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title: "續華嚴經略疏刊定記 · 六所詮宗趣"
description: "續華嚴經略疏刊定記由唐代高僧慧苑所撰，是對法藏大師華嚴經略疏的補充與闡釋。該書創作於盛唐時期，華嚴宗興盛發展之際，內容主要針對法藏疏解進行刊定、修正與擴充，涉及華嚴經的教義闡釋、名相辨析及修行體系建構。作為華嚴宗重要注疏之一，它反映了唐代華嚴學的學術脈絡與思想演進，對後世研究華嚴經論具有較高參考價值，是佛教經典文獻中不可或缺的權威著述。"
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第六、宗趣者，宗謂尊崇，趣即意指。謂此一部經內，所詮義中，最所珍貴高尚之義，謂之宗也。宗意所向，謂之趣也。此宗即趣，或宗之趣，通其二釋。因此部宗，二門分別：初通論三教，後別明當部。前中三教，各有四宗：謂一、通宗，二、別宗，三、隨部宗，四、隨義宗。又有會宗、品宗，恐繁不述。

> 第六、宗趣について。宗とは尊崇することを意味し、趣とは意図する方向を指します。つまり、この経典全体の中で説かれている教義のうち、最も貴重で高尚な意義を「宗」といいます。そして、その宗の目指すところを「趣」といいます。「宗」そのものが「趣」である場合もあれば、「宗」の向かう先としての「趣」と解釈されることもあり、両方の解釈が可能です。 この経典の「宗」については、二つの観点から分けて説明します。まずは、仏教全体の三つの教え（三教）について一般的に論じ、その後、この経典独自の宗趣を詳しく明らかにします。 最初の「三教」それぞれについて、四種類の宗が説かれます。すなわち、 一、通宗（すべての教えに共通する根本的な宗） 二、別宗（特定の教えに特有の宗） 三、随部宗（経典の部類に応じた宗） 四、随義宗（教義の内容に応じた宗） です。 さらに、会宗や品宗などもありますが、煩雑になります

初真一分半教中通宗者，謂二十部對法及四阿含雖多所立，莫不同詮生空之理，是故通名生空法有宗也。二別宗者，謂即前之二十對法各立宗別，如宗輪論中說，不可具引，略顯三宗。

> 初めに、真実の一分半教において宗派を通じて共通するものは、二十部の対法と四阿含経に多く説かれているものの、すべてが生空の理を同じく解釈していることを指します。そのため、これらは総じて生空法有宗と呼ばれます。 次に、別々の宗派とは、先に述べた二十部の対法がそれぞれ独自の宗義を立てていることを指します。例えば『宗輪論』に説かれるように、詳細は省略しますが、大まかに三つの宗派を挙げることができます。

一、三世俱有宗，此一切有部計，謂過未名色體是實有，同現在故。

二、法無去來宗。此大眾部計，謂去來色體用俱無，唯有現法及無為故。

三、現通假實宗。此說假部計，謂去來二世法定非有，唯有現法，於中在界處是假，在蘊是實。經部同此。

> 三、現通仮実宗。この説仮部の説くところは、去来の二世の法は定めて有にあらず、ただ現法のみあるなり。この中、界と処とは仮なり、蘊においては実なり。経部もこれと同じ。

三、隨部宗者，謂即於前二十對法，一一宗內有多部論，宗有不同。如薩婆多中，婆沙、正理、俱舍等，當當部部宗各別故。又如四阿含中，各有多部經，詮宗各別。又如正法念、雜寶藏等，並准應知。四、隨義宗者，謂即前諸經論中，凡所立義，一一皆有宗旨，廣說應知。

> 三、随部宗というのは、前の二十の対法それぞれの宗派内に、さらに多くの部派の論があり、それぞれの宗派が異なることを指します。例えば、サルヴァースティヴァーダ（説一切有部）の中には、『大毘婆沙論』『順正理論』『倶舎論』などがあり、それぞれの部派の宗義が異なっています。また、四つのアーガマ（阿含経）の中にも、それぞれ多くの部派の経典があり、その教義の解釈が異なっています。『正法念処経』や『雑宝蔵経』なども同様であると理解すべきです。 四、随義宗というのは、前述の諸経論の中で、立てられた教義の一つ一つに、それぞれの宗旨があることを指します。詳しくは、広く説かれている通りに理解すべきです。

第二、真一分滿教中，初、通宗者，謂或有大乘經說真俗俱有，或有說言真俗俱空，雖此有異，莫不皆辨生法二空，是故通名生法俱空宗也。二、別宗者，謂即於前通宗之內開成兩宗。然有兩說：一云：一、三性皆空宗，如三無性論等。

> 第二に、真一分満教の中では、初めに通宗というものがある。これは、ある大乗経典には真諦と俗諦の両方が存在すると説き、またある経典には真諦と俗諦の両方が空であると説くが、このような違いはあっても、すべて生空と法空の二つの空を弁えている点では共通している。それゆえ、通じて「生法倶空宗」と呼ばれるのである。 二つ目に、別宗というものがある。これは、先ほどの通宗の中からさらに二つの宗派が分かれたものである。ただし、これについては二つの説がある。一つは、第一に「三性皆空宗」があるとする説で、例えば『三無性論』などがこれに当たる。

二、三性空有宗，如深密等。此二學從互言顯密。一云：即真俗俱空有等，是前宗也。謂勝義真實故不無，世俗因果不失故是有，此則真俗俱有，如深密、瑜伽等。二、若二勝義相盡為空，世俗緣生如幻非有，如前所述清辨比量，此則真俗俱空，如大般若等。

> 二、三性空有の宗、深密経などのごとし。この二つの学説は互いに言い表して密やかに示す。一つに云う、すなわち真諦と俗諦ともに空有など、これが前の宗である。すなわち勝義は真実であるゆえに無きにあらず、世俗の因果は失われないゆえに有り、これすなわち真俗ともに有り、深密経、瑜伽論などのごとし。二、もし二つの勝義の相が尽きて空となるならば、世俗の縁起は幻のごとく有にあらず、前に述べた清弁の比量のごとく、これすなわち真俗ともに空なり、大般若経などのごとし。

三、隨部宗者，深密以境行果無等為宗，十輪以佛輪等十輪為宗，阿彌陀經以稱淨土為宗，大般若十八空為宗。

> 三、随部宗の立場では、『解深密経』は境・行・果の無等を宗旨とし、『大乗大集地蔵十輪経』は仏輪など十種の輪を宗旨とし、『阿弥陀経』は浄土を称えることを宗旨とし、『大般若経』は十八の空を宗旨とする。

四、隨義宗者，謂前深密十輪大般若中，隨所說義，有所成立，即以為宗。問：大般若等亦說色空相即之義，此則正當理事無㝵，何故列在一分滿教？

> 四、随義宗とは、前の『深密経』『十輪経』『大般若経』などにおいて、それぞれの経典が説く教えに基づき、その内容を宗義として確立することを指します。問い：『大般若経』などにも「色即是空」の理が説かれていますが、それはまさに「理事無碍」の教えに当たります。なぜそれを一分満教に分類するのでしょうか。

答：此色義兩宗釋異。一分滿云：依所執性故說為空。具分滿云：依他無性故說為空。設依後釋，而般若中復有說處，是不了義。故大般若五百九十二中說三乘五姓畢竟差別，唯說色空依所執說，是故且配屬前教攝。若所說色空依緣生死性，則具分滿攝。

> 問：この色と空の二つの宗派の解釈の違いは何ですか。 答：一分満（部分的な解釈）では、執着によって生じる性質に基づいて空であると説きます。具分満（完全な解釈）では、縁起によって生じるものには固有の性質がないため、空であると説きます。 たとえ後者の解釈を採用したとしても、般若経の中には、まだ完全に明らかでない教えを説いている箇所があります。例えば、大般若経第五百九十二巻では、三乗と五種の性質の違いを説き、色が空であるのは執着によるものだと説明しています。したがって、この教えは前の一分満の範疇に属すると考えられます。 もし、色が空であるという教えが、縁起によって生じる生死の性質に基づいて説かれているならば、それは具分満の範疇に含まれます。

第三真具分滿教中，初通宗者，謂此宗中雖說理事無㝵真，莫不皆顯有為無為非一非異，是故通名為無為非一異宗也。二別宗者，謂於前通宗之內分成兩宗：一理事無㝵宗，此即楞伽、密嚴、維摩、法華、涅槃、勝鬘、仁王等經。

> 第三の真の具分満教の中、初めに宗を通じるものとは、この宗においては、理と事が無碍であるという真実を説くけれども、すべてが有為と無為が一でも異でもないことを顕わしているので、通じて無為非一異宗と名づけるのである。二に別宗とは、前の通宗の内に分かれて二つの宗を成すものである。一つは理事無碍宗、これは『楞伽経』『密厳経』『維摩経』『法華経』『涅槃経』『勝鬘経』『仁王経』などの経典である。

二、事事無㝵宗，謂即此經及如來不思議境界經等。問：華嚴等亦說理事無㝵，何獨事事無㝵宗攝？仁王、維摩、涅槃經等亦說事事無㝵之相，何不事事無㝵宗收？

> 二、事事無碍宗。これはこの経典と『如来不思議境界経』などを指します。問：『華厳経』なども理と事が互いに妨げないことを説いていますが、なぜ事事無碍宗だけに含まれるのですか？『仁王経』『維摩経』『涅槃経』なども事事無碍の相を説いていますが、なぜ事事無碍宗に収められないのですか？

答：兼正異故。又仁王等唯依業用說故，此經具德相等故。

> 答え：正しいものと異なるものとを兼ねているからです。また、『仁王経』などはただ業用に依って説いているからであり、この経は徳相を具えているからです。

三、隨部宗者，初理事無㝵宗中，如楞伽以五法、三自性、八識、二無我為宗，內證聖智所行境界為趣，或以一百八句為宗，一心為趣。密嚴以現法樂住，內證智境為宗。維摩以抑挫二乘，顯菩提解脫為宗。法華以會三歸一為宗。勝鬘以空智如藏及攝受正法為宗。涅槃以佛性常住為宗。仁王以三種般若為宗。後事事無㝵宗中，不思議境界經以如來不思議境界三昧為宗。

> 三、随部宗について。まず、理事無碍宗の中では、例えば『楞伽経』は、五法・三自性・八識・二無我を宗とし、内証の聖智が行う境界を趣としている。あるいは、百八句を宗とし、一心を趣としている。『密厳経』は、現法楽住と内証智境を宗とする。『維摩経』は、二乗を抑挫し、菩提解脱を顕わすことを宗とする。『法華経』は、三乗を一乗に帰することを宗とする。『勝鬘経』は、空智如来蔵と摂受正法を宗とする。『涅槃経』は、仏性常住を宗とする。『仁王経』は、三種の般若を宗とする。 次に、事事無碍宗の中では、『不思議境界経』は、如来の不思議境界三昧を宗とする。

後別明當部宗者，古來異釋，總有七家，前六古說，後一現傳。前中，一、笈多三藏云：此經以三十二聖觀行為宗。二、敏法師云：以因果為宗。印法師亦同此說。三、遠法師云：以華嚴三昧為宗。由此經意，令觀因果成三昧故。四、衍法師云：以無障㝵法界為宗。五、裕法師云：以甚深法界心境為宗。法界門中，義分心境，諸佛證之，以成淨土。法界即是一心，諸佛證之，以成法身。故此經初品內頌云：無盡平等妙法界，悉皆充滿如來身。又經最後品內，明入法界，故知唯以法界為宗。六、光統律師云：以因果理實為宗。

> 次に、当経の宗要を明らかにする。古来より異なる解釈があり、総じて七家ある。前の六家は古説、後の一家は現今伝わる説である。 前の六家のうち、 一、笈多三蔵は言う：この経は三十二聖の観行を宗とする。 二、敏法師は言う：因果を宗とする。印法師もこの説に同じ。 三、遠法師は言う：華厳三昧を宗とする。この経の意は、因果を観じて三昧を成ぜしめるによる。 四、衍法師は言う：無障礙法界を宗とする。 五、裕法師は言う：甚深なる法界の心境を宗とする。法界の門において、義は心境に分かれる。諸仏はこれを証して浄土を成ず。法界は即ち一心なり。諸仏はこれを証して法身を成ず。故にこの経の初めの品の中の頌に云う：尽きることなき平等の妙法界、悉く皆如来の身に充満す。また経の最後の品の中に、法界に入ることを明かす。故に知る、唯だ法界を以て宗とす。 六、光統律師は言う：因果の理実を宗とする。

二現傳者，即是本疏所立也。於中二：初簡持，後釋義。前中謂前六家宗內，初三但顯所成因果，次二唯明所依理實，後一雖該前二，然以名意不具令義不明，故現所傳具言因果緣起理實法界以為宗趣。

> 現に伝えられているものは、すなわち本疏が立てたものである。その中身は二つに分けられる。初めは簡持、後は釈義である。前段においては、前の六家の宗旨の中、初めの三つはただ成された因果を顕すのみであり、次の二つはただ依るべき理実を明らかにするのみであり、後の一つは前の二つを含んではいるが、しかし名と意とが備わっていないために、その意味が明らかでない。ゆえに、今伝えられているものは、因果・縁起・理実・法界を具えて宗趣としている。

後釋義中二：先釋別名，後解通稱。謂因果緣起、理實法界唯囑此經，故名為別，宗趣之目通餘一切。前中四：一、因果緣起與理實法界分相別顯，二、融理實法界以成因果緣起，三、會因果緣起以歸理實法界，四、雙融。次前二門無㝵存泯。初中有十法、五對：一、無等境，此有二種：一、在纏為所信境，二、出障為所證境。二、無等心，此亦二種：一、大菩提心為主故，二、喜、捨等心為伴故。三、無等行，此亦二種：一、差別行，歷位顯故；二、融攝行，一即一切故。四、無等位，如前行說。五、無等果，此亦二種：一、依果，謂華藏世界海故；二、正果，謂十身故。此上五對，初一是理實法界，次三緣起因，後一緣起果也。

> 後半の解説は二つに分けられます。まず別名について説明し、その後で通称について解き明かします。 ここでいう「別名」とは、因果の縁起と理実法界（真理の世界）という内容が特にこの経典に委ねられているからであり、「宗趣の目」（教えの趣旨を示す名称）は他の一切の経典にも通じるものだからです。 前半の説明は四つの段階から成ります： 一、因果の縁起と理実法界をそれぞれ別々に明らかにする 二、理実法界を融和して因果の縁起を成り立たせる 三、因果の縁起を統合して理実法界に帰する 四、両者を同時に融和する 次に、最初の二つの段階では、存在と消失の対立を超えた無碍（妨げのない）境地を示します。 最初の段階には十の法（教え）と五対の関係があります： 一、無等境（比べるもののない境地）──これには二種類ある： 　1. 煩悩に縛られた状態において信じるべき境地 　2. 煩悩を超えた状態において証得すべき境地 二、無等心（比べるもののない心）──これにも二種類ある： 　1. 大菩提心を主体とする 　2. 喜びや捨てる心などを伴うものとする 三、無等行（比べるもののない実践）──これにも二種類ある： 　1. 差別行：修行の段階を経て明らかになる実践 　2. 融摂行：一つの実践が一切の実践を含むもの 四、無等位（比べるもののない境地の段階）──前の「行」の説明と同様 五、無等果（比べるもののない結果）──これにも二種類ある： 　1. 依果：華蔵世界海（仏の浄土）を指す 　2. 正果：十身（仏の十の姿）を指す 以上の五対の関係において、最初の一対は理実法界を表し、次の三対は縁起の原因を、最後の一対は縁起の結果を示しています。

第二中亦十法五對：一、所信因果；二、差別因果；三、平等因果，亦是出現因果；四、成行因果；五、證入因果。此門配經，如第二卷疏科文中說。

第三中亦十法五對，謂即會前理實之因果，而還歸於理實。所以者何？五對因果，莫不皆以無㝵法性而為自性，是故不㝵即相即性也。

第四、雙融。次前二門無㝵存泯者，謂即於一無㝵法界，而性相混融，自在成就，亦有十義：一、由離相故，因果不異理實，即因果非因果也；二、由離性故，理實不異因果，即理實非理實也；三、由離相不壞相故，理實即因果，以非因果為因果也；四、由離性不泯性故，因果即理實，以非理實為理實也；五、由離相不異離性故，因果理實二俱泯絕，逈超言念；六、由不壞不異不泯故，果因理實二俱現前，熾然言念；七、由上存泯不相異故，常以絕見聞而見聞故，此即無見聞之見聞也，常以離言念而言念故，此無言念之言念也；八、由理實性融不可分故，即理實之果統攝理實，無不盡即，因隨所依而在果中，是故佛中有菩薩也；九、即理實之因攝義亦爾，是故菩薩中有佛也；十、因果二位各隨所應，收攝無邊差別諸法，相即相在微細帝網等。此十義中，初七是理事無㝵宗，後三是事事無㝵宗。

後尺通稱中，義類繁廣，略顯十法五對：一、人法相對，謂舉人為宗，顯法為趣，如佛華嚴之大方廣故。或反上，謂大方廣之佛華嚴故。二、理事相對，謂舉事為宗，會理為趣，或舉理為宗，融事為趣，如舉具分真性故。三、境智相對，謂舉境為宗，成觀為趣，或舉智為宗，攝境為趣，如心性是一等。四、行位相對，謂舉位為宗，成行為趣，或舉行為宗，顯位為趣，如圓行成圓位。五、因果相對，謂舉因為宗，成果為趣，或舉果為宗，脩因為趣。然此宗之與趣，及因果、緣起、理實、法界等，互望融鎔，相即相在，皆無障㝵。謂因之果、果之因，或因即果、果即因，或因果即緣起，或理實即法界，或因果緣起之理實法界，或因果緣起即理實法界，或宗即趣、宗之趣，或因果、緣起、理實、法界之宗趣，或即宗趣，皆准思之。上來四宗相望，寬狹有三，謂初一唯寬，後一唯狹，中間別及隨部二部，互寬狹望前後故。此經於三通宗，是為、無為、非一異宗攝；於三別宗，是事事無㝵宗收；於三隨部宗中，是因果、緣起、理實、法界宗；於三一隨義宗內，即諸法相即、相在、相攝、相入等宗。於色大小無增減，於時長短無延促，餘一切義准應知。第六、宗趣門竟。