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title: "菩薩地持經 · 5 力品"
description: "《菩萨地持经》由北凉时期著名译经师昙无谶翻译，属瑜伽行派重要典籍。该经系统阐述菩萨修行的十个阶位（十地）及持守的戒律规范，涵盖发心、修行至成佛的全过程。它反映了公元5世纪大乘佛教菩萨道思想的成熟形态，对汉传佛教菩萨戒体系与修行理论影响深远，是研究大乘菩萨道实践与教义的关键文献。"
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### 菩薩地持方便處力品第五

> 力品 第五（方便処）

云何為力？略說有三種：一者諸佛菩薩得自在三昧，依自在三昧隨其所欲一切堪能，是名聖力。二者法有大果、有大利益，是名法力。三者諸佛菩薩先大福德方便成就，諸佛菩薩有俱生奇特未曾有法，是名俱生力。復次此三種力，以種分別，諸佛菩薩有五種力：一者神通力；二者法力；三者俱生力；四者共一切聲聞緣覺力；五者不共力。神通者，所謂六通：一者神足；二者天耳；三者他心智；四者宿命智；五者生死智；六者漏盡作證。是名神通力。法力者，所謂六波羅蜜：檀波羅蜜、尸羅波羅蜜、羼提波羅蜜、毘梨耶波羅蜜、禪波羅蜜、般若波羅蜜，是名法力是諸法有所堪能，故名法力。云何神足？略說有二種：一者變；二者化。若以種分別，則有無量。云何變神足？以種分別，所謂震動、熾然、充滿、示現、轉作異分、去來、大小、色像入身、所往相似、隱顯自在、障他神通、與辯、與念、與樂、放大光明，如是等比名變神足。震動者，謂佛菩薩得自在三昧，能有所作，震動寺舍城郭宮殿聚落田宅、地獄畜生餓鬼人天，及四天下、千世界二千世界三千世界、百三千世界千三千世界萬三千世界，乃至無數三千大千世界皆悉震動。熾然者，身上出火身下出水、身上出水身下出火，入火三昧舉身洞然，現種種色青黃赤白紅頗梨色。充滿者，身放光明充滿一舍，乃至充滿無量無數三千大千世界。示現者，謂安坐去來，現為沙門眾婆羅門、眾聲聞眾緣覺眾菩薩眾、天龍夜叉乾闥婆阿修羅迦留羅緊那羅摩睺羅伽人非人等眾。諸佛菩薩，下至惡道上至人天皆悉示現。乃至十方恒河沙剎亦復如是，過無量恒河沙剎有佛名剎名悉能示現，亦說彼佛及國土名號，復過是數隨其所欲悉能示現。轉作異分者，或變地為水，即是真水，如實非餘；變作火風亦復如是。如地，水火風亦復如是，即是非餘。如四大，色香味觸。草木泥土變為飲食衣服瓔珞香華塗香諸莊嚴具，沙礫瓦石變為眾寶，雪山王等一切諸山變為金色，一切即是如實非餘。好色眾生變為惡色、惡色眾生變為好色、或好惡色變為中色、或中間色變為好惡色。如好惡色，支節具足若不具足、若肥若瘦如是等比所有自相，能變其色自在無礙，非一切變隨其所欲。來去者，石壁無礙，上至梵世乃至色究竟天，若來若去悉得自在，周遍十方無量無邊三千大千世界。若化身、若麁四大身，若來若去亦復如是。若遠近想，即時往返。大小者，能令雪山如一微塵、令一微塵如雪山王。色像入身者，諸沙門婆羅門一切大眾，若村若城草木叢林及諸山地，一切色像悉內身中，時諸大眾各各自見入菩薩身。所往相似者，若至剎利眾，如彼色像，身量脩短音聲語言悉與彼同。彼之所說，與彼同說；彼所不能，為其開演，廣說正法令歡喜已即於前沒，不令彼知誰出誰沒、為天為人？如剎利婆羅門居士沙門眾，四天王天、三十三天、夜摩天、兜率陀天、化樂天、他化自在天、梵身天、梵眾天、大梵天、少光天、無量光天、光音天、少淨天、無量淨天、遍淨天、無障天、福生天、廣果天、無煩天、無熱天、善見天、善現天、色究竟天亦復如是。隱顯者，於大眾前作百作千，或復過是乃至無量，然後還沒、沒已復現。自在者，菩薩能令眾生若來若去、若住若語。障他神通者，如來神力悉能障蔽諸餘神力，亦能令現。究竟菩薩一生補處，除如來及等行菩薩，悉能障蔽。其餘菩薩，除上及等，亦悉能障。與辯者，無辯眾生能與辯才。與念者，於法失念能令憶念。與樂者，廣說正法令彼得聞，隨彼身心攝取饒益得止息樂，離諸陰蓋專心聽法隨其時節。非究竟樂四大錯亂能令調適，非人所惱亦令休息。放大光明者，謂佛菩薩神力放光遍至十方無量世界，地獄眾生苦痛休息，上至諸天、龍、夜叉、乾闥婆、阿修羅、迦樓羅、緊那羅、摩睺羅伽、人非人等，令見光明來至佛所，他方世界諸菩薩眾悉皆來集。略說十方世界無量諸佛無量光明，饒益安樂無量眾生。是名轉變神足。若以種分別則無量無數，除其自性變為餘事，是故名為轉變神足。

> 力とは何か。簡単に言えば三種類ある。第一に、諸仏菩薩が自在三昧を得て、その自在三昧に基づき、望むままにすべてを成し遂げられる力を「聖力」という。第二に、法には大きな結果と大きな利益がある。これを「法力」という。第三に、諸仏菩薩には前世からの大きな福徳と方便によって成就された、生まれつきの不可思議な未曾有の法がある。これを「倶生力」という。 さらに、この三種の力を種別に分けると、諸仏菩薩には五種の力がある。第一に神通力、第二に法力、第三に倶生力、第四に声聞・縁覚と共通する力、第五に不共の力である。 神通力とは、いわゆる六通のことである。第一に神足通、第二に天耳通、第三に他心智通、第四に宿命智通、第五に生死智通、第六に漏尽通である。これらを神通力という。 法力とは、いわゆる六波羅蜜のことである。すなわち檀波羅蜜（布施）、尸羅波羅蜜（戒）、羼提波羅蜜（忍辱）、毘梨耶波羅蜜（精進）、禅波羅蜜（禅定）、般若波羅蜜（智慧）である。これらを法力といい、これらの法にはいかなることにも成し遂げる力があるため、法力と名づけるのである。 では、神足とは何か。簡単に言えば二種類ある。第一に「変」、第二に「化」である。これを種別に分ければ無量となる。 変神足とは何か。種別に分ければ、震動・熾然・充滿・示現・転作異分・去来・大小・色像入身・所往相似・隠顕自在・障他神通・与弁・与念・与楽・放大光明などである。このようなものを変神足という。 震動とは、仏菩薩が自在三昧を得て、様々な働きをなし、寺院や城郭、宮殿、集落、田畑や家屋、地獄・畜生・餓鬼・人・天、さらには四天下、千世界、二千世界、三千世界、百三千世界、千三千世界、万三千世界、そして無数の三千大千世界に至るまで、すべてを震動させることである。 熾然とは、身体の上から火を出し、下から水を出し、あるいは上から水を出し下から火を出すこと、火三昧に入って全身を燃え上がらせ、青・黄・赤・白・紅・瑠璃色など様々な色を現すことである。 充滿とは、身体から光明を放ち、一つの家屋を満たし、さらには無量無数の三千大千世界を満たすことである。 示現とは、安坐したり、歩き回ったりして、沙門の集まり、婆羅門の集まり、声聞の集まり、縁覚の集まり、菩薩の集まり、天・龍・夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦樓羅・緊那羅・摩睺羅伽・人・非人などの集まりの中に現れることである。諸仏菩薩は、最下の悪道から人天に至るまで、すべての世界に姿を現す。さらに十方のガンジス河の砂の数のような世界にも同様に現れ、無量のガンジス河の砂よりも多くの世界の仏や国名を説き示し、その数を超えて、自在に望むままにすべてを現すのである。 転作異分とは、地を水に変えることである。それは真実の水であり、他のものではない。火や風に変えることも同じである。地と同様に、水・火・風もまた同様に変えることができる。四大のように、色・香・味・触も変えられる。草木や泥土を飲食や衣服、瓔珞、香、華、塗香などの荘厳具に変え、砂利や瓦礫を様々な宝に変え、雪山王などのすべての山を金色に変える。すべては真実そのものであり、他のものではない。美しい姿の衆生を醜い姿に変え、醜い姿の衆生を美しい姿に変え、美醜を中間の姿に変え、中間の姿を美醜に変える。手足の具足や不具足、肥満や痩身など、すべての特徴を自在に変え、妨げるものはない。ただし、すべてをそのまま変えるわけではなく、自在に望むままに変えるのである。 去来とは、石壁などをものともせず、梵世から色究竟天に至るまで、行き来を自在にし、十方無量無辺の三千大千世界を周遍することである。化身であろうと、粗大な四大の身体であろうと、行き来は同様である。遠近の想念があれば、即座に往復するのである。 大小とは、雪山を一つの微塵のようにし、一つの微塵を雪山王のようにすることである。 色像入身とは、沙門や婆羅門、すべての大衆、村や城、草木や叢林、山地など、すべての色像を自分の身体の中に納めることである。その時、大衆はそれぞれ自分が菩薩の身体の中に入っているのを見るのである。 所往相似とは、刹帝利の集まりに行けば、その姿、身長の長短、音声や言語を彼らと全く同じにする。彼らの話すことには同じように話し、彼らのできないことは彼らのために説き明かし、広く正法を説いて喜ばせてから、その前に忽然と消え去る。誰が出て行き、誰が消えたのか、天なのか人なのか、彼らに知られることはない。刹帝利・婆羅門・居士・沙門の集まり、四天王天・三十三天・夜摩天・兜率陀天・化楽天・他化自在天・梵身天・梵衆天・大梵天・少光天・無量光天・光音天・少浄天・無量浄天・遍浄天・無障天・福生天・広果天・無煩天・無熱天・善見天・善現天・色究竟天においても、同様である。 隠顕とは、大衆の前で百回、千回、あるいはそれ以上、無量に現れては消え、消えてはまた現れることである。 自在とは、菩薩が衆生を来させたり去らせたり、留まらせたり話させたりすることである。 障他神通とは、如来の神通力が他のすべての神通力を妨げること、また妨げずに現させることもできることである。究竟の菩薩や一生補処の菩薩は、如来や同行の菩薩を除いて、他の菩薩の神通を妨げることができる。それ以外の菩薩も、上位の菩薩や同等の菩薩を除いて、妨げることができる。 与弁とは、弁才のない衆生に弁才を与えることである。 与念とは、法について失念した者に思い出させることである。 与楽とは、広く正法を説いて、彼らに聞かせ、心身に従って利益を得させ、休息の楽しみを与え、五陰の覆いを離れ、専心して法を聴き、時に従って行動させることである。究極の楽ではないが、四大の錯乱を調え、非人の悩みを休息させる。 放大光明とは、仏菩薩の神通力が放つ光が十方無量の世界に広がり、地獄の衆生の苦痛を休息させ、天・龍・夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦楼羅・緊那羅・摩睺羅伽・人・非人に至るまで、光明を見て仏の所に来るようにすることである。他方の世界の菩薩たちも皆集まる。簡単に言えば、十方世界の無量の諸仏の無量の光明が、無量の衆生を利益し安楽にするのである。これを転変神足という。種別に分ければ無量無数であり、その自性を除いて他のものに変えることから、転変神足と名づけるのである。

云何化神足？略說無事化作，隨其所欲悉能化現，是名化神足。是化多種，或化身或化語。化身者，或似自身或不似，或似他身或不似，又自身他身相似不相似，化作相似根及根所依，非作實根。又復化作相似境界，謂飲食眾寶色香味觸所攝眾具，一切隨意。又自身相似，或作一身或作無量，天、龍、夜叉、乾闥婆、阿修羅、迦樓羅、緊那羅、摩睺羅伽、人非人等種種色像，人及畜生餓鬼地獄、聲聞緣覺菩薩如來，如是色像，隨其所應悉能化作自相似身，若異自身名不相似。他天身等化令相似，是名他相似化。若作彼天不相似身，是名他身不相似化。如天身乃至佛身亦復如是。無量身者，謂佛菩薩於十方無量無數世界，一時化作種種色像，饒益十方無量眾生。佛及菩薩雖至餘方，化住如故，或為眾生暫現如幻，或作飲食衣服車乘金銀真珠琉璃頗梨珂珼玉石如是等物，一切化現如實不異常得受用，是名化身。

> 問う、神足通による変化とは何か。簡潔に言えば、作為のない働きによって、望むままに全てを現し出すことである。これを神足通による変化という。この変化には多くの種類があり、身を変えるものと、言葉を変えるものとがある。 身を変える変化とは、自身の姿に似せたり、似せなかったり、他者の姿に似せたり、似せなかったりすることである。また、自身と他者の姿について、似せたり似せなかったりする場合がある。変化によって生み出されるのは、感官とその拠り所の似姿であり、実際の感官ではない。さらに、変化によって生み出される外界の対象の似姿、例えば飲食や様々な宝、色・香り・味・触感に属する様々な道具も、全て意のままである。 また、自身の似姿で、一つの身体を現したり、無数の身体を現したりする。 天、龍、夜叉、乾闥婆、阿修羅、迦楼羅、緊那羅、摩睺羅伽、人、非人など、様々な種類の姿形、 人や畜生、餓鬼、地獄の者、 声聞、縁覚、菩薩、如来といった、そのような姿形も、それぞれに応じて、自身の似姿として現し出すことができる。 もし現した姿が自身の本来の姿と異なるなら、これを「似せていない」という。 他者の天の身などを、それに似せて変化させる。これを「他者の身に似せた変化」という。 もしその天の身に似せない姿を現すなら、これを「他者の身に似せない変化」という。 天の身から仏の身に至るまで、全てこれと同じである。 無数の身を現すとは、仏や菩薩が、十方の無量無数の世界において、一時に様々な姿形を現し、十方の無量の衆生を利益することをいう。 仏や菩薩が他の場所に赴いた後も、変化によって現したものはそのまま留まり、あるいは衆生のために一時的に幻のように現れ、あるいは飲食・衣服・車乗・金銀・真珠・琉璃・頗梨・珂・貝・玉石などの物を現す。これら全ての変化して現れたものは、真実のものと異ならず、通常通りに用いることができる。これを身の変化という。

化語者，妙音具足、廣音具足，或從自身起、或從他身起、或無所從起，或說正法、或隨事教責。妙音者，謂佛菩薩化作口語，其聲深遠猶如雷震，或復微妙如迦陵毘伽音，可樂聲、悅樂聲、可愛聲，如是廣化無量音聲，言辭辯正，易知憙聞，隨順無盡。廣聲者，謂佛菩薩化大音聲，令天、龍、夜叉、乾闥婆、阿修羅、迦樓羅、緊那羅、摩睺羅伽、人非人等，聲聞緣覺諸大菩薩無量眾會，乃至一由旬若內若外周遍普聞，若小千世界、中千世界、大千世界，乃至十方無量世界亦悉普聞，為眾生故，從其自身以一音聲說無量法。從他起者，化作他語，為人說法，除其放逸。無所從起者，空中化聲猶如人語。說正法者，為愚癡眾生演說正法，令得開解。隨事教責者，彼雖不疑，得信樂心而為放逸，令生慚愧起不放逸。如是眾多，略說三種：化身、化聲、化境界，是名化神足。若一一分別則有無量。如是諸佛菩薩二種神足，能辦二事：一者為令眾生生信樂故，神足現化令入佛法；二者攝苦眾生安隱利益。

> 変化によって語るとは、妙なる音声を具え、広大な音声を具え、あるいは自身から起こり、あるいは他者から起こり、あるいはどこからも起こらず、あるいは正しい教えを説き、あるいは事に随って教え戒めることです。 妙なる音声とは、仏や菩薩が化作して言葉として発する口語であり、その声は深遠で雷鳴のようであり、あるいは迦陵頻伽の声のように微妙であり、楽しい声、喜びをもたらす声、愛らしい声です。このように無量の音声を広く化現し、その言葉や弁舌は正しく、理解しやすく喜んで聞かれ、衆生の心に随順して尽きることがありません。 広大な音声とは、仏や菩薩が大きな音声を化現して、天、竜、夜叉、乾闥婆、阿修羅、迦楼羅、緊那羅、摩睺羅伽、人と人でない者たち、声聞、縁覚、諸々の大菩薩、無量の大衆の集会に至るまで、一由旬の内側も外側も周囲に遍く聞こえさせ、小千世界、中千世界、大千世界、さらには十方の無量世界にもことごとく遍く聞こえさせるものです。これは衆生のためであり、その自身から一つの音声で無量の教えを説きます。 他者から起こるとは、他の者の言葉となって現れ、人のために教えを説き、その放逸を取り除くことです。 どこからも起こらないとは、空中に人の言葉のような声を化現することです。 正しい教えを説くとは、愚かで迷いのある衆生のために正しい教えを説き、彼らが理解して悟りを得るようにすることです。 事に随って教え戒めるとは、彼らが疑問を持っていなくても、信仰と喜びの心を得ているのに放逸になっている場合に、慚愧の心を起こさせ、放逸しないようにさせることです。 このように多くの種類がありますが、簡略に言えば三種です。すなわち、変化した身、変化した声、変化した境界です。これらを変化による神足通といいます。もし一つ一つ詳しく分別すれば、無量の種類があります。 このように、諸仏と菩薩には二種の神足通があり、二つの事を成し遂げます。第一に、衆生に信仰と喜びの心を生じさせるために神足通による変化を示し、仏法に入らせることです。第二に、苦しむ衆生を摂取して、安穏と利益を与えることです。

云何宿命智通？謂佛菩薩自知宿命，如是眾生是我名字，如契經廣說。知他宿命亦如己身，自知宿命能令他知。所知眾生本同事者，亦能令彼自識宿命。彼諸眾生知與菩薩昔同事已，亦復知餘眾生與己同事，亦復能令其餘眾生展轉相知，宿命名字名字等種種因緣。此中應廣說。從今現在及過去世。乃至無量無數劫事。念念中間，巨細多少次第悉知，是名諸佛菩薩宿命智通。菩薩自知宿世行菩薩道未曾有事，能為眾生開示顯現令其敬信愛樂佛法厭離生死，亦為顯示過去因果，令計常者遠離常見，謂於過去妄想常見及以斷見。云何生死智通？謂佛菩薩天眼清淨過於人眼，見諸眾生死時，好色惡色下色上色，乃至後生漸漸增長諸根成熟。身諸所作善、不善、無記，天眼光明照見悉知。乃至化色、天細微色，一切悉見。上至色究竟天、下至無擇地獄，於十方世界亦不一一別相方便，十方無量無邊世界一切色像一時普觀，於彼彼佛剎彼彼如來種種大眾會坐說法，如是一切悉見無餘。

> \#### 宿命智通とは何か 仏や菩薩が自らの過去世をはっきりと知ることを言います。例えば、「あの人は、かつて私とこういう名前で関わりがあった」といったことを、経典で詳しく述べられている通りに知るのです。 また、他者の過去世を自分のことのように知り、自らの過去世を知らせて他者にも認識させることができます。そして、自分の過去世を、かつて共に修行した仲間だと気づいた者たちは、さらに他の仲間たちとも過去世に縁があったことを知り、互いにその縁を自覚させ合うことができるのです。名前や様々な因縁が幾重にも重なって、このようなことが広く説かれています。 現在から過去にわたって、限りなく数え切れないほどの劫（長い時間）の間の出来事を、一瞬一瞬の細かな単位に至るまではっきりと見通すこと。これが諸仏や菩薩の宿命智通と呼ばれるものです。 菩薩は自らの過去世において、修行者として歩んできた未曾有の出来事を、人々に示して明らかにします。それによって人々は仏法を敬い信じ、愛好し、生と死の繰り返し（輪廻）から離れたいと思うようになります。また、過去の因果を示すことで、物事は永遠に変わらないと考える「常見」にとらわれる人々を、そこから遠ざけます。つまり、過去に対する誤った「常にある」という見方や、逆に「何もない」とする断見からも救うのです。 #### 生死智通とは何か 仏や菩薩は、人の目をはるかに超えた清らかな天眼を持っています。その眼で、生きとし生けるものが死ぬ時、美しい色か醜い色か、低い身分か高い身分かといった様子をはっきりと見ます。さらに、後の生で徐々に感覚器官が成長していく過程も見通します。 人々が身で行う善行、不善行、どちらにも属さない行為（無記）のすべてを、天眼の光明で照らし出して、ありのままに知ります。さらに、変化した姿や、天界の極めて微細な姿までも、すべてを見通します。上は色究竟天（天界の最上部）から、下は無間地獄（最も苦しい地獄）に至るまで、また十方世界のあらゆるものを、一つひとつ特別な手段を用いずに、一度に広く観察します。 十方の無限の世界にある、それぞれの仏の国、それぞれの如来が様々な大衆を集めて説法されている様子すべてを、残すことなく見通すことができ、これが生死智通なのです。

云何天耳智通？謂佛菩薩以天耳聞天人音聲、聖聲非聖聲、麁聲細聲、辯聲不辯聲、化聲非化聲、遠聲近聲，一切悉聞。若作有限方便者，上至色究竟天。若無限者，乃至上方無量世界。天聲者，從四天王乃至色究竟。人聲者，一切四天下聲。聖聲者，謂諸佛菩薩聲聞緣覺所出音聲，教誡眾生，所謂示教讚喜，令修善法捨不善法。彼諸眾生無染心者，受誦論議如法問難，與念教誡及餘一切善語利益。如是等聲是名聖聲。非聖聲者，謂諸眾生妄語、兩舌、惡口、綺語，從無擇獄上至諸天，諸方眾生種種諸聲。麁聲者，謂大眾生聲、大眾會聲、種種苦痛迫切之聲、相呼喚聲、雷霆聲、鼓貝聲。細聲者，乃至耳語極微細聲。辯聲者，謂義理可解。不辯聲者，謂義理不可解，如陀彌羅國語，風雨聲草木聲、鸚鵡鴝鵒聲、拘耆羅聲、命命鳥等眾鳥之聲。化聲者。謂神通自在。隨眾生心化作諸聲。遠聲者，除佛菩薩所住村落城邑中聲，其餘乃至十方無量世界一切音聲。諸佛菩薩以天眼見乃至十方身之所作淨不淨色，見已方便隨宜利益，以天耳聞口之所行淨不淨聲，聞已方便隨宜利益，是名略說諸佛菩薩天眼天耳之所作為。

> 天耳智通とは何か。仏や菩薩は天耳によって、天人の音声、聖なる声、聖ならざる声、粗い声、細かい声、はっきりした声、はっきりしない声、神通による声、神通によらない声、遠くの声、近くの声など、あらゆる音を聞き取ることができる。修行の範囲に限りがある場合、その境は色究竟天にまで及ぶ。限りがない場合は、上方の無量の世界にまで達する。天の声とは、四天王天から色究竟天に至るまでの音声である。人の声とは、四天下の一切の音声である。聖なる声とは、諸仏、菩薩、声聞、縁覚が発する音声であり、众生を教え戒め、示し教え、褒め喜ばせ、善法を修め不善法を捨てるよう導く声である。その教えを受けた众生が、清らかな心で経典を暗誦し議論し、法に従って問答し、念や教戒を受け、その他あらゆる善い言葉や利益を得る。これらの声を聖なる声という。聖ならざる声とは、众生が発する妄語、両舌、悪口、綺語などの言葉であり、無間地獄から天界に至るまで、様々な世界の众生の様々な音声を指す。粗い声とは、大きな生き物の声、大衆の集まる声、様々な苦痛に迫られた悲痛な声、呼び交わす声、雷鳴、太鼓や法螺貝の音などをいう。細かい声とは、耳元のささやきのような極めて微細な音声である。はっきりした声とは、その意味が理解できる音声をいう。はっきりしない声とは、意味が解せない音声であり、例えば陀弥羅国の言葉、風雨の音、草木の音、鸚鵡や九官鳥の鳴き声、鴝鵒、拘耆羅、命命鳥など、様々な鳥の鳴き声がこれにあたる。神通による声とは、自在な神通力によって、众生の心に応じて様々な音声を創り出すことをいう。遠くの声とは、仏や菩薩の住む村や城郭の音声を除いた、十方無量世界の一切の音声である。諸仏菩薩は天眼によって、十方世界における身の行為の清らかさや不清らかさを見極め、見た後に方便をもって众生に応じて利益を与える。また天耳によって、言葉による行為の清らかさや不清らかさを聞き分け、聞いた後に方便をもって众生に応じて利益を与える。これを略して、諸仏菩薩の天眼と天耳の働きという。

云何知他心智通？謂佛菩薩以知他心智通，知十方無量無邊世界眾生煩惱纏心、知離煩惱纏心、知煩惱相續煩惱使心、知離煩惱相續煩惱使心；知邪願心，所謂外道心及貪求心；知下心，謂欲界眾生乃至禽獸心；知中心，謂色界天心；知上心，謂無色界天心。知苦相應心、知樂相應心、知不苦不樂相應心。一念他心智，知一眾生心，隨其所念悉如實知。一念他心智知無量眾生心，隨其所念悉如實知。復次諸佛菩薩知他心智通，為種種根力、種種解力、種種界力、至處道力、漏盡力，隨其所應而作方便。

> 他心智通とは何か。仏と菩薩は、他者の心を知る神通力によって、十方の無数の世界に生きる衆生が煩悩に絡めとられた心、煩悩を離れた心、煩悩が続きそれを縛る心、煩悩から離れて続くことのない心を知る。また、誤った願いを持つ心（いわゆる外道の心や執着の心）を知る。下劣な心、すなわち欲界の衆生や獣の心を知る。中くらいの心、すなわち色界の天人の心を知る。優れた心、すなわち無色界の天人の心を知る。苦に対応する心、楽に対応する心、苦でも楽でもない心に対応する心を知る。一刹那の他心智で一つの衆生の心を知り、その想念のままに如実に知る。一刹那の他心智で無数の衆生の心を知り、その想念のままに如実に知る。また、諸仏や菩薩は他心智通によって、様々な根の力、様々な理解の力、様々な性質の力、悟りに至る道の力、煩悩を尽くす力を持ち、それぞれに応じた方法を施すのである。

云何漏盡智通？謂佛菩薩煩惱盡如實知，謂己及眾生，若盡若不盡悉如實知。己及眾生漏盡方便，已起未起悉如實知。彼諸眾生，起漏盡增上慢、不起漏盡增上慢，悉如實知。菩薩一切漏盡如實知，而不證漏盡。菩薩不捨煩惱，具諸有漏事，常行彼事而不染污。如是力者，名最上力。又佛菩薩漏盡智通，自離煩惱，亦為眾生廣分別說，令其捨離增上慢心，當作是知。是漏盡智業。

> 仏・菩薩による「煩悩の尽き」に関する智慧とは何か。 それは、仏・菩薩が煩悩の尽きをありのままに知ることをいう。 つまり、自身と衆生について、煩悩が尽きているか尽きていないかを、すべてありのままに知る。 自身と衆生が煩悩を尽くすための方法について、すでに起こしたものも未だ起こしていないものも、すべてありのままに知る。 また、それらの衆生について、煩悩を尽くしたと慢心（おごり）を起こす者、煩悩を尽くしたと慢心を起こさない者も、すべてありのままに知る。 菩薩は、すべての煩悩が尽きることをありのままに知りながらも、自らは煩悩を尽くし切る境地（涅槃）には入らない。 菩薩は煩悩を捨てず、あらゆる煩悩のある事柄を備え持ち、常にそれらの行いをしながらも、それらに染まることがない。 このような力を、最上の力と名づける。 さらに、仏・菩薩の煩悩を尽くす智慧の働きは、自ら煩悩を離れるだけでなく、衆生のためにも広く説き示し、彼らに慢心を捨てさせる。 このように知るべきである。 これが、煩悩を尽くす智慧の働きである。

云何法力？謂佛菩薩檀波羅蜜乃至般若波羅蜜。此六波羅蜜各有四事：一者對治；二者成菩提具；三者攝取自他；四者得未來果。云何布施四事？一者布施對治慳貪。二者成菩提具。三者以施攝取成就眾生，欲施善心、清淨心施、施已不悔，三時歡喜，以自饒益是名自攝。彼諸眾生飢渴寒熱疾病所須，眾難恐怖悉令遠離，以此饒益是名攝他。四者以是因緣，在在所生得大財富、得大種性、得大眷屬，是名布施四功德力無餘無上。

> では、法力とは何か。それは、仏や菩薩の檀波羅蜜（布施の完成）から般若波羅蜜（智慧の完成）に至る六つの波羅蜜を指す。この六つの波羅蜜には、それぞれに四つの働きがある。第一に、煩悩を対治すること。第二に、悟りを達成するための資糧となること。第三に、自分自身と他者を摂取すること。第四に、未来における結果（果報）を得ることである。 では、布施（檀波羅蜜）におけるこの四つの働きとは何か。 第一に、布施は貪りとケチの心を対治する。 第二に、それは悟りを成就するための資糧となる。 第三に、布施によって衆生を摂取し、彼らを成長させる。すなわち、施そうという善い心を持ち、清らかな心で施し、施した後に後悔せず、施す前・施す最中・施した後の三時において喜びを感じることで、自分自身を益する。これを「自らを摂する」という。また、飢えや渇き、寒さや暑さ、病などに苦しむ衆生が必要とするものを与え、様々な困難や恐怖から彼らを遠ざけることで、他者を益する。これを「他を摂する」という。 第四に、このような因縁によって、生まれるところどこでも、大きな財産を得、高貴な家柄に生まれ、多くの眷属を得る。これが布施における四つの功徳の力であり、完全でこの上ないものである。

云何持戒四事？一者受身口律儀，對治犯戒。二者成菩提具。三者受持淨戒，同利攝取成就眾生，遠離犯戒怨家恐怖臥覺常安，以自饒益。又持戒者，心不悔恨常得歡喜，乃至心定諸自利事，是名自攝。普施眾生一切無畏，是名攝他。四者以是因緣命終生天，是名持戒四功德力無餘無上。

> どのように戒めを守るのか、4つのことがあります。第一に、身と口の律儀を受け持ち、戒めを破ることを対治します。第二に、悟りを成就するための資糧となります。第三に、清らかな戒めを保ち、同じ利益によって衆生を引き寄せて成就させ、戒めを破るという敵や恐怖から遠ざかり、眠りにつく時も常に安らかで、自らを益します。また、戒めを保つ者は、心に悔いや恨みがなく、常に歓喜を得て、心が定まるなど、自らを利する諸々の事柄に至ります。これを「自己を摂する」と言います。すべての衆生に一切の無畏（恐れのなさ）を施すことを「他を摂する」と言います。第四に、この因縁によって命終の後に天に生まれます。これを戒めを保つ4つの功徳の力、余すところなく最も優れたものと説きます。

云何忍辱四事？一者修忍對治不忍。二者成菩提具。三者以堅固忍，同利攝取成就眾生，自身及他度大恐怖，是名自他俱攝。四者以是因緣，於未來世無有怨憎無別離者，既無別離亦無憂苦，臨命終時心不悔恨，捨此身已生人天中，是名堪忍四功德力無餘無上。

> 忍辱には四つの効能があります。 第一に、忍辱を修することによって、忍耐のない心を対治します。 第二に、悟りを完成させるための資糧となります。 第三に、堅固な忍辱をもって、他の人々に利益をもたらし、その心をとらえて導き、自他の大きな恐怖から救い出します。これを「自他ともに救う」といいます。 第四に、このような因縁によって、未来の世に怨みや憎しみのある者も、別れ離れになる者もなく、別れがないゆえに憂いや苦しみもなく、命終わりの時には心に悔いがなく、この身を捨てた後には人間や天人の世界に生まれます。これを「堪忍の四つの功徳の力、余すところなく、この上ないもの」といいます。

云何精進四事？一者精進對治懈怠。二者成菩提具。三者依勤精進，同利攝取成就眾生，精進樂住離諸惡法功德增長，歡喜悅豫以自饒益，是名自攝。精勤修善，不以身口恐怖眾生，眾生見已亦樂精進，是名攝他。四者以是因緣，於未來世能成大人奇特功業，是名精進四功德力無餘無上。

> では、精進には四つのことがあります。第一に、精進は怠け心を対治します。第二に、精進は悟りを得るための準備を整えます。第三に、勤め励む精進に基づき、他者と共に利益を得て、ともに生きる人々を引き受け、成就させます。精進を楽しみ、悪しき行いから離れて、善い行いの功徳を増やし、喜びと楽しみをもって自らを豊かにします。これを「自己をよく保つ」と言います。精進して善を修め、身体や言葉で他者を怖がらせることがなければ、他者もそれを見て精進を楽しむようになります。これを「他者を導く」と言います。第四に、これらの因縁によって、未来において立派な大人の特別な功績を成就することができます。これらを精進の四つの功徳の力といい、余すことなく、この上ないものとします。

云何禪定四事？一者禪定對治煩惱，言語亂覺喜樂色想煩惱悉滅。二者成菩提具。三者依諸禪定，同利攝取成就眾生，住現法樂以自攝取，其心寂靜離於貪欲，是名自攝。於諸眾生不瞋不惱，是名攝他。四者以是因緣，於未來果報生於天上，智惠清淨神通清淨，是名禪定四功德力無餘無上。

> 禅定には、四つの働きがあります。 一つ目は、煩悩を対治する働きです。雑念や言葉、喜びや楽しみ、色の想いといった煩悩が、すべて消え去ります。 二つ目は、悟りを完成させるための基盤となることです。 三つ目は、禅定によって、ともに利益を受け取り、人々を引き寄せて成就させることです。今の安らぎに留まり、自らを落ち着かせ、心は静かで、欲望から離れています。これを「自らを摂する」と言います。そして、すべての人々に対して怒らず悩ませないこと、これを「他を摂する」と言います。 四つ目は、このような因縁によって、未来の果報として天に生まれ、智慧が清らかになり、神通力が清らかになることです。 これらが、余すところなく、この上ない、禅定の四つの功徳の力です。

云何般若四事？一者智惠對治無明。二者成菩提具。三者布施愛語利益，同利攝取成就一切眾生，於所知事隨義了知，勝妙饒益歡喜悅豫，是名自攝。普為眾生巧便說法，令得今世後世安樂，是名攝他。四者以是因緣，攝取一切平等善根，於未來世除障作證，所謂煩惱障及智惠障，是名智慧四功德力無餘無上。是名法力。

> 智慧（般若）には四つの働きがあります。第一に、智慧は無知（無明）を断ち切ります。第二に、智慧は悟り（菩提）を完成させる条件を備えます。第三に、智慧は、施し、優しい言葉、利益となる行い、そして同じ目的のために行動することで、すべての人々を助け導きます。智慧によって、自分が知るべきことを正しく理解し、その素晴らしい恵みを心から喜ぶこと——これが自分を正しく導くこと（自摂）です。また、智慧によって、すべての人々のために巧みに教えを説き、現在と未来の安心と幸せをもたらすこと——これが他者を導くこと（摂他）です。第四に、このようにして得た平等な善い行いのすべてを集め、未来において煩悩の障害と知識の障害という二つの障りを取り除き、その真理を自ら証する力となります。これこそが、智慧の四つの力が完全にして他に並ぶもののない姿です。以上のことを、真理の力（法力）と言います。

云何諸佛菩薩俱生力？性識宿命利益眾生，思惟長夜無間大苦，悉能堪忍饒益眾生，眾生愛樂其心隨喜。生兜率天隨壽命住，有三事勝蔽諸天人：一者天壽；二者天色；三者天名稱。生母胎時，奇特光明充滿世界，正知入胎、住胎、出胎。生墮地時，即行七步舉手而言：「吾當於世為無上尊。」天、龍、夜叉、乾闥婆、阿修羅、迦樓羅、緊那羅、摩睺羅伽等，以天香花伎樂幢幡種種嚴飾而為供養，三十二相以自莊嚴。為最後身，諸魔怨惡所不能壞。坐佛樹下慈心伏魔，一一支節有那羅延力。從初弱年為童子時，一切術藝種種技能，自然巧便不從師受。坐于道場菩提樹下，無師自然成等正覺，梵王來下勸請說法。雷霆震擊發大音聲，不能動亂如來正受。惡獸親附隨順無畏，諸眾生類悉皆供養。如彼猨猴奉進香蜜，世尊哀受歡喜弄舞。神龍降雨洗浴其身，若出行時輒為止雨。菩薩如是坐佛樹下，樹為曲枝隨蔭其軀。成正覺已於六年中，天魔波旬恒求其短不能得便，常得正念平等安住。一切眾生，種種異知、種種異想、種種異覺，生住滅時念念悉知。如來以俱生力，示現色身及聖威儀攝取眾生。示現身故，狂者得正、逆胎得順、盲者得視、聾者得聽，令三毒者離欲怒癡。以如是比示現色身攝取眾生，是名示現俱生神力。威儀俱生力者，常右脇臥如師子王。草蓐不亂、風不動衣、行如師子、步若牛王，先舉右足次左足隨。行處平正無沙礫瓦石，行時安詳諸根寂靜。若入門時下門為高，食無完過口口無遺。如是無量未曾有事，當知皆是聖威儀所攝俱生神力。

> \### 諸仏・菩薩の俱生力とは何か？ 生まれながらにして備わる力、それが「俱生力」です。 それは、過去世からの智恵と慈悲に根ざし、決して揺るぎません。 \*\*その力とは、具体的には次のようなものです。\*\* \* 輪廻する全ての生きとし生けるものへの、深い憐れみと利益を願う心。 \* いかなる苦しみも、衆生のためならば耐え忍び、その喜びを自らの喜びとする心。 \* 生まれ変わりの果てに、兜率天（とそつてん）に生まれ、天の寿命・容姿・名声において他の天を凌駕する。 \* 母の胎内に入るとき、世界を満たす奇妙な光明が現れる。胎内に宿り、そして生まれる瞬間も、常に正しい知覚を保っている。 \* 生まれて地に落ちると七歩歩き、手を挙げて「私は世界で最も尊い者となる」と宣言する。 \* 天、竜、夜叉などあらゆる生きとし生けるものが、香りや花、音楽、旗などで荘厳に供養する。 \* 身体には三十二の相が備わり、最後の生を受けた身であるため、いかなる悪魔や怨敵も害することはできない。 \* 菩提樹の下で坐し、慈悲の心で悪魔を調伏する。その身体の節々には、那羅延（ナーラーヤナ）の力が宿っている。 \* 幼い頃から、いかなる技芸や知識も、師に就かずとも自然に会得する。 \* 道場の菩提樹の下で、師なくして自ら悟りを開く。梵天が自ら降りてきて、説法を請う。 \* 雷光や大地震も、如来の瞑想を乱すことはできない。 \* 猛獣も親しみ従い、恐れを知らない。全ての生きとし生けるものが供養する。例えば猿が捧げた蜜を、世尊は喜んで受け取り、その踊りに興じる。 \* 神竜が雨を降らせてその身を清め、歩み出る時には雨を止ませる。 \* 菩薩が菩提樹の下に坐ると、その木が枝を曲げて菩薩の身体を覆う。 \* 悟りを開いてから六年の間、天魔・波旬でさえ、如来の欠点を見つけることができなかった。常に正しく穏やかな心で、全てのものに平等であり続ける。 \* あらゆる生き物の、様々な知覚、思考、感情、そしてその生・住・滅の瞬間を、一瞬一瞬、残らず知る。 \*\*如来はこの俱生力によって、自らの姿や聖なる威儀を示し、衆生を導きます。\*\* 姿を示すことで、狂った者は正気を取り戻し、胎児の向きは正され、盲人は見えるようになり、聾者は聞こえるようになります。そして、貪り・怒り・愚かさの三毒に苦しむ者を、そこから解放します。このように様々な姿を現して衆生を導く力を、「俱生神力を示現する」と言います。 \*\*また、威儀の俱生力とは、このようなものです。\*\* \* 獅子王のように、常に右脇を下にして臥す。 \* 敷物が乱れることも、風が衣を動かすこともない。 \* 歩く姿は獅子のように、牛王のように、まず右足を上げてから左足を続ける。 \* 歩く場所には砂利や石がなく、歩みは安らかで、感覚は静まる。 \* 門をくぐる時には、門が自ら高くなる。 \* 食事は口に入れたものが外にこぼれたりせず、一粒の無駄もない。 このような、計り知れない未曾有の出来事は、全て聖なる威儀に備わった俱生神力によるものだと知るべきです。

云何諸佛菩薩不共聲聞辟支佛力？云何共力？不共力者，略說三種：一者細；二者分別；三者界。諸佛菩薩於無量無數阿僧祇眾生，以無量力方便利益，悉如實知，是名為細。一切種神通力、法力、俱生力滿足成就，是名分別。一切世界、一切眾生界，是彼力境界，是名為界。聲聞者，以二千世界內國土世界、眾生世界為神通境界。緣覺者，以三千世界為神通境界。何以故？彼自調伏故，非一切眾生，是故唯一三千世界以為境界。除此已，諸佛菩薩餘神力，是名共力。聲聞緣覺尚不能及菩薩神力，況復人天外道凡夫。菩薩有三種示現力：一者神足；二者示他心；三者教誡，此亦神通所攝。隨其所應，謂神足、他心智、漏盡智。

> 問う、諸仏菩薩の、声聞や辟支仏と共通しない力とは何か。また、共通する力とは何か。 共通しない力とは、大まかに三種ある。第一に「細」、第二に「分別」、第三に「界」である。 諸仏菩薩は、無量・無数・阿僧祇の衆生に対して、無量の力と方便を用いて利益を与え、そのすべてをあるがままに知る。これを「細」という。一切の種の神通力、法力、そして生まれながらの力を満ち足らせて成就する。これを「分別」という。一切の世界、一切の衆生界が、その力の及ぶ領域である。これを「界」という。 声聞は、二千世界の内にある国土世界と衆生世界を、神通の領域とする。縁覚は、三千世界を神通の領域とする。なぜなら、彼らは自身を調伏することに専念し、一切の衆生のためではないからである。そのため、ただ一つの三千世界をもって領域とするのである。 これら以外の、諸仏菩薩のその他の神通力を、「共通する力」という。声聞や縁覚でさえ、菩薩の神通力には及ばない。ましてや、人間や天界の者、外道、凡夫が及ぶはずもない。 菩薩には、三種の示現の力がある。第一に神足、第二に他心を示すこと、第三に教誡である。これらもまた神通に含まれる。それぞれの働きに応じて、神足通・他心通・漏尽通と呼ばれる。

## 菩薩地持經卷第二

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