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title: "菩薩地持經 · 2 攝品"
description: "《菩萨地持经》由北凉时期著名译经师昙无谶翻译，属瑜伽行派重要典籍。该经系统阐述菩萨修行的十个阶位（十地）及持守的戒律规范，涵盖发心、修行至成佛的全过程。它反映了公元5世纪大乘佛教菩萨道思想的成熟形态，对汉传佛教菩萨戒体系与修行理论影响深远，是研究大乘菩萨道实践与教义的关键文献。"
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### 菩薩地持畢竟方便處攝品第二

> 第二品 摂決択（菩薩地持・畢竟方便処）

菩薩一切住一切行等攝眾生，略說有六種：一者頓攝；二者增上攝；三者取攝；四者久攝；五者不久攝；六者後攝。菩薩初發心於一切眾生作父母想，隨力所能以一切種安樂饒益，是名頓攝。菩薩為主，於父母尊重，種種方便勸修善法，隨時供養知恩報恩；妻子眷屬瞻視教授，所犯堪忍疾病救療，教修善法令其勝進；奴婢作使等心料理，不生賤想。菩薩為王攝受人民，如法正化不加非罰，以財以法而為饒益，自守境界不侵他土，隨其力能教諸眾生令修善法。菩薩為父，於他眾生尚無偏黨，況自眷屬而不平等？言常柔軟真實不虛，一切殺縛逼迫苦切皆悉遠離，是名增上攝。有二因緣等攝徒眾：一者捨於貪心，以財饒益離於貧窮；二者教修正義，以法饒益拔惡邪見。等心攝受不隨偏黨，不為法慳、不作師倦，不於彼所求於供養。彼樂修者亦不遮止，為令增長福德眾具故，未解義令起、已解義令增，疑者為決、悔者令覺，隨時為說甚深要義，同其苦樂心無增減。有犯罪者等心教誡，有時呵責有時讚歎，疾病救療為除憂患。於下念、下精進、下智慧不起輕想，隨宜為說繫念境界，隨時教授堪忍不惱。於等於勝修勝供養，修習悲心不掉不動，成就戒見威儀正命，和顏平視先語問訊，常修善業不為放逸，以如是法教於徒眾亦自修行。菩薩不於一切時攝取徒眾，亦非不取亦不趣爾取，是名取攝。軟成熟眾生久久乃淨，是名久攝；中成熟眾生不久得淨，是名不久攝；上成熟眾生於此生堪能清淨，是名後攝。是名六種等攝眾生。過去未來現在菩薩，已攝當攝今攝，皆此六種，無餘無上。菩薩如是等攝眾生，有十二難：一者能善觀察犯戒眾生若教若捨；二者為調眾生苦方便行自護煩惱；三者財物至少而求者多；四者唯有一身多求同事；五者以清淨業生放逸人天，而其內心初無放逸；六者悲念眾生利益同事；七者愚癡諂曲支節殘毀，若教若捨；八者見生死過而不捨生死；九者未得淨心，命終之時不失正念；十者未得淨心，極所愛重眾生來求，而以惠施；十一者種種異心、種種異解來有所求，若作若捨；十二者畢竟不放逸而不斷煩惱。菩薩於諸眾生不觀輕重而為方便，或察於人而行於悲、或勇猛方便為造因緣、或修正願或淨信心、或專心思惟觀察不惓、或時柔軟、或時行捨、或時精進、或時巧方便，菩薩如是正對治巧方便，於十二難能自開解心不退沒。

> 菩薩はあらゆる境地において、あらゆる行いによって衆生を平等に教化しますが、大きく分けて六つの方法があります。第一に一気に教化する方法、第二に深く教化する方法、第三に適切に教化する方法、第四に長い時間をかけて教化する方法、第五に短期間で教化する方法、第六に最終的に教化する方法です。 菩薩は最初に発心した時から、すべての衆生を父母のように思い、自分の力の及ぶ限り、あらゆる方法で安心と利益をもたらします。これを一気に教化する方法といいます。 菩薩は導き手として、父母を尊重し、様々な方法で善い行いを勧め、時には供養して恩に報います。妻子や眷属には目をかけて教え導き、過ちには耐え、病気の時には治療し、善い行いを教えて向上させます。召使いなども平等に扱い、軽んじる心を持ちません。 菩薩が王として民を教化する時は、法に従って正しく治め、不当な罰を与えず、財産と教えによって利益をもたらし、自らの領域を守り他国を侵さず、能力に応じて衆生に善法を修めるよう教えます。 菩薩は父親のように、他の衆生に対してさえ偏りがありません。ましてや自分の眷属に対して不平等に扱うことはありません。言葉は常に優しく真実で虚偽がなく、殺生や束縛、苦痛などはすべて遠ざけます。これを深く教化する方法といいます。 二つの因縁によって弟子たちを平等に教化します。第一に貪りの心を捨て、財産を与えて貧しさから救うこと。第二に正しい教えを説いて邪見から救うことです。平等な心で偏りなく受け入れ、法を惜しまず、教師としての倦怠もなく、彼らから供養を求めません。 修行を喜ぶ者を妨げず、福徳の資糧を増やすためです。まだ理解していない者には理解させ、既に理解している者にはさらに深めさせ、疑問を持つ者には解決させ、後悔する者には目覚めさせます。時に応じて深い教えを説き、苦楽を共にし心に増減がありません。 罪を犯した者には平等に教え戒め、時には叱り、時には褒め称え、病気の時には治療して憂いを取り除きます。怠け者、努力の足りない者、智慧の浅い者を軽んじることなく、適切に教えを説き、心を集中させる対象を示し、辛抱強く指導して苦しめません。 同等の者や勝れた者には勝れた供養を施し、悲しみの心を修めて動揺せず、戒律や見解、威儀、正しい生活を身につけ、柔和な表情で平らに見つめ、先に挨拶をし、常に善行を修めて放逸になりません。このような教えを弟子たちに授け、自らも実践します。 菩薩は常に弟子を取るわけではなく、全く取らないわけでもなく、いい加減に取ることもありません。これを適切に教化する方法といいます。 教化がゆっくりと成熟し、長い時間をかけて清められることを「長期教化」といいます。 中程度の成熟で、それほど時間をかけずに清められることを「短期教化」といいます。 最も成熟した者で、この世で清らかになることができることを「最終教化」といいます。 以上が六つの平等な教化の方法です。過去・未来・現在の菩薩たちが既に行い、行い、行おうとしている教化は、すべてこの六つに尽き、これ以上もこれ以上に優れたものもありません。 このように菩薩が衆生を教化する際には、十二の困難があります。第一に、戒を犯した衆生をよく観察し、教えるべきか見捨てるべきか判断すること。第二に、衆生を調伏するために苦しい修行をしながら、自らの煩悩を守ること。第三に、財物が少ないのに求める者が多いこと。第四に、たった一人の身で多くの者と共に修行すること。第五に、清らかな業によって天人の放逸な世界に生まれながら、内心では決して放逸にならないこと。第六に、悲しみの心で衆生を利益し共にいること。第七に、愚かで偽り、体の不自由な者を教えるか見捨てるかすること。第八に、生死の過失を見ながらも生死を捨てないこと。第九に、まだ清らかな心を得ていないのに、臨終の時に正念を失わないこと。第十に、まだ清らかな心を得ていないのに、最も愛する者が求めてきたら施し与えること。第十一に、様々な心や理解を持つ者が求めてきたら、与えるか断るかすること。第十二に、決して放逸にならないが煩悩を断ち切れないこと。 菩薩は衆生に対して軽重を区別せずに方便を施し、人を見極めて慈悲を行い、勇猛な方便で因縁を造り、正しい誓願を修め、清らかな信心を持ち、思索観察を怠らず、時に柔らかく、時に捨て、時に精進し、時に巧みな方便を用います。このように正しく対処し巧みな方便を用いることで、十二の困難に直面しても自ら解決し、心が退転することがありません。