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title: "蘇婆呼童子請問經 · 3 法相分"
description: "蘇婆呼童子請問經，唐代密宗高僧輸波迦羅（善無畏）所譯，屬密教重要典籍。該經記載蘇婆呼童子向佛請教持誦真言、修行儀軌及戒律等問題，佛逐一開示密法修行要訣，涉及壇場建立、手印結持、供養次第等實修內容。此經反映唐代密宗初傳時期的教義與實踐，為漢傳密教提供了重要的理論與儀軌依據，是研究早期密宗發展的核心文獻之一，在佛教密乘體系中具有承先啟後的地位。"
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### 蘇磨呼請問法相分第三

「復次，貪等一切煩惱與心相應，名為生死。煩惱若除，心得清淨，諸佛說彼名為解脫。譬如淨水必無垢穢，以塵坌故令水渾濁；心性淨清亦復如是，以客塵煩惱渾心令濁。

「復次，數珠有其多種為緣，活兒子、蓮子、路陀羅二合、乞沙二合、水精、銅錫、木槵子、瑠璃、金銀鐵具，其數過百，隨取一類，以為數珠，虔心執持，如法念誦，以左右手執其珠剋誦，或用右手或左手應用，真言欲畢，俱時應𭶲，專心誦持，勿謬錯亂，繫心於尊。或於真言及以手印，調伏諸根，端坐尊前，心不散亂，微動兩脣，念持真言。此心由若風電獼猴，復如海波湖浪，搖動、諂曲、自在、耽著諸境，是故應須攝心不散，持誦真言。若生疲倦惽沈睡眠令心散亂，應起經行，或觀四方，或水滲灑令得醒悟。行者若生移動之心，即應便作如是對治：『是身無主，由業流轉一切諸趣，無所依止。捨此身後，復受餘形，其惡之業因斯不絕，生、老、病、死憂悲愁苦、愛別離苦、求不得苦、怨憎會苦，五盛蘊苦，隨所至方終不得免。蚊虻寒熱及以飢渴，如是等苦處處皆有。』心欲轉方以斯對治。貪若欲盛，修白骨觀之。行者喫食亦復如是，但除飢渴，不樂滋悅。譬如有人入於深磧，飢渴所逼，當食兒肉；行者喫食亦復如是，但除飢病，勿著其味。喻如秤物，隨重頭下，其物若輕，便即頭高，物若均平，其秤亦平；行者喫食亦復如是，不得過量，不應極少。譬如朽舍，時欲崩倒，不令壞故，以柱支持；行者喫食亦復如是，但為存身，勿貪其味。復如車行，當以油塗；為增善故，應須喫食。是故世尊說如斯法，欲界有情依食而住。行者觀身，猶若芭蕉，所喫飲食勿貪其味。於四種鉢隨取其一，前觀四肘，巡行乞食。世尊所說智慧方便，調伏六根，勿令放逸。女人令色巧笑嬌言，性愛矜莊，行步艶姿態動，男心迷惑醉亂，由如自性成就真言，寧以猛火燒鐵籌杖，刺捶雙目，令無所見，不以亂心觀視女人種種相貌美艶。隨緣乞食，莫生住著，以正思惟調伏其心，以牟尼行而入他舍。不擇上中下貧賤之家，又不應入新產生處，及眾多人飲酒之處，婬男婬女放逸之處，眾多小兒戲劇之處，於婚禮處、有惡狗處、眾多人論聚會之處，及以戲兒作音樂處，如上之處皆不應往。乞得食已，即還本處，以水洗足，分食為三分：一分供養本尊，一分通無礙，一分自食。依時而食，日三澡浴，復獻花香塗香讚嘆，莫闕三時，所供養食不應雜穢。念誦之時，應坐茅草，若心不辨諸供養物，但奉不共住。行者若不善思惟，速應遠離亦復如是，乃至一念勿使在心。譬如室內燃已，燈燭為防風故，燈焰轉明；持誦真言復加勤勇，善法增長亦復如是。

> また、数珠には様々な種類があります。ムクロジの実、ハスの実、ルドラクシャの実、サンゴ、水晶、銅、錫、木槵子、瑠璃、金、銀、鉄など、その数は百を超えます。これらのうち、いずれか一種を選んで数珠とし、敬虔な心で身に着け、教えの通りに唱えなさい。左右の手で数珠を繰りながら唱えるか、右手か左手のどちらかを用いなさい。真言が終わりに近づいたら、同時に息を整え、心を集中して唱え続け、誤りや乱れがあってはなりません。心を本尊に結びつけなさい。 真言や印（手の形）に心を集中し、感覚を調え、本尊の前に静かに座り、心を散らさず、唇をわずかに動かして真言を唱えなさい。この心は、風や雷、猿のように、また海の波や湖の波のように揺れ動き、曲がりくねり、好き勝手に振る舞い、様々な対象に執着します。ですから、心を散乱させずに集めて、真言を唱えなさい。 もし疲れたり、眠くなったり、ぼんやりして心が乱れてきたなら、立ち上がって歩き回るか、四方を見渡すか、あるいは水をまいて心を目覚めさせなさい。修行者に動揺する心が生じたなら、すぐにこう対処すべきです。「この体は主人のないものであり、業によって様々な世界を巡り、拠り所はない。この体を捨てた後、また別の姿を受け、悪業はそれによって絶えることなく、生・老・病・死、憂い悲しみ苦しみ、愛する者との別れの苦しみ、求めるものが得られない苦しみ、怨み憎む者と会う苦しみ、五蘊（身体と心）が盛んである苦しみが、どこへ行っても免れない」と。心が他の場所へ向かおうとする時も、このように対処しなさい。 もし貪りの気持ちが強いなら、白骨観（体の不浄を観想する修行）を行いなさい。修行者の食事もまた同じで、空腹と渇きを癒すためだけに摂り、美味しさを楽しんではなりません。例えば、誰かが深い砂漠に入り、飢えと渇きに苦しめられて、自分の子供の肉を食べるようなものです。修行者の食事もまた同じで、飢えの病を治すためだけに摂り、味に執着してはいけません。秤で物を量るように、重い方が下がり、軽い方が上がり、釣り合えば水平になります。修行者の食事もまた同じで、多すぎず、少なすぎてもいけません。例えば、古びた家が今にも崩れそうなのを、柱を支えて壊れないようにするようなものです。修行者の食事もまた同じで、ただ命を保つために摂り、味に執着してはいけません。また、車が走るのに油を塗るようなものです。善を増すために、食事を摂るべきなのです。それゆえ、世尊（釈迦）はこのような教えを説かれました。欲望の世界に生きる者たちは、食べ物によって命を支えているのです。 修行者は自分の体を、芭蕉（実がなると枯れる植物）のように儚いものと観じ、飲食物の味に執着してはいけません。四種類の鉢（托鉢用の容器）のうちのいずれかを用い、前方四肘（約二メートル）を見ながら、托鉢の行をしなさい。世尊が説かれた智慧と方便（巧みな手段）によって、六つの感覚（目・耳・鼻・舌・身・意）を調え、放逸にさせてはなりません。 女性の美しい姿、巧みな笑顔、媚びる言葉、生まれつきの気品と愛らしさ、歩く姿の艶やかさは、男の心を惑わし、酔わせ、乱します。たとえ自然界に本来備わる真言のようなものであっても、むしろ燃える鉄の棒で両目を刺し貫いて見えなくする方がましであり、乱れた心で女性の様々な姿や美しさを見てはなりません。 縁に任せて托鉢し、特定の場所に留まろうとせず、正しい思考で心を調え、聖者の行いで他人の家に入りなさい。上・中・下の貧しい家も選んではなりません。また、産婦のいる家、大勢の人々が酒を飲む場所、好色な男女のいる放埒な場所、多くの子供たちが遊んでいる場所、結婚式の場、凶暴な犬のいる場所、大勢の人が集まって議論している場所、大道芸や音楽の行われている場所には、入ってはいけません。これらの場所には決して行くべきではないのです。 托鉢で食べ物を得たら、すぐに自分の場所に戻り、水で足を洗い、食べ物を三つに分けなさい。一つは本尊に供え、一つはすべてのものと分かち合い、一つは自分のために食べなさい。定められた時間に食事をし、一日に三度、水浴びをし、花や香りや塗香（塗る香料）を捧げ、賛嘆しなさい。朝・昼・晩の三時を欠かしてはなりません。捧げる食べ物は、汚れたものであってはいけません。念誦の時は、茅（かや）の上に座りなさい。もし様々な供物を用意できないなら、ただ「不共住（共に住まないこと）」という態度を捧げなさい。 修行者は、もし正しく考えられないなら、すぐに遠ざかるべきです。たとえ一瞬であっても、心にとどめてはいけません。例えば、室内で灯明をともした時、風を防ぐためにかさをかぶせると、炎は明るく燃え上がります。真言を唱える修行もまた同じで、さらに努力を加えれば、善い行いも増えていくのです。

「復次，行者當具威儀。不得拍手、音樂、歌舞、婚禮、博戲及往觀看，亦不毀謗在家出家及慢過慢，相叉、相剋，及以諂曲、非時睡眠、無義談論、尋學文章及諸邪法，瞋恚忿恨、慳貪嬌慢、放逸懈怠、皆須遠離，亦不飲酒及以食肉，葱、蒜、韮薤、胡麻、蘿蔔及野蒜、步底那唐云驢駒蹄、胡麻油滓等並不應食，亦不得喫一切殘食、祭鬼神食，并供養食。如上之殘食皆不應食。

「復次，行者以勤持誦應度晝夜。念誦畢已，應如法發遣。敷以茅草，於彼而臥。欲睡之時，先作慈悲喜捨之觀，并於三寶及舍利塔深心恭敬，以如斯法，當滅諸罪。

> さらに、修行者は勤めてもっぱら読誦し、昼夜を過ごすべきである。読誦が終わったならば、正しく作法に従って（諸尊を）送り出すこと。茅草を敷いて、その上に臥すこと。眠ろうとする時には、まず慈・悲・喜・捨の観想を行い、また三宝および舎利塔に対して深く心から恭敬すること。このような方法によって、諸々の罪は滅ぼされるべきである。

「復次，行者服三白食，或菜根、菓、乳酪及蘇，大麥麵、餅、油滓、酪醬相和之食種種糜粥，若欲成就龍、鬼、藥叉、起屍法等入修羅宮猛利成就，應食麻滓和以酪漿。