---
title: "楞伽經宗通 · 勸請品"
description: "楞伽經宗通是明代曾鳳儀對《楞伽經》的註釋著作。該書成於晚明佛教復興時期，融合儒釋道三教思想，以獨特宗門視角闡釋唯識學與如來藏思想。內容聚焦於五法、三自性、八識、二無我等核心教義，強調心識轉依與實證修行。作為《楞伽經》研究的重要註疏，它深化了唯識學與禪宗的理論聯繫，在漢傳佛教義學史上具有承先啟後的學術地位，為研究明代佛教思想提供了關鍵文獻依據。"
url: "https://rushiwowen.co/ja/r/cmcwm3q4e001bjs04000cygih"
---

唐云羅婆那王勸請品第一，魏云請佛品第一。

如是我聞：一時佛住大海濵摩羅耶山頂楞伽城中，與大比丘眾及大菩薩眾俱。其諸菩薩摩訶薩，悉已通達五法三性諸識無我，善知境界自心現義，遊戲無量自在三昧神通諸力，隨眾生心現種種形方便調伏，一切諸佛手灌其頂，皆從種種諸佛國土而來此會，大慧菩薩摩訶薩為其上首。爾時世尊，於海龍王宮說法，過七日已從大海出，有無量億梵釋護世諸天龍等，奉迎於佛。爾時如來，舉目觀見摩羅耶山楞伽大城，即便微笑而作是言：昔諸如來應正等覺，皆於此城說自所得聖智證法，非諸外道臆度邪見，及以二乘修行境界，我今亦當為羅婆那王開示此法。爾時羅婆那夜叉王，以佛神力聞佛言音，遙知如來從龍宮出，梵釋護世天龍圍繞，見海波浪，觀其眾會藏識大海，境界風動轉識浪起，發歡喜心，於其城中高聲唱言：我當詣佛請入此城，令我及與諸天世人，於長夜中得大饒益。作是語已即與眷屬，乘華宮殿往世尊所。到已下殿右遶三匝，作眾妓樂供養如來，所持樂器皆是大青因陀羅寶，瑠璃等寶以為間錯，無價上衣而用纏裹，其聲美妙音節相和，於中說偈而讚佛曰：

心自性法藏，無我離見垢，證智之所知，願佛為宣說。善法集為身，證智常安樂，變化自在者，願入楞伽城。過去佛菩薩，皆曾住此城，此諸夜叉眾，一心願聽法。爾時，羅婆那楞伽王以都咤迦音歌讚佛已，復以歌聲而說頌言：

世尊於七日，住摩竭海中，然後出龍宮，安詳昇此岸。我與諸綵女，及夜叉眷屬，輸迦裟剌那，眾中聰慧者，悉以其神力，往詣如來所，各下華宮殿，禮敬世所尊。復以佛威神，對佛稱己名：我是羅剎王，十首羅婆那，今來詣佛所，願佛攝受我，及楞伽城中，所有諸眾生。過去無量佛，咸昇寶山頂，住楞伽城中，說自所證法。世尊亦應爾，住彼寶嚴山，菩薩眾圍遶，演說清淨法。我等於今日，及住楞伽眾，一心共欲聞，離言自證法。我念去來世，所有無量佛，菩薩共圍遶，演說楞伽經。此入楞伽典，昔佛所稱讚，願佛同往尊，亦為眾開演。諸佛為哀愍，無量夜叉眾，入彼寶嚴城，說此妙法門。此妙楞伽城，種種寶嚴飾，墻壁非土石，羅網悉珍寶。此諸夜叉眾，昔曾供養佛，修行離諸過，證知常明了。夜叉男女等，渴仰於大乘，自信摩訶衍，亦要令他信。唯願無上尊，為諸羅剎眾，甕耳等眷屬，往詣楞伽城。我於去來今，勤供養諸佛，願聞自證法，究竟大乘道。願佛哀愍我，及諸夜叉眾，共諸佛子等，入此楞伽城。我宮殿婇女，及以諸瓔珞，可愛無憂園，願佛哀納受。我於佛菩薩，無有不捨物，乃至身納侍，唯願哀納受。爾時世尊聞是語已，即告之言：夜叉王！過去世中諸大導師，咸哀愍汝受汝勸請，詣寶山中說自證法，未來諸佛亦復如是。此是修行甚深觀行現法樂者之所住處，我及諸菩薩哀愍汝故受汝所請。作是語已默然而住。時羅婆那王，即以所乘妙華宮殿奉施於佛，佛坐其上，王及諸菩薩前後導從，無量婇女歌詠讚歎，供養於佛往詣彼城。到彼城已，羅那王及諸眷屬，復作種種上妙供養，夜叉眾中童男童女，以寶羅網供養於佛，羅婆那王施寶瓔珞，奉佛菩薩以挂其頸。爾時世尊及諸菩薩受供養已，各為略說自證境界甚深之法。時羅婆那王并其眷屬，復更供養大慧菩薩，而勸請言：

> 世尊は七日間、摩竭の海に留まり、その後龍宮を出て、安らかにこの岸に昇られた。私と采女たち、そして夜叉の眷属、輸迦裟剌那という衆の中でも聡明な者たちは、すべてその神力をもって如来の御許に参り、それぞれ華の宮殿を下り、世に尊ばれる方に礼拝した。さらに仏の威神力により、仏に向かって自らの名を称えた。「私は羅刹王、十首の羅婆那です。今、仏の御許に参りました。どうか仏よ、私と楞伽城の中のすべての衆生をお摂受ください。過去の無量の仏も、皆、宝山の頂に昇り、楞伽城に住して、自ら証した法を説かれました。世尊もまた同じく、その宝厳山に住し、菩薩の衆に囲まれ、清らかな法を演説してください。私たちは今日、そして楞伽に住む衆も、一心に共に、言葉を離れた自証の法を聞こうと願っています。私は過去未来の世の、無量の仏が菩薩に囲まれて楞伽経を説かれたことを思い起こします。この楞伽に入る経典は、昔の仏が称賛されたものです。願わくは仏も同じく尊く、また衆のために開演してください。諸仏は哀れみにより、無量の夜叉の衆のために、その宝厳城に入り、この妙なる法門を説かれました。この妙なる楞伽城は、種々の宝で厳かに飾られ、壁は土石ではなく、羅網はすべて珍宝です。これらの夜叉の衆は、昔、仏に供養し、修行して諸々の過ちを離れ、常に明らかに証知しています。夜叉の男女たちは、大乗を渇仰し、自ら摩訶衍を信じ、また他者をも信じさせようとしています。ただ願わくは、無上の尊が、諸々の羅刹の衆、甕耳などの眷属のために、楞伽城に赴いてください。私は過去未来現在において、精進して諸仏に供養し、自証の法を聞き、究極の大乗の道を願っています。願わくは仏よ、私と諸々の夜叉の衆、そして諸仏の子らと共に、この楞伽城に入ってください。私の宮殿や采女、諸々の瓔珞、愛すべき無憂園、これらを仏が哀れみ受け入れてください。私は仏や菩薩に対して、捨てないものはなく、身や侍従に至るまで、ただ哀れみ受け入れてくださいますように」。その時、世尊はこの言葉を聞き、すぐに告げられた。「夜叉王よ、過去世において諸々の大導師は皆、あなたを哀れみ、あなたの勧請を受けて、宝山の中で自証の法を説かれた。未来の諸仏もまた同じであろう。ここは、深い観行を修行し、現法楽に住する者の住処である。私と諸菩薩はあなたを哀れむがゆえに、あなたの請いを受ける」。こう言われて、世尊は黙っておられた。その時、羅婆那王は、自らの乗る妙なる華の宮殿を仏に捧げ、仏はその上にお坐りになった。王と諸菩薩は前後に導き従い、無量の采女が歌い讃え、仏に供養しつつ、その城へと向かった。その城に到着すると、羅婆那王とその眷属は、さらに種々の上妙な供養をなし、夜叉の衆の中の童男童女は宝の羅網をもって仏に供養し、羅婆那王は宝の瓔珞を施し、仏と菩薩の首にかけた。その時、世尊と諸菩薩は供養を受け終え、それぞれの自証の境界の甚深な法を略説された。その時、羅婆那王とその眷属は、さらに大慧菩薩に供養し、勧請して言った。

我今請大士，奉問於世尊，一切諸如來，自證智境界。我與夜叉眾，及此諸菩薩，一心願欲聞，是故咸勸請。汝是修行者，言論中最勝，是故生尊敬，勸汝請問法。自證清淨法，究竟入佛地，離外道二乘，一切諸過失。爾時，世尊以神通力，於彼山中復更化作無量寶山，悉以諸天百千萬億妙寶嚴飾，一一山上皆現佛身，一一佛前皆有羅婆那王及其眾會，十方所有一切國土皆於中現，一一國中悉有如來，一一佛前咸有羅婆那王并其眷屬，楞伽大城、阿輸迦園，如是莊嚴等無有異，一一皆有大慧菩薩而興請問。佛為開示自證智境已，百千妙音說此經已，佛及諸菩薩皆於空中隱而不現。羅婆那王唯自見身住本宮中，作是思惟：向者是誰？誰聽其說？所見得物是誰能見？佛及國城、眾寶山林，如是等物今何所在？為夢所作？為幻所成？為復猶如乾闥婆城？為翳所見？為𦦨所惑？為如夢中石女生子？為如煙焰旋火輪耶？復更思惟：一切諸法性皆如是，唯是自心分別境界，凡夫迷惑不能解了，無有能見亦無所見，無有能說亦無所說，見佛聞法皆是分別。如向所見不能見佛，不起分別是則能見。時楞伽王尋即開悟，離諸雜染，證惟自心，住無分別。往昔所種善根力故，於一切法得如實見，不隨他悟，能以自智善巧觀察，永離一切臆度邪解，住大修行為修行師，現種種身善達方便，幻智諸地上增進相，常樂遠離心意意識，斷三相續見，離外道執著，內自覺知入如來藏趣於佛地，聞虗空中及宮殿內咸出聲言：善哉！大王！如汝所學，諸修行者應如是學、應如是見。一切諸法若異見者則是斷見，汝應永離心意意識，應勤觀察一切諸法，應修內行莫著外見，莫墮二乘及以外道所修句義所見境界，及所應得諸三昧法。汝不應樂戲論談笑，汝不應起韋陀諸見，亦不應著王位自在，亦不應住六定等中。若能如是，即是如實修行者行，能摧他論、能破惡見、能捨一切我見執著、能以妙慧轉所依識、能修菩薩大乘之道、能入如來自證之地。汝應如是勤加修學，令所得法轉更清淨，義修三昧三摩鉢底，莫著二乘外道境界以為勝樂。如凡修者之所分別，外道執我見有我相，及實求那而生取著；二乘見有無明緣行，於性空中亂想分別。楞伽王！此法殊勝是大乘道，能令成就自證聖智，於諸有中受上妙生。楞伽王！此大乘行破無明翳滅識波浪，不墮外道諸見行中。楞伽王！外道行者執著於我作諸異論，不能演說離執著見識性二義。善哉！楞伽王！汝先見佛思惟此義，如是思惟乃是見佛。爾時，羅婆那王復作是念：願我更得奉見如來。如來世尊於觀自在離外道法，能說自證聖智境界，超諸應化所應作事，住如來定入三昧樂，是故說名太觀行師，亦復名為大哀愍者，能燒煩惱分別薪盡，諸佛子眾所共圍繞，普入一切眾生心中，徧一切處具一切智，永離一切分別事相。我今願得重見如來大神通力，以得見故，未得者得已得不退，離諸分別住三昧樂，增長滿足如來智地。爾時，世尊知楞伽王即當悟證無生法忍，為哀愍故便現其身，令所化事還復如故。時十頭王見所曾覩無量山城悉寶莊嚴，一一城中皆有如是應正等覺三十二相以嚴其身，自見其身徧諸佛前，悉有大慧夜叉圍繞，說自證智所行之法，亦見十方諸佛國土，如是等事悉無有別。爾時，世尊普觀眾會，以慧眼觀非肉眼觀，如師子王奮迅迴盻欣然大笑，於其眉間䏶脇腰頸及以肩臂德字之中，一一毛孔皆放無量妙色光明，如虹拖暉如日舒光，亦如劫火猛焰熾然。時虗空中梵釋四天，遙見如來坐如須彌楞伽山頂欣然大笑。爾時，諸菩薩及諸天眾咸作是念：如來世尊於法自在，何因緣故欣然大笑，身放光明默然不動，住自證境入三昧樂，如師子王周迴顧視，觀羅婆那念如實法？爾時大慧菩薩摩訶薩先受羅婆那王請，復知菩薩眾會之心，及觀未來一切眾生，皆悉樂著語言文字，隨言取義而生迷惑，執取二乘外道之行。或作是念：世尊已離諸識境界，何因緣故欣然大笑？為斷彼疑而問於佛，佛即告言：善哉大慧！善哉大慧！汝觀世間愍諸眾生，於三世中惡見所纏，欲令開悟而問於我，諸智慧人為利自他能作是問。大慧！此楞伽王曾問過去一切如來、應、正等覺二種之義，今亦欲問未來亦爾，此二等義差別之相，一切二乘及諸外道皆不能測。爾時如來知楞伽王欲問此義，而告之曰：楞伽王！汝欲問我宜應速問，我當為汝分別解釋，滿汝所願令汝歡喜，能以智慧思惟觀察，離諸分別善知諸地，修習對治證知實義，入三昧樂為諸如來之所攝受，住奢摩他樂遠離二乘三昧過失，住於不動善慧法雲菩薩之地，能如實知諸法無我，當於大寶蓮華中以三昧水而灌其頂，復現無量蓮華圍繞，無數菩薩於中止住，與諸眾會遞相瞻視，如是境界不可思議。楞伽王！汝起一方便行住修行地，復起無量諸方便行，汝定當得如上所說不思議事。處如來位隨形應物，汝所當得，一切二乘及諸外道、梵、釋、天等所未曾見。爾時，楞伽王蒙佛許已，即於清淨光明如大蓮華寶山頂上從座而起，諸婇女眾之所圍繞，化作無量種種色華，種種色香、末香、塗香，幢旛、幰蓋、冠珮、瓔珞，及餘世間未曾見聞種種勝妙莊嚴之具。又復化作欲界所有種種無量諸音樂器，過諸天、龍、乾闥婆等一切世間之所有者。又復化作十方佛土昔所曾見諸音樂器。又復化作羅網徧覆一切佛菩薩上，復現種種上妙衣服，建立幢旛以為供養。作是事已，即昇虗空高七多羅樹，於虗空中復雨種種諸供養雲，作諸音樂從空而下。即座第二日，電光明如大蓮華寶山頂上，歡喜恭敬而作是言：我今欲問如來二義。如是二義，我已曾問過去如來應正等覺，彼佛世尊已為我說。我今亦欲問於是義，唯願如來為我宣說。世尊，變化如來說此二義非根本佛，根本佛說三昧樂境，不說虗妄分別所行。善哉！世尊，於法自在，唯願哀愍說此二義，一切佛子心皆樂聞。爾時，世尊告彼王言：汝應問我，當為汝說。時，夜叉王更著種種寶冠、瓔珞、諸莊嚴具以嚴其身，而作是言：如來甞說，法尚應捨，何況非法！云何得捨此二種法？何者是法？何者非法？法若應捨，云何有二？即隨分別相中，有體無體、是實非實，如是一切皆是分別，不能了知阿賴耶識無差別相，如毛輪住非淨智境。法性如是，云何可捨？爾時，佛告楞伽王言：楞伽王，汝豈不見瓶等無常敗壞之法，凡夫於中妄生分別？汝今何故不如是知法與非法差別之相？此是凡夫之所分別，非聖賢見；凡夫隨在種種相中，非諸聖者。楞伽王，如燒宮殿園林見種種焰，火性是一，所出光焰由薪力故，長短大小各各差別。汝云何不如是知法與非法差別之相？楞伽王，如一種子生芽莖枝葉及以華果無量差別；外法如是，內法亦然，謂明為緣生蘊界處一切諸法，於三界中受諸趣生，有苦樂、好醜、語默、行止各各差別。又如諸識相是一，隨於境界有上中下、染淨、善惡種種差別。楞伽王，非但如上法有差別，諸修行者修觀行時，自智所行亦復見有差別之相，況法與非法而無種種差別分別？楞伽王，法與非法差別相者，當知悉是相分別故。楞伽王，何者是法？所謂二乘及諸外道，虗妄分別說有實等為諸法因。如是等法應捨應離，不應於中分別取相，見自心法性則無執著。瓶等諸物凡愚所取本無有體，諸觀行人以毗婆舍那如實觀察，名捨諸法。楞伽王，何者是非法？所謂諸法無性無相永離分別，如實見者若有若無，如是境界彼皆不起，是名捨非法。復有非法，所謂兔角、石女兒等，皆無性相不可分別，但隨世俗說有名字，非如瓶等而可取著，以彼非是識之所取，如是分別亦應捨離，是名捨法及捨非法。楞伽王，汝先所問我已說竟。楞伽王，汝言我於過去諸如來所已問是義，彼諸如來已為我說。楞伽王，汝言過去但是分別，未來亦然，我亦同彼。楞伽王，彼諸佛法皆離分別，已出一切分別戲論，非如色相唯智能證，為令眾生得安樂故而演說法，以無相智說名如來。是故如來以智為體，智為身故不可分別，不可以所分別，不可以我、人、眾生相分別。何故不能分別？以意識因境界起取色形相，是故離能分別亦離所分別。楞伽王，譬如壁上綵畫眾生無有覺知，世間眾生悉亦如是無業無報，諸法亦然無聞無說。楞伽王，世間眾生猶如變化，凡夫外道不能了達。楞伽王，能如是見名為正見，若他見者名分別見，由分別故取著於二。譬如有人於水鏡中自見其像，於燈月中自見其形，於山谷中自聞其響，便生分別而起取著；此亦如是，法與非法唯是分別，由分別故不能捨離，但更增長一切虗妄不得寂滅。寂滅者所謂一緣，一緣者是最勝三昧，從此能生自聖證智，以如來藏而為境界。

> 私は今、大士（尊者）にお願いし、世尊に問いを捧げます。 一切の如来の、自ら証する智慧の境界について。 私と夜叉の衆、そしてこの菩薩たちは、 一心に願い聞こうとしています。ですから皆で勧めてお願いするのです。 あなたは修行者であり、言論において最も優れています。 ゆえに尊敬を生じ、あなたに法を問うよう勧めます。 自ら証する清らかな法は、究極的に仏地に入り、 外道や二乗の、あらゆる過失を離れています。 その時、世尊は神通力によって、 その山中に更に無量の宝山を化作されました。 全てを諸天の百千万億の妙宝で厳飾し、 一々の山の上には皆、仏身が現れ、 一々の仏の前には皆、羅婆那王とその衆会がおり、 十方にある全ての国土が皆その中に現れ、 一々の国の中に悉く如来がおられ、 一々の仏の前には皆、羅婆那王とその眷属がおり、 楞伽大城、阿輸迦園も、このような荘厳で等しく異なることはありません。 一々に皆、大慧菩薩がおり、問いを発していました。 仏が自ら証する智慧の境を開示し終え、 百千の妙音でこの経を説き終えると、 仏も菩薩たちも皆、空中に隠れて現れなくなりました。 羅婆那王は唯、自らの身が本の宮中に在るのを見て、 こう思惟しました。 「先ほどの者は誰なのか？誰がその説法を聞いたのか？ 見えた物は、誰が見たのか？ 仏や国城、衆宝の山林、これらの物は今どこにあるのか？ 夢が為したものか？幻が為したものか？ それとも、まるで乾闘婆の城のようであったのか？ 翳（目の病）によって見えたのか？陽炎に惑わされたのか？ 夢の中で石女が子を産むようなものか？ 煙の炎や旋火輪のようなものか？」 更に思惟しました。 「一切の諸法の性は皆かくの如く、 唯、自心の分別する境界であり、 凡夫は迷って了解することができない。 見る能う者も無く、見られるものも無い。 説く能う者も無く、説かれるものも無い。 仏を見、法を聞くことも、皆分別である。 先に見たようにしては仏を見ることができず、 分別を起こさなければ、それが則ち見ることである。」 その時、楞伽王は直ちに開悟し、 諸々の雑染を離れ、 唯だ自心のみであることを証し、 無分別に住しました。 往昔に種えた善根の力によって、 一切の法に対して如実に観ることを得て、 他に悟り従うことなく、 自らの智慧でもって善巧に観察し、 永く一切の憶度や邪解を離れ、 大修行に住して修行の師となり、 種々の身を現して善く方便に達し、 幻智の諸地において上昇する相を 常に心・意・意識を遠離することを楽み、 三相続の見を断ち、 外道の執着を離れ、 内に自ら覚知して如来蔵に入り仏地に向かい、 虚空中及び宮殿内から皆、声を発して言うのを聞きました。 「善きかな！大王よ。 汝が学ぶ如く、諸の修行者は此くの如く学ぶべし、此くの如く見るべし。 一切の諸法に対して、もし異なる見解があれば、則ちこれ断見である。 汝は永く心・意・意識を離れ、 応に勤めて一切の諸法を観察すべし。 応に内行を修して外見に執着すること莫かれ。 二乗及び外道の修するところの句義、見る所の境界、 及び得るべき所の諸々の三昧法に堕すること莫かれ。 汝は戯論や談笑を楽しむべからず。 汝はヴェーダの諸々の見解を起こすべからず。 また、王位の自在に執着すべからず。 また、六定等の中に住むべからず。 若能く此くの如くならば、 即ちこれ如実に修行する者の行であり、 能く他論を摧き、能く悪見を破り、 能く一切の我見の執着を捨て、 能く妙慧を以て所依の識を転じ、 能く菩薩大乗の道を修し、 能く如来の自ら証する地に入る。 汝は応に此くの如く勤めて修学し、 得るところの法を転更に清らかにせよ。 また、三昧・三摩鉢底を修して、 二乗や外道の境界を勝れた楽として執着すること莫かれ。 凡夫の修行者の如く分別するところ、 外道は我見を執して我有りの相あり、 及び実の求那を求めて取り着き、 二乗は無明を縁とする行あるを見て、 性空の中に乱りに想い分別する。 楞伽王よ！この法は殊勝であり、是れ大乗の道である。 能く自証の聖智を成就せしめ、 諸々の有の中に於いて上妙の生を受ける。 楞伽王よ！この大乗の行は、 無明の翳を破り、識の波浪を滅し、 外道の諸見の行の中に堕ちない。 楞伽王よ！外道の行者は我に執着して諸々の異論を作し、 執着の見と識の性の二義を離れることを演説することができない。 善きかな！楞伽王よ！ 汝、先に仏を見て此の義を思惟せよ。 此くの如く思惟する、是れを仏を見ると為す。」 その時、羅婆那王はまたこう念じました。 「願わくば、我更に如来を奉見することを得ん。 如来世尊は、観自在に於いて外道の法を離れ、 能く自証聖智の境界を説き、 諸々の応化の作すべき事を超え、 如来の定に住して三昧の楽に入る。 故に、大観行師と名づけ、 また大哀愍者と名づけ、 能く煩悩・分別の薪を焼き尽くし、 諸仏子の衆の囲繞するところ、 普く一切衆生の心中に入り、 遍く一切処に在って一切智を具え、 永く一切の分別事相を離れる。 我れ今、願わくば如来の大神通力を重ねて見ることを得ん。 見ることを得るが故に、未だ得ざる者は得、已に得る者は退かず、 諸々の分別を離れて三昧の楽に住し、 如来の智地を増長し満足せん。」 その時、世尊は、楞伽王が即ち悟証して無生法忍を得ることを知り、 哀愍の為めに故に其の身を現じ、 所化の事を還って如故ならしめました。 その時、十頭王は、曾て見たことのある無量の山城が悉く宝で荘厳されているのを見ました。 一一の城中に皆、此くの如き応正等覚が三十二相を以て其の身を厳飾し、 自らの身が諸仏の前に遍く在り、 悉く大慧・夜叉の周囲に在って、 自証智の所行の法を説くのを見ました。 また、十方の諸仏国土を見ましたが、 此くの如き事は悉く別異はありませんでした。 その時、世尊は普く衆会を観じ、 慧眼を以て観じ、肉眼を以て観じるのではなく、 獅子王が奮迅して廻顧し、 欣んで大笑し、 其の眉間、䏶脇、腰頸、及び肩臂の徳字の中に於いて、 一一の毛孔から皆、無量の妙色の光明を放ちました。 虹が輝きを拖くが如く、日が光を舒べるが如く、 亦た劫火の猛焰の熾然とするが如し。 その時、虚空の中の梵天、帝釈天、四天王は、 遥かに如来が須弥山の如き楞伽山頂に坐して欣んで大笑するを見ました。 その時、諸々の菩薩及び諸天の衆は皆、こう念じました。 「如来世尊は法に於いて自在である。 何の因縁によって欣んで大笑し、 身に光明を放ち、黙然として動かず、 自証の境に住して三昧の楽に入り、 獅子王の如く周迴して顧視し、 羅婆那を観じて如実の法を念じるのか？」 その時、大慧菩薩摩訶薩は、 先ず羅婆那王の請を受け、 また菩薩の衆会の心を知り、 及び未来の一切衆生を観じて、 皆悉く言語文字に楽著し、 言に随って義を取りて迷惑を生じ、 二乗・外道の行を執取することを見て、 あるいはこう念じました。 「世尊は已に諸識の境界を離れたのに、 何の因縁によって欣んで大笑したのか？」 彼の疑いを断ぜんが為に、仏に問いました。 仏は即ち告げて言わく、 「善きかな大慧よ！善きかな大慧よ！ 汝は世間を観じ、諸々の衆生を愍み、 三世の中に於いて悪見に纏われている。 開悟せしめんと欲して我に問う。 諸智慧の人は自他の為に利する能く、此くの如く問いを為す。 大慧よ！此の楞伽王は、 曾て過去の一切如来・応・正等覚に二種の義を問い、 今も亦た問わんと欲し、未来も亦た爾し。 此の二義の差別の相は、 一切の二乗及び諸々の外道も皆測ることができない。」 その時、如来は、楞伽王が此の義を問わんと欲することを知り、 之に告げて言わく。 「楞伽王よ！汝、我に問わんと欲するならば、速やかに問うべし。 我れ当に汝の為に分別し解釈し、 汝の願いを満たし、汝を歓喜せしめん。 智慧を以て思惟観察し、 諸々の分別を離れ、善く諸地を知り、 対治を修習して実義を証知し、 三昧の楽に入り、諸々の如来の摂受する所となり、 奢摩他の楽に住し、 二乗の三昧の過失を遠離し、 不動・善慧・法雲の菩薩の地に住し、 能く如実に諸法の無我を知り、 当に大宝蓮華の中に於いて三昧水を以て其の頂を灌ぐべし。 また、無量の蓮華の周囲に在るを現じ、 無數の菩薩の中に止住し、 諸々の衆会と互いに瞻視せん。 此くの如き境界は不可思議である。 楞伽王よ！汝、一方便の行を起こして修行地に住し、 また無量の諸方便行を起こさん。 汝は定んで当に上に説く如き不思議の事を得るべし。 如来の位に処って形に随って物に応ずる、 汝の当に得る所は、 一切の二乗及び諸々の外道、梵天・帝釈天等の未だ曾て見ざる所である。」 その時、楞伽王は仏の許しを蒙り、 即ち清浄光明にして大蓮華の如き宝山の頂上より座を起ち、 諸の婇女の衆に囲繞され、 無量の種種の色華、 種種の色香・末香・塗香、 幢旛・幰蓋・冠珮・瓔珞、 及びその他の世間の未だ曾て見聞せざる種種の勝妙の荘厳の具を化作し、 また、欲界の所有の種種の無量の諸音楽器を化作し、 諸天・龍・乾闘婆等の一切世間の所有するものを超え、 また、十方仏土の昔に曾て見たる諸音楽器を化作し、 また、羅網を化作して遍く一切の仏菩薩の上に覆い、 また、種種の上妙の衣服を現じ、 幢旛を建立して供養と為し、 此の事を作し終わりて、 即ち虚空に昇ること高きこと七多羅樹、 虚空の中に於いてまた種種の諸供養の雲を雨し、 諸の音楽を作して空より下り、 即ち第二の日、電光明の如く大蓮華宝山の頂上に座し、 歓喜恭敬して而りて言を作さく。 「我れ今、如来に二義を問わんと欲す。 此くの如き二義は、 我れ已に過去の如来・応・正等覚に問うたことあり。 彼の仏世尊は已に我が為に説きたまえり。 我れ今も亦た是の義を問わんと欲す。 唯だ願わくば、如来、我が為に宣説したまえ。 世尊よ、変化如来は此の二義を説くも、根本仏に非ず。 根本仏は三昧楽の境を説き、 虚妄分別の所行を説かず。 善きかな、世尊よ、法に於いて自在なり。 唯だ願わくば、哀愍して此の二義を説きたまえ。 一切の仏子の心、皆な聞くことを楽わん。」 その時、世尊、彼の王に告げて言わく。 「汝、我に問うべし。当に汝の為に説かん。」 その時、夜叉王は、更に種種の宝冠・瓔珞・諸々の荘厳具を著けて其の身を厳し、 而りて言を作さく。 「如来は嘗て説きたまえり。 『法すら尚お捨つべし。況んや非法をや！』と。 云何が此の二種の法を捨つることを得ん？ 何をか法と為し、何をか非法と為す？ 法、若し捨つべきならば、云何が二有らん？ 即ち分別の相に随って、体有り・体無し、 是れ実なり・非実なりとせば、 是の如き一切は皆是れ分別にして、 阿頼耶識の無差別の相を了知する能わず、 毛輪の住するが如く、清浄智の境に非ず。 法性は是の如し。云何が捨つるべけんや？」 その時、仏、楞伽王に告げて言わく。 「楞伽王よ、汝、豈に瓶等の無常敗壊の法を見ざるや？ 凡夫は中に於いて妄りに分別を生ず。 汝、今、何の故に是くの如く法と非法の差別の相を知らざるや？ 此れは是れ凡夫の分別する所にして、聖賢の見に非ず。 凡夫は種種の相の中に随えるも、諸の聖者に非ず。 楞伽王よ、宮殿・園林の焼くるが如く、種種の焔を見る。 火性は一なれども、出づる所の光焔は薪の力に由りて、 長短大小各各差別あり。 汝、云何が是くの如く法と非法の差別の相を知らざるや？ 楞伽王よ、一つの種子が芽・莖・枝・葉及び華果の無量の差別を生ずるが如し。 外法も是の如く、内法も亦た然り。 謂わく、明を縁として蘊・界・処の一切諸法を生じ、 三界の中に於いて諸趣の生を受け、 苦楽・好醜・語黙・行止 各各差別あり。 また、諸識の相は一なれども、 境界に随って上中下・染浄・善悪の種種の差別有るが如し。 楞伽王よ、但だ上に説くが如く法に差別有るのみに非ず。 諸の修行者が観行を修する時、 自智の所行も亦た差別の相有るを見る。 況んや法と非法に而りて差別分別の無きをや？ 楞伽王よ、法と非法の差別の相は、 当に知るべし、 悉く是れ相に分別するに因る故なり。 楞伽王よ、何をか法と為す？ 所謂、二乗及び諸外道の虚妄分別して、 実等の諸法の因ありと説く。 是くの如き等の法は、応に捨て、応に離るべし。 中に於いて分別して相を取るべからず。 自心の法性を見れば則ち執着無し。 瓶等の諸物は、凡愚の取る所にして本より体無し。 諸の観行人は毗婆舍那を以て如実に観察す。 名づけて諸法を捨つと為す。 楞伽王よ、何をか非法と為す？ 所謂、諸法は性無く相無く、永く分別を離る。 如実に見る者は、若し有り若し無きも、 是くの如き境界は彼皆起こさず。 是を名づけて非法を捨つと為す。 また非法有り、所謂、兎角・石女の子等の、 皆な性相無く、分別すべからず。 但だ世俗に随って名字有りと説くも、 瓶等の如く而りて取著すべきに非ず。 彼は是れ識の取る所に非ずと以ってなり。 是くの如き分別も亦た応に捨離すべし。 是を名づけて法を捨て及び非法を捨つと為す。 楞伽王よ、汝の先に問う所、我れ已に説き竟んぬ。 楞伽王よ、汝の言う、 『我れ、過去の諸如来の所に於いて已に是の義を問い、 彼の諸如来は已に我が為に説きたまえり。』 楞伽王よ、汝の言う『過去』は但だ分別なり。 未来も亦た然り。我も亦た彼に同じ。 楞伽王よ、彼の諸仏の法は皆な分別を離れ、 已に一切の分別戯論を出で、 色相の如くならず、唯だ智のみ能く証す。 衆生に安楽を得せしめんが為の故に而りて法を演説す。 無相の智を以て、名づけて如来と説く。 是の故に如来は智を以て体と為す。 智は身と為すが故に分別すべからず。 以て所分別すべからず。 以て我・人・衆生相に分別すべからず。 何が故に分別する能わざる？ 意識は境界に因りて起こり、色の形相を取るを以て、 是の故に能分別を離れ、亦た所分別を離る。 楞伽王よ、譬えば壁上の彩画の衆生の覚知無きが如し。 世間の衆生も悉く亦是くの如く、業無く報無し。 諸法も亦然り、聞く無く説く無し。 楞伽王よ、世間の衆生は猶お変化の如く、 凡夫・外道は了達する能わず。 楞伽王よ、能く是くの如く見るを名づけて正見と為す。 若し他の見えあれば、名づけて分別見と為す。 分別に由るが故に、二に取著す。 譬えば、ある人が水鏡の中に自ら其の像を見、 灯月の中に自ら其の形を見、 山谷の中に自ら其の響きを聞き、 便ち分別を生じて取り著すが如し。 此れも亦是くの如し。 法と非法とは唯だ分別のみ。 分別に由るが故に、捨離する能わず。 但だ更に一切の虚妄を増長して寂滅を得ず。 寂滅とは、所謂、一縁なり。 一縁とは、是れ最勝の三昧、 此れより能く自らの聖証の智を生じ、 如来蔵を以て境界と為す。」

魏云如實見者，名為正見。若他見者，名為邪見。若分別者，名為二取。皆是虗妄，不得寂滅。寂滅者，名為一心。一心者，名如來藏。如來藏者，入自內身智慧境界，得無生法忍三昧。

通曰：世尊於法華會上，白毫放光，照見東方世界種種佛事，而法華已竟。此於楞伽會上，現起寶山種種，及大慧問法等事，而楞伽已竟。可知一切法，皆自心所現。昔波斯匿王問：勝義諦中，有世俗諦否？若言無，智不應二；若言有，智不應一。一二之義，其義云何？佛言：大王！汝於過去龍光佛法中，曾問此義：我今無說，汝今無聽。無說無聽，是名為一義二義。此二問略同，而世尊所以答者逈異，一明相宗，一明性宗也。故明相宗，則法屬有，非法屬無，一俱應捨，乃至如實見者亦應捨，況法與非法乎？明性宗，不但離分別，亦離言說，無說無聽，即入自證聖智境界，所謂寂滅一心者也。