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title: "大方等大集經 · 3"
description: "大方等大集經是北涼時期著名譯經師曇無讖所譯的重要佛教經典，屬於大乘佛教經典集。該經形成於印度大乘佛教興盛時期，後傳入中國，由曇無讖於5世紀初譯成漢文。內容涵蓋菩薩修行、六度萬行、諸佛淨土及密教儀軌，強調菩薩道的實踐與智慧。經中系統闡述了大乘佛教的空性思想、菩薩戒律及禪定法門，對漢傳佛教的發展影響深遠。作為大集部經典的核心，該經在中國佛教史上佔有重要地位，為研究大乘佛教教義與實踐提供了重要依據，至今仍被視為佛教修行與研究的重要典籍。"
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## 大方等大集經卷第三

> 大方等大集経　巻第三

北涼天竺三藏曇無讖於姑臧譯

> 北涼・天竺三蔵・曇無讖、姑臧にて訳す

### 陀羅尼自在王菩薩品第二之三

> 陀羅尼自在王菩薩品 第二の三

「善男子！如來復有三十二業。何等三十二？

> 「善き男子よ、如来にはさらに三十二の業があります。それはどのような三十二かというと、

「善男子！如來能知是處非處。云何是處？云何非處？善男子！若有造作身口意惡，得受安樂，無有是處，是名非處；若有造作身口意善，受樂果者，斯有是處，是名是處。若習慳貪得大富者無有是處，修行惠施得大富者斯有是處；毀破禁戒得受天身無有是處，護持淨戒得受天身斯有是處；瞋恨之人得身端正無有是處，修集忍辱得身端正斯有是處；懈怠之人得大神通無有是處，勤修精進得大神通斯有是處；放心散亂得定地者無有是處，攝心不亂得定地者斯有是處；愚癡之人斷煩惱氣無有是處，修智之人斷煩惱氣斯有是處。若作五逆得無漏者無有是處，若無五逆得無漏者斯有是處；以女人身作轉輪王無有是處，以男子身得轉輪王斯有是處，帝釋梵王佛亦如是。

> 善きかな、男子よ。如来は「是処」と「非処」とを知り給う。何が是処であり、何が非処であるか。 善きかな、男子よ。もし身・口・意に悪を造りながら、安楽を受けることがあるならば、それはありえないことであり、これを「非処」という。もし身・口・意に善を造り、その果報として楽を受けるならば、それはありうること、これを「是処」という。 慳貪の心を養いながら大富を得ることはありえない。布施を修行して大富を得ることはありうる。 戒律を破りながら天の身を受けることはありえない。清浄な戒律を護持して天の身を受けることはありうる。 瞋恨の心ある者が端正な身を得ることはありえない。忍辱を修めて端正な身を得ることはありうる。 懈怠の者が大神通を得ることはありえない。精進を勤修して大神通を得ることはありうる。 心が放逸で散乱している者が禅定の境地に至ることはありえない。心を摂めて乱さず、禅定の境地に至ることはありうる。 愚癡の者が煩悩の気を断つことはありえない。智慧を修める者が煩悩の気を断つことはありうる。 五逆の罪を犯しながら無漏の境地に至ることはありえない。五逆の罪なくして無漏の境地に至ることはありうる。 女人の身で転輪王となることはありえない。男子の身で転輪王となることはありうる。帝釈天・梵天王・仏陀についても同様である。

「若轉輪王非法治國無有是處，轉輪聖王正法治化斯有是處；欝單曰人墮三惡道無有是處，欝單曰人壽終生天斯有是處；殺生因緣得長壽者無有是處，以是因緣壽命促短斯有是處；若有邪見得聖道者無有是處，若有正見得聖道者斯有是處；須陀洹人得第八有無有是處，須陀洹人即涅槃者亦無是處；阿那含人受欲有身亦無是處，阿羅漢人受後有者無有是處；賢聖之人諮承異師無有是處，得不退忍退菩提者無有是處。

> もし転輪王が法に従わずに国を治めることがあるならば、それはありえないことです。転輪聖王が正しい法をもって治めるならば、それはあるべきことです。 鬱単曰人が三悪道に堕ちるならば、それはありえないことです。鬱単曰人が寿命を終えて天に生まれるならば、それはあるべきことです。 殺生の因縁によって長寿を得るならば、それはありえないことです。そのような因縁によって寿命が短くなるならば、それはあるべきことです。 もし邪見をもって聖なる道を得るならば、それはありえないことです。もし正見をもって聖なる道を得るならば、それはあるべきことです。 須陀洹人が第八の生存を得るならば、それはありえないことです。須陀洹人がただちに涅槃に入ることも、またありえないことです。 阿那含人が欲界の身を受けることも、またありえないことです。阿羅漢人が次の生存を受けるならば、それはありえないことです。 賢聖の人が異なる師に教えを請うならば、それはありえないことです。不退の忍びを得た者が菩提から退くならば、それはありえないことです。

「菩薩坐於菩提樹下，不得菩提而起去者無有是處，如來若有煩惱習者亦無是處。諸佛、世尊知有障礙無有是處，若有能見如來頂者亦無是處；若有眾生能知如來心境界者無有是處，如來之心不常定者亦無是處；如來世尊有二語者無有是處，如來世尊有過失者亦無是處。

> 菩薩が菩提樹の下に座し、菩提を得ずして立ち去るということはありえません。如来に煩悩の習気があるということもありえません。諸仏、世尊に障礙を知ることがあるということもありえません。如来の頂を見ることができるということもありえません。衆生が如来の心の境界を知ることができるということもありえません。如来の心が常に定まっていないということもありえません。如来世尊に二つの言葉があるということもありえません。如来世尊に過失があるということもありえません。

「善男子！是名如來第一之業。」

> 善きかな男子よ、これこそが如来の第一の功業である。

爾時，世尊即說頌曰：

> その時、世尊は次の偈を説かれました。

「大地可說動轉相， 猛風可說停住相，虛空可說有色相， 佛不說處為非處，虛空可說作界像， 佛不說處為非處。如來演說處非處， 下中上分悉真實，不說是處非處一， 如是二處各無二。如來亦說下中上， 各各無有三種相，佛知是處非處已， 故能宣說無上法。如來了知眾生心， 善能分別細微相，沙門梵志闇處行， 不知是處非處因。眾生不知處非處， 是故不能得解脫，如來悉知處非處， 是故稱為無上尊。若諸眾生無法器， 如來於是修捨心，設大方便待時節， 為令彼得真解脫。如來世尊智無上， 是則名為第一法，如是清淨第一業， 為令眾生得調伏。如來說是第一力， 甚深難測無能知，如是妙法難可宣， 為破邪見憐愍說。

> 大地が揺れ動くと言われようとも、 猛風が止まると言われようとも、 虚空に色があると言われようとも、 仏は誤ったことを説くことはない。 虚空に形があると言われようとも、 仏は誤ったことを説くことはない。 如来が説く道理は、 下・中・上のすべてが真実である。 一つの道理が二つであるとは説かず、 この二つはそれぞれ別々ではない。 如来は下・中・上を説くが、 それぞれに三つの相はない。 仏は道理を知り尽くしたゆえに、 無上の法を説くことができる。 如来は衆生の心を知り、 微細な相をよく見分ける。 沙門や梵志が暗闇を行くように、 道理を知る因を知らない。 衆生は道理を知らないゆえに、 解脱を得ることができない。 如来は道理を悉く知るゆえに、 無上の尊と呼ばれる。 もし衆生に法を受け入れる器がなければ、 如来は捨てる心を修め、 大いなる方便をもって時を待ち、 彼らが真の解脱を得られるようにする。 如来世尊の智慧は無上であり、 これが第一の法と呼ばれる。 この清浄なる第一の業は、 衆生を調伏させるためである。 如来が説くこの第一の力は、 深く測りがたく、誰も知ることができない。 この妙なる法は説き難いが、 邪見を破るために憐れみをもって説かれる。

「復次，善男子！如來、世尊善知去來現在眾生所有諸業，知業知報，知恩知處。若過去業是不善因，如來知是未來之世得不善果。若未來業有退因緣，如來了知實是退因。若未來業能增長法，如來悉知以是因緣能增長法。若現在業若進若退，如來悉知以是因緣有進有退。若有作業是聲聞因、是緣覺因、是菩薩因、是如來因，如來悉知以是因緣，是聲聞因、是緣覺因、是菩薩因、是如來因，是名如來第二之業。」

> さらに、善男子よ。如来・世尊は、過去・未来・現在のすべての衆生の業をよく知り、業を知り、報いを知り、因を知り、果を知っておられる。 もし過去の業が不善の因であるならば、如来はそれが未来の世に不善の果をもたらすことを知っておられる。 もし未来の業に退転する因縁があるならば、如来はそれがまさしく退転の因であることを了知しておられる。 もし未来の業が法を増長させる力を持つならば、如来はその因縁によって法が増長することをすべて知っておられる。 もし現在の業が進むものであれ退くものであれ、如来はその因縁によって進退があることをすべて知っておられる。 もし為される業が声聞の因であり、縁覚の因であり、菩薩の因であり、如来の因であるならば、如来はその因縁によって、それが声聞の因であり、縁覚の因であり、菩薩の因であり、如来の因であることをすべて知っておられる。 これを、如来の第二の業というのである。

爾時，世尊復說頌曰：

> その時、世尊は再び偈を説かれた。

「如來獲得無上智， 是故能知業因果，智知三世非三攝， 能知眾生三世業，善解眾生安樂因， 亦能了知苦惱因。如來壞邪無因果， 是故修集第二業，通達進退二法因， 善惡業果亦復然。如來知見無障礙， 如觀掌中菴羅果，知下中上真實相， 三乘所因亦復然。如來善知眾生業， 亦知善惡諸業果，眾生業果三世攝， 知見不謬名正覺。

> 如来は無上の智慧を得られました。 それゆえ、業とその因果を知ることができます。 智慧は三世を知りながら、三つの範疇に囚われず、 衆生の三世にわたる業を見通されます。 衆生の安楽の因を善く理解し、 また苦悩の因をも明らかにされます。 如来は邪な無因果論を打ち破り、 それゆえ第二の業（正しい行い）を修め集められます。 進む道と退く道、二つの法の因を通達し、 善悪の業果についても同様に明らかにされます。 如来の知見には何の障りもなく、 掌中の菴羅果を見るがごとく明らかです。 下・中・上の真実の相を知り、 三乗の根拠となる因も同様に知っておられます。 如来は衆生の業を善く知り、 また善悪の諸業果をも知っておられます。 衆生の業果は三世にわたって含まれるものであり、 知見に誤りなき方を正覚と名づけます。

「復次，善男子！如來、世尊知諸眾生種種欲解，若貪欲、若瞋恚、若愚癡，現在世貪起未來世貪恚愚癡，現在世瞋起未來世貪瞋恚癡，現在世癡起未來世貪瞋恚癡，如來悉知。現在住善欲未來惡欲，現在住惡欲未來善欲，如來悉知。現在住下欲，未來世下中上分；現在住中欲，未來世下中上分；現在住上欲，未來世下中上分；如來悉知。邪聚眾生能作正聚，不定眾生住於正定，如來悉知。欲界眾生，有色無色界欲解；知聲聞人，有緣覺欲解，有佛欲解；如來真實通達知故而為說法，是名如來第三之業。」

> さらに、善き男子よ、如来・世尊は、あらゆる衆生の種々の欲望と理解を知っておられる。もし貪欲、もし瞋恚、もし愚痴があれば、現在世の貪りが未来世の貪り・瞋恚・愚痴を引き起こし、現在世の瞋恚が未来世の貪り・瞋恚・愚痴を引き起こし、現在世の愚痴が未来世の貪り・瞋恚・愚痴を引き起こすことを、如来はすべて知っておられる。現在に善い欲望に住する者が未来に悪い欲望を持つこと、現在に悪い欲望に住する者が未来に善い欲望を持つことを、如来はすべて知っておられる。現在に下等な欲望に住する者が、未来世に下・中・上の段階を持つこと、現在に中等な欲望に住する者が、未来世に下・中・上の段階を持つこと、現在に上等な欲望に住する者が、未来世に下・中・上の段階を持つことを、如来はすべて知っておられる。邪な集まりに属する衆生が正しい集まりをなすことができること、定まらない衆生が正しい定めに住することを、如来はすべて知っておられる。欲界の衆生が、色界や無色界の欲望と理解を持つこと、声聞の人が、縁覚の欲望と理解を持ち、仏の欲望と理解を持つことを、如来は真実に通達して知っておられるゆえに、説法をなされる。これを如来の第三の業と名づけるのである。

爾時，世尊即說頌曰：

> その時、世尊は偈を説かれた。

「眾生欲解有種種， 其意若干非一徒，如來真實知諸欲， 故能隨意演說法。貪欲瞋恚愚癡性， 隨相而知無顛倒，下中上品亦如是， 善惡業因果真實。通達三聚無有定， 一切三乘亦復然，智知三世非三攝， 為諸眾生說三力。

> 衆生の理解には様々なあり方があり、 その心のありようは一様ではありません。 如来は真実をもって諸々の欲求を知り、 それゆえに衆生の心に応じて法を説くのです。 貪りや怒り、愚かさの性質も、 その姿に従って正しく知り、 下・中・上と段階があっても同じく、 善悪の業とその果報は真実です。 三つの集まり（三聚）も定まったものではなく、 すべての三乗の教えもまた同じ。 智慧は三世を知りながら三に縛られず、 衆生のために三つの力を説くのです。

「復次，善男子！如來悉知無量世界，若修善行，若行惡法，若無礙行。云何名知？內空、外空、內外空故。

> また、善き男子よ、如来は無量の世界をすべて知っておられる。善行を修める者も、悪法を行う者も、無碍の行を行う者も。どうして知ることができるのか。内が空であり、外が空であり、内外ともに空であるからである。

「復次，如來知眼、知色及知眼識。云何而知？如虛空故。

> さらに、如来は眼を知り、色を知り、眼識を知ることを知っておられる。どのようにして知るのか。虚空のようであるからである。

「復次如來知欲色界及無色界。云何而知？如覺觀故。

> さらに、如来は欲界、色界、無色界を知る。どのようにして知るのか。それは覚観によってである。

「復次，如來知於行界。云何而知？如行性故。

> さらに、如来は行の世界を知る。どうして知るのか？行の本性がそうであるからだ。

「復次，如來知煩惱界。云何而知？客塵性故。

> また、如来は煩悩の世界を知っている。どうして知るのか？それは客塵の性質だからである。

「復次，如來知不污界。云何而知？一切諸法性本淨故。

> さらに、如来は汚れなき世界を知る。どのように知るのか？一切の諸法の本性が本来清浄であるからである。

「復次，如來知生死界。云何而知？無明緣故。

> さらに、如来は生死の世界を知っておられます。どのように知るのでしょうか？無明が縁となるからです。

「復次，如來知涅槃界。云何而知？實思惟故。

> また、如来は涅槃の境地を知っています。どうして知るのでしょうか？真実を正しく思惟するからです。

「復次，如來知世住界，知世愛界，知世瞋界，知世癡界，知世淨界，知世淨心界，以知界故能實說法，是名如來第四之業。」

> さらに、如来は世の住む界を知り、世の愛する界を知り、世の怒る界を知り、世の迷う界を知り、世の清らかな界を知り、世の清らかな心の界を知ります。このように界を知るゆえに、真実の法を説くことができ、これを如来の第四の業といいます。

爾時，世尊即說頌曰：

> その時、世尊は偈を説かれた。

「如來人中師子王， 能真實知眾生界，如來智慧無有邊， 是故能知世無邊。知善惡行解脫行， 亦知眼色眼識行，通達一切無量法， 其性本來常清淨。內外真實無所有， 五陰諸入十八界，身口意業及四大， 如是諸法悉無實。知如是等眾生界， 皆悉同於虛空境，三界性相無真實， 諸煩惱界亦如是。煩惱性相無堅牢， 無漏解脫亦復然，如來雖知真實界， 終不言知而生慢。虛空無量無邊際， 一切眾生界亦然，如來智慧無邊際， 遠離三種有為相。佛智無上甚深奧， 一切眾生不能知，如來憐愍眾生故， 宣說如是第四力。

> 如来は人の中の師子王、 真実をもって衆生の世界を知り尽くす。 如来の智慧は限りなく、 ゆえに世の果てを知る。 善悪の行いも解き放たれる行いも知り、 眼と色と眼識の働きも知る。 すべての無量の法に通達し、 その本性はもとより常に清浄である。 内も外も真実はなく、 五蘊、諸入、十八界、 身口意の業と四大、 これらすべての法は実体がない。 このような衆生の世界を知り、 すべてが虚空の境と同じであると知る。 三界の性相も真実ではなく、 諸々の煩悩の世界もまたそうである。 煩悩の性相は堅固でなく、 無漏の解脱もまた同じ。 如来は真実の世界を知りながらも、 知ったと慢心を起こすことはない。 虚空は無量で果てがなく、 すべての衆生の世界もまたそうである。 如来の智慧は果てしなく、 三種の有為の相から遠く離れている。 仏の智慧は無上で深遠であり、 すべての衆生は知ることができない。 如来は衆生を憐れむゆえに、 この第四の力を説き示す。

「復次，善男子！如來善知一切眾生諸根利鈍。云何而知？知上中下，知增知減，亦知貪欲有一億種、瞋恚愚癡各一億種。知貪欲重、知貪欲輕，知瞋恚重、知瞋恚輕，知愚癡重、知愚癡輕，知一種根能增生死，知一種根能減生死。了知善根、知不善根、知非善非不善根，知解脫根、知六情根、男根、女根、命根、苦根、樂根、憂根、喜根、捨根、信根、進根、念根、定根、慧根、未知欲知根、知根、知已根。知眼根因乃至意根因，知耳根因作眼根緣，知鼻根因作舌根緣，知舌根因作身根緣，知戒莊嚴能修於施，知施莊嚴能修於戒。如來悉知誰可說施，誰可說戒，乃至智慧亦復如是。知誰可為說四念處，乃至八聖道分。誰可為說聲聞之乘、辟支佛乘、無上佛乘。知緣覺根學聲聞乘，知正覺根學聲聞乘、辟支佛乘。知下根人能修上根，上根之人修於下根。知眾生根未可調者，則生捨心，可調伏者為說正法。如來悉知熟不熟相、不熟熟相、不熟不熟相、熟有熟相。知生死根，知解脫根，知莊嚴根，知具足根，一切根性因緣果報，悉知悉見，是名如來第五之業。」

> さらに、善男子よ。如来は一切衆生の諸根の利鈍を善く知っておられる。どのようにして知るのか。上・中・下を知り、増えることも減ることも知り、また貪欲に一億の種類があり、瞋恚と愚癡にもそれぞれ一億の種類があることを知っておられる。貪欲の重さを知り、貪欲の軽さを知り、瞋恚の重さを知り、瞋恚の軽さを知り、愚癡の重さを知り、愚癡の軽さを知る。一つの根が生死を増やすことができることを知り、一つの根が生死を減らすことができることを知る。善根を知り、不善根を知り、善でも不善でもない根を知り、解脱の根を知り、六情の根、男根、女根、命根、苦根、楽根、憂根、喜根、捨根、信根、進根、念根、定根、慧根、未知欲知根、知根、知已根を知っておられる。眼根の因から意根の因に至るまでを知り、耳根の因が眼根の縁となることを知り、鼻根の因が舌根の縁となることを知り、舌根の因が身根の縁となることを知る。戒の荘厳が布施を修めることができることを知り、布施の荘厳が戒を修めることができることを知る。如来は誰に布施を説くべきか、誰に戒を説くべきかをことごとく知っておられ、智慧に至るまで同様である。誰に四念処を説くべきか、八聖道分を説くべきかを知っておられる。誰に声聞の乗を説くべきか、辟支仏乗を説くべきか、無上の仏乗を説くべきかを知っておられる。縁覚の根が声聞乗を学ぶことを知り、正覚の根が声聞乗、辟支仏乗を学ぶことを知る。下根の人でも上根を修めることができることを知り、上根の人でも下根を修めることができることを知る。衆生の根がまだ調えられない者には捨てる心を起こし、調えられる者には正法を説かれる。如来は熟した相と熟さない相、熟さない相が熟した相となること、熟さない相が熟さないままであること、熟した相が熟した相であることをことごとく知っておられる。生死の根を知り、解脱の根を知り、荘厳の根を知り、具足の根を知る。一切の根性の因縁果報をことごとく知り、ことごとく見ておられる。これを如来の第五の業と名づけるのである。

爾時，世尊即說頌曰：

> その時、世尊は偈を説かれた。

「如來知根到彼岸， 故知眾生種種解，亦了知根下中上， 并及諸業亦如是，亦知煩惱輕重相， 及知諸根難易調。知樂生死及解脫， 了知眼根至意根，知根行處及滅處， 了知一切三乘根，有可轉者不可轉， 知眾生根熟不熟，隨其意種為說法， 善知呵責軟語調。知有不受教誨者， 則於其人修捨心，如來善知諸方便， 為破煩惱莊嚴智，為破眾生煩惱故， 演說如來第五業。

> 如来は、衆生の根機が彼岸に至ることを知り、 故に、衆生のさまざまな理解を知る。 また、根機の下・中・上を明らかに知り、 それらの業も同様に知る。 また、煩悩の軽重の相を知り、 さらに、諸根が調えやすいか難しいかを知る。 生死に執着する心と解脱を知り、 眼根から意根に至るまでを明らかに知る。 根機の行くところと滅するところを知り、 一切の三乗の根機を明らかに知る。 転じうる者と転じがたい者があり、 衆生の根機が熟しているか否かを知る。 その意の種に従って説法し、 呵責と柔和な言葉で調えることを善く知る。 教えを受け入れぬ者があることを知り、 その人に対しては捨てる心を修める。 如来は諸方便を善く知り、 煩悩を破るために智慧を荘厳し、 衆生の煩悩を破るために、 如来の第五の業を説き明かす。

「復次，善男子！如來真實知至處道。云何而知？知正定聚，知邪定聚及不定聚，知於因力及果報力，知過去世福德因緣，知現在世莊嚴因緣難調易調，略說廣解廣說略解。知是眾生能得解脫、不得解脫，知不定者遇善知識住正定聚，不得善友則無解脫。如來知已，隨其意趣而為說法，彼聞法已，繫念思惟獲得善果。如來出世惟為不定，終不為彼邪定說法。何以故？非是器故，不能獲得真解脫故，是名如來於是人所修集捨心。菩薩摩訶薩真實知已勤修莊嚴，為破如是邪定眾生，是故菩薩發阿耨多羅三藐三菩提心。

> さらに、善き男子よ、如来は真実に、至るべき道を知っておられる。どのようにして知るのか。正定聚（しょうじょうじゅ）を知り、邪定聚（じゃじょうじゅ）及び不定聚（ふじょうじゅ）を知る。因の力と果報の力を知り、過去世における福徳の因縁を知り、現在世における荘厳の因縁が調伏し難いか易いかを知る。略説を広く解し、広説を略かに解することを知る。この衆生は解脱を得ることができ、あるいは得られないことを知り、不定の者が善知識に遇えば正定聚に住し、善友を得なければ解脱がないことを知る。如来はこれを知って、その意の趣くままに説法し、彼らは法を聞いて、心をとどめて思惟し、善き果を得る。如来の出世はただ不定の者のためであり、決して邪定の者には説法しない。なぜなら、それらは器ではないからであり、真の解脱を得ることができないからである。これを如来がその人に対して修集する捨心という。菩薩摩訶薩は真実に知って、勤めて荘厳を修め、このような邪定の衆生を破るために、阿耨多羅三藐三菩提心を発するのである。

「如來善知貪有三種：一者、因見淨故；二者、受因緣故；三者、本因緣故。瞋有三種：一者、瞋因緣故；二者、受因緣故；三者、本因緣故。癡亦三種：一者、無明因緣；二者、我見因緣；三者、疑網因緣。

> 如来は、貪りには三つの種類があることをよく知っておられます。 一つは、清らかだと見なすことから生じる貪り。 二つは、感受を原因とする貪り。 三つは、根本的な原因による貪りです。 怒りにも三つの種類があります。 一つは、怒りの原因となる縁から生じる怒り。 二つは、感受を原因とする怒り。 三つは、根本的な原因による怒りです。 無知にも三つの種類があります。 一つは、無明を原因とする無知。 二つは、我執を原因とする無知。 三つは、疑いの網を原因とする無知です。

「復次，如來知諸眾生苦遲得通、苦速得通，知苦遲者能得樂速，知樂速者能得苦遲，知樂遲者能得樂速。知有修力、知有智力，又知有道具足修力不具智力，有具智力不具修力，有具修力及以智力，不具修力不具智力。又知有道能作淨心不能莊嚴，有能莊嚴不能淨心，有作淨心能具莊嚴，有不具淨心不具莊嚴。又知有道能淨其身不淨口意，有淨口意不淨其身，有身口意淨，有身口意不淨，是名如來第六之業。」

> さらに、如来は、あらゆる衆生が苦しみながらも遅く神通を得る者、苦しみながらも速やかに神通を得る者を知り、苦しみながら遅く得る者が楽を得て速やかになることを知り、楽を得て速やかな者が苦しみながら遅くなることを知り、楽を得て遅い者が楽を得て速やかになることを知ります。 また、修行の力があることを知り、智慧の力があることを知り、さらに、修行の力は備わっているが智慧の力が備わっていない者、智慧の力は備わっているが修行の力が備わっていない者、修行の力と智慧の力の両方が備わっている者、修行の力も智慧の力も備わっていない者を知ります。 また、道があって心を清めることはできるが、それを飾り立てることができない者、飾り立てることはできるが心を清めることができない者、心を清め、かつ飾り立てることができる者、心を清めることも飾り立てることもできない者を知ります。 また、道があって身を清めることはできるが、口と意を清めることができない者、口と意を清めることはできるが、身を清めることができない者、身・口・意のすべてを清める者、身・口・意のすべてを清めない者を知ります。これを、如来の第六の業といいます。

爾時，世尊即說頌曰：

> その時、世尊は偈を説かれた。

「如來善知所至處， 亦知眾生諸因緣，亦能了知定不定， 通達明曉調不調。不為邪定演說法， 亦不調伏下根者，知貪瞋癡三種說， 亦知諸結輕重相，知於四道轉不轉， 是故佛知道畢竟。修力智力真實知， 下中上力亦如是，知身口意淨不淨， 心及莊嚴亦復然。眾生諸根煩惱界， 如來知已為破壞，為彼無明闇眾生， 宣說如來第六業。

> 如来は善く知る、至るべき処を。 また知る、衆生の諸因縁を。 定まるものと定まらざるものも、明らかに知り、 調うものと調わざるものも、通達して明らかにする。 邪なる定に陥った者には法を説かず、 また下根の者を無理に調伏することもない。 貪り・怒り・愚かさの三種の説を知り、 また諸々の煩悩の軽重の相をも知る。 四つの道において転ずるか否かを知るゆえに、 仏は道を究竟に知るのである。 修行の力、智慧の力を真実に知り、 下・中・上の力もまた同様に知る。 身・口・意の清浄と不浄を知り、 心とその荘厳もまた同じく知る。 衆生の諸根と煩悩の界を、 如来は知りて、これを破壊するために。 無明の闇に覆われた衆生のために、 如来の第六の業を宣説するのである。

「復次，善男子！如來知禪解脫三昧煩惱解脫。云何而知？知諸眾生以因緣故貪樂生死，以因緣故貪樂涅槃。云何名因？云何名緣？若諸眾生思惟不善，是名生死因緣。因不善思惟故生長無明，是故不善為因、無明為緣。因無明故則生於行，是故無明為因、諸行為緣。因諸行故則生於識，是故行則為因、識則為緣。因識故則生名色，是故識則為因、名色為緣。因名色故則生六入，是故名色為因、六入為緣。因六入故則生於觸，是故六入為因、觸則為緣。因觸生受，是故觸則為因、受則為緣。因受生愛，是故受則為因、愛則為緣。因愛生取，是故愛則為因、取則為緣。因取生有，是故取則為因、有則為緣。因有生生，是故有則為因、生則為緣。因生則有老死等苦，是故生則為因、老死為緣。煩惱為因、諸業為緣，諸見為因、愛結為緣，煩惱為因、五蓋為緣，是名為因、是名為緣，而諸眾生以是因緣貪樂生死。

> さらに、善き男子よ、如来は禅定と解脱と三昧、煩悩と解脱とを知っておられる。どのように知っておられるのか。如来は、衆生が因と縁によって生死に執着し、また因と縁によって涅槃に執着することを知っておられるのである。 何を因といい、何を縁というのか。もし衆生が不善なる思いをめぐらすならば、これが生死の因縁である。不善なる思いを因として無明が生じ育つ。ゆえに、不善が因であり、無明が縁となる。無明を因として諸行が生じる。ゆえに、無明が因であり、諸行が縁となる。諸行を因として識が生じる。ゆえに、行が因であり、識が縁となる。識を因として名色が生じる。ゆえに、識が因であり、名色が縁となる。名色を因として六入が生じる。ゆえに、名色が因であり、六入が縁となる。六入を因として触が生じる。ゆえに、六入が因であり、触が縁となる。触を因として受が生じる。ゆえに、触が因であり、受が縁となる。受を因として愛が生じる。ゆえに、受が因であり、愛が縁となる。愛を因として取が生じる。ゆえに、愛が因であり、取が縁となる。取を因として有が生じる。ゆえに、取が因であり、有が縁となる。有を因として生が生じる。ゆえに、有が因であり、生が縁となる。生を因として老死などの苦しみが生じる。ゆえに、生が因であり、老死が縁となる。 煩悩が因であり、諸々の業が縁となる。諸々の見解が因であり、愛着の結びつきが縁となる。煩悩が因であり、五蓋が縁となる。これらを因といい、縁というのである。そして、衆生はこのような因と縁によって、生死に執着するのである。

「何因緣故貪樂涅槃。有二因、二緣，令諸眾生樂於涅槃：一者、樂喜聽法；二者、樂正思惟。復有二種：一者、舍摩他；二者、毘婆舍那。復有二種：一者、不去智；二者、不來智。復有二種：一者、觀生死；二者、觀涅槃。復有二種：一者、如法持；二者、得證。復有二種：一者、修解脫門；二者、得解脫果。復有二種：一者、盡智；二者、無生智。復有二種：一者、諦智；二者、觀十二因緣。是名為因、是名為緣。而諸眾生以是因緣樂於涅槃，如來悉知如是等禪三昧解脫，既了知已，捨離欲惡不善之法，有觀有覺離生喜樂入於初禪，入初禪出滅定，入滅定出初禪，乃至八解脫亦復如是。

> いかなる因縁によって、涅槃を貪り楽しむのか。 二つの因と二つの縁があり、それによってすべての衆生は涅槃を楽しむ。 第一に、法を聞くことを喜び楽しむこと。 第二に、正しく思惟することを楽しむこと。 さらに二つある。 第一に、奢摩他（心を静めること）。 第二に、毘婆舎那（観察すること）。 さらに二つある。 第一に、去らない智。 第二に、来ない智。 さらに二つある。 第一に、生死を観ること。 第二に、涅槃を観ること。 さらに二つある。 第一に、法のままに保つこと。 第二に、証を得ること。 さらに二つある。 第一に、解脱の門を修めること。 第二に、解脱の果を得ること。 さらに二つある。 第一に、尽智（煩悩が尽きた智）。 第二に、無生智（生まれない智）。 さらに二つある。 第一に、諦の智（真理を見る智）。 第二に、十二因縁を観ること。 これらを因といい、縁という。 すべての衆生はこのような因縁によって涅槃を楽しむ。 如来はこのような禅定、三昧、解脱をことごとく知り、知り終わったならば、欲や悪しき不善の法を捨て離れ、観があり覚めがあり、離れて生じる喜びと楽しみをもって初禅に入る。 初禅に入り、滅尽定から出て、滅尽定に入り、初禅から出る。 八解脱に至るまで、これもまた同様である。

「一切眾生悉不能知如來、世尊出入之處，如來悉知住定平等，及以上下。眾生謂佛入一三昧，而佛實入一切三昧；眾生見佛起一切定，而佛實入一定三昧。如來三昧無有次第然非不定，一切聲聞緣覺菩薩悉不能知。如來又知說法因緣得聲聞三昧，說法因緣得緣覺三昧，說法因緣得菩薩三昧，知已隨意而為演說，是名如來第七之業。」

> 一切の衆生は、如来・世尊がどこから現れ、どこへと入られるかを知ることができません。如来は、禅定に入ることも出ることも、すべて平等であり、上下の区別なく自在であることをご存じです。 衆生は、仏が一つの三昧に入られたと思いながら、実は仏はあらゆる三昧に入っておられます。また、衆生は仏があらゆる禅定から立ち上がられたと見るけれども、仏は実際には一つの三昧に入っておられるのです。 如来の三昧には順序がなく、しかも定まらないということもありません。しかし、すべての声聞、縁覚、菩薩でさえ、これを知ることはできません。 如来はさらに、説法の縁によって声聞の三昧が得られること、説法の縁によって縁覚の三昧が得られること、説法の縁によって菩薩の三昧が得られることをご存じです。それを知った上で、衆生に応じて自在に説法をなさいます。これが、如来の第七の業と呼ばれるものです。

爾時，世尊即說頌曰：

「如來了知生死因， 亦復通達解脫因，既了知已為說法， 破壞生死不善因。不善思惟無明因， 無明因緣長生死，煩惱因緣受業果， 諸見因緣增愛結。若得親近善知識， 至心聽受無上法，觀察內外空三昧， 即能越度生死海。修集無上定智慧， 觀法平等無去來。若能觀見無出滅， 即得了了寂靜眼。修集無上三脫門， 具足盡智無生智，既自獲得無礙智， 復能為諸眾生說。入於初禪出滅定， 入於滅定隨意出，如來三昧無次第， 是故名為常在定。如來所入種種定， 與諸法界無差別，二乘不知佛住處， 菩薩不知甚深定，眾生常行無明闇， 不知如來入出處，無上世尊憐眾生， 是故宣說第七業。

> 如来は生死の因を知り、 また解脱の因も通達している。 知り終えて法を説き、 生死の不善なる因を破壊する。 不善なる思惟は無明の因であり、 無明の縁によって生死は長くなる。 煩悩の縁によって業果を受け、 諸々の見解の縁によって愛着の結びは増す。 もし善知識に親近し、 至心で無上の法を聴き受け、 内外の空三昧を観察すれば、 生死の海を越えることができる。 無上の定と智慧を修め集め、 法の平等、去来なきことを観る。 もし出ずるも滅するもなきことを観見すれば、 明らかに寂静の眼を得る。 無上の三つの解脱の門を修め集め、 尽智と無生智を具足する。 自ら無碍の智を得たならば、 また諸々の衆生のために説くことができる。 初禅に入り、滅定より出で、 滅定に入り、意のままに出る。 如来の三昧には次第なく、 それゆえに常に定にあると名づけられる。 如来の入る種々の定は、 諸法の界と差別がない。 二乗は仏の住処を知らず、 菩薩も深き定を知らない。 衆生は常に無明の闇を行い、 如来の入り出ずる処を知らない。 無上の世尊は衆生を憐れみ、 それゆえに第七の業を宣説する。

「復次，善男子！如來善知自身所有過去世業，若一生二生至無量生，一災二災至無量災，一劫二劫至無量劫，憶念生名、種姓、飲食、色貌形質、苦樂壽命，是諸眾生造是業因得此有身。念他有滅生於他有。如自身，他亦如是，亦知眾生所有業因，是諸眾生造是業因得他有身。知眾生心及因緣，是心滅已次第生心，如是等事恒沙眾生所不能知。佛宿命智悉知三世無有始終，如是智慧不可稱量，勸諸眾生汝今當念，過去世中所更善惡，以佛力故悉得憶念，往昔所種無量善根，若佛邊種、若於聲聞緣覺邊種。既憶念已，如來即為隨意說法令不退轉，是名如來第八之業。」

爾時，世尊即說頌曰：

「如來憶念無量世， 若自若他善惡業，明見無量劫中事， 猶觀掌中菴羅果。種姓生名悉能知， 色劫生滅亦如是，亦知壽命及住處， 善惡業因亦復然。知眾無量次第心， 及知心因生滅處，遍知無量劫中生， 亦不盡於無礙智。佛智無量不可稱， 二乘不知其境界，為令眾生念過去， 隨意宣說第八業。

「復次，善男子！如來天眼清淨微妙，見諸眾生生滅墮落，若受善色若受惡色，若生善有若生惡有，亦能明了知諸業因。知是眾生身口意惡，誹謗聖人增長邪見，以惡業故捨此身已即墮地獄。知是眾生身口意善，不謗聖人增長正見，以是業緣捨此身已即生善有。如來天眼能見十方諸佛世界，無有邊際猶如虛空，無有限量猶如法界。悉見眾生生時滅時，見諸世界成時壞時，亦知眾生發菩提心生時滅時，見一切佛始成正覺、轉正法輪、入涅槃時。見諸聲聞證得解脫，得解脫已取涅槃時。見諸緣覺以神通力，報諸眾生信施恩時。如是等事，一切五通聲聞緣覺及諸菩薩所不能見。如來天眼成就如是無量功德，以天眼故觀諸眾生，誰應為佛之所化度，誰復應為聲聞緣覺之所化度。若應從佛而得度者，如來即為示現其身，其餘眾生悉無見者，是名如來第九之業。」

爾時，世尊即說頌曰：

「無量劫中修善業， 獲得如是淨天眼，能見十方諸眾生， 具足成就善惡色。見上中下諸眾生， 亦見受於善惡有，能知身口意善業， 業因所得諸果報。亦知聲聞辟支佛， 菩薩之人善法境，見十方佛破魔兵， 轉正法輪入涅槃。見諸聲聞得解脫， 教化眾生取滅度，見辟支佛示神通， 以報施主之恩德。如來所說真實法， 聞已能度生死海，聲聞緣覺及菩薩， 不能知佛所見處。如來覩見細微塵， 亦見無量無邊界，如來教化佛所度， 是故宣說第九業。

「復次，善男子！如來、世尊知諸漏盡畢竟解脫，我生已盡梵行已立，所作已辦更無後有。佛漏盡智清淨微妙，言清淨者無諸習氣，聲聞之智有邊有量。何以故？有習氣故。辟支佛智亦有邊量。何以故？無大悲故。佛漏盡智無量無邊。何以故？知一切行故，具足成就一切智故，永斷一切諸習氣故，攝取大慈大悲，莊嚴四無所畏，於一切法無取相習，一切世間所不能勝，行住坐臥無諸過失。猶如虛空清淨明了不雜煙雲，佛漏盡智亦復如是，不雜一切諸煩惱習。如來成就清淨具足是漏盡智，能為眾生敷揚宣說，令彼聞者斷諸煩惱，菩薩聞已發大莊嚴為斷煩惱，是名如來第十之業。」

爾時，世尊即說頌曰：

「佛漏盡智無有邊， 清淨不雜煩惱習，聲聞緣覺習結氣， 是故漏盡智不淨。如來具足大慈悲， 是故其智無邊際，具足成就一切行， 故知眾生漏行處。所可演說無常我， 令眾生知空無樂，修善思惟得淨眼， 知無眾生無士夫。大悲憐愍諸眾生， 具足十力四無畏，為斷煩惱智無礙， 是故宣說第十業。

「復次，善男子！如來具足四無所畏，成如來業；如來業者，悉已覺知一切諸法。若天、若人、若魔、若梵、若沙門、若婆羅門，如實而言如來不覺不知法者，無有是處。何以故？如來、世尊名為正覺，覺平等法。若凡夫法、若聖人法、若聲聞法、若緣覺法、若菩薩法、若佛法、若學法、若無學法、若世法、若出世法、若善法、若不善法、若有漏法、若無漏法、若有為法、若無為法，如是等法平等覺知，故名正覺。言平等者，見空平等，法真實故；無相平等，壞諸相故；無願平等，不著三界故；不生平等，無生性故；無行平等，無行性故；無出平等，無出性故；無至處平等，無至處性故；真實平等，無三世性故；智解脫平等，無無明性故；涅槃平等，無生死性故；見如是法皆悉平等，是故如來名為正覺。如是觀已，以大慈悲為諸眾生稱揚宣說，若非世尊作世尊想，若非正覺作正覺想，若非漏盡作漏盡想。如來具足四無所畏，能壞如是諸惡想等，是名如來第十一業。」

爾時，世尊即說頌曰：

「佛知一切法平等， 是故得名一切智，凡聖菩薩及佛業， 世與出世善惡業。空無相願無生滅， 一切悉見其真實，如來悉見平等故， 為眾演說十一業。

「復次，善男子！如來真實永盡諸漏，是故唱言我盡諸漏，我都不見人、天、魔、梵、沙門、婆羅門，真實而言佛漏未盡。云何名為如來漏盡？佛於欲漏心得解脫，有漏、無明漏，一切習氣、一切見漏，心得解脫，是故如來名為漏盡。第一義中聖人真知，無覺無斷無證無修，為流布故說言盡漏。何以故？盡者即是無生無滅，無盡者不可宣說，不可說故名之無為，夫無為者無出滅住。佛若出世不出於世法性常住，如來不覺我及我斷，如來住於大慈大悲，為眾生故宣說我斷，是名如來第十二業。」

爾時，世尊即說頌曰：

「如來永斷諸漏結， 及以無邊諸習氣，是故世法不能污， 如花處水泥不著。大悲人中師子王， 為眾生故說流布，真實而知無出滅， 無我我所亦復然。一切諸法無增減， 隨其性相真實說，如來得大自在力， 為眾故說十二業。

「復次，善男子！如來真實說遮道法，我都不見人、天、魔、梵、沙門、婆羅門，說言是法不能遮。云何名遮？云何不遮？有一法能遮道，所謂放逸。復有二法：所謂無慚、無愧。復有三法：謂身、口、意惡。復有四法：所謂欲、瞋、怖、癡。復有五法：所謂殺生、偷盜、婬泆、妄語、飲酒。復有六法：所謂不敬佛、法、僧、戒、三昧、不放逸。復有七法：一者、慢；二者、大慢；三者、慢慢；四者、邪慢；五者、邪語；六者、邪命；七者、邪念。復有八法：一者、邪見；二者、邪思惟；三者、邪語；四者、邪業；五者、邪命；六者、邪方便；七者、邪念；八者、邪定。復有九法，所謂有人欲作諸惡，現作、作已，加於己親，有人以善加於己怨，有人以惡加於己身，亦復如是，是名為九。復有十法，所謂十惡：一者、殺生；二者、偷盜；三者、婬泆；四者、妄語；五者、兩舌；六者、惡口；七者、無義語；八者、貪嫉；九者、瞋害；十者、邪見。

「若有比丘起惡思惟，以是因緣，不知有為多諸過咎，以不知故生顛倒心，顛倒因緣增長五蓋。五蓋增故令諸煩惱遮障善法，煩惱因緣身口意業造作諸惡，如來如實知如是法能遮於道，既自知已為眾演說，為壞如是遮障道法，是名如來第十三業。」

爾時，世尊即說頌曰：

「若有修集於放逸， 真實不能得解脫，身口意等諸惡業， 無慚無愧諸煩惱。親近惡法能遮道， 善覺對治不對治，為壞煩惱故演說， 大慈大悲十三業。

「復次，善男子！如來實說聖道畢竟。若有眾生親近正念必得解脫，我都不見人、天、魔、梵、沙門、婆羅門，真實記言修道者不得畢竟無上解脫。云何名為真實聖道？有一種，所謂一乘。復有二種。謂舍摩他、毘婆舍那。復有三種，謂空三昧、無相、無願。復有四種，謂四念處。復有五種，謂信等五根。復有六種，謂六念處。復有七種，謂七覺分。復有八種，謂八正道。復有九種，所謂初禪乃至滅定。復有十種，所謂十善。是名畢竟真實聖道。又畢竟道者，無有能作增減取捨、無執無放，非正非邪、非一非二，是名真實畢竟之道。如來、世尊憐愍一切，為諸眾生說如是道，是名如來第十四業。」

爾時，世尊即說頌曰：

「如來了知寂靜法， 有親近者得解脫，如來無師無教者， 自然而得甘露味。有修三十七助法， 煩惱結滅得解脫，思惟善知真實法， 不著法性真解脫。如來見法如虛空， 猶如幻化熱時焰，具足十力無邊身， 為眾故說十四業。

「復次，善男子！如來身業無有過失，若愚、若智無能宣說佛有過失。何以故？如來若行、若坐、若住，著衣持鉢若受飲食，若見、若聞、若有所說，入出城邑村落舍宅，足不蹈地常行千葉蓮花之上。若有眾生遇觸佛影，七日安樂無飲食想，捨是身已生於善有。如來衣服離身四寸，暴猛風力所不能動。如來雖有如是等事，而其內心未甞不定，是故如來身無過失。善男子！如來口業亦無過失。何以故？時語、真語、實語、正語、期語、義語、不多語、如持而語、淨語、解一切語、微妙語、無異語、一音語，是故如來無口過失。如來意業亦無過失。何以故？如來常作一切佛事，而其內心初無憍慢，不役智慮而知法盡，是名如來無罣礙智，是故如來意無過失。為壞眾生如是過失，故宣說法，是名如來第十五業。」

爾時，世尊即說頌曰：

「如來身口意寂靜， 是故無能說有過，實不可說為流布， 是業非業說為業。

「復次，善男子！如來不與天、人、魔、梵、沙門、婆羅門而生諍訟。何以故？離愛恚故。一切世間供養恭敬，心不生高亦不歡喜，一切世間毀呰輕慢不生愁惱。凡所造善事無不成，終不造作不善之業，如來實無世間諍事，亦常修集無諍三昧，如來無我無有我所，為壞眾生是非諍訟，說如是業，是名如來第十六業。」

爾時，世尊即說頌曰：

「如來修集無諍定， 是故其心無瞋喜，如來為斷眾煩惱， 是故宣說十六業。

「復次，善男子！如來之心無有忘誤，於八解脫不失念心，常觀一切眾生意行，觀已復能隨宜說法，於四無礙亦無念失。於三世中憶念不忘，既自不失憶念之心，復為眾生說是念法，是名如來第十七業。」

爾時，世尊即說頌曰：

「如來修集八解脫， 故於諸法不失念，知眾生心隨意說， 為令得念說是業。

「復次，善男子！如來真實無不定心。若行、若住、若坐、若臥、若語、若默，常知諸法深妙之義。一切世間若有入定、若不入定，悉無能知如來心也，唯除諸佛借其道力。欲令一切無量眾生常在定故，說如是業，是名如來第十八業。」

爾時，世尊即說頌曰：

「如來、正覺常在定， 所作諸事無散亂，常入三昧無知者， 是故宣說十八業。

「復次，善男子！如來真實無種種想，所謂無分別福田非福田想，亦無分別諸眾生想，及以法想、正覺之想及法界想。分別持戒，及毀戒想，亦無分別怨想親想、受不受想，分別正見邪見之想，是故如來無種種想。為壞眾生如是諸想，宣說是業，是名如來第十九業。」

爾時，世尊即說頌曰：

「如來永斷一切想， 是故了知諸法界，為破眾生若干想， 宣說如來十九業。

「復次，善男子！如來從智捨心無不知捨。何以故？修身故、修戒故、修心故、修慧故、斷癡故，如來捨心出於世間，即是聖捨、是畢竟捨、轉梵輪捨、共大悲捨、為利眾生捨、知對治捨。如是等捨，無增無減、不高不下，不雜煩惱、不一不二，不觀時節、無礙無對，不住不動、不隱不顯，真實不虛。如來成就如是大捨，而能為諸眾生說法，是名如來第二十業。」

爾時，世尊即說頌曰：

「如來修身戒心慧， 從於智慧修捨心，於諸眾生無愛恚， 不動不住真實捨。大慈大悲無上尊， 具足如是之大捨，無礙智慧調眾生， 演說清淨二十業。

「復次，善男子！如來欲業無增無減。何等名欲？欲於善法，所謂大慈大悲說法度人安住寂靜，勸諸菩薩學菩提道，令三乘種相繼不絕。如是諸欲，不隨欲出隨智而生。欲令一切眾生具足阿耨多羅三藐三菩提故，演說正法，是名如來二十一業。」

爾時，世尊即說頌曰：

「如來欲者無增減， 大慈大悲故說法，不斷三乘無邊身， 為眾演說如是業。

「復次，善男子！如來精進無有休息。云何不息？所謂調伏眾生說法化度，假使有一人能無量劫佛邊聽法，如來當為說不休息。若有一佛於無量劫演說法者，如來亦聽心無懈廢。若過無量恒沙世界，有一眾生應受化者，如來要當隨逐不捨、不食、不息、不生疲倦悔退之心，常勸眾生令勤精進，是名如來二十二業。」

爾時，世尊即說頌曰：

「具精進人師子王， 於大眾中讚精進，精進說法無休息， 是故進業二十二。

「復次，善男子！如來念心無有增減。何以故？如來初得阿耨多羅三藐三菩提時，遍觀一切去來現在眾生之心，後說法時不失先念，念本三聚及三種根，凡所演說無不作念，是名如來二十三業。」

爾時，世尊即說頌曰：

「如來初得菩提時， 遍觀眾生如實心，凡所說法不失念， 二十三業佛所說。

「復次，善男子！如來三昧於一切法平等無減，是故諸佛一切平等，於一億種貪欲恚癡，及一億種無貪恚癡，其心平等無有差別，有為無為、生死涅槃亦復如是。具如是等平等三昧，不雜眼耳鼻舌身意，四大三界非此非彼，亦非一切非增非減。為令眾生得是三昧，宣說正法，是名如來二十四業。」

爾時，世尊即說頌曰：

「如來等觀一切法， 是故常定心無亂，不為三界之所攝， 諸根四大亦如是。一切諸法無差別， 平等觀察善不善，如來所說如是業， 為諸眾生得是定。

「復次，善男子！如來智慧常無減少。以是智力知一切法，能隨眾生意趣說法。得無礙智，知一切義、知一切字、知一切句，於無量劫演一句法，出無量義斷一切疑，說三乘法并及八萬四千法門，亦說八萬四千法聚，是名無量無邊智慧。為令眾生得是智故，宣說正法，是名如來二十五業。」

爾時，世尊即說頌曰：

「佛智無礙無有邊， 能說無礙無邊法，演一字作無量句， 演一句作無量義。說八萬四千法門， 亦及爾所諸法聚，為令眾得無礙智， 是故宣說如是業。

「復次，善男子！如來解脫無有減少。聲聞之人從他聞故而得解脫；緣覺之人從因緣故而得解脫；如來無師自然覺悟，永斷煩惱及以習氣，過去不斷，未來不著，現在不住，亦不貪著眼色二法，乃至意法亦復如是。知心性淨，是故唱言如來一念得阿耨多羅三藐三菩提。為令眾生一念得成阿耨多羅三藐三菩提故，演說正法，是名如來二十六業。」

爾時，世尊即說頌曰：

「為諸聲聞聞解脫， 亦為緣覺因緣悟，如來解脫不著有， 不著三世心性淨。凡所演說為解脫， 勸諸眾生無上道，二十六業非業故， 大慈大悲處眾說。

「復次，善男子！如來身業隨智慧行，智所圍遶。以是業故，眾生聞見說法默然、行住坐臥飲食、出入城邑聚落，三十二相、八十種好悉得調伏。是故如來一切身業隨智慧行，是名如來二十七業。」

爾時，世尊即說頌曰：

「如來身業為眾生， 故示種種妙相好，凡所舉動調眾生， 大悲為眾說是業。」

「復次，善男子！如來口業隨智慧行。何以故？說法淨故，無脫失故，真正語、易解語、易知語、非高語、非下語、非曲語、非麁語、非惡語、非闇語、柔軟語、非輕語、非疾語、非畏語、非不解義語、非惡聲語、非緩語、甘露語、可愛語、次第語、莊嚴語、恭敬語、樂聞語、不貪語、不垢語、清淨語、畢竟語、不誑語、不癡語、無礙語、廣語、真實語、不作語、不盡語、安樂語、身寂靜語、心寂靜語、貪寂靜語、瞋寂靜語、癡寂靜語、壞魔語、破邪論語，梵聲、迦陵頻伽聲、釋聲、大海潮聲、拘崙闍聲、秋月孔雀聲、拘枳羅聲、命命鳥聲、鵝王聲、鹿王聲、琴聲、鼓聲、貝聲、伎樂聲、人樂聞聲、耳根樂聲，增善法語、句義無盡語、合字句義語、時語略語、知足語、調諸根語、施莊嚴語、清淨戒語、共忍行語、精進神通語、遠離欲界語、具足智慧語、慈語悲語、喜語捨語、說三乘語、不斷三寶語、解三聚語、解三世語、解三解脫語、分別四諦語、修集語讚歎語、佛語、聖語、無邊語、無行語。善男子！如來成就如是等語，是故如來所有口業隨智慧行，是名如來二十八業。」

爾時，世尊即說頌曰：

「如來所說如淨珠， 成就無量諸功德，其聲遍滿十方界， 一音能令種種解。凡所演說不作念， 更不觀眾心境界，如來音聲如響相， 無說無聞亦如是。大慈大悲清淨語， 為眾生解種種法，是故宣說如來業， 二十八業如先佛。

「復次，善男子！如來意業隨智慧行。何以故？如來了知一切眾生心意識等，亦不隨意隨緣隨貪隨恚隨癡，遠離誑惑及我我所無明闇翳，平等清淨無有邊際猶如虛空，是故如來所修意業隨智慧行，是名如來二十九業。」

爾時，世尊即說頌曰：

「如來之心不可量， 如以毫毛舉須彌，常觀眾生心所緣， 遠離諸魔煩惱界。人中象王說善業， 為壞眾生種種惡，為淨眾生身口意， 二十九業今已說。

「復次，善男子！如來智慧知過去世，其智無礙亦無障者。云何為智？知過去佛無量無數，及其世界所有草木眾生之數，其心所緣種種音聲，亦知其佛說幾所法，有幾眾生得聲聞乘、辟支佛乘及菩薩乘，亦知彼佛所有世界壽命脩短，眾數多少、名字種種、喘息飲食，眾生根界、意界、法界、心界、行界，其心次第生滅出沒，如實了知。知其數量非比智知，是名如來第三十業。」

爾時，世尊即說頌曰：

「佛智無礙無障者， 故能悉知無量土，了知一切諸佛事， 眾生諸根及法界。人師子王知過去， 如觀掌中阿摩勒，無邊身說三十業， 為令眾生知過世。

「復次，善男子！如來智慧知未來世，其智無礙亦無障者。云何為智？知未來世若出、若滅，一切世界幾劫水災、幾劫火災、幾劫風災，成壞之數。幾佛世界、幾佛出世，世界之中有幾微塵。有幾聲聞、緣覺、菩薩，亦知彼佛幾食、幾息、幾行、幾住、幾坐、幾臥、幾人獲得聲聞解脫，幾人獲得緣覺解脫，幾人獲得正覺解脫，幾人修集慈悲喜捨，亦復了知幾所眾生次第心生次第心滅。了了能知如是等事，亦非比智，是名如來三十一業。」

爾時，世尊即說頌曰：

「如來了知未來世， 一切諸法之出沒，知佛世界及以佛， 眾心次第生滅等，既得知已無憍慢， 名三十一如來業。

「復次，善男子！如來智慧知現在世，其智無礙亦無障者。云何為智？如來悉知十方現在世界，諸佛、聲聞、緣覺、菩薩眾數，日月星宿、草木微塵，地水火風四大海渧，眾生毛髮種種形色，心意次第生滅出沒，亦知地獄、畜生、餓鬼現業果報，幾時住世、幾時解脫；亦知人天業果因緣，幾時住世、幾時解脫；知煩惱界及諸根界、意界、法界。如來雖復種種知已，不生高心，口亦不出二種之言，是名如來三十二業。」

爾時，世尊即說頌曰：

「無上如來叵思議， 無有知佛所緣境，如來所知如虛空， 無量無稱無邊界。所說微妙第一義， 為令眾生得是業，總持自在能問佛， 無上世尊隨意答。

「善男子！如來、世尊具足如是三十二業，則能調伏無量眾生。善男子！如來世尊雖為眾生說是諸業，而如來業真實無量不可稱計。

「善男子！如來業者，一切世間所有眾生，不能思惟、不能了知、不能宣說。如是業者，悉能等知一切國土猶如虛空。何以故？十方諸佛悉平等故。善男子！諸佛所說，觀察眾生及佛世界，解脫涅槃等無差別，佛觀法界皆一味已，轉不可轉正法之輪。

「善男子！譬如善識真寶之匠，於寶山中獲得一珠，得以水漬從漬出已，置酢漿中從酢漿出已，置之豆汁意猶不已復置苦酒，苦酒出已置眾藥中，從藥出已以氀毼磨，是名真正青琉璃珠。善男子！如來亦爾，知眾生界不明淨故，說無常苦及以不淨，為壞貪樂生死之心。如來精進無有休息，復為演說空無相願，為令了知佛之正法。如來精進猶不休息，復為說法令其不退菩提之心，知三世法成菩提道，名大珍寶良祐福田。是故當知，如來諸業不可思惟，不可稱量，不可宣說。如來具足三十二業，雖知己身猶如虛空，而於世界示現其身，亦復宣說不可說法，永斷一切心之因緣，悉知一切眾生心界，亦知一切菩薩境界。

「善男子！如來世尊真實業者，終不斷絕菩薩授記，是名如來真實之業。」

爾時，世尊說是業時，十方世界六種震動，大光普照，雨於無量無邊香花。諸在此坊天人大眾、阿修羅、迦樓羅、緊那羅、摩睺羅伽、人及非人，聞如來業心大歡喜，復以種種香花、伎樂、寶幢、幡蓋供養之具而供養佛。其中或以周羅寶頂、寶髮、手玔、雜寶、瓔珞、日珠、月珠、指環、珠帶、寶珮、髮飾，或以耳環以奉如來。謂青琉璃，及蓮花珠、金翅鳥珠、閻浮寶珠、帝釋寶珠、火珠、光珠、無量光珠、無量色珠、柔軟淨珠、金剛寶珠及白真珠。復以雜香，所謂末香、金沙和雜栴檀之香、多伽羅香、沈水、彌佉多摩羅跋香。復散諸花，所謂曼陀羅花、摩訶曼陀羅花、曼殊沙花、摩訶曼殊沙花、拘毘陀羅花、波利質多羅花、樂花、娑羅花、大娑羅花、百葉花、千葉花、饒葉花、大光花、香葉花、樂香花、樂見花、無量色花、無定色花、水生花、優波羅花、波頭摩花、拘物頭花、分陀利花、陸生花、婆利師花、摩梨花、須曼那花、育坻花、檀內伽梨花、阿提目多伽花、瞻婆花、阿叔迦花。種種伎樂、種種幢幡蓋，十方界諸來菩薩，各昇虛空寶坊之上，放身投下供養於佛，投身散已其身不現，化七寶網遍覆其上，復現其身在珠網中。

爾時，十方一切諸佛，各各遣一波利之樹，以用供養釋迦如來。以佛力故，一一諸樹各至寶坊莊嚴其處。爾時，會中無量眾生發阿耨多羅三藐三菩提心，無量眾生得無生法忍。

## 大方等大集經卷第三