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title: "菩薩地持經 · 7 無上菩提品"
description: "《菩萨地持经》由北凉时期著名译经师昙无谶翻译，属瑜伽行派重要典籍。该经系统阐述菩萨修行的十个阶位（十地）及持守的戒律规范，涵盖发心、修行至成佛的全过程。它反映了公元5世纪大乘佛教菩萨道思想的成熟形态，对汉传佛教菩萨戒体系与修行理论影响深远，是研究大乘菩萨道实践与教义的关键文献。"
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### 菩薩地持方便處無上菩提品第七

> 第七品 無上菩提

云何為菩提？略說二種斷、二種智是名菩提。二種斷者，煩惱障斷及智障斷。二種智者，煩惱障斷，離垢清淨，一切煩惱不相續智；及智障斷，一切所知無障礙智。復次清淨智、一切智、無礙智，滅一切煩惱習，清淨明達永斷無餘，是名無上菩提。彼一切煩惱習究竟斷智，是名為清淨智。一切界、一切事、一切種、一切時無礙智，是名一切智。界者二種：世界及眾生界。事者二種：有為、無為。如是有為、無為事，無量種分別：自相差別分別、總相差別分別、因果分別、界分別、趣分別、善不善無記等分別。時者有三時：過去、未來、現在。如是知一切界、一切事、一切種、一切時，是名一切智。不假方便發心即知，於一切法了達無礙，是名無礙智。復次百四十不共佛法，及如來無諍智、願智、無礙辯，是名無上菩提。百四十不共佛法者，三十二大人相、八十隨形好、四無礙智、一切種清淨、十力、四無畏、三念處、三不護、大悲、不忘法、斷除諸習一切種妙智，是諸佛法。安立品當廣說。

> さて、「菩提」とは何でしょうか。 簡潔に言えば、二つの「断」と二つの「智」を具えたものを菩提といいます。 二つの断とは、煩悩の障りを断つことと、智慧の障りを断つことです。 二つの智とは、煩悩の障りを断ち切って、汚れを離れて清らかとなり、一切の煩悩が続いて起こらなくなる智慧、そして智慧の障りを断ち切って、あらゆる事柄を知る上で障害のない智慧です。 さらに、清らかな智慧、一切の智慧、妨げのない智慧、あらゆる煩悩の癖を消し去り、清らかに明らかに悟り尽くして、少しの残りもなく断ち切ることを、無上の菩提といいます。 あらゆる煩悩の習慣を究極的に断ち切る智慧、これを清らかな智慧といいます。 すべての世界、すべての生き物、すべての種類、すべての時において障害なく知る智慧、これを一切の智慧といいます。 世界とは二種あります。器の世界と生き物の世界です。 事柄とは二種あります。作られたもの（有為）と作られざるもの（無為）です。 このように、有為・無為の事柄には、無数の区別があります。すなわち、自己の特徴による区別、全体の特徴による区別、原因と結果による区別、世界による区別、生存の領域による区別、善・不善・無記などによる区別です。 時には三つあります。過去、未来、現在です。 このように、すべての世界、すべての事柄、すべての種類、すべての時を知ることを、一切の智慧といいます。 特別な方法を用いず、心を起こすだけでたちどころに知り、あらゆる物事について妨げなく徹見する、これを妨げのない智慧といいます。 さらに、百四十の仏だけが持つ特殊な性質、および如来の無諍智、願智、無碍弁才を、無上の菩提といいます。 百四十の仏だけの性質とは、三十二の大人相、八十の随好、四無碍智、一切種清浄、十力、四無畏、三念処、三不護、大悲、不忘法、諸習気の断除、一切種妙智であり、これらが仏の法です。 これらについては、「安立品」で詳しく説かれます。

無上菩提者，具七無上，於一切菩提最為無上。云何七無上？一者身無上；二者道無上；三者正無上；四者智無上；五者神力無上；六者斷無上；七者住無上。如來三十二相莊嚴其身，是名身無上。如來自度度人多所過度，哀愍世間利益安樂諸天世人，是名道無上。如來無上無等四正成就，謂正戒、正見、正威儀、正命，是名正無上。如來無上無等四無礙智成就，法無礙、義無礙、辭無礙、樂說無礙，是名智無上。如來無上無等六神通成就，如前說，是名神力無上。如來無上無等一切煩惱習斷、智障斷，成就二斷，是名斷無上。如來無上無等三種住，多於中住，聖住、天住、梵住，是名住無上。空無相無作、滅盡正受，是名聖住。四禪四無色定，是名天住。四無量心，是名梵住。於彼三住中，四無上住如來多住聖住中，住空三昧及滅盡定；天住中住第四禪；梵住中住大悲。如來以是，晝夜六時常以佛眼觀察世間，誰應度者，未起善根我當令起，乃至誰應得無上果，我當建立，是名住無上。身無上者，名大丈夫。道無上者，名為大悲。正無上者，名大戒大法。智無上者，名為大惠。力無上者，名大神通。斷無上者，名大解脫。住無上者，名大住多住。

> 無上の悟りを持つ方は、七つの点で最も優れており、あらゆる悟りの中で最高のものです。その七つの無上とは何でしょうか？第一に身無上、第二に道無上、第三に正無上、第四に智無上、第五に神力無上、第六に断無上、第七に住無上です。 如来は三十二の相でその身を荘厳しておられますことを、身無上と名づけます。如来は自らを悟り、人々を悟りに導き、多くの者を救済し、世の中を哀れみ、天や人のために利益と安楽をもたらします。これを道無上と名づけます。 如来は比べるもののない、最も優れた四つの正しい成就をお持ちです。すなわち、正しい戒律、正しい見解、正しい威儀、正しい生活です。これを正無上と名づけます。 如来は比べるもののない、最も優れた四つの無礙智の成就をお持ちです。すなわち、法無礙、義無礙、辞無礙、楽説無礙です。これを智無上と名づけます。 如来は比べるもののない、最も優れた六神通の成就をお持ちです。これは先に述べた通りです。これを神力無上と名づけます。 如来は比べるもののない、最も優れた一切の煩悩の習気を断ち、智の障害を断つという、二つの断ちの成就をお持ちです。これを断無上と名づけます。 如来は比べるもののない、最も優れた三つの住をお持ちであり、多くその中に留まられます。すなわち、聖住、天住、梵住です。これを住無上と名づけます。 空、無相、無作、そして滅尽定に正しく入ることを、聖住と名づけます。四つの禅定と四つの無色定を、天住と名づけます。四無量心を、梵住と名づけます。これらの三つの住の中で、四無上住について言えば、如来は聖住においては空三昧と滅尽定に多く留まり、天住においては第四禅に、梵住においては大悲に多く留まられます。 如来はこのようにして、昼夜六時に常に仏眼で世の中を観察し、誰が悟りを得るべきか、まだ善根を起こしていない者には起こさせるべきか、さらには誰が無上の果を得るべきかを確かめ、その人を導いて悟りに至らせます。これを住無上と名づけます。 身無上とは、大丈夫と名づけます。道無上とは、大悲と名づけます。正無上とは、大戒・大法と名づけます。智無上とは、大慧と名づけます。力無上とは、大神通と名づけます。断無上とは、大解脱と名づけます。住無上とは、大住・多住と名づけます。

復次如來有十種名稱功德隨念功德。云何十？如來、應、等正覺、明行足、善逝、世間解、無上士調御丈夫、天人師、佛、婆伽婆。非不如說，故名如來。得一切義故、無上福田故、應供養故，故名為應。如第一義開覺故，名等正覺。三明，如契經所說；行者，止觀具足故，名明行足。第一上昇永不復還，是名善逝。知世界眾生界一切種煩惱及清淨，是名世間解。第一調伏心巧方便智，一切世間唯一丈夫，是名無上調御士。四種真實智，義法真實故、顯示不了義故、依一切義故、廣宣說故、斷一切疑故、顯示甚深清白處故、為諸法根故、為一切法導故、為一切舍故，脫一切苦師演說法義正諸天人，是名天人師。義饒益聚、非義饒益聚、非義非非義饒益聚，具足一切種平等開覺，是名為佛此三聚是善、不善、無記。壞一切魔力故，是名婆伽婆。或無量劫無一佛出世，或一劫中多佛出世。於彼彼十方無量世界，有無量無邊阿僧祇佛出現於世。何以故？十方世界有無量菩薩俱發大願故。若一菩薩，如是日、如是分、如是月、如是歲發菩提心，一切菩薩亦復如是，即於此日此分此月此歲發菩提心。同一威儀、同一堪能、同一方便，一切菩薩亦復如是。一世界有無量菩薩，同願同施同戒同忍同精進同禪定同智慧，況復十方無量世界一一世界各有無量無數菩薩。無二菩薩同願同行，於一國土俱時成佛，況復無量一時俱成。又一切菩薩一時同行次第成佛，是亦不然；亦非一成，餘悉不成。是故十方無量世界，隨其所淨空無佛處，同行菩薩各各成佛，是故無量世界有無量佛。

> さらに、如来には十の名称の功徳があり、それを心に留める功徳があります。その十とは何か。如来、応供、等正覚、明行足、善逝、世間解、無上士・調御丈夫、天人師、仏、世尊です。 説かれた通りに実践するから「如来」といいます。一切の義を成就し、無上の福田であり、供養に値するから「応供」といいます。第一義を覚り開くから「等正覚」といいます。三つの明（三明）は経典に説かれる通りであり、行とは止観をそなえていることから「明行足」といいます。最上の境地に昇り、再び退くことがないから「善逝」といいます。世界と衆生のあらゆる種類の煩悩と清らかさを知ることを「世間解」といいます。心を究極に調える巧みな智慧を持ち、一切世間で唯一の丈夫であるから「無上士・調御丈夫」といいます。四種の真実の智慧――義と法の真実、不了義を示すこと、一切の義に依ること、広く説くこと、一切の疑いを断つこと、深く清らかな境地を示すこと、諸法の根本であること、一切法の導きであること、一切のよりどころであること――によって、苦を脱する師として、天人のために法を説き正すことから「天人師」といいます。<note>この三聚とは、善・不善・無記のことです。</note> 義の利益の集まり、義ならざる利益の集まり、義でも非義でもない利益の集まりを、あらゆる種類において平等に覚り開くことを「仏」といいます。一切の魔力を打ち破ることから「世尊」といいます。 あるいは無量の劫の間、一仏も世に現れないこともあり、あるいは一劫のうちに多くの仏が世に現れることもあります。そのそれぞれの十方の無量の世界には、無量無辺の阿僧祇もの仏が世に出現されます。なぜなら、十方世界には無量の菩薩がともに大願を発するからです。もし一菩薩が、この日、この時間、この月、この年に菩提心を発したなら、すべての菩薩もまた同じく、この日、この時間、この月、この年に菩提心を発します。同じ威儀、同じ能力、同じ方便も、すべての菩薩もまた同じです。一世界に無量の菩薩がいて、同じ願い、同じ布施、同じ戒、同じ忍辱、同じ精進、同じ禅定、同じ智慧をそなえているのです。まして十方の無量世界の、それぞれの世界に、それぞれ無量無数の菩薩がいるのはなおさらです。同じ願いを持ち同じ行を実践する二菩薩が、同一の国土において同時に成仏することはありません。まして無量の菩薩が一時に同時に成仏することはありえません。また、すべての菩薩が順に次第に成仏していくということもありません。また、一菩薩だけが成仏し、他はまったく成仏しないということもありません。ですから、十方の無量世界において、その清らかにされたところに従い、仏のいない空の領域で、同じ行を実践する菩薩たちがそれぞれに成仏するのです。それゆえ、無量の世界には無量の仏が存在するのです。

無一世界二佛俱出。何以故？菩薩長夜作如是願、如是方便：「我當於一無佛法處廣說正法調伏眾生，令脫眾苦入於涅槃。」如是長夜長養大願，攝受正道，大願果成。又一如來能於三千大千剎土悉能施作一切佛事，第二佛出無所利益。復次一世界中一佛出世，能令眾生自事決定勤修隨順。何以故？彼作是念：「一切世界唯一如來，教化周已當入涅槃，更無有佛能令我等修行梵行聽受正法。」念已疾行淳修精進，修行梵行聽受正法；若多佛者不速勤修。以是故說一世界中唯一如來，眾生自為決定勤修。

> 一つの世界に二人の仏が同時に現れることはない。なぜなら、菩薩は長い時をかけて次のような願いを立て、そのための方法を実践してきたからである。 「私は、仏法のない一つの場所で、広く正しい教えを説き、生きとし生けるものを教化し、彼らを苦しみから解き放ち、涅槃へと導こう。」 このように、長い間、大きな願いを育て、正しい道を取り入れ、その願いの成果を結実させてきたのである。 また、一つの如来は、三千大千世界のすべてにおいて、あらゆる仏の働きを完全に行うことができる。そのため、もう一人の仏が現れても、何の利益ももたらさない。 さらに、一つの世界に一つの仏だけが現れることで、人々は「自分の修行は自分で決め、真剣に励まなければならない」と自覚する。 つまり、彼らはこう考えるのだ。 「この世界にはただ一つの如来だけがおられる。その方が教えを説き終え、涅槃に入られた後には、私達に清らかな修行をさせ、正しい教えを聞かせてくれる仏は、もう現れないだろう。」 そう考えた人々は、すぐに熱心に修行に励み、清らかな行いを実践し、正しい教えを聴き受けるようになる。 もし複数の仏が同時に存在すれば、人々はそれほど急いで修行しようとはしないだろう。 このような理由から、一つの世界にはただ一つの如来だけがおられ、人々は自らの意志で真剣に修行に励むのである。

一切如來等無差別，唯除四事：一者壽命；二者名稱；三者種性；四者色身。唯此四事有增減相，非餘功德。亦非女人得無上菩提。何以故？菩薩於初阿僧祇劫已捨女身，乃至坐佛樹下不受女身。一切女人性多煩惱、成就惡智，不以煩惱惡智能得無上菩提。

> すべての如来は、以下の四つの点を除いて、互いに差別はありません。第一に寿命、第二に名声、第三に種姓、第四に色身です。これら四つの点においてのみ増減の相があり、その他の功徳には変わりはありません。また、女性が無上菩提を成就することはありません。なぜなら、菩薩は最初の阿僧祇劫の修行においてすでに女性の身を捨て、そして仏の樹の下に坐るまで女性の身を受けることがないからです。すべての女性は多くの煩悩と悪い智慧を成就する性質を持ち、そのような煩悩と悪い智慧によって無上菩提を得ることはできません。

如是無上菩提有無量義，舉要言之，有自性義、無上義、名稱功德義、隨念功德義、堪能義、最勝義，悉如上說，當知真實。復次不思議度諸思議，無量無邊功德具足，出過一切聲聞辟支佛上，是故名阿耨多羅三藐三菩提，第一、最勝、無等、無上。

> この無上の悟り（阿耨多羅三藐三菩提）には、無量の意味が含まれています。その大切な要点を挙げれば、自らの本性に関する意味、最も優れているという意味、その名称の功徳、それを思い起こす功徳、実践可能であるという意味、そして最勝であるという意味があります。これらはすべて先に述べた通りであり、真実であると知るべきです。 さらに、この悟りは、あらゆる思考を超えた不可思議なものであり、無量無辺の功徳を具えています。それは声聞や辟支仏の境地をはるかに超えています。ゆえに、これを「阿耨多羅三藐三菩提（無上の正しい悟り）」と名付け、第一であり、最も勝れており、比べるものなく、最も優れたものとするのです。