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title: "蘇婆呼童子請問經 · 8 下缽私那分"
description: "蘇婆呼童子請問經，唐代密宗高僧輸波迦羅（善無畏）所譯，屬密教重要典籍。該經記載蘇婆呼童子向佛請教持誦真言、修行儀軌及戒律等問題，佛逐一開示密法修行要訣，涉及壇場建立、手印結持、供養次第等實修內容。此經反映唐代密宗初傳時期的教義與實踐，為漢傳密教提供了重要的理論與儀軌依據，是研究早期密宗發展的核心文獻之一，在佛教密乘體系中具有承先啟後的地位。"
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### 蘇磨呼請問下鉢私那分第八

> 蘇磨呼請問下鉢私那分第八

「若欲問事下鉢私那者，於如是處，應當請召，所謂手指、銅鏡、清水、橫刀、燈炎、寶地、虛空、尊像、童子、真珠、火聚、石等。於如是處鉢私那下，請召來已，當自說天上人間，及過去未來現在，超越三世善惡等事，一一具說。法若聞不依法，持真言字數或有加減，不經誦，不具正信，亦不供養，於不淨地，天不睛明，童子身分或勝或劣，有斯過等，私那不下。若欲請下，初應持誦私那真言，持誦功畢，即於白月八日，或十四日、十五日，是日不食，以瞿摩用塗其地，如牛皮像，即持童子澡浴清淨，著新白衣坐於其上，以花香等而為供養。自亦於內面向東，坐茅草上。若欲令彼鏡面手下看，先取其鏡，以梵行婆羅門護摩之灰揩拭令淨，或七八遍乃十遍，即時置於漫荼羅內，處中仰看，鏡中即現世出世事。若復欲下橫刀，法亦如鏡。若欲令於手指所下看，先以紫穬水洗自指頭，後已香油塗之。若欲令於水中下看，淨濾之水瀉於瓶內，然後童子於中見事。若欲令下於空地及真珠看，以淨水灑。若欲令於尊像所，身或殺持戒清淨比丘、比丘尼，優婆塞迦、優婆私迦，或燒伽藍，犯斯罪者，假令勤苦亦不成就。於三寶處，有所害心，少分損害，我今略說彼所受報。如是人等墮無間獄，從彼得出，以不善業故，生貧賤家。雖初發無上菩提之心，後還禮拜外道天等，彼諸天神於其人所却生瞋害，持誦真言，終不成就。彼從發菩提心後，諸天及人即應供養，彼亦荷檐一切眾生，及施無畏，紹繼三寶。是故不應禮拜諸天，或作猛害之事，及殺仙人，破明主真言，瞋心故不復供養眾，無故以手斷壞草木，以足踐蹋蓮花及諸契印，亦復禮拜藥叉等類，復喫供養及祭祀鬼神之食，或喫所棄著地之食，或於畜生行非法行，或與女人於清淨處行非法事，以無明及藥捉諸蛇類，或乘象馬及狗牛驢，欲令去故以杖打之，於病患者及遭苦難，於彼等處不發慈悲。如是人等真言不成。譬如虛空終不可量，於三寶處，行欲益反損，獲善惡報，亦復如是。又復以網羂索及諸方便，傷害眾生，及畜獚兒羖羊，籠禁鸚鵡及諸鳥類，如是之人，今世後世亦不成就。是故不應受用供養世尊之物，所供養食亦不應踐，不應食蹋墮地之食，供養之物不應頂戴，不應禮拜大自在及日月天、火天及以那羅延天，假令遭苦，亦不應禮，彼所說教不應習讀，不應供養行彼法人。於彼自當說三世之事，得利失利及得苦樂等。所聞之教宜甘受持，勿生疑惑。所問事畢，即速發遣。若具此法，私那速下。若不依法，不得成就，為人所笑。

> 問い事を占おうとして「鉢私那」を下したいなら、以下の場所で召請すべきである。すなわち、指、銅鏡、清水、横刀、灯明、宝玉、虚空、尊像、童子、真珠、火焔、石などの場である。このような場所に鉢私那を下して召請したならば、その者は自ら天上・人間、そして過去・未来・現在の三世を超えた善悪の事柄を、一つ一つ詳しく語るであろう。 しかし、たとえその法を聞いても、法に従わず、真言の字数を増減したり、定めのない誦経をしたり、真の信仰を持たず、供養もせず、不浄な場所で行い、天候が晴れず、童子の身分が優れていたり劣っていたりするなど、これらの過ちがあれば、私那は下りない。 もし私那を下したいなら、まず私那の真言を誦え、その功徳が完了したら、白月の八日、十四日、または十五日に、その日は断食し、牛糞で地面を塗り、革の敷物のようにする。そして童子を清らかに沐浴させ、新しい白い衣を着せてその上に座らせ、花や香などで供養する。自身も中に向かって東を向き、茅の上に座る。 もし鏡の中や手の下で見させたいなら、まずその鏡を取り、清らかな行いをする婆羅門の護摩の灰で拭いて清め、七、八回あるいは十回ほど拭いてから、曼荼羅の中に置き、向かって仰ぎ見させると、鏡の中に世の中と世を超えた事柄が現れる。 もし横刀を下したいなら、その方法も鏡と同様である。もし指の下で見させたいなら、まず紫の穬水で自分の指先を洗い、その後、香油を塗る。もし水の中を下して見させたいなら、清らかに濾した水を瓶に注ぎ、童子がその中に事柄を見る。もし空地や真珠の下で見させたいなら、清らかな水をまく。もし尊像の前で行うなら、身分として戒律を守る清らかな比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷を殺したり、伽藍を焼いたりする罪を犯した者は、たとえ勤め苦しんでも成就しない。 三宝に対して害心を抱き、少しでも損なう行為をしたなら、私はその受ける報いを略説しよう。そのような人は無間地獄に堕ち、そこから出ても、不善の業によって貧賤の家に生まれる。初めは無上の菩提心を発しても、後に外道の天などを礼拝する。そのような人のところには、天神たちはかえって怒り害心を生じさせ、真言を誦えても決して成就しない。その人が菩提心を発した後は、諸天や人はただちに供養すべきであり、その人はまた一切の众生を担い、無畏を施し、三宝を継承する。それゆえに、諸天を礼拝したり、猛害をなすことや仙人を殺したり、明主の真言を破ったり、怒りの心によって众生を供養しなかったり、理由なく手で草木を断ち壊したり、足で蓮華や諸々の印契を踏んだり、また薬叉などの類を礼拝したり、供養や祭祀の鬼神の食べ物を食べたり、地面に捨てられた食べ物を食べたり、畜生と非法の行いをしたり、女人と清らかな場所で非法の行いをしたり、無知や薬によって蛇などを捕まえたり、象・馬・犬・牛・驢馬などに乗り、去らせようとして杖で打ったり、病者や苦難に遭っている者に対して慈悲の心を起こさなかったりする。このような人は真言が成就しない。例えば虚空がはかり知れないように、三宝に対して利益を求めようとしてかえって損ない、善悪の報いを受けるのもまた同じである。 さらに、網や罠や様々な方便で众生を傷つけたり、猟犬や羊を飼ったり、鸚鵡や鳥類を籠に閉じ込めたりする。このような人は、現世でも後世でも成就しない。それゆえ、世尊の供養物を受用すべきではなく、供養された食べ物を踏んでもならず、地面に落ちた食べ物を食べてもならず、供養の品を頭に載せてもならず、大自在天や日月天、火天、那羅延天を礼拝すべきではない。たとえ苦しみに遭っても礼拝すべきではなく、彼らの教えを習読すべきではなく、その法を行う者を供養すべきではない。その者自身が三世の出来事、利益や不利益、苦楽などを語るであろう。聞いた教えは甘んじて受持ち、疑いを起こしてはならない。問い事が終わったら、すぐに送り返すべきである。これらの法を備えていれば、私那は速やかに下りる。もし法に従わなければ、成就せず、他人の笑いものとなる。

「復次私那自下，彼童子等面貌熙怡，容顏滋潤，眼目廣長，遶黑睛外微有赤色，精神意氣有大人相，出入息斷眼亦不瞬。即當應知，是真私那。若魔等下，即別有相，眼赤復圓，如人瞋視，眼睛不轉，張口怖畏，亦無出入之息，眼亦不瞬。即應當知，藥叉等下，速須發遣。若不肯去，即便應誦妙吉祥偈，或誦不淨忿怒金剛真言，或誦杭斯尼使者真言，或誦金剛真言，或讀大集陀羅尼經。如上讀誦，若不去者，即以師子座真言，用閼迦木，或波羅賒木，與藉相應護摩百遍。或以胡麻，或稻穀花蘇蜜相和，護摩百遍。最後已軍荼利真言護摩七遍，或已三遍即便捨去。智者善解如是妙法，復能一一如法修行，不久勞苦而獲成就。

> また、私那（シナ）の下に現れる童子たちは、顔つきが穏やかで、肌つやが良く、目は大きく長く、黒目の周りにわずかに赤みがあり、精神と気力に大人の風格がある。出入りの息は途絶え、まばたきもしない。これが真の私那であると知るべきである。 もし魔などの下に現れるならば、別の相がある。目は赤くて丸く、人が怒ってにらみつけるようであり、目玉は動かず、口を開けて恐ろしげで、出入りの息もなく、まばたきもしない。これは薬叉などの類であると知るべきで、速やかに追い払う必要がある。 もし去ろうとしないならば、すぐに妙吉祥の偈を唱え、あるいは不浄忿怒金剛の真言を唱え、あるいは杭斯尼（クシニ）の使者の真言を唱え、あるいは金剛の真言を唱え、あるいは大集陀羅尼経を読誦すべきである。 上記のように読誦しても去らないならば、師子座の真言を用い、閼迦木（アカギ）または波羅賒木（ハラシャギ）を、相応の護摩として百回焚く。あるいは胡麻または稲の花を、蘇と蜜と混ぜ合わせて、護摩を百回行う。 最後に、軍荼利（グンダリ）の真言で護摩を七回、あるいは三回行えば、すぐに去っていく。 智者はこのような妙法をよく理解し、さらに一つひとつ法に従って修行すれば、長く苦労することなく成就を得ることができる。