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  1. 菩薩従兜術天降神母胎説広普経 (菩薩從兜術天降神母胎說廣普經)
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菩薩従兜術天降神母胎説広普経 (菩薩從兜術天降神母胎說廣普經)


菩薩處胎經識住處品第十八

識住処品 第十八

爾時,座中有菩薩名曰普光——大慈大悲神足自在,好樂深奧功德成就,從無央數阿僧祇劫,拯濟眾生拔苦根本得六神通,所經過處佛事不斷——即從坐起偏露右臂右膝著地,叉手合掌前白佛言:「既聞如來分別六通無所罣閡遍滿十方諸佛世界,假令諸佛正法平等無有差別,今此識法住無所住,六通識法,識是一法為若干?若識是一法,如來金色神足道場得遊諸佛剎土,為識致身,為身致識?若身致識則無六通;若識致身,此名一法無身無識。唯願世尊,報我此義。」
佛告普光菩薩:「汝所問義,為第一義問?為世俗義問?若俗義問,識法若干無有定相。第一義問,則無身無識。何以故?分別識法自性空寂,無來無去亦無染著。汝問金色——此有為法五陰成就,非自然法非第一義——佛色身法,於第一義則為有失。我今為汝說識相法。菩薩行六通,身識共俱,非識先身後,非身先識後。何以故?相法自然,識不離身、身不離識,猶如二牛共一軛,若黑牛前白牛後,則種不成就。若白牛前黑牛後,種亦不成就。非黑牛前白牛後,非白牛前黑牛後,則種成就。神足道果亦復如是,身識共俱無有前、後、中間。如來色身有前、有後、有中間,此世俗法非第一義,於虛寂法無有若干。」
爾時世尊即說頌曰:

その時、世尊はすぐに偈を説かれました。

「如來金色體, 三世所奉敬;
為人作重任, 無上無極尊。
忉利諸天人, 晝夜散花香;
梵天及營從, 作樂而娛樂。
於百由旬內, 遍滿虛空界;
高聲稱善哉, 佛識不可見。
無內、外、中間, 為世愚惑故,
現有六通法。 過去無數佛,
光相亦如今, 欲求識法本,
寂滅不可見。 菩薩六通道,
現盡無有盡, 出息、入息念,
不著三界有。 觀身內、外淨,
金色空無著, 識法亦如是,
無去、來、現在。 五陰性清淨,
無今身、後身, 一一分別相,
永到安隱處。 識相有六事,
亦名六障法, 六識所住處,
生滅不可盡。 猶如水上泡,
一滅已復生; 識法自然空,
流馳滿諸方。 我本所造行,
身識二事俱, 獨步無等侶,
說法無上道。 諸法識為本,
所向隨身相, 雖住亦不住,
教化苦惱者。 眼見前色法,
識在中間障, 非色來入眼,
亦不眼就色。 分別此彼法,
由識知善惡, 識自無識法;
耳聲、鼻香別, 六業自生緣,
故造善惡行。 聲不來就耳,
鼻、口、意亦爾, 法法相因緣,
無著空無法。 賢聖八品道,
三十七行觀, 虛空寂然界,
無相無有願。 行有白黑報,
受對識分別, 欲求識實相,
不見有住處。 莊嚴佛剎土,
四等無所畏, 解了諸法空,
識滅行亦滅。 菩薩成道果,
無去、來、今法, 識如幻化道,
不住於彼此, 識滅歸虛空,
假號無真實。 初入四空定,
除想無係著, 竪顯高法幢,
演暢識相法。 前識非後識,
亦不離於識, 三界第一尊,
乃能究識性。 如人在山頂,
通達見四遠, 分別善惡行。
天眼通第一, 遠見十方界;
有黠智慧人, 如掌觀明珠。」

如来の金色の体は、三世の諸仏が敬うところ。 人のための重い責任を担い、無上にして最高の尊き方。 忉利天の諸々の天人は、昼夜にわたって香華を散らす。 梵天およびその供養の者たちは、音楽を奏でて楽しむ。 百由旬の内、虚空界に満ち渡り、 高らかに「善きかな」と称える。しかし仏の識は見るべくもない。 内も外も中間もなく、世の愚か者のために、 六通の法を現す。過去の無数の仏も、 その光明の相は今と同じ。識の根本を求めようとしても、 寂滅して見ることができない。菩薩の六通の道は、 現れ尽きても尽きることがない。出息・入息の念をもって、 三界の有に執着しない。身の内と外の清らかさを観じ、 金色は空にして執着がない。識の法もまた同じく、 去ることも来ることもなく、現在もない。五陰の性は清らかで、 今の身も後の身もない。一つ一つの相を分別し、 永遠に安らぎの境地に至る。識の相には六つの働きがあり、 また六つの障りの法とも呼ばれる。六識の住むところは、 生滅して尽きることがない。まるで水の上の泡のように、 一つが消えればまた一つが生まれる。識の法は自然に空であり、 流れ奔って諸方に満ちる。 私が元々造った行いは、 身と識の二つの事が共にある。独り歩みて匹敵する者なく、 無上の道を説く。諸々の法は識を根本とし、 向かうところは身の相に従う。留まっているようで留まらず、 苦しむ者を教化する。眼が眼前の色の法を見るとき、 識はその中間にあって障りとなる。色が来て眼に入るのではなく、 眼が色に向かうのでもない。これとあの法を分別し、 識によって善悪を知る。識自身には識の法はない。 耳の声・鼻の香の区別も、六つの業は自ら縁を生じ、 ゆえに善悪の行いを造る。声が来て耳に触れるわけではなく、 鼻・口・意もまた同じ。法と法とが互いに縁となり、 執着なく空にして法はない。賢聖の八品の道、 三十七の行の観察、虚空の寂然たる境は、 相もなく願いもない。行いには白と黒の報いがあり、 受ける対象を識が分別する。識の実相を求めようとしても、 住むところは見えない。仏の国を荘厳し、 四つの等しい心と無畏を具え、諸法の空を解き明かし、 識が滅すれば行いもまた滅する。菩薩は道の果を成し遂げ、 去来今の法はない。識は幻の如き道であり、 彼と此に留まらない。識が滅すれば虚空に帰し、 仮の名であって真実はない。初めて四空定に入り、 想いを除いて執着がない。高き法の幢を顕かに立て、 識の相の法を演説する。前の識は後の識ではなく、 また識を離れてもいない。三界第一の尊き方のみ、 ついに識の本性を究められる。例えば人が山の頂にいて、 四方を遠くまで見通し、善悪の行いを分別するように。 天眼通は第一であり、十方の世界を遠くに見る。 賢き智慧ある人は、掌中の明珠を観るがごとくである。

爾時,世尊說此頌時,八十四億眾生,欲得遠離六識法相,不樂生死流轉五道,發弘誓心住無識地。

17 五神通品
19 善權品

CBETA コード: T0384

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