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title: "法華傳記 · 5 論釋不同"
description: "法華傳記由唐代僧人僧詳編撰是一部重要的佛教史傳類著作該書匯集了諸多與法華經相關的靈驗感通故事及高僧大德的持誦事蹟生動反映了法華經在中國早期的傳播與信仰狀況全書內容豐富不僅記載了許多珍貴的歷史資料更展現了法華經作為大乘佛教重要經典其提倡的一佛乘思想和人人皆可成佛的理念對中國佛教各宗派尤其是天台宗的發展產生了深遠影響是研究法華經流傳史和中國佛教社會史不可或缺的重要文獻"
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### 論釋不同第五

> 解説の相違（第五）

真諦三藏云。西方相傳。說法華大教。流演五天竺。造優婆提舍。釋其文義五十餘家。佛涅槃後五百年終。龍樹菩薩造法華論。六百年初。堅意菩薩造釋論。並未來此土。不測旨歸。九百年中。北天竺丈夫國國師大婆羅門憍尸迦子婆藪槃豆。此云天親。亦製法華論。以六十四節法門。釋其大義。中印度沙門勒那摩提。魏云寶意。學識優贍理事。兼通三藏。凡誦一億偈。偈有三十二字。意存遊化。以宣武帝正始五年戊子。初屆洛邑。譯法華論為一卷。侍中崔光沙門僧朗等筆受。當翻經日。於洛陽內殿。菩提流支傳本。勒那扇多參明其後。三德乃徇流言。各傳師習。不相詢訪。帝以弘法之盛。略敘曲煩勅三處。各翻訖乃參挍其間隱沒。互有不同致者。文旨時兼異綴。後人合之。共成通部。又北印度沙門菩提流支。此云道希。新云覺愛。遍通三藏。妙入總持。志在弘法。廣流視聽。遂挾道霄征。遠莅葱左。以魏永平之歲。至止東華。宣武下勅。慇懃敬勞。後處之永寧大寺。供待甚豐。七百梵僧。並皆周給。勅以流支。為譯經之元匠也。重譯成二卷。曇林受并製序。題云妙法蓮華經優婆提舍。初有歸敬頌者是也。與寶意譯大同少異。彼題同云妙法蓮華經優婆提舍。而無歸命頌也。此土亦有作論者。如胡吉藏玄論等。不可具述矣。

> 真諦三蔵はこう説いている。西方で伝えられるところによれば、法華という大いなる教えが五天竺に広まり、その文義を解説する優婆提舎（論釈）が五十余家も作られた。仏の涅槃後五百年の終わりに、龍樹菩薩が『法華論』を著した。六百年の初めには、堅意菩薩が釈論を著したが、いずれもこの地（中国）には伝わらず、その趣旨を計り知ることはできない。 九百年の中頃、北天竺の丈夫国という国の国師で、大婆羅門である憍尸迦の子、婆藪槃豆（天親と訳す）が、やはり『法華論』を製作し、六十四の法門をもってその大義を釈明した。 中インドの沙門、勒那摩提（魏では宝意と訳す）は、学識が優れて広く、事と理に通じ、三蔵を兼ね備えていた。常に一億偈を誦し、一偈は三十二字からなる。遊行教化を志し、宣武帝の正始五年（戊子）に初めて洛陽に到着し、『法華論』を一卷に翻訳した。侍中の崔光や沙門の僧朗などが筆受を担当した。 この経典翻訳の日、洛陽の内殿にて、菩提流支がテキストを伝え、勒那と扇多がその後に参じて明らかにした。その後、三人の徳者は流言に従い、各自が師の教えを伝えて互いに相談しなかった。帝は弘法の盛んさを考慮して、簡略に事情を述べ、三か所に命じて、それぞれ翻訳を終えた後に、その間で隠され失われた部分を校合させた。互いに異同があり、文旨が時に合わせて異なる綴りとなっていた。後人がこれを合わせて、一つの通部を成したのである。 また、北インドの沙門、菩提流支（道希と訳し、新たには覚愛と訳す）は、三蔵に広く通じ、総持に妙に入り、志は法を弘め、見聞を広く流布することにあった。そこで道を抱いて霄（高い所）に征き、遠く葱嶺（パミール高原）の左に到った。魏の永平の年に東華に至り、宣武帝が勅を下し、ねんごろに敬いねぎらった。後に永寧大寺に住まわせ、供待は非常に厚く、七百人の梵僧をすべて十分に給養した。勅をもって流支を訳経の大匠とした。重ねて訳して二卷を成し、曇林がこれを受け、また序を製作した。題に「妙法蓮華經優婆提舎」とあり、初めに帰敬頌があるものがこれである。宝意の訳と大同小異である。そちらの題も同じく「妙法蓮華經優婆提舎」であるが、帰命頌はない。 この地（中国）にも論を作る者がいる。例えば胡吉蔵の『玄論』などであるが、詳しく述べることはできない。

## 法華傳卷第一

> 法華伝 巻第一