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title: "菩薩戒疏隨見錄 · 性戒"
description: "菩薩戒疏隨見錄由明末高僧蕅益智旭今釋大師造。該書撰於明末佛教復興期是對菩薩戒本的重要註疏。內容系統闡釋梵網經菩薩戒的戒相持犯及深層義理融匯天台與律學思想。其特色在於結合實修以隨見錄形式提挈綱要契理契機。在漢傳佛教中該疏被尊為菩薩戒研究的權威典籍之一對明清以降的戒律實踐與菩薩道弘傳影響深遠為居士菩薩戒的重要理論依據。"
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### 性戒

> 性戒

聲聞律。有性戒遮戒。四波羅夷名性罪。曰法爾性中有罪。非佛結戒始禁。故餘悉遮罪。大乘因之亦以十重中。前四為性罪。此乖心地義。夫自性清淨云者。尚不著善染汗。豈復著惡染汗。則性且無性。容有罪耶。於內外中間。覓罪性不可得。容有罪性耶。一切眾生。以貪瞋癡。而成罪業。蓋是習耳。習為罪因。罪為習果。因果法爾。習無習性。罪無罪性。而況於性。若謂餘罪由律始禁。則無律亦不成罪。是如來有故作故。入之愆也。夫謂之性戒。則一切輕戒。皆性戒。以其能障性使不現。故性既被障。是名性戒。即一切戒。皆具性義。他不具論。如優婆塞。以一飲酒。而四戒悉破。故謂之遮戒。則一切重罪。皆遮戒。亦以其能障。性使不現故。遮不使障。是名遮戒。即一切戒。皆具遮義。他不具論。亦如優婆塞。以一飲酒。而四戒悉破故。如是則如來結戒不過遮。其能為性障者。性本無罪。障有深淺。而遮始有重輕。一切戒皆遮戒。即皆性戒。然不可云性罪以與自性清淨相違。故學大乘者。不宜與聲聞無辨也。

> 声聞戒には「性戒（しょうかい）」と「遮戒（しゃかい）」があります。四つの波羅夷（はらい）は「性罪」と呼ばれ、それは「法爾（ほおに）として、その性質自体に罪がある」という意味であり、仏が戒律を定めたから初めて禁じられたものではありません。そのため、それ以外はすべて遮戒です。 大乗仏教もこれに基づき、十重戒の中で、初めの四つを性罪としています。しかし、これは「心地」の教えにそぐいません。なぜなら、「自性清浄」とは、善や汚れにも執着しない境地であり、まして悪や汚れに執着するはずがないからです。そうであれば、「性」そのものが「性なし」なのです。どうして「罪」があり得るでしょうか。内外や中間において、罪の性質を探しても見つけられません。どうして罪の性質があると言えるでしょうか。 すべての生きとし生けるものは、貪り、怒り、愚かさによって罪の業を積みます。これは「習い」（習慣）によるものです。習慣が罪の原因であり、罪は習慣の結果です。因果は自然の理法です。習慣には習慣としての本質はなく、罪には罪としての本質はありません。まして「性」が実体として存在するはずがありません。 もし、他の罪は戒律があって初めて禁じられるものだと言うなら、戒律がなければ罪も成立しないことになります。それは如来がわざわざ作り出した欠点ということになってしまいます。 「性戒」というなら、軽い戒めもすべて性戒です。それは、本来の清らかな性質を覆い隠すからです。性質が覆われることを防ぐという点で、これを性戒と呼びます。つまり、すべての戒めは性としての意味を持っているのです。他に例を挙げるまでもなく、例えば在家信者が一度酒を飲んだだけで、四つの戒めすべてを破ることからも明らかです。 同様に、「遮戒」というなら、すべての重い罪も遮戒です。やはり、本来の清らかな性質を覆い隠すからです。覆いを遮って性質が現れるようにする、それが遮戒です。つまり、すべての戒めは遮りとしての意味を持っているのです。先ほどと同様、在家信者が一度酒を飲んで四戒すべてを破る例で十分でしょう。 このように考えるなら、如来が戒律を定めたのは、あくまで清らかな性質を覆い隠すものを遮るためです。本来、性質そのものに罪はありません。覆いには深いものも浅いものもあり、それに応じて遮りにも重いものと軽いものが出てくるのです。 結局のところ、すべての戒めは遮戒であると同時に、すべて性戒でもあります。しかし、「性罪」という言葉は自性清浄の教えに反するため、用いるべきではありません。大乗を学ぶ者は、声聞と区別なく考えてはならないのです。