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title: "佛說海龍王經 · 19 空淨品(四)"
description: "西晋时期高僧竺法护翻译的《佛说海龙王经》是大乘佛教重要经典之一。该经由佛陀向海龙王及其眷属宣说，强调众生平等、慈悲利他的菩萨行思想，并深入阐述缘起性空、因果业力的教义。经文以龙宫法会为背景，融合海洋神话与佛法哲理，形象生动。此经不仅展现了大乘佛教的包容性与实践性，还对汉传佛教伦理观念和民间信仰产生了深远影响，是研究早期大乘思想与文化交融的重要文献。"
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### 空淨品第十九

> 空浄品第十九

王阿闍世前白佛言：「唯然，世尊！常於諸法有大愍哀，諸法誑詐，因惑起想，隨其所欲展轉相惑。菩薩之行不可計量，彼為菩薩當修道行，至彼佛土具足嚴淨，諸菩薩行皆當追學攝取佛土，如海龍王國土嚴淨。」

> 王阿闍世は、仏陀の前に進み出て申し上げました。「まことに、世尊よ。あなたは常に諸法に対して大いなる慈しみをお持ちです。諸法は欺きであり、迷いから生じる思いによって、その欲望に従って互いに惑わし合います。菩薩の行いは計り知れず、菩薩となる者は修行を積み、その仏国土に至り、完全に清浄な国土を具えなければなりません。諸菩薩の行いをすべて学び取り、仏国土を摂取するべきです。それはあたかも海の龍王の国土が清浄であるように。」

佛言：「如是，如是！大王！一切諸法皆從念興，隨其所作各各悉成，諸法無住亦無有處。」

> 仏は言われた。「その通りです、その通りです。大王よ、すべての諸法は想念から起こり、それぞれの行いに従って一つ一つが成り立ちます。諸法はどこにもとどまらず、また定まった場所もありません。」

爾時阿闍世王謂海龍王：「快哉，龍王！為得善利，乃令如來授仁之決，當成佛時，國土清嚴不可思議。」

> その時、阿闍世王は海龍王に言いました。「なんと素晴らしいことでしょう、龍王よ。あなたは善き利益を得られましたね。如来があなたに授けてくださった成仏の記別は、まさに驚くべき清らかで荘厽な国土を約束するものなのですから。」

龍王答曰：「法無有決。所以者何？諸法皆靜，因種、陰、入，假名曰人。其受決者，無陰、種、入，以有名色，假名為人。其受決者，無名無色，因緣報應，見思想念，假名曰人。其受決者，無有報應，無見無思，無想無念；假使菩薩等行德本，彼之德本亦無決矣。諸法相空，虛空無決，一切諸法無想無願、無為無數，不授無想無願、無為無數之決也。」

> 龍王は答えて言いました。「法には決着というものはありません。なぜなら、すべての法は静寂であり、因縁の種、五蘊、六入によって、仮に人と名づけられているからです。決着を受ける者は、五蘊も種も六入もなく、名と色があるからこそ、仮に人と呼ばれます。決着を受ける者は、名も色もなく、因縁による報いや、見たり思ったり想ったり念じたりするものによって、仮に人と名づけられています。決着を受ける者は、報いもなく、見ることも思うことも、想うことも念じることもありません。たとえ菩薩が平等に功徳を積んだとしても、その功徳にも決着はないのです。すべての法の相は空であり、虚空には決着がありません。一切の法は想いもなく願いもなく、無為であり数えられるものではなく、想いも願いもなく、無為であり数えられないものに決着を与えることはないのです。」

龍王復謂王阿闍世：「諸佛大哀不可思議！諸經無名，無有思想，而說名想。諸佛、世尊無名相識，而隨習俗因而示現有授決也！彼亦無法受決，亦無內外當受決者。」

> 龍王はさらに王阿闍世に申し上げました。 「諸仏の大いなる慈悲は、思いはかることもできません。諸々の経典には名もなく、思いもないのに、名や思いがあるかのように説かれます。諸仏・世尊には名も相もなく、識別もないのに、世の習わしに従って、授記があるかのように示されるのです。しかし、実際には授けられる法もなければ、内にも外にも授記を受ける者もいないのです。」

阿闍世又問龍王言：「以得法忍逮平等行，菩薩如是乃得決乎？」

> 阿闍世はまた龍王に尋ねました。 「法忍を得て平等の行いに至ったならば、菩薩はそのようにして初めて決意を得るのでしょうか？」

海龍王曰：「其忍悉空，想不可盡；究竟曉了至于本際，無盡之際；平等之際，無我之際；吾我之際，審諦之際；至于究竟，無成就際。其際以空至于脫際，婬怒癡際有了是際，則無所猗。無所猗者，設於音聲無合會；無合會者，不著無脫。無脫無行，行無所行，亦無不行，亦無所憂。已無所憂，於斯菩薩則都一切諸所作行所見無見。假使無所見，不作審諦，而已平等。入已、所住已平等度，不殘不禮，不卒不暴，以等諸法然後得忍。彼所謂忍及所授決，若受決已及受決者，是一切法皆平等法乎。諸法界究竟無法界，無不以決了亦無所成，觀此法已，察其義理，諸法無能計者，譬如虛空不可計數以度諸數，諸法如是。」

> 海龍王が申し上げた：「その忍辱はすべて空であり、思いは尽きることがない。究極まで明らかに理解し、本源の境地に至り、尽きることのない境地へ。平等の境地、無我の境地へ。自我の境地、真実を見極める境地へ。究極に至り、達成されることのない境地へ。その境地は空によって解脱の境地に至り、貪り・怒り・愚かさの境地にもこの境地があるならば、よりどころとするものはない。よりどころがない者は、音声においても結びつきを持たない。結びつきを持たない者は、執着もなく解脱もない。解脱もなく行いもなく、行うべき行いもなく、また行わないこともなく、また憂うることもない。すでに憂うることがなければ、この菩薩はすべての行いにおいて見ることも見ないこともない。もし見ることがなければ、真実を見極めようとせず、すでに平等である。入り、住み、平等に渡り、残らず礼せず、急がず暴れず、諸法を平等にして忍辱を得る。その忍辱と授けられた決意と、決意を受け、決意を受ける者とは、すべての法は平等の法である。諸法界は究極には法界もなく、決意によって明らかにされることもなく、また成し遂げられることもない。この法を観察し、その義理を察すれば、諸法を計り知ることはできない。あたかも虚空が数えられず、あらゆる数を超えるように、諸法もまたこのようである。」

海龍王說是語時，二萬菩薩得不起法忍，百比丘漏盡意解。

> 海龍王がこの言葉を語り終えたとき、二万の菩薩たちは不退転の境地に至り、百人の比丘たちは煩悩を滅し、心が解き放たれた。

爾時王阿闍世白佛：「至未曾有。世尊！龍王之辯。」

> その時、王の阿闍世は仏に申し上げた。「まことに稀有なことです。世尊よ、龍王の弁舌は。」

佛言：「未足為怪，不以為難！新發意者聞是不恐、不難、不畏，是乃為難。所以者何？諸佛、世尊本之道法，如是難及，少有信者。天上、世間人不能受，不入不信而不喜樂。以故當知其有聞是深經法者，不以恐畏，此乃為難。前世供養無央數佛，安以為難？譬如有人，虛空無形而現形像，是為難不？」

> 仏は言われた。「それはまだ驚くに足らず、難しいこととは言えない。新たに発心した者が、この教えを聞いて恐れず、難しがらず、畏れないことこそ、まさに難しいことなのだ。なぜならば、諸仏・世尊の根本の教えは、このように理解し難く、信じる者が少ないからである。天上や世間の人々は受け入れることができず、心に入らず信じず、喜び楽しむことがない。だからこそ、この深遠な経法を聞いても恐れ畏れない者がいることを知るべきであり、これこそが難しいことなのだ。前世において無数の仏を供養してきた者にとって、どうして難しいことがあろうか？たとえば、虚空には形がないのに、そこに形を現すことがある。これは難しいことではないか？」

對曰：「甚難！天中天！」

> お答えします：「それはとても難しいことです。天の中の天よ！」

佛言：「其聞此經深奧之義，一切信樂，皆知無我、無人、無壽、無命。其有信者、甫當信者，此等則是如來順明平夷之類親友善師也。則能堪任信除垢塵，為一切人講說經法，能詣道場以慈降伏百千億魔及餘官屬，為於諸法而得自在。其心清淨，諸通之慧近在目前；發意之頃成智慧明，逮最正覺；勸󰮔眾生知一切心群萌諸根，而轉無上大法輪也；療一切病，開化異道，破壞怨敵，吹大法䗍。」

> 仏は言われた： 「この経典の深遠な教えを聞き、すべてを信じ喜ぶ者は、皆が『我』もなく、『人』もなく、『寿命』もなく、『命』もないことを知る。 すでに信じる者、これから信じようとする者、これらの人々は、如来の光明に順い、平らかな道を歩む仲間であり、親しい友であり、善き師である。 彼らは汚れを除く信仰に耐えうる者となり、すべての人々に経の教えを説き、道場に赴いて慈悲をもって百千億の魔とその配下を降伏させ、あらゆる法において自在を得る。 その心は清らかであり、あらゆる神通の智慧が目前に近づく。心を発する瞬間に智慧の光明となり、最高の正覚に到達する。 一切の衆生の心とあらゆる根性を知り、無上の大法輪を転じ、すべての病を癒し、異なる道を開き、怨敵を打ち破り、大法の螺貝を吹き鳴らすのである。」

於是海龍王所願皆獲，不失本志，聞所受決，欣然大悅，善心生焉，踊在虛空以偈讚佛：

> そこで海龍王は、願いがすべて叶い、本来の志を失わず、授けられた決意を聞き、喜びに満ちて、善い心が生まれ、虚空に躍り上がって仏を偈で讃えました：

「如虛空本清淨， 無色無受無數，安住說法如是， 若虛空普自然，名不有而不無， 造因緣及報應，安住講調不諍， 無人命無壽識。一切法甚清淨， 吾我清悉平等，吾我靜法等靜， 解是者則受決。察法界本清淨， 人界靜亦如是，如眾生界靜者， 佛法靜亦復然。若佛法清淨者， 諸佛土靜亦等，設佛土清淨者， 諸慧靜無差特。諸法淨因數號， 以計數不得名，由想數名本空， 其諸名數無礙。群萌類志所念， 無見無色無成，如無成心意識， 諸法爾空無心。或有作則無作， 有緣罪無受者，終始瑕無行者， 名泥洹無寂然。入本際無礙原， 虛空本無我際，選諸際得等原， 知眾生本審門。去來今現在際， 順明智此諸際，於慧等無際門， 究法界佛種性。不起滅最勝幢， 空無想願本靜，無言聲真諦法， 是諸聖寂寞地。若解諸法澹泊， 自然悅如捉空，彼無吾我身寂， 假如此樂聖法。十方佛所說法， 當來佛所宣揚，一切等未來聲， 因音現入無聲。聲空自然如響， 諸法空猶虛念，無法非法教化， 誠本無可不得。一切法無主名， 若干想念非明，人名靜不可得， 諸法本靜如是。」

> 虚空のように本来清浄であり、 色も受も数もない。 そのように安住して説法するならば、 もし虚空が広く自然であるならば、 名は有るのでもなく無いのでもなく、 因縁を造り報いを受けるが、 安住して調和を説き争わず、 人も命も寿命も識もない。 一切の法は甚だ清浄であり、 我と清浄は悉く平等である。 我が静かであり法も等しく静かであり、 これを解する者は決意を受ける。 法界を観察すれば本来清浄であり、 人界の静けさもまた同じである。 衆生界が静かであるように、 仏法の静けさもまた然り。 もし仏法が清浄であるならば、 諸仏の国土も静かで平等であり、 もし仏国土が清浄であるならば、 諸々の智慧も静かで差別がない。 諸法の清浄は因と数と名によって呼ばれるが、 数を計っても名を得られず、 想いと数によって名は本来空であり、 その諸々の名と数には妨げがない。 衆生の類いの志すところの念は、 見ることも色も成すこともなく、 成すことのない心と意識のように、 諸法は本来空で心がない。 あるいは作れば作ることもなく、 縁があって罪があっても受ける者なく、 始めも終わりも過ちも行う者なく、 名は涅槃で寂然ではない。 本際に入り妨げのない源に至り、 虚空は本来我の際がなく、 諸々の際を選んで平等の源を得て、 衆生の本来の真実の門を知る。 過去・未来・現在の際を、 明智に順ってこれらの諸際とし、 智慧において平等で際のない門に至り、 法界を究めて仏の種性となる。 起こらず滅せず最勝の幢となり、 空・無想・願は本来静かであり、 言葉も声もない真諦の法は、 これが諸聖の寂寞の地である。 もし諸法の淡泊を解するならば、 自然に悦び虚空を捉えるようであり、 そこには我もなく身も静かであり、 このように聖なる法を楽しむ。 十方の仏の説かれる法も、 将来の仏の宣揚されることも、 一切平等に未来の声であり、 音によって現れ無声に入る。 声は空で自然に響きのようであり、 諸法は空で虚念のようである。 法もなく非法もなく教化し、 誠に本来得るべきものはない。 一切の法には主も名もなく、 様々な想念は明らかでなく、 人の名も静かで得られず、 諸法は本来このように静かである。