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title: "佛說立世阿毘曇論 · 21 受生品"
description: "佛說立世阿毘曇論由真諦三藏於南朝陳代譯出，屬阿毘曇類論典。該論以佛教宇宙觀為核心，系統闡述世間與出世間的結構、眾生業力與輪迴關係，並詳釋世界成住壞空過程。其內容融合說一切有部思想，兼具經律論三藏特質，為研究早期佛教宇宙論與哲學體系的重要文獻。該論不僅助益修行者理解因果法則，亦為漢傳阿毘曇學發展奠定基礎，在佛教思想史與典籍傳承中具有承先啟後的地位。"
url: "https://rushiwowen.co/ja/r/cmcwz7lt8020ejl04bsl77z7i"
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## 佛說立世阿毘曇論卷第七

> 仏説立世阿毘曇論　第七巻

陳西印度三藏真諦譯

> 陳西印度三蔵真諦訳

### 受生品第二十一

> 受生品第二十一

「造十惡業道最極重者，生大阿毘止地獄；若次造輕惡，次生餘輕地獄；若復輕者，次生閻羅八輕地獄；若復輕者，次生禽獸道；若復輕者，次生鬼道；若造最輕十善業道，生剡浮提最下品家，或生除糞家、或生屠膾家、或生作樂家、或生工巧家、或生兵廝家。若造次勝者則生長者家，又次勝者生婆羅門家，復勝此者生剎利家；若復勝者生西瞿耶尼，次復勝者生東弗婆提，次勝者生北欝單越，次勝者生四天王，次勝者生忉利天，次勝者生夜摩天，次勝者生兜駛多天，次勝者生化樂天。若造最勝十善業道，生他化自在天。

> 十の悪い行いを最も重く犯した者は、大阿鼻地獄に生まれる。少し軽い悪を犯せば、次に軽い地獄に生まれる。さらに軽ければ、閻魔の八つの軽い地獄に生まれる。もっと軽ければ、鳥や獣の道に生まれ、さらに軽ければ餓鬼の道に生まれる。最も軽い十の善い行いをすれば、閻浮提の最も下の家に生まれる。例えば、糞掃きの家、屠殺の家、楽師の家、職人の家、兵士の家などである。少し勝れた善行をすれば、長者の家に生まれ、さらに勝れれば婆羅門の家に、それより勝れれば剎帝利の家に生まれる。さらに勝れれば西瞿耶尼洲に、次に勝れれば東弗婆提洲に、次に勝れれば北欝単越洲に、次に勝れれば四天王天に、次に勝れれば忉利天に、次に勝れれば夜摩天に、次に勝れれば兜率天に、次に勝れれば化楽天に生まれる。最も勝れた十の善い行いをすれば、他化自在天に生まれる。

「若凡夫人者修習四種禪定，各有三品，謂下、中、上。是人因下品初禪相應業生，梵先行天，因是業得此天道、得天壽命、得天住、得天同類。已生於彼受業果報，有二種樂：一無逼樂、二者受樂。是業熟已，被用無餘。因中品初禪相應業，於梵眾天生，因上品業亦生此天，因是業已得天道、得天壽命、得天住、得天同類。已生於彼受業果報，有二種樂：一無逼樂、二名受樂。是業熟已，被用無餘。因二禪下品相應業，因此業故生少光天，因中品二禪相應業，生無量光天，因上品二禪相應業，生勝遍光天，因是業得天道、得天壽命、得天住、得天同類。已生於彼受業果報，有二種樂，一無逼樂、二者受樂。是業熟已，被用無餘。因下品三禪相應業，生少淨天，因中品三禪相應業，生無量淨天，因上品三禪相應業，生遍淨天，因是業得此天道、得天壽命、得天住、得天同類。已生於彼受業果報，有二種樂：一無逼樂、二者受樂。是業熟已，被用無餘。因下品四禪相應業，生無雲天，因中品四禪相應業，生受福天，因上品四禪相應業，生廣果天，因是業故得此天道、得天壽命、得天住、得天同類。已生於彼受業果報，有無逼樂，無復受樂。是業熟已，被用無餘。諸凡夫人隨餘業故，餘處受生。

> 凡夫が四種類の禅定を修習する場合、それぞれに下品・中品・上品の三つの階位があります。 この人が下品の初禅に相応する業によって生まれると、梵先行天に生まれます。この業によって天道を得て、天の寿命を得て、天の住処を得て、天の同類を得るのです。そこに生まれた後、業の果報として二種類の楽を受けます。一つは無逼楽（苦しみのない安楽）、もう一つは受楽（感受される喜び）です。この業が熟して果報を受けた後、完全に使い果たされます。 中品の初禅に相応する業によっては梵衆天に生まれ、上品の業によってもこの天に生まれます。この業によって天道を得て、天の寿命を得て、天の住処を得て、天の同類を得るのです。そこに生まれた後、業の果報として二種類の楽を受けます。一つは無逼楽、もう一つは受楽です。この業が熟して果報を受けた後、完全に使い果たされます。 下品の二禅に相応する業によっては少光天に生まれ、中品の二禅に相応する業によっては無量光天に生まれ、上品の二禅に相応する業によっては勝遍光天に生まれます。この業によって天道を得て、天の寿命を得て、天の住処を得て、天の同類を得るのです。そこに生まれた後、業の果報として二種類の楽を受けます。一つは無逼楽、もう一つは受楽です。この業が熟して果報を受けた後、完全に使い果たされます。 下品の三禅に相応する業によっては少浄天に生まれ、中品の三禅に相応する業によっては無量浄天に生まれ、上品の三禅に相応する業によっては遍浄天に生まれます。この業によって天道を得て、天の寿命を得て、天の住処を得て、天の同類を得るのです。そこに生まれた後、業の果報として二種類の楽を受けます。一つは無逼楽、もう一つは受楽です。この業が熟して果報を受けた後、完全に使い果たされます。 下品の四禅に相応する業によっては無雲天に生まれ、中品の四禅に相応する業によっては受福天に生まれ、上品の四禅に相応する業によっては広果天に生まれます。この業によって天道を得て、天の寿命を得て、天の住処を得て、天の同類を得るのです。そこに生まれた後、業の果報として無逼楽を受けますが、受楽はもはやありません。この業が熟して果報を受けた後、完全に使い果たされます。 凡夫たちは、残りの業に従って、他の場所で生を受けます。

「若凡夫人修習四無量心，各有三品，謂下、中、上。慈無量者如是修習、如是數行，如四種禪定。喜無量者如是修習、如是數行，如初禪、如二禪。悲無量者如是修習、如是數行，如第四禪。捨無量者如是修習、如是數行，如第三禪及第四禪。

> もし凡夫が四無量心を修習するならば、それぞれに下・中・上の三品がある。慈無量は、このように修習し、このように繰り返し行うことは、四種の禅定のようである。喜無量は、このように修習し、このように繰り返し行うことは、初禅のようであり、二禅のようである。悲無量は、このように修習し、このように繰り返し行うことは、第四禅のようである。捨無量は、このように修習し、このように繰り返し行うことは、第三禅および第四禅のようである。

「是凡夫人修習不淨觀，各有三品，謂下、中、上。無憎違行不淨觀如是修習、如是數行，如四種禪定。有憎違行不淨觀如是修習、如是數行，如第四禪。

> 凡夫が不浄観を修習するには、それぞれ下・中・上の三品があります。憎しみや違和感を伴わない不浄観をこのように修習し、このように繰り返し行うことは、四種の禅定のようであり、憎しみや違和感を伴う不浄観をこのように修習し、このように繰り返し行うことは、第四禅のようです。

「是凡夫人修習阿那波那念，各有三品，謂下、中、上。如是修習如是數行，如前三種禪定。

> 凡夫が阿那波那念を修習する際、それぞれ三つの段階があります。下品、中品、上品です。このように修習し、このように回数を重ねることは、先に述べた三種の禅定と同じです。

「凡夫人修習五有想，各有三品，謂下、中、上。何者為五？一不淨想、二過失想、三死墮想、四饜食想、五一切世間無安想。無憎違不淨想者，如是修習如是數行，如四種禪定。有憎違不淨想及後四想，如是修習如是數行，如第四禪。

> 凡夫が五つの想いを修習する際、それぞれに下・中・上の三品があります。その五つとは何か。 一、不浄想 二、過失想 三、死堕想 四、厭食想 五、一切世間無安想 憎しみや嫌悪を伴わない不浄想は、四禅定のように修習し、繰り返し行います。憎しみや嫌悪を伴う不浄想と、後の四つの想いは、第四禅のように修習し、繰り返し行います。

「是凡夫人修習八種遍入，各有三品，謂下、中、上。何等為八？一、內有色想觀外色少，是少者或妙或麁，我遍此想得知得見如是有想；二、內有色想觀外色無量，或妙或麁，我遍此想能知能見作如是想；三、內無色想觀外色少如前；四、內無色想觀外色無量亦如前；五、六、七、八者，並於內無色想觀四色，謂青、黃、赤、白，我遍此想能知能見，作如是想。此八想中是第一第二，如是修習如是數行，如四禪定。後六想者，如是修習如是數行，如第四禪。

> これは凡夫の人が修習する八種の遍入で、それぞれに三品、すなわち下・中・上があります。どのような八種でしょうか。 一、内に色想があり、外の色を少なく観じます。この「少ない」というのは、あるいは妙（微細）であるか、あるいは麁（粗大）であるかです。私はこの想を遍くし、これを知り、これを見る、このような想を得ます。 二、内に色想があり、外の色を無量に観じます。あるいは妙であるか、あるいは麁であるかです。私はこの想を遍くし、これを知り、これを見ることができる、このような想を作ります。 三、内に色想がなく、外の色を少なく観じます。先の第一と同じです。 四、内に色想がなく、外の色を無量に観じます。これも先の第二と同じです。 五、六、七、八は、いずれも内に色想がなく、四つの色、すなわち青・黄・赤・白を観じます。私はこの想を遍くし、これを知り、これを見ることができる、このような想を作ります。 この八つの想のうち、第一と第二は、このように修習し、このように数多く行うことは、四禅定のようです。 後の六つの想は、このように修習し、このように数多く行うことは、第四禅のようです。

「是凡夫人修習十一切入，各有三品，謂下、中、上。是八一切入，如是修習如是數行，如第四禪。後二一切，如是修習如是數行，如其自地，空一切入如空無邊入，識一切入如識無邊入。

> 凡夫の人が十一切処を修習するとき、それぞれに下品・中品・上品の三つの段階があります。八一切処については、第四禅と同じように修習し、同じように数えながら行じます。後の二つの一切処、すなわち空一切処と識一切処については、それぞれの境地に応じて修習します。空一切処は空無辺処のように、識一切処は識無辺処のように行じるのです。

「是凡夫人修習四無色三摩跋提，各有三品，謂下、中、上。是人由下品空處相應業，生空無邊入天，由中品空無邊入相應業，亦生此天，由上品空無邊入相應業，亦生此天，因是業故得天道、得天壽命、得天住、得天同類。生於彼已受業果報，有無逼樂，無有受樂。是業熟已，被用無餘。因下品識無邊入相應業生，識無邊入天，由中品識無邊入相應業，亦生此天，因上品識無邊入相應業，亦生此天，因是業故得天道、得天壽命、得天住、得天同類。生於彼已受業果報，唯無逼樂，無有受樂。是業熟已，被用無餘。因下品無所有入相應業，生無所有入天，因中品無所有入相應業，亦生此天，因上品無所有入相應業，亦生此天。因是業故得天道、得天壽命、得天住、得天同類。生於彼已受業果報，唯無逼樂，無有受樂。是業熟已，被用無餘。因下品非想非非想入相應業，生非想非非想入天，因中品非想非非想入相應業，亦生此天，因上品非想非非想入相應業，亦生此天，因是業故得天道、得天壽命、得天住、得天同類。生於彼已受業果報，唯無逼樂，無有受樂。是業熟已，被用無餘。是凡夫人隨後報業，餘處受生。是凡夫人修習四禪定已生已得，從此一切更復退失。是人住下品初禪中，是人由下品初禪相應業生梵先行天，生於彼已受下品初禪業報，得無逼樂及與受樂。受中品、上品初禪及二禪業果報，於此生中得受無逼樂及以受樂。第三禪及第四禪亦此生中受業果報，但無逼樂，無有受樂。是業熟已被用無餘，隨後報業餘處受生。餘中品上品初禪亦如是。凡夫人修習四禪已生已得，從此一切更復退失。是人住下品二禪中，是人由下品二禪相應業，生少光天，生於彼已受下品二禪業報，得無逼樂及與受樂。受中品、上品第二禪及初禪業報，於此生中得無逼樂及與受樂。第三禪及第四禪此生中受果報，但無逼樂，無有受樂。是業熟已被用無餘，隨後報業餘處受生。餘中品上品二禪亦如是。是凡夫人修習四禪已生已得，從此一切更復退失。是人住下品三禪中，由下品三禪相應業，生少淨天，生於彼已受下品三禪業報，得無逼樂及與受樂。受中品上品第三禪業報，於此生中得無逼樂及與受樂。初禪、二禪及第四禪業報，受無逼樂，無有受樂。是業熟已被用無餘，隨後報業餘處受生。餘中品上品三禪亦如是。是凡夫人修習四禪已生已得，從此一切更復退失。是人住下品四禪中，由下品四禪相應業，生無雲天，生於彼已受下品四禪業報，得無逼樂，無有受樂。受中品上品第四禪及餘三禪業報，於此生中得無逼樂，無有受樂。是業熟已被用無餘，凡夫人隨後報業餘處受生。餘四禪中品上品亦如是。是凡夫人修習四禪及四無色定已生已得，從此一切更復退失。是人住下品空無邊入，由下品空無邊入相應業，生空無邊入天，生於彼已受下品空無邊入果報，得無逼樂，無有受樂。受中品上品空無邊入，及上三無色定果報，於此生中得受無逼樂，無有受樂。是業熟已被用無餘，是凡夫人隨後報業餘處受生。餘中品上品空無邊入亦如是。是凡夫人修習四禪及四無色定已生已得，從此一切更復退失。是人住下品識無邊入，由下品識無邊入相應業，生識無邊入天，生於彼已，受下品識無邊入業報，得無逼樂，無有受樂。受中品上品識無邊入，及初後三無色業報，於此生中得無逼樂，無有受樂。是業熟已被用無餘，是凡夫人隨後報業餘處受生。餘識無邊入中品上品亦復如是。是凡夫人修習四禪及四空定已生已得，從此一切更復退失。是人住下品無所有無邊入，由下品無所有無邊入相應業，生無所有無邊入天，生於彼已，受下品無所有無邊入業報，得無逼樂，無有受樂。受中品上品無所有無邊入，及前後三無色業報，於此生中得無逼樂，無有受樂。是業熟已被用無餘，是凡夫人隨後報業餘處受生。餘中品上品亦復如是。是凡夫人修習四禪及四無色定已生已得，從此一切更復退失。是人住下品非想非非想無邊入，由下品非想非非想無邊入相應業，生非想非非想無邊入天，生於彼已，受下品非想非非想無邊入果業，得無逼樂，無有受樂。受中品上品非想非非想無邊入，及前三無色業報，於此生中得無逼樂，無有受樂。是業熟已被用無餘，是凡夫人隨後報業餘處受生。餘中品上品亦復如是。」

> 凡夫が四つの無色定を修習する場合、それぞれに下・中・上の三品があります。この人は、下品の空無辺処定に相応する業によって空無辺処天に生まれ、中品の空無辺処定に相応する業によってもこの天に生まれ、上品の空無辺処定に相応する業によってもこの天に生まれます。この業によって天の道を得、天の寿命を得、天の住処を得、天の同類を得ます。そこに生まれた後、業の果報を受け、苦しみのない楽はありますが、感受する楽はありません。この業が熟して尽きると、後の報いを受ける業によって別の所に生まれ変わります。 下品の識無辺処定に相応する業によって識無辺処天に生まれ、中品の識無辺処定に相応する業によってもこの天に生まれ、上品の識無辺処定に相応する業によってもこの天に生まれます。この業によって天の道を得、天の寿命を得、天の住処を得、天の同類を得ます。そこに生まれた後、業の果報を受け、苦しみのない楽はありますが、感受する楽はありません。この業が熟して尽きると、後の報いを受ける業によって別の所に生まれ変わります。 下品の無所有処定に相応する業によって無所有処天に生まれ、中品の無所有処定に相応する業によってもこの天に生まれ、上品の無所有処定に相応する業によってもこの天に生まれます。この業によって天の道を得、天の寿命を得、天の住処を得、天の同類を得ます。そこに生まれた後、業の果報を受け、苦しみのない楽はありますが、感受する楽はありません。この業が熟して尽きると、後の報いを受ける業によって別の所に生まれ変わります。 下品の非想非非想処定に相応する業によって非想非非想処天に生まれ、中品の非想非非想処定に相応する業によってもこの天に生まれ、上品の非想非非想処定に相応する業によってもこの天に生まれます。この業によって天の道を得、天の寿命を得、天の住処を得、天の同類を得ます。そこに生まれた後、業の果報を受け、苦しみのない楽はありますが、感受する楽はありません。この業が熟して尽きると、後の報いを受ける業によって別の所に生まれ変わります。これらは凡夫が後の報いを受ける業によって別の所に生まれ変わるのです。 凡夫が四つの禅定を修習して得た後、すべてを再び退失します。この人が下品の初禅に住む場合、下品の初禅に相応する業によって梵先行天に生まれます。そこに生まれた後、下品の初禅の業報を受け、苦しみのない楽と感受する楽を得ます。中品・上品の初禅および第二禅の業果報を、この生の中で苦しみのない楽と感受する楽として受けます。第三禅および第四禅の業果報もこの生の中で受けますが、苦しみのない楽はあっても、感受する楽はありません。この業が熟して尽きると、後の報いを受ける業によって別の所に生まれ変わります。中品・上品の初禅についても同様です。 凡夫が四つの禅定を修習して得た後、すべてを再び退失します。この人が下品の第二禅に住む場合、下品の第二禅に相応する業によって少光天に生まれます。そこに生まれた後、下品の第二禅の業報を受け、苦しみのない楽と感受する楽を得ます。中品・上品の第二禅および初禅の業報を、この生の中で苦しみのない楽と感受する楽として受けます。第三禅および第四禅の業果報もこの生の中で受けますが、苦しみのない楽はあっても、感受する楽はありません。この業が熟して尽きると、後の報いを受ける業によって別の所に生まれ変わります。中品・上品の第二禅についても同様です。 凡夫が四つの禅定を修習して得た後、すべてを再び退失します。この人が下品の第三禅に住む場合、下品の第三禅に相応する業によって少浄天に生まれます。そこに生まれた後、下品の第三禅の業報を受け、苦しみのない楽と感受する楽を得ます。中品・上品の第三禅の業報を、この生の中で苦しみのない楽と感受する楽として受けます。初禅・第二禅および第四禅の業報は、苦しみのない楽を受けますが、感受する楽はありません。この業が熟して尽きると、後の報いを受ける業によって別の所に生まれ変わります。中品・上品の第三禅についても同様です。 凡夫が四つの禅定を修習して得た後、すべてを再び退失します。この人が下品の第四禅に住む場合、下品の第四禅に相応する業によって無雲天に生まれます。そこに生まれた後、下品の第四禅の業報を受け、苦しみのない楽はありますが、感受する楽はありません。中品・上品の第四禅および他の三禅の業報を、この生の中で苦しみのない楽として受けますが、感受する楽はありません。この業が熟して尽きると、凡夫は後の報いを受ける業によって別の所に生まれ変わります。第四禅の中品・上品についても同様です。 凡夫が四つの禅定および四つの無色定を修習して得た後、すべてを再び退失します。この人が下品の空無辺処定に住む場合、下品の空無辺処定に相応する業によって空無辺処天に生まれます。そこに生まれた後、下品の空無辺処定の果報を受け、苦しみのない楽はありますが、感受する楽はありません。中品・上品の空無辺処定および上の三つの無色定の果報を、この生の中で苦しみのない楽として受けますが、感受する楽はありません。この業が熟して尽きると、凡夫は後の報いを受ける業によって別の所に生まれ変わります。空無辺処定の中品・上品についても同様です。 凡夫が四つの禅定および四つの無色定を修習して得た後、すべてを再び退失します。この人が下品の識無辺処定に住む場合、下品の識無辺処定に相応する業によって識無辺処天に生まれます。そこに生まれた後、下品の識無辺処定の業報を受け、苦しみのない楽はありますが、感受する楽はありません。中品・上品の識無辺処定および初めと後の三つの無色定の業報を、この生の中で苦しみのない楽として受けますが、感受する楽はありません。この業が熟して尽きると、凡夫は後の報いを受ける業によって別の所に生まれ変わります。識無辺処定の中品・上品についても同様です。 凡夫が四つの禅定および四つの無色定を修習して得た後、すべてを再び退失します。この人が下品の無所有無辺処定に住む場合、下品の無所有無辺処定に相応する業によって無所有無辺処天に生まれます。そこに生まれた後、下品の無所有無辺処定の業報を受け、苦しみのない楽はありますが、感受する楽はありません。中品・上品の無所有無辺処定および前後の三つの無色定の業報を、この生の中で苦しみのない楽として受けますが、感受する楽はありません。この業が熟して尽きると、凡夫は後の報いを受ける業によって別の所に生まれ変わります。中品・上品についても同様です。 凡夫が四つの禅定および四つの無色定を修習して得た後、すべてを再び退失します。この人が下品の非想非非想無辺処定に住む場合、下品の非想非非想無辺処定に相応する業によって非想非非想無辺処天に生まれます。そこに生まれた後、下品の非想非非想無辺処定の果業を受け、苦しみのない楽はありますが、感受する楽はありません。中品・上品の非想非非想無辺処定および前三つの無色定の業報を、この生の中で苦しみのない楽として受けますが、感受する楽はありません。この業が熟して尽きると、凡夫は後の報いを受ける業によって別の所に生まれ変わります。中品・上品についても同様です。

佛世尊聖弟子修習四禪，各有三品，謂下、中、上。是人由下品初禪相應業，生梵先行天，因是業得彼天道、得天壽命、得天住、得天同類。已生於彼受業果報，有二種樂：一無逼樂、二者受樂。是業熟已，被用無餘。因中品初禪相應業，生梵眾天，因上品業亦生此天，因是業得天道、得天壽命、得天住、得天同類。已生於彼受業果報，有二種樂：一無逼樂、二者受樂。是業熟已，被用無餘。因二禪下品相應業，因此業故生少光天，因中品二禪相應業，生無量光天，因上品二禪相應業，生勝遍光天，因是業得天道、得天壽命、得天住、得天同類。已生於彼受業果報，有二種樂：一無逼樂、二者受樂。是業熟已，被用無餘。因下品三禪相應業，生少淨天，因中品三禪相應業，生無量淨天，因上品三禪相應業，生遍淨天，因是業得此天道、得天壽命、得天住、得天同類。已生於彼受業果報，有二種樂：一無逼樂、二者受樂。是業熟已，被用無餘。因下品四禪相應業，生無雲天，因中品四禪相應業，生受福天，因上品四禪相應業，生廣果天，因是業故得此天道、得天壽命、得天住、得天同類。已生於彼受業果報，有無逼樂、無復受樂。生於彼已，由最上品四禪相應業，恭敬勤修，無背常修行雜覺分之所熏修，因此業故生善現天。十倍此業生善見天，次復十倍生不煩天，復十倍生不燒天，次復十倍生阿迦尼吒天，因此業得天道、天壽命，得天住、得天同類。生於彼已受業果報，有無逼樂、無復受樂。是業熟已，被用無餘。引上界業於中用盡，即於是中得般涅槃。

> 仏陀の聖なる弟子たちが四禅を修習するとき、それぞれに下・中・上の三つの品があります。この人は下品の初禅に相応する業によって、梵先行天に生まれます。この業によって、その天の道を得、天の寿命を得、天の住処を得、天の同類を得ます。そこに生まれた後、業の果報を受けるには、二種類の楽があります。一つは無逼楽、もう一つは受楽です。この業が熟し終わると、使い尽くされて無くなります。 中品の初禅に相応する業によって、梵衆天に生まれます。上品の業によってもこの天に生まれ、この業によって天の道を得、天の寿命を得、天の住処を得、天の同類を得ます。そこに生まれた後、業の果報を受けるには、二種類の楽があります。一つは無逼楽、もう一つは受楽です。この業が熟し終わると、使い尽くされて無くなります。 二禅の下品に相応する業によって、少光天に生まれます。中品の二禅に相応する業によって、無量光天に生まれます。上品の二禅に相応する業によって、勝遍光天に生まれます。この業によって天の道を得、天の寿命を得、天の住処を得、天の同類を得ます。そこに生まれた後、業の果報を受けるには、二種類の楽があります。一つは無逼楽、もう一つは受楽です。この業が熟し終わると、使い尽くされて無くなります。 下品の三禅に相応する業によって、少浄天に生まれます。中品の三禅に相応する業によって、無量浄天に生まれます。上品の三禅に相応する業によって、遍浄天に生まれます。この業によってこの天の道を得、天の寿命を得、天の住処を得、天の同類を得ます。そこに生まれた後、業の果報を受けるには、二種類の楽があります。一つは無逼楽、もう一つは受楽です。この業が熟し終わると、使い尽くされて無くなります。 下品の四禅に相応する業によって、無雲天に生まれます。中品の四禅に相応する業によって、受福天に生まれます。上品の四禅に相応する業によって、広果天に生まれます。この業によってこの天の道を得、天の寿命を得、天の住処を得、天の同類を得ます。そこに生まれた後、業の果報を受けるには、無逼楽があり、もはや受楽はありません。 そこに生まれた後、最上品の四禅に相応する業によって、恭敬して勤め修め、背くことなく常に修行し、雑覚分によって薫修されます。この業によって、善現天に生まれます。この業の十倍によって善見天に生まれ、さらにその十倍によって不煩天に生まれ、さらにその十倍によって不焼天に生まれ、さらにその十倍によって阿迦尼吒天に生まれます。この業によって天の道を得、天の寿命を得、天の住処を得、天の同類を得ます。そこに生まれた後、業の果報を受けるには、無逼楽があり、もはや受楽はありません。この業が熟し終わると、使い尽くされて無くなります。 上界を引き出す業がそこで使い尽くされると、その中で涅槃に入ることができます。

佛世尊弟子修習四無量定，各有三品，謂下、中、上。慈無量者，如是修習如是數行，如四種禪定。喜無量者，如是修習如是數行，如初禪如二禪。悲無量者，如是修習如是數行，如第四禪。捨無量者，如是修習如是數行，如第三禪及第四禪。

> 仏陀の弟子たちが四無量定を修習する際、その境地には三つの段階があります。下品、中品、上品です。 慈無量の修習とその実践は、四つの禅定の境地のすべてに通じます。 喜無量の修習とその実践は、初禅と第二禅の境地に通じます。 悲無量の修習とその実践は、第四禅の境地に通じます。 捨無量の修習とその実践は、第三禅と第四禅の境地に通じます。

佛聖弟子修習不淨觀，各有三品，謂下、中、上。無憎違行不淨觀，如是修習如是數行，如四種禪定。有憎違行不淨觀，如是修習如是數行，如第四禪。

> 仏の聖なる弟子たちが不浄観を修習する際、それぞれ三つの段階があります。すなわち、下品、中品、上品です。 憎しみや違和感なく行う不浄観は、このように修習し、このように繰り返し行うことで、四つの禅定の境地のようになります。 憎しみや違和感を伴って行う不浄観は、このように修習し、このように繰り返し行うことで、第四禅の境地のようになります。

佛聖弟子修習阿那波那念，各有三品，謂下、中、上。如是修習如是數行，如前三種禪定。

> 仏の聖なる弟子が阿那波那念を修習するとき、それぞれに三つの段階があります。すなわち下品、中品、上品です。このように修習し、このように繰り返し行うことは、先に述べた三種の禅定と同じです。

佛聖弟子修習十想，各有三品，謂下、中、上。何者為十？一無常想、二無我想、三滅除想、四離欲想、五寂滅想、六不淨想、七過失想、八死墮想、九厭食想、十一切世間無安想。前五種想及無憎違不淨想，如是修行如是數習，如四種禪定。後四種想及有憎違行不淨想，如是修習如是數行，如第四禪。

> 仏の聖なる弟子たちが十の想いを修習するとき、それぞれに三つの段階があります。下品、中品、上品です。 十の想いとは何でしょうか。 一、無常想（すべては移り変わるという想い） 二、無我想（私という実体はないという想い） 三、滅除想（煩悩を滅し除くという想い） 四、離欲想（欲から離れるという想い） 五、寂滅想（静かに滅するという想い） 六、不浄想（不浄であるという想い） 七、過失想（過ちがあるという想い） 八、死墮想（死と堕ちるという想い） 九、厭食想（食を厭うという想い） 十、一切世間無安想（世の中に安らぎはないという想い） 最初の五つの想いと、憎しみや違和感のない不浄想は、このように修行し、このように繰り返し習うことで、四つの禅定のようになります。 後の四つの想いと、憎しみや違和感を伴う不浄想は、この

佛聖弟子修八遍入，各有三品，謂下、中、上。何等為八？一、內有色想觀外色少，是少者或妙或麁，我遍此想得知得見，如是有想；二、內有色想觀外色無量，或妙或麁，我遍此想能知能見，作如是想；三、內無色想觀外色少，麁妙如前；四、內無色想觀外色無量，類亦如前；五、六、七、八者，並於內無色想觀外四色，謂青、黃、赤、白，我遍此想能知能見，作如是想。於此八中第一第二，如是修習如是數行，如四種禪定。後六種想，如是修習如是數行，如第四禪。

> 仏の聖なる弟子たちが八つの遍入を修める際、それぞれに下・中・上の三品があります。八つの遍入とは何でしょうか。 一、内に色の想いがあり、外の色が少ないものを観じます。この「少ない」ものは、妙なるものでも粗なるものでもかまいません。私はこの想いを遍く知り、遍く見ることができます。このように想いを起こします。 二、内に色の想いがあり、外の色が無量なるものを観じます。妙なるものでも粗なるものでもかまいません。私はこの想いを遍く知り、遍く見ることができます。このように想いを起こします。 三、内に色の想いがなく、外の色が少ないものを観じます。粗妙については先の通りです。 四、内に色の想いがなく、外の色が無量なるものを観じます。種類についても先の通りです。 五、六、七、八は、いずれも内に色の想いがなく、外の四つの色を観じます。青・黄・赤・白です。私はこの想いを遍く知り、遍く見ることができます。このように想いを起こします。 この八つのうち、第一と第二は、このように修習し、このように数多く行うことで、四種の禅定のようになります。 後の六種の想いは、このように修習し、このように数多く行うことで、第四禅のようになります。

佛聖弟子修習八解脫，各有三品，謂下、中、上。第一、內有色想觀外色解脫，第二、內無色想觀外色解脫，第三、淨解脫，第四、空無邊入解脫，第五、識無邊入解脫，第六、無所有無邊入解脫，第七、非想非非想無邊入解脫，第八、想受滅解脫。第一解脫，如是修習如是數行，如四種禪定。第二解脫，如是修習如是數行，如第四禪。第三解脫，若內有色想觀外色，如是修習如是數行，如四種禪；若內無色想觀外色，如是修習如是數行，如第四禪。後四無色解脫，各如自地。第八滅受想解脫，但由住故過非想非非想，不由離欲故過，是故其地等非非想。

> 仏の聖なる弟子たちが八つの解脱を修習する際、それぞれに下・中・上の三つの品があります。 第一は、内に色想ありて外の色を観ずる解脱。 第二は、内に色想なく外の色を観ずる解脱。 第三は、清浄なる解脱。 第四は、空無辺処に入る解脱。 第五は、識無辺処に入る解脱。 第六は、無所有処に入る解脱。 第七は、非想非非想処に入る解脱。 第八は、想受滅の解脱です。 第一の解脱は、このように修習し、このように数多く行うことは、四つの禅定のようである。 第二の解脱は、このように修習し、このように数多く行うことは、第四禅のようである。 第三の解脱は、もし内に色想ありて外の色を観ずるならば、このように修習し、このように数多く行うことは、四つの禅のようである。もし内に色想なく外の色を観ずるならば、このように修習し、このように数多く行うことは、第四禅のようである。 後の四つの無色解脱は、それぞれ自らの境地のようである。 第八の滅受想解脱は、ただ住するがゆえに非想非非想処を超え、欲を離れるがゆえに超えるのではない。それゆえ、その境地は非想非非想処に等しい。

佛聖弟子修習十一切入，各有三品，謂下、中、上。前八一切入，如是修習如是數行，如第四禪。後二一切入，各如自地。

> 仏弟子が十一切処を修習する際、それぞれに下・中・上の三品があります。最初の八つの一切処は、第四禅のように修習し、そのように繰り返し行います。後の二つの一切処は、それぞれの境地に応じて修習します。

佛聖弟子修習四無色三摩跋提，各有三品，謂下、中、上。是人由下品空無邊入相應業，生空無邊入天，由中品空無邊入相應業，亦生此天，由上品空無邊入，亦生此天，因是業故，得天道、得天壽命、得天住、得天同類。生於彼已受業果報，唯無逼樂，無有受樂。是業熟已，被用無餘。由下品識無邊入相應業生識無邊入天，由中品識無邊入相應業亦生此天，由上品識無邊入相應業亦生此天，由是業得天道、得天壽命、得天住、得天同類。生於彼已受業果報，唯無逼樂，無有受樂。是業熟已被用無餘。因下品無所有入相應業，生無所有入天，因中品無所有入相應業，亦生此天，因上品無所有入相應業，亦生此天，因是業得天道、得天壽命、得天住、得天同類。生於彼已受業果報，唯無逼樂，無有受樂。是業熟已，被用無餘。因下品非想非非想入相應業，生非想非非想入天，因中品非想非非想入相應業，亦生此天，因上品非想非非想入相應業，亦生此天，因是業得天道、得天壽命、得天住、得天同類。生於彼已受業果報，唯無逼樂，無有受樂。是業熟已，被用無餘，是中般涅槃。佛聖弟子修習四禪定已生已得，從此一切更復退失。是人住下品初禪中，是人由下品初禪相應業，生梵先行天，生於彼已受下品初禪果報，得無逼樂及與受樂。受中品、上品初禪及二禪業果報，於此生中得受無逼樂及與受樂。其第三禪及第四禪，亦此生中得受果報，受無逼樂，無有受樂。是業熟已被用無餘，佛聖弟子是中般涅槃。餘中品上品初禪亦如是。

> 仏の聖なる弟子たちが四つの無色定を修習するとき、それぞれに下品・中品・上品の三つの品があります。この人は下品の空無辺処定に相応する業によって、空無辺処天に生まれます。中品の空無辺処定に相応する業によっても、この天に生まれます。上品の空無辺処定に相応する業によっても、この天に生まれます。この業によって、天の道を得、天の寿命を得、天の住処を得、天の同類を得ます。そこに生まれた後、業の果報を受けるときには、ただ苦しみのない安楽があり、感覚的な楽しみはありません。この業が熟して尽きると、もはや用いられることはありません。 下品の識無辺処定に相応する業によって、識無辺処天に生まれます。中品の識無辺処定に相応する業によっても、この天に生まれます。上品の識無辺処定に相応する業によっても、この天に生まれます。この業によって、天の道を得、天の寿命を得、天の住処を得、天の同類を得ます。そこに生まれた後、業の果報を受けるときには、ただ苦しみのない安楽があり、感覚的な楽しみはありません。この業が熟して尽きると、もはや用いられることはありません。 下品の無所有処定に相応する業によって、無所有処天に生まれます。中品の無所有処定に相応する業によっても、この天に生まれます。上品の無所有処定に相応する業によっても、この天に生まれます。この業によって、天の道を得、天の寿命を得、天の住処を得、天の同類を得ます。そこに生まれた後、業の果報を受けるときには、ただ苦しみのない安楽があり、感覚的な楽しみはありません。この業が熟して尽きると、もはや用いられることはありません。 下品の非想非非想処定に相応する業によって、非想非非想処天に生まれます。中品の非想非非想処定に相応する業によっても、この天に生まれます。上品の非想非非想処定に相応する業によっても、この天に生まれます。この業によって、天の道を得、天の寿命を得、天の住処を得、天の同類を得ます。そこに生まれた後、業の果報を受けるときには、ただ苦しみのない安楽があり、感覚的な楽しみはありません。この業が熟して尽きると、もはや用いられることはありません。ここで般涅槃に入ります。 仏の聖なる弟子たちが四つの禅定を修習し、それを得た後、すべてを再び退失することはありません。この人は下品の初禅に住します。この人は下品の初禅に相応する業によって、梵先行天に生まれます。そこに生まれた後、下品の初禅の果報を受け、苦しみのない安楽と感覚的な楽しみを得ます。中品・上品の初禅および第二禅の業の果報は、この生において苦しみのない安楽と感覚的な楽しみを受けます。第三禅および第四禅の果報も、この生において受け、苦しみのない安楽はありますが、感覚的な楽しみはありません。この業が熟して尽きると、もはや用いられることはありません。仏の聖なる弟子たちはここで般涅槃に入ります。中品・上品の初禅についても同様です。

佛聖弟子修習四禪已生已得，從此一切更復退失。是人住下品二禪中，是人由下品二禪相應業，生少光天，生於彼已，受下品二禪果報，得無逼樂及與受樂。受中品上品第二禪及初禪業報，於此生中得受無逼樂及與受樂。第三禪及第四禪亦此生中受果報，受無逼樂，無有受樂。是業熟已被用無餘，佛聖弟子於中般涅槃。餘中品上品二禪亦如是。

> 仏の聖なる弟子が四禅を修習し、すでに生じ獲得した後、それらすべてが再び退失する。この人は下品の第二禅の中に住し、この人は下品の第二禅に相応する業によって、少光天に生まれる。そこに生まれた後、下品の第二禅の果報を受け、無逼の楽および受楽を得る。中品・上品の第二禅および初禅の業報は、この生の中で無逼の楽および受楽を受ける。第三禅および第四禅もまたこの生の中で果報を受け、無逼の楽を受けるが、受楽はない。この業が熟し尽きて後、仏の聖なる弟子はその中で般涅槃する。残る中品・上品の第二禅についても同様である。

佛聖弟子修習四禪已生已得，從此一切更復退失。是人住下品三禪中，由下品三禪相應業，生少淨天，生於彼已受下品三禪果報，受無逼樂及與受樂。受中品上品第三禪業報，此生中得受無逼樂及與受樂。受初禪、二禪及第四禪業報，受無逼樂，無有受樂。是業熟已被用無餘，佛聖弟子於中般涅槃。餘中品上品三禪亦如是。

> 仏の聖なる弟子は四禅を修習し、既に生じ既に得たるも、これより一切更にまた退失す。この人は下品の三禅に住し、下品の三禅に相応する業によりて、少浄天に生ず。彼に生じたる已に、下品の三禅の果報を受け、無逼の楽及び受楽を受く。中品・上品の第三禅の業報を受け、この生の中に無逼の楽及び受楽を受く。初禅・二禅及び第四禅の業報を受け、無逼の楽を受け、受楽有ること無し。この業熟したる已に被用して余り無く、仏の聖なる弟子はこの中に般涅槃す。余る中品・上品の三禅もまた是の如し。

佛聖弟子修習四禪已生已得，從此一切更復退失。是人住下品四禪中，由下品四禪相應業生無雲天，生於彼已受下品四禪業報，得無逼樂，無有受樂。受中品、上品第四禪及餘三禪業報，於此生中得受無逼樂，無有受樂。是業熟已被用無餘，佛聖弟子是中般涅槃。餘四禪中品上品亦如是。

> 仏の聖なる弟子が四禅を修習し、すでに生じ、すでに得た後、これらすべてがさらに退失することはない。この人は下品の四禅の中に住し、下品の四禅に相応する業によって無雲天に生まれる。そこに生まれた後、下品の四禅の業報を受け、逼迫のない楽を得、受楽することはない。中品・上品の第四禅およびその他の三禅の業報は、この生において逼迫のない楽を受け、受楽することはない。この業が熟し、尽き果てた後、仏の聖なる弟子はここで般涅槃する。残りの四禅の中品・上品についても同様である。

佛聖弟子修習四禪及四無色定已生已得，從此一切更復退失。是人住下品空無邊入，由下品空無邊入相應業，生空無邊入天，生於彼已受下品空無邊入果報，得無逼樂，無有受樂。受中品上品空無邊入，及上三無色定果報，於此生中受無逼樂，無有受樂。是業熟已被用無餘，佛聖弟子於中般涅槃。餘中品上品空無邊入亦如是。

> 仏の聖なる弟子が四禅と四無色定を修習し、すでに生じ獲得した後、それらすべてが再び退失することはない。この人は下品の空無辺処に入り、下品の空無辺処に相応する業によって、空無辺処天に生まれる。そこに生まれた後、下品の空無辺処の果報を受け、逼迫されない楽を得、享受する楽はない。中品・上品の空無辺処、および上三無色定の果報をこの生において受け、逼迫されない楽を享受する。その業が熟し、尽き果てた後、仏の聖なる弟子はその中で般涅槃に入る。残る中品・上品の空無辺処についても同様である。

佛聖弟子修習四禪及四無色已生已得，從此一切更復退失。是人住下品識無邊入，由下品識無邊入相應業，生識無邊入天，生於彼已受下品識無邊業報，得無逼樂，無有受樂。受中品、上品識無邊入，及初後三無色業報，此生中得受無逼樂，無有受樂。是業熟受已被用無餘，佛聖弟子於中般涅槃。餘識無邊入中品上品亦如是。

> 仏の聖なる弟子は、四禅と四無色定を修習し、すでに獲得した境地から、さらにすべてを退失する。この人は下品の識無辺処に入り、下品の識無辺処に相応する業によって、識無辺処天に生まれる。そこに生まれた後、下品の識無辺業の報いを受け、苦しみのない安楽を得るが、感受する楽しみはない。 中品・上品の識無辺処、および初めの三つの無色定の業報についても、この生において苦しみのない安楽を得るが、感受する楽しみはない。その業が熟して報いを受け、使い果たされ尽くした後、仏の聖なる弟子はその中で般涅槃する。残る識無辺処の中品・上品についても同様である。

佛聖弟子修習四禪及四無色已生已得，從此一切更復退失。是人住下品無所有無邊入，由下品無所有無邊入相應業，生無所有無邊入天，生於彼已受下品無所有無邊入果報，得無逼樂，無有受樂。受中品、上品無所有無邊入，及前後三無色業報，此生中得受無逼樂，無有受樂。是業熟已被用無餘，佛聖弟子於中般涅槃。餘中品上品無所有無邊入，亦復如是。

> 仏の聖なる弟子が四禅と四無色定を修習し、すでに生じ獲得した後、これらすべてを再び退失する。この人は下品の無所有無辺処に住し、下品の無所有無辺処に相応する業によって、無所有無辺処天に生まれる。そこに生まれた後、下品の無所有無辺処の果報を受け、逼迫のない楽、受けることのない楽を得る。中品・上品の無所有無辺処、および前後の三無色定の業報は、この生において逼迫のない楽、受けることのない楽を受ける。この業が熟して完全に使い果たされた後、仏の聖なる弟子はその中で般涅槃する。残る中品・上品の無所有無辺処についても、同様である。

佛聖弟子修習四禪及四無色已生已得，從此一切更復退失。是人住下品非想非非想無邊入，由下品非想非非想無邊入相應業，生非想非非想無邊入天，生於彼已，受下品非想非非想無邊業報，得無逼樂，無有受樂。受中品、上品非想非非想無邊入，及前三無色業，於此生中得無逼樂，無有受樂。是業熟已被用無餘，佛聖弟子於中般涅槃。餘中品上品非想非非想無邊入，亦復如是。

> 仏の聖なる弟子が四禅と四無色定を修習し、すでに生じ獲得したが、その後すべてを再び退失した。この人は下品の非想非非想処定に安住し、下品の非想非非想処定に相応する業によって、非想非非想処天に生まれる。そこに生まれた後、下品の非想非非想処定の業報を受け、逼迫のない楽を得るが、感受する楽はない。中品・上品の非想非非想処定、および前三の無色定の業については、この生において逼迫のない楽を得るが、感受する楽はない。これらの業が熟して尽き果てたとき、仏の聖なる弟子はその中で般涅槃する。残る中品・上品の非想非非想処定についても、同様である。

「上流生阿那含有三種：一者初生梵先行天，如是次第往生，乃至廣果，於中生已得般涅槃；二者初生廣果，如是次第往生，乃至阿迦尼吒天，生於彼已得般涅槃；三者初生空無邊入天，如是次第往生，乃至非想非非想天，生是中已得般涅槃。

> 上流生の阿那含有には三種あります。 第一は、初めに梵先行天に生まれ、順次に生まれ変わり、広果天に至り、そこに生まれて涅槃を得る者。 第二は、初めに広果天に生まれ、順次に生まれ変わり、阿迦尼吒天に至り、そこに生まれて涅槃を得る者。 第三は、初めに空無辺処天に生まれ、順次に生まれ変わり、非想非非想天に至り、そこに生まれて涅槃を得る者。

「復次上流生阿那含有二種：一者在色界、二者在無色界。若在色界般涅槃者，從梵先行天如是次第生，乃至阿迦尼吒天，生於彼已得般涅槃。在無色界者，初生空無邊入天，如是次第往生，乃至非想非非想天，生於中已得般涅槃。

> さらに、上流生の阿那含有には二種類あります。一つは色界にあるもの、もう一つは無色界にあるものです。 色界で般涅槃に入る者は、まず梵衆天に生まれ、次第に上へと生まれ変わっていき、ついには阿迦尼吒天に生まれ、そこで般涅槃を得ます。 無色界にある者は、まず空無辺処天に生まれ、次第に上へと生まれ変わっていき、ついには非想非非想天に生まれ、そこで般涅槃を得ます。

「復次有一種上流生阿那含，從梵先行天生，如是次第往生，乃至非想非非想，生於彼已得般涅槃。」是義佛世尊說。如是我聞。

> また、ある種の上流生の阿那含があり、梵天より先に生じ、このように順次に往生し、ついには非想非非想天に至る。そこに生まれた後、般涅槃を得る。この意味は、仏世尊が説かれた。かくのごとく我聞けり。