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title: "菩薩地持經 · 1"
description: "《菩萨地持经》由北凉时期著名译经师昙无谶翻译，属瑜伽行派重要典籍。该经系统阐述菩萨修行的十个阶位（十地）及持守的戒律规范，涵盖发心、修行至成佛的全过程。它反映了公元5世纪大乘佛教菩萨道思想的成熟形态，对汉传佛教菩萨戒体系与修行理论影响深远，是研究大乘菩萨道实践与教义的关键文献。"
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### 1菩薩地持方便處戒品第十之一

> 菩薩地持方便處　戒品　第十　之一

云何菩薩尸波羅蜜？略說有九種：一者自性戒；二者一切戒；三者難戒；四者一切門戒；五者善人戒；六者一切行戒；七者除惱戒；八者此世他世樂戒；九者清淨戒。

> では、菩薩の戒（尸波羅蜜）とは何でしょうか。簡単に言えば、次の九つの種類があります。 一つ目は、自らの本質としての戒。 二つ目は、あらゆる戒。 三つ目は、難しい戒。 四つ目は、あらゆる場面での戒。 五つ目は、善い人の戒。 六つ目は、あらゆる行いにおける戒。 七つ目は、悩みを取り除く戒。 八つ目は、今の世と次の世での幸せをもたらす戒。 九つ目は、清らかな戒です。

云何自性戒？略說四德成就，是名自性戒。云何為四？一者從他正受；二者善淨心受；三者犯已即悔；四者專精念住堅持不犯。從他正受者，外顧他，於犯愧心生。善淨心受者，內自顧，於犯慚心生，犯已即悔。專精不犯，如是不犯戒。菩薩有二因緣離悔，是菩薩依受戒，淨心戒起、慚愧心起；慚愧心故善能護戒，護戒故無悔。若從他受若淨心受，此二是法。若犯而悔、若專精不犯，此二隨法。若從他受、若淨心受、若專精不犯，此三法是菩薩不壞戒。犯已即悔者，毀而還復。若菩薩四德成就，是名自性戒、是名真實戒，自安安他，多所安隱多所快樂，哀愍世間利安天人。受戒隨戒，當知無量攝受。菩薩無量淨戒，攝取一切安樂眾生，成大果報獲大福利，疾得阿耨多羅三藐三菩提。

> では、「自性戒」とは何でしょうか。簡単に言えば、四つの徳を備えることであり、これを「自性戒」と呼びます。その四つとは、第一に他者から正式に戒めを受けること、第二に清らかな心で戒めを受けること、第三に戒めを破ったらすぐに悔い改めること、第四に一心に念を保ち、戒めを守り続けて破らないことです。 「他者から正式に戒めを受ける」とは、外面を顧みて、戒めを破ったことに対して「愧（はじ）」の心が生じることです。「清らかな心で戒めを受ける」とは、内面を顧みて、戒めを破ったことに対して「慚（はじ）」の心が生じ、破ったらすぐに悔い改めることです。一心に念を保ち破らないことで、このように戒めを破らないのです。 菩薩には、後悔から離れる二つの因縁があります。つまり、この菩薩は戒めを受けることに依って、清らかな心の戒めが起こり、慚愧の心が起こります。慚愧の心があるからこそ、よく戒めを守ることができ、戒めを守るから後悔がありません。 他者から戒めを受けることと、清らかな心で戒めを受けること、この二つは「法（基礎）」です。戒めを破って悔い改めることと、一心に破らないこと、この二つは「法に随うもの（実践）」です。他者から戒めを受けること、清らかな心で戒めを受けること、一心に破らないことの三つは、菩薩が壊さない戒めです。「破ったらすぐに悔い改める」とは、一度戒めを壊しても、再び元に戻すことです。 もし菩薩がこの四つの徳を備えるならば、これを「自性戒」と呼び、これを「真実の戒め」と呼びます。それは自らを安らかにし、他者を安らかにし、多くの人に安らぎと楽しさをもたらし、世の中を憐れみ、天や人々に利益をもたらします。 戒めを受け、戒めに従うことは、無量のものを摂受するものであると知るべきです。菩薩の無量の清らかな戒めは、一切の安楽な衆生を摂取し、大きな果報を成就し、大きな福利を得て、速やかに阿耨多羅三藐三菩提（無上正等覚）を証得するのです。

云何菩薩一切戒？略說二種：一者在家分；二者出家分，是名一切戒。一切戒復有三種：一者律儀戒；二者攝善法戒；三者攝眾生戒。律儀戒者，謂七眾所受戒，比丘、比丘尼、式叉摩尼、沙彌、沙彌尼、優婆塞、優婆夷。在家出家隨其所應，是名律儀戒。攝善法戒者，謂菩薩所受律儀戒，上修大菩提身口意業，是名略說。一切攝善法戒，何者是？謂菩薩依戒住戒，修聞慧思慧，奢摩陀毘婆舍那修慧，空閑靜默，恭敬師長禮事供養，有疾患者起悲愍心瞻視供給，聞說法者歎言善哉，實功德者稱揚讚善，一切眾生所作功德心念口言隨喜歡悅，有侵犯者悉能安忍，身口意業已作當作，一切迴向無上菩提。隨時修習種種勝願，常勤精進供養三寶，於諸善法心不放逸，念慧護持身口淨戒，守攝根門飯食知量，初夜後夜未曾睡眠，親近善人依善知識，自省己過、知已不犯，隨其所犯於佛菩薩及同行所如法悔除。如是等護持修習長養善法戒，是名攝善法戒。

> 菩薩のすべての戒律とは何か。簡潔に言えば二種類ある。一つは在家の者の戒、二つ目は出家の者の戒である。これをすべての戒律と名付ける。また、すべての戒律には三種類ある。一つ目は律儀戒、二つ目は善法を積む戒、三つ目は衆生を導く戒である。 律儀戒とは、七つの身分の者が受ける戒を指す。すなわち、比丘、比丘尼、式叉摩尼、沙弥、沙弥尼、優婆塞、優婆夷である。在家・出家の者がそれぞれの立場に従って受ける戒、これを律儀戒と名付ける。 善法を積む戒とは、菩薩が受けた律儀戒に基づき、さらに大いなる悟りを目指して、身・口・意の行いを高めることである。これを簡潔に述べたものとする。すべての善法を積む戒とは具体的に何か。それは、菩薩が戒に依り戒に住し、聞慧・思慧を修め、止観（奢摩陀・毘婆舍那）による修慧を行い、閑静な場所で静かに過ごし、師や長者を敬い、礼拝し供養することである。病人がいれば慈しみの心で見舞い世話をし、法を説く者を聞けば「善いかな」と称賛し、真の功徳ある者を褒め称える。すべての衆生が行う善い行いに対して、心と思いと言葉で喜び共にし、自分を傷つける者があってもよく耐え忍ぶ。身・口・意の行いで、すでに行ったものも、これから行うものも、すべてを無上の悟りに向けて回向する。時に応じて様々な素晴らしい誓いを修め、常に精進して三宝を供養し、あらゆる善い行いに対して心を怠らず、 mindfulness（念）と慧（智慧）によって身と口の清らかな戒を保ち、感覚の門を守り、食事は適量を知り、初夜と後夜には眠ることなく、善き人に親しみ善知識に従い、自らの過ちを反省し、知った過ちは繰り返さず、もし過ちを犯せば仏・菩薩や共に修行する者に対して、法に従い懺悔し除くことである。このようにして善法の戒を護り修め育てる、これを善法を積む戒と名付ける。

攝眾生戒者，略說有十一種：一者眾生作饒益事，悉與為伴。二者眾生已起未起病等諸苦及看病者，悉與為伴。三者為諸眾生說世間出世間法，或以方便令得智慧。四者知恩報恩。五者眾生種種恐怖，師子虎狼王賊水火，悉能救護。若有眾生喪失親屬財物諸難，能為開解令離憂惱。六者見有眾生貧窮困乏，悉能給施隨其所須。七者德行具足正受依止，如法畜眾。八者先語安慰隨時往返，給施飲食說世善語，進止非已去來隨物。如是等事，安眾生者皆悉隨順；若非安者，皆悉遠離。九者有實德者稱揚歡悅。十者有過惡者慈心呵責折伏罰黜，令其改悔。十一者以神通力示現惡道，令彼眾生畏厭眾惡奉修佛法，歡喜信樂生希有心。

> 衆生を摂する戒とは、簡潔に言えば十一種あります。 一、衆生が利益となることを行う際には、常にその仲間となること。 二、衆生がすでに発した、またはまだ発していない病などの苦しみや、看病する者に対して、常にその仲間となること。 三、衆生のために世間・出世間の法を説き、または様々な方法で智慧を得られるように助けること。 四、恩を知り、報いること。 五、衆生が獅子・虎・狼・王・賊・水・火などの様々な恐怖に遭った時、全てを救い守ること。もし親族や財産を失うなどの困難に遭った衆生がいれば、その心を開き解き、憂いや悩みから離れさせてあげること。 六、貧しく困っている衆生を見れば、その必要なものを全て施し与えること。 七、徳行を備え、正しく教えを受け止め、法に従って弟子を養うこと。 八、先に声をかけ慰め、時に応じて行き来し、飲食を施し、世間の善い言葉を語り、行動を自分の都合だけで決めず、相手に合わせて共に行動すること。このような、衆生を安らかにする行いは全て進んで行い、もし安らかにしないことは全て遠ざけること。 九、真の徳を持つ者を讃え、喜びを共にすること。 十、過ちや悪を持つ者を、慈しみの心で叱り戒め、折伏し罰し、追放して、悔い改めさせると。 十一、神通力で悪道を示し、衆生をしてあらゆる悪を畏れ嫌い、仏法を修行し、喜び信じ楽しみ、希有の心を起こさせること。

云何菩薩住律儀戒、住攝善法戒、住攝眾生戒、善護持戒、善攝善法戒、一切行攝眾生戒？菩薩住波羅提木叉戒，捨轉輪王出家學道，不顧尊位如視草土，捨離五欲如棄涕唾，乃至來世魔天亦無願樂，終不為彼修持梵行。心常恐怖如實見過，捨現在樂如畏風雹，正見觀察而不味著。其性恬靜好樂空閑，若眾若獨心常安住，不限持戒生知足想，依戒住戒修習菩薩正受所生無量功德。若近四眾不說非法，於空閑處不住惡覺，設令暫起即自悔責深見其過，見過患已還得本心。若聞菩薩一切戒法，住大地菩薩微妙無量不可思議久遠難行，心不恐怖亦不懈退，而作是念：「彼亦丈夫，能持菩薩不可思議身口淨戒。我亦丈夫，必當如彼決定無疑。」住律儀菩薩，常省己過不觀彼闕。若見凶暴及惡性人，心不恚恨起法心悲心，憐愍方便令得解脫。住律儀菩薩，於眾生所不生怖想，況復加害。住律儀菩薩，成就五種不放逸行，與過去俱、與未來俱、與現在俱、已作當作。菩薩過去所犯，如法懺悔，是名過去不放逸行。未來當犯，當如法悔，是名未來不放逸行。現在所犯，即如法悔，是名現在不放逸行。如所行如所住，專心護持，是名已作不放逸行。依已作不放逸行，如所行如所住，不起犯戒，是名當作不放逸行。住律儀菩薩，功德覆藏、惡事發露，少欲知足堪忍眾苦不生憂慼，進止安諦威儀庠序，離諸諂曲淨修正命。菩薩成就如是十法，名住律儀戒。善護持戒，謂過去五欲心不顧戀、未來五欲不生欣想、現在五欲不念貪著，樂處空閑不生足想，離惡言惡覺心不自輕，安隱樂住善能堪忍，不為放逸威儀淨命。

> 菩薩が律儀戒（戒律を守る戒）を保ち、摂善法戒（善い行いを積む戒）を保ち、摂衆生戒（人々を導く戒）を保ち、戒律を見事に守り、善法の戒をよく積み、あらゆる行いで衆生を導くとは、どういうことでしょうか。 菩薩は波羅提木叉（戒律の規範）に従い、輪転王の位を捨てて出家し学びの道に入ります。高い地位をまるで草や土のように軽んじ、五つの欲望を吐き出した唾や涙のように捨て去ります。未来の天の世界でさえも望まず、そのために清らかな行いを修めることは決してありません。心は常にこの世の危険を恐れ、今の楽しみを雹や風のように避け、正しい見方で観察し、執着しません。その性質は静かで閑静を好み、大勢の中でも一人でも心は安らかにとどまり、戒律を守ることだけに満足せず、戒に依り戒に住して、菩薩の正しい境地から生じる無量の功徳を修めます。もし人々の集まりに近づくときは、正しくない教えを語らず、静かな場所では悪い考えにふけりません。たとえ一時的にそんな考えが起きても、すぐに自ら責め、その過ちを深く見つめ、過ちの恐ろしさを理解すれば、再び本来の心に立ち返ります。もし菩薩のすべての戒めの教えを聞き、大地の菩薩（高い境地の菩薩）の微細で無量、想像を絶し、長く困難な行いを知っても、心は恐れず、衰え退くこともなく、こう思います。「彼もまた立派な人物であり、菩薩の不可思議な身と口の清らかな戒を保つことができる。私もまた立派な人物であり、必ず彼のようにできるのだ」と、疑いなく決意します。 律儀を保つ菩薩は、常に自分の過ちを反省し、他人の欠点を見ません。もし凶暴で邪悪な人に出会っても、心に怒りや恨みを起こさず、法の心と慈悲の心を起こし、哀れみ、巧みに導いて悟りへと至らせます。律儀を保つ菩薩は、生きとし生けるものに対して恐れの念を抱かず、まして害を加えることはありません。律儀を保つ菩薩は、五つの放逸しない行いを成就します。それは過去に関わり、未来に関わり、現在に関わり、すでに行ったことと、これから行うことに関わります。過去に犯した過ちは、正しい方法で懺悔します。これを「過去の放逸しない行い」といいます。未来に犯すかもしれない過ちは、正しい方法で悔い改める心を持ちます。これを「未来の放逸しない行い」といいます。現在犯した過ちは、すぐに正しい方法で懺悔します。これを「現在の放逸しない行い」といいます。すでに実践し守っている状態に従い、専心して戒律を守ります。これを「すでに行った放逸しない行い」といいます。すでに行った放逸しない行いに基づき、その状態に従って、戒を破る心を起こしません。これを「これから行う放逸しない行い」といいます。 律儀を保つ菩薩は、善い行いや功徳は隠し、悪いことは打ち明けます。欲が少なく満足することを知り、さまざまな苦しみに耐え、憂い悲しみを起こしません。動作は落ち着き、威儀は整い、こびへつらう心を離れ、清らかな正しい生計を守ります。菩薩がこのような十の法を成就することを、「律儀戒を保つ」といいます。戒律を見事に守るとは、過去の五つの欲望に対して心を引きずらず、未来の五つの欲望に憧れず、現在の五つの欲望に執着しないことです。閑静な場所に喜んでとどまり、満足しすぎず、悪い言葉や悪い考えを離れ、自分を卑下せず、安らかに落ち着いて暮らすことをよく耐え忍び、放逸にならず、威儀を整え清らかな生計を守ることです。

菩薩住攝善法戒，於身命財若起少著，即時除滅不令增長，一切犯戒因緣煩惱等起即時除滅。若於眾生起恚害怨心即時除滅，若起懈怠即時除滅，若起味相應禪即時除滅。如實知五處，謂善果、善因、善因果、倒及與非倒，攝善法障皆如實知。菩薩見善果福利而求善因，攝善法倒如實知之。菩薩得善根，不起無常常見、苦有樂見、不淨淨見、非我我見，如實知攝善法障，離不攝善法。菩薩成就如是十行，名住攝善法戒，疾攝諸善法及一切行，所謂依施依戒依忍依精進依禪定五行成就智慧。菩薩住攝眾生戒，有十一種，於一一種成就一切行。一者眾生所作皆與同事，若始思量及所施作、行路去來、正業方便、守護財物、和合諍訟、世間吉會及諸福業，皆與同事。二者於諸苦事皆與為伴，若見疾病瞻視供給，盲者將導，迷者示路，聾者指授，躃者荷負，欲纏苦者教令遠離，瞋恚睡眠掉悔疑蓋，如是等苦亦令遠離。欲覺、恚覺、害覺、親里覺、國土覺、不死覺、輕侮覺、族姓覺，悉教遠離。眾生諍訟不知苦者，能為開解。行路疲乏，施諸所安。三者為諸眾生具足說法，惡行眾生說除惡行善句善味善義，隨順通達增長道品。方便說者，為惡眾生說除惡行、說除慳法得現果報，少正方便而得大財，得已守護。憎嫉法者，令生信樂清淨見諦，離諸惡趣，煩惱永盡一切苦滅。四者知恩報恩。饒益己者，善心與語問訊慰喻，讚言善來設座安處，若等若增酬報無減，諸有所作悉與同事，瞻視病苦隨順說法，除滅恐畏離諸憂悔。若有乏短給施眾具，如法依止隨順其心。有實德者稱揚歡悅，有過惡者慈心呵責折伏罰黜，令其改悔。示神通力隨所宜現。五者恐怖眾生為作救護，所謂水火王賊鬼神惡獸人非人等一切怖畏，悉為救護令得安隱。若見眾生親屬財物諸難憂惱，或見喪失親屬善友知識及諸師長所尊敬者，或有財物王賊所奪，火燒水㵱亡失寶藏，事業不成強分私財，或惡眷屬散棄資產，悉為開解令離憂惱。六者見有眾生資生不具，給施所須。飲食衣服湯藥眾具、香花燈明莊嚴雜飾、車乘僮僕財物舍宅，如是等乏悉皆給施。七者如法受眾先與依止，以無貪心哀愍心而為說法，賑給所須。若自無者，從彼信心居士長者求索與之。如法所得衣食湯藥及諸房舍，等共受用無所藏積。以五種法隨時教誡，如力種品中說。八者隨他心戒。先知眾生自性及性，應共住者與共同止，隨其所宜與共從事。又隨心者，觀其所行。若以如是身行、如是口行，令彼憂惱無善利者，菩薩不為；雖令憂惱而獲善利者，菩薩為之。若菩薩自行身行口行，非戒所攝亦非功德智慧方便，令彼憂惱無善利者，菩薩不為；與上相違者，菩薩為之。如生憂苦，喜樂亦爾，隨其所應廣分別說。又隨心者，若見眾生有瞋恨色，尚不歎其德，況說其惡，亦不懺謝。又隨心者，人不問訊安慰己者，猶尚自往問訊安慰，況來問訊而不酬和，唯除教誡。又隨心者，不惱他人，除慈愍心寂靜諸根呵責弟子令其調伏。又隨心者，不嗤笑不戲弄令其慚恥而生疑悔。彼雖不如，不言：「汝今墮在負處。」見人謙下，亦不自高。又隨心者，非不習近、不極習近、不非時習近。又隨心者，於他親厚不說其過，於他怨者不稱其德，不親善者不與同意。不多求欲，若有所取知量知足。若有請者不逆其意，若有嫌責如法悔謝。九者實功德者稱讚歡悅，具足信者歎信功德，戒聞施慧亦復如是。十者應呵責者呵責調伏，微過微犯者以憐愍心軟語呵責，中過中犯中語呵責，上過上犯上語呵責。如呵責，折伏罰黜亦復如是，軟中過軟中犯隨時驅出還令共住，為化犯戒及餘人故，以愛益心黜令出眾。上過上犯者，不同住不同食，乃至改悔亦不同住，以慈愍心故，不令彼人於佛法中多起罪過，亦為教誡餘眾生故。十一者菩薩為饒益故現神通力，或令恐怖或令歡喜，行惡行者示以惡報，所謂寒氷地獄邊地獄等諸惡道處，語其人言：「汝當觀此，人間造惡當生彼中受無量苦。」彼見恐怖而生厭怖離諸惡行。菩薩於大眾中見不信者問事不答，即時化作金剛力士及諸大力諸天鬼神而恐怖之，以恐怖故捨高慢心敬信正答，其餘大眾聞彼正答亦皆調伏。又以神力，現一為多現多為一，石壁皆過身出水火。或復示現共聲聞神力，令彼歡悅，未信者信，犯戒者清淨，少聞者多聞，慳者能施，癡者得慧。如是菩薩成就一切行利眾生戒，是名菩薩三種戒聚，無量功德聚。

> 菩薩は善法を摂取する戒に安住し、身体・生命・財産に対してわずかにでも執着が生じれば、即座にそれを除き去って増長させません。また、戒を破る原因となるあらゆる煩悩などが生じれば、それも即座に除き去ります。もし衆生に対して怒りや害心、怨みの心が生じれば即座に除き去り、もし懈怠が生じれば即座に除き去り、もし味着を伴う禅定が生じれば即座に除き去ります。 また、次の五つの事柄をあるがままに知ります。すなわち、善い果報、善い原因、善い因果、顛倒と非顛倒、そして善法を摂取する障碍です。菩薩は善果の福利を見て善因を求め、善法摂取における顛倒をあるがままに知ります。菩薩は善根を得ても、「無常を常と見る」「苦を楽と見る」「不浄を浄と見る」「無我を我と見る」という誤った見方を起こしません。善法摂取の障碍をあるがままに知り、善法を摂取しない状態から離れます。菩薩がこのような十の行を成就することを、「善法を摂取する戒に安住する」といい、速やかに諸々の善法およびあらゆる行を摂取します。すなわち、布施に依り、戒に依り、忍辱に依り、精進に依り、禅定に依るという五つの行によって成就する智慧です。 次に、菩薩が衆生を摂取する戒に安住するには、十一種類の行があり、その一つ一つにおいてあらゆる行を成就します。 第一に、衆生の行うことすべてに共に当たります。計画を立て始める時、実際に行う時、道を行き来する時、正しい仕事や方便、財産を守ること、争いを調停すること、世間の吉事や福業に至るまで、すべて共に行います。 第二に、あらゆる苦しみの事柄に対して共に伴侶となります。病気を見れば見舞い世話をし、盲人を導き、迷える者に道を示し、聾者に指し示し、足の不自由な者を背負い運びます。欲望の束縛に苦しむ者にはそれから遠ざかるよう教え、瞋恚・睡眠・掉挙・後悔・疑いという五つの蓋などの苦しみもまた遠ざけさせます。欲望の覚、瞋恚の覚、害意の覚、親族の覚、国土の覚、不死の覚、軽侮の覚、族姓の覚についてもすべて教えて遠ざけさせます。衆生が争いながらも苦しみを知らない者には、説き明かして理解させます。旅に疲れた者には、安楽のための施しを与えます。 第三に、諸々の衆生のために十分な説法をします。悪行の衆生には悪行を除くための善い言葉、善い味わい、善い意味を説き、それに従って道品を増長させるよう導きます。方便をもって説くとは、悪行の衆生に悪行を除くことを説き、慳吝を除けば現世で果報を得ることを説き、わずかな正しい方便で大きな財を得、得た後はそれを守ることを説きます。憎しみや嫉妬を持つ者には、信楽と清らかな見解を生じさせ、悪趣を離れ、煩悩を尽くし、一切の苦を滅することを説きます。 第四に、恩を知り恩に報います。自分を利益してくれた者には、善心をもって言葉をかけ、安否を問い慰め、「よく来た」と讃えて座を設け安んじます。同等かそれ以上に報い、減らすことはありません。すべての行いを共にし、病苦を見舞い、心に従って説法し、恐れを除き、憂い悔いから離れさせます。もし欠乏する者には必要なものを施し与え、法に従って依止しその心に随順します。実際に徳のある者には称賛して喜ばせ、過ち悪事のある者には慈しみの心で呵責し、折伏・罰・追放して悔い改めさせます。また、神通力を示し、状況に応じて適切に現します。 第五に、恐怖する衆生を救護します。すなわち、水・火・王・賊・鬼・神・悪獣・人・非人などあらゆる怖れから救護して安穏を得させます。もし親族や財産に関わる様々な困難や憂い悩みを見たり、あるいは親族や善友・知識・師長・尊重すべき者を失った者を見たり、あるいは財物を王や賊に奪われ、火に焼かれ、水に流され、宝蔵を失い、事業が成らず、私財を強奪され、あるいは悪い眷属に資産を散逸された者を見れば、すべて説き明かして憂い悩みから離れさせます。 第六に、生活の資具が足りない衆生を見れば、必要なものを施し与えます。飲食・衣服・薬湯・諸々の道具・香・華・燈明・荘厳や装飾品・車乗・召使い・財物・家屋など、このような欠乏しているものをすべて施します。 第七に、法に従って先に依止を受け、貪りの心なく哀れみの心で説法し、必要なものを与えます。もし自分にない場合は、信心ある居士や長者に求めて与えます。法に従って得た衣食・薬湯・房舎などは、平等に共に用い、蓄え積むことはしません。五つの法をもって時に応じて教え戒めます。これは力種品に説かれる通りです。 第八に、他者の心に従う戒です。まず衆生の本性と性質を知り、共に住むべき者と共に止まり、その状況に応じて共に事を行います。また、心に従うとは、その行いを観察することです。もしこのような身の行い、このような口の行いによって、相手を憂い悩ませるだけで善い利益がないなら、菩薩はそれを行いません。たとえ相手を憂い悩ませても、善い利益を得られるなら、菩薩はそれを行います。もし菩薩自身の身の行い、口の行いが戒に含まれず、また功徳や智慧の方便でもなく、相手を憂い悩ませるだけで善い利益がないなら、菩薩は行いません。これと反対の場合は、菩薩は行います。憂いや苦しみを生じさせる場合と同様に、喜びや楽についても同様で、状況に応じて広く説き分けます。 また、心に従うとは、もし衆生に怒りの色のあるのを見れば、その徳を讃えることすらせず、まして悪を言うことはなく、また謝罪もしません。また、心に従うとは、もし人が自分に安否を問い慰めなくても、自ら進んで行き問い慰めるほどであり、まして来て問いかけてきたならば、応じないことはありません。ただし教誡の場合は除きます。また、心に従うとは、他人を悩ませず、ただ慈愍の心と寂静の諸根をもって弟子を呵責し調伏させるにとどめます。また、心に従うとは、他人を嘲笑したり、からかったりして、恥じ入り疑い悔いることをさせません。たとえ相手が自分より劣っていても、「今のお前は負けている」とは言いません。人が謙虚であっても、自分が高ぶることはありません。また、心に従うとは、親しくしないわけではなく、極端に親しくするわけでもなく、時にあらずして親しくするわけでもありません。また、心に従うとは、他者の親しい者の過ちは言わず、他者の怨みある者の徳は称えず、親しくない者と同意することはありません。多くを求め欲しがらず、もし何かを取るとしても、量を知り足るを知ります。もし請われるならその意に逆らわず、もし非難されるなら法に従って謝罪します。 第九に、実際に功徳ある者を称賛して喜ばせ、信を具えた者には信の功徳を讃え、戒・聞・施・慧についても同様です。 第十に、呵責すべき者は呵責して調伏します。微かな過ち・微かな犯がある者には憐れみの心で柔らかい言葉で呵責し、中程度の過ち・中程度の犯には中程度の言葉で呵責し、重い過ち・重い犯には厳しい言葉で呵責します。呵責と同様に、折伏・罰・追放についても同様で、軽・中の過ちや犯に対しては、時に応じて追い出し、また共に住まわせます。戒を犯す者の教化と他の人々のため、愛し利益する心で追放して僧団から出します。重い過ち・重い犯に対しては、同じ場所に住まず、同じ食事をせず、悔い改めるに至るまでも同じ場所に住みません。慈愍の心によるものであり、その人が仏法の中で多くの罪過を起こさないようにするためであり、また他の衆生を教誡するためでもあります。 第十一に、菩薩は衆生を利益するために神通力を現し、あるいは恐怖させ、あるいは歓喜させます。悪行を行う者には悪い報いを示します。すなわち、寒氷地獄・辺地獄などの悪道の場所を示し、その人に言います。「あなたはこれを見なさい。人間で悪を造れば、そこに生まれ無量の苦を受けるのだ」と。彼らはそれを見て恐怖し、厭離の心を生じて悪行を離れます。菩薩は大衆の中で、信じない者が問いに答えないのを見れば、即座に金剛力士や諸々の大力の天・鬼神を変化して彼らを恐怖させます。恐怖によって高慢の心を捨て、敬い信じて正しく答えるようになり、その他の大衆もその正しい答えを聞いて皆調伏します。また、神通力によって、一を多くに、多を一に変え、石の壁をも通り抜け、身から水火を出します。あるいはまた声聞の神通力を示して、彼らを歓喜させます。信じていない者を信じさせ、戒を犯した者を清らかにし、あまり聞いていない者に多く聞かせ、慳吝な者に施しをさせ、愚かな者に智慧を得させます。 このように菩薩は、衆生を利益する戒における一切の行を成就します。これを菩薩の三種の戒聚（戒の集まり）といい、無量の功徳の集まりです。

## 菩薩地持經卷第四

> 菩薩地持経 巻第四