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title: "菩薩從兜術天降神母胎說廣普經 · 18 識住處品"
description: "竺佛念为姚秦时期著名译经师，此经乃其重要译作。该经详述菩萨从兜率天降凡入胎、住胎及出胎之广大境界，宣说众生皆具佛性、菩萨普度众生之广大行愿。它属于大乘佛教的重要经典，对汉传佛教菩萨思想及修行实践影响深远，为研究佛教本生故事和菩萨道发展提供了重要依据，在佛教经典中占有独特地位。"
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### 菩薩處胎經識住處品第十八

> 識住処品 第十八

爾時，座中有菩薩名曰普光——大慈大悲神足自在，好樂深奧功德成就，從無央數阿僧祇劫，拯濟眾生拔苦根本得六神通，所經過處佛事不斷——即從坐起偏露右臂右膝著地，叉手合掌前白佛言：「既聞如來分別六通無所罣閡遍滿十方諸佛世界，假令諸佛正法平等無有差別，今此識法住無所住，六通識法，識是一法為若干？若識是一法，如來金色神足道場得遊諸佛剎土，為識致身，為身致識？若身致識則無六通；若識致身，此名一法無身無識。唯願世尊，報我此義。」

佛告普光菩薩：「汝所問義，為第一義問？為世俗義問？若俗義問，識法若干無有定相。第一義問，則無身無識。何以故？分別識法自性空寂，無來無去亦無染著。汝問金色——此有為法五陰成就，非自然法非第一義——佛色身法，於第一義則為有失。我今為汝說識相法。菩薩行六通，身識共俱，非識先身後，非身先識後。何以故？相法自然，識不離身、身不離識，猶如二牛共一軛，若黑牛前白牛後，則種不成就。若白牛前黑牛後，種亦不成就。非黑牛前白牛後，非白牛前黑牛後，則種成就。神足道果亦復如是，身識共俱無有前、後、中間。如來色身有前、有後、有中間，此世俗法非第一義，於虛寂法無有若干。」

爾時世尊即說頌曰：

> その時、世尊はすぐに偈を説かれました。

「如來金色體， 三世所奉敬；為人作重任， 無上無極尊。忉利諸天人， 晝夜散花香；梵天及營從， 作樂而娛樂。於百由旬內， 遍滿虛空界；高聲稱善哉， 佛識不可見。無內、外、中間， 為世愚惑故，現有六通法。 過去無數佛，光相亦如今， 欲求識法本，寂滅不可見。 菩薩六通道，現盡無有盡， 出息、入息念，不著三界有。 觀身內、外淨，金色空無著， 識法亦如是，無去、來、現在。 五陰性清淨，無今身、後身， 一一分別相，永到安隱處。 識相有六事，亦名六障法， 六識所住處，生滅不可盡。 猶如水上泡，一滅已復生； 識法自然空，流馳滿諸方。 我本所造行，身識二事俱， 獨步無等侶，說法無上道。 諸法識為本，所向隨身相， 雖住亦不住，教化苦惱者。 眼見前色法，識在中間障， 非色來入眼，亦不眼就色。 分別此彼法，由識知善惡， 識自無識法；耳聲、鼻香別， 六業自生緣，故造善惡行。 聲不來就耳，鼻、口、意亦爾， 法法相因緣，無著空無法。 賢聖八品道，三十七行觀， 虛空寂然界，無相無有願。 行有白黑報，受對識分別， 欲求識實相，不見有住處。 莊嚴佛剎土，四等無所畏， 解了諸法空，識滅行亦滅。 菩薩成道果，無去、來、今法， 識如幻化道，不住於彼此， 識滅歸虛空，假號無真實。 初入四空定，除想無係著， 竪顯高法幢，演暢識相法。 前識非後識，亦不離於識， 三界第一尊，乃能究識性。 如人在山頂，通達見四遠， 分別善惡行。天眼通第一， 遠見十方界；有黠智慧人， 如掌觀明珠。」

> 如来の金色の体は、三世の諸仏が敬うところ。 人のための重い責任を担い、無上にして最高の尊き方。 忉利天の諸々の天人は、昼夜にわたって香華を散らす。 梵天およびその供養の者たちは、音楽を奏でて楽しむ。 百由旬の内、虚空界に満ち渡り、 高らかに「善きかな」と称える。しかし仏の識は見るべくもない。 内も外も中間もなく、世の愚か者のために、 六通の法を現す。過去の無数の仏も、 その光明の相は今と同じ。識の根本を求めようとしても、 寂滅して見ることができない。菩薩の六通の道は、 現れ尽きても尽きることがない。出息・入息の念をもって、 三界の有に執着しない。身の内と外の清らかさを観じ、 金色は空にして執着がない。識の法もまた同じく、 去ることも来ることもなく、現在もない。五陰の性は清らかで、 今の身も後の身もない。一つ一つの相を分別し、 永遠に安らぎの境地に至る。識の相には六つの働きがあり、 また六つの障りの法とも呼ばれる。六識の住むところは、 生滅して尽きることがない。まるで水の上の泡のように、 一つが消えればまた一つが生まれる。識の法は自然に空であり、 流れ奔って諸方に満ちる。 私が元々造った行いは、 身と識の二つの事が共にある。独り歩みて匹敵する者なく、 無上の道を説く。諸々の法は識を根本とし、 向かうところは身の相に従う。留まっているようで留まらず、 苦しむ者を教化する。眼が眼前の色の法を見るとき、 識はその中間にあって障りとなる。色が来て眼に入るのではなく、 眼が色に向かうのでもない。これとあの法を分別し、 識によって善悪を知る。識自身には識の法はない。 耳の声・鼻の香の区別も、六つの業は自ら縁を生じ、 ゆえに善悪の行いを造る。声が来て耳に触れるわけではなく、 鼻・口・意もまた同じ。法と法とが互いに縁となり、 執着なく空にして法はない。賢聖の八品の道、 三十七の行の観察、虚空の寂然たる境は、 相もなく願いもない。行いには白と黒の報いがあり、 受ける対象を識が分別する。識の実相を求めようとしても、 住むところは見えない。仏の国を荘厳し、 四つの等しい心と無畏を具え、諸法の空を解き明かし、 識が滅すれば行いもまた滅する。菩薩は道の果を成し遂げ、 去来今の法はない。識は幻の如き道であり、 彼と此に留まらない。識が滅すれば虚空に帰し、 仮の名であって真実はない。初めて四空定に入り、 想いを除いて執着がない。高き法の幢を顕かに立て、 識の相の法を演説する。前の識は後の識ではなく、 また識を離れてもいない。三界第一の尊き方のみ、 ついに識の本性を究められる。例えば人が山の頂にいて、 四方を遠くまで見通し、善悪の行いを分別するように。 天眼通は第一であり、十方の世界を遠くに見る。 賢き智慧ある人は、掌中の明珠を観るがごとくである。

爾時，世尊說此頌時，八十四億眾生，欲得遠離六識法相，不樂生死流轉五道，發弘誓心住無識地。