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title: "代宗朝贈司空大辨正廣智三藏和上表制集 · 三藏和上遺書"
description: "唐代僧人圆照编集。本书收录了唐代宗时期密宗高僧不空三藏与皇帝之间的奏表、诏敕及往来文书，反映了不空在唐代宗朝的宗教活动与皇室护持密教的历史。内容涵盖祈雨、译经、建寺等事，体现了国家与佛教的密切关系。作为研究唐代密宗发展、政教关系及宫廷佛教的重要文献，具有极高的历史与宗教价值。"
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### 三藏和上遺書一首

> 三蔵法師遺書一首

吾普告四眾弟子等。大教總特浩汗深廣。瑜伽祕密誰測其源。吾自髫齓出家。依師學業。討尋梵夾二十餘年。晝夜精勤。伏膺諮稟。方授瑜伽四千頌法。奈何積釁深重。先師壽終。栖託無依。憑何進業。是以遠遊天竺。涉海乘危。遍學瑜伽。親禮聖跡。得十萬頌法藏印可。相傳來歸帝鄉。福地行化。然一朝供奉為三代帝師。人主盡授瑜伽密傳法契。爰自今聖弘教。最深十八會瑜伽盡皆建立。三十七聖眾一一修行。每入道場。依時念誦。九重萬乘恒觀五智之心。闕庭百寮盡持三密之印。吾當代灌頂三十餘年。入壇授法弟子頗多。五部琢磨成立八箇。淪亡相次。唯有六人。其誰得之。則有金閣含光．新羅慧超．青龍慧果．崇福慧朗．保壽元皎．覺超。後學有疑。汝等開示。法燈不絕。以報吾恩。況吾年登七十。氣力漸衰。汝等幼稚者多。故先遺囑當院僧弟子慧勝等。少小事吾。恭謹無怠。勤勞歲久。實可矝憐。雖五部未霑。並一尊精熟修持成佛是可有餘。各自策勵如吾在日。必須和睦同共住持。若有害群。吾不祐汝。吾受持金剛。鈴杵并銀盤子菩提子念珠水精念珠并合子。並進供奉　聖人請入內。及保壽化度興善諸寺弟子等。吾在之日。汝等依吾。吾護念汝。吾百年後。汝等依國。於國須忠。努力虔誠為國持念。國安人泰。吾願滿焉。青龍曇貞。大法真言吾先授與。至於契印渠未得之。汝等為吾轉為授。却俗弟子功德使李開府。依吾受法三十餘年。勤勞精誠。孝心厚深。河西南海問道往來。淨影鴻臚躬親供養。瑜伽五部先以授之。十七五身更增祕密。吾銀道具五股金剛杵三股獨股鈴並留與開府。作念受持速證悉地。院中師僧開府往來撿挍如吾在日。務須安存。上下和睦。監使李大夫自監吾已來無少違意。往來進奏皆契聖心。不但輔佐　國家。亦為護法菩薩。普賢祕密尋以受持。踵襲大乘必當剋證。吾銀羯磨金剛杵四箇并輪留與。受持為念取證菩提。佛法護持如吾在日。賢者趙遷。吾為翻經有時執筆。諸餘鈔寫亦有其功。若愛出家為與聞奏。樂之處俗汝亦安存。吾後翻得文殊經一卷。寶樓閣念誦法一卷。如來藏經一卷。翻譯雖終未及進奉。勾當寫出為吾進都。寶金剛事吾日深。小心孝順。至於念誦倍更精勤。留在院中同住供養。院內行者童子。上從賢德下至汝奴。汝仕大夫為奏與度。其蘇但那野奢並放為良任從所適。樂在院中亦任本意。其庭秀為老親見在南海欲得侍奉。亦語開府放去養親令喬為是家人。久以󱥸承隨吾入內。聖人亦識。每偏驅使辛勤最多。件李大夫與奏出家。莊上有牛兩頭。可准錢物拾餘貫。將陪常住。用充價直。收贖令喬院內應緣。道場所有幡華楨像諸功德等氈廗毯耨銅器瓷器䗍盃。一切並捨入文殊閣下道場。永為供養。不得轉輒有零落出外借人。吾緣身衣並已捨盡有金八十七兩銀二百二十兩半。並將施入五臺山金閣玉華兩寺。裝修功德。所有家具什物柴器䥫器瓦器床廗氈褥床子耨子及諸雜一切物等。吾並捨與當院受用。子弟往來須有投寄。梵夾閣上藏中安置其藏及經為是　勅賜鎮院安置。汝常為　國轉讀持念焚香供養守護。並不得零落損失。吾奏　聖人造閣。下置文殊菩薩。上安漢梵之經。為國福田永代供養。閣則大改已成。作家欠錢裝飾未了。軒廊門屋僧房亦未成立。所有搏零落殘方榑木。汝共大夫計會善為聞奏修崇了却。閣成已後奉為　國家置三七僧。轉經念誦。永資　聖壽。滿吾本願。東京和上塔所師僧院舍莊園。汝亦為吾勾當成立。其車牛鄠縣洨南莊并新買地及御宿川貼得稻地街南菜園。吾並捨留當院文殊閣下道場。轉念師僧永充糧用香油炭火等供養。並不得出院破用。外人一切不得遮蘭及有侵奪。其祥谷紫莊將倍常住。其莊文契並付寺家。吾重告諸弟子。汝等須知。人代無常誰免此也。師資之道以法義情親不同骨肉。與俗全別。汝等若依吾語是吾法子。若違吾命則非法緣。吾壽終後。並不得著服及有哭泣攀慕。憶吾即勤加念誦。是報吾恩。亦不得枉破錢財威儀葬送。亦莫置其塋域虛棄人功。唯持一床。盡須念誦。送至郊外。依法荼毘。取灰加持。便即散却。亦不得立其靈机圖寫吾形。儒生七十二子尚有心喪。吾教灌頂相傳都不然也。汝等諸子是從佛口生從法化生得佛法分。即同普賢身。行普賢行。住普賢心。圓明廓周。五智齊現。修行如此。是契吾心。何勞驅驅營營非法不益之事。吾所告焉。汝等須依吾此處分。恐後無憑。仍請三綱直歲徒眾等著名。為記鄔波馱耶告。

> 私はすべての四衆の弟子たちに広く告げます。大いなる教えは全体として非常に深遠で広大であり、瑜伽の秘密は誰もその源を測ることができません。私は幼い頃に出家し、師に従って学業を修め、二十余年にわたって梵夾を探求しました。昼夜にわたり精進し、師に従い教えを請い、ようやく瑜伽の四千頌の法を授かりました。しかし、積年の罪障が深く重く、先師は寿を終えました。依るべき場所がなく、何によって進むべきでしょうか。それゆえに遠く天竺に遊学し、海を渡り危険を冒して、広く瑜伽を学び、自ら聖蹟を礼拝しました。十万頌の法蔵の印可を得て、相伝して帝郷に帰り、福地で教化を行いました。そして一朝にして三代の帝師として仕え、人主はすべて瑜伽密伝の法契を授けられました。 ここに今の聖上は教えを弘められ、最も深い十八会の瑜伽をことごとく建立されました。三十七の聖衆はすべて修行し、道場に入るたびに時宜に従って念誦します。九重の万乗は常に五智の心を観じ、闕庭の百寮はことごとく三密の印を持ちます。私は当代において灌頂を三十余年行い、壇に入って法を授けた弟子は多くいます。五部を琢磨して八人の者が完成しましたが、相次いで亡くなり、ただ六人のみが残っています。それを得た者は、金閣の含光、新羅の慧超、青龍の慧果、崇福の慧朗、保寿の元皎、覚超です。 後に学ぶ者に疑問があれば、汝らが開示しなさい。法灯を絶やさず、それによって我が恩に報いなさい。ましてや私は年七十に達し、気力は次第に衰えています。汝らの中には幼い者が多いので、まず遺言として当院の僧弟子である慧勝らに告げます。彼らは幼い頃から私に仕え、恭しく慎み怠りなく、長年勤めよく働きました。まことに哀れむべきです。五部はまだ受けていませんが、すべて一尊に精熟し、修持して成仏することは十分可能です。各自が励み、私が生きていた時のようにしなさい。必ず和睦して共に住持しなさい。もし群れを害する者があれば、私は汝を守りません。 私は受持する金剛の鈴と杵、ならびに銀の盤、菩提子の数珠、水精の数珠と合子を、すべて進上して聖人に供え、内裏に入れていただきました。また保寿、化度、興善の諸寺の弟子たちにも告げます。私が生きている間は、汝らは私に従い、私は汝らを護念します。私が亡き後は、汝らは国に従い、国に対して忠誠を尽くしなさい。努力して誠を尽くし、国のために念持しなさい。国が安らかで人が泰らかであれば、私の願いは満たされます。 青龍の曇貞には、大法の真言を先に授けましたが、契印についてはまだ得ていません。汝らは私のために彼に伝授しなさい。また、俗弟子である功德使の李開府は、私について法を三十余年受け、勤めよく誠を尽くし、孝心は厚く深いです。河西南海に往復して道を問い、浄影と鴻臚で自ら供養しました。瑜伽五部は先に授けましたが、十七五身はさらに秘密を増します。私の銀の道具である五股金剛杵、三股、独股、鈴は、すべて開府に残して与えます。念じて受持し、速やかに悉地を証しなさい。院中の師僧たちは、開府が往来して取り仕切り、私が生きている時のようにしなさい。務めて安んじ存し、上下和睦にしなさい。 監使の李大夫は、私を監察して以来、少しも違うことはなく、往来して進奏することはすべて聖心に叶っています。国家を輔佐するだけでなく、また護法の菩薩でもあります。普賢の秘密はすでに受持しました。大乗に従って必ず証得するでしょう。私の銀の羯磨金剛杵四つと輪を残して与えます。受持して念じ、菩提を証得しなさい。私が生きていた時のように仏法を護持しなさい。 賢者の趙遷は、私が翻経する時、時に筆を執り、その他の抄写にも功績があります。もし出家を愛するなら、聞奏するために取り計らいなさい。在家を楽しむなら、汝もまた安んじて存しなさい。私は後に文殊経一卷、宝楼閣念誦法一卷、如来蔵経一卷を翻訳しましたが、翻訳は終わったものの奏上するに及びませんでした。取り計らって書き写し、私のために都に進呈しなさい。 宝金剛は私に仕えること日が深く、小心で孝順であり、念誦に至ってはさらに精励します。院中に留めて共に住まわせ、供養しなさい。院内の行者や童子たちは、上の賢徳から下の汝の奴に至るまで、汝が大夫のために奏上して度を与えなさい。その蘇但那野奢はすべて良民として放ち、任意に従うままにさせなさい。院中にいることを楽しむなら、本意に任せなさい。その庭秀は老親が南海にいるので、侍養したいと願っています。また開府に告げて放ち、親を養わせなさい。令喬は家人であるため、久しく従って内裏に入り、聖人も知っており、毎度特に使われ、辛苦が最も多いです。李大夫に取り計らって出家を奏上しなさい。 荘に牛が二頭あり、銭物十余貫に相当します。これを常住に加え、価値の代わりとして用い、令喬を院中で収めさせなさい。道場に関わるすべての幡華、幀像、諸々の功德具、氈、席、毯、褥、銅器、磁器、螺盃など、すべてを文殊閣下の道場に施入し、永遠に供養としなさい。勝手に散逸させたり、外部に借りたりしてはなりません。私は身に着ける衣服もすべて施し尽くしました。金八十七両、銀二百二十両半があり、すべて五台山の金閣寺と玉華寺に施入し、装飾の功德とします。すべての家具、什物、柴器、鉄器、瓦器、床、席、氈、褥、床子、褥子、および諸々の雑物など、すべて当院に施して用いさせなさい。 子弟が往来する時には、寄る場所が必要です。梵夾は閣上の蔵中に安置し、その蔵と経は勅賜によって鎮院に安置されています。汝は常に国のために転読し、念持し、香を焚き供養し、守護しなさい。決して散逸損失してはなりません。私は聖人に奏上して閣を造り、下に文殊菩薩を安置し、上に漢梵の経を安置しました。国の福田として永遠に供養します。閣は大いに改築して完成しましたが、作者に借金があり、装飾は未了です。軒廊、門屋、僧房も未だ成立していません。散逸した残りの角材や木材は、汝が大夫と共に計らい、よく聞奏して修築を終えなさい。閣が完成した後は、国家のために三七日の僧を置き、転経念誦し、永遠に聖寿を資け、我が本願を満たしなさい。 東京の和上の塔所、師僧の院舎、荘園は、汝もまた私のために取り計らって成立させなさい。その車牛、鄠県の洨南荘、ならびに新たに買った地、御宿川の貼り得た稲田、街南の菜園は、すべて当院の文殊閣下の道場に施し、転念する師僧たちの永遠の糧用、香油、炭火などの供養としなさい。決して院を出て破用してはなりません。外部の者は一切妨げたり侵奪したりしてはなりません。その祥谷の紫荘は、常住に加えなさい。その荘の文契はすべて寺家に交付します。 私は重ねて諸弟子に告げます。汝らは知らねばなりません。人の世は無常であり、誰もこれを免れません。師資の道は法義によって情が親しく、骨肉とは異なり、俗とは全く別です。汝らがもし我が言葉に従うなら、これが我が法子です。もし我が命に背くなら、これが法縁ではありません。私が寿を終えた後は、喪服を着たり、泣き悲しんだりしてはなりません。私を憶うなら、勤めて念誦を加えなさい。それが我が恩に報いることです。また無駄に銭財を費やし、威儀を整えて葬送してはなりません。塋域を設けて人の労を空費するのも避けなさい。ただ一つの床を持ち、すべて念誦して、郊外に送り、法に従って荼毘し、灰を取り加持して、すぐに散じなさい。霊机を立てて我が形を描くのも避けなさい。儒生の七十二子でさえも心喪がありましたが、我が教えの灌頂相伝はそうではありません。汝ら諸子は、仏の口から生まれ、法から化生し、仏法の分を得て、すでに普賢の身と同じです。普賢の行を行い、普賢の心に住し、円明に廓周し、五智が斉しく現れます。このように修行するなら、これが我が心に叶うのです。どうして駆け回り、営々として非法不益のことをする必要がありましょうか。私が告げたことです。汝らは我がこの処分に従いなさい。後日に証拠がなくなることを恐れ、三綱、直歳、徒衆に署名を請います。記として、邬波駄耶の告げるところです。

大曆九年歲次甲寅五月己亥朔七日乙巳

> 大暦9年、歳星甲寅にあたる年、五月己亥朔の七日乙巳。

直歲慧達

> 直歳（じきすい）の慧達（えだつ）

典座明彥

> 典座の明彦

都維那法高

> 法高（ほうこう）という都維那（ついな）がいました。

寺主道遇

> 寺院の主（住職）は、道でお会いしました。

上座潛真

> 上座の潜真

## 大辨正大廣智三藏和尚表制集卷第三

> 大弁正大広智三蔵和上表制集 巻第三