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title: "五家語錄（序） · No. 1326-D 五家語錄序"
description: "五家语录由明代圆信禅师与郭凝之共同编辑，是禅宗重要文献汇编。该书汇集临济、曹洞、沩仰、云门、法眼五家祖师语录，收录唐宋时期禅门高僧的机锋对话、开示公案及法要。编撰于明末禅宗复兴背景下，旨在整理保存宗门核心思想，防止法脉失传。作为研究禅宗各派教义与传承的重要典籍，该书系统呈现了五家宗风差异与禅法精髓，对后世禅学发展影响深远，是了解中国禅宗思想脉络的权威著作之一。"
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### No. 1326-D五家語錄序

> No. 1326-D 五家語録序

世尊在雪山。覩明星大悟。歎曰。奇哉眾生。皆具如來智慧德相。但因妄想執著。而不證得。十二部葛藤。從這裏起。若論直指人心。尚未會在。惟菩提達磨。猶較些子。飄然一鉢。過我震旦。教外別傳。接上上根。劈頭遇著不唧𠺕漢。拂袖空山九年冷坐。後得慧可。以續慧命。󳯝相授受。至六祖大鑒。衣鉢不傳。單傳其法。一花開五葉之讖。其若是乎。六祖下出二枝。南嶽讓。青原思。南嶽下出溈仰臨濟雲門法眼。青原下出曹洞。溈仰父子。金針玉線。有九十七種圓相。臨濟有四賓主四料揀四喝三玄三要。一句中具三玄。一玄中具三要。有玄有要。是吾宗旨。即將建立法幢。高竪宗風。擾亂兜率陀天。星飛斗散。臨濟光明赫赤。誰敢正視。將示滅。說傳法偈曰。㳂流不止問如何。真照無邊說似他。離相離名人不稟。吹毛用了急須磨。㳂流不止一句。以讖源流久長。其餘溈仰雲門法眼三宗。絕去久之。雖有其宗。無其人也。曹洞一宗。似乎影響之間。半似半不是。若氷月霜花。西風掃地。必矣。宋時大慧杲禪師。作略諸方。柄殺活刀。復起臨濟之風。五逆聞雷。不假言而自證。近時時道邊淺。乾剝剝以為禪。曾不相聞有血盆口摩天俊󳬧之奇。不用棒喝。超越古人之見。生殺之機。毫無一語。不是伊不濟。只是伊不到闊綽無涯岸處。既立邊淺涯岸之鄉。命根原不曾斷。那得如古人。星光四野。月色一天。孤朗朗地。無水不印。左之右之。無所不備。嗟嗟今人有虗名之悟。而無實證之功。作用不如。霄壤相隔。宗門下衰。啾啾亂啼。命殞昏暗。不出俗人之手。習氣現前。難迯生死之關。要如古宿上堂告寂。自在還家。敢保驢年未夢見在。海昌黎眉居士。留心此道有年。不辭辛苦。參訪知識。領得歸來。受用自如。具擇法眼。備縱奪機。遇其中人。露一言半句。如玉在石。等閑人。安能容易得知乎。搜尋五家尊宿語錄。彚刻成編。以垂不朽。俾見者聞者。發宿命智。知有向上一著離相離名無位真人在。不行生死之紆徑。高踏祖佛之頂𩕳。正法眼藏。正欲開示。空王佛出頭來。作麼生商量。田厙奴聻。

> 世尊は雪山にて、明星を見て大悟し、歎じて言われた。「奇なるかな、衆生は皆、如来の智慧と徳相を具えている。ただ妄想と執着のゆえに、それを証得しないのである」。十二部の葛藤も、ここから起こった。もし直指人心を論じるならば、まだその境地には至っていない。ただ菩提達磨だけは、いくらかましであった。飄然と一鉢を携えて、我が震旦に渡り、教外別伝をもって、上上の根機の人々を導いた。鉢の先で出会ったのは、口の利けない者であったが、袖を払って空山に九年も冷たく坐し、後に慧可を得て慧命を継いだ。燈火を授け受け、六祖大鑑に至っては衣鉢を伝えず、ただその法のみを単伝した。一花五葉の讖は、このようなものであったのだろうか。 六祖の下から二つの枝が出た。南岳譲と青原思である。南岳の下からは、潙仰・臨済・雲門・法眼が出、青原の下からは曹洞が出た。潙仰の父子は、金針玉線（金の針と玉の糸）のようなもので、九十七種の円相があった。臨済には四賓主・四料簡・四喝・三玄三要がある。「一句中に三玄を具え、一玄中に三要を具え、玄あり要あり。これが我が宗旨である」。すなわち法幢を建立し、宗風を高く掲げて、兜率天を騒がせ、星を飛ばし斗を散らすかのようであった。臨済の光明は赫々として、誰が正面から見ようか。滅しようとする時、伝法の偈を説いて曰く、「沿流不止問如何。真照無辺説似他。離相離名人不稟。吹毛用了急須磨」。「沿流不止」の一句は、源流の久しからんことを讖したものである。その他の潙仰・雲門・法眼の三宗は、久しく絶えてしまった。宗はあっても、その人はいない。曹洞一宗は、影や響きのようなものに過ぎず、半分は似ているが半分はそうではない。氷の月や霜の花のようなもので、西風が吹けば地を掃いてしまうに違いない。 宋の時、大慧杲禅師は、その作略が諸方を圧し、殺活の刀を振るって、再び臨済の風を興した。五逆聞雷の如く、言葉に頼らずして自ら証得する。近ごろは、時代の風が浅くなり、乾剝剝（からっぽ）な状態を禅だと思い、血の滴るような口や天を摩する俊鷲のような奇も聞かず、棒喝も用いず、古人の見解を超越しているかのようである。生殺の機も、一言もない。これは彼らが未熟なのではなく、ただ広々として涯岸のないところにまで至っていないのだ。すでに浅い涯岸の境界に立っていては、命根がそもそも断たれていない。どうして古人のように、星光四野に、月色一天に、ただ朗らかにして、水に映らぬところなく、左にしても右にしても、備わらざるところのない境地を得られようか。 ああ、今の人々には虚名だけの悟りがあり、実証の功はない。その作用は、霄壤の隔たりである。宗門は下火となり、啾啾と乱れ啼き、命は昏闇の中で尽きて、俗人の手を出ることはない。習気が眼前に現れれば、生死の関門を逃れることは難しい。昔の古宿が上堂して告寂し、自在に家に還ったようになろうとすれば、驢年に夢見ることさえまだあるまい。 海昌の黎眉居士は、この道に志すこと久しく、辛苦を辞さず知識を参訪し、悟りを得て帰り、受用自在である。択法の眼を具え、縦奪の機を備えている。その中の人に出会えば、一言半句を露わす。それは玉が石の中にあるが如く、普通の人にどうして容易に知られようか。五家の尊宿の語録を捜し求め、彫刻して編を成し、不朽に伝えようとしている。見る者聞く者をして、宿命の智を発せしめ、向上の一著、離相離名の無位の真人が存在することを知らしめ、生死の迂路を歩まず、祖仏の頂𩕳を高く踏ませんとする。正法眼蔵まさに開示せんとす。空王仏が頭を出して来ても、どのように商量すべきか。田舎の奴よ、どうだ。

崇禎庚午冬日徑山沙門語風圓信撰并書

> 崇禎庚午年の冬の日、径山の沙門、語風圓信が撰し、かつ書す。