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title: "雲臥紀譚 · 伊蒲塞"
description: "雲臥紀譚由宋代高僧曉瑩錄撰，成書於南宋初期。該書屬佛教筆記體裁，主要記錄了作者雲遊期間的所見所聞，包括禪門軼事、高僧語錄及叢林規制等內容。全書反映了南宋佛教尤其是禪宗的發展狀況，具有重要的史料價值。作為佛教史傳文獻，它為研究宋代禪宗思想、僧團生活及社會互動提供了珍貴的一手資料，在佛教典籍中佔有獨特地位，是了解當時佛教生態的重要參考。"
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世以伊蒲塞誤為蘋藻。無乃沿襲而未之考。今觀東漢．楚王英傳。永平八年。詔令天下死罪皆入縑贖。英遣郎中令奉黃縑白紈三十匹。詣國相曰。託在藩輔。過惡累積。歡喜天恩。奉送縑帛以贖罪愆。國相以聞詔報曰。楚王講黃老之微言。尚浮屠之仁祠。潔齋三月。與神為誓。何嫌何疑。常有悔吝。其還贖繒。以助伊蒲塞．桑門之盛饌。其傳註曰。伊蒲塞。即優婆塞。中華譯為近住。乃稟戒行。堪近僧住。以是可見非蘋藻矣。又桑門即沙門。譯為息心。瑞應云。息心達本源。故號為沙門。然天竺之國有五。所至。方言音訛不同。若夫比丘．比丘尼．優婆塞．優婆夷。謂之四眾。既具盛饌而饗。則稱為四眾齋亦可矣。

> 世間では「伊蒲塞」を誤って「蘋藻（供え物）」と解釈しているが、これは古い説を踏襲して、そのまま検証しなかったためである。今、東漢の『楚王英伝』を見てみよう。永平八年、詔勅によって天下の死刑囚は皆、絹を納めて罪を贖うことが許された。楚王英は郎中令を派遣し、黄絹と白絹の布三十匹を捧げて、国相に伝えさせた。「私は藩屏の立場にあり、過ちや悪事を重ねてきた。天の恩寵を喜び、この絹を捧げて罪を贖いたい」と。国相がこのことを上奏すると、詔勅にはこうあった。「楚王は黄老の深遠な教えを講じ、仏陀の慈悲深い祀りを尊び、三ヶ月の潔斎を行い、神と誓いを立てた。何の疑いがあろうか。常に悔いや後悔があることもない。その贖罪の絹を返し、伊蒲塞と桑門のための盛大な供養の食事に充てよ」と。その伝注にはこうある。「伊蒲塞とは、すなわち優婆塞のことである。中華では『近住』と訳され、戒律を守り、僧侶のそばに住むにふさわしい者を指す」。これによって、蘋藻（単なる供え物）ではないことが明らかである。また、「桑門」とは「沙門」のことである。これは「息心（心を静める）」と訳される。『瑞応経』には「心を静めて本源に達するゆえに、沙門と号する」とある。しかし、天竺には五つの国があり、地域によって言葉の音が訛って異なっている。比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷を四衆と呼ぶ。すでに盛大な食事を設けて供養するのだから、これを「四衆斎」と呼ぶこともまた可能である。