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title: "菩薩地持經 · 1"
description: "《菩萨地持经》由北凉时期著名译经师昙无谶翻译，属瑜伽行派重要典籍。该经系统阐述菩萨修行的十个阶位（十地）及持守的戒律规范，涵盖发心、修行至成佛的全过程。它反映了公元5世纪大乘佛教菩萨道思想的成熟形态，对汉传佛教菩萨戒体系与修行理论影响深远，是研究大乘菩萨道实践与教义的关键文献。"
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### 1菩薩地持方便處真實義品第四之一

> 第1章 菩薩地における真実の義（品4の1）

云何真實義？略說二種：一者實法性；二者一切事法性。此二法性以種分別，復有四種：一者世間所知；二者學所知；三者煩惱障淨智所行處法；四者智障淨智所行處法。云何世間所知真實義耶？世間眾事，隨順俗數知見悉同，謂地即是地，非水非餘水火風。色聲香味觸乃至苦樂，略說此物即此物、非彼物，如是一切決定意解所行處事，世間本來自憶想知不從修習，是名世間所知真實義也。云何學所知真實義耶？如世智人，依現智比智及從師聞思量修學，彼決定智所行處事結集建立，是名學所知真實義也。云何煩惱障淨智所行處法真實義耶？一切聲聞緣覺無漏智、若無漏方便、若隨生世智修行境界，於彼智緣中煩惱障淨，未來世障畢竟不起，是名煩惱障淨智所行處法真實義也。所謂四聖諦苦集滅道，觀此四諦入無間等惠及無間等所起智慧，聲聞緣覺見陰離陰我不可得，諸行緣起生滅和合，陰與離陰無我人性修習知見。云何智障淨智所行處法真實義耶？智所知礙是名為障，彼智障解脫智修行境界，是名智障淨智所行處法真實義也。所謂諸佛菩薩入無我法，入已清淨，於一切法離言說自性、假名自性，離諸妄想平等大智修行境界，第一如實無上無邊，一切法擇永滅不起。

> では、「真実の義」とは何か。簡単に言えば、二種類ある。一つは「法そのものの本質（実法性）」であり、もう一つは「あらゆる現象の本質（一切事法性）」である。この二つの法性は、さらに細かく分けると四種類となる。第一に「世間が知っているもの」、第二に「学んで知るもの」、第三に「煩悩の障りが清められた智慧が働く領域である法」、第四に「智の障りが清められた智慧が働く領域である法」である。 では、「世間が知っている真実の義」とは何か。世間の様々な事柄について、世間の習慣に従った認識や見解が全て同じであること。例えば、地は地であって水ではなく、水や火や風などとは別物であると知ること。色、声、香、味、触、さらに苦楽に至るまで、簡単に言えば「この物はこの物であり、あの物ではない」と、そのように一切を確固たる心の決意で理解し行動する領域のこと。これは世間が本来、生まれながらにして自ら思い描き知っていることであり、特別な修行から得たものではない。これを「世間が知っている真実の義」と呼ぶ。 次に、「学んで知る真実の義」とは何か。例えば世間の知恵ある人が、現在の知恵や比較による推測、そして師の教えを聞いて考え学び、その確固たる智慧が働く領域の事柄をまとめ、体系化したもの。これを「学んで知る真実の義」と呼ぶ。 では、「煩悩の障りが清められた智慧が働く領域である法の真実の義」とは何か。これは、声聞や縁覚が持つ、煩悩を離れた無漏の智慧、あるいは無漏に至る方便、またはそれに伴って生じる世間の智慧の修行の境地を指す。その智慧の対象において、煩悩の障りが清められ、未来の世においてその障りが決して生じなくなること。これを「煩悩の障りが清められた智慧が働く領域である法の真実の義」と呼ぶ。具体的には、四つの聖なる真理（苦・集・滅・道）である。この四諦を観察して無間等の慧（無漏の智慧）に入り、またその無間等から生じる智慧によって、声聞や縁覚は、五蘊（身体と心）と、それらから離れたところに「我」があるわけではないと見極める。そして、様々な条件によって生じたり滅したりする現象（諸行縁起）の和合を、我（人間）が実体として存在しないこと（無我）を、修行によって知り見極めるのである。 では、「智の障りが清められた智慧が働く領域である法の真実の義」とは何か。智慧の対象となるものを妨げるものが「障り」である。その智慧の障りから解脱する智慧の修行の境地を、「智の障りが清められた智慧が働く領域である法の真実の義」と呼ぶ。具体的には、諸仏や菩薩が「人には実体がない（人無我）」と「法には実体がない（法無我）」という教えに入り、入った後に清らかになること。そして、あらゆる法について、言葉で表し得ない本性（離言説自性）や、仮に名づけられた本性（仮名自性）をあるがままに観じ、あらゆる妄想（分別）を離れた平等の大いなる智慧の修行の境地である。これは第一義の如実なるもの、最上のもの、限りのないものであり、あらゆる法を選び取り、永く滅して生じさせない境地である。

又真實相建立二種：一者有性；二者無性。有性者，建立施設假名自性。久遠已來世間計著一切憶想虛妄根本，所謂是色，是受想行識，眼耳鼻舌身意、地水火風、色聲香味觸法乃至涅槃，如是世間假名有自性法，是名為有。無性者，色假名乃至涅槃假名，無事無依假名，所依一切悉無，是名為無。如上所說有無是二，俱離法相。所攝二法無有二，無二者是名中道，離於二邊是名無上。如是真實，是佛世尊淨智境界，是諸菩薩所應修學。若修學者，名為大智方便菩薩，當得阿耨多羅三藐三菩提。何以故？菩薩與空解脫相應，在於生死如實知生死，不於生死無常等行而生厭離，能成就佛法利益眾生。若不如實知生死者，不能捨離貪恚癡等一切煩惱。若不捨離則以染污受諸生死，以染污心受生死者不能成就佛法利益眾生。若於生死無常等行生厭離者，是菩薩疾得涅槃。疾得涅槃者，亦不能成就佛法利益眾生。云何能得阿耨多羅三藐三菩提？若空解脫相應菩薩，則不畏涅槃亦不求涅槃。若菩薩畏涅槃者不能滿足涅槃道，以畏涅槃故不見涅槃功德利益，不見涅槃功德利益，清淨信樂皆悉遠離。若菩薩求涅槃者，多修習故疾般涅槃。疾般涅槃者，不能成就佛法利益眾生。若於生死不如實知，則長受生死；若厭生死，則疾般涅槃。若畏涅槃者，不能滿足涅槃之道；若求涅槃多修習者，則疾般涅槃，當知是菩薩於阿耨多羅三藐三菩提無大方便。若於生死得如實知，則於生死心不染著，若於生死無常等行不厭離者不疾涅槃，不畏涅槃者則能滿足涅槃之道、深見涅槃功德利益。若不勤求疾涅槃者，當知是菩薩於阿耨多羅三藐三菩提有大方便，是大方便依第一空解脫，是故名為修第一空解脫菩薩最大方便，謂向如來無上大智故。

> 真実の相には、二つの側面が立てられています。第一に「有るという性質」、第二に「無いという性質」です。 「有るという性質」とは、仮に名づけて成立する性質（仮名自性）のことです。遠い昔から世間の人々が執着し、あらゆる憶念や妄想の根本としてきたもの、すなわち「これは色である」、「これは受・想・行・識である」、「眼・耳・鼻・舌・身・意」、「地・水・火・風」、「色・声・香・味・触・法」、さらには涅槃に至るまで、このように世間の仮の名によって存在するとされる性質を、「有」と呼びます。 「無いという性質」とは、「色」という仮の名、さらには「涅槃」という仮の名について、実体がなく、よりどころとなるものもなく、その仮の名の拠り所となるものがすべて存在しないことを言います。これを「無」と呼びます。 以上に述べた「有」と「無」の二つは、どちらも真理のすがたから離れています。この二つの捉え方に、本来「二つ」という区別はありません。「二つではない」こと、これを「中道」と呼びます。両極端から離れていること、これを「無上」と呼びます。このような真理こそが、仏・世尊の清らかな智慧の境地であり、諸々の菩薩が学び修めるべきものです。 もしこの真理を学び修めるならば、その菩薩は「大いなる智慧と方便をそなえた菩薩」と呼ばれ、やがて無上正等覚（阿耨多羅三藐三菩提）を成就するでしょう。なぜなら、菩薩は空の解脱と相応しながら生死の世界にあり、生死をあるがままに知るので、生死の無常などのあり方に対して厭離の心を起こさず、仏の教えを成就し、衆生を利益することができるからです。 もし生死をあるがままに知らなければ、貪り・怒り・無知などのあらゆる煩悩を捨て離れることができません。捨て離れなければ、汚れた心で生死を受け、そのような心で生死を受ける者は、仏の教えを成就し衆生を利益することはできません。 また、もし生死の無常などのあり方に対して厭離の心を起こすならば、その菩薩は速やかに涅槃に入るでしょう。速やかに涅槃に入る者もまた、仏の教えを成就し衆生を利益することはできません。それでは、どうして無上正等覚を得ることができるでしょうか？ 空の解脱と相応する菩薩は、涅槃を恐れることもなく、涅槃を求めることもありません。もし菩薩が涅槃を恐れるならば、涅槃への道を満たすことはできません。恐れるがゆえに、涅槃の功徳や利益を見ることができず、その功徳や利益を見ないので、清らかな信楽から遠ざかってしまいます。もし菩薩が涅槃を求めるならば、多く修行するがゆえに速やかに涅槃に入ります。速やかに涅槃に入る者は、仏の教えを成就し衆生を利益することはできません。 もし生死をあるがままに知らなければ、長く生死を受け続けます。もし生死を厭うならば、速やかに涅槃に入ります。もし涅槃を恐れるならば、涅槃への道を満たすことができません。もし涅槃を求め、多く修行するならば、速やかに涅槃に入ります。このような菩薩は、無上正等覚に対して大きな方便を持たない、と知るべきです。 しかし、もし生死をあるがままに知るならば、生死に対して心が汚れ執着することはありません。生死の無常などのあり方に対して厭離しないならば、速やかに涅槃に入ることはなく、涅槃を恐れないならば、涅槃への道を満たすことができ、涅槃の功徳や利益を深く見ることができます。もし速やかな涅槃を求めないならば、この菩薩は無上正等覚に対して大きな方便を持つ、と知るべきです。 この大きな方便は、第一義の空の解脱に依るものです。ゆえに、「第一義の空の解脱を修める菩薩の最大の方便」と呼ばれます。それは、如来の無上の大いなる智慧に向かうものだからです。

## 菩薩地持經卷第一

> 菩薩地持経 巻第一