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title: "阿毗達摩攝義論 · 分別攝毗提品第四"
description: "阿毗達摩攝義論是南傳上座部佛教的權威論著，由十二世紀錫蘭高僧阿耨樓陀尊者所造。該論以攝頌形式精要總括了巴利佛典論藏阿毗達摩的核心教義，系統闡述心法、心所法、色法、涅槃等究竟勝義，被譽為研究上座部哲學的必讀綱要。其內容嚴謹簡明，既是佛教心理學與哲學的巔峰之作，也是實修的重要指南，在南傳佛教傳統中具有與清淨道論並尊的崇高地位，為歷代學修者所推崇。"
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### 分別攝毗提品第四

> 第4章 分別摂毗提の章

如是心生起． 如前已略攝． 由地人異故． 以次分前後．所謂攝轉變． 轉變在結生． 依諸力能故． 我略作解說．

> このような心の生じ方は、 先に簡潔にまとめた通りです。 しかし、修行の段階や人によって異なるため、 順を追って前後を分けて説明します。 すなわち、心のまとまりと変化、 その変化が生まれ変わりに現れることを、 様々な働きや力に基づいて、 私は簡潔に解説いたしましょう。

論曰．於攝毗提中．應知有六六法．謂六所依事．六根門．六所緣．六識．六毗提．六現境．

> 論じて曰く、「摂毘提（サンヴィッティ＝認識）の中には、六つの六法があると知るべきである。すなわち、六つの依り所、六つの根の門、六つの対象、六つの識、六つの毘提（認識作用の考察）、六つの現れる境である。」

離毗提者．謂業．業相．及所趣相三者．

> 離毗提とは、業（おこない）と、その業の特徴（すがた）と、その結果として進むべき方向の三つを指します。

此中所依事．根門．及所緣．如前已說．

> ここでいう基礎となるもの、感覚の器官、そして対象については、すでに前に述べた通りです。

六種識者．謂眼識．耳識．鼻識．舌識．身識．及意識．

> 六つの識とは、眼識（視覚）、耳識（聴覚）、鼻識（嗅覚）、舌識（味覚）、身識（触覚）、そして意識（心の働き）の六つを指します。

六毗提者．謂眼門毗提．耳門毗提．鼻門毗提．舌門毗提．身門毗提．以門別故．或眼識毗提．耳識毗提．鼻識毗提．舌識毗提．身識毗提．及意識毗提．以識別故．根門轉故．如其所應．心得轉起．

> 六つの触（そく）とは、眼の門による触、耳の門による触、鼻の門による触、舌の門による触、身の門による触で、門の違いによるものです。あるいは、眼識による触、耳識による触、鼻識による触、舌識による触、身識による触、そして意識による触で、識の違いによるものです。根（感官）の門に従って働くので、それぞれに応じて心が生じ動き出します。

於五根門境．有極粗大．粗大．微細．極微細境．然於意門境有分明及不分明．應知六種境界現前．

> 五つの感覚器官（五根）の働きの場では、非常に粗い、粗い、微細な、極めて微細な、という四つの種類の対象がある。しかし心（意）の門においては、明らかに現れるものと、はっきりしないものとがある。このように六つの認識の場面において、対象が現れてくる仕方には六種類があると知るべきである。

云何如是．謂一剎那心．有生．住．滅三剎那故．住於色法有十七剎那心．於五根門．五種所緣來現前住．或經一剎那心．或經多剎那心．是故若所緣色．經一剎那心來現眼前．從此彼有分心波動二次．有分心之流停止．轉向彼所緣色．生五根門引發心．生已即滅．從此無間而生能見彼色眼識．次等尋求．等尋求心．次等貫徹．等貫徹心．次令起．令起心．如其次第生已而滅．從此於欲界二十九種勢用心中．隨得一緣即動七次．隨其勢力．有二次返緣心．如實現前．從此仍墮有分．

> このように説明される。すなわち、一刹那の心には生・住・滅の三刹那があるからである。色法には十七刹那の心がとどまる。五つの感覚器官の門口において、五つの対象が現れてとどまる。それは一刹那の心を経ることもあれば、多くの刹那の心を経ることもある。 それゆえ、もし対象となる色が一刹那の心を経て眼前に現れたならば、そこからその有分心が二度波立ち動く。有分心の流れは止まり、その対象の色へと転じる。五つの感覚器官の門口を引き起こす心が生じ、生じてはすぐに滅する。 そこから間を置かずに、その色を見る眼識が生じる。次に、求める心、等しく求める心が生じる。次に、究める心、等しく究める心が生じる。次に、起こす心、起こす心が生じる。これらがその順序に従って生じては滅する。 そこから、欲界における二十九種類の勢用の心のうち、一つの縁を得るごとに七回動く。その勢力に従って、二回の返縁の心が、あるがままに現前する。そこから再び有分に落ちるのである。

由如是故．生十四毗提心．二波動有分心．及過去一剎那心．是則足成十七剎那心．從此彼生即滅．此所緣者．謂是極粗大境界．若所緣遲至．不能生返緣心者．名粗大境．如是．於勢用心即墮入有分．故無返緣心生．若所緣仍遲至．不能生勢用心者．名曰微細境．其勢用心既不生．則令起心亦未能生起．即沉沒者．是名極微細境．此雖有分心．無有心毗提生．此於眼門如是．於耳門等亦爾．於一切處．於五根門有四級心轉．謂反緣．勢用．令起．無用．如其所應．知所緣境界．亦有四種

> このようなことから、十四の心（心の働き）と、二つの波動する有分心（潜在的な心の流れ）、そして過去の一刹那の心が生じます。これらを合わせて十七刹那の心が成り立ちます。これが生じた後、次の瞬間には消滅します。 ここでいう「所縁（対象）」とは、極めて粗大な境界（認識対象）を指します。もし対象がゆっくりと現れて、逆に心を生じさせることができない場合、これを「粗大な境界」と呼びます。 このように、勢いよく働く心（勢用心）の中では、すぐに有分心（潜在的な心の流れ）に堕してしまうため、反対に心を生じさせる働き（返縁心）は起こりません。 もし対象がさらにゆっくりと現れて、勢用心さえも生じさせることができない場合、これを「微細な境界」と呼びます。勢用心が生じなければ、心を起こす働き（令起心）も生じることができず、心が沈んでしまう状態になります。これを「極微細な境界」と呼びます。 この場合、有分心は存在しますが、心の活性化（心毗提）は生じません。 以上のことは、眼の門（視覚）においても、耳の門（聴覚）など他の感覚器官においても同様です。すべての五つの感覚器官（五根門）において、心の展開には四つの段階があります。すなわち、反応（反縁）、勢い（勢用）、発動（令起）、無効（無用）です。これに対応して、認識対象（境界）にも四つの種類があると知るべきです。

頌曰．

> 次のように説かれています。

毗提心有七． 心生十四種． 如次依五門． 總說五十四．

> 毘鉢舎那の心には七種類あり、 心の生じ方には十四種ある。 以上のことを五つの門に従って説けば、 全部で五十四となる。

論曰．於意根門．若所緣境分明來現前者．從此則有分心動．次生意門能引發心．勢用心．反緣心．成就現前．從此墮入有分．若非分明境．於勢用心位．便墮入有分位．不生反緣心．

> 論じよう。意根という門において、もし対象となる境がはっきりと現れてきたなら、その時、まず有分心が動き出す。次に意門において、心を引き起こす心（引転心）が生じる。さらに勢いよく対象に向かう心（勢用心）、そして逆に戻って見る心（反転心。再確認する心という意味）が生じ、対象を明らかに認識する。この状態が現れてから、また有分の状態に落ちていく。 もし対象となる境がはっきりと現れなかったなら、勢用心の段階で、すぐに有分の状態に落ちてしまい、反転心は生じない。

頌曰．

> 次のように説かれています。

毗提心有二． 心生說有十． 若要廣分別． 欲界四十一．

> 毘提の心は二つある。 心の生起について詳しく説けば十ある。 さらに細かく分別するならば、 欲界には四十一の心がある。

論曰．根本靜慮勢用心中．所緣無有分明不分明別．反緣心亦不生起．於八種智相應．欲界勢用心中．隨於一種有初業．近分．隨順．種姓心．依次生起．或三或四剎那．生已無間即滅．如其所應．於其第四或第五剎那．隨其所願．於上界出世間二十六心中．證得一種勢用心．退至根本靜慮毗提．此從靜慮末．仍沉沒於有分位．

> 論曰、根本静慮の勢用心中には、所縁に分明・不分明の区別はなく、また反縁の心も生じない。八種の智と相応する。欲界の勢用心中には、随って一種のものに、初業・近分・随順・種姓の心があり、順に生起する。或いは三、或いは四刹那にして生じ、間断なく即座に滅する。その応じるところに従い、第四または第五刹那において、その願うところに随い、上界・出世間の二十六心中より、一種の勢用心を証得し、根本静慮の毘提に退する。これは静慮の末より、なお有分位に沈没する。

若勢用心喜受俱行．如是無間．所證靜慮．亦可喜受俱行．若勢用心捨受俱行．如是無間所證靜慮．亦可捨受俱行．復次．善勢用無間．所證靜慮及下三果．亦復是善．業勢用無間．所證亦爾．是名阿羅漢果．

> もし勢いの作用が喜びの感覚と共に働くなら、その途切れることなく証される静慮（禅定）もまた、喜びの感覚と共にある。 もし勢いの作用が捨ての感覚と共に働くなら、その途切れることなく証される静慮もまた、捨ての感覚と共にある。 さらに、善なる勢いの作用によって途切れることなく証される静慮や、下位の三つの果報もまた、善なるものである。 業による勢いの作用によって途切れることなく証されるものもまた、同様である。 これを阿羅漢果と名づける。

頌曰．

三十二種善功德． 此後捨受十二種． 復有八種樂受業． 應知證得六種捨．

> 三十二種の善い功徳がある。 その後に、捨受（しゃじゅ）の十二種がある。 さらに、楽受の八種の業がある。 六種の捨を証得（しょうとく）すべきであると知るべし。

諸凡夫有學． 欲界三善因． 阿羅漢證得． 從三因善行．

> 凡夫や修行者は、欲界における三つの善因（貪・瞋・癡のない心）によって善行を積みます。阿羅漢はそれを完全に体得し、その三つの善因から生まれる清らかな行いを実践しています。

如是名為意門毗提心轉道理．

> これが、意門におけるヴィパッサナー（観察）の心の働き方という道理です。

於此一切．若不可意境是不善異熟．有五識．等尋求．等貫徹及反緣心．若可意境．即善異熟．若極可意境．其等尋求．與反緣心．有喜受俱行彼亦如是．謂喜受俱行．業勢用末．其反緣心亦喜受俱行．捨受俱行．業勢用末．彼亦捨受俱行．

> ここでいう「すべて」とは、次のようなものです。 もしそれが心に不快な境地（不快な対象）であれば、それは善ではない異熟（結果）です。そこには五つの認識（五識）があり、それに続く「等しく探求する心（等尋求）」と「完全に理解する心（等貫徹）」、および「反転して対象を捉える心（反縁心）」が生じます。 もしそれが心に快適な境地であれば、それは善なる異熟です。また、非常に快適な境地の場合、その「等しく探求する心」と「反転して対象を捉える心」は喜びの感情（喜受）を伴います。それらもまた同じで、喜びの感情を伴うものです。 つまり、こういうことです。喜びの感情を伴うものは、行為の勢いが尽きる最後の瞬間に生じます。その「反転して対象を捉える心」もまた、喜びの感情を伴います。一方、平等な感情（捨受）を伴うものは、行為の勢いが尽きる最後の瞬間に生じます。その場合もまた、平等な感情を伴うのです。

憂受俱行勢用心終以捨受俱行故．墮入反緣心及有分心．是故其於憂受俱行終位．若得喜受相應結生心．則不生反緣心．於是生捨受俱行等貫徹心．緣欲界中．隨於所緣．彼於過去曾所習者．有諸餘師．作如是說．即於彼後墮入有分．如是．唯於欲界勢用心．終．及欲界有情．及於欲界所攝所緣．有反緣心．

> 憂の受とともに行ずる勢用心は、最終的には捨の受とともに行ずる故に、反縁心及び有分心に堕入する。ゆえに、憂の受とともに行ずる心の終位において、もし喜の受と相応する結生心を得れば、反縁心は生じない。そこで、捨の受とともに行ずる等貫徹心が生じ、欲界の中において、その所縁に随う。それは過去に習熟したものである。他の諸師は、このように説く。「すなわち、その後に有分に堕入する。」このように、ただ欲界の勢用心の終わり、および欲界の有情、ならびに欲界に摂せられる所縁においてのみ、反縁心がある。

頌曰．

> 次のように説かれています。

於欲界勢用． 有情及所緣． 分明與粗顯． 得起彼事心．

> 欲界におけるはたらきは、 有情とその対象の上で、 明らかに、かつ粗く現れるもの。 それによって、心は対象に向かって生じる。

論曰．諸勢用心於欲界勢用毗提．欲界毗提動七次．或六次．若昏弱位．若命終等時．惟動五次．有作是說．世尊現雙神變時．極迅速故．其勢用心．可有四剎那．或五剎那．初修行人．證第一靜慮．上界勢用．及神通勢用．恆唯動一剎那．從此墮入有分．四種道心．生起．唯有一剎那．此從其證果心．如其次第．生二三剎那．從此墮入有分．於證滅盡定時．其第四靜慮及無色界勢用．動二次已．即證滅定．若出定時．如其次第．或得不還果．或阿羅漢果．其勢用心起一次已．墮入有分．如是．於一切三摩鉢底毗提心中．猶如有分流．其毗提心．無有間斷．是故勢用．多亦可得．

> 論じて曰く、様々な勢用心は欲界において作用する。欲界の勢用は七回、あるいは六回はたらく。もし昏弱の位や命終の時などには、ただ五回だけはたらく。ある説には、世尊が双神変を現した時、極めて迅速であるが故に、その勢用心は四刹那、あるいは五刹那あり得るという。 最初に修行を始めた者が第一静慮を証得する時、上界の勢用や神通の勢用は、常にただ一刹那だけはたらき、そこから有分へと堕ちる。四種の道心が生起するのは、ただ一刹那のみである。これがその証果の心に従って、順に二、三刹那を生じ、そこから有分へと堕ちる。 滅尽定を証する時、その第四静慮及び無色界の勢用は、二回はたらいた後、即座に滅定を証する。もし出定する時には、順に、あるいは不還果を得、あるいは阿羅漢果を得る。その勢用心は一度生起した後、有分へと堕ちる。 このように、あらゆる三摩鉢底の毗提心の中には、有分流があるかのごとくである。その毗提心には間断が無い。ゆえに勢用は、多くを得ることも可能である。

頌曰．

> 次のように説かれています。

下界有七次． 神通道有一． 應知於餘處． 勢用心有多．

> 下界には七つの境地がある。 神通の道は一つである。 他の場所については、次のように知るべきである。 勢力の使い方には多くの種類がある。

論曰．於此其具二因．及不具因者．不得業勢用心及證靜慮勢用心．如是．雖生善趣．亦不得智相應異熟心．若在惡趣．其智不相應．大異熟心亦不可得．

> 論にはこう述べられている。これには、二つの因を備えている者と、因を備えていない者がいる。因を備えていない者は、業の勢いによる心や、静慮の勢いによる心を得ることができない。そのように、たとえ善趣に生まれても、智と相応する異熟の心を得ることはない。もし悪趣にあるならば、智と相応しない大きな異熟の心もまた得ることはできない。

於具三因者中．其漏盡者．不得善不善勢用心．如是有學凡夫．業勢用心．亦不能得．諸有學者．不得邪見相應．或疑相應勢用心．諸不還者．無有瞋忿勢用．出世間勢用．如其次第．唯聖者生起．

> 三つの因を備えるものの中で、煩悩が尽きた者（阿羅漢）は、善・不善の勢力を用いる心を得ることができません。同様に、有学の凡夫は業の勢力を用いることはできません。諸々の有学の者は、邪見や疑いと結びついた勢力を用いる心を得ることはできません。不還者（阿那含）には、怒りや憎しみの勢力を用いることはありません。出世間の勢力については、順序に従って聖者だけが生起させることができます。

頌曰．

> 次のように説かれています。

無學四十四． 五十六有學． 餘者五十四． 如是說具因．

> 無学の者は44種。 有学の者は56種。 残りの者は54種。 このように因を具えると説かれる。

論曰．欲界地中．此一切心毗提．如次而得．色界地中．唯除瞋恚及反緣心．無色界地中．除初道心色界心．及下下無色心．於一切處．若離彼彼淨色者．則不能得此此根門毗提心．無想有情．無有一切心．

> 論じられるには、欲界の領域では、これらのすべての心に関する「毗提」（区別・観察）が、順序通りに得られる。色界の領域では、ただ「瞋恚」（いかり・憎しみ）の心と「反緣心」（対象を逆にたどる心）だけを除いて得られる。無色界の領域では、「初道心」（最初の道の心）と「色界心」、そして「下下無色心」（最も下位の無色界の心）を除いて得られる。すべての場所において、もしそれぞれの「淨色」（清らかな物質）を離れるならば、これらの「根門」（感覚器官の門）に関する「毗提」の心を得ることはできない。「無想有情」（思考のない生き物）には、一切の心が存在しない。

頌曰．

> 次のように説かれています。

欲毗提八十． 六四色如次． 如是在無色． 可得四十二．

> 欲界には八十八、 色界には六十四、 無色界には四十二の、 煩悩があると知るがよい。

論曰．如是由六根門諸心得轉現．墮入有分．相續不斷．乃至命存．無間而轉．

> 説明します。このように、六つの感覚器官（眼・耳・鼻・舌・身・意）の門を通じて、様々な心が生じては消えていきます。それらの心は有分（根本意識）の中に落ち込み、途切れることなく流れ続けます。そして、生命が続くかぎり、絶え間なく働き続けるのです。

阿毗達摩攝義論分別攝毗提品第四

> \*\*分別摂毘提品 第四\*\* ここで、阿毘達磨の教えをまとめるにあたり、その本質を理解するための分別（分類・分析）について述べる。 この「分別摂毘提品」では、心と物質、そしてそれらを超えた現象（涅槃）を、それぞれの性質に従って明らかにする。 まず、心とは何か。それは、対象を知る、あるいは気づくという働きそのものである。心は、善・悪・無記（善でも悪でもない）の三種類に分けられ、さらにその発生の仕方や伴う心所（心のはたらき）によって細かく分類される。 次に、心所とは、心と同時に生起し、心と共に滅する様々な心理的なはたらきのことである。例えば、信（信仰心）、精進（努力）、智慧（知恵）などの善い心所。また、貪（むさぼり）、瞋（怒り）、無明（無知）などの悪い心所。そして、そのどちらにも属さない心所がある。 さらに、物質とは、私たちの身体や外界の物体など、心ではない現象である。これらは、四大元素（地・水・火・風）と、それから派生したもの（色・香り・味・触覚など）によって構成される。 そして、涅槃とは、すべての煩悩（心の汚れ）が完全に消えた状態であり、無条件・無為の絶対的な真理である。 このように、心・心所・物質・涅槃の四つの真理を、それぞれ詳細に分別していくことが、この品の目的である。