---
title: "白雲守端禪師廣錄 · 舒州龍門山乾明禪院語錄"
description: "白云守端禅师广录由宋代临济宗杨岐派高僧白云守端禅师所述，其参学弟子处凝、智本、智华及法演等人共同编集，并收录海谭录内容。该书成书于北宋禅宗鼎盛时期，系统记载了守端禅师的语录、开示、公案和偈颂，集中体现杨岐宗风，融合临济峻烈与云门高古的禅法特色。作为禅宗重要文献，该录是研究宋代禅宗思想及杨岐派发展的重要典籍，对后世禅修者具有深远的指导意义。"
url: "https://rushiwowen.co/ja/r/cmcwckrua00gaic04mzccc4h7"
---

### 舒州龍門山乾明禪院語錄

> 舒州龍門山乾明禪院語錄

參學小師　智華　編

> 智華編『参学小師』

師受請日。上堂。僧問。龍門有請師親赴。法華今日事如何。師云。符到奉行。僧云。恁麼則象王行處絕孤蹤。師云。你且寬心。僧云齋後相送。師云三十年後。僧禮拜　師乃云。拈花付囑。靈山謾說。親承。就座多身。龍門別有一竅。到者裏。師承不立。代代相承。普應高低。宗風不墜。大眾。既是師承不立。為什麼却代代相承。良久云。葉零零兮秋暮半凋。花片片兮春暖齊發。

> 師が招きを受けて上堂した。ある僧が問うた。「龍門が師を招いて自ら赴かれるなら、法華の今日の事はいかがですか？」師は言った。「符が届けば、ただ行うのみ。」僧が言った。「それならば、象王の歩むところに孤踪は絶えます。」師は言った。「あなたはまず安心なさい。」僧が言った。「斎の後にお送りします。」師は言った。「三十年後だ。」僧が礼拝した。 師はそこで言った。「花を拈って付嘱するも、霊山での説法は虚しい。自ら受け継ぎ、座に就けば多くの姿がある。龍門には別に一つの機要がある。この境地に至れば、師資の継承は立たない。しかし代々受け継がれ、高低に普く応じ、宗風は廃れない。皆さん、師資の継承が立たないのに、なぜ代々受け継がれるのか。」しばらくして言った。「葉は散りゆき、秋の暮れに半ば凋む。花はひらひらと、春の暖かさに一斉に咲く。」

次日上堂。僧問。如何是龍門境。師云到者方知。如何是境中人。師云兩脚蹈地。僧云人境已蒙師指示。向上宗乘事若何。師云誰知遠煙浪。別有好思量。僧云恁麼則朝看雲冉冉。暮聽水潺潺。師云禮拜著　乃云。見聞不脫。如水中月。每日山色水聲。名花異鳥。滿眼滿耳。作麼生說得箇脫底道理。要會麼。暢暢。釋迦老子無伎倆。休休。龍門山水天下幽。夜來一覺到天明。得風流處且風流。

> 翌日、上堂して問う。 僧問う：「如何なるか是れ龍門の境。」 師云く：「到る者方（まさ）に知る。」 「如何なるか是れ境中の人。」 師云く：「両脚、地を蹈む。」 僧云く：「人境、已に師の指示を蒙れり。向上の宗乗の事は如何。」 師云く：「誰か知らん遠煙浪（えんろう）に、別に好（よ）き思量あるを。」 僧云く：「恁麼（かく）のごとくんば、則ち朝（あした）は雲冉冉（ぜんぜん）たるを看、暮（くれ）には水潺潺（さんさん）たるを聴く。」 師云く：「礼拝せよ。」 乃ち云く：「見聞脱せざれば、水中の月の如し。每日、山色水声、名花異鳥、眼に満ち耳に満つ。作麼生（いか）にか説き得る、箇の脱底の道理を。会（え）せんと要（ねが）うや。暢暢（のびのび）たり。釈迦老子、伎倆なし。休休（やすやす）たり。龍門山水、天下に幽（ゆう）なり。夜来、一覚（いってき）して天明に到る。風流を得る処に且（しばら）く風流せよ。」

上堂云。法無異法。妄自愛著。盡大地是愛。八萬四千毛孔。悉皆是愛。且道著甚處。良久云。雲在嶺頭閒不徹。水流㵎下太茫生。

> 説法です。 「法に異なる法はない。ただ、自らが妄りに執着しているだけだ。この大地のすべては執着であり、八万四千の毛孔のすべてもまた執着である。さて、その執着の対象は一体どこにあるのだろうか？」 しばらく間を置いて、こう言われた。 「雲は嶺の上にあって、閑かでありながらも尽きることはなく、 水は谷の下を流れて、茫漠としていかにもおぼつかない。」

上堂。僧問。龍門未透時如何。師云不是者箇調。僧云透後如何。師云不是者箇調。僧擬議。師云買賣不著。

> 師が上堂し、ある僧が問うた。「龍門をまだ越えていない時は、どのようなものでしょうか？」 師、云く「それはその調子ではない。」 僧、云く「越えた後は、どのようなものでしょうか？」 師、云く「それもその調子ではない。」 僧が思案していると、 師、云く「売買は成立しない。」

乃云。尋牛須訪跡。學道訪無心。跡在牛還在。無心道易尋。拈起拄杖云。跡在者裏。牛在什麼處。乃卓拄杖一下。

> 「牛を探すには跡を尋ねよ。道を学ぶには無心を訪ねよ。跡があるなら牛もそこにいる。無心であれば道は見つけやすい。」 杖を掲げて言う。「跡はこの場にある。では牛はどこにいるのか。」 杖を地面にトンと突いた。

上堂云。一切聲是佛聲。一切色是佛色。釋迦老子。誑惑人家男女。陷在阿鼻大地獄中。至今分雪不出。拈起拄杖云。太湖縣裏屠兒項大伯。今日向龍門拄杖頭上。成等正覺。轉大法輪。度一切含生。諸人還見麼。若也見去。天下太平。以拄杖擊禪床。下座。

> 法堂に上って言われた。 「すべての音は仏の声であり、すべての形は仏の姿である。」 「ところが釈迦という老人は、人々を惑わし、阿鼻地獄に落としてしまった。今もなお、その罪を雪ぐことができずにいる。」 そう言って、杖を手に取り、言われた。 「太湖県の屠殺人、項大伯が、今日この龍門の杖の先で、正しい悟りを開き、大いなる法の輪を転じ、すべての生きとし生けるものを救い渡す。皆さん、これが見えますか？」 「もし見えるなら、世の中は平和になるでしょう。」 杖で禅床を叩き、下座された。

上堂。舉僧問趙州。大耳三藏。第三度覓國師身不見。未審國師在什麼處。趙州云。在三藏鼻孔裏。僧問玄沙。既在鼻孔裏。為什麼不見。玄沙云只為太近。

> 授業の際、ある僧が趙州に問うた。「大耳三蔵が三度目に国師の身体を探したが見つからなかった。国師は一体どこにおられるのでしょうか。」 趙州は言った。「三蔵の鼻の穴の中だ。」 僧が玄沙に問うた。「鼻の穴の中にいるのなら、なぜ見えないのでしょうか。」 玄沙は言った。「あまりにも近すぎるからだ。」

大眾。國師若在三藏鼻孔裏。有什麼難見。殊不知國師在三藏眼睛裏。

> 皆さん、国師がもし三蔵の鼻の穴の中にいたならば、何が難しいことなのでしょうか。しかし、ご存じの通り、国師は三蔵の目の内にいるのです。

上堂云。百丈初參馬祖。因見野鴨子。鼻頭上喫一㔢。忽有箇入處。後來再參。向一喝下。三日耳聾。方盡。且道一㔢處。與一喝下。相去多少。良久云。不見道。天上人間唯我。乃喝一喝。

> 上堂して言う。 百丈が初めて馬祖に参じたとき、野鴨を見たことから、鼻先を一突きされ、ふと悟りに入るきっかけがあった。その後再び参じたときには、一声の喝の下で三日間耳が聞こえなくなり、初めて悟りを究めた。 さて、その一突きと一声の喝の間には、どれほどの隔たりがあるのか。 しばらくして言う。 「天上天下唯我独尊」と言うではないか。 そして一声喝をした。

上堂云。作是思惟時。十方佛皆現。且道作麼生思。若以有心思。則盡大地是荊棘林。若以無心思。則盡大地是荒岑。良久云。雲從龍風從虎。

> 法座に上がって言われた。 「『このように思惟する時、十方の仏が全て現れる』と言うが、一体どのように思うというのか。もし有りの心で思えば、大地全体が荊の林となる。もし無の心で思えば、大地全体が荒れ果てた山となる。」 しばらく間を置いて言われた。 「雲は龍に従い、風は虎に従う。」

上堂云。參禪學道莫茫茫。問透法身北斗藏。吾今老倒慵疎甚。見人無力得商量。唯有鋤頭知我道。栽松同步上金剛。洞山聰老。可謂戢玄機於未兆。藏冥運於即化。今古難並其風流。龍門病叟。每日被膈氣撲得來。一日不如一日。只見瘦羸。實是無氣力。與人商量。然雖如是。家貧願隣富。

> 上堂にて言う。 「参禅・学道、ぼんやりするな。『法身を問い透かせば北斗に蔵す』と。 老いて衰え、怠け者となり果て、人に向かって語る力もない。 ただ、鍬だけが我が道を知る。松を植え、共に金剛山に登ろう。」 洞山聡老師は、まさに玄機を未だ兆しなきに収め、冥運を変化に即して蔵した。古今、その風格に並ぶ者はいない。 竜門の病叟は、毎日、胸のつかえに襲われて、一日ごとに衰える。痩せ細り、本当に気力がなく、人と語り合うこともできない。 しかし、そうではあっても、家は貧しくとも隣の富を願うのだ。

上堂云。有時碓觜生花。有時佛面百醜。李公醉倒街頭。自是張公喫酒。燈籠皺斷眉頭。露柱呵呵拍手。

> 上堂して言う。 あるときは、臼の先端に花が咲く。 あるときは、仏の顔がひどく醜い。 李公が街角で酔い倒れたのは、もとより張公が酒を飲んだから。 提灯（ちょうちん）は眉をひそめ、柱は呵呵大笑して拍手する。

上堂云。未透者。且教伊識。已透者。須共伊行。盡大地是沙門一隻眼。教阿誰識。實際理地不受一塵。向什處處行。所以道。他人住處我不住。他人行處我不行。不是為人難共聚。大都緇素要分明。少處減些子。多處添些子。為什麼少處更減。多處更添。神仙秘訣。父子不傳。

> 法座に上って言う。 まだ悟りを得ていない者には、まずそれを気づかせてやれ。 すでに悟りを得た者には、共に実践せよ。 大地全体が、修行者の一つの眼である。 いったい誰に気づかせよというのか。 真理の世界は、一塵も受け入れない。 どこに向かって実践せよというのか。 だからこう言うのだ。 「他人の住むところには私は住まず、他人の行く道は私は行かない。」 人に難しくして共に集いにくくしているのではない。 ただ、真実と俗との区別を明らかにしたいだけだ。 少ないところは減らし、多いところは増やす。 なぜ少ないところをさらに減らし、多いところをさらに増やすのか。 それは神仙の秘訣、親子の間でも伝えられないものだ。

上堂云。今日也是者箇。明日也是者箇。作麼生是那箇。漆桶參堂去。

> 上堂して言う。 今日もこれ、明日もこれ。 では、あれとは何か。 漆桶、堂に入って参ぜよ。

上堂。舉僧問洞山。亡僧遷化。向什麼處去。洞山云。火過後一莖茅。龍門即不然。亡僧遷化。什麼處去。答云。墻壁有耳。

> 授業で、ある僧が洞山に問うた：「亡き僧が遷化したら、どこへ行くのですか？」洞山は答えた：「火の後、一本の茅（かや）が残る。」龍門はそうではない。亡き僧が遷化したら、どこへ行くのか。答えはこうだ：「壁に耳あり。」

上堂。不怕念起。只怕覺遲。古人是何言歟。盡大地是釋迦老子。何處更有眾生。盡大地是眾生。何處更有釋迦老子。然雖如是。且道龍門放身在甚處。有人知得。分半院與他同住。如無。向鉢盂裏尋取。

> 説法の場で説く。 「心に迷いが生じるのは避けられません。大切なのは、それに気づくのが遅れないことです。」 これは、昔の人が言った言葉です。 この全世界がそのまま仏そのものであるなら、どこに迷いの衆生がいるのでしょう？ また、全世界が迷いの衆生であるなら、どこに仏がいるのでしょう？ しかし、そうは言っても、さあ、あなたがたはこの竜門の私がどこに身を置いていると思うか？ もしそれが分かる者がいるなら、この寺の半分をその者に与え、共に住もう。 もし分からなければ、托鉢の鉢の中を探しなさい。」

上堂云。大通智勝佛。十劫坐道場。佛法不現前。不得成佛道。直饒得現前。也未得成佛道。何謂如此。欲得不招無間業。莫謗如來正法輪。

> 法堂でお示しになりました。 大通智勝仏は、十劫もの間、悟りを得るために坐禅をされました。 しかし、仏の真理が目の前に現れなければ、仏道を成就することはできません。 たとえ真理が現れたとしても、それだけで仏道を成就したとは言えません。 なぜそう言うのでしょうか。 「無間地獄に落ちる業を招きたくなければ、如来の正しい教えを謗ってはならない」ということなのです。

## 白雲語錄卷一

> 『白雲語録』 第一巻