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title: "歷代三寶紀 · 4 僧就"
description: "歷代三寶紀是隋朝費長房奉敕編撰的佛教經錄著作。該書成於隋開皇十七年，旨在總結隋以前佛教經籍的流傳與著述。全書十五卷，分為帝年、代錄、入藏錄三部分，記錄了從周至隋的佛教歷史、譯經目錄及譯者傳記。它不僅保存了大量珍貴的佛教文獻資料，更首創將經錄與歷史紀年相結合的體例，對後世佛教史籍編纂影響深遠。此書是研究中國早期佛教史和譯經史不可或缺的權威典籍。"
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新合大集經六十卷

> 新たに編纂された大集経、全六十巻

右一部六十卷。招提寺沙門釋僧就。開皇六年新合。就少出家專寶坊學。依如梵本此大集經凡十萬偈。若具足翻可三百卷。見今譯經崛多三藏口每說云。于闐東南二千餘里。有遮拘迦國。彼王純信敬重大乘。諸國名僧入其境者並皆試練。若小乘學即遣不留。摩訶衍人請停供養。王宮自有摩訶般若大集華嚴三部大經。並十萬偈。王躬受持親執鍵鑰。轉讀則開香花供養。又道場內種種莊嚴。眾寶備具。兼懸諸雜花時非時果。誘諸小王令入禮拜。彼土又稱。此國東南二十餘里。有山甚嶮。其內安置大集華嚴方等寶積楞伽方廣舍利弗陀羅尼華聚陀羅尼都薩羅藏摩訶般若八部般若大雲經等。凡十二部皆十萬偈。國法相傳防護守視。兼云有三滅定羅漢。在彼山窟寂禪冥衛。半月一月或有僧往山為羅漢淨髮。信哉神力固當實焉。鬚髮剃還生入滅定不動。難思議福地獲此寶任持。所冀今來明王睿主。種賢紹聖。弘法化君。寫以傳流。所統之內聞善尚傳。故因敘載。然去聖將遠凡識漸惛。不能總持隨分撮寫。致來梵本部夾弗全。略至略翻廣來廣譯。緣是前哲支曇所翻及羅什出。或二十七。或復三十。或三十一卷軸匪定。就既宣揚每恒嗟歎。及覩耶舍。高齊之世出月藏經一十二卷。至今開皇復屬耶舍譯日藏經一十五卷。既並大集廣本舊品。內誠欣躍。即依合之成六十軸。就雖附入未善精。比有大興善寺沙門洪慶者。識度淵明。奉為皇后檢校抄寫。眾經兩藏遂更正就。所合名題甚為整頓。又今見翻。其間尚有是大集分。略撮都訖應滿百卷。於本梵文三分將一。且夫土石末為細塵。無自持之力。及其結為坤阜。有生載之功。況條離林希盛榮。流捨源求廣潤。而可得乎。我皇帝之挺生。應天時順地理。九州離隔出三百年。十萬偈分將踰千祀。散經還聚。聚光大集之文。別壤遂通。通顯大興之國。非夫位握金輪化弘方等。先皇前帝弘化闡法。其孰並斯焉。

> 右一部六十巻。招提寺の沙門、釈僧就が、開皇六年に新たに編纂した。 僧就は若くして出家し、経典の学びに専念した。梵本によれば、この大集経は凡そ十万の偈があり、もし完全に翻訳すれば三百巻に及ぶという。現在、訳経僧である崛多三蔵は、口を揃えてこう語っている。 「于闐の東南二千余里に、遮拘迦国という国がある。その国王は純粋な信仰心を持ち、大乗を深く敬っている。諸国から名高い僧がその国境に入ると、全て試練を受ける。もし小乗を学ぶ者であれば、そのまま追い返される。大乗（摩訶衍）の行者であれば、留まって供養を受けることを請われる。 王宮には、自ら摩訶般若経、大集経、華厳経の三部の大経があり、いずれも十万偈である。王自らがこれを受け持ち、鍵を自ら管理し、読誦する時には開いて香や花で供養する。また、道場内は様々に荘厳され、多くの宝具が備えられ、様々な花や、季節外れの果物さえも吊るして、諸国の小王たちを誘い、礼拝させている。 その土地の者たちはまた、この国の東南二十余里に、非常に険しい山があり、その中に大集経、華厳経、方等経、宝積経、楞伽経、方広経、舎利弗陀羅尼経、華聚陀羅尼経、都薩羅蔵経、摩訶般若経、八部般若経、大雲経など、凡そ十二部、いずれも十万偈の経典が安置されていると語る。国の法として代々伝えられ、防護し守り視ている。また、三つの滅定に入った阿羅漢が、その山の窟の中で静かに禅定し、冥々のうちに守護しているともいう。半月に一度、あるいは一月に一度、僧が山に入り、阿羅漢のために髪を清めるという。信じがたい神力であるが、固より真実であろう。鬚や髪は剃ってもまた生え、滅定に入って動かない。考え及ばぬ福徳の地が、この宝を保持しているのである。 願わくは、今の明王、聡明な主君、賢を種とし聖を継ぐ者、法を弘め教化する君主が、これを書き写して伝え流布させ、統治する領域内で善を聞き尚も伝えてくださることを。故に、この経緯を記して載せるのである。」 しかし、聖者の時代から遠く離れ、凡夫の識別は次第に曇り、全てを保持することはできず、自分の分に応じて抜き書きしたため、伝来した梵本の部や夾（経巻の挟み板）は完全ではなく、略本が来れば略訳し、広本が来れば広訳した。この縁により、先哲である支曇や羅什の訳出したものは、二十七巻、あるいは三十巻、あるいは三十一巻と、巻軸が一定していない。僧就はこれを宣揚する毎に、常に嘆息していた。 そして、耶舎が北斉の時代に『月蔵経』十二巻を訳出し、さらに今の開皇年間になって耶舎が『日蔵経』十五巻を訳出したのを目にした。これらは共に大集経の広本の旧品であり、内心大いに喜び躍った。そこで、これらを合わせて六十軸とした。僧就はこれに附入したが、未だ十分に精緻ではなかった。そこに大興善寺の沙門、洪慶という者がいた。識見が深く明らかで、皇后のために諸経典を校合し書き写し、二蔵の衆経を正したため、僧就の合わせた名題も大いに整頓された。 また、現在訳出されているものの中にも、まだ大集経の分けられた部分があり、それらを略しく集めれば、全てで百巻に満ちるであろう。原本の梵文に対しては、三分の一ほどに過ぎない。 そもそも、土や石の微塵は、自らを保つ力はない。しかし、それらが結びついて大きな山となれば、生き物を載せる功徳を持つ。ましてや、枝が林から離れて栄えを願い、流れが源を捨てて広く潤おうとするなど、あり得ようか。 我が皇帝は天に応じて生まれ、地理に順っている。九州が分離隔絶して三百年、十万の偈が分かれて千祀に及ぼうとしていた。散り散りになった経典が再び集まり、集まった光が大集経の文となる。別れていた土地が遂に通じ、通じて大いに興る国を顕す。これこそ、金輪の位を握り、方等の教えを広く教化する、先皇前帝の法を弘め闡明する業績に、誰が並び得ようか。