四にはよく清浄にし、五にはよく浄めて光沢をあらわし、六にはよく鑽って穿ち、七には宝の糸で貫き、八には琉璃の高い幢に置き、九には一切の光明を放ち、十には王の意に随ってもろもろの宝物を雨のように降らせ、すべての衆生に一切の宝物を与えることができる。このように、仏子よ、菩薩が薩婆若の心を起こすとき、十の聖性を超える。一には初めて発心して布施を行い、慳みを離れ、二にはよく持戒を修め、正行は明らかに清らかであり、三にはよく禅定・三昧・三摩跋提を修めて、これを転じて精妙にし、四には菩提分をよく清浄にし、五には方便と神通をよく浄めて光沢をあらわし、六には因縁集観をよく鑽って穿ち、七には種々の方便の智の糸でよく貫き、八には自在神通の幢の上に置き、九には衆生の行を観じて多聞と智慧の光明を放ち、十には諸仏より智の位を授かる。そのとき、すべての衆生のために仏事を現じ行うことができ、すなわち薩婆若を得たと名づける。

論曰：是中轉盡堅固功德者，大摩尼寶喻，如經「佛子！譬如大摩尼寶珠等」故。過十寶性者，摩尼寶過毘琉璃等，以出故取，乃至放一切光明，示現此寶有八種功德攝故。八種功德者：一、出功德，選擇而取，以善觀故。二、色功德，巧匠善治故。三、形相功德，善轉精妙故。四、無垢功德，善清淨故。五、明淨功德，善淨光澤故。六、起行功德，善鑽穿故。貫以寶縷故，置在琉璃高幢故，此三句示現。七、神力功德，放一切光明遍照一切處故。八、不護功德，隨王意雨眾寶物，能與一切眾生一切寶物；正智受位故，一切眾生同善根藏故。過十聖性者，過聲聞辟支佛等性故。聲聞有八種性，四行、四果差別故。辟支佛有二種性，行、果差別故。如是十地影像分已說。云何地利益分？

> 論じていう。この中で「転尽堅固の功徳」とは、大摩尼宝のたとえであり、経典に「仏子よ、たとえば大摩尼宝珠などのごとし」とあるとおりである。十宝性を超えるとは、摩尼宝が毘琉璃などを超えていることである。出ずるがゆえに取るとは、ないし一切の光明を放ち、この宝に八種の功徳が含まれていることを示しているからである。 八種の功徳とは、第一に出る功徳であり、選択して取るのは、よく観察するからである。第二に色の功徳であり、巧みな工匠がよく治めるからである。第三に形相の功徳であり、よく転じて精妙であるからである。第四に無垢の功徳であり、よく清浄であるからである。第五に明浄の功徳であり、よく浄めて光沢があるからである。第六に起行の功徳であり、よく鑽り穿つからである。宝の糸で貫き、瑠璃の高幢に置くとは、この三句が示している。第七に神力の功徳であり、一切の光明を放ち遍く一切の処を照らすからである。第八に不護の功徳であり、王の意に随って衆宝の物を雨のように降らせ、よく一切の衆生に一切の宝物を与える。正智が位を受けるからであり、一切の衆生と同じ善根の蔵であるからである。 十聖性を超えるとは、声聞・辟支仏などの性を超えるからである。声聞には八種の性があり、四行・四果の差別があるからである。辟支仏には二種の性があり、行と果の差別があるからである。このように十地の影像の分についてはすでに説いた。いかにして地の利益の分か。

經曰：佛子！是菩薩行，善集一切種一切智智功德集法門品。若眾生不深種善根者，不能得聞。解脫月菩薩言：佛子！此集一切種一切智智功德集法門品，若得聞者，此人成就幾許功德？金剛藏菩薩言：佛子！隨一切智智所攝觀集諸功德，此集一切種一切智智功德集法門品亦復如是。此人得聞此法門，所得功德亦復如是。何以故？佛子！若非菩薩不得聞此集一切種一切智智功德集法門品，何況能信、何況能持、何況正修行。說此經時，以佛神力、以得法力，十方世界十億佛土微塵數等諸佛世界，六種十八相動，所謂動、遍動、等遍動，踊、遍踊、等遍踊，覺、遍覺、等遍覺，起、遍起、等遍起，震、遍震、等遍震，吼、遍吼、等遍吼。以佛神力、以得法力故，雨種種天花如雲而下，雨天衣、雨天寶、雨天莊嚴具、雨天蓋、雨天幡、雨天幢、雨天伎樂、雨天音聲，讚歎一切智地及讚十地殊勝之事。如此世界四天下他化自在天中，自在天王宮摩尼寶藏殿說十地法，如是十方一切世界周遍皆說此十地法。以佛神力故，十方過十億佛土微塵數等世界，有十億佛土微塵數等諸菩薩來集，遍滿十方虛空。到已皆作是言：善哉善哉！佛子！善說菩薩住諸地相。佛子！我等一切亦名金剛藏，從名金剛勝世界金剛幢佛所來。彼一切世界皆承佛神力說此法門，眾會亦如是，字句亦如是，釋名亦如是，義趣亦如是，不增不減。佛子！是故我等承佛神力，來到此眾為證是法。佛子！如我等來至此眾，如是十方一切世界，一一世界中四天下，上他化自在天中自在天王宮摩尼寶藏殿，皆有十億佛土微塵數等菩薩往為作證。爾時金剛藏菩薩摩訶薩承佛神力說此經時，如來隨喜，彼一切菩薩眾及一切天、龍、夜叉、乾闥婆、阿修羅、迦樓羅、緊那羅、摩睺羅伽、四天王、釋提桓因、梵天王、摩醯首羅、淨居天眾皆大歡喜。佛在他化自在天中成道未久第二七日，自在天王宮摩尼寶藏殿，金剛藏菩薩說，歡喜奉行。

> 経に曰く、仏子よ、これが菩薩の行であり、すべての種類の一切智智の功徳をよく集める法門の品である。もし衆生が深く善根を植えていなければ、これを聞くことはできない。 解脱月菩薩が言った。「仏子よ、このすべての種類の一切智智の功徳を集める法門の品を聞くことができた者は、どれほどの功徳を成就するのでしょうか。」 金剛蔵菩薩が言った。「仏子よ、一切智智に含まれるすべての功徳を観じて集めることにしたがって、このすべての種類の一切智智の功徳を集める法門の品もまた同様である。この者がこの法門を聞いて得る功徳もまた同様である。なぜならば、仏子よ、もし菩薩でなければ、このすべての種類の一切智智の功徳を集める法門の品を聞くことはできない。ましてや信じることはできず、ましてや保つことはできず、ましてや正しく修行することはできない。」 この経を説いたとき、仏の神力によって、法を得た力によって、十方世界の十億仏土の微塵の数ほどの諸仏世界に、六種十八相の動きが現れた。すなわち、動、遍動、等遍動、踊、遍踊、等遍踊、覚、遍覚、等遍覚、起、遍起、等遍起、震、遍震、等遍震、吼、遍吼、等遍吼である。 仏の神力によって、法を得た力によって、さまざまな天の花が雲のように降り、天の衣が降り、天の宝が降り、天の荘厳具が降り、天の蓋が降り、天の幡が降り、天の幢が降り、天の伎楽が降り、天の音声が降り、一切智地を讃歎し、十地の殊勝な事柄を讃えた。 この世界の四天下の他化自在天の中、自在天王の宮殿である摩尼宝蔵殿で十地の法を説くように、このように十方のすべての世界でも遍くこの十地の法が説かれた。仏の神力によって、十方の十億仏土の微塵の数ほどの世界から、十億仏土の微塵の数ほどの菩薩たちが集まり、十方の虚空に遍満した。到着して皆このように言った。 「善哉善哉、仏子よ、菩薩が諸地に住む相をよく説かれた。仏子よ、私たちもすべて金剛蔵と名乗り、金剛勝世界の金剛幢仏のもとから来た。あのすべての世界でも皆、仏の神力を受けてこの法門を説いており、集まりもまた同様であり、字句もまた同様であり、名称の解釈もまた同様であり、意味もまた同様であり、増えることも減ることもない。仏子よ、それゆえ私たちは仏の神力を受けて、この集まりに来てこの法を証明するのである。仏子よ、私たちがこの集まりに来たように、十方のすべての世界の一つ一つの世界の四天下の上にある他化自在天の自在天王の宮殿である摩尼宝蔵殿にも、皆、十億仏土の微塵の数ほどの菩薩が訪れて証明している。」 そのとき、金剛蔵菩薩摩訶薩が仏の神力を受けてこの経を説いたとき、如来は随喜し、そのすべての菩薩衆およびすべての天、龍、夜叉、乾闥婆、阿修羅、迦楼羅、緊那羅、摩睺羅伽、四天王、釈提桓因、梵天王、摩醯首羅、浄居天の衆は皆、大いに喜んだ。 仏が他化自在天の中で成道して間もない第二の七日、自在天王の宮殿である摩尼宝蔵殿において、金剛蔵菩薩が説き、歓喜して奉行した。

論曰：是中地利益者，有二種：一、生信功德；二、供養功德。復次此法門中，決定信說大利益義示現。如經「佛子！是菩薩行善集一切種一切智智功德集法門品」如是等，「解脫月菩薩言」如是等。「金剛藏菩薩言」如是等故。為於此經中生信得功德，復生信功德緣生義故，以神通力示現六種十八相動。如經「說此經時以佛神力以得法力故」如是等。是中六種動者：一、動；二、踊；三、上去；四、起；五、下去；六、吼，十八相。此六種動等相，下中上如是次第應知。器世間中，依四種眾生聚：一、依不善眾生；二、依信種種天眾生；三、依我慢眾生；四、依呪術眾生。為此眾生下中上次第差別故，動乃至吼，如是十八句異義應知。如是生信功德及緣生義已說。是中供養功德者，如經「雨種種天華如雲而下」如是等。一切世界說此法門示現，為無量法門利益眾生示現，如經「如此世界四天下」如是等。餘者易解。

> 論では言う。ここでの中の地の利益には二種類ある。一つには信を生じる功德、二つには供養の功德である。さらに、この法門の中では、決定の信によって説かれる大いなる利益の義が示される。経に「仏子よ、この菩薩の行は善く一切種の一切智智の功德を集める法門の品」というようであり、「解脱月菩薩が言った」というようであり、「金剛蔵菩薩が言った」というようであるからである。この経において信を生じて功德を得るため、また信の功德の縁から生じる義のため、神通力によって六種十八相の動が示される。経に「この経を説く時、仏の神力によって、法力を受けたから」というようである。ここでの六種の動とは、一に動、二に踊、三に上去、四に起、五に下去、六に吼であり、十八相である。この六種の動などの相は、下・中・上の順序であると知るべきである。器世間の中では、四種の衆生の集まりに依る。一には不善の衆生に依り、二には種々の天を信じる衆生に依り、三には我慢の衆生に依り、四には呪術の衆生に依る。これらの衆生のために下・中・上の次第の違いがあるから、動から吼まで、このように十八句の異なる義を知るべきである。このように信を生じる功德と縁から生じる義はすでに説かれた。ここでの供養の功德とは、経に「種々の天華を雨のように降らせ」というようである。すべての世界でこの法門を説くことが示され、無量の法門が衆生を利益することが示される。経に「この世界の四天下のように」というようである。その他は理解しやすい。

## 十地經論法雲地第十卷之十二

> 十地経論 法雲地 第十巻の十二