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title: "樂邦文類 · 四十八願後序"
description: "乐邦文类由南宋宗晓法师于庆元六年编纂而成，是净土宗重要文献汇编。该书辑录了东晋至宋代二百余位僧俗关于西方净土信仰的论述，包括论文、诗偈、发愿文等，系统整理了净土宗的教义与实践。其编纂正值南宋佛教繁荣期，旨在确立净土法门的正统性与传承。作为中国佛教史上第一部净土宗文集，乐邦文类为研究净土思想发展提供了核心文献，对后世影响深远，是了解汉传佛教净土信仰不可或缺的经典。"
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### 四十八願後序

> 四十八願 後序

慧覺法師齊玉

> 慧覚法師 斉玉

或曰。淨土乃聖人之權方。所以接鈍根化凡器也。苟能一超。直入如來地。何藉於他力乎。對曰。佛世文殊普賢。滅後馬鳴龍樹。此土智者智覺。皆願生淨土。應盡是鈍根乎。釋迦勸父王淨飯并六萬釋種。亦願生淨土。應盡是凡器乎。此等聖賢。應皆不逮今人之利根勝器乎。況若以此為權。指何為實。權實之判。非止一途。自非教眼瞭焉。何以甄別。咨爾有識。當信佛言。招報非輕。切勿容易。昔孫莘老學士。始以此疑之。因會楊次公主客王敏仲侍郎。論道契合。遂釋其疑。故莘老云。四方言禪者。唯黃蘗慧林為最盛。臨濟之後有慈明。慈明傳江西黃蘗之道。次公實傳之。雲門之後唯雪竇。雪竇傳懷。懷傳本。本公居慧林時。敏仲早得其法。次公敏仲皆儒者學禪。得師如此。方且汲汲。以淨土為依歸。則知。淨土非聖人之權設。真禪侶之棲止也。苟能即心淨土本性彌陀。生則隨念往生。去則實無所去。則亦焉有彼此之異。而橫相是非於其間也哉。觀夫莘老之言。則信真善知識。不違佛訓。不欺自心。事理俱圓。實可宗仰。願諸仁者。當以死生大事為心。無以人情取捨自礙。賴如是願力。念阿彌陀佛。發決定信。誠起娑婆險惡之程。作淨土水雲之客。濯足於八種功德池水。掛錫於七重行樹叢林。入清淨海眾中。參彌陀善知識。覽勝境而得不退轉。聞妙法而易悟無生。七寶樓邊四華池畔優游泮渙。樂莫大焉。庶以此願為憑。前程定無間阻。苟或謂之不然。則吾末如之何也矣。

> ある人が言いました。「浄土とは聖人の仮の教えであり、鈍根の者や凡夫を導くための方便にすぎない。もし一気に悟りを開き、如来の境地に直接入ることができるなら、どうして他力に頼る必要があるのか。」 これに対して答えました。「仏陀在世の頃の文殊や普賢、仏陀入滅後の馬鳴や龍樹、またこの国（中国）の智者大師や永明延壽禅師でさえ、皆浄土への往生を願っていました。彼らまでが鈍根なのでしょうか。また、釈迦牟尼仏は父である浄飯王や六万もの釈迦族の人々にも浄土への往生を勧められました。彼らまでが凡夫なのでしょうか。これらの聖賢たちは、みな現代の優れた利根の者たちに及ばないのでしょうか。 ましてや、これを仮の教えとするなら、何が真実の教えなのでしょうか。仮と真実の区別は一つだけで決まるものではありません。自ら教えの本質を明らかに見極める眼がなければ、どうして正しく区別できましょう。あなたがた識ある者は、仏の言葉を信じなさい。因果の報いは軽くありません。決して軽々しく考えてはいけません。 昔、孫莘老学士は初めこのことを疑っていました。しかし、楊次公（主客）や王敏仲（侍郎）と会い、道について語り合って心が通じ、その疑いを解くことができました。そこで莘老は言いました。「世の中の禅を語る者の中では、黄蘗と慧林が最も盛んであった。臨済の後には慈明が現れ、慈明は江西の黄蘗の道を伝えた。楊次公はまさにその法脈を継いだ。雲門の後には雪竇がいる。雪竇は懐禅師に伝え、懐禅師は本禅師に伝えた。本禅師が慧林寺にいた時、王敏仲は早くにその法を得ていた。次公も敏仲も儒者でありながら禅を学び、このような師について修行したのである。それでもなお熱心に、浄土を帰依のよりどころとしたのだ。これによって、浄土が聖人の仮の教えではなく、真に禅の修行者の住まうべきところであることがわかる。 もしも『心がそのまま浄土であり、本性がそのまま弥陀である』と悟り、生きている間は念仏によって往生し、去るときには実に去る所がないという境地に至れば、どうして『こちら』と『あちら』の違いがあろうか。また、その間に無理に是非を論じることがあろうか。」 この莘老の言葉を見れば、彼が真の善知識であり、仏の教えに背かず、自らの心を欺かず、事と理の両方に円く通じ、真に敬い仰ぐべき人であることがわかります。願わくば、皆さんは生死という大事を心の根本とし、人情による好き嫌いで自らを妨げることがないようにしてください。このような願力に頼って、阿弥陀仏を念じ、決定的な信心を起こし、誠にこの娑婆世界の危険な旅路を出発し、浄土の水かげろうの客となり、八功徳水の池で足を洗い、七重の行樹の林に錫杖を掛け、清らかな海のような大衆の中に入って、阿弥陀仏という善知識に会い、素晴らしい境地を観て不退転の位を得、妙なる法を聞いて無生法忍を悟りやすいのです。七宝の楼閣のほとり、四色の蓮華の池の辺りで、ゆったりと楽しみ、これ以上の喜びはありません。 どうかこの願いをよりどころとすれば、前途に必ずや妨げはありません。もしもそうではないと言うなら、私にはもはやどうすることもできません。