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title: "菩薩從兜術天降神母胎說廣普經 · 20 無明品"
description: "竺佛念为姚秦时期著名译经师，此经乃其重要译作。该经详述菩萨从兜率天降凡入胎、住胎及出胎之广大境界，宣说众生皆具佛性、菩萨普度众生之广大行愿。它属于大乘佛教的重要经典，对汉传佛教菩萨思想及修行实践影响深远，为研究佛教本生故事和菩萨道发展提供了重要依据，在佛教经典中占有独特地位。"
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## 菩薩處胎經卷第六

> 菩薩處胎經 巻第六

姚秦涼州沙門竺佛念譯

> 姚秦涼州沙門竺仏念訳

### 無明品第二十

> 第二十品 無明

爾時，座中有菩薩名曰智清淨，分別空、無生、老、病、死，婬、怒、癡多者，婬、怒、癡少者。分別眾生三品差別，於等分中何病最重？所謂重者邪見是。智清淨菩薩即從坐起偏袒右肩右膝著地，長跪叉手前白佛言：「如來無所著等正覺，無所不知無所不見，過去、當來、今現在，蚑行喘息人物之類，心所念法，口所言說，身行善惡，甚深禁法威儀戒律，知多、知少、知重、知輕。今我所問，非空非不空，非有非不有，非有空非有有；三聚眾生，何者為輕？何者為重？何者現報？何者生報？何者後報？云何想知滅？云何涅槃？云何無餘？」

> その時、会の中に智清浄という名の菩薩がいた。彼は、空・無生・老・病・死を分別し、また、欲望・怒り・無知の多い者、少ない者を分別した。衆生を三つの種類に分けて、それらの等しい分け方の中で、どの煩悩が最も重いかを問うた。いわゆる最も重いものとは、邪見である。 智清浄菩薩は、すぐに座から立ち上がり、右の肩を露わにし、右膝を地面につけて、長く跪き、両手を合わせて仏に申し上げた。 「如来、執着なく、正しく悟りを開かれた方は、知らないことはなく、見えないこともありません。過去・未来・現在、這うもの、息をするもの、人間やあらゆる生き物たちの、心に思うこと、口に言うこと、身体で行う善悪、深く厳かな禁戒や威儀戒律について、多いことや少ないこと、重いことや軽いことを全てご存じです。 今、私がお尋ねしたいことは、空でもなく、空でないのでもなく、有でもなく、無でもなく、有空でもなく、有有でもありません。三聚の衆生にとって、どの業が軽く、どの業が重いのでしょうか？どの業が現世で報いを受け、どの業が来世で報いを受け、どの業がさらに後の世で報いを受けるのでしょうか？『想』がどのようにして『知』と共に消滅するのか？涅槃とは何か？無余涅槃とは何か？」

佛告智清淨菩薩：「善哉，善哉！快問斯義！愍諸一切多所饒益，乃能於佛前問平等法。汝還復坐，吾當與汝解說句義初、中、竟品，黑業受黑報，白業受白報，一一分別令汝知之。」

> 仏が智清浄菩薩に告げられた。「善きかな、善きかな。よくぞこの意味を問うた。すべての者を哀れみ、多くの利益をもたらさんとして、よくぞ仏の前で平等の法を問うたのだ。汝、再び座につきなさい。今、汝に句義の初め、中、終わりの品々について説き明かそう。黒い業は黒い報いを受け、白い業は白い報いを受ける。その一つ一つを分別して、汝に知らせよう。」

爾時世尊即說頌曰：

> その時、世尊はすぐに偈を説かれました。

「如人種果樹， 子苦果亦苦；為罪得黑報， 經歷劫數苦。種甘得甘果， 還受甘果報；香潔甚香美， 得受清白報。如人在池水， 內外清淨徹；無風無塵穢， 香美得清涼。其有眾生見， 娛樂不能離；佛道清淨行， 與彼無有異。黑報眾生等， 墜墮三塗難；高下隨駛水， 漂流厄難處。當時煩惱苦， 獨受無人代；破骨入髓腦， 燒煮不可量。已至無救獄， 意悟求解脫；無明所覆蓋， 不見慧光明。如人行路迷， 舉南以為北；終日心不悟， 雖聞亦不信。受罪重苦惱， 毒痛加其身；久後罪雖畢， 世人所惡賤。形體腥臊醜， 如猪臥深溷；宛轉入鑊湯， 死而復更生；愚癡本所造， 受報如影響。善、惡二俱等， 等分眾生義，無道無偏黨， 行亦有高下。持戒生天人， 不施福最少，摶食畏人見， 慚愧不露出。雖有天女眾， 音樂不和雅，時時出遊觀， 畏逢神妙天。若戒布施具， 甘露衣食至，前後伎樂繞， 如月星中明，久久出遊觀， 營從自莊嚴，天樂自然作。 斯由此人間，持戒布施具， 福報如影隨。諸天雖受福， 亦有劫數難；臨欲命終時， 乃知衰耗法。善念轉欲微， 當復更受身；輪轉五道中， 經歷無數劫。善惡受對時， 不避豪貴賤；於中能獨拔， 如我釋迦文。」

> 人が果樹を植えるとき、 苦い種からは苦い実が生まれ、 罪を犯せば黒い報いを受け、 長き劫の苦しみを経る。 甘い種を植えれば甘い実が生まれ、 甘い報いを受けるように、 香り清らかで美しいものは、 白く清らかな報いを得る。 人が池の水の中にいれば、 内も外も清らかに澄みわたり、 風もなく塵も汚れもなく、 香り良く清らかで涼しい。 それを目にした生きとし生けるものは、 楽しみに惹かれて離れられない。 仏道の清らかな行いも、 それと何ら変わるところはない。 黒い報いを受ける者たちは、 三つの悪道（三塗）に堕ちる難を受ける。 高い所から低い所へと流れる水のように、 危難の場所を漂い流される。 その時、苦しみ悩むのは独りで、 代わりに受ける者はいない。 骨を破り、髄や脳にまで入り込み、 焼かれ煮られる苦しみは計り知れない。 すでに救いのない地獄に至っても、 心が目覚めて解脱を求めるが、 無明に覆われているため、 智慧の光を見ることができない。 道に迷う人が、 南を北と誤るように、 終日心が悟らず、 聞いても信じることがない。 罪の重い苦しみを受け、 毒の痛みがその身に加わる。 長い時が過ぎて罪が終わっても、 世の人々に嫌われ、軽んじられる。 その体は生臭く醜く、 豚が深い汚れの中に横たわるようであり、 くるくると回って釜の湯に入れられ、 死んではまた生き返る。 愚かさに基づく行いが、 影や響きのように報いをもたらすのだ。 善と悪はどちらも等しく、 生きとし生けるものにはそれぞれ意味があり、 道に偏りやえこひいきはなく、 行いには高低がある。 戒を守れば天界に生まれ、 施しが少なければ福も最も少ない。 食べ物を恵んでも人に見られるのを恐れ、 恥じて隠れてしまう。 天女がいても音楽は和やかでなく、 時おり遊びに出かけても、 素晴らしい神々に出会うのを恐れる。 もし戒と施しが十分なら、 甘露の衣や食べ物がもたらされ、 前後から音楽に包まれ、 月が星々の中で輝くように。 長い時を経て遊びに出かけるときは、 従者たちが自らを飾り立て、 天の音楽が自然に奏でられる。 これはすべて、この人間界で 戒を守り施しを十分に行ったことによる。 福の報いは影のように従う。 天の人々は福を受けても、 劫の難がある。 命終わろうとする時になり、 初めて衰退の法則を知る。 善い心は次第に弱まり、 再び新たな身を受け、 五つの道（五道）を輪廻し、 数えきれない劫を経る。 善悪が報いを受ける時は、 身分の高い低いを避けず、 そこから独り抜け出る者こそ、 我が師、釈迦牟尼（しゃかむに）のように。

爾時，世尊說此偈已，於大眾中諸天及人，七萬七千億那由他，皆發無上正真道心。爾時，世尊告智清淨菩薩曰：「一生補處菩薩大士，以權方便在卑賤家生，欲得示現除無明結，十月在胎臨生之日現無手足，父母覩見謂為是鬼，捐棄曠野不使人見。所以者何？菩薩權化欲令愚癡父母眷屬覩見道明，其後數月母復懷娠，具滿十月生一男兒，端正姝妙世之希有，晝生夜死，父母號哭椎胸向天：『山神、樹神何不憐我？先生一子而無手足捐棄曠野，今生一子端正無比狀如天神，今復晝生夜死，心肝斷絕當復奈何？』復經數月母繫懷妊，十月具滿生一男兒，三頭八脚四眼八臂，覩者毛竪，父母眷屬捨而欲去；菩薩權現令不得去。父母問曰：『為是天耶？為是龍、鬼神、阿修羅、乾闥婆、伽樓羅、緊那羅、摩睺羅伽、人與非人耶？』」爾時所生男兒，即以偈報父母曰：

> その時、世尊がこの偈を説き終えられると、大衆の中にいた天や人のうち、七万七千億那由他の者たちが、皆、無上の正しい真実の道への心を起こした。 その時、世尊は智清浄菩薩に告げられた。 「一生補処の菩薩の大士は、方便の力によって、賤しい家に生まれることがあります。無明の結びつきを除き示そうと欲し、十月の間、胎に宿り、生まれるその日には、手足がない様子を示します。父母はそれを見て、これを鬼だと思い、人目につかない荒野に捨ててしまいます。なぜそうするのか。菩薩の権化は、愚かな父母や眷属に、道の明らかさを見させようとするからです。その後、数か月して母は再び妊娠し、満十月を経て一人の男の子を生みます。その姿は端正で美しく、世にも稀なほどでしたが、昼に生まれて夜に死んでしまいます。父母は叫び泣き、胸を打ち鳴らして天に向かい、『山の神よ、木の神よ、なぜ私を憐れまないのか。先に生まれた子は手足がなく荒野に捨て、今生まれた子は端正で比類なく天人のようであったのに、今度は昼に生まれ夜に死んでしまった。心肝も断たれる思いだ。どうすればよいのか。』と嘆きます。 さらに数か月して母はまた妊娠し、満十月を経て一人の男の子を生みます。その子は三つの頭、八本の足、四つの目、八本の腕を持ち、見る者は皆、毛を逆立てます。父母と眷属は捨てて去ろうとしますが、菩薩の権現によって去ることができません。父母が尋ねて言います。『お前は天なのか。それとも竜、鬼神、阿修羅、乾闥婆、伽楼羅、緊那羅、摩睺羅伽、人か、あるいは非人なのか。』 その時、生まれた男の子は、父母に次の偈で答えました。」

「『非天、夜叉、鬼， 須倫、迦樓羅；為母除愚闇， 權生父母家。先無手足子， 亦復是我身；朝生若暮死， 八住無上尊。我今受形分， 三頭八手脚；何為捨我去， 經向地獄門？地獄眾苦備， 十八鑊湯沸；一一鑊湯者， 十六隔子圍；受苦無量劫， 求出甚為難。父母愚惑人， 不識真法性，邪見禱神祠， 謂當脫苦難；如火焰熾盛， 益以乾薪草，焚燒善根本， 求滅亦欲難。今我還復體， 現本端正形，道本心堅固， 修習三通慧，從阿僧祇劫， 誓度不度者。守戒不失願， 託生父母家，前後捨身命， 其數如微塵。所可經歷處， 靡不蒙福祐；群品若干種， 行跡各不同。應與歡悅度， 亦以恐畏化；隨彼眾生念， 令復心所願。眾生病非一， 投以甘露藥；趣使入道撿， 不令入邪徑。諸天受福樂， 甘露除病樂；不違聖教樂， 解脫涅槃樂。』

> 「天の者も、夜叉も、鬼も、 須倫（しゅりん）も、迦楼羅（かるら）も。 母の無知を除くために、 仮に父母の家に生まれた。 かつて手足のない子も、 またこれ、この我が身。 朝に生まれ、夕べに死にし者── 八住（はちじゅう）の無上の尊き方よ。 今、我はこの身を受け、 三つの頭、八つの手足を持つ。 なぜ我を捨てて去り、 地獄の門へと向かうのか？ 地獄の苦しみはすべて備わり、 十八の大釜で湯が沸き立つ。 その一つ一つの釜は、 十六の区切りに囲まれている。 無限の劫（こう）の間、苦しみを受け、 そこから出ることは極めて難しい。 父母は愚かで迷える人、 真の法の本質を知らず、 誤った見解で神に祈り、 これで苦難から逃れられると思う。 それはちょうど、激しく燃える火に 乾いた草を加えるようなもの── 善の根を焼き尽くし、 消そうとしても消すのが難しいのだ。 今、我は元の姿に戻り、 本来の端正な形を現す。 道の心はもとより堅固で、 三つの通（つう）の智慧を修め、 阿僧祇劫（あそうぎこう）の昔より 救われざる者を救うと誓った。 戒を守り、願いを失わず、 父母の家に身を托し、 前後に捨てた命の数は 微塵のように数えきれない。 通ったあらゆる場所で、 福の恵みを受けぬ者はいない。 さまざまな種類の生きとし生けるもの、 その歩みはそれぞれ異なる。 喜びで導くべき者には喜びをもって、 恐れをもって教化することもある。 その衆生（しゅじょう）の思いに従い、 心の願いを叶えさせる。 衆生の病は一つではなく、 甘露（かんろ）の薬を施す。 彼らを道の規律に入らせ、 邪な道に入らせない。 天の者は福の楽しみを受け、 甘露は病を除く楽しみ。 聖なる教えに背かない楽しみ、 そして解脱し涅槃（ねはん）に入る楽しみ。」

「爾時菩薩說此偈時，父母宗族及諸來會者，皆發無上平等度意。」

> その時、菩薩がこの詩を唱えると、両親や親族、そして集まった人々は皆、この上なく平等な悟りの境地を目指す心を起こしました。