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title: "法華傳記 · 4 支派別行"
description: "法華傳記由唐代僧人僧詳編撰是一部重要的佛教史傳類著作該書匯集了諸多與法華經相關的靈驗感通故事及高僧大德的持誦事蹟生動反映了法華經在中國早期的傳播與信仰狀況全書內容豐富不僅記載了許多珍貴的歷史資料更展現了法華經作為大乘佛教重要經典其提倡的一佛乘思想和人人皆可成佛的理念對中國佛教各宗派尤其是天台宗的發展產生了深遠影響是研究法華經流傳史和中國佛教社會史不可或缺的重要文獻"
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### 支派別行第四

> 第四 支派別行

謹按經錄云。法華支派別行。西方何量。東土所傳蓋小。相傳西方梵文敷一由旬。相應別行亦俱如是云云。今此地來者。無量義經一卷。此是序分。高帝世建元二年。天竺沙門曇摩伽陀耶舍。齊言法生稱。於廣州朝亭寺。手自譯出。傳受人沙門慧表。永明三年。齎至楊都。觀普賢行法經結一卷其終。宋元嘉元曇無蜜多。亦云曇摩蜜多。宋言法秀。罽賓國人也。於揚都譯。後真諦法師製別記。流行於世。若別行者。佛以三車喚子經一卷。魏代支謙譯。大部中譬喻品同本。光世音經一卷。西晉永嘉二年竺法護譯。普門品經一卷。東晉代沙門祇多蜜譯。觀世音經一卷。後秦羅什於長安逍遙園譯。觀世音經一卷。宋代安陽侯京聲於高唱譯。普門重誦偈一卷。梁武帝代北天竺乾闥國沙門闍那崛多。在益州龍泉寺。共梁譙王宇文譯。已上五經。大部中普門品同本。既有普門品經一卷十五紙。彼大寶積文殊會同本。非法華別出。妙法蓮華經提婆達多品一卷。羅什譯。長安宮人。除大部內別行。妙法蓮華經提婆達多品一卷。陳沙門真諦。修補什本加潤色。又同品一卷。蕭齊永明年。沙門法獻。于闐國得梵本來。與寶意於揚州瓦官寺譯。已上三本。大部中一品也。法華光瑞菩薩現瑞經三卷。沙門支彊梁。於交州譯。大部中序品及壽量品等同本。法華經藥王菩薩等呪六首。大唐永徽年。三藏法師玄奘譯。此等多是失本。唯有什公普門品。於西海而別行。所以者何。曇摩羅懺。此云法豐。中印人婆羅門種。亦稱伊波勒菩薩。弘化為志。遊化葱嶺。來至河西。河西王沮渠蒙。歸命正法。兼有疾患。以語菩薩。即云。觀世音此土有緣。乃令誦念。病苦即除。因是別傳一品。流通部外也。又更有法華三昧經。是支派非別生。又有薩曇分陀利經一卷寶塔提婆品。少於世見行。而人不受持。古錄注法護譯。唐朝錄者附失譯錄。又有高王觀世音經。雖有冥感。不因傳譯。未足支派。亦非別生矣。

> 経典の記録によれば、「法華経」の支派（枝分かれした経典）が別に流布しているものは、西方（インド）にはどれほど多くあったか分からないが、東土（中国）に伝わったものはごく僅かである。伝えられるところによると、インドのサンスクリット語の経典は一由旬（ゆじゅん）もの広さに及ぶほどあり、それぞれの支派も同様に広大だったという。 今、この地にもたらされているものには、「無量義経」一巻がある。これは序分にあたる。また、高帝（南朝斉の武帝）の建元二年（西暦480年）に、天竺（インド）の僧・曇摩伽陀耶舍（どんまがだやしゃ、中国語で法生称という）が、広州の朝亭寺において自らの手で翻訳し、これを伝授した僧・慧表（えひょう）が、永明三年（西暦485年）に楊都（建康）へと齎した。一方、「観普賢行法経」一卷は、その結末部分にあたる。宋代（南北朝の宋）の元嘉の頃、曇無蜜多（どんむみった、また曇摩蜜多とも。中国語で法秀という。罽賓国（カシミール地方）出身）が、揚都において翻訳した。後に、真諦法師が別に註釈を書き、世に行われた。 別行（独立して流布）するものとしては、仏が三車で子を呼び寄せるたとえ話の「仏以三車喚子経」一巻がある。これは、魏の代に支謙が翻訳した。大部（『法華経』）の中の「譬喩品」と同じ本である。「光世音経」一巻は、西晋の永嘉二年（西暦308年）に竺法護が翻訳した。「普門品経」一巻は、東晋の代に僧・祇多蜜が翻訳した。「観世音経」一巻は、後秦の代に鳩摩羅什が長安の逍遥園で翻訳した。さらに同名の「観世音経」一巻は、宋代（南北朝の宋）に安陽侯・京声が高唱で翻訳した。「普門重誦偈」一巻は、梁の武帝の時代に、北天竺の乾闥国出身の僧・闍那崛多が、益州の龍泉寺において、梁の譙王・宇文と共に翻訳した。 以上の五経は、大部（『法華経』）の「普門品」と同じ本である。ただし、「普門品経」一巻（十五紙）は、『大宝積経』の「文殊会」と同じ本であり、『法華経』から別に出たものではない。 「妙法蓮華経提婆達多品」一巻は、鳩摩羅什が翻訳した。長安の宮中において。ただし、大部の中から抜き出して別行させたものである。同名の「妙法蓮華経提婆達多品」一巻は、陳の僧・真諦が、羅什訳を修補し、さらに潤色を加えたもの。さらに同名の一巻は、蕭斉（南朝斉）の永明年間、僧・法献が于闐国からサンスクリット本を得て、宝意と共に揚州の瓦官寺で翻訳したもの。以上の三本は、いずれも大部（『法華経』）の中の一品である。 「法華光瑞菩薩現瑞経」三巻は、僧・支彊梁が交州で翻訳した。大部の中の「序品」や「寿量品」などと同じ本である。「法華経薬王菩薩等呪」六首は、大唐の永徽年間に、三蔵法師玄奘が翻訳した。これらは多くが、原本を失ったものである。 ただ、羅什訳の「普門品」だけは、西域において別行された。なぜならば、曇摩羅懺（どんまらせん、中国語で法豊という）という人物がいた。彼は、中インドのバラモン出身で、伊波勒菩薩とも称された。弘法利生を志し、葱嶺を遊化して、河西地方に来た。河西王・沮渠蒙遜（そきょもうそん）は正法に帰依していたが、病を患っていた。彼が菩薩にそのことを告げると、菩薩は「観世音菩薩は、この地に縁があります」と言い、王に観音の名号を誦えさせた。すると王の病苦は即座に癒えた。これにより、この一品が特に伝えられ、大部の外に流布するようになったのである。 さらに「法華三昧経」もあるが、これは支派であり、別に生じたものではない。また、「薩曇分陀利経」一巻（宝塔提婆品に相当）もあるが、世には現れて流通しているが、人々はこれを受持していない。古い目録には竺法護訳と記されているが、唐代の目録は訳者不明録に収めている。さらに、「高王観世音経」もある。霊験はあるとされるが、翻訳によって伝えられたものではない。よって、これを支派とするのも不十分であり、別に生じたものとも言えない。