---
title: "樂邦文類 · 往生決疑行願二門序"
description: "乐邦文类由南宋宗晓法师于庆元六年编纂而成，是净土宗重要文献汇编。该书辑录了东晋至宋代二百余位僧俗关于西方净土信仰的论述，包括论文、诗偈、发愿文等，系统整理了净土宗的教义与实践。其编纂正值南宋佛教繁荣期，旨在确立净土法门的正统性与传承。作为中国佛教史上第一部净土宗文集，乐邦文类为研究净土思想发展提供了核心文献，对后世影响深远，是了解汉传佛教净土信仰不可或缺的经典。"
url: "https://rushiwowen.co/ja/r/cmcwr04zk0pmpie04aqbu99x5"
---

### 往生決疑行願二門序

> 往生決疑行願二門序

同前

> 同じく、前と同様です。

維安養寶剎。大覺攸贊。三輩高升。夕孕金華。列宿猶暫於海滴。晨游玉沼。世燈彊喻於河沙。良以。十方爰來。四生利往。雖騰光而普示。終稽首而偏求。故其竺國皇州自今觀古。彼則鉅賢至聖。咸舒藻以為盟。此則覺德鴻儒。盡摛毫而作誓。自茲迴向綿續。唱和相尋。誠為道德之通衢常樂之直濟者也。但世多創染割截。未識方隅。忽遇問津。靡暫濫吹。或攘臂排為小教。或大笑斥作權乘。以其言既反經。人惑常典。易不云乎。居其室出其言不善。則千里之外違之。況其邇者乎。遂輒述往生淨土決疑行願二門。詞愧不文。理存或當。視菽麥而且辨。挹涇渭而永分。翦伊蘭之臭林。植栴檀之香幹。信解行願。原始要終。不數千言而能備舉者。實茲二門矣。

> 安養の宝刹は、大覚（仏陀）の大いなる賛嘆するところである。善き者たちは高く昇り、夕には金の華を孕み、列なる星々も海の一滴のごとく一時的に留まる。朝には玉の池を遊泳し、世の灯火は川の砂の数にたとえられる。実に、十方より来たり、四生（すべての生きとし生けるもの）が利益を得て往く。光を放ちて広く示すといえども、ついに頭を垂れて偏に求めるのである。ゆえに、その天竺（インド）と皇国（日本）とは、今より古を観るに、彼の地では大いなる賢人や至聖が、みな言葉を尽くして誓いを立て、この国では覚者や高徳の学識者たちが、みな筆を振るって誓いをなした。それ以来、回向（善根を他者へ振り向けること）は綿々と続き、唱和は相次いだ。誠に道徳の大通りであり、常に楽しい真っ直ぐな渡し場である。 ただ世には、新たに仏道に染まり出家した者も多く、方角（道理）を知らずに、ふと問道する者に出会えば、無闇に吹くこと（知ったかぶり）がある。あるいは腕をまくって小乗の教えと排し、あるいは大笑して権大乗（仮の教え）と斥ける。その言葉はすでに経典に反し、人々は常の経典に惑う。『易経』にも言うではないか、「その室に居て、その言葉を出だすこと善からざれば、千里の外にもこれに違う。況やその近き者においてをや」と。それゆえ、あえて往生浄土の『決疑行願』の二つの門を述べる。言葉は文飾に劣るが、理はおそらく適っている。豆と麦を見分け得て、涇水と渭水を汲み分ける。インドの臭い林を刈り、栴檀の香る幹を植える。信心・理解・行い・誓願、初めより終わりまでを尽くすに、数千言も費やさずして能く備え挙げるもの、実にこの二つの門にあるのである。