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title: "淨心誡觀法發真鈔 · 心行篇二十五"
description: "淨心誡觀法發真鈔由宋代律宗高僧允堪述，日本僧人慧光合錄。該書以律宗思想為核心，闡述修行者如何淨化內心、嚴持戒律以達解脫。內容融合止觀實踐與戒律規範，強調心性修持與行為規範的統一。歷史背景上，此作反映了宋代佛教律學的發展及中日佛教交流。在佛教地位上，該書是研究中國律宗及戒律思想的重要文獻，對後世戒律實踐與禪修理論具有深遠影響。"
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誡觀晚出家人心行法第二十五

> 第二十五　遅く出家した人の心の行いを戒める法 戒めを述べよう。 この世の中には、修行に入るのが遅かったために、 善根はかえって少なく、悪業はむしろ多い人がいる。 老いてからようやく仏門に入ったとはいえ、 怠け心が先に立ち、精進の心が後に続く。 昼は睡眠にふけり、夜は雑談に時を過ごす。 問う、なぜそのようなことになるのか。 答えよう、その心に堅固な信がなく、 ただ世間の習慣に従って出家したからである。 あるいは貧しさのために身を寄せ、 あるいは病苦から逃れるために身を託す。 このような人は、教えを聞いても心に留めず、 修行しても誠実さがない。 年老いてからの出家を恥じ入

二十五釋心行篇棄世入真既以明於二諦依師附道要早入於空門故立茲位以次前篇謂染世既長暮年入道曰晚出家人內韞外施率多無範故標心行。

> 第二十五章　心行の章（心のあり方と実践） 世を捨てて真実に入ることは、すでに二つの真理（世俗と勝義）について明らかである。師に従い道に依拠するならば、速やかに空の教えに入るべきである。ゆえにこの位を設けて、前の章に続けるものとする。 俗世に染まることすでに長く、晩年になって仏道に入るのは遅きに失する。出家した者の内には教えを身につけ、外には施しを行うが、多くは規範を持たない。ゆえにここに心の行い（実践のあり方）を明らかにする。

夫晚出家者有十種罪過。

> 晩年になって出家することには、十の罪過がある。

一者健鬪世言竭斗俗氣成性我心自在意凌徒眾不受呵責二者喜見他短自謂精誠所作事業未必合道短知短見未解作解言說常多綺語所攝三者見師僧過起嫌恨心燒滅功德修三惡道四者輕慢他人自謂丈夫身心剛強不從折伏五者舉動造次威儀不整高語大笑無所畏忌六者喜好瓶鉢衣服鮮華心無實德貪求利養七者心想散亂憶俗時事增長煩惱不能如法對治八者笑他破戒自謂清淨拘着相貌不達真理專愚執見諍論取勝未具五德畜養沙彌唯貪其力無心教授九者不攝諸根身疲神倦放縱睡眠不念明相夜數惡夢諸天不護十者剏入佛法莫沾道味憂慮疑惑情思還俗嫌薄三寶反懷悔恨既自還俗憎出家人輕賤行者成闡提業。

> 一に、諍いを好み、世間話に明け暮れ、俗気が身に染みついて我慢強く、常に人を見下し集団の諭しを聞き入れない。 二に、他人の欠点を見つけては自らを精進と誇るが、為す業は必ずしも道に適わず、浅い知識で分かったつもりになり、無駄話ばかりが多くなる。 三に、師僧の過ちを見ては恨みの心を起こし、功徳を焼き尽くして三悪道に落ちる。 四に、他人を軽んじ自らを丈夫と誇り、心身が強情で諭しに従わない。 五に、立ち振る舞いが粗忽で、威儀を整えず、声高に笑い騒ぎ、憚ることがない。 六に、瓶や鉢、衣服の華美を好み、心に実徳なく、利養を貪り求める。 七に、心が散乱し、俗世の出来事を思い出しては煩悩を増長させ、法に従った対治ができない。 八に、他人の破戒を笑い自らは清浄と思い込み、形だけにこだわって真理に至らず、頑なな見解で争いに勝とうとする。五徳を備えずに沙弥を養い、ただその労力だけをあてにし、教え導く心がない。 九に、諸根を調えず、身は疲れ心は倦み、睡眠に耽って明けの明星を念じず、夜ごとに悪夢を見て天人の加護がない。 十に、仏法に入ったばかりで道の味わいをまだ得ず、憂い疑いの心で還俗を思い、三宝を嫌い軽んじて恨み後悔する。また、自ら還俗した後に出家者を憎み、修行者を軽んじ賤しめて、一闡提の業を成す。

健鬪者以出家既長多事麤獷健與人鬪也不受呵責者律有呵責法若復持於強暴者須加惡馬默擯二治自謂下自言已行精確而誠實也綺語即無義語也成論云餘三口業或合或離綺語一種必不相離故多在綺語也師信三師七僧等然世中人免過者鮮矣至於顏子則不貳過又復有師外雖麤惡而內蘊大解或內雖晦暗而外表可觀或墻壍於時或紀綱於眾者彼都不知便以小瑕而見嫌恨斯亦火從內起先燒已善既喪善招過斯成自墜矣丈夫大戴禮云丈者長也夫者扶也言長扶制萬物也古者冠而成人通名丈夫大師云丈夫者必以建心慕遠清節不羣卓然風霜不改其操鏗然憂喜未違其心便謂丈夫之貌今無此操而自謂有之無所畏忌者不畏上中下座及諸賢聖也好瓶鉢無心持麤舊者律云畜鉢減五綴不漏更求新者提鮮華鮮潔華美也律制新衣壞色今並不知憶俗時事反念俗時驩狎歌讌妻子之󴍔也抱著相貌者但取外相為美不擇內德精麤也大師云僧中亦不可識事似俗闕撿意則殊之而以俗情驗道意實非易今晚年入道既無深識何能別之且天龍鬼神具有他心天眼而護助眾僧者非僧無過以尅終照遠耳未具五德者毗尼增一云不具持二百五十戒不多聞不能教弟子增戒弟子有疑不能如法解釋不能決斷諍事反上成德具應授人大戒應與他依止應畜沙彌應教授比丘尼諸根者通標身疲収眼等五根如百視色久時困耳聽聲多則勞神倦屬意根睡眠者心神昏昏為睡六識暗塞四支倚放為眠馬鳴云身悶重故於中起睡眠有三種初從食起二從時節起三從心起若從食起及時節起者阿羅漢眠以彼不從心生無所蓋故凡夫具三種起也不念下律云若亂意睡眠有五過一者惡夢二諸天不護三心不入法四不思明相五喜出精今五中略第三第五又五分得五吉羅剏初也憂慮下以無法喜禪悅故憂慮以無信向趣入故疑惑。

> 出家して長く経つ比丘の中には、様々な問題行動が多く見られます。粗暴で誰とでも争い、叱責を受け付けない者もいます。戒律には、叱責の作法が定められていますが、もしも強情に改めないなら、悪馬のように扱う「悪馬擯」か、一切無視する「黙擯」という二つの対処法で制裁する必要があります。 自称して「我が行いは精確で誠実である」と言う者は、実は自分の行いを過信しているのです。 「綺語（きご）」とは、無駄話のことです。『成実論』には、「他の三つの口の悪業（妄語・両舌・悪口）は単独で起きることもあれば、他と組み合わさって起きることもあるが、綺語だけは必ず他の三つと離れずに起きる。だから、多くの場合、綺語を犯していることになる」と説かれています。 師とは、三師や七僧などのことです。 世の人で過ちを犯さない者は稀ですが、顔回のように同じ過ちを繰り返さない者もいます。また、師の中には、外面は粗野でも内に深い智慧を秘めている者や、あるいは内面は暗くとも外面は立派に見える者もいます。時代の垣根となっていたり、大衆の規範となっている師もいるのです。 ところが、そのような師に対して、些細な欠点だけを見て怨み憎む者がいます。これは、まるで火が内側から燃え上がり、まず自分の善行を焼き尽くすようなものです。善行を失えば罪を招き、結果自らを堕落させるのです。 「丈夫」とは、『大戴礼』に「丈は長の意、夫は扶（たす）くの意。長として万物を扶け支えることを言う」とあります。昔は元服して成人を「丈夫」と総称しました。大師は「丈夫とは、必ず心に遠大な志を立て、清らかな節操を持って凡人に同ぜず、風霜にあってもその節操を改めず、喜び悲しみに揺れ動いても心を乱さない者のことを言う」と説かれています。このような丈夫の姿があるのに、今の者はそのような節操もないのに「自分にはある」と思い込み、恐れるものがないのです。（上下の席次や賢者・聖者を畏れ敬わないということです。） 立派な鉢（はち）を好み、古く粗末な鉢を心から使おうとしない者もいます。戒律には「鉢に五つ以上の綴（つくろい）がなく、漏れもないのに、さらに新しい鉢を求めるのは罪になる」とあります。 華美なものを好むのは、清らかで美しいものを求める心です。戒律では、新しい衣は濁った色に染め直すと定められていますが、今の者はこれを理解せず、俗人の頃を思い出しては、俗世での戯れや酒宴、妻や子のことなどを恋しがります。 外見だけで人を評価するとは、内面の徳の善し悪しを選ばず、外面の姿だけを美しいと見ることです。 大師は「僧の中にあっても、人の本当の姿を見極めるのは容易ではない。行動は俗っぽく見えても、その心は特別な場合もある。俗人の感覚で道の心を測るのは実に難しい」と言われています。 ましてや、晩年になって出家した者は深い智慧もなく、どうして他人を見分けられましょうか。 さらに、天龍や鬼神は他心通や天眼通という神通力を持っており、僧団を護り助けていますが、それは僧侶に過ちがないからではなく、最終的な最期を見定めて遠くまで照らしているからなのです。 五つの徳を備えていない者とは、『毘尼増一』に「二百五十戒を完全に守らず、多くのことを聞かず、弟子に戒を増進させる方法を教えられず、弟子の疑問に法に従って説明できず、諍い事を裁断できない者」とされます。これらの徳を備えた者が、初めて人に大戒を授け、他の僧侶の依止（指導）となり、沙弥を養育し、比丘尼を教授する資格があるのです。 諸根とは、身体全体の疲労のことから、眼・耳などの五根にわたります。例えば、色を見続ければ目は疲れ、音を聞き続ければ耳は疲れ、心が働けば疲れて眠くなります。 「睡眠」とは、精神がぼんやりするのが「睡（すい）」であり、六識が暗く塞がり、手足を投げ出して横たわるのが「眠（みん）」です。 馬鳴（めみょう）は「身体が重く沈み、そこから睡眠が生じる。睡眠には三種類ある。第一は食事によるもの、第二は季節の変化によるもの、第三は心によるものである。食事と時節による睡眠は阿羅漢にもある。それは心から生じるものではなく、煩悩の覆いがないからである。凡夫は三種類全ての睡眠がある」と述べています。 心の落ち着きがないまま眠ると、戒律には五つの過失があると言われています。一に悪夢を見る、二に諸天が護らない、三に心が法に入らない、四に明け方の様子を思わない、五に精子を漏らしやすい、です。ここでは（引用の関係で）その中の第三と第五が省略されています。また『五分律』には、五つの吉羅（軽い罪）があるとも

此之十惡過患是地獄畜生餓鬼正因。

是地下結屬三途也。

汝當省察名為淨心。

汝當下不起上十種惡意即名淨心。

偈曰。

俗氣力方強 三毒至猛盛 年晚始入道猶守本時性 不解將護他 造次強是正自謂最精鍊 七支未必淨 喧喧逐講論不肯修戒定 已說十種過 若犯須除屏

造次者論語云造次必於是馬融注曰造次急遽又王侃云造次急遽倉卒貌也謂造次之間自恃強正七支身三口四也逐講論者或特少解而輙逐講論或事喧喧馳逐他人講論也除屏屏字悞應作摒𢍉政切亦除也。

身無一德行 沙彌度三兩 有過不肯呵犯罪不與杖 破齋犯僧前 污戒惡名響人天漸漸希 三塗轉增長 唯教作福法無軌令人倣 自身如小兒 況能調剛強處眾好鬪諍 恒懷瞋恨想 四輩不恭敬眷屬寧欽仰

無一德者前五德中未有一也沙彌此翻為息慈謂息世染之情以慈濟羣生也又云初入佛法多存俗情故須息惡行善也犯罪不與杖者不字悞應是反字謂不依教呵責而反與杖捶耳且大師偏行杖責故下云勿行楚撻又僧網篇云或行杖罰枷禁鉗鏁等皆非聖旨又師資篇云自三世佛教每諸治罰但有呵責折伏本無杖打人法比見大德眾主內無道分可承不思無德攝他專行考楚等將彼校此大師之語豈自子值耶破齊據食後僧前約食初以僧未食而輙先食也人天下以五戒不持人天路絕故稀少也三塗不息則多落惡道故增長也唯教下以出家令修智分在家宜行福分今教彼捨智而作福斯為亂常也若福慧雙運則非此簡倣傚也四輩天人龍鬼也以一切出家人為四輩生善境界今若自失豈生彼敬眷屬者通収內外等族眷顧也屬續也劉熙云恩相連續也。

告慈忍已前二十五篇對治諸垢煩惱業淨汝身心心既淨矣名自利行今更為汝略說大乘利他之行。

告下結前今更下生後告者劉熙釋名云上勑下曰告告覺也使覺悟知己意也。

汝可順菩薩道自他俱利名為淨心自除垢染名真淨心自利利他名廣大淨心。

汝可下先總勸也自除下分優劣也若但自淨屬聲聞行此亦合教故名真也若自利利他則屬菩薩此利非小故曰廣大。

偈曰。

如鳥欲遊空 長力養毛翅 菩薩欲利他養德自先利 三慧隨分明 然可授人智淨心功行立 彼此俱對治

如鳥下智論曰又如鳥子翅未成只得依樹傅枝不能遠去翅翮成就方便飛空自在無礙菩薩下法合凡有三種一者久修梵行菩薩二者初發心凡夫菩薩今即次也要先自修有力方能利他智論云具縛凡夫有大悲心願生生惡世救苦眾生無有是處淨名曰自疾不能救而能救諸疾人又智論云譬如二人各有親眷為水所溺一人情急直人水救無方便故彼此俱沒一人有方便往取船乘之救接悉皆得脫水溺之難新發意菩薩亦復如是三慧聞思修也彼此下自先除垢是此對治勸他離垢是彼對治也。