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title: "三國遺事 · 樂浪國"
description: "三国遗事由高丽时代僧侣一然所撰，是朝鲜半岛重要佛教历史文献。该书成书于13世纪，在高丽王朝佛教兴盛的背景下，补充了三国史记未收录的古代新罗、高句丽、百济历史传说与佛教事迹。内容涵盖王系编年、佛教传播、高僧轶事及灵异故事，尤其记录了阿道、墨胡子等早期传法者的事迹与佛国寺创建等史实。作为朝鲜佛教史核心典籍，它融合历史与宗教叙事，对研究韩国古代文化、佛教发展及民间信仰具有不可替代的权威价值。"
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### 樂浪國

> 楽浪国

前漢時始置樂浪郡。應邵曰。故朝鮮國也新唐書注云。平壤城。古漢之樂浪郡也　國史云。赫居世三十年。樂浪人來投　又第三弩禮王四年。高麗第三無恤王伐樂浪滅之。其國人與帶方北帶方投于羅。又無恤王二十七年。光虎帝遣使伐樂浪。取其地為郡縣。薩水已南屬漢據上諸文。樂浪即平壞城。宜矣。或云樂浪中頭山下靺鞨之界。薩水今大同江也。未詳孰是又百濟溫祚之言曰。東有樂浪。北有靺鞨。則殆古漢時樂浪郡之屬縣之地也。新羅人亦以稱樂浪。故今本朝亦因之而稱樂浪郡夫人。又太祖降女於金傅。亦曰樂浪公主。

> 前漢の時代に初めて楽浪郡が置かれました。応劭は「これは昔の朝鮮国である」と述べています。新唐書の注には「平壌城は、古の漢の楽浪郡である」とあります。 国史には次のように記されています。赫居世30年、楽浪の人々が帰順してきました。また、第三代の弩礼王4年には、高麗の第三代無恤王が楽浪を討伐して滅ぼしました。その国の人々は帯方（北帯方）とともに新羅に帰順しました。 さらに、無恤王27年には、光武帝が使者を送って楽浪を討ち、その地を郡県として領有しました。薩水より南は漢に属しました（上述の諸文によれば、楽浪が平壌城であることは妥当です。あるいは、楽浪は中頭山の下の靺鞨の境界にあるとも言われます。薩水は現在の大同江です。どちらが正しいかは詳らかではありません）。 また、百済の温祚はこう言っています。「東には楽浪があり、北には靺鞨がある」。これはおそらく、古い漢の時代の楽浪郡に属する県の地域なのでしょう。新羅の人々もまた、この地域を楽浪と呼んでいました。そのため、現在の我が国においても、それに倣って楽浪郡夫人と呼んでいます。また、太祖が金傅に娘を降嫁させたときも、楽浪公主と称しました。