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title: "雲臥紀譚 · 楊麟出家"
description: "雲臥紀譚由宋代高僧曉瑩錄撰，成書於南宋初期。該書屬佛教筆記體裁，主要記錄了作者雲遊期間的所見所聞，包括禪門軼事、高僧語錄及叢林規制等內容。全書反映了南宋佛教尤其是禪宗的發展狀況，具有重要的史料價值。作為佛教史傳文獻，它為研究宋代禪宗思想、僧團生活及社會互動提供了珍貴的一手資料，在佛教典籍中佔有獨特地位，是了解當時佛教生態的重要參考。"
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太學上舍生楊麟。以紹興丁丑夏詣育王。冠帶拜大慧於無異堂。垂泣云。願從和尚出家。語未竟。擲下巾帽。袖中出剪刀。自落其髮。大慧亟呼左右執其手。問其故。乃以實對。因攝受之。次日陞堂。示眾曰。已著槽廠。將錯就錯。騎却聖僧。不妨快樂。龍象蹴踏。非驢所作。堪笑諸方。妄生穿鑿。休穿鑿。祥麟只有一隻角。麟便膜拜曰。謝師安名。即名祖麟。大慧復語以六祖於大庾嶺示明上座不思善惡。乃至密語密意盡在汝邊之話。使其於日用提撕。自是。除大慧有問則答。其士夫衲子並不與交一詞。然麟之儀狀雄偉。既毅然自處。人亦不得而親踈。唐舍人立夫以偈寄大慧曰。蚤歲屠龍晚獲麟。西風一夜海生塵。掀天攪地難尋提。阿育山前失却身。大慧遷徑山。麟亦隨侍於道。既有徹證。忽爾違和。大慧遣了德侍者往問之。麟以片紙書偈曰。衣冠不御髮齊眉。一室翛然自不知。薄相等閑聊示疾。起佗菩薩幾多疑。尋市香三瓣。隨爇而誓曰。後世身為男子。遇明眼宗師。童真入道。既爇罷。泊然而化。大慧為秉炬曰。擔却一片睦州版。一去萬牛不可挽。祖師門下真祥麟。堪作人天正法眼。無何時節忽到來。援毫寫偈自催趲。楊道者。休催趲。火裏蝍蟟吞鐵剗。麟家世建陽。乃文公裔。

> 太学の上舍生・楊麟は、紹興の丁丑の夏に育王山を訪れ、衣冠を整えて無異堂で大慧禅師に礼拝し、涙を流して言った。「どうか和尚のもとで出家させてください」。言葉が終わらないうちに、頭巾と帽子を投げ捨て、袖から鋏を取り出して、自らの髪を切り落とした。大慧禅師はすぐに左右の者を呼んでその手を押さえさせ、理由を尋ねると、彼は正直に答えた。そこで禅師は彼を弟子として受け入れた。 翌日、禅師は高座に上がり、大衆に示して言った。「すでに槽廠に入った。過ちを犯したまま過ちに乗じる。聖僧を乗り越えて、楽しむのもまた良し。龍や象が蹴り踏むのは、驢馬のなす業ではない。笑うべきは諸方の者たちで、無理に穿ち鑿つのだ。穿ち鑿つのをやめよ。祥麟にはただ一本の角があるのみ」。楊麟はすぐに礼拝して言った。「師が名をお授けくださり感謝します」。そのまま「祖麟」と名付けられた。大慧禅師はさらに六祖が大庾嶺で明上座に「善悪を思わず」と示し、「密語・密意もすべて汝の辺りにある」と言った話を伝え、日々の生活の中でそれに心を向けさせた。 それ以来、祖麟は大慧禅師から問われれば答えるだけで、他の士大夫や僧侶とは一言も交わさなかった。しかし彼の姿は雄大でりっぱであり、毅然として自分を守っていたので、人々も彼に親しくも疎遠にもできなかった。 唐の舎人・立夫は偈を大慧禅師に送って言った。「若い頃に竜を屠り、老いて麟を得たり。西風一夜にして海に塵を生ず。天を掀げ地を攪げて捉え難し。阿育山の前にして身を失えり」。 大慧禅師が徑山に移ると、祖麟も道中に従った。すでに深い悟りを得ていたが、突然体調を崩した。大慧禅師は了徳侍者を遣わして見舞わせた。祖麟は一片の紙に偈を書いて言った。「衣冠をつけず、髪は眉に斉し。一室に翛然として自らを知らず。薄相、等閑に聊か疾を示す。佗の菩薩の幾多の疑いを起こさん」。やがて香を三片求め、それを焼きながら誓って言った。「来世は男子として生まれ、明眼の宗師に遇い、童真のまま入道せん」。焼き終わると、静かに息を引き取った。 大慧禅師は荼毘の火を執って言った。「一片の睦州版を担いで去りぬ。去ることは万牛も以て挽く能わず。祖師門下の真の祥麟、人天の正法眼と為すに堪えたり。やがて時節到来し、筆を執り偈を書きて自ら催趲す。楊道者よ、催趲するな。火の中の百足、鉄の刀を呑め」。祖麟の家は代々建陽に住み、文公（朱熹）の子孫であった。