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title: "根本薩婆多部律攝 · 72 與減年者受近圓學處"
description: "根本薩婆多部律攝由印度尊者勝友造唐代高僧義淨法師漢譯是根本說一切有部律典的重要釋論全書以攝頌體概括律藏核心內容系統闡述比丘戒相與行事準則反映印度佛教部派時期的戒律思想為研究說一切有部律制的重要文獻在漢傳佛教律學體系中具有權威地位對唐代及後世律宗發展影響深遠"
url: "https://rushiwowen.co/ja/r/cmcwjqdwt0inll704ub8qzx78"
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## 根本薩婆多部律攝卷第十三

> 根本説一切有部律攝　第十三巻

尊者勝友集

> 尊者の勝友集

三藏法師義淨奉　制譯

> 三蔵法師義浄奉　制訳

### 與減年者受近圓學處第七十二

> 減年者に授戒することに関する学処 第七十二

爾時薄伽梵在室羅伐城給孤獨園，時尊者大目乾連，與十七眾受近圓已，不能忍飢，遂便啼哭。由近圓事攝受門徒煩惱，制斯學處。

> そのとき、世尊は室羅伐城の給孤独園におられました。尊者大目乾連は、十七人の修行者たちとともに受戒を終えたばかりでしたが、空腹に耐えられず、泣き出してしまいました。受戒にまつわる弟子たちの指導に悩まされることがあったため、この戒律が定められたのです。

「若復苾芻，知年未滿二十，與受近圓成苾芻性者，波逸底迦。此非近圓，諸苾芻得罪。」

> お坊さんが、二十歳に満たないと知りながら、その人に出家の授戒をして正式な僧にしてしまった場合、波逸底迦という罪になります。これは正式な授戒ではないので、関わったお坊さんたちに罪が生じます。

言知年未滿二十者，由其年小，飢渴逼時不堪忍故。言與授近圓者，謂能授所授進止威儀，所有行法隨次當說。言能授者，謂鄔波馱耶、阿遮利耶，并餘僧伽。有二種鄔波馱耶：一、初與出家；二、為受近圓。滿足十夏方住師位，復須成就五法：一、知有犯；二、知無犯；三、知輕；四、知重；五、於別解脫經廣能開解，於諸學處創結隨開，若遇難緣善知通塞，常誦戒本能決他疑，戒見多聞自他俱利，威儀行法無有虧犯。具如是德名親教師，由其親能教出離法故。若苾芻雖近圓已，於諸學處不識重輕，設六十夏，仍須仗託明德依止而住。若師小者唯除禮拜，自餘咸作，此即名為老小苾芻，然不得與他出家及受近圓。言阿遮利耶有其五種：一、求寂阿遮利耶，謂授三歸五十學處。二、屏教阿遮利耶，謂於屏處問其障法。三、羯磨阿遮利耶，謂近圓時秉白四法。四、依止阿遮利耶，乃至一夜依之而住。五、教讀阿遮利耶，下至授彼四句伽他。此之五人並當師位，能生軌範，總名軌範師。言僧伽者，有二種：一、十人，謂在中方；二、五人，謂居邊地。若於其處有十人可得，取五人者名善近圓眾，得越法罪。若但有五人，斯名善受。若眾數不足，不得以佛而足眾數，由佛陀、僧伽寶體別故。若狂聾人及天授部等，將足眾數，不成近圓。

> 二十歳に満たない者について言えば、年の幼さゆえに飢えや渇きに迫られたとき耐えられないからである。「授近円を与える者」とは、授ける者と授けられる者の立ち居振る舞いを教え導くことができ、なすべき作法を順に説くことができる者をいう。「能授者」とは、和尚と阿闍梨、およびその他の僧伽をいう。和尚には二種ある。一つは初めて出家させる者、二つは近円を受けるための者である。十夏を満たして初めて師の位に住することができ、さらに五つの法を成就しなければならない。一つは犯があることを知ること、二つは犯がないことを知ること、三つは軽いことを知ること、四つは重いことを知ること、五つは別解脱経を広く開き解し、諸々の学処が初めて結ばれたことや随時開かれたことを、難縁に遇ったときには善く通塞を知り、常に戒本を誦えて他人の疑いを決することができ、戒と見と多聞とが自他ともに利し、威儀と行法に虧犯がないことである。このような徳を具えた者を親教師と呼ぶ。親しく出離の法を教えることができるからである。もし苾芻がすでに近円を受けていても、諸々の学処について重軽を知らないならば、たとえ六十夏を経ていても、なお明徳に依止して住まなければならない。師が年下の場合は礼拝だけを除き、その余はすべて作す。これを老小苾芻と名づけるが、他人を出家させたり近円を受けさせたりすることはできない。阿闍梨には五種ある。一つは求寂阿闍梨で、三帰と五十学処を授ける者である。二つは屏教阿闍梨で、人目につかない場所で障法を問う者である。三つは羯磨阿闍梨で、近円のときに白四法を秉る者である。四つは依止阿闍梨で、一夜でもこれに依止して住む者である。五つは教読阿闍梨で、少なくとも四句の伽他を授ける者である。この五人はいずれも師の位に当たり、軌範を生ずることができ、総じて軌範師と名づける。僧伽には二種ある。一つは十人で、中方に住む場合である。二つは五人で、辺地に住む場合である。もしその場所に十人を得ることができるのに五人を取るならば、善き近円の衆と名づけるが、越法罪を得る。もしただ五人のみであれば、これは善く受けたことになる。もし衆の数が足りないときは、仏をもって衆の数に足してはならない。仏陀と僧伽の宝体が別であるからである。もし狂人や聾人、および天授部などをもって衆の数に足すならば、近円は成立しない。

言所授者，有多種相，謂意樂損壞，所依損壞、丈夫損壞、白法損壞、繫屬他人，及有醜惡不端嚴相。言意樂損壞者，謂臨死時、或怖來逼、或為活命而求出家。言所依損壞者，謂身有難療之疾，欲投三寶望得除差。丈夫損壞者，謂半擇迦。此有五別：一、生半擇迦，謂生來不男；二、半月半擇迦，半月男半月不男；三、觸抱半擇迦，他抱觸時生支方起；四、嫉妬半擇迦，見他行婬妬而根起；五、被害半擇迦，謂遇病傷或被刀割。此五黃門出家近圓悉皆非分，後一不定。若近圓已被傷損者，若性行不移還依舊位、若性改變應滅擯，初一黃門亦名扇侘。白法損壞者，謂諸外道崇重邪教無正信故。諸外道中除釋迦種及事火人，自餘外道四月共住，食大眾食，著親教師衣，供承作務一同求寂。若不捨舊見即應遣去，若捨舊見應與出家。污苾芻尼者，謂尼不犯八他勝法，若以不淨行污此苾芻尼時，若俱有染心先觸尼身後行不淨行不名污尼，由尼已犯觸男他勝故。言賊住者，不依師主輒自出家，共清淨苾芻經二、三長淨，乃至同作白四羯磨。摩納毘迦中說，未近圓人與他淨眾同為白二、或白四法、長淨隨意，并共眾差十二種人，並名賊住。歸外道者，謂有外道投佛法內，雖著法衣愛外道見，而還本處不捨於戒，脫去法衣經明相出。殺父殺母、殺阿羅漢、惡心出佛身血、破僧伽，諸助伴人知天授言，是其非法作非法想，亦是破僧。先曾犯戒者，謂於五學及十學處，破其重戒。若四他勝中曾犯其一，此黃門等未受不應授，已受應滅擯。又有二種異住之人：一、從法黨向非法黨；二者與作捨置羯磨。若已還俗重來受戒，亦不應授。言繫屬他人者，謂奴婢負債及王大將。若父母不聽者不得，若遠方者無犯。前母生已即便棄擲，餘母收養者，若出家時應問養母；若殺前母得無間罪。言不端嚴相者，謂是非人及傍生等，變形為人而來受戒；或擎旗大賊、若減二十歲、若過分青黃赤白狀異人形、若身生象毛、若無髮、若大腦、若匾㔸、若多頭、若凸眼、若盲若瘂、若象牛等頭、若馬猨猪形、若無耳鼻、若象馬耳牙、若無牙齒、若項短、若太長、若太短、若傴肩、若曲脊、若無生支及卵、若下墜、若身極麁極細、若被截手足、跛躄、聾瞎、若膝行、若被打傷、若房室過度無所堪能、若氏族卑下，此等咸皆非出家相。既近圓已為說二頌：

> 言葉を授ける対象には、いくつもの種類の不適格な事情があります。すなわち、意欲の損壞、身体的な損壞、男性としての損壞、善法の損壞、他人に従属していること、そして醜く整っていない相貌などです。 意欲の損壞とは、死が迫ったとき、あるいは恐怖に追われて、または生活のために出家を求めることをいいます。 身体的な損壞とは、治りにくい病を身に負い、三宝に帰依して治そうと望むことをいいます。 男性としての損壞とは、半擇迦（はんちゃくか、男性的机能が不完全な者）をいいます。これには五つの違いがあります。第一に生まれつきの半擇迦で、生まれたときから男性ではない者。第二に半月半擇迦で、半月は男性、半月は男性でない者。第三に触抱半擇迦で、他人に抱かれ触れられたときに初めて男性器が起きる者。第四に嫉妬半擇迦で、他人が婬行するのを見て嫉妬し男性器が起きる者。第五に被害半擇迦で、病や傷を受けたり刀で切られたりした者です。これら五種の黄門（男性機能を失った者）は、出家も受具もすべて許されませんが、最後の一種だけは不定です。もし受具した後に傷を受けた場合は、性質や行いが変わらなければ元のまま留まり、性質が変われば追放されるべきです。第一の黄門は扇侘（せんた）とも呼ばれます。 善法の損壞とは、外道たちが邪教を重んじ正しい信を持たないことをいいます。外道の中で、釈迦族と火を祀る者を除き、その他の外道は四か月ともに暮らし、大衆の食事を食べ、親教師の衣を着て、雑務を同じくして求寂（修行志望者）と同様にします。もし古い見解を捨てなければ追い払い、捨てれば出家を許します。 苾芻尼（比丘尼）を汚す者とは、尼が八つの他勝法（根本破戒）を犯していない場合をいいます。もし不浄行でこの比丘尼を汚すとき、ともに染心があり、まず尼の身体に触れてから不浄行を行ったなら、尼を汚したとはいえません。尼がすでに男性に触れる他勝を犯しているからです。 賊住（ぞくじゅう）とは、師匠に従わずに勝手に出家し、清らかな比丘とともに二、三度の長浄（布薩）を経て、さらには白四羯磨をともに作すことをいいます。摩納毘迦の中に説かれるには、未受具の者が他の浄衆とともに白二や白四の法、長浄・随意を同じくし、また大衆が差し出す十二種の人とともに、すべて賊住といいます。 外道に帰する者とは、外道が仏法の中に投じたが、法衣を着ていても外道の見を愛し、元の場所に戻って戒を捨てず、法衣を脱いで明相が出るまでのことをいいます。 父を殺し母を殺し、阿羅漢を殺し、悪心で仏の身から血を出し、僧伽を破る者、それらの助伴者は天授（提婆達多）の言葉を知り、それを非法とし非法と想うなら、これもまた破僧です。 先に戒を犯した者とは、五学処および十学処において重い戒を破った者をいいます。もし四他勝の中の一つをかつて犯したなら、この黄門などは未受では授けるべきでなく、已受なら追放されるべきです。 また二種の異住の人がいます。第一は法の側から非法の側へ向かう者。第二は捨置羯磨を施された者です。もし還俗して再び受戒に来ても、授けるべきではありません。 他人に従属している者とは、奴婢や負債者、および王の大将をいいます。父母が許さなければ受けられませんが、遠方の者は罪になりません。前の母が生んですぐに捨て、別の母が引き取って養った場合、出家のときは養母に尋ねるべきです。もし前の母を殺せば無間罪を得ます。 整っていない相貌とは、非人や傍生などが形を変えて人となって受戒に来ること。あるいは旗を掲げた大賊、二十歳に満たない者、青・黄・赤・白など人と異なる異相の者、象の毛が生えた者、髪のない者、大きな頭、扁平な者、多くの頭、出た目、盲、唖、象や牛などの頭、馬・猿・猪の形、耳や鼻のない者、象馬の耳や牙、歯のない者、短い首、長すぎる者、短すぎる者、傴僂の肩、曲がった背、男性器や卵のない者、下がり垂れた者、極めて粗い身体、極めて細い身体、手足を切られた者、跛・躄・聾・瞎、膝で歩く者、打ち傷を受けた者、房室を過度に行い能力のない者、氏族が卑しい者。これらはすべて出家の相ではありません。すでに受具したなら、二つの頌を説きます。

「汝於最勝教， 具足受尸羅；至心當奉持， 無障身難得。端正者出家， 清淨者圓具；實語者所說， 正覺之所知。」

> あなたは最も優れた教えにおいて、戒律を完全に受け保っています。 心からそれをお守りください。この身体を得ることは難しく、妨げもありません。 端正な人が出家し、清らかな人が具足戒を受けるのです。 真実を語る人が説いたこと、それは正しく目覚めた方が知っていることです。

言進止威儀者，若有俗人求出家者，應隨彼心詣一師處，其師即可問於障法。若清淨者當攝受之。觀其意趣有堪能者，應授三歸并五學處。次請親教師。又請苾芻為白僧者。彼受請已，問本師云：「已問此人諸障法未？」若不問者，得惡作罪。眾若來集應白僧伽，若不集者巡房告知。若不白眾，犯惡作罪。當白之時眾咸語言：「若清淨者應與出家。」若不問者皆得惡作。次令剃髮人剃髮，剃將了時應留頂髻，而問之曰：「除朱荼不？」若言：「留。」者，遣隨意去。若言：「除！」者，應盡剃之。應適時候為其洗浴，洗浴既訖為著下裙，方便撿身莫令其覺，恐有二根及無根故。次著僧脚崎後授縵條，令頂戴持，方為披著。請一苾芻為受三歸并十學處，應畜鉢盂，若無鉢者不應出家。次教請教白，事同大苾芻。若年滿二十者，師應為辦六物資緣；若自貧無，應為假借。為請羯磨師及屏教師、諸證戒者。若壇場中若大眾中受，既入壇已，安置衣鉢，先教請鄔波馱耶，即令三遍一一禮僧。次令捧鉢巡行，呈現大眾，一一觀已咸云好鉢，不道者得惡作罪。即對眾前，本師為守持衣鉢。次令其人向眼見耳不聞處，合掌而立，虔仰大眾，欲近圓人不應遠使、不上高樹恐有損傷。於屏障處，其屏教師問障法已，次喚入眾，乃至令其蹲踞合掌，在羯磨師前一心領受。既羯磨竟，即應量影，折四指籌名為商矩，隨四指影皆號一人，應告日時及五時差別。即應為說四他勝法，次說四依及四聖作法。若不說者，皆得惡作罪。若先說四依者，得越法罪。

> 出家を希望する一般の人がいる場合、その人の気持ちに従って一師のもとへ行かせます。師はすぐに出家を妨げる条件について尋ねます。問題がなければ受け入れます。その人の意欲と能力を見て、三帰と五戒を授けます。次に親教師を招きます。さらに僧に報告する役の比丘を招きます。招かれた人は本師に「この者の障法を尋ねましたか」と聞きます。尋ねていなければ悪作罪になります。僧が集まれば僧伽に報告し、集まらなければ部屋を回って知らせます。報告しなければ悪作罪になります。報告の際、皆が「清浄ならば出家させるべきです」と言います。尋ねなければ全員が悪作罪になります。次に剃髪する人に髪を剃らせます。剃り終える頃に頂髻を残し、「朱荼を残しますか」と尋ねます。「残す」と言えば、そのまま去らせます。「除く」と言えば、すべて剃ります。適した時に浴場で体を洗わせ、洗い終えたら下裙を着せ、巧妙に体を調べて本人に気づかれないようにします。二根や無根がないか確認するためです。次に僧脚崎を着せ、その後縵条を授けて頭に載せ持たせ、それから披着させます。一人の比丘を招いて三帰と十戒を授けさせ、鉢を持たせます。鉢がなければ出家させてはいけません。次に請教白の作法を教え、大比丘と同じようにします。年が二十歳に満ちていれば、師は六物の資具を整えます。自分が貧しくてなければ、借りて用意します。羯磨師と屏教師、証戒者を招きます。壇場でも大衆の中でも受けます。壇に入ったら衣と鉢を安置し、まず鄔波馱耶を招かせ、三遍ずつ一人ひとりに礼をさせます。次に鉢を捧げて巡回させ、大衆に示します。一人ひとりが見て「よい鉢だ」と言います。言わなければ悪作罪になります。大衆の前で、本師がその人のために衣と鉢を守持します。次にその人を、目に見えて耳に聞こえない場所へ行かせ、合掌して立ち、大衆を仰ぎます。近円を受けようとする人を遠くへ使ったり、高い木に登らせたりしてはいけません。損傷が心配だからです。屏障の場所で、屏教師が障法を尋ね終えたら、大衆の中へ呼び入れ、蹲踞して合掌させ、羯磨師の前で一心に受けさせます。羯磨が終われば、影を測ります。四指を折った籌を商矩と呼び、四指の影をすべて一人と呼びます。日時と五時の違いを告げます。すぐに四他勝法を説き、次に四依と四聖作法を説きます。説かなければ、皆が悪作罪になります。先に四依を説けば、越法罪になります。

有其五事不成近圓：一、不稱鄔波馱耶名；二、不稱己名；三、不牒僧伽；四、不作羯磨；五、羯磨減少，翻此五非，即名善受。正近圓時轉根為女，此亦成受，應送尼寺。近圓時變為男者，遣向僧寺，各依自戒。又苾芻、苾芻尼二眾互秉羯磨，若不問障法、若無親教師、若有而不請、若不受十戒、若不秉羯磨，咸非近圓。無親教師，眾皆越法，得名善受。若知親教師是破戒者，不成近圓；如不知者，得名為受。實有障法而自言無，實無障法而自言有，前不成受，大眾無犯；後成近圓，眾得越法罪。正受近圓時，云：「我捨學處。」或云：「我不樂受。」皆非近圓。若重聽、若蔑戾車，但解語者成受近圓；翻此不成，眾僧得罪。若鄔波馱耶及餘足數人作法之時根轉成尼、若聞白方轉，此成近圓，異此不成。互居空地，亦不成受。問曰：「齊何處所復齊幾人名受近圓？」答曰：「一界三人一時授與，乃至四界人各一二三同時授與，若更多界，皆成近圓。」

總有十種得近圓法。云何為十？一者無師，謂佛世尊。二者證智，謂五苾芻。三者問訊，謂鄔陀夷。四者歸依，謂大迦攝波。五者五人，謂是邊國，律師為第五。六者十人，謂在中方。七者受敬法，謂大世主。八者遣使，謂達摩陳那。九者二眾，謂兩部俱集。十者善來，謂大師親命。是名為十。世尊既開羯磨受已，餘法皆止，唯除善來，由是最後生故。

既近圓已，所有行法次下當說。小苾芻等應禮大者，若初相見應問夏數及以受時。時有五別：一、謂冬時四月；二、謂春時四月；三、謂雨時一月；四、謂終時一日一夜；五、謂長時三月少一日一夜。有四種應禮：一、是如來，一切人天並應致敬故。二、出家者不禮俗人，是彼所敬故。三、已近圓苾芻皆應禮敬先受近圓者，唯除尼眾，彼敬亦爾。四、未近圓者應禮近圓。有十種不應禮：行遍住等四人、授學人三種、被捨置人、諸在家人，及未近圓，是名為十。若一羯磨與二、三人同時近圓者，此無大小之別，互不致敬，眾使巡來任他差遣。

禮敬之儀有其二別：一、謂五輪著地；二、謂執捉腨足，口云：「畔睇。」有說：「禮大師時五輪至地。」若尊及尊類應手膝至地、或時曲躬低頭合掌、或捉腨或蹲踞合掌。若對所餘同梵行者，若但合掌、或復低頭、或口云：「畔睇。」若知他身有穢觸而為禮敬、或自身有穢觸而禮他者，俱得惡作。有二種穢觸：一、食竟未澡漱時觸；二、便利未洗淨時觸。出家苾芻不應懷恨，設有嫌隙者，小近大時即須唱畔睇而禮拜。大者見禮即云：「願無病惱。」如兩不言者，俱得惡作。若大苾芻懷恨而死，墮毒蛇中，小欲懺時，應念宿形而行敬法。若唯著下裙無上衣者，不合禮他，亦不受禮。違而行者，俱惡作罪。大者啑時，小云：「畔睇。」小者若啑，大云：「阿路祇。」若不言者，俱得惡作。然不應云：「願得長命。」若俗老母及莫訶羅，願長壽者道時無犯。闇中禮拜不應至地，口云：「畔睇。」即是致敬。

已辯出家受具禮敬法式，其攝受門徒共相依止，今次應說。既近圓竟，滿十夏已來在親教師邊，受學律藏及餘經論等。若親教師有緣不及自教者，應令別仗明德可委付人，依之而住。次明受依止法，凡欲受依止時，當觀彼人性行溫恭，有慚有愧，是可信用，於諸善品樂修習者，應攝受之。請依止時應整衣一肩，禮敬訖以兩手按彼雙足，作如是說：「大德存念！我某甲今請大德為依止，願大德為我作依止，我依大德故得安隱住。」如是三說。師云：「爾。」弟子云：「善。」或云：「極好。」若無依止師，不應輒向餘處人間遊行。若滿五夏，五法明解，識犯非犯知重知輕，別解脫經善知通塞，得離本師及依止師遊方習業。所到之處，經二三日且自停息。次當觀察，誰可為師？應就依止。若無依止不應停住，設阿羅漢亦須依止，況復異生。若所到處，五夜已來覓依止師求心不息者，現前利物應與其分，異此不應。有五法不與依止：一、無敬信心；二、出麁惡語；三、親近惡友；四、性恒懶惰；五、心無恭順。翻此應與。應捨依止、不捨依止，於前二五如次應知。有五事捨依止：一、決捨去出界外；二、謂還俗；三、親教師至；四、從此黨向餘黨；五、捨依止事。若見鄔波馱耶時，即失依止。若道行時師有心住，仍須供侍更相囑授。若依止師及以弟子，須出遊行中路而返，若經多時意擬重來者，還依舊位而作依止，由心不捨故。設於中間別依止餘人，亦不失前依止師位。若於其處依止師死，更無依止不應住經第二長淨，亦復不於此處若前若後而作安居。後安居內師命過者，應自防心住經兩月，過此已後更不應住。若住處去阿遮利耶、鄔波馱耶有兩踰膳那半，應當半月半月就其禮問；若五拘盧舍，經六七日應往禮問；若去五里，日日應往；若居界內，日別三時而為禮問。若阿遮利耶、鄔波馱耶，於衣鉢等所有營務，皆應先作。此之二師及教授師皆應如法供侍。若依止師及教授師，二俱有病，應看何者？若有力能兩處俱看，若無力能應看依止。所以然者，若無教授在處得住，若無依止即不應停。若教授師多有弟子，應為番次而作供侍。阿遮利耶有嫌隙處，不往親附。應恭敬心給侍師長，若不白師洒掃等事，及料理衣鉢，并教授他，皆不應作。若有客來，先不相識者，不應即與按摩解勞。以要言之，在本師邊及依止師處，於一切事不問不作，唯除五事。何謂為五？謂飲水、嚼齒木、大小便利，於同界中齊四十九尋內制底畔睇，如前所說。行法軌式一一不依者，咸得突色訖里多罪。此等諸罪皆有不敬教波逸底迦，及方便罪。

其請教白事晨旦問安，各各別陳不得合作，若事促者併諮無犯。諮問之法晨朝早起，自嚼齒木，次往房中為師按摩身體。師既起已，供水、齒木，安置坐處授拭巾等，應自禮尊像。次來禮師一拜，低頭虔誠合掌作如是白：「鄔波馱耶！若阿遮利耶存念。我今請問。不審鄔波馱耶，尊體起居宿夜安不？」依止師准此。師可隨時而答其事。如有病患，問知所須隨時供侍。次應隨心自修善品，欲食之時還須致禮，而請白言：「鄔波馱耶！或阿遮利耶存念，我今請白，我洗手足及鉢欲食粥。」或云：「我洗手足及鉢欲中食。」但是所有吞咽之物飯餅果等，乃至乾薑半片胡椒一粒、飲非時漿、曛黃洗足、敷設臥具眠息等事，咸須白知。設無白事，若至午時、若在午後，皆須禮拜。若至晡時行禮制底，日欲暮時皆應禮師。每日三時常行是事。若欲出寺皆須就禮，白云：「我今有如是緣，欲往某處。」師應量宜隨意遮遣，此乃略陳常行儀式。凡是弟子應勤檢察，不應恣其慢情，不為白事不修善品，如無韁馬非法自居。如世尊言：「汝諸苾芻！寧作屠兒，為殺害業，不與出家受近圓已捨而不問，令我正法速時滅壞。是故苾芻於弟子處，極須撿問，如不順教隨事呵責，若不可教驅令出去。」

已辯餘義當釋本文。言諸苾芻得罪者，謂得越法罪。此中犯相有其多種：若有人年未滿二十為不滿想、或復生疑，當問之時並依實說，此皆不成近圓，諸苾芻眾皆得越法罪，是人不應共住。若有人年未滿二十作定滿想、或復生疑，當問之時並依實說；若有人年未滿二十，不識其年或復生疑，當問之時默而不答，斯之二類非受近圓。若共清淨苾芻經二、三長淨，便成賊住。若有人近圓時，年實未滿而作滿想，後有親屬報云：「不滿。」應數胎月閏月。若滿者，斯名善受。若不滿者，退為求寂，應更與受近圓。若不爾者，同前賊住。若有人年滿十九，作二十心而受近圓，後經一年親屬來見，報云：「不滿。」或自憶知不滿、或年十八而受近圓，後經二歲同前憶知，斯等皆名善受，正教難逢是開聽故。若有人其年雖滿而相貌不滿，應為四句。相貌滿者，謂形狀、事相并成熟相。何謂形狀？謂其形狀及以言聲非小兒狀。言事相者，於腋等處皆已生毛。言成熟者，觀其意思及以性行不同幼年。於四句中初、三無犯，二、四有犯。若疑年不滿者，應須方便密檢隱相方授近圓。若人年滿十五，應與出家度為求寂。若異此者，得惡作罪。又下至七歲，能為眾僧看守穀麥、驅烏鳥者，亦與出家。若八歲不能及六歲能者，並不應度。然苾芻不應畜二求寂，若知其人能順教者與出家。受十戒已，應付餘人。其所付人，不得因此即授近圓，須問本師方與圓具。