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title: "佛頂尊勝陀羅尼經釋 · No. 445-C 佛頂尊勝陀羅尼經序"
description: "清初高僧续法大师所著的《佛頂尊勝陀羅尼經釋》是對《佛頂尊勝陀羅尼經》的重要注釋。該經於唐代傳入中國，以尊勝陀羅尼為核心，宣揚其消業滅罪、淨化幽冥的殊勝功德。續法大師的釋論深入闡述了經文的密義與修持方法，融合了華嚴與密宗思想。此釋論在漢傳佛教中具有崇高地位，是研究與修持尊勝法門的權威依據，對後世淨土與密法融合的修行實踐產生了深遠影響。"
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### No. 445-C佛頂尊勝陀羅尼經序

定覺寺沙門　志靜　述

佛頂尊勝陀羅尼經者，婆羅門僧佛陀波利，儀鳳元年，從西國來至此土。到五臺山次，遂五體投地，向山頂禮曰：如來滅後，眾聖潛靈，唯有大士文殊師利，於此山中，汲引蒼生，教諸菩薩。波利所恨，生逢八難，不覩聖容，遠涉流沙，故來敬謁。伏乞大慈大悲普覆，令見尊儀。言已，悲泣雨淚，向山頂禮。禮已，舉頭忽見一老人，從山中出來，遂作婆羅門語，謂僧曰：法師情存慕道，追訪聖蹤，不憚劬勞，遠尋遺跡。然漢地眾生，多造罪業，出家之輩，亦多犯戒律。唯有佛頂尊勝陀羅尼經，能滅除惡業，未知法師頗將此經來不？僧曰：貧道直來禮謁，不將經來。老人曰：既不將經，空來何益？縱見文殊，亦何必識？師可却向西國，取此經來，流傳漢土，即是遍奉眾聖，廣利羣生，拯濟幽明，報諸佛恩也。師取經來至此，弟子當示師文殊師利菩薩所在。僧聞此語，不勝喜躍，遂裁抑悲淚，至心敬禮。舉頭之頃，忽不見老人。其僧驚愕，倍更虔心，繫念傾誠，迴還西國，取佛頂尊勝陀羅尼經。至永淳二年，迴至西京，具以上事，聞奏大帝。大帝遂將其本入內，請日照三藏法師，及勑司賓寺典客令杜行顗等，共譯此經。勑施僧絹三十疋，其經本禁在內不出。其僧悲泣奏曰：貧道捐軀委命，遠取經來，情望普濟羣生，救拔苦難，不以財寶為念，不以名利關懷，請還經本流行，庶望含靈同益。帝遂留翻得之經，還僧梵本。其僧得梵本，將向西明寺，訪得解善梵語漢僧順貞，奏共翻譯。帝隨其請，僧遂對諸大德共順貞翻譯。譯訖，僧將梵本向五臺山入山，於今不出。今前後翻兩本，並流行於世，小小語有不同者，幸勿怪焉。至垂拱三年，定覺寺主僧志靜，因停在神都魏國東寺，親見日照三藏法師，問其逗留，一如上說。志靜遂就三藏法師諮受神呪。法師於是口宣梵旨，經二七日，句句委授，具足梵音，一無差失。仍更取舊翻梵本勘校，所有脫錯，悉皆改定。其呪初注云最後別翻者是也。其呪句稍異於杜令所翻者，其新呪改定不錯，并注其音訖。後有學者，幸詳此焉。至永昌元年八月，於大敬愛寺，見西明寺上座澄法師，問其逗留，亦如前說。其翻經僧順貞，見在西明寺。此經救󳫠幽顯，最不可思議，恐學者不知，故具錄委曲，以傳未悟。

> 『仏頂尊勝陀羅尼経』についてお話しします。これは、婆羅門僧の仏陀波利が、儀鳳元年に西方の国からこの地（中国）へとやって来たときのことです。 彼が五台山に到着し、山に向かって五体投地して礼拝し、こう言いました。 「如来が入滅されてから、多くの聖者たちはその御姿を隠されました。ただ、文殊師利菩薩のみが、この山中におられて、人々を導き、菩薩たちを教え導いておられます。波利の無念は、この八難の世に生まれ、尊い御姿を拝むことが叶わないことです。はるばる流砂の地を越えてやって参りましたのは、ただひたすらに拝謁したいがためでございます。どうか大いなる慈悲をもってお覆いくださり、尊い御姿を拝ませてください」 そう言い終えると、悲しみの涙を流し、再び山頂に向かって礼拝しました。礼拝を終えて顔を上げると、突然、一人の老人が山中から現れ、婆羅門の言葉で僧に言いました。 「法師よ、あなたは道を慕う心厚く、聖者の跡を尋ね求めて、労苦をも厭わず、はるか遠くまでやって来られました。しかし、漢の地の衆生は罪業を多く造り、出家の者でさえ、戒律を犯す者が多い。ただ、『仏頂尊勝陀羅尼経』のみが、この悪業を滅除することができます。法師は、この経典をお持ちでしょうか」 僧は答えました。 「貧道はただ拝謁するために参りましたので、経典は持ってきておりません」 老人は言いました。 「経典をお持ちでないなら、空しく来られた甲斐がありましょうか。たとえ文殊菩薩にお会いになっても、お見分けになることはおできになりません。師はどうか西方の国へお戻りになり、この経典をお持ち帰りください。漢の地に広く伝えれば、それはすべての聖者をお祀りし、広く衆生に利益を与え、あの世とこの世の人々を救い、諸仏の恩に報いることになります。師が経典を持ってここに戻られれば、弟子である私が、文殊師利菩薩のいらっしゃる場所をお教えいたしましょう」 僧はこの言葉を聞き、喜びに躍り上がらんばかりでした。そして悲しみの涙を抑え、心を込めて敬礼しました。顔を上げたその瞬間、老人の姿は忽然と消えていました。 僧は驚き、ますます虔（つつ）しみの心を深め、思いを一つにして誠を尽くし、西方の国へと戻り、『仏頂尊勝陀羅尼経』を求めました。 永淳二年、都の長安に戻り、詳しくこのことを大帝（皇帝）に奏上しました。大帝はその経本を宮中にお取り寄せになり、日照三蔵法師をお招きし、さらに勅命をもって司賓寺の典客令である杜行顗らに、この経典の翻訳にあたらせました。勅命により僧侶に絹三十匹が下賜されましたが、経本は宮中に留め置かれ、外には出されませんでした。 僧は悲しみの涙を流して奏上しました。 「貧道は命を懸けて遠くまで経典を求めに参りました。願いは、広く衆生を救い、苦難から抜き出すことです。財宝を思うことも、名利に心を引かれることもございません。どうか経本をお返しくださり、広く世に流布させてください。そうすれば、生きとし生けるものが共に利益を得ることができるでしょう」 帝は翻訳された経典を宮中に留め、梵本（サンスクリット本）を僧に返されました。僧はその梵本を得て、西明寺へ赴き、サンスクリット語に通じた漢人の僧、順貞を訪ね、共に翻訳することを奏上しました。帝はその願いを聞き届けられ、僧は多くの高僧たちと共に順貞と翻訳にあたりました。 翻訳が終わると、僧は梵本を持って五台山へ入山し、今に至るも山を出ることはありません。今、世に流行している二つの翻訳本は、多少言葉に違いがありますが、どうか訝（いぶか）しがらないでください。 垂拱三年、定覚寺の主僧である志静は、神都（洛陽）の魏国東寺に滞在中、日照三蔵法師に直接お会いし、その経緯を尋ねました。話は上記の通りでした。志静は三蔵法師から神呪（真言）を授かりました。法師はサンスクリットの原文を口伝し、十四日間にわたり、一句一句詳しく伝授され、完全な梵音を、一点の誤りもなく授けられました。さらに古い翻訳梵本を取り寄せて校合し、脱落や誤りをすべて改め正されました。この呪文の初めに注記されている「最後に別に翻訳したもの」がそれです。この呪文の句は、杜行顗令が翻訳したものとは少し異なっています。この新しい呪文は改訂され誤りがなく、発音も注記されました。後世の学ぶ人々は、どうかこのことを詳しくご覧ください。 永昌元年八月、大敬愛寺において、西明寺の上座である澄法師にお会いし、その経緯を尋ねたところ、やはり前述の通りでした。翻訳僧の順貞は、今も西明寺におられます。 この経典は、あの世とこの世を救うもので、まことに不可思議な功徳があります。学ぶ人々がこのことを知らないのを恐れ、詳しく経緯を記録し、まだ悟りに至らない人々に伝える次第です。

南無本師釋迦牟尼佛三稱

開經偈。

> 開経の偈。

無上甚深微妙法， 百千萬劫難遭遇，我今見聞得受持， 願解如來真實義。